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18/21

これからについて。(悠)

  ∽ 四月二十六日(木)12:26 ∽



 最近、昼休みは部室で昼食をとるようになった。

 人目を気にしないで済むし、冷蔵庫もエアコンも完備で快適だからだ。


「……いただきます」


 男性用の大きめの弁当に箸を伸ばす。

 一人の食事はいい。

 会話を気にしたり、粗相を過剰に気にする必要もない。

 彼方はどこのグループにも属さず話しかけられたら器用に返す作業をしていることだろう。

 司と直が一緒に食事をとるメンバーはいつも同じ。

 ……なのだが。


「いただきます」


 向かいのソファに座る直が、大和撫子よろしく一礼する。

 箸の持ち方、咀嚼といったマナーは完璧で、全く気にならないどころか美しすぎて見惚れ……そこはいい。


「……直、今日は司たちと一緒に食べないのか」


 俺の言葉に、直はぴたりと行動を止める。

 そして小さめの弁当箱を置き、箸を置き、顔を手で覆って俯く。編み込みでいつもより露わになっている耳が真っ赤だ。


「今日は無理です……」


 何故敬語。

 まあ原因は朝の百合事件(いつの間にか命名されてた)だろう。


「いや、別にそこまで気にすることじゃないだろ……」


 気にするかもしれないが、もうクラスの連中のなかでは智との潔白を証明(?)するための演技だと決着している。そのことは昼休みまでクラスで授業を受けていれば自然と察するだろう。

 きっかけになった砂石の言葉の直後に直が蹲って動かなくなったのが気にはなったが、他の奴らは直が動揺して考え込んでいたせいだと考えているし、それなら俺も納得できる。

 むしろ、直がどういった人間なのか司から聞いていれば尚更だ。


「……俺はいいのか?」


 俺の傷口を抉りかねない質問に、直は少し手を退けて僅かに顔を上げる。

 思い出した羞恥心か何かで涙目になりながらも、直は微笑む。

 これは直視したら駄目だ。あまりの可憐さに動悸が激しくなる。


「……悠はあの時、フォローしてくれたから」


 懐かしむように目を細める直だったが、俺には覚えがない。

 ただ混乱を収めるために事実を正確に言っただけだ。


「……そうか」


 ここでそんなことを言って追いつめるようなことはしない。

 落ち着いたのか、直は再び箸を進めていく。

 もともと集まっても積極的な主張はしない直だ。会話を楽しむというタイプではないのだろう。

 会話がなくても気にならない相手っていうのは楽でいい。

 ……これがくだらない奴なら、気まずさに携帯を弄りだして、結局お互いに空気を悪くする所だ。

 やめよう。自分から傷口を抉る必要はない。


「結局、四十九院先生には何言われたんだ?」


 するっと口にしていた質問。

 直は口に含んだものを飲み込んでから口を開く。


「強歩大会の賞品のこと。乗り気じゃないなら先生の方から注意してくれるって」


 まぁ教師側からすればあまり好ましいことではないからな。


「で? なんて答えたんだ?」

「考えさせてくださいって」


 意外だった。

 直なら、気にしてませんとか言って快諾してる旨を伝えたんだとばかり思っていた。


「乗り気じゃないのか?」


 直は首を横に振り、否定を示す。


「ちょっと気になることがあって」

「気になること……?」


 俺は少し眉を顰める。

 先輩女子の依頼を形式的にとはいえ受けているだけに、問題があるなら看過できない。

 そう考えたのだが……。


「悠、正直に答えて欲しいんだけど……」


 直の視線は真っ直ぐ俺を見つめている。


「今受けてる相談事、私のお菓子……関係ある?」


 俺の顔は変化していない。

 この体でも習得されていたポーカーフェイスだが、内心では少し動揺していた。

 少しで済んでいたのは、そこまで隠し通さなければならないことではないから。


「どうしてそう思った?」


 直は言葉を選んでいるのか、下唇に人差し指の第二関節を当て、思案顔を作る。

 そして、数秒も立たないうちに顔を上げた。


「この前、部費をどう使うか悠と彼方が話してたことあったでしょ? あの時の二人の言葉を抜き取ったら、二人は頑張って強歩大会を走らなきゃいけないってことと、私のお菓子がその手段にとって代わる可能性があったって取れたから」

