日々の変化と潜む影(直)
どこいったコメディ。
♯ 四月二十六日(木)05:20 ♯
朝、目を覚まして一階に降りると、キッチンに智がいた。
「おはよう」
「……おはよう」
返事が少し遅れてしまったのは、驚いていたからだ。ただ、それは智が早起きしてることだけじゃなくて、彼がお米を砥いでいたから。
早起き自体は、今日みたいに朝練がない日にもマラソンのためにするようになった。
一回目は一緒に走ったけど、今は時間も道も別にしてる。理由はわかんない。家族と走ってると思うと恥ずかしいのかも。
閑話休題。
「言っただろ? 分担していこう、って」
私の表情から疑問を察して智は言った。
「別にいいのに。好きでやってたんだから」
どうして素直にお礼を言わない。本当に可愛くないなぁ、と言った後で思ったけど、言った言葉も本心だった。パンやシリアルの方が圧倒的に簡単なんだし。
でも、このままじゃ今までの私と変わらない。それは、皆に悪い。
「……ありがとう」
「……それはこっちの台詞。今まで、大変だったろ?」
確かに、冬は手が悴んで痛いし、水回りの家事をしていると手が荒れてくる。この身体になってからは手が綺麗なままだったから、司たちに言われてハンドクリームをつけるようになった。
ともあれ、大変ではあっても苦痛だったわけじゃない。
「もう趣味みたいなものだから気にしないで? はい、これでおしまい」
「わかった」
お互い気を遣いあって平行線のままだったから、無理矢理打ち切ろうと提案。智は嫌な顔一つせずに了承してくれた。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「コーヒーかな」
「わかった。座ってて?」
ドリップコーヒメーカーのタンクに水を入れ、フィルターをセットした上に粉を入れてスイッチを入れる。その間に部屋に戻って新しいランニングウェアに着替え、ゴムで髪を結ってなんちゃってポニーテールを作る。下に戻る頃にはガラスジャグはコーヒーが溜まっていた。ガラスジャグを保温プレートから外し、カップに注ぐ。
「はい。お待ちどうさま」
「ありがとう」
一応角砂糖のビンとミルクジャグを持って来たけど、智は何もいれずにカップを傾けた。
「……どうかした?」
智の言葉で、私がまじまじと眺めてしまっていたことに気付く。
「あ、ええと……ブラックで飲めるんだな、って」
私は砂糖もミルクも入れないとお腹の調子が悪くなってしまうので正直、ちょっと羨ましかったりする。司も前はブラック派だったし。
「そういえばそうだね」
気が付くとブラックで飲んでいたらしい。なんというか、大人っぽくて妬ましい。爽やかな上にコーヒーのブラックを片手に読書なんてイケメン過ぎる。紳士ぽくて。
智を眺めていても良い思いはしなさそうだったので、少しだけ朝食の仕込みをして早々に走りに行くことにした。
♯ ♯ ♯
帰宅してすぐ髪を解く。引っ張られる感じから解放されるのが最近癖になりそうだった。
最近といえば、毎朝のコースに人が増えてきた気がする。春だから仕方ないかもしれないけど、あまり人を気にしてペースが乱れるのは好きじゃないから、そろそろ別のコースを考えてみてもいいかもしれない。
と、ストレッチをしながら考え、そのまま筋トレに行くところで思い出した。
危ない。
司やその家族から、過度の筋トレは禁じられていたんだった。
腹筋・腕立て各50回を、各10回にしておく。理由ははっきり教えてくれなかったけど、司たちが言うことなんだから間違いはないだろう。
「終了、っと」
シャワーで汗を流し、朝食の準備……の前にドライヤーで髪を乾かさないと。トリートメントもだけど、いろいろと手順が増えてけっこうしんどい。でも、やらないと何故か色んな人(司とその家族、それとうちのお母さんと舞)に怒られるらしいから手抜きはできない。
ようやく朝食の準備に取り掛かれる。
