前篇
砂漠の中に大河が流れ、緑生い茂る豊かな土地と河の恵みをもたらす国が、まだその名を持ってもいなかった頃のお話です。
どこからともなく流れ込んだのは、豊かな黒い土と、いくらかの人間たちでした。変わらず土は運ばれ続け、変わらず人はそこでの暮しを始めたのでした。
人々の暮しの中で、やがて貧富の差が生まれ、そうしていつしか王様が生まれました。何人かの王様と、いくつかの小さな国が出来ました。黒い土と、人々は、変わらず流れ込んでゆきました。
そうして、何十年、何百年と、月日は流れてゆきました。
ある国の王様は、御妃様を待ち侘びておりました。遥かに遠い外国から、はるばる海を越えて、砂漠を越えて、輿入れをなさるのです。けれど、御妃様は、いつまで待っても、王様の所へはやって来ないのでした。
洪水の季節が過ぎ、収穫の季節が過ぎ、やがてまた、洪水の季節がやって来ました。そうして、ようやく王様は、美しい外国の御妃様をお迎えになりました。
王様は不機嫌でした。これでは御妃様の国との貿易など出来はしないと思われたのです。けれど、御妃様は言いました。
「我が夫となりし異国の王よ、聞いて欲しいのです。」
そうして、御妃様は、砂漠で出会った不思議な者たちの話を王様にお聞かせしたのでした。
「これは私がこの国へ嫁ぐ事に決まった時のことです。私には姉と妹が沢山おります。そして、兄と弟も沢山いるのです。」
異国へ嫁ぐ姫君の護衛には、その兄弟の三番目の兄が就きました。姫君のすぐ上の兄でした。世界中に、まだ国と呼べるものがありません。姫は小さな部落の長の娘の一人です。
護衛の若者たちに囲まれて、姫は驢馬で草原を渡ります。そんな時、運の悪い事が起きてしまいました。馬に跨る屈強な砂漠の民が、刀を抜いて、駆けて来るのが見えたのです。砂漠の荒野を砂塵と共に、嵐のように姫の一行に襲いかかってきたのです。
姫を護る若者たちは、為す術もなく、殺されてゆきました。
「イルナージャ、逃げるんだ!」
隊を指揮する姫の兄は、馬上の敵と切り結び、鋭い声で叫びました。
姫の目の前に、兄の王子は斬り倒されて、どぅ、と地面に倒れます。
「兄上!」
立ちすくむ姫の前に、兄の仇の男が馬から飛び降りました。
姫には通じない言葉でこの男は叫びます。
後ろから来た護衛の者も、あっさりと殺されてしまいました。
戦いは、すぐに終わりを告げました。護衛の者は半分になっております。男はほとんどが殺されて、従者の女と下僕の少年だけが生き残りました。姫の一行はたったの六人になってしまったのです。
「おい、お前。……赤い山から来たか?」
たどたどしい言葉で、男は姫の国の言葉を少しだけ喋りました。
「私は遠く砂漠を越えたイルハンの者です、お前達が殺したのは私の護衛の者と、私の兄です。父はきっとお前達をお許しにはならないわ。いいえ、私を待ち侘びておられる遠つ国の王が、黙ってなどいないでしょう。」
姫は、精一杯の勇気で男に答えたのです。男は憎らしげに笑って言いました。
「イルハン、聞いたコトない。殺されるのは、弱いからだ。」
姫の言葉が通じたのでは、ありません。男は当てずっぽうに姫の怒りを嘲笑ったのです。
姫君の話に、王様は嫌悪を抱かれお聞きになりました。
「いったい何者なのだ? 我が王妃となる姫を、そのように辱めるとは許し難い。」
御妃様は、けれど王様を諭すようにお手をお取りになりました。
「いいえ、王様。私の話はまだ続きが御座います。お怒りは、その話を全てお聞きになってからにして頂きとう御座います。」
姫の顔には微笑みが浮かび、決してその者達を恨んでなどいない事を、王様にも教えているのです。
「確かに、兄を殺した仇ではあるのです。けれど、私が王様の元へ、無事に辿り付けたのも、また、その者のおかげなのです。」
不思議に思われた王様に、姫君はまた、話し始めました。
男はしばらく考えた後に、他の一味の者達に何かの指示を出したようでした。
そうして、姫君にはつたない言葉でこう言いました。
「お前、ナイルの国に行くか? 向こうの嫁になるか?」
彼は姫君が、ナイルの岸の一番大きな国の王に輿入れする一行だったことを、この時初めて知ったようでした。姫君は頷きました。若い赤毛の男は、また、一味の者を集めて相談を始めます。
しばらくすると、また姫君に言いました。
「お前の国送る。他の奴だけ。お前、宝と引き換え。いいか?」
そして、故郷に帰る者を姫君に選ばせました。姫君が選んだのは、下僕の少年と家族のある者数人です。
「生き残った全ての者を、私の国に帰しなさい。私がナイルの国の王に話して、お前の望むだけの報酬を送って頂きましょう。私の国には、お前の望むだけの物はないかも知れません……。」
男はまた暫くの間考えていました。
どうやら、姫君の言葉を理解するのに少しばかり考えなければならないようでした。
「解かった。お前の仲間、売らない。全部返す。宝、お前の国から貰う。……ナイルの国、お前、戻ってから行け。」
彼等は、ナイルの国々とは戦いたくないようでした。特に、姫君の輿入れする国の王様は、ナイルのさまざまな国よりも強いのだという事を知っているのでした。きっと、さまざまな国を彼等は襲っているのでしょう。
そうしている間にも、彼の仲間は死んだ者から、武器や身に付けた物を剥ぎ取っているのです。男も、姫君の兄から、高価な腕輪を抜き取りました。
「兄の物を奪うなら、その事をナイルの王に告白し、お前達を討伐して頂きますよ!」
姫君は鋭い声で叫びました。また少し考えてから、男は笑って答えます。
死人はナイルの国へは入らないから、ナイルの王は文句は言わない、と。
剣を奪い、首飾りを取り上げた時、姫君はとうとう泣き出してしまいました。このような屈辱は耐え切れないのでした。