103.木漏れ日の熱
水の中にいる魚として私は泳いでた。すると後ろからサメがやってきて慌てて逃げると、気付けば人魚の姿になっていた。人魚の私は海の中で楽しげに歌を歌っている。しかし歌ってる途中で急に息が出来なくなり、慌てて水面に上がろうとするも何故か体が進まない。もう駄目だと諦めたその時、バッと目が覚めた。
「ぬおっ!!し、死ぬかと思った…」
冷や汗びっしょりで息を乱しながら安堵する。どうやらあの後爆睡してしまったようで、気付けばベッドの上だった。クリストが宿をとって運んでくれたみたいだね。
「ふんー!…あの夢の原因はこれかぁ」
鼻をチーンとかむとスライム状の鼻水が出た。あの泉に落ちた所為で案の定風邪を引いたらしい。鼻がつまり息が苦しくなった為、あんな夢を見ちゃったみたいだね。
「喉渇いたなー」
窓から外を見ればもう真っ暗だった。今何時だろう?雲が多く月が見えないので、大体の時間も分からなかった。ふと簡易なテーブルに目を向けると水差しとグラスが置かれていた。
「流石クリスト。優秀な侍女ね」
水を飲もうと水差しに手を伸ばすと、足元が覚束なかったようで倒してしまい床に全部ぶちまけてしまった。
「助けて蒼玉〜」
『もう何やってんだか。元には戻すけどこれは飲んじゃ駄目だからね』
「でも喉渇いたんだけど」
『じゃあクリストに言ってきてあげるからベッドに寝てて。熱が出てるみたいだしね』
スルッと壁を抜けた蒼玉を見送り大人しくベッドに戻った。蒼玉の言う通り、どうやら鼻水だけじゃなく関節痛や寒気があるから熱も出てそうだ。前の世界じゃあんまり風邪引かなかったんだけどなぁ。
トントン
「クリストです。お水お持ちしたので開けてもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
扉を開けて蒼玉と一緒に入って来たクリストの手には新しい水差しを持っていた。それをグラスに注いで手渡してくれた。
「熱が出たと伺いましたので氷嚢も一緒にお持ちしました」
「わ、ありがとう!助かるよ」
「今日はもう遅いので、明日医者に診て貰いましょうね。薬も貰わなくてはいけませんから」
「あー…薬は大丈夫よ。ほっとけば治るし」
「駄目ですよ。風邪を悪化させて肺炎にでもなったらどうするつもりですか?」
なんでこう皆薬を飲ませようとするのかな?自己治癒力にかかってるというのに。薬に頼りすぎるのは良くないと思うんだよね!と言えばクリストは小さく笑った。
「成る程。紗良様は薬がお嫌いなのですね」
「嫌いじゃなくて必要ないと思ってるの!」
「そういう事にしておきましょうか」
笑いながらそう言うクリストに掛け布団をかけられ氷嚢を頭に乗せられた。早く寝ろという事らしい。このやり取りすらローズレイアを思い出してしまうんだから困ったもんだわ。風邪なんて引いてる場合じゃないから早く寝て治さなくちゃね。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「やばい…本当にやばい…」
翌朝になり熱は下がるどころか上がる一方で、心配するクリストに平気な振りをして守護者の救出&土地を癒しに行ったのはいいんだけど、昨日から続く限界ギリギリの力の受け渡しによる疲労と風邪がダブルパンチで私を襲った。
「お姉さん!本当にありがとうございました!」
「感謝でしたら神子様とこの地を守る存在にしてあげて下さいね」
「分かりました!でもお姉さんが来てくれなかったらここはずっとあのままでした。だから本当にありがとうございます。お父様達や町の人も笑顔になってくれて本当に嬉しいんです!」
壁にもたれ掛かっていた体を無理矢理起こして笑顔で子供に向き直った。小動物のような大きくて愛らしい目で私を見ているこの女の子はこの町を収める貴族の娘なんだけど、どうやらお礼を言う為に追いかけて来てくれたみたい。小さいのにしっかりしてるなぁ。
「お役に立てたようで良かったですわ」
