其の女の赤
(ラッキー、なんだよな、俺…)
トボトボと駅に向かう途中、ふと夜空を見上げる。
都会の空は曇っていて、何も映し出してはくれない。
就職氷河期。その中で掴み取った中堅どころの内定。
喜ぶべきであろう。
だがやはりそこでもルッキズムの壁が桂に大きく立ちはだかった。
(くそ…俺だって好きでこんな見た目に生まれたわけじゃない…)
桂はリュックのショルダーをギュッと握りしめるとキッと虚空を睨む。
人通りの殆どない裏道を抜けて駅までショートカットしようとして、ふとClosedの札の掛かった喫茶店で足を止める。その窓に映る自分の姿が目に入る。
(どんなに凄んでも⸺結局こうなんだよな…)
窓ガラスにはドレスを着せたらそれはそれは映えるであろう容姿の自分が写っていた。
大きくため息をついた、刹那。
「ギャアッ!!」
路地裏から響く悲鳴に思わずそちらを見やる。
野太い男の悲鳴。
バタバタと駆けてくる足音。
「ひいぃっ…助けて、助けてくれ…!!」
男は左耳を抑えながらもつれそうな足取りで走り去ってゆく。
鼻孔に漂う鉄サビの匂い。
いや、これは…。
男の走り去った方を見るとそこには点々と、赤。
血液。それがくっきりと残されていた。
その体液は放射冷却で冷やされた地面よりも熱を持っているのか、かすかな湯気をたてている。
ゴツ、ゴツ。
路地裏からもう一つの足音。
ゆっくりとこちらに近づいてくる。
桂は何が起こったのか皆目見当もつかず、その場にへたり込んだ。
やがてその足音の主が姿を表す。
⸺女、だった。
身の丈は180cmほどあるだろうか。
ドクターマーチンの10ホールの厚底が鳴らす、ゴツ、ゴツという無骨な音に似合わず、網タイツを纏ったその脚はスラリと長い。
おずおずと視線を上げていくとタイトな革のショートパンツ、黒のキャミソール、逆十字のチョーカー。そして⸺
とても端正な顔立ち。青い瞳にスラリとした鼻筋。
口元はくちゃくちゃと何かを咀嚼している。
そしてその中で特に目を引いたのは髪。それは真っ赤に染められていた。
路上に落ちた血痕よりも、赤い⸺。
はた、と女と目が合う。
ゴツゴツとブーツの底を鳴らし女が近づいてくる。
と、女がプッと何かを吐き出した。
ガム?恐る恐るそれを見やると⸺
「あ…ああ…」桂の口から声にならない声が漏れる。
それは明らかに、耳朶の一部。
4月の夜の生ぬるい風が吹く中、冷や汗が止まらなくなる。
「おい。」
不意にその女が口を開く。
粗雑な言葉遣い。
「おい、ってんだろ。今見たこと誰にも言うんじゃねえぞ」
桂が言葉を返せないでいると女はへたり込む桂の前でしゃがみ、
耳元で「ハロー?聞こえてる?おーい」と囁いた。
そして、「詰まってんのか?これ?」とベロリと桂の耳を舐め上げた。
「いっ…」その生暖かさに思わず発した声。
「聞こえてんじゃん。さっきのこと、誰にも言うなって言ってんの。OK?」
ふわり、と漂う香り。香水だろうか。濃厚で官能的で、どこか獣のような香り。
コクコクと頷くことしかできない桂を一瞥すると女は
「よろしい」と言って立ち上がろうとした、刹那。
桂は見てしまった。
その女の右肩に青々と刻まれた球体人間の入れ墨を。
「球体…人間の…」桂が声を絞り出すと、女は「あ?」と凄む。
その次の瞬間、ドサリ、と音がした。
「おい!お前!ったく…」
女の声が遠くなる。
桂はそのまま意識を手放した。




