直と帰宅。それから、(司)
☆ 三月二十七日(火)07:14 ☆
いきなり涙流すし、しかもその儚げな表情も綺麗で心臓がおかしくなりそうだった。加えて小っ恥ずかしいことを真顔で聞いてくるとか、あれ反則だろ。男のままだったら手を握って「君の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから」とか口走りそうだ。初めて女になって良かったと思った。
ともあれ、変な視線を躱しつつ俺と直は家の前に到着した。
「今から入るわけだが」
振り向き、どこか身を竦めた様子の直を見る。
ああ、本当に綺麗。……なんて惚けてる場合じゃない。
「家には変態……もとい家族が四人いる。決して心を許さないように」
「わ、わかった」
直から視線を外すことを名残惜しみつつドアに向かうために振り返る。
さあ、決闘の始まりだ。
なんてことは無くて、普通に誰にも出くわさずに部屋に行くことができた。
先にシャワーを済ませようと浴室に這入る。部屋には母が入ってくる危険があったから、直には脱衣所で待ってもらっている。かなり焦りながら拒否してたけど、中は見えないから大丈夫ってことでなんとか承諾させた。
「直―、もう出るから」
「わ、わかった。出てる」
やっぱり恥ずかしいのか、直はさっさと脱衣所から出て行ってしまった。
ちょうどそこには、
「あら、お客さん?」
変態一号こと、母さんがいたらしい。このタイミング!?
「あ、ああ、うん! そこで偶然逢ってさ! 休憩もかねて家に上がってもらおうと思ったんだ!」
大声を出して母さんに説明した。直と話して、変な癖を出されても困る。
「あらあら。ごゆっくり」
ふ、普通だ……。よし、このままなら変態性を知られずに済むんじゃないだろうか。
「お、お邪魔してます。それと、お久しぶりです」
礼儀正しく頭を下げたっぽい直。余計なことを……と言いたいけど、変に不興を買うよりはやりやすい、か……? 何にしても、服を着なきゃ出ていけない……!
「お久しぶり……? あなたみたいに綺麗な子、一度見たら忘れそうにないと思うけど」
「あ、いえ。俺、直で「ストーップ!!」」
律儀すぎるぞ直!
って言おうとしたけど、できなかった。
あらあら、と微笑みを浮かべる母さんと、顔を真っ赤にして硬直した直の表情。
「ほわぁあああああああ!?」
ブラがまだでした。
直に見られた! もうお嫁に行けない!
☆ ☆ ☆
「直くんも女の子になっちゃったの?」
「は、はい」
ニコニコしながら直の髪を梳いてる母さん。俺の髪も長かったらああされてたんだろうか。……ぞっとする。
ともあれ今はこの安定感が有り難い。それにしても、だ。
「どうして皆集まってるの……?」
場所はリビング。まあ場所的に集まることは仕方ないかもしれないけど、遅刻魔の兄さんや出勤間近の父さん。家に居る時は部屋に引きこもりがちな姉さんが家族会議でもないのに集合ですよ。皆俺の悲鳴で駆け付けたらしいけど、なにも居残ることは無いんじゃないでしょうか。
「そりゃあ、女の子が困ってるのを男が見て見ぬ振りするわけにはいかねーだろ」
ああ、分かる。分かるよ兄さん。今の俺には貴方の下心が丸見えだ。たぶん直にもバレバレだから、直を怯えさせるようなことしないでくださいね。
「直の友達が困ってるのを見過ごすわけにはいかないだろう」
と父さんが言って母さんが頷く。よかった。こういう時は保護者的な良心を発揮できるんですね。親心、ってやつなんだろうか。
「……」
姉さん。その獲物を見るような目で直を見ないであげて下さい。ほら。涎零れてますよ。
「……」
そんな助けを乞うような目で見ないでくれ、直。
言ったろ? 変態がいるって。
「そ、そういえば直、学校はどうなんだ? 制服とか」
変な聞き方になってしまったが、結構大事なことだと思う。
「制服は大丈夫だと思う。……特待生になれたから」
そうなのか、と俺が相槌を返す前に、姉さんと兄さんが目の色を変えた。
「へぇ~すごい! 直ちゃん特待なんだ!」
「すっげぇ……」