「成程な……」


 本当、どこからバレるか分かったもんじゃないな。勿論俺自身もだが、彼方にはきつく言っておいた方がいいだろう。


「先にご飯を済ましてしまおう。少し長くなるし」


 俺の提案に直は素直に頷く。

 昼食を終え、直が淹れてくれたお茶で喉を潤しながら俺は直に先輩から受けた相談について説明した。

 勿論、直との関係や感情はただのファンということで上手く誤魔化した。


「……本当にファンがいたんだ」

「え……?」

「智が言ってたんだ。智が行ってた中学の弓道部には、白水ナオのファンがいるって」


 恐るべし白水直。

 ともあれ、バレたからこそできる提案というものもある。


「今回の件で思いついたことがあるんだ。……二人も呼んでいいか?」


 直は目を瞬かせ、そして微笑む。


「悠って……司とは種類が違うけど、優しいよね」

「……真顔で恥ずかしいことを言うな」

「痛っ。……えへへ」


 デコピンした頬を擦りながら直は笑う。

 何が楽しいのか、それとも嬉しいのか分からないが、正直やめてほしかった。

 直といい司といい彼方といい、気が付くとすぐ傍にいて困るんだ。



  ∽ ∽ ∽



「あ、こんなところにいた!」


 司の第一声は、勿論直に向けられたものだ。

 一方で直は、身を守るようにクッションを抱きかかえ、ソファの上に体育座りしている。

 なんか、直の態度が幼児化していた。


「皆気にしてないよ! むしろいなくなっててぶり返した感があるくらいだよ」

「ご、ごめんなさい……」


 あっさり動機を見破ってるし、しっかり説教までする始末。

 普段と違って親猫と子猫って感じだ。


「直、花蓮ちゃんには気を付けたほうがいいよ~」


 にこにこと笑いながら、彼方がそんなことを言う。

 花蓮とは、間違いなくうちのクラスにいる花蓮・デイビスのことだろう。何を隠そう、ハーフである彼女は自己紹介でこう言い放った。

 ――私は、日本人女性が大好きです。

 なんの冗談だとその時は思ったが、今ではクラス全員がその言葉を疑っていないだろう。彼女が越川さんに絡む様子は、確かに愛情を感じさせるものがあるからだ。

 ……歪んだ愛情だが。


「大丈夫だよ。デイビスさんの好みはロリだし」


 新たな脅威に恐れ慄いていた直だったが、司のその言葉に胸を撫で下ろす。

 色々と突っ込みたいところではあるが、今は置いておこう。


「二人に来てもらったのは他でもない。俺と彼方が受けてる相談のことだ」


 早速話を切り出したわけだが、そこに異を唱えたのは彼方だった。


「え、話すの?」

「ああ。俺たちの会話で直にバレたからな。いい機会だったから直には説明した」


 マジかと驚きつつ、彼方は承諾。

 あとは司だけだが、彼女も彼女で煮え切らないところがあった。


「それ、今じゃないとマズい?」

「別に放課後でもいいが、早い方がいい。それに……」


 と、俺は言葉を一旦切り、下げておいた箱をテーブルの上に乗せた。

 目安箱(仮)である。郵便受けを流用したものだが、揺らすとそれなりに音がする。


「……これやる時間が減るぞ?」


 全員が無言だった。

 言いたいことは分かる。

 俺だって、できることならこのまま処分したいくらいだ。



  ∽ ∽ ∽



 俺の提案は、三人の意見も取り入れながら承諾された。


「先生たちと生徒会で何とかしてくれるって」

「そうか」


 放課後に入り、四十九院先生のところに行ってきた直が部室に合流。

 元々は智と砂石の争いが原因だから、クラス以外の参加は控えて貰いたい。

 直が言ったことになっているこの提案は、生徒が勝手にやっているだけと大っぴらに規制できなかった学校側や、もともと乗り気ではなかったらしい生徒会には快く受け入れられた。

 それも、直の提案ではなく学校側が言い出したこととして規制してくれるらしい。直に不満の矛先が向かうことを懸念していた俺としては、学校側の誠意も含め十全に近い結果だ。

