日々の課題と不安要素(直)
♯ 四月七日(土)13:48 ♯
司たちと昼食を終えた後、少し寛いで俺……私たちは帰宅した。
私……かぁ。口に出して言う時や「~ちゃん」って聞く時には違和感はないのに、考える時の違和感は拭えない。けど、司に相談したら『考える時からそういう口調に変換してれば自然と言うようになる』とのこと。
人と接する時は以前から敬語っぽく「私」とか「自分」とか言っていたから、そう考えれば一人称を変えることは難しくない。
ただ私はどうも焦ってしまうと変な話し方になるから、咄嗟に口にするときも同じ口調で言えるように……らしい。まぁ、司の言うことが間違ったことはないから、今回もその通りにするんだけど。
なんてことを考えているうちに、白水邸に到着。
「「ただいまー」」
「……ただいま」
玄関を開けて、お母さんや智に続くように玄関を抜ける。ローファーを脱いでいると、たたた、と床を蹴る音が響いてきた。
「おかえりっ!」
出迎えるなり、私に抱き着く舞。
「ただいま」
胸に思いっきり顔を埋めるので少し苦しいけど、それを咎めることはせずに舞の頭を撫でる。サラサラの細い黒髪が指に絡むことなく通り抜けていくのが心地よかった。
ふと見ると、そんな私たちをお母さんはとても幸せそうな笑顔で眺めていた。以前の身体では有り得なかった家族愛の光景だから、感慨深いのかもしれない。
「舞ちゃん、ただいま」
「おかえり、お兄ちゃん」
智にも舞は変わらず笑顔で迎える。流石に抱き着きはしないし、そんなことは私がさせない。
この身体になった今だからこそ言おう。舞は私のだ。
なんて私の醜い独占欲を余所に、智は爽やかな、そして優しい笑顔を舞に返し、次いで私の方へと視線を向ける。
「じゃあお姉さん、出掛けるときに声をかけて下さい」
「あ……、うん……」
今日は荷物が多かったので、家路の途中で買い物をすることができなかった。そのことを帰宅中話題にしていたら、智が荷物持ちを買って出てくれた、という流れだ。
だけど……。
「智」
「?」
階段へ向かおうとした智を呼び止める。
「ずっと、呼び捨てでいいよ。敬語もいらない」
「……いいのか?」
「うん」
家の外では、余計な誤解を受けないよう名前で呼び、敬語をやめる。
それが家族会議で決まった、私たちの接し方。
だけど、本当はずっと、おかしいと思っていた。……気付いていた。
「もちろん、智がそれで良ければ、だけどね」
「……ありがとう、直」
智の感謝の言葉に、私は首を横に振った。
「ううん。……そうさせてたのは私だから。ごめんね、気を遣わせて」
そもそも私が他人行儀な接し方をしていたから、智もそれに合わせてくれていただけだ。家族同士で気を遣うなんておかしいことくらい、私にだって分かっていた。
智は家族だから。
笑顔で満ち溢れていた赤生家のように、うちの家族にも幸せになって欲しい。
家族の大切さを知った今なら、心からそう思える。
「……お互い様だよ」
そう言った智は、どこか自嘲しているような色を窺わせる。
だけど、そんなことはない。
そして、これが智の優しさだってことくらいわかってる。だから、今言うべきことはその是非を問うことじゃないこともわかってる。
「ありがとう」
「……むぅ」
「?」
私が智にお礼を言うと、舞が抱きしめる力を強めた。
「舞、どうしたの? お腹すいた?」
「すいた!」
的中。とは言え、作っておいたお昼は食べただろうし、すぐ空腹を感じるとは思えない。
と言うことは、
「じゃあ、何かお菓子作るね」
「やった!」
案の定、お菓子の催促だった。
「何が食べたい? 今なら材料も買ってこれるし、何でもいいよ?」
「えっとねー……」
さっきまでのふくれっ面はどこへやら。悩む舞はとても可愛くて、安っぽくて質素な私のお菓子でも喜んでくれることが、本当に嬉しい。
♯ ♯ ♯
悩んだ末に舞がオーダーしたのはスコーンだった。シンプルにプレーン。材料は家に有る分で事足りたので、買い出しに出かける前に作ってしまうことにした。
