「お前の悪行はすべてわかっている! 婚約破棄だ!」「へくちゅんっ」──嘘でくしゃみが出る呪いのせいで、殿下の断罪がまったく決まりません!?
「公爵令嬢ナタリア・エルレイン、お前が起こした数々の悪行、許すわけにはいかない! お前との婚約を破棄す──」
「へくちゅんっ!」
殿下の言葉にかぶせるように、私、ナタリアはくしゃみをしてしまいました。
ここは宮殿、貴族たちが集まる夜会の場。
破棄を告げたのは、この国の第一王子、エミール殿下です。
「……っ」
せっかく勇んで宣言したのに、出鼻をくじかれ、殿下は一瞬固まります。
ですが、すぐに気を取り直し、私への糾弾を再開されました。
「お前は僕とユッテの仲に嫉妬して、彼女に数々の嫌がらせをした! 彼女の本を破り捨て、ポーチの中に蜘蛛を入れ、彼女を池に落としておぼれさせようとした! すべて僕はわかっているんだ!」
「くちゅんっ!」
ユッテとは、グレイス男爵家のユッテ・グレイス男爵令嬢のことでしょうか。
最近殿下と懇意にしているとの噂が立っており、私もまさかと怪しんでいるところでした。
それはともかく、またくしゃみが出てしまいました。
「……っっ」
殿下は再び気勢をそがれた様子で眉を寄せられます。
咳ばらいをし、襟を正して姿勢を直し、もう一度私へと向き合われます。
「すべての罪を知った後、僕は確信した。お前は稀代の悪女だ! お前のような女は、僕の婚約者にも、王子妃にもふさわしくない!」
「へくちゅんっ!」
「……~~っっ!」
周囲からくすくすと笑い声が聞こえてきます。
殿下はしびれを切らしたように、私をにらんで仰られました。
「ナタリア、お前、ふざけてるのか!? それとも僕をおちょくってるのかっ!?」
「いいえ、私はいたって真面目です。殿下の方こそどうかなさっておいででしょう。でっち上げの罪で人を貶めるなど、とても王族の行いとは思えません」
「黙れ!」
私が動揺しないことが気に食わないのか、殿下は声を荒げられました。
ですが、殿下が何かを企んでいることは、私、感付いていたのです。
この場へは覚悟を決めてやって来ました。
どれだけ恫喝されようと、屈するつもりはありません。
「僕は嘘などついていない! お前こそ、自分の罪を潔く認めろ!」
「はくちゅんっ!」
「って、こら!」
またもやくしゃみが出てしまったため、思わず声を上げて突っ込まれます。
「ええい、もういい! ユッテ! ユッテはどこか!」
「はぁーい、殿下。お呼びですか?」
そこで殿下が名を呼ぶと、人をかき分け、栗色の髪の男爵令嬢が現れました。
ユッテ・グレイス男爵令嬢。
貴族らしからぬ軽い調子で殿下の傍にやってきた彼女は、人目もはばからず殿下の腕に両手を回します。
「ユッテ、お前を池に突き落としたのは、このナタリアで間違いないな?」
「はい、そうです! こちらのナタリア様が背中を押して、私を池に突き落としたんですぅ!」
「くちゅんっ! ……ちなみにそれは、いつのことですか?」
私がくしゃみをしながら尋ねると、ユッテ嬢は自信満々で答えました。
「先月の末日。ちょうど太陽が真上に上るころですわ!」
「くちゅんっ! ……背中を押されたのに、私の顔をどうやって見たというのですか」
なるほど日付は私のアリバイがない時を選んだようですが……色々と詰めがお粗末のようですね。
「い、池に落ちた後、振り返って見たんですぅ! それより、ナタリア様……まだ暑いのに、風邪気味なんですかぁ?」
「へくちゅんっ!」
いいえ、これは風邪などではありません。
ついでに言うなら、花粉症でもありません。
実を言うと、このようにくしゃみが出てしまうのは、ある意味、殿下とユッテ嬢のせいなのです。
この場には、私のくしゃみの理由を知っている宮廷魔術師の方も何人かいらっしゃいますが……さすがに王子殿下に口を挟むのははばかられるようで、誰も割って入る様子はありません。