 さて、強歩大会について今できることは取り敢えず終わってしまった。

 残るは……。


「……これ、今日中に終わるかな……」


 司の呟きが、沈痛な静寂に包まれる部室に響く。


「そういえばさ、昼にも言ってたけど司用事でもあるの?」


 あえて聞かなかったことにしている俺とは違い、彼方が正直に司に尋ねる。


「んー、ちょっと薬見に行きたかっただけだから、そこまで急ぎでもないんだけどね」


 薬と聞くと不安に思ってしまうが、直が特に取り乱す様子もないので大事ということでもないんだろう。

 が、確かにこんなもので拘束されるというのも馬鹿らしい話に思えてきた。


「二人は時間、大丈夫なのか?」


 彼方と直に尋ねると、二人は何のことはないように頷く。

 いや、直は平然としているが、彼方はどことなくテンションが低い。珍しいこともあるもんだ。


「今日は智と買い物していかなきゃいけないから、どっちにしても残ってるよ」


 と直。

 朝の登校もらしいのだが、普段の司への傾倒を見ていると、四六時中行動を共にしない……というよりもむしろ、別行動を取ろうとしているようにすら思えることに違和感を覚える。

 ていうか智。義務みたいに思われてるぞ。


「オレも残ってるよ。……ウチにいるとさ、此方の追及が最近ウザいんだよね……。彼氏と別れたのかな……」


 彼方、お前もか。

 後半ではなく前半。うちの遥も、智のこと調べてうちのクラスの状況を知ったらしく、色々と怖い。

 智のことを調べたっていうことも怖いし、クラスメイトについて聞いてくる時の目も怖い。

 ……やめよう。帰りたくなくなってくる。

 こうなると司は立場的に弱いな。


「なら分担制にしよう。一人のノルマを決めて、ここでやるのも家でやるのも自由。明日までに終わらせるならどこでもいい」

「……悠、乗り気だね」


 彼方はそんな見当はずれなことを言った。


「そんなわけないだろ」


 これは他人のためではなく自分のため。保身だ。

 面倒だろうが厄介だろうが、情報が無ければ対策も対応もできない。

 要は、言い訳を考えるためだ。


「解消してやる義理はないが、無駄に敵を作るつもりはないからな」

「乗り気どころか流す気まんまんだ」


 司の苦笑に俺は頷く。


「当たり前だろ」


 郵便受けのカギを開け、中の紙をテーブルに広げる。

 ざっと見二十枚程度、だろうか。

 学年とクラス、名前、メールアドレスを必須事項にしてこの枚数だから、かなり多い方だろう。ていうか個人情報を載せてまで投函してきた奴の気が知れない。

 中身は見ずに、トランプのように一枚ずつ配っていくと、ちょうど一人六枚に分配された。


「司はどうする?」

「うーん……この枚数ならやって行こうかな」


 司は目の前に置かれたグラスを手に取り、オレンジジュースに口をつける。

 俺がコーヒーで、彼方と直が紅茶。おそらくだけど、カフェインを取りたくないんだろう。


「ならさっさと済ますか」


 それぞれ頷き、一枚、また一枚と折りたたまれた紙を広げていく。

 一枚目。

 白水直様。自分と友達になってください。それが駄目なら下僕で構いません。いえむしろペットとして(以下略)

 二枚目。

 黒酒くんにご相談があります。実は私には寝たきりになってしまったお爺ちゃんがいます。最近は元気もなく、口にするのはスズメの涙ほど。弱り切っていくお爺ちゃんは、「孫の花嫁姿を見れずに(以下略)

 三枚目。

 映研を代表してご相談があります。9月の雛育祭で上映する映画の出演者として、また一年四組の方々と渡りをつけていただくため、ご協力をお願いできないでしょうか。

 四枚目。

 出版委員会でーす。近いうちに取材に行くんでヨロシク!

 五枚目。

 下記アドレスの登録をよろしくお願いします。

 六枚目。

 彼方君、どうして早く私に声をかけてくれないの? 私はこんなにも(以下略)


「……はぁ」


 自然と溜息が出てしまった。

 周りを見渡すと、彼方は引き攣った笑いを零し、司は顔を赤くし、直は怒気を孕んだ眼差しで紙を見据えている。

 コーヒーで喉を潤し、鬱屈と一緒に飲み下す。

 そういえば、この体になって砂糖を入れる量が減った。缶コーヒーは甘くて飲めないくらいだ。料理の味覚が変わったわけではないから、単に苦味への耐性がついたのかもしれない。

