the 3rd door:演技と鼻水の関係とは
NHKの連ドラ『マッサン』が好調である(らしい)。
私も珍しくハマっている。
朝は見られないから、夜の再放送をのんびり楽しんでいる。
なんといってもヒロインのエリーがいい。正確には、エリーを演じている女優さんがいい。よくぞオーディションで探し当てたものだ。喜怒哀楽の表現が、欧米人でありながらも日本人好みだ。
歌も上手い。選考条件のひとつに『歌える』というのもあったようだが、見事にクリアしている。
私はミュージカルファンなので歌にはなかなか厳しいが、彼女は合格である。第18話の『埴生の宿』はとてもよかった。
そんなこんなでお気に入り中のエリーだが、特筆すべき点があることに気がついた。
このドラマは、国際結婚した夫婦の人情喜劇というコンセプトだが、時代設定が戦前(大正時代)ということもあり、理不尽な展開を憂えて涙するシーンが多々ある。
エリーもよく泣くのだが、その演技が素晴らしい。
<鼻水を垂らさない>、という点で。
昔の女優さんは、泣くシーンでも鼻水を垂らすことはほとんどなかったのではないかと思う。
しかし最近は、老いも若きも関係なく、惜しげもなく鼻水姿を披露する。
垂れバナの程度は様々だが、私の見る限り、演技が熱を帯びるほど、ボルテージが上がれば上がるほど、その垂れ具合は凄まじいように思われる。
垂れすぎて地面にくっつくんじゃないかとハラハラする。
一体いつからこんなことになったものか。
泣く=鼻水を垂らす=熱演しちょります的な風潮は、どこから始まったのだろうか。
まったくもって理解できない。
鼻水と演技力は関係ない。
断じてない!……と思いたい。
垂らしてなんぼなら、私も舞台に出れる(多分)。
乾燥鼻(←?)だから、鼻血だって簡単に出せる。難易度からいえばかなり上位のはずだ(←?)。
女優は脱いでなんぼといった考えもあるようだが、これに賛同しないのと同じこと、いやそれ以上だ。
むしろ見たくない。
地面まで届くかと思うような垂れバナを見て喜ぶ輩がどこにいる?(垂れバナふぇちを除く)
そっちに気を取られて、話の内容など宇宙の彼方にすっ飛ぶぞ。
はっきり言って気持ち悪い。
ご飯を食べてるときに垂れバナシーンに出くわそうものなら、速攻でチャンネルを変える。
だが、『マッサン』のエリーは違う。
一粒の涙をほろりとこぼすだけで、十分に心情が伝わってくる。
これが演技力というものではないか?
鼻水垂らせばそれでよし的演技をする女優(男優も含めとこう)には、是非見習って欲しいものだ。
むろん、泣けば鼻水が出る。それは自然の摂理だ。
しかし、出そうになった鼻水をススっと隠すくらいの品の良さを持ち合わせて欲しい。
これは演技なのだ。観る側は、その演技をして物語の中に入り込む。
然るに、そこに地面まで伸びそうな垂れバナが登場したら、どうなると思う?
誰か拭いてやれよと、それはもうやりきれない気分になる。
これまでのところ、エリーの泣き場面は実によい。
鼻水が出そうになっても、鼻下を楚々っとこすって上手に散らす。そしてほろり涙と濡れた頬で、見事に泣き様を表現する。これぞ美しい演技というものだ。
垂れバナ=演技力ではない。
これが一番言いたいことである(あくまで私見)。