鳳雛高校に特待生として入学するには、かなり厳しい難関を突破しなければならない……らしい。正直、俺には全く縁のない話だったので定かではないが、曰く、英検、漢検、数検の二級以上を有し、中学在学中に優秀な成績というか常に90点以上とらなければならないだとか、曰く、入試五教科で490点以上とらなければならないだとか、部活動を全国で優秀な成績を収めるか、高校の監督陣に認められる実力を有する者だとか。そのかわり登校時間は自由だし、学費免除とか交通費免除とかいろいろ特典もあるらしい。
流石に盛ってるだろうし、それにしても眉唾物だったけど、現物がこんなに近くにいるとは思わなかった。
「ん? どうした司」
目を白黒させてた俺に、兄さんは顔を近づけてそう聞いてきた。近いわボケっと引き剥がしながら一応答えておく。
「いや、親友がそんなすごい奴だったなんて、なんか嬉しくて」
「司……」
余程俺に褒められたのが嬉しかったのか、直は泣き出しそうに微笑む。あ~あ。皆見惚れちゃってんじゃん。姉さんの涎も逆に止まっちゃってるよ。
てか直の奴、大分参ってるな。普段は冷静だけど、その反動でテンパってる時は表情豊かになるからな。男の時だって、その笑顔女子に見せてやれよ勿体無い、ってことがよくあった。
なんて思い出して溜め息を吐いてたら、母さんがニヤニヤしながら俺の顔を眺めていた。
「な、何?」
「安心しなさい。あんたと直ちゃんは全然ベクトルが違うから」
何を言ってるのかさっぱりだったけど、それを聞いてた家族全員が頷いたので、きっとまともなことを言ったんだろう。
「あ、ありがとう……」
「っ」
姉さんに抱き着かれた。全く持って意味が解らない。質問の続きを、と思ったら直も顔を真っ赤にしていた。そりゃあ他人の家族の痴態を見せられたら恥ずかしいよな。
「は、離れて姉さん」
「ああん。私だって特待生なんだから褒めてよ~」
いろいろ残念だなこの姉。って、ちょっと待て。
「なに? 姉さんって特待生だったの?」
「そ。試験で成績良かったからね」
何故撫でながら言うのか。とはもう聞かない。時間の無駄だから、無視して直に聞くことにする。
「でも、特待生だとどうして制服大丈夫なんだ?」
「その、費用免除だから……」
うう……直がこっちを見てくれない。違うんだ。昔はこうじゃなかったんだ。
「戸籍の方も、ウチの娘と一緒になんとかしてみよう」
「ほ、本当ですか!?」
いい笑顔。だからってデレデレすんなジジイ。ていうか今すっごく自然に娘って言ったよね。突っ込んじゃダメなのかな。ダメなんだろうなぁ……。それに、なんとかしてもらわなきゃいけないし、ここは……
「ありがとうお父さん!」
「任せておけ!」
効果は抜群だ。チョロいな。プロならここで「大好きっ」とか言うんだろうけど絶対無理。ノリでも直の前でなんて絶対言えない。
「学校と戸籍はどうにかなるとして、ご家族は何て?」
来たか……。
ていうか俺の時にもそのまともさを発揮して欲しかったですよ、母さん。
「家族には……まだ見られてません……」
辛そうに俯く直は触れたら消えてしまうんじゃないかっていうくらい儚げで、何とかしてあげたい、っていう気持ちになる。それはもう、強迫観念に近いんじゃないだろうか。……こいつ、愛の黒子とか持ってんじゃねーだろうな。……綺麗な肌には黒子一つありませんでした。あ、黒子が悪いものっていう意味は全く無いよ。泣き黒子とか良いよね。エロくて。
ともあれ、うちの両親はそんな直の表情で親には言いづらいってことも察したらしい。女体化を告白するのが気まずいのは当たり前? 何を言う。うちの親に当たり前を望むなんて無謀も甚だしい。
「そうね……」
と、俺が誰に対してなのかもわからない弁解を考えている間に、両親は何か考えをまとめたらしい。互いに視線を交わして頷き、それだけでまた直に向き直った。
「直ちゃん、うちの子になりなさい」
「おいちょっと待て」
そんな大事なことを二人で決めてんじゃねえよ。
「あら、司は反対なの?」
「大歓迎です」
そうじゃなくて。
あ、こら直、思いっきり頬を赤く染めるんじゃない。突っ込めなくなるだろ。もうどうでもいっかー、とか思っちゃうだろ。
「直の親の許可なしにそんなことできないでしょ」
よっぽど酷い虐待とか受けてたりする証拠が無い限り、あっちの両親が訴えたりすればこっちはたちまち誘拐犯ですよ?
「当たり前じゃない。もう、司ってば馬鹿ね」
当たり前とか言われました。あの母さんに。
馬鹿って言われました。あの母さんに。あの母さんに!