 コーヒーを飲みながら気持ちを落ち着けていると、全員が読み終えたらしくそれぞれの飲み物に手を付け始める。


「……どうだった?」


 全員がぴくりと硬直、或いは体を揺らす。

 空気が重いせいか、皆の口は動きが鈍い。仕方ないと諦め、俺から発言することにした。


「まともそうなのは出版と映研から来てたのが一枚ずつ。あとは直、彼方、俺宛てが一枚ずつだ。彼方宛てのともう一枚は色々記入されてなかったから無効扱いでいいだろ」


 彼方のは無視できそうにないが。


「じゃあ次オレね」


 彼方が力なく笑う。


「入部届が二枚と、司、直が二枚ずつ。ただのセクハラだから捨てちゃっていいんじゃない?」


 いつになく剣呑なことを言う彼方だったが、気持ちは分からなくもない。


「私のは、入部届が三枚あったよ。それと、悠と彼方に向けたのと、部自体に向けたのが一枚ずつ。そ、それと私に一枚……」


 真っ赤になって顔を俯かせる司。

 書いてある内容は勿論分からないが、直に渡らなくて本当に良かった。

 最後に残った直が口を開く。

 その言葉はいつもよりトーンが幾分か低い。


「美術部から一枚。男子二人に一枚。女子二人に一枚。……それと、私に二枚と、司に一枚……ふふ」


 そこまで言って、直は笑った。

 まるで、今朝の件で司に向けて浮かべていたような、無邪気にすら感じる妖艶な笑顔だ。


「この学校、希望ヶ峰学園に名前変えない?」

「希望を失っちゃダメだ!」


 よくわからないことを言い、司に必死に止められていた。

 アニメとかか何かだろうか。


「じゃ、じゃあ、各自自分に宛てられたのを受け取ってくれ。……急ぎのものってあった?」


 正気を取り戻したらしい直も含め、全員が首を横に振った。


「じゃあ取り敢えず今日やらなきゃいけないことはこのくらいだな。悪いな司。それと無理するなよ」

「ううん。ありがと、悠」


 司はオレンジジュースを飲み干し、荷物をまとめて部室を後にした。


「オレらはどうしよっか? 続きやる?」


 続きとは受けるかどうかと、対策や対応の考察だろう。

 精神的にもう少し回復してから取り掛かりたいのが正直なところだ。


「目を通しながら、それなりにな」


 頷く二人を見て、俺はふと考えた。

 ……直が暴走したら、誰が止めるんだ?


「……取り敢えず、複数宛てのものから始めるか」


 解消部宛てのものと、俺と彼方宛てのもの。司と直の分は勿論後回しだ。


「美術部からの相談ってのは何なんだ?」


 直が手にしていたカップをソーサーに置き、紙を手に取る。


「モデルになってくれって」

「却下だな」

「わかった」


 是非もなく頷き、直は紙を折り畳む。

 部員になってくれとかいう相談なら名前を貸すくらいできたけど、そんなまともな相談は有り得ないか。

 ……よく考えたらこれ、馬鹿にされてるんじゃないか?


「映研と出版委員会だっけ? その二つはなんて?」


 俺の手元にある紙を取りながら彼方が聞いてくる。直は俺から聞くことにしたのか、こちらを見るだけで紙に手は伸ばさない。


「映研は出演の依頼とクラスの奴も誘ってくれって話。却下でいいよな?」

「「うん」」


 二人の首肯に、一応安心した。彼方あたりなら楽しそうかも、とか言い出しかねないからな。いや、俺たちをダシにクラスの奴を釣ろうとしてるのが気に入らないのかもしれない。


「出版は取材に来るらしい」


 場所は部室だとして、時間も日付も書かないとか馬鹿だろ。


「これも却下で?」

「いや、少し迷ってる」

「え、マジで?」


 彼方と同様に直も意外だったのか、首を傾げている。


「……部室には勿論入れないけどな。有ること無いこと書かれるより、味方につけてこっちから誘導してやった方がいいだろ」

「うわぁ……まさに外道!」


 心外だ。

 情報の恐ろしさを知っているからこその判断なのに。


「うちの出版委員会って誰だったか分かるか?」


 出版委員会は、俗にいう新聞部だ。部活動ではなく委員会として各学年各クラスから二名、強制的に所属することになっている。

 その殆どが出来上がった新聞を各クラスに配布するだけの人員だが、うちのクラスの委員なら少しは話を聞いているかもしれない。……のだが、俺は誰がどこに所属しているのかを把握していなかった。


