表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/21

始まり。(司)

 ☆ 三月二十五日(日)07:00 ☆



 目を覚ました時、全く違和感が無かった。

 それが正直な感想だ。

 そして、俺自身よりも早くその異常に気付いたのは母さんだった。

 気づいたというか、見つけたというか。


「司、いつまでも寝てない、で……」


 俺の部屋には鍵が付いていない。姉さんの部屋には防犯(?)のために付いてるけど、兄さんと俺の部屋は「見られて困るようなことをするな」という父さんの鶴の一声で鍵を取り付ける申請は拒否されたから、これからも取り付けられることはないんだろうと思う。

 だから朝に弱い俺は母さんの侵入を許し、強引に起されて朝を迎えることになる。

 母さんの声で、一応は目が覚める。だけど布団から出たくない。


「あとごふん……」


 今日もまた布団を引っ手繰られるんだろうな、とかぼんやりと考えながら微睡の幸福感に浸っていた。

 ……?

 なのに、今日は反応が無い。

 もう諦められたんだろうか。そんなことを考えて、開放感半分、危機感半分……つまり、ちょっと複雑な気分になって寝返りをうちつつドアを確認――


「んわっ!?」


 しようとしたら、目の前に母さんがいた。

 こう、ベッドに手を着いて覗き込むような形で。


「な、なにしてんの……?」


 新手の嫌がらせだろうか。

 そんなことを考えて戦々恐々としていた俺に、母さんはうっとりとした表情で微笑みを返す。


「可愛いっ……」


 はっきり言おう。

 気持ち悪くて完全に目が覚めた。


「しょ、正気ですかっ!?」


 母さんの嫌いなお笑い芸人(個人というわけではなく、その職業自体が嫌いらしい)の真似をしつつ、ベッド上で母さんから距離をとる。

 ああ、と残念そうな声を漏らす母さん。貴方の行動思考が残念です。

 ここで初めての違和感。

 スウェットがやけに緩い。というか、丈が長くてぶかぶかだった。そのわりに胸部はそれほど余裕が無い。


「はい、ここで問題です」


 違和感の正体を確認しようとしたら、母さんがそんなことを言ったからできなかった。何を言い出すんだこの人は。


「貴方の氏名、生年月日を答えなさい!」


 この人、本当に大丈夫だろうか。


「司だよ……。息子の名前も忘れたのかよ」

「そうねえ」


 俺のあからさまに不機嫌そうな言葉に、母さんはおもむろにクローゼットを開けた。


「ちょ、何してんの!?」


 そこには大事なエ、げふんげふん書籍と動画が……!


「大丈夫よ。もう知ってるから」

「は、ははは。何を仰いますやら」


 やべえ……冷や汗が止まらん。


「何って、『緊急病棟「あーわーわー!」」


 聞こえなーい! 何にも聞こえなーーい!! っていうか何で昨日買ったばかりの新作を知ってるんだよこの人!? 家族に性癖バレるとか、なんの羞恥プレイっすか……。

 ああ、穴があったら入りたい。でも今の俺にできるのは布団で丸くなることだけだった。

 アルマジロ万歳。ダンゴ虫最高。


「安心しなさい、お父さんには黙っていてあげるから」

「……はい」


 18禁ですしね。下手すりゃ前科つくんじゃね?

 っていうか何がしたいんだろうこの人、ってまた母さんを見たら、スタンドミラーを取り出していた。一応身嗜みには気を付けてるから、チェックできるよう全身を見れるサイズのものだ。

 でも今出す意味がわからない。鏡で何をするんだろう……はっ!

 まさか、ダンゴ虫みたいなことをしてるから、鏡で太陽光を反射させて焼き殺すつもりか!?