私に味方してくれる人はいない──その事実を改めて自覚すると、ほんの少しだけ足がすくみますが、それを殿下に悟られるわけにはいきません。
私は小さく息を吐き、エミール殿下へと問いかけました。
「殿下、一つうかがってもよろしいでしょうか」
「何だ」
「そちらの女性……ユッテ・グレイス男爵令嬢と、ずいぶん仲がよろしいようですが、私との婚約を破棄された後、彼女を王子妃になさるおつもりですか? たとえば、『真実の愛を見つけた』などという理由で」
「……よくわかっているじゃないか」
殿下は得意気な様子で言いました。
「そうだ、僕はユッテとの真実の愛を信じている! 彼女はいつも優しい笑顔で僕に笑いかけてくれる! お前のような鉄仮面のポーカーフェイスとは違うんだ!」
「……そうですか」
今の殿下の言葉を聞いても、くしゃみが出ません。
このことは、とある一つの事実を表しています。
「では、グレイス男爵令嬢。あなたは殿下を愛していらっしゃいますか? 殿下の仰る『真実の愛』を、あなたも同じように持っていると?」
「もちろんですわ! ナタリア様には申し訳ないですけどぉ……私の方が殿下のことを、もっとずっと愛しておりますわ!」
「へくちゅんっ!」
「……ナタリア。お前、さっきから本当に失礼だぞ、そのくしゃみ!」
いいえ、不可抗力です。
……なるほど。ユッテ嬢の言葉の後では、くしゃみが出てしまいました。
こちらもまた、ある一つの事実を表しています。
「お待ちください」
するとそこで、別方向から声がかかりました。
その声の方に振り返った時、私はハッと目を見開きました。
声の主、聴衆の集まりから進み出たその人は、第二王子テオバルト殿下。
金髪のエミール殿下とはまったく似ていない、黒髪で鋭い目付きが印象的な、同い年で腹違いの弟君です。
(……どうしてテオバルト殿下がここに)
王族も出席するこの夜会、第二王子がいるのはおかしなことではありません。
ですが、テオバルト殿下は、こういった社交の場に出席することはほぼありませんでした。
殿下はあまり騒がしい場を好まれず、交流も最低限に留めているとご自身で仰っておられました。
それゆえに、今夜も欠席されるとばかり思っていたのです。
(今夜の茶番や私の醜態を、テオバルト殿下には見せずに済むと思っていたのに……まさか出席されていたなんて)
テオバルト殿下は私に会釈し、エミール殿下を一瞥すると、壇上で事態を見守っていた国王陛下に向き合いました。
「国王陛下に申し上げたき儀がございます。発言をお許し願えますでしょうか」
「申すがよい、テオバルト」
陛下は小さくうなずき、許可を下されます。
エミール殿下とは異なり、きちんと礼節を踏まえた手順。
逆に言うなら、エミール殿下は国王陛下がいらっしゃるにもかかわらず、無作法な婚約破棄を強行しようとした。
この時点でお二人の格の差は知れたようなものですが、テオバルト殿下は一瞬だけ逡巡するように目を伏せた後、覚悟を決めたように口を開かれました。
「──先刻から現在までの、我が兄、エミールの発言。これらはすべて、ここにいるナタリア嬢を貶めるための虚言です。王族としてあるまじき、人として許しがたき所業。兄には相応の処罰を願いたく存じます」
「えっ」
「なっ、いきなり出てきて何を言っている、テオバルト!」
エミール殿下の言葉は、すべてが嘘──どうして、テオバルト殿下がそれを知っているのでしょう。
それがわかるのは、『私のくしゃみの秘密』を理解する何人かの魔術師くらいのはず。
テオバルト殿下とは何度か任務をご一緒して、このくしゃみの元凶となった、とある事件にも同席されていましたが、その秘密までは知らないはずなのです。
私は驚き、声を漏らします。
一方、まさか関わりの薄い弟君に断罪されるとは思わなかったのでしょう。エミール殿下も驚愕の声を上げられました。
「……テオバルトよ、今のわずかなやり取りで、なぜすべてが虚言だと断言できるのだ? そもそもそなたは二人の婚約には関わりがないであろう。理由を述べよ」