今日の朝ごはんは、昨日作っておいた肉じゃが、それに鯖の塩焼きに水菜と大根、油揚げのサラダだ。味噌汁の具はたまねぎとキャベツ。味噌汁の具の方は健さんのオーダー。正直な話、作るのは楽しいけど献立を考えるのは困ることが多いから、希望を言ってくれるのはとても助かったりする。まぁ一番嬉しいのは残さず食べてくれること、助かるのは好き嫌い(特に後者)を言わないことなんだけど。
走りに行く前に塩を振っておいた鯖の表面を洗い、グリルが暖まっているのを確認して網に乗せる。あとは中火で6~7分。その間に、舞を起しにいくことにする。
「智、悪いんだけど、グリル見ててくれる?」
「わかった」
……万が一だけど、こういう何気ないことをお願いできる人がいてくれるのは、とてもありがたいというか、嬉しいというか……。
「他にできることある?」
「あ、えっと、じゃあ、大根、おろしておいてくれると助かる、かな……」
何を私は焦っているのだろうか。
人に物を頼むなんておこがましい気がして、本当に頼んでいいのか、頼んで不快にさせることが不安……なんだろうか。
「了解」
何でもないことのように了承し、大根おろし器を取り出そうとする智から離れて二階へ。
大丈夫かな……。……やっぱり一人で料理してる方が気は楽かもしれない……。
「……舞、朝だよ」
ノックをして声をかけるけど、いつも通り返事はない。
「舞、入るよ」
合鍵でドアを開けて部屋に入ると、ベッドの上ですやすやと眠っている舞がいた。相変わらずゴミが散らかってる部屋だけど、ここで片づけてしまっては教育上よくないので放置。
「舞、朝だよ。起きなさい」
声を掛けながら体を揺らすと、
「う……にゅ、ん……」
目を僅かに開いた舞が、私に焦点を合わせた。
「ん~……」
舞は寝ぼけたまま抱っこをせがむように両手を伸ばす。
「……しょうがないなぁ」
舞を抱きかかえて上半身だけを起し、ベッドの上に座るような体勢になった舞の頭を撫でる。
「えへへ~……」
寝ぼけながら、幸せそうな笑顔を見せる舞は本当に可愛くて、思わずこちらの頬も緩んでしまう。けれど、いつまでも眺めているわけにはいかない。
「早く顔を洗って降りてきなさい。ごはんできてるから」
「はぁ~い」
舞が立ち上がるのを見遣り、部屋を出た。
母さんは夜勤で、珍しく健さんだけが家にいる。智も下でグリルを見てくれているので、私が起しにいくことになるわけだ。
健さん……お父さんとお母さんの部屋は、階段を挟んで舞の部屋の反対側に位置している。
ノックをしても、返事はなかった。
「お父さん、起きてますか」
再びノックと声をかけたが、返事はない。
「……失礼します」
舞の部屋のように鍵はないので、簡単に入ることができた。
ツインベッドには片方に山ができている。カーテンを開けたが効果なし。
目覚ましは……鳴る予定の時刻はちょっと前に過ぎていた。仕方ない。
「お父さん、起きられますか?」
布団越しに身体を揺すると、もぞもぞと動いて健さんは身体を起した。
「……おはよう、直」
「おはようございます。朝食ができましたが、食べられますか?」
「うん……いくよ」
大きなあくびをして目を擦った健さんは、次の瞬間には眠気などどこにも感じさせない面持ちをしていた。
職業柄、オンオフの切り替えが身に着いてるのかもしれない。
というか、本当に若いなこの人。初めて会った時は、智と並んでも兄弟にしか見えなかった。お母さんも未だに二十代……場合によっては十代に間違われるような容姿をしているので、そういった意味では良い組み合わせなのかもしれない。
「うん。今日も綺麗だね」
訂正。まだ寝ぼけているらしい。
「私はお母さんじゃないですよ、お父さん。先に下に行ってますね」
「あ、うん」
首を傾げる健さんを残し、部屋を後にする。
一階に降りて、調理の続き。というか、後は盛り付けだけなんだけど。
「あ、こら」
キッチンでは、智が肉じゃがをつまみ食いしていた。
「ごめん、おいしそうだったから、つい」