 なんて思ったら、ただ俺の正面に正対させただけだった。

 なんだろう、引きこもりやニートには自分の姿を顧みさせるのは有効的なのかもしれないけど(偏見)、俺は再来週から高校生になる健全な日本男児だ。


「何が見える?」

「何って……」


 鏡を見る。

 ベッド。

 布団にくるまって顔を出す女の子。


「っ……」


 布団にくるまって、驚いた表情でこちらを見つめる女の子。


「!? !?」


 ふとんにくるまって、がくぶるしだしたおんなのこ。


「お分かり頂けたかしら、お嬢様」


 にこにこと満面の笑みを浮かべながら、母さんは近づいてくる。

 手をわきわきと動かしていることに気付いた時には既に遅く、結局布団を剥がされてしまった。そして鏡には、だぼだぼのスウェットを着た女の子が映し出されていた。


「なん……だと……!?」


 ああ、ダメだ。

 ネタ的なことを言っても全然誤魔化せない。

 はいはい。女体化女体化。おっ○いおっ○い。


「ほら、そんなレ○プ目してないでさっさと顔洗ってきなさい」

「受け入れんの早くないっすか……?」


 つーかレ○プ目とか言うな。せめて種割れと言ってくれ。


「んー、可愛いは正義?」


 意味の解らないことを言い出した母を放置して顔を洗いに行くことにした。



  ☆ ☆ ☆



 顔を洗って、結論。

 馴染み過ぎ。

 体は明らかに縮んでるし、髪型も長さはそんなに変わらないけどボリュームが増えてる。なのに、体を動かしてる時の違和感が全然ない。元からこの身体だったって言われても信じてしまいそうだ。でも記憶は完全にそれを否定してるんだけどね。

 赤生司(はにゅうつかさ)

 人によってはイケメンだって言われた容姿。中三で身長は180近くあったし、けっこう筋肉もあった。勉強の成績はそこそこで、運動もそれなり。友達は普通にいるし、彼女だっていたことがある。

 そんな女の子がいると思うか? まぁ、世界のどっかにはいるかもしれないけど。

 まったく。これなんてエロゲ……ちょっとまて。ギャルゲもエロゲも同人誌も嫌だぞ俺! 来年度から電車通学だぞ!? フラグじゃないよね!?


「ちょっと司。何頭抱えて蹲ってんのよ」


 なんて陽気に声をかけてくる母さん。確かに、震えてたって何も解決しない。最悪自転車通学にするまでだ。

 場所は居間。顔を上げると、テーブルを挟んで正面に父さん。で、右斜向かいに兄さん。左斜向かいには父さん側に姉さんで、俺の方には母さんが椅子に座ってる。

 普段は俺が兄さんの隣に座って、母さんと姉さんの位置が逆に座る形をとってる。

 では何故、今はこのフォーメーションを取っているのか。

 理由は簡単だ。


「では、家族会議を続けまーす」


 どこまでも陽気な母さんが言ったことが全てだ。

 家族会議。

 議題は勿論、俺の今後をどうするか、である。

 戸籍について?

 進学について?

 親戚・周辺住民への対応策?

 はは。何を仰いますやら。


「あたしはお姉ちゃんで」


 と姉さん。


「んじゃ俺もお兄ちゃんでいい」


 と兄さん。


「お母さんはそのままでもいいけど、ママでもいいわよ?」


 と母さん。


「父さんは、お父……そのままでいい」


 と父さん。


「呼び方なんてどうでもいいでしょ!?」


 堪らず叫んじゃいましたよ。

 もっと大事なことがあるだろうが!

 なんで皆ちょっと頬を染めてんだよ! あんたら馴染み過ぎだ。不信感を持て不信感を。もうこれでいっかな、とか思っちゃうだろうが。


「司」


 兄さんが真剣な表情でこっちを見た。今まで目を逸らされてたから、本当に俺なのか不審がってるのかもしれない。まぁ、それはそれでまともな反応だろう。


「今まで、殴ったりしてごめんな」

「え、あ、うん……」


 急に頭を下げたのでびっくりした。正直なところ、おやつやらゲームやらでケンカする度に殴られてきたから、そんなに好きじゃない。でも、こうして謝ってくれたんだし、俺ももう高校生だ。ここは心を広くして


「だから俺のことをお兄ちゃんと呼ん「断る」」


 許す必要はないね。うん。

 今の表現だと絶対語尾にハートマーク付いてたし。

 一方で、さもどうでも良さそうに姉さんが父さんの方に向き直ってた。


「司が妹になるのはいいとしてさ」


 いいんだ……。


「学校どうすんの?」


 良かった! 前振りじゃなかったんだね姉さん! 信じてた! これでやっと話が進むよ!