「はっ」
テオバルト殿下は胸の前で拳を示し、国王陛下の問いに答えられます。
彼の返答は、たった一文の単純なものでした。
「それは、ナタリア嬢がくしゃみをされたからです」
「……」
「……」
「……うん?」
陛下は困惑した様子で首をかしげられました。
「て、テオバルトよ、もう少し、わかるように説明してくれぬか」
「失礼しました、陛下。言い換えますなら、ナタリア嬢のくしゃみは、いわば嘘発見器なのです。彼女は『嘘に反応してくしゃみが出る呪い』にかかっています。兄がナタリア嬢の罪に言及するたびに、彼女は何度もくしゃみをしていました。すなわち、それらの罪とはすべてが嘘。兄のでっち上げということになります」
「はぁ? な、なんだよそれは!」
エミール殿下が叫びます。
「そんな馬鹿みたいな呪い、あるわけないだろうが! だいたい、どうしてお前がそんなことを知ってるんだよ!? 嘘をつくならもっとマシな嘘にしろ!」
……いえ、あるのです。
馬鹿みたいですけど、私、そんな呪いにかかってしまっているのです。
やはりというべきか、テオバルト殿下は、私のくしゃみの秘密を知っておられました。
ですが、どこでそれをお聞きになられたのでしょう。殿下は剣の腕は立ちますが、魔術には疎く、魔術師の知り合いがいるとは聞いておりません。
(……それとも、独力でお気づきになられた……?)
まさかと思いつつ、私はこの呪いの発端になった事件を思い起こします。
それは今から十日前。
私と殿下が、とある魔術師の屋敷に出向いた時のことです。
──その魔術師は、違法な魔法薬を生成しているとの疑いがかかっており、調査が進んで逮捕の嫌疑が固まったところでした。
私は現場にて魔法薬の鑑定をするために、テオバルト殿下は身柄を拘束する騎士団の部隊長として、ともに屋敷へと足を運びました。
この国では、魔法を使えるのはごく一部の貴族のみで、魔法にかかわる事件には、私のような貴族令嬢が呼ばれることもあるのです。
また、テオバルト殿下は、王族ながらも現場に立つことを自ら望まれていて、それゆえ騎士団に所属されておいででした。
その屋敷で、私は鑑定魔法を使い、薬の違法性を確認します。
進退窮まった魔術師は、逃走を試み、私に向けて近くの薬袋を投げつけました。
幸いにも怪我をすることはありませんでしたが、その薬こそ彼が開発した『嘘に反応する呪いの薬』だったのです。
その粉薬をかぶった私は、数か月間『嘘をつかれるとくしゃみが出てしまう体質』になってしまったのでした。
「──私が調べたところによりますと、その呪いは他者に感染するものではなく、また、呪いの効果も時間が経てば自然消滅するそうです。ナタリア嬢がここにいることにつき、何ら問題はありませんので、まずはそのことをご理解願います」
テオバルト殿下はそう言って、さりげなくこちらをフォローして下さいます。
なお、件の魔術師はテオバルト殿下の手で逮捕され、それ以上私に害が及ぶことはありませんでした。
「ふむ……要するに、先程からナタリア嬢がくしゃみをしているのは、エミールの言葉が嘘で、その嘘に反応したからだと。そう言いたいのだな?」
「はい」
「いや、そんな馬鹿な……」
テオバルト殿下に対し、エミール殿下は半笑いで否認されますが、彼は兄殿下に一枚の書簡を突き付けます。
「──これは、ナタリア嬢の呪いについての診断書を兼ねた報告書です。ご覧の通り、これには王家直属の魔術師たちの署名も入っています。兄上、これが嘘だと仰るなら、この書面をくつがえすものを持ってきて下さい」
「ぐっ……」
客観的証拠に加え、突き刺すような鋭い視線に、エミール殿下はたじろがれます。
(やっぱり、殿下はご自身でお調べになって、たどり着かれたんだわ……。そして、王家の魔術師たちにも確認を取り、その証拠を公的なものとして確立した。でも、一体何のために……?)
