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不器用なこの距離で  作者: 空谷陸夢
Story 2. 珈琲
5/12



なんて考えていると、「あ、ここですね」と女の子が声をあげた。二階のロビーからあまり距離がないこの研究室は、全面がガラス張りになっていて、廊下を歩く人物が丸見えだ。この階に限らず、このセンター全体がそういう作りなのだろうけど。

中にいた職員が私たちに気付き、気を利かせて研究室のドアを開けてくれた。



「あの、秋月先生に言われて来たんですけど」



私が中に入って職員にそう言えば、職員は「ああ、聞いてますよ」と笑顔で返してくれた。と思ったら、すぐにその視線が私の後ろにいく。学生のことを聞かれるのかと思って振り向くも、そうではなかったようだ。私の後ろにいたはずの学生二人はとことこと研究室の中に入っていき、ドアのすぐ横に段ボールを下ろしていた。代わりに私の後ろにいたのは、電話で『案内する』と言っていた張本人の恩師だった。



「あれ、もう来てたの」

「先生が先に行くように言ったんでしょう」



恩師の言葉に呆れが重なって、先ほどまで段ボールを抱えていた疲れが増す。恩師はそんなことは気にせずに、「ああ、そういえばそうだったねえ」なんて呑気なことを言っていた。とにかく、さっきの学生にお礼を言おうと思って横を向けば、それよりも先に恩師の声が飛んできた。



「あ、三神先生。どうも」

「ああ、秋月先生。どうも」



恩師の視線の先には、恩師と同じくらいの年の男性がいて、その隣にさっきの学生が立っていた。男性は恩師の向かいに立っている私に目を向けて、思い出すように首を傾げる。



「ええと、君は確か……」

「芹沢です。三神先生。学部生のときに先生の授業も取ってましたし、お話も何度か」

「ああ、そうだそうだ。芹沢くんか。ああ、そうか。君もここに来るんだったね」



はい、と答える前に、すでに三神先生の視線は恩師に戻っていた。



「そうだそうだ。年明けの会議のときに、先生が推してた芹沢くんだ」

「止めてくださいよ。そんな『ごり押しした』みたいな言い方」

「『ごり押し』なんて言ってないじゃない。でも、『ねじ込む』って後で言ってたのは君でしょ」

「だって、芹沢くんがどうしても欲しかったし。というか、知ってて能力のある人って一番ベストじゃない」

「ほら、そんな言い方したら、『ごり押し』って言われても仕方ないよ」



周りにいる私や学生のことなんて気にしないで、大の大人二人が言い合いを始める。そのレベルは、もはや中学生レベル並に程度の低いものになっていた。お願いだから、本人やこれからその同僚になる人たちの前で、『ごり押し』だの『ねじ込む』だのだなんて話すのはやめてほしい。

二人の言い合いに呆れて、声を掛けようとしたとき。コンコンコン、とガラスの窓を叩く音がした。その音に、大人二人が言い合いを止めてその方向に目を向ける。



「三神先生、ゼミ生が探してましたよ。先生が時間指定したのに研究室にいないって。私に言われても困るんですけどね」



さっきの女の子が、窓を小突いていたままの体勢で、にっこりと笑って言った。この場に不釣り合いなくらいの優しい笑みの向こう側に、明らかな呆れと若干の苛立たしさが見える。隣に立っていた男の子も、女の子を横目で見て苦笑いしていた。



「あ、本当だ。ごめんごめん」



その様子を見て取った三神先生が、慌てたように女の子に謝る。秋月先生も女の子に向けて引きつった笑みを見せている。



「じゃあ、また後で。秋月先生」

「あ、うん。また後で」



三神先生と秋月先生が挨拶を交わして、三神先生が研究室のドアへと向かう。その後ろを女の子と男の子がついていって、すれ違いざま、女の子がおかしそうに笑って、男の子は呆れたように笑って、こちらに会釈してきた。

三人が出ていく後ろ姿を見送っていると、横から「芹沢くん」と声を掛けられる。



「彼がこのセクションの班長さん」



振り向いてすぐに、秋月先生がさっきドアを開けてくれた男性を紹介する。男性に「どうも」と会釈をされて、私も同じように会釈を返す。男性は津村といって、津村さんも三神先生たちが出ていった方向を見ていたらしく、秋月先生の声にぱっとこちらを向いていた。