「無論、鳳雛へ進学させる」


 鳳雛高校。俺が行く予定の高校だ。兄さんと姉さんも通っていて、それぞれ来年から三年と二年に進級する。父さんの母校でもあるから、父さんとしてはどうしてもそこに行かせたい気持ちもあるんだろうし、俺もそれなりの思い入れがあるから進学したい。


「あそこにはそれなりに顔が利く。問題なかろう」


 やべえ、父さんマジイケメン! あんたの子供に生まれて良かった!


「ありがとうお父さん!」


 あ、感激のあまり昔の呼び方が出ちゃった。なんか皆から見られてるし。恥ずかしい……。


「任せておけ。理事長と校長の首を飛ばしてでもねじ込んでやる」


 これは聞かなかったことにしよう。


「じゃあ制服作らなきゃね」


 げ。


「その前に下着っしょ」


 ぐうっ。

 母さんと姉さんのコンボがきれいに炸裂した。

 ですよねー……。女体化の定番イベントですもんね……。


「よーし、買いに行こう母さん! 楽しみだなぁ~!」


 ほんと、嬉しくて涙でそう。


「あたしも行く。お母さんもその方がいいでしょ」

「そうね。助かるわ」


 なんて同盟を結ぶ母さんと姉さん。おっかしいなぁ。姉さん、俺のことゴミみたいな目で見るくらい嫌ってたんだけどな。……なんか企んでんじゃねぇだろうな。

 と、そんな俺の内心を察したのか、


「安心して、司」


 と微笑む姉さん。

 おう……。これが高校では女王と呼ばれる姉の微笑か……初めて見た。面接の人に「君が女王の弟か……」なんて言われた時は耳を疑ったけどね! 今なら納得。


「絶対可愛くしてあげるから。じゅるり」


 じゅるりって何さ!? ていうか零れてる零れてる。啜りきれてませんよお姉さん。


「ああん怯えないで司! でもそんな表情もまた……じゅるり」


 あ、こういう人なんだ。百合……なのかなぁ……。

 やだな……家族の性癖なんて知りたくなかったよ……。


「まだ時間も早いし、あと何決めましょうか? 面倒だからいい?」

「いろいろあるよね!?」


 投げやり過ぎるだろこの母親!



  ☆ 三月二十六日(月)14:10 ☆



 と、まぁそんなこんなで諸問題は父さんのごり押しで何とかすることになった。

 それでいいのか日本!

 言葉遣いや所作、手入れの講習はこの一週間で済ませるらしい。うん。まぁどうせ戻れないんだろうし、教えてくれるっていうんなら教わろうじゃないか。ドンと来い!


「てなことが昨日あったんだよ」


 そう締めてドヤ顔を作ると、目の前に座る男子は唖然とした表情で固まっていた。

 そうそうこれこれ。これこそ、本来あるべき反応だよね。受け入れすぎだよあの家族。

 この季節のこの時間、二磯町の臨海公園にはあまり人がいない。人がいればすぐわかるから、開けていることが逆に他人に聞かれたくない話をするのにはうってつけというわけだ。


「……お前、受け入れ過ぎだろ」

「?」


 何を言う。これは受け入れたんじゃない。

 諦めたんだ!

 まぁそんなことを言って馬鹿にされるのも嫌だから、取り敢えずこいつが落ち着くのを待つことにする。

 男子の名前は白水(しろうず)(なお)

 中学校からの付き合いだけど、男子の中では一番仲がいい。それはたぶん、直にとってもそうだと思う。だって他に友達いないし。こいつ。でも、だからといって直の性格が悪いわけでも、見た目が悪い訳でもない。ちょっと人付き合いが苦手なだけなんだ。じゃなかったら、俺だって友達にならないし。

 直に暴露したのは、友達だっていうこともあるけど、もう一つ。直もまた、鳳雛高校に入学するからだ。一応兄さんや姉さん、それに口封じに父さ、げふんげふん……がいるけれど、やっぱりいざって時に同学年に頼れる奴が欲しい。切実に。

 それに、こんなことで友達を失いたくないしね。


「一応、俺が司だって確認できること考えてきたけど」


 あの家族が異常だっていうことは解ってる。だからお互いしか知らないようなことをピックアップしてきた。


「いや、信じるよ」

「直……」


 やばい、ちょっと感動した。どう見たって納得しきれてない表情なのに、信じてくれるなんて。


「嘘だとしても、司って言ってるうちはセクハ……スキンシップし放題だからな」


 感動を返せ! ……なんてね。


「女の子に触れもしないヘタレがよく言うよ」


 おかげで一時期俺とこいつでホモ疑惑が立ってしまったことがある。それをネタにいじめてきた男は俺が(時に二人で)ボコボコにしたし、俺に彼女ができたり直が重度のシスコンだって女子に知られて疑惑は解消してったから良かったものの、