そしてお母さんと舞、智と四人でティータイムを過ごして、結局買い出しに出かけるのは4時を回ってしまっていた。
「食い過ぎたかも……」
横を歩く智がお腹を摩りながら呻いている。いくつかの材料が賞味期限ギリギリだったから、使い切ろうとしてかなりの量を作ってしまった私も悪いとは思うけど、それを全部食べるとは思わなかった。14個できたうち、半分くらい食べてたし。
「食べ過ぎだよ。ちゃんと夕ご飯食べられる?」
「それはもちろん」
きっぱり言うところが逆に胡散臭かった。というか、無理して食べてお腹を壊される方が嫌なんだけど。
「でもあれはヤバイな。ジャムで味変わるから止まらなくなる」
ジャムを着けること前提で甘さを気持ち控えめにしたんだけど、それが良くなかったらしい。甘ければけっこうずっしりくる気がするし。でも、紅茶で口がさっぱりするからあんまり意味ないかな。
「智がいる時は作りすぎないようにしないとね」
「いえいえ、お構いなく」
後悔はしても反省はしてないらしい。
若干ジト目気味に視線を向けると、智は全く悪びれることなく笑顔を浮かべる。
「直が美味いもの作るのが悪い」
「……そう」
こういったお世辞を嫌味なく言えるのって一つの才能だと思う。何の気なしにこういうことをするからモテたりするんだろうな。
ただ、私のはネットや本で見たまま、マニュアル通りに作ってるだけだから誰でも同じ味が出せる。だから、褒められてるのはあのレシピを考えた人なんだよね。爽やかイケメン。でもちょっと抜けている。
そんなの、欠点どころか愛嬌だ。
「今日の夕飯は何?」
「炊き込みご飯」
だから汁物はお吸い物だとして、サラダは別としてあと二、三品は欲しいよね。一つは味を薄めにした出汁巻卵なんてどうだろう。
「あとは……天ぷらかな」
好みで味の濃さが変えられるし、残った分は明日天つゆで煮込んで天丼にできるし。二つ目は私が楽したいだけだけど。
まぁそれはともかく、できればあと一品くらい欲しいかな。テーブルのイメージ的に。
「何か食べたいものある?」
「ん? うーん……」
律儀に悩み始める智。期待されても困るんだけどね。
「……肉が欲しいな」
ぼそっと。
なんとも男らしいことを智は言いました。
爽やかな肉食系なんですね。司の言うギャップ萌えってやつでしょうか。わかりません。
ともあれ、肉……かぁ。豚バラと挽肉があったな……。でも他に使う予定だし、それ作ると味が濃すぎると思う。
「鶏肉でもいい?」
「もちろん」
「良かった」
天ぷら、けっこう油っぽいからね。鶏肉を酢で煮て、さっぱり系でいこう。
「あ。脂っこいものが良かった?」
「そんなことないよ。何となく、動物性タンパク質?」
言いたいことは解るけど、いろいろ間違ってる気がする。まぁいいや。こーいう欠点っていうか、天然っぽいところがあった方が家族として接しやすいし。駄目な子ほど可愛い、ってやつだろう。……違う気もするけど。
「炊き込みご飯の具は?」
目を輝かせながら尋ねてくる智。まさか、もうスコーンを消化したんだろうか。
「今のところは野菜と油揚げかな。希望があればそっちにするよ?」
「……鯛一尾まるごと、とか?」
成る程。二人とも無事入学できたわけだし、お祝いっぽくていいかも。いいわけあるか。
「あのね……一応予算があるんです」
入学祝いで少し豪華にしてもいいかも、とは思っていたけど、限度がある。
共働きでも健さんの方が圧倒的に稼いでいる現状、昔のように逼迫している訳ではないにせよ、私が自由気ままに使うことはできない。何故か(たぶん健さんは興味が無くて、お母さんは大雑把だから)家計を任されてはいるけれど、それは管理を任されただけの話だから、余計に勝手なことはできない。お菓子だって、私のお小遣いから出している。司に言わせれば「ドМ」らしいけど、司と違って私に人づきあいは無いし、皆が趣味に使っている分を材料費に当てているようなものだ。
話が逸れた。
「大丈夫。そのくらい親父たちも許してくれるよ。むしろ一緒に祝ってくれるって」