「…あの、もし神子様にお会いしたらこれを渡して欲しいんですけど、ダメですか?」
「これは?」
女の子から手渡されたのは銀細工の鍵だった。パッと見高そうな物に見えるけど、どこに使うかも分からない鍵を渡されても…と意図を図りかねていると女の子は誇らしそうな笑顔で私を見つめた。
「それはね、大事な私の宝物なんです!」
「宝物を神子様に?」
「はい!これはお父様から頂いた物で、「お前がいつか心から尊敬できる人に渡しなさい」って言われた物です。神子様に無礼を働いた国でも手を差し伸べてくれるそのお心に私は感動しました。いつか神子様みたいに沢山の人を救える人になるのが私の目標です!」
キラキラと輝くその瞳には夢や希望がつまっていて、夜空の星達よりも綺麗だった。この子の言葉が純粋に嬉しくて、同時に苦しかった。自分で築き上げた神子が完璧すぎて紗良としての私は少々居心地が悪い。そんなに慕ってもらえるような人間でもないんだと言ってしまいたかったけど、ぐっと押し殺した。夢を壊しちゃいけないよね。私は受け取った鍵を女の子の手に返して握らせた。
「えっ?」
「そのお気持ちだけで神子様には届きますわ。だからその鍵はまだ大切にしまっておいて?それはいつかの誰かを救う物になる筈だから」
「いつかの…誰か?」
「えぇ。きっと」
「…よく分からないけど、分かりました!」
背伸びしたい年頃なのかな?分からないけど分かった振りをする女の子が可愛くてクスリと笑ってしまった。女の子は大事そうに鍵を仕舞って再び私に向き直った。
「私神子様を拝見したことないんですけど、なんだかお姉さんは神子様みたいですね」
「ふふ、どうしてそう思うのかしら?」
「とっても綺麗でとっても目が優しいからです!人は目を見れば本質が分かるってお父様の言葉なんですけど、お姉さんの目はとても優しいです。だから神子様もきっとお姉さんを使いの人に選んだんだと思います」
遠くから女の子を呼ぶ声がして、女の子はぺこりと頭を下げて行ってしまった。目が優しいって初めて言われた。それはきっといい人ってことなのかな?目を一度閉じてからゆっくり開いたら、私を見るリハルト様の目を思い出した。優しくて愛が溢れているあの瞳を私がしているのだろうか。ううん、そんな目をしてる自身なんてない。神子の時の私が映し出しているものなんだと思う。
「あの子は人を見る目をお持ちですね。ここは将来は安泰でしょう」
「そうかな。うわべに騙されちゃうようじゃ難しいかもね」
「気付いておられないのですね。紗良様の瞳も優しいですよ。神子様がお日様だとすれば紗良様は木漏れ日のようですよ」
クリストが目を細めながらそう言ったので、なにその例えと笑い飛ばしたら体が傾いて意識も一緒に飛ばしてしまった。無理した所為で限界を超えてしまったらしい。遠くでクリストの声を聞きながら深い闇に身を委ねた。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
快晴と言わんばかりの透き通った空はとても小気味良い。木の根元に横になり葉っぱの隙間からは木漏れ日が差し込んでくる。それは風が吹くたび形を変えて私に降り注ぐんだ。クリストは私の事を木漏れ日のようだと言ったけど、さっぱり意味が分からないよね。私に一つだけ言えるのはこの状態が心地よいという事だけ。…体調が良ければね。
「神子が薬が嫌で脱走とか情けない話だな」
息を切らしながら横たわる私に向って誰かが声をかけた。その時に突風が吹くもんだから思いっきり日差しが顔に当たりその人物の顔が良く見えない。日差しに当たるその髪色が金色に見えて思わず口に出してしまった。
「リハ、ルト様…?」
「残念だがリハルトではない。私だ神子様」
風が止み再び影が戻ると視界も戻った。そこにはリハルト様ではなくカシュアがこちらを呆れたように見つめているのが見えた。カシュアはお母さん譲りの薄い栗毛だから日の光でそう見えてしまったらしい。声も違うのにどうして勘違いしちゃったんだろう。会いたいという思いが幻覚を見せるのかな?