すまなそうに笑うその笑顔も、学校の女子からすれば額縁に飾っておきたくなるような魅力で溢れているんだろう。でも私にはそういうものはなくて、ただ子供っぽいところもあるんだ、って可笑しいだけだった。それは得をしてるのか損をしているのか。
いや、イケメン爆ぜろ、って変な敵愾心を抱かなくなっただけ得なのかもしれない。
♯ ♯ ♯
「「行ってきます」」
智と舞、そして私はほぼ同時に家を出た。
「直、お兄ちゃん、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「気を付けてね」
そして、大通りに出て舞と別れ、智と一緒に駅に向う。海まで続く河川敷を二人で歩いていく。大抵の人はもう一つ隣の国道を使うから、周りにはあまり人がいない。智と歩いていると周囲の視線が怖そうなので、正直ありがたい。でも、マラソンコースにして慣れ親しんでる私と違って、智がこのルートを選ぶ必要はないのが少し気まずい。
「新しい席はどう?」
不意にそんなことを智が聞いてきて、思考を中断する。
新しい席とはいえ元の席も一週間程度だから、気分や人間関係が一新されるわけじゃなかった。司や智と違って、私は頻繁に声を掛けられるような人間ではないことが幸いした形だ。
でも、いいことは確実にあった。隣が司なこと。窓際の最後尾で、左側と後ろに対する警戒が必要ないこと。周りの皆もいい人たちばかりだ。
気になるのはくじの箱に手を入れた時、見た目より底が浅くて他の紙に触れなかったことだ。
その前も後も皆普通に引いてたから気のせいだろうけど。
「今の席、ちょっと恵まれすぎてるくらいかな。智は……変わらなかったね」
窓際から三列目の最後尾。クジだからそういうこともあるんだろうけど、ちょっと寂しい。でもそれは結局私の感想であって、智の感想ではなかった。
「まぁね。でも気に入ってるよ。周りもいい奴ばっかりだし」
爽やかな笑顔が、春の陽気にとても似合っています。周りはほとんど男子だから、もっと女の子と一緒になりたかった、なんて言わなかった。そもそもキャラじゃないし、男子相手じゃなきゃノリでも言わないか。それでも、軽薄なことを言わなくて安心しました。
でも、これも私の感想に過ぎない。きっとクラスの女子の中には、智の近くの席に行きたかった、っていう子がいるだろうし。……モテるんだろうなぁ。
「智、うちのクラスに好みの子はいるの?」
「っ!?」
おお、なんかすごい驚いてる。図星か。
えっと……自己紹介の時に言ってたのは、確か……傍にいて心が安らぐ人、だったかな? うーん……外見はともかく、内面は付き合ってみないと分からない。つまり、今の私には推測する材料さえなかった。
でも、智なら誰でも落としてしまいそうだから怖い。でもそれはともかく、だ。
「……焦って手出したりしたら駄目だよ?」
これだけは釘を刺しておきたい。智がそんな人間じゃないことは信じてるけど、男なんてその場の状況だけですぐ暴走しそうになるから。
「え!? あ、ああ……気を付けるよ……」
うん。この一年で智が嘘を吐かないことは知っているから、これで安心だろう。
駅前の大通りに合流すると、当然人は増える。学生よりも、やっぱり社会人が多い。
「今日は赤生と待ち合わせしてないのか?」
ふと、智はそんなことを言った。
「うん、してないよ」
というか、いつもしていない。
司を私の都合に合わせるのは嫌だし、私が司の都合に合わせるのはいいけど、それで司が気を使うのも嫌だから。それに司は人気者だから、私だけに感けている余裕はないだろうし。
「そっか」
それきりでその話題は終わってしまったけど、その智の表情に私は違和感を覚えた。
なんというか、寂しそうでもなく、勿論嬉しそうでもない、形容し難い智にはあんまり似合わない表情。
……まさか、智の好みの子って、司……なんだろうか。
確かに司といると安心するし、とても癒される。ときにハッとするほど可愛い顔をしてどきどきするし。いや、いつも可愛いんですけど。
それはともかく、司、ちょっと前まで男だったから、男と付き合うとかありえるんだろうか。
き、きっと大丈夫だよね!