「そうかもしれないけど、ダメ」
「大丈夫だって。なんなら、俺が自腹で出すよ?」
「もっと駄目。誰かに気を遣って食べる食事なんて、味が分からないでしょ?」
「それもそうか……初めは俺もそうだったし……」
「何?」
納得したのは何となくわかったけど、声が小さくて聞き取れなかった。
「いや、何でもないよ。……なら、今から電話して聞いてみよう」
「ダーメ」
皆、私を受け入れてくれるようないい人たちだから、絶対了承するに決まってる。
「なら――」
「だから……」
♯ ♯ ♯
「……あーあ……」
結局買ってしまいました。養殖ものだから、天然ものの半額とはいえ……。
本当、押しに弱いな……私……。司の言う通りだった。本当に司は何でも知ってる。
「しかも、マグロのさくまで貰っちゃって……」
昼にやった解体ショーの売れ残りだから、とか言ってたけど、理由になってないですよね……。まだ夕飯の買い物にくる奥様方はたくさんいるだろうに。
あの魚屋さん、気前がいいのはカッコいいと思うけど、経営は大丈夫なんだろうか。駅前の商店街のお店はどこも新鮮で安いので、よく使っているから潰れて欲しくない。
「今日は良いことが多いな」
思わぬ収穫に喜ぶ智。爽やかな笑顔は相変わらずだけど、気持ちテンションが高い。行く先々でカップル扱いされ、その度に私が家族です、とか弟です、とか言ってた辺りからずっとこうだ。
ま、まさかとは思うけど……そんなに家族だって思われてないって思っていたんだろうか。
……反省しよう。
「刺身にするとして……何か減らす?」
天ぷらのエビはエビチリやパスタソースにだって使えるし、野菜も色んな料理に使える。鶏肉はまだ買ってないし、買っても慌てて使う必要は全く無い。
のだけれど……。
「いや、そのまま追加でいいんじゃないかな」
「……わかった」
私がこの身体になった今、一番食べる智がこう言ってるんだし、そうしよう。まぐろもお父さんの晩酌のためにづけにしておくのもいいかな。つまみといえば、鯛のきもで酒盗も作っておこう。
後はスーパーで足りないものを買うだけ。というか、もう余計な買い物したくない。
それに、もう結構な量の荷物になってしまっている。
「まだ歩くけど、大丈夫?」
スーパーで買う予定の物はチラシで値段が分かっているから、より値段の安いものを買うために先に商店街を回ることにしている。だから、少しだけ遠回りすることになってしまう。
「全然大丈夫。なんなら、そっちも持とうか?」
「いい」
普通に重い方持って貰ってるのに、これ以上好意に甘えるわけにはいかない。だから、話題を変えることにした。
「智は何か部活やるの?」
思えば、智には女子の好みとか司が聞いたけど、何故か他の質問が無かった。
そういえば、今日の自己紹介で女子も男子も全員恋人がいないことが判明した。あの時は健全だって思ったけど、あんなに美男美女だらけでそれも異常な気がする。……全員がそういう質問に答えたことも含めて。
「バスケ部に入ろうかなって思ってるけど、一応月曜までは保留」
月曜……オリエンテーションで言っていた在校生との対面式か。確かプログラムに部活紹介があったと思う。
それにしても、バスケですか。現時点で180近いし、身長的には申し分ないんじゃないだろうか。それに、身体能力もきっと高いんだろう。
ふ、ふん。別に劣等感なんてないけどね。もう比べられないし。
「直は入らないのか? 弓道」
「え?」
何故弓道部なのかわからない。
「うーん……入らない、かな」
「勿体無い。ウチの弓道部にもけっこういたんだぞ? 直のファン」
ファッ……!? しかも何で弓道部限定……?
からかってるのかと思ったけど、智の表情は真面目そのもの。寧ろ私が驚いたことに驚いているくらいだ。
「無冠の女帝とか、アチャ子とか呼ばれてたじゃないか」
「む、むかん……あちゃ……?」
なにその二つ名みたいなもの。無性に恥ずかしいんですが……。あちゃこって、明らかに馬鹿にされてるよね。……ポケモンでそんなのいたような……あれか……?
