104.幸せな夢を
熱に浮かされる時はいつも必ず夢を見る。お前は役立たずだとか、必要ないだとか真っ黒の人間が私を罵る夢。そんな時リハルト様が傍にいて優しく抱きしめてくれるの。だから怖くなかった。だけど今は貴方がいないから私はそれを耐えるしかないんだ。
「…っ、ひっ、うぅ…」
熱が高い時は涙が勝手に出てくる。それをもう泣かないと決めたのにと違う自分が嘆くんだ。それが何だか笑えてくるのに、私は涙を流しているという矛盾が可笑しいよね。
「…紗良?辛いのか?」
不意に声がした方に視線をさまよわせると、リハルト様の姿が月明かりでうっすらと見えた。嗚呼、とうとうリハルト様の幻覚と幻聴が聞こえるなんてヤバイかも知れない。
「あっ…。っ、私、死ぬのかなぁ…?」
高熱で死んだなんて周りで聞いたことないけど、幻覚症状まで出たら危ないよね?やらなきゃいけない事があるのに、こんな所で死ねないんだけどなぁ。我慢して薬飲んでおけば良かったかも…。
「馬鹿言うな!こんな事で死なれたら困る」
「…そっかぁ、夢かぁ」
幻覚のリハルト様は私の傍に立ち悲しそうな顔で私の手を握った。その手が暖かいものだから、夢だと気付いた。幻覚に温もりがある筈ないしね。
「…そうだ。これは夢だ」
「夢でも嬉しい…。リハルト様に逢えて」
「俺もだ。ずっと逢いたかった」
夢の中の人が夢だって認めちゃうなんて変なの。でも夢っていつも何処か変だもんね。夢の中のリハルト様をぼんやりと見つめる。離れてからまだ半月も経ってないのに、こんなにも恋しいよ。
「なぁ紗良。いくつか聞いてもいいか?」
「夢の中で質問されるのって変…。でもいいよ」
熱で辛い筈なのにリハルト様がいるお陰か、はたまた夢だからか分からないけど、穏やかな気持ちでいられる。さっきまで出ていた涙が止まってしまったのがいい証拠よね。まぁ夢にリアリティはいらないか。
「お前が呟いた花の名前の意味を聞いたのだが、それに続く筈だった言葉が分からないのだ。色褪せない…その後は何が続く?」
「私が見てる夢のリハルト様なら言わなくても分かるでしょ?」
「残念だが、夢は万能ではないらしい」
「ふふ、何それ。誰にも言わない約束してくれたらいいよ」
私の言葉にリハルト様が「約束しよう」と頷いた。蒼玉にも教えてないんだからね!夢だと分かっているから言える言葉と想いだから。
あーでも夢の中のリハルト様だと分かっていても、それを口にするのは恥ずかしいかも。でも伝言として残したんじゃなくてポロッと零しただけなのに、もう意味まで把握してるとかやるなぁ。ま、私の夢だから知ってて当然か。
「色褪せない愛を貴方に」
「っ!」
意味を聞いたリハルト様の顔が心なしか赤く見える。暗がりだからハッキリとは分からないけど。揺るがない、揺るぎようのないこの想いをどうしたら忘れることが出来ようか。
これはリハルト様への言葉じゃなくて自分自身への言葉なの。リハルト様から離れてもこの想いはどうか色褪せないで。時間が経っても消えていかないで。そんな意味が込められていたの。一度は蓋をしようとした想いだけど、簡単に仕舞えるような想いじゃなかったなぁ。
「嫌いなんて嘘。どうしようもなく好き。本当は一秒だって離れたくない。…でもそれじゃあ駄目だから」
「何が駄目なんだ?白銀の一族の事か?お前は何をしようとしているんだ?」
天井を見つめながらそう呟く私に、リハルト様の手に更に力が入る。痛いけれど、それがなんだか本物のリハルト様がいるようで少しだけ嬉しかった。矢継ぎ早に繰り出される質問に苦笑いする。そんなに一気に質問されても答えられないよ。頭ぼーっとしてるのにさ。
「私にも分かんない。でももう私以外の誰も傷付けたくないから、私は一人で行くの」
「………なら、全てが終わったら俺の元へ帰って来てくれるのか?」
「……その時、私は生きてるのかな…?」
「縁起でもないことを言うな。危険な事をしようとしてるのなら俺が止めるからな」
厳しい目で私を見つめるリハルト様。意識が朦朧としてきた所為で変な事を口走っちゃったみたい。夢に熱が上がるとかのリアリティいらないのに。