「カシュア…。いいの?女王様がこんなところに居て」
「私が王だから何処にいても問題ない。それより私がリハルトに見えるとはよっぽど会いたいと見える」
「違うよ、熱で朦朧としてるだけだもん」
「どちらでもいいけど神子様に自由に出られると私も困るんだけど?」
「ごめんなさい。すぐ戻るね」
神子がここにいると知っているのはラーシュ姫とカシュアとクリストの三人だけなんだよね。なんで宮殿にいるかと言えば気を失った私を見て大変だと判断したクリストによって連れ帰られたってわけなんだよね。今もなお怠い体を無理矢理起こすと大木に身を委ねた。
「フラフラじゃないか。ほら掴まれ」
「だ、大丈夫大丈夫。ゆっくり戻るからカシュアは先に…きゃっ!」
「神子様は世話が焼けるね」
なんとカシュアにお姫様抱っこされてしまった。え?女性だよね?どこにそんな力があるの!?もう本当にイケメンすぎるわ。女性で王子様のような存在の人って漫画の中だけの話だと思ってたけど、実在するもんなんだね。こりゃ女性がトキメイても仕方ないと思うな。
「陛下!お手を煩わせてしまい申し訳ありません」
「いい、偶然見つけたからな」
「さぁお部屋に戻りますよ紗良様」
「ふぁい…」
カシュアからクリストに手渡される私。まるで物みたいだわ。クリストにはしっかりと掴まれている。逃げられないようにってことですよね、分かってますよ。どっちみちもうそんな体力残ってないしね。
「なぁ神子様。リハルトに会いたいか?」
「え?――――――ううん、会いたくない」
「……そうか」
カシュアは私の頭をくしゃりと撫でたら行ってしまった。なんでそんな事聞いたんだろう。事情話してるから知っている筈なのに。会いたいか?なんて酷な事聞かないで。会いたいに決まってるじゃん。でもそうしたら立ち止まってしまうから、目的を果たせなくなってしまうから、ダメなんだよ。
「紗良様が素直なのは熱に浮かされている時だけですね」
「はい?え、私何か言ってた?」
「さぁ、どうでしょう」
私がはぐらかす事に対して騒ぐ紗良様を強制的にベッドに寝かしてタオルを額に乗せると、気持ちが良いと紗良様が目を細めて目を閉じられました。逃走した時に力を使い果たしたお陰で暫くして寝息が聞こえてきたので私はそれに静かに耳を澄ませました。
「誰かさんに会いたいと泣いておられましたよ」
先程の答えを眠ってしまった紗良様に投げかけるも、当然答えはありませんね。泣いてしまう程辛いなら薬を飲めば楽になるのにそれをしないのは何故でしょうか。苦いからと言ってましたけど、私は本当は紗良様の心が押し込めたものを吐き出せるように拒否をしているように感じられましたけどね。考察を巡らせたところで正解は誰にも分かりませんが。
「―――っ、うぅ…」
寝入ってから時間が経つとまた熱に浮かされる紗良様。高熱で辛いのか目に涙を溜めて苦しそうに呻く。そのお姿を見て私がリハルト王子だったらこの苦しみを少しでも開放出来たのでしょうかと考えて止めた。世の中にはどうにも出来ないことが腐るほどあるのですから。
「こんなにも焦がれているのに、離れなければならない理由とは何なのですか?」
『君には全くもって関係のないことだよ』
「それもそうですね。ですがどうにも出来ないのは歯痒いものですね」
『はは、可笑しなことを言うんだね。たった数日の関わりで、しかも他国の侍女がそこまで肩入れするものかな』
蒼玉様は私を訝しむ目で見ていますが、その件については同感ですけどね。ですがそれ程の魅力を紗良様がお持ちなのでしょう。国も人種も関係なく対等の人として接するそのお姿は老若男女を虜にして味方につける。そんな才能をお持ちなのだと思います。自分自身でも驚いていますよ。
「こんなことはザラなのでは?心配なさらなくとも陛下は紗良様をどうにかするつもりはありませんよ。少なくとも今は」
『そうだといいけどね』
私に厳しい視線を向けた後、蒼玉様は紗良様に寄り添うように横になった。自分が見ているからさっさと出ていけとでも言わんばかりの視線を向けられたので、大人しく従う事にしましょう。私は何もしなければそんな権限も持ち合わせていないのですがね。
「あの方こそ別の感情をお持ちなのでは?」
部屋を出た通路で届きもしない疑問を口にする。私ではなく蒼玉様自身が紗良様に特別な感情を持っている気がしてなりません。勿論紗良様は主になるのですから当然と言えば当然ですが、そうではない別格の物が隠されていそうですね。
「くす、姫と王子以外のお話は残念ながら用意されていませんね」
我ながら性格が悪いと思いますが、思わず上がる口の端を正して歩を進める。所詮我々は部外者なのですから誰を自由に想おうとも勝手ですけれど、そこに絵本のようなハッピーエンドは決して訪れない。生まれ落ちた場所が物をいう世界ですから夢のような出来事なんて考えるだけ無駄ですからね。
今日は紗良の誕生日。ハッピーバースデー!