「もう忘れたのか? まぁ、興味なさそうだったもんな」
「そ、そう。だから智も忘れて。いえ、忘れなさい」
「わ、わかった」
よし。これで家で話題に上がることはないだろう。
でもまずいな……わけがわからない。司に相談してみよう。
♯ ♯ ♯
入学祝いということで手の込んだ夕飯は好評で良かった。祝われる側が作ったことは気にしないでおく。
鯛は三枚に捌き、勿論一尾まるごと炊き込んだりはしませんでした。智は少し残念そうだったけど、これから作る予定の鯛料理を挙げたせいか、文句は言わなかった。
お父さんとお母さんの晩酌は赤ワイン。銘柄は知らないけど、ライトボディだと言うので予定通りマグロのづけ、それとブロッコリーに黒オリーブ、アンチョビを合わせてペペロンチーノ風に炒めたおつまみにしておいた。野菜も食べよう。
「うん、おいしい。直の料理はお店で食べるよりおいしいんじゃないかな」
ほろ酔いでご満悦、というような表情で褒めちぎる二人を軽く流しながら食器を軽く流し、食洗機へ。
「俺も貰っていい?」
二人の輪に智も加わっていく。
「……太るよ?」
だから、一応釘を刺しておいた。お父さんとお母さんは晩酌のためにわざわざ夕食を少なめに摂っている。一方智はというと、宣言通り間食などなかったかのようにきちんと夕食を取っていた。
「大丈夫大丈夫」
「……まったく」
その油断が命とりなんだろうけど、私自身が経験したことではないのではっきり言うことができない。というか、正直なところ、褒められて嬉しかったりなんだりで、強く言うことができなかった。
「直~、デザートは~?」
ここにも、油断しきっている子が一人。舞。女の子なんだからそのあたりは気にしよう。いや、むしろゆるんだ見た目になった方が男は近寄らないかもしれない。
「冷蔵庫にあるよ。今紅茶淹れるね」
「あーい。くれーむだんじゅだ!」
いまいち分かっていなさそうな発音がとても可愛かった。
「今日は何かけよっかな~」
クレームダンジュには赤い果実が良く合う。とどこかで呼んだ通り、巨峰、ブルーベリー、イチゴで作ったソースはどれも美味しかった。
「舞、これも持って行って」
水に晒し、余熱を冷ましておいたブラックベリーのソースをジャムポッドに移して舞に手渡した。
「それ、あの赤ワインで作ってたやつ?」
「うん。智も食べてみる?」
本当は濃いものが好ましいらしいのだけれど、よく分からないのでものは試し。というか、偶然今日の晩酌が赤ワインだったから作ってみただけなので、行き当たりばったりが正しい。
「……毎日あったわけじゃない、よな?」
「デザート? もちろん余裕がある時だけだよ。次の日食べようと思って作るんだけどね。今日は舞に見つかっちゃった。作った時は冷蔵庫に入れておいたんだけど、食べてなかった?」
何となく言いづらくて今までは伝えてなかった。翌日の夕食までにはなくなっていたから食べていたものだとばかり思っていたけど、別の誰かが複数食べていたんだろうか。
どちらにせよ、これからはちゃんと伝えようと思う。家族なんだし。
「あれ、直が作ってたのか。……まぁなんにしても、よかった」
「心配しなくても、智が食べる量を気にすれば夜食べていいんだよ?」
食べてくれるのは嬉しいけれど、無理をして健康を害されても困る。
「いや、そうじゃないんだけど……ま、いっか」
「?」
言いかけた言葉の先を言うことなく、智はクレームダンジュの容器を持ってリビングに行ってしまった。でも、これからは見た目や味のバランスなんかじゃなくて、栄養や量にも気を遣わなければいけないのかもしれない。もちろん予算の範囲で。
「あ、っと」
沸騰したやかんの火を慌てて止める。水へのこだわりが、そのまま紅茶の味と色、香りを決める……らしい。正直、行程による細かな違いはあまりわからない。
晩酌ですっかり出来上がっているお母さんとお父さん。
フルーツソースの味で盛り上がる舞と智。
キッチン越しに見えるリビングは、司の家で見た空気に似ていた。夕食後、後片付けを済ませてすぐ部屋に逃げていた私が今まで見ようともしなかっただけで、血の繋がりなんかなくてもこの人たちは確かに“家族”だったのかもしれない。