「ご両親に伝えるのは、ちゃんと気持ちが落ち着いてからでいいわ。万が一上手くいかなくても、貴方さえ良ければ家にいらっしゃい」
微笑む母さんの言葉に、直はただ深く頭を下げた。その時膝の上に落ちた物が何なのか、改めて確認するのも野暮だろう。
うむ。暗い。なんか重い。
うっひょーい!
「じゃあ俺の部屋行こう、直!」
マンガにゲーム、小説や実用書。最近揃えられた女性誌。気分転換ならいくらでもできるだろう。少なくとも、うちの家族全員に囲まれてるよりはいいはずだ。
という俺の気遣いだったのだが。
「あ、司ずるい! 直ちゃん独り占めはよくないわよ!」
それがあんたの本音かママン。
さっきの俺の感動を返してくれ。
「そうだぞ司。美女と美少女が居なくなったら、俺は何を見て過ごせばいいんだ」
「姉さんがいるじゃん」
俺にそう言われた兄さんが嬉しそうにこっちを見てる姉さんを見た。
あ、鼻で笑った。
殴られた。自業自得だし、放っておこう。
姉さんだって中身さえ知らなければ綺麗な部類だと思う。女王なんて呼ばれてるくらいだし。
「……仲良いんだな、司の家」
半ば逃げ出すように部屋に向かう途中、直は笑顔でそう言った。
「俺がこんなんなってからだよ」
それまでは、普通というより寧ろ冷めてた気がする。父さんと兄さんは挨拶する程度で、姉さんは不干渉。母さんだってあんなに関わってこようとしてなかった。
「そっか……」
そう呟いて、元来たリビングの方に直は視線を向けた。
だから、お前のところも……そんな言葉を出てくる寸前で飲み込んだ。気休めにもならない上に、無責任すぎる。
☆ ☆ ☆
とにかく気を紛らわそうとゲームを始めた。二人でできるように、って言って兄さんから3DSを借りて協力プレイで遊んでる途中、母さんがジュースやおやつを運んでくるのを名目に入ってきて直の髪を梳いたりアレンジして髪で遊んでいたら、姉さんまで乱入して服をあげるとか言って試着させようとして、何を思ったか自分もゲームに参加しようと新品の3DSとソフトを買ってきた兄さんが脱がされかけてる直を見て、姉さんと母さんにぶん殴られたりして午前中は終了した。俺が殴る余裕は無かった。速度的にも、面積的にも。下着も着けてないのに無理やり脱がそうとしてる方も大概だと思うんだけどね。
ちなみに、背丈は直とあんまり変わらない姉さんが、私服を直に着せたところサイズがいろいろ違っていて(オブラートに包んだ表現)、あまりのショックに崩れ落ちてしまった。
お昼を喰って、さぁ狩りの続きだ!
って思ったら、母さんが何やら袋を持って来た。
「じゃーん!」
取り出したるは、ピンクの下着。勿論ブラとショーツである。昼飯を作る前に出かけていたらしい。
俺のは昨日買ったじゃん、と首を捻ってたら、母さんはそれを直に渡した。
「サイズは間違ってないと思うわ。着けてみて?」
ドヤ顔の母さん。確かにあれは新品のようだが……いつ計ったんだ。
俺の怪訝な顔に気付いた母さんは手をわきわきと動かしながら一言。
「昔、某下着メーカーで働いてたのよ」
理由になってないと思います。ていうか某て。それに目測でも服の上からなんて、分かるわけ……さっき脱がした時か! 何て策士!
