【過去】 自殺志願
ボクに声をかけてきたのは、今まで見たことないようなきれいな少女だった。
華奢な体つきだが健康的な肌の色。
黒目がちな瞳に知的な赤い縁の眼鏡が似合っている。
薄水色の制服と赤いネクタイという制服から近所の高校に通う学生ということがわかった。
先ほどボクが隠れて写真を撮った少女だった。
「なんで、あたしの写真撮ってたの?」
そう問われても、
「――」
緊張で声がでない。
それになんで写真を撮ったことがばれたのかわからない――あんなに離れた距離から撮ったというのに……
ばれないように細心の注意を払ったはずなのに……
ボクには今、自分におこっている出来事を理解できなかった。
やっとのことで声を出すと、ボソボソした口調で言い訳をはじめた。
まず、趣味で写真を撮っていることを説明し、なんとなくあなたが自分の追い求めているものに近い気がしたので、半分無意識で写真を撮ってしまったと話した。
悪気は全くなかったことも説明した。
内容的には半分嘘で、半分正直に話した。
ボクが必死でする、その説明を聞いているのだか聞いていないのかわからない様な表情で「ふーん」と少女はいう。
「で、何で撮ってたの?」
再度同じ説明をボクにしてきた。
その質問に、
「きれいだったから」
と答えると、
「……ぷっ」
少女は口を手で押さえて笑うのをこらえた。
何が面白いのかわからないが……
「でも、なんで写真を撮られているのがわかったの?」
きっと周りから見たら挙動不審になっているだろう、ボクはそう尋ねる。
「女の勘」
短くそういう。
「え?」
「なんとなく撮られている――そう思ったの。あなたにカマをかけただけよ」
と言って笑う。
「…………」
しまったと思った。
どうやら彼女は写真をボクに撮られていたという確信はなかったようだ。
きっとなんとなく写真を撮られたかもしれないという半信半疑の気持ちでボクに質問してみたのだろう。
ごまかそうと思えば、ごまかせたかもしれない。
「いってくれれば写真くらい撮らせてあげたのに」
少しむくれた感じでそういった。
「えっ……」
少女のいった意外な言葉にボクの思考がこんがらがる。
返す言葉が見つからない。
そして、不意に会話が止まりそうになった時に彼女から信じられないような提案があった。
「ねえ、何かご馳走してよ」
「え?」
「いいでしょ。写真撮らせてあげたんだから……飲み物くらいおごってよ」
何をいわれているかわけがわからない。
急すぎる展開に頭が追いついていかなかった。
少女の言葉のすべてを理解できないまま、わけもわからずボクは頷いていた。
少し歩いた所に手頃な店を見つける。
奥まったビルの二階にあるファミレス。
食品の見本が飾られているショーケースがきわめて小さいものであることから、規模が小さいことが見てとれる。
せまい階段を上ったところが入口で、やっと人が一人通れるようなものであった。
ボクが先に階段を上る。
とてつもなく緊張した。
ファミリーレストランに入るのさえ何年ぶりかわからないのに、そのうえ知らない少女と食事をしようとしているのだ。
心臓が張り裂けそうなくらいばくばくいっていった。
頭は今起こっていることが夢か現実か判別できないほどぼんやりしている。
なにか思考に、もやか霞がかかっているような気分になっていた。
階段を上りきると小さな踊り場があり、その奥に自動ドアがあった。
入口で待機していたファミレスの店員に「二名さまですね」といわれ、窓の近くの席に案内される。
ボクらは安っぽい感じがする茶色のソファーに向かい合って腰掛けた。
少女は座ると、店員から受け取ったメニューを見ながら「何食べようかしら」とひとり言をつぶやいている。
ボクも少女につられるようにメニューを見た。
「きまった?」
と少女がボクにいう。
本当は何を頼むか決まってなかったけど、少女を待たすのは気が引けたので質問には頷いておいた。
彼女が店員を呼ぶための呼び鈴であるボタンをを押すと、女性の店員がオーダーを取りに来た。
彼女が注文したのはチョコレートパフェとクリームソーダ。
ボクは当たり障りのないところでコーヒーを頼んだ。
心臓がまだばくばくいっている。
彼女が何か言うたびに頭が真っ白になり、軽いパニックになった。
自分でも彼女と何を話しているのかわからない。