「ちなみに、先の会話の中で真実が一つだけありました。それは、兄上がユッテ嬢を愛しているというくだり。そこだけナタリア嬢のくしゃみは治まっておりましたので、兄上のユッテ嬢への好意は本物なのでしょう」
「まあ……!」
そんなテオバルト殿下の言葉に、ユッテ嬢はどこか大げさに喜ばれます。
「ですが、逆にユッテ嬢が兄上を愛すると述べた際には、くしゃみが出ていました。とすると、ユッテ嬢は兄上のことを愛していないことになります。つまり、真実の愛とやらは……残念ながら兄の錯覚かと」
「なっ……」
「えっ……!」
エミール殿下は「まさか」という顔で、ユッテ嬢は「しまった」という表情で、それぞれ顔を見合わされます。
「ゆ、ユッテ! 僕を愛してくれていたんじゃなかったのか!」
「え、ええ……もちろんですわ、殿下! もちろん愛しておりますとも!」
「へくちゅんっ!」
「「……あ」」
「と、このように。嘘に反応してくしゃみが出てしまうわけなのです」
テオバルト殿下は証明完了とばかりに、国王陛下に仰られました。
「……なるほどな。よくわかった」
そして、国王陛下はやれやれといった様子で、渦中のお二人に処断を下されました。
エミール殿下は自室にて謹慎。
ユッテ嬢は身柄を拘束。
正式な処分が下されるまで、お二人とも外部との接触を禁ずるとのこと。
おそらく殿下は、王族の身分を剥奪され、平民への臣籍降下かそれに近い処分となるでしょう。
ユッテ嬢も、殿下と共謀し私を陥れようとした罪で、身一つでの、あるいは殿下と二人での追放処分は免れないはずです。
ちなみに、ユッテ嬢は地位と権力目当てにエミール殿下に取り入ったことが後々の証言で明かされます。
エミール殿下には気の毒ですが、そこはもう自業自得としか言い様がありません。
「ち、違う! これは違うんだー!」
「くちゅんっ!」
「そ、そうよ! 私は無実よ! 何も悪いことはしてないわ!」
「へくちゅんっ!」
殿下とユッテ嬢は、屈強な近衛兵たちに拘束され、外へと連れて行かれます。
嵐のような怒濤の展開に、当事者であるはずの私も、くしゃみをしつつ成り行きを見守るしかありませんでした。
「……さて、ナタリア嬢。まずは謝罪をさせてくれ」
騒ぎが収まり、場が静かになった後で、国王陛下は私に謝られました。
「あのような愚か者をそなたの婚約者に勧めたのは、余の過ちであった。若い頃はのびのびとやらせるが良しと思っていたが……まさか、ああも道を外れた行いをするとは」
「いえ、陛下……」
言葉を途中で止め、どう答えたものかと迷っていると、テオバルト殿下が私を見て、穏やかな表情でうなずかれました。
「気負う必要はない。思ったままを述べればいい」、彼のそんな無言の視線を感じ取った私は、安心感に胸を満たされ、陛下に言葉を返します。
「……いいえ、陛下。謝罪の必要はございません。エミール殿下も、すでに十八を過ぎて成人の身。こたびのことは、陛下ではなく殿下自身に責任があると存じます」
「うむ、そうか……。だが、親として不手際があったことも自覚している。改めて、すまなかった」
「懐深きお言葉、かたじけのうございます」
「当然だが、エミールとの婚約は解消ということで進めさせてもらう。聡明がそなたが王家に嫁いでくれればと思ったのだが……いや、これは詮無いことだな」
国王陛下は少し残念そうに仰られました。
「……テオバルト殿下。このたびは私の無実を証明して下さって、ありがとうございました」
続いて私は、テオバルト殿下に感謝の一礼を返します。