「……直!」
手を掴まれて引き寄せられ、智の身体にぶつかった。
直後に眼前を横切る自転車。横断歩道の信号は、赤い色をしていた。
「あ、あぅ……」
なんだこれ、声がちゃんと出ない。
「ぼうっとしてると危ないぞ」
智の声と表情が硬い。余程心配させてしまったのだろうか。
「ご、ごめ、……」
なんで、なんで声が出ないんだろう。何で身体が震えてるんだろう。
寒いし、ちょっと吐き気もする……。
九死に一生を得て体が震えて……るわりに頭の方は冴えてるから違う……。
智が怖いわけじゃない。心配させてしまったことは悪いと思うけど、その申し訳なさからくるものでもない気がする。
「顔、真っ青じゃないか……!」
「え……?」
そんなに酷い状況なんだろうか、とか思っていたら、足が竦んで座り込んでしまった。
なんということでしょう。身体に力が入りません。
「ちょっと待ってろ……! 今ならまだ、父さんも――」
そう言って智が私から手を離して携帯を手にすると、
「……あれ?」
震えが止まった。
「直?」
私の調子が戻ったのが見て取れたんだろう。智は携帯を操作する手を止めてしゃがみこみ、私と目線の高さを合わせる。
「大丈夫……みたい」
寒気も吐き気もなくなっている。うん。大丈夫そう。
「……本当か?」
と、心配そうに智が私の頬に触れた途端――
♯ ♯ ♯
学校に着いて、そのまま部室に向かった。
「……拒絶反応? 男に?」
部室で合流した司は、私の話を聞いて目を丸くしている。
「うん……」
「女の子に触れるようになったと思ったら、今度は男か……」
私と同じ感想を司も抱いたようだった。
男性への嫌悪感。以前は自分が男だったから、女性に触れると吐き気という形で警告というか、拒絶反応を起こしていた。
それが、女性の身体になったことで男性に触れると寒気や吐き気、震えといった拒絶反応を起こすようになってしまったらしい。
酷くなってる……。
「……ふふ。男如きが私に触れるなんてあってはならないのね」
「動揺してんな……」
何故バレた。相変わらず鋭いな……。
でもいいんだ! 今までがそうだったように、これからも男に触れる機会なんてないんだから!
「いっその事、男なんて滅んでしまえばいいのよ」
「ていっ」
「痛っ」
司に叩かれた。
「痛いよ司……」
叩かれた痛みより、司に暴力を振るわれたことの方が痛くて涙が出てきた。
「そーいう殺伐としたこと言うの禁止」
「わはっはははふへははいへ~」※わかったから抓らないで~
怒り(?)で顔を赤くした司は両頬を抓っていた手を離してくれたけど、まだヒリヒリする。
別にそこまで本気じゃなかったのに、司がここまで怒るとは思わなかった。
「悠か彼方にもちょっと触ってもらおう」
「え……」
実験する理由は分かるんだけど、失敗した時のことを考えるとどうしても気が引けてしまうというか……絶対嫌だ。
「二人に悪いよ……」
気を使わせることになったら、きっと居辛くなる。
司も体のことを気にしないで済む場所ができたのに、その場所の空気を私が悪くするなんて、そんなのは嫌だ。
「でもほら、大丈夫かもしれないじゃん。二人ってアレだし」
「確かにアレだけど……」
「アレってなんすか……」
びっくりした。
司との話に集中しすぎて、彼方たちが入ってきたことに気付かなかった。
「ちょうど良かった。二人とも、直に触ってみてくれる?」
「「は?」」
司の急な提案に、二人とも理解が追い付かない様子だった。
……司の言うことだし、私も腹を括ろう。
「失礼します」
頭を下げ、硬直したままの彼方と悠の手を握る。
「っ……、……、……?」
何ともない……?