緊張しすぎて何かいった瞬間に、何を言ったか忘れてしまったからだ。
でも、そうなるのも仕方ないのかもしれない。
久しぶりに家族以外の人間と話したのだから……
気まずくなる細かい沈黙が何度か流れると、注文したコーヒーとクリームソーダがきた。
一回りは年齢が違うだろう学生にタメ口で話しかけられていたが、不思議と気にならなかった。
むしろそれが当たり前という雰囲気だといえる。
会話の主導権は常に彼女にあった。
やがてチョコレートパフェがきた。
「それじゃ、あらためて質問……」
チョコレートパフェについてきた細長いスプーンをくるくると回しながらそういう。
いった後、口にスプーンですくったパフェを口に入れる。
「お兄さん、名前はなんていうの?」
「……スズキアスカ」
視線を伏せ目がちに彼女の手元に落としながらそう答えた。
「ふーん。なんか女の子の名前みたいね……」
なにか値踏みするような目つきでボクのことを見る。
「き……きみの名前は?」
はじめてボクから切り出した言葉だった。
「私の名前はそうねぇ……じゃあ、ミキ」
いったん思考してからいうということは本名ではないのだろう。
しかし、ボクはあえてそこは突っこむ気になれなかった。
もし質問して本当の名前を知ってしまったら、この関係が終わってしまうような気がしたのだ。
「写真撮るの好きなの?」
クリームソーダの上にぷかぷかと浮かぶアイスをスプーンでつつきながらいう。
「力を入れてやっている唯一の趣味かな……」
いうほど力を入れているわけではなかったが、彼女との出会いがしらに「写真に入れ込んでいる」と話したのを思い出してつじつまを合わせることにした。
「じゃあ、撮った写真を載せたホームページとか持っているわよね」
「ホームページ……持ってないよ」
うつむきながらそう答える。
コーヒーに口をつけた。
「うそね。別に恥ずかしがらなくてもいいのに」
といってクリームソーダにささっているストローをくわえる。
ボクは嘘は言っていないが、反論はしないでおいた。
「仕事はなにしてるの?」
ストロー越しに、彼女の口の中にクリームソーダが吸い込まれていくのが見えた。
「……してない」
ここで見栄を張ってもしょうがない、正直に話すことにした。
「うそね。いいよ、別に教えてくれなくても。知られたらまずい職業って……もしかしたら公務員かしら。きっとそうだわ、ねえ、そうでしょ?」
けれども、彼女は信じてくれなかった。
「だから、何もしてないって」
「わかった、わかったから。じゃ、そういうことにしておきましょ」
といってボクに右手をかざしてきた。
この話はここまでということだろう。
ミキはチョコレートパフェを食べ終わると、その器に細長いスプーンを投げ入れた。
ガラスに金属があたるカチャっという音がした。
そして、僕のほうをじっと見てこういった。
「ケータイの番号教えてよ」
「ごめん、持ってないんだ」
僕がそういうのを聞いて、ミキが一瞬笑った気がした。
「本当に持ってないの?」
「うん」
学生時代と働いている時は持っていたが、収入がなくなってからは持ちきれなくなって解約してしまった。
「本当の本当に?」
彼女にとって、携帯電話を持って人間など信じられないのだろう。
何度も質問してきた。
「ごめん」
「変っているのね」
くすっと笑う。
「…………」
「いいわ。友達になりましょう」
「友達?」
「そうよ、いやなの?」
「別に……」
といったが内心はうれしかった。
最後に友人がいたのはいつの頃だったろうか……思い出せない。
とりあえず友人ができたのは久しぶりだった。
「写真が撮りたいなら、また撮らせてあげるわよ」
後で「あたしでよければだけど」と付け加える。
その言葉を聞いて、僕は力強く頷く。
願ってもないうれしい提案だった。
それを了承したのは彼女の写真が撮りたいからではなく、ただ単にボクは彼女にまた会いたかっただけなのかもしれない。
しかし、僕の頭の中にある疑問が浮かんだ。
口にするかどうか悩んだが、結局口にすることにした。
「なんでボクなんかと友達になりたいと思ったの?」
「なんとなく――気が合いそうだと思ったから。ただ、それだけ」
といって残りのクリームソーダーに口をつけた。
「そう」
「それじゃ、来週また同じ時間、同じ場所で……」
「……」
無言で首を縦に振った。
「また教えて、あなたのこと」