「いや、私は事実をしゃべっただけだ。特別なことはしていないよ」
「でも、署名付きの診断書を持っていて下さったおかげで、それ以上の反論を封じることができましたので」
そうやって私が謝意を示しても、殿下はかたくなにそれを固辞されます。
「……本当なら、こんな越権行為はしたくなかったんだ。先日の魔術師の件もだが、あなたは一人でも冷静に事に対処する力を持っている。兄とあなたのことに私が口を出すべきでない、静観していても大丈夫だとわかってはいたんだが……先刻のような理不尽な光景を目の当たりにすると、さすがに黙っていられなくてね」
テオバルト殿下の仰るところによれば、エミール殿下は日ごろからユッテ嬢を王宮に招き、私の悪口で盛り上がっていたのこと。
今回の企みも色々と漏れてしまっており、今日が決行日であることを知ったテオバルト殿下は、もしもの時のために出席されたのだそうです。
「……心強かったですわ」
「……君の呪いを暴露してしまったことも、すまなかった。できることなら、診断書も見せずに終わらせたかったんだが……他に良い方法が思いつかなかったんだ」
どこか後ろめたそうにテオバルト殿下は仰られます。
ですが、結果的にもっとも効果的なタイミングで相手を押さえられたのですから、私としては何も不満はありませんでした。
「それにしても……殿下はどうやって私の呪いに気付かれたのですか? 先日の魔術師の屋敷でも、私、くしゃみをしたりはしませんでしたよね」
ふと気になっていたその疑問を思い出し、それを殿下に投げかけると、彼は小声でつぶやきます。
「あなたのことは……いつも見ていたから」
「えっ」
「ああ、いや……この前の騒動、あなたが薬をぶつけられて、大丈夫なのかとずっと気になっていたからね。だけど、私が兄の婚約者であるあなたに会いに行くのも良くないだろうし……。加えてあなたはここ数日、人目をずっと避けていた。だから心配になって、悪いとは思いつつも勝手に調べさせてもらったんだ」
なんとテオバルト殿下は、そのためだけに面識のない王家の魔術師にも頼み込んで、私の症状を独自で調査されたそうです。
私が人前に出なかったのは、呪いのせいで無用なくしゃみをしてしまうのを避けるため。
けれど、そのことで逆に殿下にご心配をおかけしてしまっていたなんて……私は自分の至らなさを申し訳なく思いました。
「……本音を言うなら、あなたがあの兄と結婚することについて、ずっと気の毒に思っていたんだ。今回のことは、別れるための良い契機になったと思う。これからは王家とは関係ないところで、どうか幸せな人生を送って欲しい」
テオバルト殿下は柔らかな笑顔で私を励まして下さいます。
しかし、私が寂しい気持ちを抑えつつ感謝の言葉を述べようとした時、何故かそれとは異なる音が私の口から出てしまいました。
「──くちゅんっ!」
「……え」
「え……?」
どういうことでしょう。
思わず殿下と顔を見合わせてしまう私。
くしゃみが出たということは、今の殿下の言葉に嘘が含まれていたということ。
でも、誠実なテオバルト殿下が、どのような嘘をつくというのでしょう。
今の言葉、どこにも偽りがあるとは思えませんが……。
「あの、殿下。私を気の毒に思い、幸せを願って下さるという今のお言葉、決して嘘とは思いません。今のくしゃみは些細な言葉のあやに反応したのでしょう。お気になさらず」
「あ、ああ……」
ただ、そう申し上げつつも、どこにくしゃみが反応したのか、私は頭の片隅で考えてしまいます。
可能性として有り得るところは……『王家とは関係ないところで』、でしょうか……?