「……」
絶望したような表情でこちらを見つめる直。
これ、着けるの? 着けなきゃダメ? 訳すならそんなとこだろう。
「……頑張れ!」
「っ――」
ガーン、ってSEが聞こえてきそうな表情になった。
裏切り者? 何を言う。俺だって被害者さ。
「……」
母さんの好意を無碍にはできない、と観念したのか、とぼとぼと脱衣所へ向かう直。その背中を見ていると、ドナドナがBGMで聞こえくるようだった。
「直ちゃん、サイズいくつなの?」
と姉さん。どうやら母さんの計測に信頼を寄せているようだ。
「65のD。たぶんCでも良かったけどきついかもしれないし……それにあの子、成長する気がしたのよ」
あ、姉さんが死んだ。この人でなし! と思ったら笑みを浮かべてるから興奮が振り切れただけなのかもしれない。
というか母さん、あなたは何者ですか。あと経験値いくつでレベルアップする、とか分かる司祭様か何かなんだろうか。
ちなみに俺は70のEだ。どうだ、勝ったぜ! ……嬉しくない……。身長勝ってたのに女体化して負けたし! たぶん今10センチは違うんじゃないだろうか。
「さて、昨日は制服仕立てに行けなかったから今日行きましょう」
ああ、そういえばそうでしたね。
昨日は用事があったみたいで行けなかった。一昨日だって時間はたっぷりあったはずなのに、人をあれこれ試着させることに夢中になって時間を浪費したせいだ。
というか、直の下着を急遽用意したのもきっと一緒に行かせるためなんだろうな……。根回しが良いというか、あくどいというか。やっぱ策士だ。好意すらも伏線にしてしまうとは。これからは孔明と呼ぼう。となると父さんは玄徳だろうか。姉さんは絶対雲長だな。兄さんは……公嗣かな。成人したら飲酒が心配だ。
なんてことを考えてたら、直が戻ってきた。
ちょっと聞いてみたいことがあったから、傍に寄って行って、小声で尋ねてみる。
「(直、ちょっといいか?)」
「(あ、ああ)」
こくん、と小さく頷く直。
「(違和感……あるか?)」
「(え? あ、けっこうちょうどいい)」
そこじゃねえよ。つーかすげえな母さん。
「(着けてることにこう……抵抗? あるか?)」
俺の言いたいことに気付いたのか、はっとした直がこっちに振り向く。
ちょっと話は逸れるけど、最近“○○すぎる××”って表現を使う頻度が多い気がする。正直それでハードルが上がって実物を見ても全然同意できないことが多々あるし、連呼したせい○○すぎる、っていう表現自体が軽くなってしまっているとさえ思う。
話を戻そう。
綺麗すぎるだろこの子!
間近で顔合わせたらもうドキドキが止まりませんよもう! これは視線を逸らさなければ心不全で死んでしまう!
「何二人でときめきあってるのよ」
「百合!? ガチ百合なの!?」
「キマシ!!」
母さんに呆れられた!? ショック! ていうか姉さんと兄さんは自重しろ!
呆れつつ視線を直に戻したら、直も顔が赤かった。そりゃあ元男ですもんね。女子と顔間近で突き合せたら恥ずかしくもなるさ。
「で、どうだ?」
「え、あ……ああ、言われてみれば無いな。……なんでだろうな」
やっぱりか。
女体化で定番(?)の「ふぇえ、胸が苦しいよぉ」的なものが無い。なんていうか、着けてることに慣れている感じだ。勿論俺も直も、こんなものを着けたことは一度もない。……直は断言できないけど、俺は絶対ない。
まぁ、そんなもの無い方が楽なのは確かなんだけどね。
「どう? 直ちゃん。きつかったり緩かったりしない?」
「あ、はい。大丈夫です」
「じゃあ行こっか」
「え?」
状況が飲み込めない様子の直。説明してないんだから当たり前だ。母さんは直感的に気付いてるんだろう。直は多少強引にすれば拒否れないことに。流されやすいともいう! ……ああ、この容姿で流されやすいとか、不安しか感じないよこの子……なんとかしないと……。
「司は着替えてきなさい。お姉ちゃん。直ちゃんに服着せてあげて」
「っ……」
多少引いたのは姉さんだ。さっきの衝撃がぶり返したんだろう。
直は思考が停止したらしく、微動だにしていない。拒否しきれないと判断した上でそうしたのならそれは正解だよ。
と思ったら、ただ状況を理解するのに時間がかかっていただけらしい。
「い、いいです! これで大丈夫です!」
両手をぶんぶんと振って拒否を示している。
下着って重要だね。揺れが治まってるよ。もしかして、と思って兄さんを見てみたら案の定悲しそうに俯いていた。俺の友達を変な目で見るな変態。
☆ 三月二十七日(火)15:17 ☆
結局、ランニングウェアの方が目立つってことを諭された直は、姉さんからなんちゃらブラウスとショーパンを譲ってもらっていた。俺はニットソーにキュロット。合ってるかどうかなんて知らん。選んだのは俺じゃないからな。
で、結論。
やたら注目されました。直のせいだ。長い美脚を惜しげもなく曝け出してるし、しかもその視線にビビってモジモジするから余計可愛いっつーんじゃ。通行人萌え死にさせる気か。