「女の子は守り愛でるものであって、野郎如きが触れていいものじゃないからな!」


 こいつは全くブレなかった。


「……はぁ」


 直は直で複雑なのは解ってるけど、どうもそれは内面ばっかりに偏っていて、外面というか、周囲に対して鈍感過ぎる。高校でも俺がフォローに回らなきゃな、って思うと不意に溜め息が零れてしまった。


「にしても……女体化、か……」


 まじまじと俺の身体を見る直の視線を感じる。


「な、なんだよ……」

「……」


 俺の言葉に反応して目を顔に持って来たのも束の間。直は口に手を当て、見分(?)を再開する。あ、こいつ胸見やがった。


「……」

「……」


 うわ……な、何か恥ずかしくなってきた。

 ま、まさかこいつに限って俺に欲情するなんてことない筈なのに……き、気持ち悪い。


「……何か言えよ」


 堪らず声をかけると、直は口元に当てていた手を上にずらし、目元を隠した。


「……ふっ」

「……?」


 露わになった口元は口端が吊り上っていた。

 わ、笑われてる?


「ふふふふふ……ふぁーっはっはっはっは!」


 訂正。大爆笑でした。どこのマッドサイエンティストだ貴様。


「ど、どうした……?」


 三年の付き合いがある俺でも流石にドン引きした。

 ここで他人を装って逃げ出さなかったことを褒めて欲しい。


「甘い、甘いぞ司! それはバニラのようにな!」


 どうやら魔神の方だったようです。手を避けたら片目にVみたいなマークがある、なんてことないよね? いくらシスコンでもそれで世界を敵に回したりはしない筈だ。


「バニラ単品では全く甘くないぞ?」


 匂いが甘ったるいだけだ。てかこいつ料理できるんだから知ってるだろ。……テンパってんのな。


「バニラアイスもバニラプディングも甘いだろうが。そんなことより司。お前のことだから、自分が女体化主人公だとでも思っているんだろう?」

「お、思ってねーよ」


 そんなことになったら悲惨な体験をするに決まってるからな。薄い本基準なら特に!


「嘘を吐け! 美少女だぞ!? 中の人が司じゃなかったら舞以上の美少女を見たことが無い俺でさえ胸キュンしかけた美少女だぞ!? 鏡の前で言ったはずだ……女の子になってるぅぅううううう!? となぁ!」


 テンション高ぇなこいつ。

 まぁ触れられない、シスコンを除けば女の子大好きだからな。でもこれ以上は流石にウザい。止めておくに限る。


「言ってねえよ」


 ショック過ぎて忘れたけど、俺の身体が、消えた……? 的なネタを言ったはずだ。たぶん。


「つーか中の人言うなし。胸キュン言うなし」

「ふん」


 あ、止める気ないなこいつ。わかるよ。混乱してる頭をふざけることで誤魔化そうとしてるんだろ。俺もそうだったから。


「道を行く人がお前を見るたびに振り返り、その愛らしい容姿、愛でたくなる小柄な肢体に不釣り合いのでかい胸に魅入っていたはずだ。そして思った筈だ! ふぇえ、な、なんか変かなぁ……と!」

「馬鹿」


 多くは言わない。


「馬鹿」

「な、なんで二回言った……」


 おお、意外と冷たい態度っていうのは効くみたいだ。しかし、こいつの言う通り行く先々で注目を集めてしまうのは参った。ただ、それは俺のせいじゃなくて姉さんのせいなんだけどね。