(『王家とは関係ないところ』が本意でないなら……王家と関係あるところで幸せになって欲しいということ。王家と関わることが必須……? それは一体……)
「ふむ……そういうことか」
すると、国王陛下が得心いったようにうなずかれました。
微かに笑みをたたえながら、陛下はテオバルト殿下に尋ねます。
「テオバルトよ。そなたはナタリア嬢の幸せを望むのだな?」
「え……はい。それはもちろん」
「では、どこかのまともな令息とナタリア嬢が結ばれて、彼女が幸せになるのは、良いことだと思うかね?」
「……! それは……その」
「さらに問おう。彼女がそのようになることを、そなた自身は望むのか?」
「……! 陛下!」
テオバルト殿下はそこで声を上げられました。
何かに気が付かれたように目を見開き、おそらく不敬を自覚しつつも国王陛下を睨め上げます。
まるで親のからかいをとがめる子供のような顔で。
彼は大きくため息をつき、「……いや」と一言、首を振りました。
あえてなのか、素の自分を見せるような口調。
それから静かに、しかし迷いない様子で私の方へと向き合います。
「ナタリア嬢」
「は、はい」
「……嘘をつくことは、良くないことだよな。兄を見て、それはさんざんわかっていたはずなのに……どうやら俺には、まだその自覚が足りなかったみたいだ」
「えっ……それは……」
「本心を隠してあなたの幸せを願う──それが一番いいと思っていたが……やはり、自分の気持ちに嘘をつき続けることはできないようだ」
そして、テオバルト殿下は訥々と語られます。
ご自分の気持ちについて。少しだけ過去に遡り、そこから今までを振り返るようにして。
私と、国王陛下と、この場の皆様に宣言するように。
「……ずっとおかしいと思っていたんだ。あなたと兄との婚約が、あなたが気の毒というだけで、こんなに気になるはずはないと。だが、あなたと任務をともにして、何度も言葉を交わすうちに……気付いたんだ。これは、憐憫ではなく嫉妬なのだと。俺は、兄がうらやましかったんだと」
「……え……」
「俺は、自分の気持ちにずっと嘘をついていた。その嫉妬の感情を認めたくなかったんだ。だが、もう迷わない。……あなたを誰にも渡したくない。どんな男だろうと、俺は俺以外の誰かがあなたと結ばれることを望まない。ナタリア嬢。俺は、あなたを……愛している」
「──!」
私の心に波が起こり、大きなどよめきが場内に響きます。
テオバルト殿下がついた嘘。それはすなわち、彼の私への想い。
殿下は、私の幸せを望んでいる。
けれど、他の誰かと幸せになるのは望まない。
つまり、先刻のくしゃみの意味は、そういうことだったのです。
正直すぐには返事を返すことはできませんでした。
私は、エミール殿下に言われた通りの、ポーカーフェイスの鉄仮面。
殿方の心の機微を理解せず、そのたぐいのことに縁もない、表情通りのつまらない女です。
けれど、だからなのか、ストレートな感情をぶつけられたことで、私の心に衝撃と動揺が生まれます。
テオバルト殿下はそんな私の顔を見て、ただ一言「……綺麗だ」と仰られました。
「えっ──」
「いや、失礼。兄はあなたの無表情を蔑んだが、どうやらその目は節穴だったようだ。今のあなたは……どんな色鮮やかな花より美しく見えるよ」
「そ、そんな」
うろたえる私が美しいだなんて、テオバルト殿下の嗜好は少し変です。
でも、その言葉で私は自覚します。
この気持ちは、単に戸惑っているだけではない。告白されて、真摯な気持ちを伝えられて、嬉しい思いがおそらく表情にあらわれている。殿下はそれを喜んでくれたのだと。
何度も任務をご一緒して、有能で誠実な方だと思っていたテオバルト殿下。
けれど、誠実なだけでなく、こんなふうに押しの強いところもある。
そして、そんな彼が、ずっと私のことを見ていてくれた。