思い切ってリビングに居てみたけれど、皆が驚いた表情をしたので恥ずかしくなって結局部屋へ逃げてしまった。
やっぱり、家族に加わるというのは難しい。
♯ 四月八日(日)13:27 ♯
翌日、いつものように臨海公園で司と待ち合わせ。やって来た司は、春らしい暖色系のゆるやかな服装をしていてとても可愛い。服のことはよく分からないけど、可愛い司によく似合うコーディネートだった。きっとお母さんやお姉さんが選んでくれたんだろう。司本人が選んだとしたらセンス有りすぎ。いや、寧ろ司ほどの順応性や才能があればそれくらい簡単なことだろう。
「直……そのデニム、どうしたの」
一方、司は私の服装を見て表情を硬くしている。
私はデニムのストレッチパンツ(だっけ?)にシャツ。司に会うだけだから、舞たちにはチェックしてもらわなかった。
「え、これ? 買った」
ショーパンやらスカートやらキュロットやら、たくさん貰ったり買ったりしたけど、あんなの着れませんよ。短すぎ。寒すぎ。
因みに自分で買った初めての服だ。昔は母さんが買ってくるものをそのまま着ていたけど、今回の件で初めて色んなショップを見て回った。女性が周囲にたくさんいることに慣れないし、そのせいで目立っていたのかやけに注目されていた気がしてもうあまり行きたくなかった。
だけど、今後被るであろう複数回の恥辱と一度の羞恥。
比べるまでもなく、一人で何とか買いに行った。
「神よ……この背徳者の不義を許したまえ……」
「つ、司……?」
気付けば、司は膝をつき、手を組んで宙を仰いでいた。頬には一筋の雫。司の家ってキリスト教だったんだろうか。いや、クリスマスは普通にデートとかしてたみたいだし、違うだろう。
祈りを終えたのか、司はこちらに向き直った。でも、その表情は硬い。というか視線が冷たい。普段の朗らかな可愛らしさとのギャップでけっこう怖かったりするから、できれば止めて欲しい。
「直。用件が終わったらウチに来て」
「え……?」
「母さんと姉さんに、恵みを与える者の義務を教わってもらうから」
「め、めぐ……え……?」
ごめん司。司が何を言ってるか分からないんだ。ただ、あまり良くないことが起こりそうな気はしている。
「きょ、拒否権は」
「ない。だから、さっそく用件を片付けてしまおう」
「ええ!?」
そんなぞんざいに扱える話じゃないんだけれど……。一応、昨日の概要はメールで送っておいた筈なんだけどなぁ……。
「昨日言ってた、私たちの知らない過去があるって話だけど……。設定みたいなものがあるのかも」
「設定……?」
司が公園のベンチに腰を下ろしたので、少し長い話になるのかもしれない。と思ったらキョロキョロと周囲を見回していた。まるで外敵を警戒する小動物みたいで、心が和んで頬が緩んでしまう。
「私たちが元からこの姿だったって、他の人の記憶が改竄されてるでしょ?」
「うん」
「その内容のこと。女だった場合にどういう人生を送って来たか設定されてて、それが過去の記憶として書き換えられてるんじゃないかな」
「成る程……」
つまり、私が生来の女だった場合、中学では弓道をしていた可能性があるらしい。
どういう判断基準でそうなったのか全くわからないけど、舞をほったらかしにして部活をするなんて有りえないと思う。
もし、この可能性が事実になっていたとしたら。
「ただの馬鹿だろ……俺……」
「直。アウト」
「あ……っ」
しまった。やっぱり、気を抜くとすぐボロがでてしまう。いや待て後悔してる場合じゃないそれどころじゃないいや本当に待って。
「じゃあ、今回はー……」
新約聖書にも曰く。天使とは時に無慈悲である。
♯ ♯ ♯
携帯がこちらに向けられている。その脇から見える司の耳が真っ赤で、笑いを堪えてるのが丸わかりだ。
呼吸を整え、言葉と表情に意識を集中させる。
私は白水直じゃない。私は白水直じゃない。私は白水直じゃない。
……よし。
「ねぇ」
逸らしていた視線を戻し、レンズを見据える。
「どうして、好きって言っちゃダメなの?」
……。
…………。
………………。ぎ。
ぎゃぁああああああああああああ!
無理! ムリムリムリムリ!
は、はずっ、恥ずかしい……っ!