俺が止めるって、夢の中なのに何言ってるんだろうって思った。現実の本人にはどう頑張ったって伝わらないのにね。
「ねぇリハルト様」
「なんだ?」
「私以外の誰かと結婚してもいいよ」
「何を言って…」
「私じゃリハルト様を傷付けてしまうから。…でも一つだけ許して欲しい事が…ある、の」
意識が更に深くなり、瞼が重くなって閉じようとしている。嗚呼どうか最後にこれだけ言わせて?怖くて現実じゃ言えなかったこの話だけはどうしても完結させておきたいの。
「…好きで、いさ…せて…」
「は?おい、紗良!…紗良?」
私が勝手に突き放して、勝手に出て来てしまったから、リハルト様が他の誰かと結婚したっていいよ。本当は嫌だけど、私にそんな事言える資格ないし。だから死ぬまでとは言わないけど、きっと忘れる事は出来ないから、もし他の誰かを好きになる事が出来るその時までは好きでいさせて欲しい。
その答えを例え夢の中だとしても、リハルト様に聞きたかったんだけどそれを聞く前に夢が終わって深い眠りに入ってしまった。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
何匹かの小鳥が音楽を奏でている音で目が覚めた。昨夜は何だか幸せな夢を見た気がするんだけど、何だっただろうか。ベットの上でグッと背伸びをしてベッドから出ると、違和感を覚えた。
「ん?体が軽い…?」
確か私は熱を、しかも高熱を出していた気がするのに体が軽い!取りあえずよく分からないので、ストレッチをしながら考えていると、クリストが部屋に入ってきた。昨日までフラフラのヨレヨレだった私が元気にストレッチしてるもんだから、クリストの目が点になっている。間抜けな顔も出来るんだね笑っていると急発進でもした車のように近付いてきて私の額に手を当てたクリストは、意味が分からないという表情で首を捻っていた。
「え、まさか熱が下がられたのですか?」
「そうみたいだね」
「薬も飲まずしてどうやって?いえ、そもそも薬を飲まれたとしても昨日の状態からこうも急に回復するものなのでしょうか?」
「うーん、でも実際に治ったみたいだし、私にもよく分からないの。ごめんね!」
答えを出そうとブツブツと呟きだしたクリストに、先手で謝っておいた。私自身も分からないから聞かれても困るしね。まぁ、私が言える事はラッキー!って事だよね。これでもう一か所行かなきゃいけない場所に行けるし、それが終わればこの国から出て進まなきゃいけないしさ。
「不可解ですが風邪が治って何よりです。汗をかかれてましたからすぐに湯あみの準備をしてまいりますね」
「はぁい」
クリストの出て行った扉を見ながら思ったのは、侍女って皆切り替え早いよね。そのまま熟考しそうなところを、主人の準備の為にサッと切り替えて動けるのはやはり優秀だからなのかな。マリーは熟考しだす事はないけど、大抵の事はお菓子で許してくれて引き摺らないのよね。まあ自分の感情を最優先させたら勤まる仕事ではないもんね。それをやってしまう人は上には登れないんだろうな。侍女に上があるのかは知らないけど。
「準備出来ましたので移動しましょうか。こちらを被って下さい」
「うん、分かったよ」
手渡された布を頭から被り湯あみできる場所まで移動した。一度ここに来て神子の面が割れてるから応急処置での対処なんだよね。次は神子の面が割れてないであろうハイドランジアにでも行こうかと考えていると、湯あみ処についた。幸いこの時間から使用する姫もいないそうでゆっくりと入れそうだ。
「…なんで着いてくるの?」
「侍女だからですよ」
「いやいや、貴方男性だからね?」
「自分の性別ですから存じ上げておりますよ」
そうじゃなくて一人で入れるからと押し出して、服を脱いで中に入ると白の大理石で統一された上等なお風呂だった。でもローズレイアの方が広いな。
「んふんふーん。ららんらーん」
「ご機嫌そうで何よりです。お背中流しますよ」
「あ、お願いしま…きゃああああああ!!!」
湯船から上がろうとして、一気に戻った。キョトンとしたクリストがこちらを見ているんですけど!?え、私一人で入るって言ったよね!?何で入って来てるんだよ!!