高校指定店に行くと、女性の店員さんに採寸されて似たようなサイズを試着して色々調整して、それで終了。オーダーメイドだとかなんとか。裏地の柄だとかポケットの位置まで個人の好みに合わせるとか、こだわり過ぎじゃないだろうか。
次に来るのは一週間後。一応試着して、大丈夫なら購入、おかしかったら直しをするらしい。
ということで仕立ても終わり、俺たちは大通りからちょっと外れたカフェで休むことにした。チェーン店じゃない、その名も“le trèfle à quatre feuilles”。なんて読むのかもわからん外国語満載のオサレで本格的なカフェだ。きっとこういうところなら勝手にコーヒーの量を減らしたりしないんだろうな。
そんなことはどうでもいい。
「で、なんでこんな目立つところに案内されたんだろうね」
俺は何の抵抗もせずに案内されたテラスの席に座った母さんを睨み据えた。
勿論そんな視線、母さんはどこ吹く風でメニューを眺めている。
わざと仰々しく溜め息を吐いてさりげなく周囲を窺うと、案の定幾つもの視線がこちらに向けられていた。大通りから外れているとはいえ駅に近いから人通りは少なくないし、今は春休みだ。スーツよりも私服姿の歳が近そうな層が断然多い。
「へぇ……こんな所があったんだ」
段々慣れてきたのか、直も普段の冷静な調子を取り戻しつつある。それは逆に、鈍感な直に戻りつつあるということだ。俺だけこの状況に緊張しなきゃいけないのかと思うとそれだけで疲れそうだ。
「直ちゃんは何頼む?」
「あ、俺は水で」
遠慮してるな。仕方ないとは思うけど、連れてきたのは母さんなんだから気にすることないのに。母さんも困ったように笑ってる。
「それ、何とかしなきゃね」
と思ったけど、母さんは別のことで苦笑したらしい。
「貴方も、勿論司も、言葉遣いは直さないと」
成る程、そういうことか。それなら納得だ。
俺はともかく、直の容姿で「俺」は痛い。美人だからカッコいい気もするけど、まるで中二病だ。
「制服はスカートだし、身嗜みも気を付けないとね」
すげぇ、まるで母親だ。ああ、母親か。
「取り敢えず、今から言葉は直してみましょうか」
げ。
「今の子は言葉も崩れてるから、正直そこまできっちり直さなくていいわ。でも、一人称は変えなさい。勿論司もよ」
「「は、はい……」」
なんというか、逆らえる流れではない。流れに乗ることだって大事だと思うよ、ハマーン様。
「じゃあ早速実践」
言うなり母さんは手を挙げた。首を傾げる俺と直だったが、次の瞬間理解した。
「お決まりでしょうか」
ウェイターさんを召喚しやがった! 詠唱無しで!?
ああもう余計なこと考えてる場合じゃない! 注文決まってないのに!
「わ、私は……」
何を言おうかキョドってる直の目の前に、母さんがスッとメニューを差し出した。開いたページの何かを指さしている。
「え? 日、替わり、ティーセッ、ト……?」
「畏まりました」
「!?」
「紅茶の種類は如何致しますか?」
「え、ええ!? あ、あわわ……だ、ダージリンで!」
「アイスとホットがございますが」
「ほ、っとで……」
「畏まりました」
な、なんという連携だ……!
何なのこの人。母さんとグルなの? 士元なの? ああ、やっと落ち着いてきたのに、直の顔真っ赤になっちゃってるじゃん。連環計成功で炎上ってところですね。
「ほら、司の番よ」
「あ、うん。私も同じのを」
自分でも卑怯だなって思う。末っ子は要領がいいって言われるのは、兄妹の成功失敗を見て学習できるから。要は後出しジャンケンをしているおかげだ。
だから睨まないでくれ、直。目が潤んでちゃ可愛いだけだよ。
「私も同じものを、アッサムのミルクティーで」
「畏まりました」
恭しく一礼し、ウェイター士元は店内に引っ込んでいった。
「うん、上出来ね」
満面の笑みを浮かべる母さん。やっぱり今のは直に何か注文させたかっただけらしい。勝てる気がしないわ。そら仲達も困惑しますよ。
「日替わりって、今日は何だろうな」
直に話しかけたら、本人はあらぬ方を見て硬直していた。
その視線の先を追ったら、男子三人組を見つけた。なんていうか、育ちのいい雰囲気があるのは共通点なんだけど、一人だけ際立って毛並みが良いイケメンだった。三人のうちの一人がこちらを見て二人に何かを耳打ち。イケメンの視線もこちらに向けられた。
驚いたのは、後の二人に何かを言ったイケメンが二人をその場に留まらせ、明らかにこっちに向かって歩いてきていることだ。
「……知り合い?」
直に聞くが、頷くだけで返答が無い。次第に直の視線はイケメンから逸らされ、俯いてしまった。
イケメンが来ている方を見ると、もう目の前まで来ていた。足が長いとやっぱり歩く速度が違うんだろうか。イケメン爆ぜろ。
立ち止まったイケメンは俯いてる直を見て苦笑を浮かべ、
「お姉さん、皆心配してるよ」
と仰りやがりました。
…………………………は?