その事実が、つまらない女と揶揄された私の無機質な心に熱を灯らせていきます。
「くしゃみが……」
「え?」
「くしゃみが、出ませんね。殿下」
「ああ……そうだな」
今の言葉、私への気持ち。ともすれば褒め殺しと思えるほどの賞賛の言葉にも、一片たりともくしゃみの兆候は見られません。
すべてが真実の気持ち。
私などに、テオバルト殿下のような方が、そんなにも思っていて下さるなんて。
それを改めて理解した私の心は、迷いなくその赴く先を決めました。
「……ありがとうございます。私も、殿下のお気持ちに……応えたいと思います」
「ナタリア嬢……!」
孤高でクールな殿下の顔が、ぱっと晴れやかに輝きます。
「うむ、これにて一件落着だな」
国王陛下が壇上から仰られました。
騎士団員の方々がワッと声を上げ、テオバルト殿下へと駆け寄りました。
そして、私たちは皆さまの祝福を受けて──晴れてお付き合いすることになったのでした。
──この後、テオバルト殿下が王太子となり、私はその妻として王家に迎え入れられます。
ですが、それはまだまだ先のこと。
陛下をはじめ、皆様の承認を得たからといって、さすがにすぐに結婚というわけにはいきません。
殿下の立太子や様々な手続きが優先され、私たちのことは諸々の後でということになりました。
そして数日後、王宮の中庭の東屋で。
私たちはお茶をいただきながら、心安らぐひとときを過ごします。
「……そういえば、殿下。先の夜会でのことですが」
「うん、どうかしたかな、ナタリア?」
「私のくしゃみの呪いを、殿下がご自身でお調べになったことにも驚きましたけど……夜会の場に診断書を持ち込まれたことも、さすがのご慧眼でした。あんなふうに、呪いの法則を利用してエミール殿下を論破なさるなんて……私にはまるで思いつかないことで」
「ああ、まあ、そうだな……」
私が殿下の機転を素直に褒める一方で、何故か殿下は歯切れの悪い返事を返されます。
「……あの、私、何か間違ったことを言いましたでしょうか?」
疑問に思ってそう尋ねると、テオバルト殿下は少し悩んだ顔を見せ、それから観念したように仰られました。
「……白状してしまうと、あの診断書は嘘を証明するために持ち込んだものじゃないんだ。確かにあの場面になった時、『これは使えるんじゃないか』とは思ったが……実を言うと、手放せなくなってしまってね」
「……はい?」
私は思わず素っ頓狂な声を出してしまいます。
「もちろん、最初はあなたのことが心配で、魔術師たちに聞きに行ったんだ。それで、呪いであることがわかったから、何かあった時にきちんと説明できるものが必要だと思い、診断書を作ってもらった。ただ、それだけではなくて……」
「それだけでは、ない……?」
「あなたに関することは、何でも手元に置いておきたかったんだ。あの日も言ったように、俺はあなたのことはいつも見ていた。どんなことでも知っておきたかった。我ながら、少し度が過ぎるとは思っているが……あなたを誰にも渡したくないのと同様に、あなたに関するすべてのものを、この手から離すつもりもない」
「……殿下……」
どうなのでしょう。殿下のその言葉を受けて、本来なら引いてしまうのが普通なのかもしれません。
ですが、殿下の本気の思いを受け入れた私には、それはさらなる愛情表現にしか思えませんでした。
「だが、まあ、あなたに嫌われたくはないからな……。こういうことは、これからは自重しようと思う。あなたが嫌だと思うなら」
「──くちゅんっ!」
「……あ」
直後、彼の言葉に反応するように、私の口から出るくしゃみ。
呪いのことを忘れていたのか、殿下は「しまった」という顔で口に手を添えられました。
「殿下……自重するつもり……ありませんね?」
そして、私が少しだけ唇を尖らせると、殿下は申し訳なさそうに、けれど楽しそうに「すまない」と微笑まれたのでした。
<おわり>