堪らず視線を逸らし、血が上って熱い顔をこれ以上曝さない為に伏せる。……もう遅いだろうけど。
「……直」
視線だけを司に戻し、反応と呼んだ意味を窺う。
でも、相変わらず耳は赤かったけど、遠近法のせいでその小さな顔は携帯に隠れて見えなかった。
「やらせといてなんだけど、それ、他の人にやっちゃ駄目だよ」
「え? あ、うん」
それは勿論。
「保存、っと。次はどんな言葉にしよっかなぁ~」
「つ、次は無いよ。……絶対」
司と、女性らしい振舞い等を教わる一環で決めた一つの罰ゲーム。
内容は、以前のような男の振舞いをしたら、指示された演技をすること。
現時点で、私の0勝3敗。どれもこれも恥ずかしさで死にそうだった。
けど、一敗目は司に言って欲しい言葉があったので、耐えた。
二敗目とさっきは、ここで止めたら一回目に耐えた意味がなくなるから、耐えた。
でも正直もう無理です。
段々エスカレートする要求に応えられる自信がありません。
「さてと、話の続きね」
しれっとした司だけど、まだちょっと顔が緩んでいるのが私の心を抉る。
「設定があるなら、私たち本人が知らない私たちを他の人は知ってることになるんだよね」
「そうだね」
他人が認識してる私がどういった人物なのか、私には分からない。ただ面倒だな、とは思うけれど、その齟齬が何を齎すのか。正直、想像がつかなかった。
でも、司のように交友の広く深い人気者には大問題なのかもしれない。
「あー、設定資料集があったら楽なんだけどなー。もしくは攻略本」
と、項垂れていた。
そんなものを見たら、私はきっと思い出したくもないことを思い出しそうだから断固拒否したい。けれども、司の項目だけは見てみたいかもしれない。
「攻略本だとしたら、そもそも何のゲームなんだろうね」
「エロゲじゃね?」
悪ノリでも滅多なことを聞くもんじゃないと思いました。
エロゲってあれでしょ? 何でも願いの叶う聖杯をかけて殺し合ったり、殺し合う三日間をずっとループするってやつ。エロがつくからといって性的意味を持たないものがあることくらい知っている。エロスがその代表だろう。
しかし、そこは問題じゃない。
「司を、その……殺すのは絶対嫌だよ」
「突然のヤンデレ宣言!?」
「?」
また知らない単語だった。性転換について調べたとき、見かけたような気もする。
人生は教科書に載っていないとは言うけれど、本当に司は色々なことを知っている。その博識に少しでも近づけるなら、エロゲをやってみるのもいいかもしれない。
「司。おすすめのエロゲって何?」
「ちょ、直、本当にどうした!?」
今のはアウトのような気がしたけど、別に女子も言う言葉かもしれないので一応セーフにしておこう。
「いや、その……見識を広めるためには、好き嫌いはいけないかな、って」
「頬を染めてすごく可愛い萌える台詞なのに内容が残念すぎる!!」
表情がころころ変わる司の方がずっと可愛い。
頭を抱え、それでも私を見て真剣であることを察した司は姿勢を正し、一つ溜め息を吐いた。
「……止めておきなさい。絶対後悔するから」
じっと見据える司の目は真剣で、いくら頼んでも引いてくれそうになかった。
「……わかった」
今は止めておこうと思う。だけどこれ以上発想で司に負担をかけるようなら、その時はもっと手広く資料を集めて行くことにする。でも、あれって確か年齢制限が掛かっていた気がする。殺し合いなんだから、過激な描写が多いせいだろう。購入は諦めるとして、私の周囲で持っている可能性がある、もしくは持っている知人がいそうな人。
「……智や健さんあたりか……」
「やめたげてよぉ!」
両肩を掴まれ、先程以上に司に止められた。時期を見て貸してくれると言うことなので、司が大丈夫だと判断した時に貸してくれるのだろう。勿論、私にはそこまで慮ってくれる司を無碍にできるわけがない。
「と、とにかく、直の設定はそれとなく中学のやつに聞いてみる」
「司のことは?」
私には友人がいないので、司のことを尋ねることができない。
「姉さんたちに協力してもらえば大丈夫だと思う」
安心する一方で、何もできないことがもどかしい。また助けられるだけの自分が情けない。
「司……私に何か、できることはない?」
本当なら自発的に何かできるならそれがいいけど、私には何も思いつかなかった。
「ん? んー……じゃあ、智くんにそれとなく聞いておいてくれる? 他校のはあんまり情報ないだろうし」
「わかった!」
良かった。私にも、司のためにできることがあるらしい。
私のことを知っていたみたいだし、女の子の司のことならきっと何か知っているだろう。こんなに聡明で可愛いんだから、有名になっていたに違いない。
今後、携帯という単語が出てきますが、スマホとガラケーとくに区別しておりません。物語で重要な道具でもないので。
次回――
「歪んだ兄弟愛だ!」
「踏んだり蹴ったりしてくんないかな……」
――その扉の向こうへ。(ウソ)