「お、思うか馬鹿。つーか変に決まってんだろ」


 なんであんなに姉妹で似てないんだ、とかそんな所だ。店員さんもそう漏らしてたし。でも、胸に視線が来てたのは分かった。それに計測。思い出しただけで恥ずかしい。


「ふっ」


 思い出し羞恥に俯いてしまった俺に何を思ったのか、直は笑い声を零した。


「だが、敢えて言おう。……お前は」


 そしてビシッというSEサウンドエフェクトが聞こえるような勢いで俺を指さし、


「可愛くはない!」


 と言った。


「……ふぇ」

「……え?」

「ふぇえええ」

「え? え?」

「ふぇ、ふぇええええ」

「ふ、ふん、わ、分かっているぞ。ど、どどどどうせ演技だろう」

「びぇえええええええ!」

「ご、ごめん司、俺が悪かった。嘘、嘘です。すっごい可愛い。ものっそい可愛いよ。本当、中の人がお前じゃなかったら好きになっちゃってたかもっつーかもう一目惚れしかけてたっつーか」

「嘘泣きに決まってんだろボケ」


 ふぇえが許されるの幼女だ。しかし、こんな嘘泣きに引っかかるなんて。逆に心配になってきた。こいつが惚れた女に騙されないか、ちゃんと見張るしかないのかな……。


「き、きさん……!」


 おお、怒ってる怒ってる。顔真っ赤。


「ったく……。慰めるならもっと言い方があるだろうが」

「っ」


 なんでそれを、ってモロに顔に出てますよ直くん。耳まで真っ赤にしちゃって。


「普通に……見た目なんか関係ない。お前が女になっても俺はお前の友達だ、って言えばいいんだよ」

「そ、そうか……ちっがーう! 慰めようとなんてしてない! ただお前が」

「ふぇ……」

「え!?」

「馬鹿」


 ビビりすぎ。



  ☆ 三月二十七日(火)06:44 ☆



 翌日。

 朝早くに来たメールに起こされて、俺は待ち合わせの場所に向かった。

 メールは直から。内容は『臨海公園にきてはやk』というもの。

 なんというか、メールすらも分かりやすい奴だと思った。いくら焦ってても、句点とか変換はしましょう。情報は速さと同時に正確さが命だよ。

 とか考えながら、正直俺も内心焦っていた。直は鈍感で、基本的に焦ったりしないからだ。昨日のは混乱してたから同じ状況になれば誰だって焦るだろう。あくまで俺の家族がおかしいんだ。だから、昨日の今日で焦ったメールを直が送ってきたことに、俺は焦っていた。


 混乱を引きずって、何かをやらかしたのでは。


 そんな不安を抱えながら走り、俺は臨海公園に到着した。早朝ということで人も少ない。ランニングしてる短髪の男性や犬の散歩をしてるポニーテールのお姉さん、公園のベンチに座る背を向けた黒い長髪の女の子に、準備運動をしてるランニングウェアの男の子。

 直の姿はない。

 荒い呼吸を整えながら、空いてるベンチに座る。姉さんに借りたウインドブレーカーを着てきてるおかげで変な目で見られることはなかったから良かった。ただ、胸がちょっと辛い……。

 もう一度探すために見渡してみると、斜向かいのベンチに座る黒髪の女の子が目に映る。


 それだけで、目が奪われた。


 あの子がそこにいるだけで、周りの景色が霞んでしまう。よくよく見てみると、周りの人たちも彼女から視線を外せずにいるみたいだった。もう一度視線を向けると、女の子と目が合ってしまった。何か聖なるものを汚してしまった罪悪感みたいなものが湧き上がると同時に、緊張と興奮で乾いてしまった口を湿らせようと生唾を飲み込む。

 外せない視線。

 少女はゆっくりと立ち上がり、何を思ってかこちらに近づいてくる。

 不審がられた?

 沸き起こる謂れの無い不安と、近づいてくるというただそれだけの事実で発生する動悸。

 ただ不釣り合いなはずの大きなランニングウェアも、彼女が着ればゆるめのスタイルとして映り、違和感を覚えない。

 やがて俺の目の前に迫った少女は、怯えたように視線を逸らしたかと思うと、下唇を噛んでなにかを逡巡。再び視線をこちらに向けた時には、その瞳には涙が浮かんでいた。


「……助けてくれ、司……!」


 時間が止まったかと思った。

 その時間は、数秒にも満たないのかもしれないし、数分は経っていたかもしれない。

 考えることはできなかった。だから、そう尋ねることができたのは、いわば条件反射みたいなものだ。


「……直、か……?」


 美少女はゆっくりと弱弱しく、しかし確かに……頷いた。

 な、なんだってーー!?

 やっぱダメだ。誤魔化せないわこれ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