改めて手を握り、次に首筋、頬と触れてみたけれど、拒絶反応は一切みられない。
「え、えっと……」
「……」
彼方と悠が顔を赤くしていることに気付いて、今更ながら自分が何をしてるのか気付いた。
「ご、ごめんなさい」
「いえいえ~」
手を離しても彼方は気にしてないみたいに笑うし、悠も文句を言うこともなく顔を逸らしただけだった。ありがたいやら申し訳ないやら。
「で? 何なんだ?」
鞄を下ろし、悠が尋ねる。
司と視線を交わして、私は自分で言うよって意志を込めて頷いた。
言いづらいけど、いや、言いづらいことだからこそ、私が言うべきだと思った。
「えっとね……」
説明したのは、前の私が女の子に触れなくて、今は男に触れなくなってるかもしれないってこと。その原因については、流石に言えなかった。絶対に壁ができる。
聞き終えた二人は互いを見て、何か思うところがあったのか、苦笑を浮かべた。
「どうかした?」
司の問いに、二人は言葉を濁す。
「いやぁ……喜ぶべきか、悲しむべきかと思って……」
彼方の言葉に、私と司は首を傾げた。
「喜べばいいんじゃない? 普通にスキンシップできるってことなんだし」
司が言うことはもっともだと思うけど、そんなにスキンシップなんてとらないと思うんだ。
ていうか司は男子と気軽にスキンシップ取りすぎ。男の下卑た笑いが見えないんだろうか。
「俺たちはな……」
「え?」
「いや、なんでもない」
思考が逸れていたせいでちゃんと聞き取れなかった。
私は司と違って多くのことを同時になんてできないから、ちゃんと話は聞かないと駄目だ。
「でも、どうしてかな」
今のところ触ったのは、智と彼方と悠。
智はダメで、彼方と悠は大丈夫。
「精神的なものだってことじゃないか?」
答えてくれたのは悠。
「俺たちは特殊だろ? それを知ってるから、直は男子に触れてるとは思わない」
「ああ、そっか……」
智……男子に触れられたと思うから、体が反応するってことか。
弟だって性別は男だ。
「実証例が少ないけど、そんなとこだろ。無理に調べる必要はない」
悠はそんなことを言ってくれた。
事実、智以外の男でも拒否してしまうのかはわからないっていう懸念がある。でも、悠は私を心配して気遣ってくれた。
「ありがとう、悠」
「い、いや……」
顔を逸らされてしまった。
相変わらずこの体の笑顔は他人を不快にさせるみたいだ。
「悠ばっかりズルくね⁉ なんか閃け、オレ!」
何がズルいのかは分からないけど、彼方にだって感謝してる。
……って正直に言うのも、恥ずかしいんだよね。彼方って直情型だから。
「馬鹿やってないでそろそろ行くぞ」
SHRの時間が差し迫っていて、私たちは教室に向かった。
♯ ♯ ♯
教室に行くと、司と咲たちのスキンシップが始まる。
羨ましいと思うけど、笑顔と同様に私がやっちゃいけない種類の人間だってことは分かってるから自重。
皆の挨拶に、できるだけ笑顔にせず、しかし不機嫌そうに見えないよう顔を作って挨拶を返す。
チャイムが鳴るのとほぼ同時に先生が教室に入り、SHRが始まる。
「――ということだから、皆体調管理に気を付けるように」
四十九院先生の話が終わり、日直の乾風さんが号令をかけて終了。
一限目の授業の準備に取り掛かろうとした時、私の名前を呼ぶ声がした。
「白水直さん。一限目の授業が終わり次第、職員室に来てください」
何故かしんと静まり返った教室に響く、四十九院先生の声。
「はい。わかりました」
私の返答に、先生は少したじろぐ様な仕草をした。
周りの人の様子から察するに、どうも言葉に険が混じってしまったらしい。
先生だから変なことはしないと思っていても駄目だな。
男なんて信用できない。
「直、何かされたの?」
「え?」
咲の質問に、思わず首を捻り問い返すような真似をしてしまった。
された?