円井(つぶらい)さんと遠志(ひめはぎ)じゃなかったっけ」


 案の定彼方は覚えていた。確信はなかったようで直に同意を求めたが、彼女も覚えていなかったらしく、少し考えた後、


「ごめんなさい、覚えてない」


 と素直に白状した。

 まぁ大体覚えていそうな彼方が異常だろう。


「話す機会があったら、取材の話……それとなく聞いておいてくれるか?」

「わかった」


 彼方は快諾。

 これで話題は一段落とカップに口を付けると、二人も気を抜いたような仕草をする。

 ソファに体を預けた彼方が、見上げていた天井から直に視線を移した。


「直、今日は智とどこにデート行くん?」

「デートって……普通に買い物に行くだけだよ」


 彼方のカマをかけるような発言にも、直はまったく動じない。不快にも思わない、冗談だと分かりきっている対応だ。


「買い物ってよく二人で行くのか?」

「よくって程じゃないけど……重いものを買うときはよく付き合ってくれるよ。今日もお米買わなきゃって言ったら、持つって聞かなくて」


 穏やかな微笑みを浮かべる直。

 これは、あれか。手伝ってくれる子供が可愛くて仕方ないお母さんって感じか。

 まぁそれは俺の偏見だけど、ここで頬を赤くしてくれたら全く違ってくるのに……。


「二人は家族と買い物に行ったりする?」


 直の質問に、俺と彼方は顔を見合わせる。


「ウチはこの体になってから無くなったかな」


 先に答えたのは彼方だ。


「前はちょくちょく此方とかお母さんと買い物行ったりしたけど、最近は全く」

「家は逆だな。この体になって、遥……妹がよく買い物に連れ出すようになった」


 面倒なことこの上ないが。


「悠、妹さんいるんだね」

「ああ。話してなかったな」


 俺は直に説明した。妹の遥がいかに優れ、どれだけ俺が肩身の狭い思いをしてきたかを。

 乾いた唇と喉をコーヒーで潤し、ぶり返してしまった劣等感を吐き出すように溜息を零す。

 一方で直はニコニコと微笑んでいた。


「遥さんのこと、大好きなんだね」


 コーヒーを飲んだ後で良かった。口に含んでいたら絶対に噴出していただろう。


「……どうしてそうなる」


 説明が足りなかったかと訝る俺に、彼方が呟く。


「そう思うなっていう方が無理」

「どういう意味だ」

「さーねー」


 こいつ……体に聞いてやろうか。


「ほ、ほら、ウチのクラスに愛純ちゃんっているじゃん? あの子兄弟四人いるんだよ。知ってた?」

「知らない」


 直も俺と同じく首を横に振っている。彼方は一瞬考え込むような表情をした気がしたが、瞬きを挟んだ間にその表情は消え、いつもの笑みが浮かんでいた。


「休みの日にも弟の面倒みてんだよ? 偉くね!?」

「そうだな」


 どうでも


「どうでもいいとか思ってるっしょ」

「……そんなことはない。真似できないとは思った」

「悠は休みの日には何してるの?」


 直が突っ込んだことを聞いてくる。

 他人に興味が無い子だと思っていたけど、そうでもないらしい。

 が、今その興味を発揮してくれなくてもいいだろうに。

 休みの日……。

 普通に起きて、体を動かして、朝食を食べて、課題をやって、昼食を食べて、課題か予習をやって、お菓子を食べながら音楽を聴いて読書をして、夕食を食べて暫くリビングで適当に過ごして、予習の残りをやって、お風呂に入って寝る。

 ……自分の生活でなんだけど、振り返ってみると本当につまらない人生だと思う。


「ふ、普通に過ごしてるだけだ。そういう直はどうなんだ?」

「え、私?」


 さぞ男らしさを垣間見せる回答をくれるだろう。……そんなことを考えていた俺が甘かった。


「ランニングと筋トレ、ストレッチした後朝食を作って、洗濯と軽めの掃除をして昼食を作って、課題をやった後洗濯物を取り込んで、買い物に行ったり舞の勉強見てあげたりして、夕食を作った後は課題とか復習したりしてお風呂に――」

「主婦かっ!」


 堪らず彼方が叫んでいた。


「つ、司が来たらゲームだってするし、最近は智のマンガだって読んでるよ!」

「主婦だってゲームとマンガくらい読むんじゃね……?」


 そういえば、ネトゲ廃人には主婦がいるらしい。今の時代、共働きではない家庭は結構裕福な家庭の部類らしいから、課金もしたい放題なんだろうか。ネトゲはしたことがないので分からないが。