「秋月先生に『ねじ込んで』もらった芹沢です。こちらの都合で半年も空けてしまって、すみませんでした」



さっきの言い合いを引き合いに出せば、津村さんはおかしそうに笑って、秋月先生は『ん?』という顔をした。



「いえいえ。芹沢さんの論文は拝見しました。秋月先生が欲しがるのも納得ですよ。これから、よろしくお願いしますね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」



二人揃って挨拶を交わしている横で、秋月先生が「うんうん」と嬉しそうに頷いている。



「さ、簡単に話でもしようか。あ、これ、言ってた資料とファイルだから、仕舞っておいてね」



二人の挨拶が一応の終わりを見せたのを機に、秋月先生がにこにこと切り出した。

研究室の奥へと歩いていく秋月先生が、歩き出す前に私が持ってきた二つの段ボールを指差して津村さんに声を掛ける。津村さんが「はい」と頷いて、研究室にいた院生らしき女の子にそれを頼む。そのまま、津村さんは私と秋月先生について研究室の奥へと歩いてきた。

十台ほどのデスクがある研究室の奥には、パーテーションで区切られた応接スペースがあった。先に秋月先生がそこへ入り、続いて私と津村さんがその中へと入る。秋月先生と私が向かい合って座り、少し遅れて入ってきた津村さんは私の隣へと腰を下ろした。



「これ、ペットボトルですみませんけど」



津村さんが私と秋月先生にペットボトルのお茶を差し出す。受け取ったお茶はひんやりと冷たくて、今まで研究室の簡易冷蔵庫に置いてあったらしいことが分かる。



「さて、センターの概要は分かってると思うし、バークレーでも似たようなとこにいたみたいだから詳しい説明は省くね」

「はい」



あまりにも適当すぎる切り出しに呆れはしたけれど、もう気にしないでおこうと返事をする。それから秋月先生はお茶の蓋を開けて、『お願いね』とでも言うように津村さんの方を見た。



「ここに来るまでで分かったと思うけど、ここは地域ごとにセクションが別れてて、芹沢さんが所属するのはこの欧米エリアね。他は、アジアやアフリカ、ラテンもあるし、ネイティブ部門だな。基本的な業務は向こうの研究所でやってたことと変わらないと思うから、気負いすることはないよ。もちろん、研究員はここにいるだけじゃなくて、ここの大学の先生もセンターに関わってる人はいるから」



津村さんが秋月先生に代わって、応接スペースのテーブルに置いてあった研究センターのパンフレットを開きながら説明してくれる。それに相槌を打ちながら、パンフレットにも視線を落とした。



「地下には大会議室が一つと40名程度の会議室が三つに30人規模の会議室が一つ。その内の二つは繋げて使うこともできるな。滅多に使わないけど。で、地下の一つはビデオ会議なんかにも使うね」

「それじゃあ、私の面接もそこで?」

「うん、そうだよ。それで、二階は研究室のフロアだけど、他には事務室とラウンジがあるよ。三階が30人規模のものが二つと大会議室が一つ。大会議室は二部屋に分けても使える」

「あの、それって、何かまとめたやつあります?」



施設案内すらされてない状態で中身だけ言われても、何も整理できない。そのまま続けられそうな勢いにストップを掛けて、私が利用案内のようなものを求めると、「ちゃんとあげるから安心して」とおかしそうに笑われて返された。



「もう知ってるだろうけど、ここは大学生協のコンビニや書店と同じ建物だから、センターには建物内の自動ドアから簡単に入れる。一応地下と三階に続く階段の前には関係者以外立ち入り禁止の札を立ててあるけど、変な奴見かけたらすぐに事務室に伝えてね」



そう言われて、ここに来る前に見た学生で賑わっているコンビニやそこまでの通路を思い出す。確かに、センターの入り口はその通路の真ん中ほどにあった。



「二階には来れるようになってるんですか?」

「うん。じゃないと、非常勤で授業してる先生に質問に来れなかったりするから」

「ああ、そっか」



遅まきながら、自分もその立場なのだと気付き、津村さんの言葉に頷く。



「そんなものかな。あとは、会議室って言ったりセミナールームって言ったりするけど、同じことだから部屋番号だけ覚えてもらったらいいからね」

「分かりました」

「じゃあ、今日はデスク周り整理してもらったら、センターの中見て回ってもいいし、他に仕事しててもいいよ。来週から、本格的に入ろうか」



その言葉を合図に、簡単な説明が終わった。






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