「紗良様。あまり騒がないで下さいね」
「ごめんなさい。…じゃなくて!何でいるの!?断ったよね?」
「私は紗良様のお世話を任されていますから。ご安心を。前にも言いましたが見慣れていますので、お気になさらず」
満面の笑みで言われてもねぇ…。仕方ないので紅玉を呼んでクリストを追い出してもらった。ついでに再度入って来ないように見張りもお願いした。
「はぁ…。ゆっくり出来ると思ったのになぁ」
ちゃちゃっとお風呂から出て着替えた私を確認した紅玉は、また私の中へと戻った。すいませんねぇ迷惑かけてさ。髪の水分をタオルで吸っていると、クリストが入って来た。
「髪ぐらいは私にやらせて下さいね」
「お願いします」
私の髪を梳くクリストに肩の力が抜けた。小言を言われるかと思って身構えてたんだけど、考え過ぎだったみたい。
「髪切ろうかなぁ」
鏡に映る自分の髪の長さを見てそう呟いたら、クリストに反対された。この世界に来た時は肩につくぐらいだったのに、今じゃ胸ぐらいまで伸びちゃったのよね。長いと中々乾かないから切りたいな。
「今のままが一番お似合いですよ」
「神子として?」
「そうですね。誰が見ても神子様かと」
「ふーん。なら切ったら神子に見えなくなるかな?」
私のこの言葉にようやく意図が掴めたクリストは、動かしていた手を止めて鏡越しに私を見つめる。そして優しく笑った後にまた私の髪を梳き始めた。
「どんなお姿でも神子様に見えますよ。何故なら紗良様が神子だからです。貴女が神子である限り、そう見えます」
「…分かりそうで分からない。だってそれはカシュア=王で分離はしないし、一緒って言ってるのと同じでしょ?」
「ご名答です。つまり神子様も紗良様も一つの個ですから分けて考えるというその考え自体が、間違っているのですよ」
そう言って「さぁ出来ましたよ」と鏡から離れたクリストと、来た時と同じように布を羽織りながら用意されている部屋に戻った。その間もクリストの言葉が頭を巡って離れない。
「私もね、そう思う。何度も葛藤して同じ事で悩んで…。一緒と結論出す時もあれば別だと認識する時もある。それは何でだろう?」
自分じゃ分からないなら誰かに答えを聞いてみるのもありだよね?私はアクセサリーを付けようとしてくれているクリストに向き直って質問をした。
「はい?先程の話でしょうか?」
「うん」
「そうですね…まず根本的な所からお話しましょうか?何故紗良様は自分と神子を分けてお考えなのですか?」
「それはリハルト様が…」
リハルト様に分けて考えろと言われた話をクリストにすると不思議そうに首を捻った。え?なんか可笑しな話だったかな?
「それって、それぞれにとって譲れない物を決めろというお話ですよね?」
「そうだよ」
「それが何故、神子と紗良様を分ける話になるのでしょうか?」
「え?」
今度は私が首を傾げる番だ。意味が分からないんだけど…。そんな私にクリストは苦笑している。
「えーっと、リハルト王子は優先すべき一番を決めるように仰っただけですよね?」
「うん。でもその前に分けて考えろと言われたの」
「そういう事でしたか。では何故リハルト王子はそう言われたのでしょうね?」
問いかけは止めて欲しいな。そんなの私に分かりっこないんだから。クリストにはリハルト様の考えが理解出来たとでも言うのだろうか?
「リハルト様がそうやって使い分けてるから」
「それもあるかも知れませんね。ですが違うと思いますよ。数日ですがお側に居て感じた事ですが、紗良様は頑張り過ぎてしまうので、神子として無理をしない振る舞いをという意味があったのではないでしょうか?」
「え?それって逆じゃない?神子としての私だと無理をするんだから」
「ですからそれが紗良様なのですよ。立場のある人間というのは決して無理はしません。何故なら自分一人の身ではないからです」
んん?無茶をする方が紗良としての私?ずっと逆だと思ってたけど、違うのかな…。そしてまた同じような言葉を最後に言われちゃったな。
でもリハルト様にはそれが神子としての私だと言われた事があると言えば、クリストは少し考えた後に、こう付け加えた。
「近すぎると見えなくなる事もありますよ。麻痺してくると言った方が分かりやすいですね。時間をかけてゆっくりと刷り込まれていくと、嘘も誠になりますから」
「………そっか。つまり要約すると、神子として適度な振る舞いを覚えて無茶をするなと言いたかったって事かな?」
「そう考えた方が辻褄は合いますね。そして優先すべき順位は、紗良様としての考えた時に思い浮かんだ事でしょうね」
頭から煙が出そうなぐらい頭をフル回転で話を聞いてます。私はそんなに頭良くないから掘り下げてかないと理解出来ない。クリストがリハルト様の考えをまるで本人から聞いたかのように的を得た答えを出してくれるのは素直に凄いと思う。
それが本当の正解かは分からないけど、きっとあってると思うんだ。だってリハルト様が考えそうな事だもん。
「神子としてよりも、私の考えが優先なのはどうしてそう思ったの?」
「では紗良様はリハルト王子に、リハルト様としての考えと王子としての考えを、どちらを優先して欲しいと願いますか?」
「そりゃリハルト様としての考えだよ!」
「何故です?」
「それは…」
言葉に詰まり下を向いた。視界に入るのは今着ている青いドレスだ。何故かだって?そんなの簡単だよ。好きだから、大切な人だからこそ、その人の本当に望む方を優先して欲しい。私はキュッとドレスを握り締めた。
「幸せになってほしいから…」
私は理解しようともしないで、聞き流してきた言葉が一体いくつあるんだろう。こうやって大事な意味や気持ちが込められていたのを今気付くなんて…。
「こうやって色んな事を紐解いていったら、今のこの状態も違ってたのかなぁ?」
「それはどうでしょうか。過去を変える事は出来ませんからね。出来る事は過去の失敗から学びを得ることでしょう。さて、話もひと段落した所で最後の場所に向かいましょう。風邪で紗良様の予定が押しておりますから」
その言葉に頷いて部屋を出て用意されている馬車に乗り込んだ。ここでの役割を果たしたら次に行かなくちゃいけないからね。もうすぐ雪が降る時期に入ってしまうから、動けるうちに進まなくちゃ。