「そ、そういう彼方はどうなの!? 高校生らしい休日なの!?」

「おうよ!」


 彼方は力強く頷き、ドヤ顔を作る。ウザい。


「起きてまとめサイト見て、ご飯の合間はゲームかマンガか外に遊びに行ってー、夜は見たいテレビなかったらニコニコとかYOUTUBEとか見て、寝る前にまとめサイト見てんぜ!」


 それは高校生らしい、というよりダメな学生らしい生活じゃないだろうか。


「……で、いつ勉強してるんだ?」

「お、お母さんみたいなこと言わないでよ」


 彼方はしどろもどろに視線を逸らす。


「「……」」


 俺と直の視線が彼方に向かう。恐らく本人には突き刺さるように感じられるだろう。

 と、耐えられなくなった彼方が吹っ切れたようにふふんと鼻を鳴らす。


「まだ課題の提出遅れたことないし!」


 こいつ、絶対夏休みの課題とか後になって焦ってやるタイプだ。

 で、姉妹に泣き付いて手伝ってもらって、色々貸し作っちゃって頭が上がらなくなっちゃうたタイプだ。絶対そうだ。


「っていうか悠の普通ってなんだよ! 遥ちゃんが連れ出さないと外に出ないくせに!」


 なんでそれをっ……、……ああ、遥か。


「インドア派なんだよ」


 真っ当な答えだと思うのだが、彼方は不満そうだ。


「悠と直はもっと外に出るべきだと思う。外に出て遊ぶべきだと思う」

「「人目があって嫌」だ」


 この体になってからというのも、前以上に人目が気になるようになってしまった。

 恐らく直も同じような理由だろう。彼女の場合は仕方ない気もするが。


「えー、遊ぼうよ」


 結局言いたかったことはそれか。


「外で遊ぶ理由が無い」

「ごめん、言ってる意味がわかんない」


 意味も何もそのままだ。

 話すなら電話でもなんでもあるし、親睦を深めるならここでいい。


「全く……これだから実利主義者は。理由があればいいんだな!?」


 利益を優先して何が悪い。

 勿論ちゃんとした理由があれば俺は外出する。母さんの荷物持ちを拒否すると後が怖いし、遥の場合はご機嫌取りの要素が多分に含まれているが……、やっぱり損失回避というか、利益優先だった。


「そうだ! 打ち上げやろう!」


 彼方の閃きが部室に響く。


「……なんの」

「強歩大会!」


 気が早い気もするが……、直前に決めるよりはマシか。

 だけど、懸念もある。

 相談事があることを考えると、上手くいけば打ち上げにもなるだろうが、上手くいかなかった場合お通夜状態になってしまうのではないだろうか。

 ……打ち上げにまともに参加したことが無い俺が言える義理はないか。


「それと、部活の創部記念! あ、これは別にやる?」

「一緒にしろ」


 日曜に毎回毎回遊んでいたら金が無くなる。……部費でも使うか。


「創部記念なら部費を使おう」

「あ、なら私ケーキでも作ってこようか」

「マジで!?」


 彼方が大喜びしているが、俺も内心ではヒャッハーしていた。直の焼くケーキは初めてだが、今までの功績を鑑みても期待は膨らむ一方だ。


「29日と30日のどっちでやる!?」


 28日土曜日は強歩大会当日で、29日は日曜で昭和の日。30日は月曜だが振替休日で休みだ。


「28日は駄目なのか?」


 一応パンフレットには三時解散ということになっている。


「あー、ごめん。28はオレ駄目なんだ。誕生日で」

「そ、そうなのか」


 俺は少しショックを受けていた。

 彼方が、俺たちの誰よりも先に生まれていることが、信じられなかった。


「なら、彼方のバースデーケーキにしよっか。彼方、好きなケーキってある? 上手く作れるかは分かんないけど……」

「マジで!? いいの!?」


 目を輝かせる彼方に、直の腕を疑っている様子は微塵もない。

 いいなぁ……。


「司にも連絡してみるね。29と30、どっちがいいか」

「ああ。頼む」


 なんというか、あれよあれよという間に打ち上げ兼創部記念兼誕生会になってしまった。

 映研と美術部の相談をどう断るかとか、個人に宛てられた相談をどうするか、なんてことは、綺麗さっぱり忘れていた。

 29日のレアチーズケーキが楽しみで仕方ない。


次回――


「早すぎだと思う」


「もうしないから」


――仮面の下の涙を拭え(ウソ)

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