こういう場合、したの? か、あったの? じゃないだろうか。
ともあれ、答えないと失礼だ。
「特に何もされてないし、してもいないよ」
「あ、そ、そっか。ならいいんだ」
自分の言い間違いに気づいたのか、咲は頬を少し赤くして微笑む。
「ほら、直んちには野獣がいるし。襲われちゃったんじゃないかって、心配で」
咲の表情は、冗談を言う時のもの。
彼女は何も知らないし、悪意もないって分かってる。
だけど、俺の、私のこの体は違った。
心臓が跳ねる。
心が軋む。
体が壊れる。
痛い。
痛い、
イタイ、
ヤダ、イヤダ、ナンデ、オトウサン、ヤメテ――
「――お」
イヤ、コンナノ、カゾクガ――
「なお――!」
ナオ――ワタシノ――キタナイワタシノ――
「ナオ!」
あれ……、女の子が目の前にいる。
だれだっけ。
知らない子……。だけどすごく、安心する声。
「司ちゃん、あんまり揺らすと……」
「ナオなら大丈夫!」
「そっか……ええ!?」
ツカサ……ああ、司、女の子になっちゃったんだっけ。
私の親友。
私の、命の恩人。
「ごめん、大丈夫だよ。司」
「な、ナオ…!?」
やっぱり、抱き着くなら女の子の方がいい。
やわらかいし、いい匂いがするし。
ナニヨリイタクナイシ、キモチワルクナイ。
「ちょ、ナ、ナオ! 落ち着け! まだ慌てるような時間じゃ――」
顔を真っ赤にして、だけど司は無理やり振り解こうとはしない。
「あはは。司、可愛い。キスしちゃおっかな~」
「にゃ!? お、お巡りさんこいつです!」
司、もちもちで綺麗な肌してるなぁ……。唇もグロスは勿論リップも塗ってないのにぷるぷるだし。
髪も細くてふわふわで……。
ほんと……キレイデウラヤマシイ……。
「ナオ、だよね……?」
司が困惑した表情で私を見て問いかけてくる。
突然の質問で一瞬答えに詰まってしまったけど、当然私は笑みを返しながら答える。
「そうだよ。奈緒だよ、司」
「うん、知ってる。だからオレはおまえに手を抜いたりはしねぇ」
え? と首を傾げた私の顔に、司の手が伸びてくる。
「いふぁいいふぁい! ふぁんふぇふふぇふふぉ!?」※痛い痛い、何で抓るの!?
「いつまで百合キャラ演じてんだバカ!」
演じるって何、って聞きたいけど、頬を両手で引っ張られてるから言葉にならない。
と、司の肩に男の手が伸びるのが見えた。
誰だ、と睨みつけたら悠だった。
そして、私の肩にも触れるものがある。
それは、一目見て男のモノだとわかる手。両肩に触れたソレは、司から離すヨウに私ノ体ヲヒク。
司イガイデ、ワタシニ触レルノハダレ……?
「ナオも落ち着こうね~」
ケガラワシイオトコノクセニ……、イクラカナタでも……、……?
かなた……? ……あれ? 気持ち悪く……ない……?
あ、そうか……彼方は……彼方と悠は、大丈夫なんだ……。
「直、智との潔白を証明したいからって百合キャラはやりすぎだ」
「え、あ、悠……ゆり?」
気づけば、私は司と密着していた。
それはもう、吐息がかかるほどに。
「ふぇあ!? ご、ごごご、ごめんなさい!」
私司に何してた!? ゆりって、百合ってこと……?
羞恥心で全身が茹で上がるように熱くなっていく。
気づいたら司に迫ってるなんて、この体になっても以前の体の影響……男の下種な性質は持ち合わせているということだろうか。
死にたくなってくる。ていうか恥ずかしくて死にたい。
「うぁ~……」
思わず顔を隠して座り込む私に、再び触れる手があった。
顔を上げて、その手の主を探す。
「うぁっ……」
涙でぼやける視界で判別はつきにくいけど、声でその人影が咲であることは分かった。
「咲……?」
「直! 百合キャラならどうしてあたしに抱き着いてくれないの!? キスし痛っ!」
「馬鹿。まずそうさせたことを謝りなさい」
「梓は羨ましくないの!?」
「そこは否定しない」
「否定しようよ!」
司の悲鳴に、穏やかな笑い声が耳朶を打つ。
皆の興味は司たちの漫才に移ってくれたらしい。
ああ……このまま私の存在も忘れ去れればいいのに……。
やっぱり重かった直の回。
この先の21部は直視点ですが軽いです。ふざけてます。
次回……
「ただのセクハラだから」
「大好きなんだね」
……忘れたくない想い、ありますか?




