婚約破棄を大々的に発表するとろくでもないことになる
貴族たちが通うミカルエ学園。そこでは年に一度、交流を図るための大規模な学内パーティーが開催される。贅沢な食材が惜しみなく振るわれる憩いの場。
本来ならば和気あいあいとした交流が行われる会場が、凍り付いたかのような空気である。原因はブレグ・マーキュリー伯爵の発表内容にある。
「私事ではありますが、この場をもってエスペル・ダハーネ子爵令嬢との婚約を破棄することとします。加えて、相手の立場もあり詳細は話せませんが、一般階級の方とご縁がありましたことを報告させていただきます」
ブレグの発表に貴族たちはざわめきだす。短く整えた金髪に端正な顔つきはさながら絵本に出てくる王子様のよう。そんな彼がまさか貴族ですらない平民と関係を持つとは信じられなかったのだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
周囲のざわめきを上回るほどの声量が会場を走る。
「私は婚約破棄なんて認めていません!そ、それにこともあろうに平民風情と関係を持っていた!?ふざけないでよ!」
長い茶髪をかき乱しながら叫ぶエスペル。そんな彼女に、ブレグは呆れたように言う。
「エスペル子爵令嬢、婚約破棄の件は何度も説明しましたよ。そちらの父、コスロ様に話は通してあるのに、お聞きになられなかったんですか?一般階級の方との関係性についても、あなたには一応悪いと思っているんですよ。だからこちらの責任で婚約破棄を行うんです」
一切悪びれようともしないブレグの態度に、エスペルは顔を真っ赤に染める。
「なんですか、それ。私よりも、ぽっと出の平民を気に入るなんて……」
「ええ、あなたよりも良いご縁でしたので」
エスペルは婚約者のぞんざいな言葉に立ち尽くすしかなかった。
――――あなたにとって私と暮らした日々は大切ではなかったのか。私はあなたの隣に立てるように努力してきたのに、あなたはそこに気づきもしなかったのか。私の存在価値は、あなたにとって平民の女よりも低いのか。
悔しい。ただただ悔しくて、みじめだ。
「……もういいわ」
エスペルは会場を後にする。うつむいた彼女の顔には涙が浮かんでいた。
―――――
その後の会場は冷え切ったことは言うまでもない。
ブレグの婚約破棄に関わる騒動は大きく噂になり、問題視された。学内パーティーという場でわざわざ婚約者の品位を損なわせるような行為に対し、周りの声は「衆目の前で晒し上げる真似であり、褒められる行為ではない」「祝や門出の場でするような話ではないだろう」「貴族としてのモラルに反する行い」とした批判。多数の貴族たちに冷ややかな目で見られることになる。
結果、ブレグは肩身の狭い立場にいるようである。
ダハーネ家の屋敷内。
姉であるアリシアから事の顛末を聞き出したエスペルは鼻で笑う。
「ざまあみろ、どこの誰かも知らない女に色目を使うからこうなるんだ」
エスペルは婚約者だった男の失敗を笑う。そこには「自分を振った男が幸せになって欲しくない」という願望もこもっていた。
「それはいいんだけどさ、これからどうするの?」
「これからって?」
「婚約。振り出しに戻ったんでしょ?探さなくていいの?」
「いいのよ、私は子爵令嬢よ。そこらの平民と違って縁談はあるはずよ」
エスペルは焦る様子もなくティーカップを口に傾ける。
それを見たアリシアは妹の危機感のなさにため息をつく。浮気されたことを根に持っている余裕なんてどこにもないだろうに。妹の自覚のなさに、あきらめたかのように話を切り出す。
「あのさ、エスペル。言っておくけど家に縁談なんてないよ」
「いやいや、そんなわけないでしょ。だってブレグの不貞による婚約破棄だよ。私が問題起こしたわけじゃないのに」
「……本当に、何も自覚がないのか」
アリシアは頭を抱える。
「そもそもあっちの婚約者が何で婚約破棄なんてしたのか、本当に考えたことある?」
「ブレグが節操なしだったからに決まっているからじゃない」
どうやら妹は頭の中がお花畑でできているらしい。アリシアは呆れつつ、子供を諭すような言い方で語る。
「さっきも言ったけど、婚約破棄って貴族たちからは好かれない行為よ。しかも不貞を認めるっていうのは最悪。信用とか全部なくなる。家の名前に傷がついてもおかしくないわ。それをわざわざ大舞台で公表した意味って分かる?」
「そんなの、私への当てつけでしょ。私に恥をかかせたくてやったのよ」
「そんな単純な話じゃない。あの場にいた全員に『あなたと婚約するくらいなら一生モノの汚名を被った方がマシ』って広められたのよ」
「……は?」
「『婚約破棄された女』っていうレッテルの時点で縁談に影響はあるけど、今回は特に酷いよ。平民との不貞も、裏を返せば『平民と婚約した方が良い』って相手の婚約者が宣伝しているようなものよ。当分縁談なんて来ないし、あなた、修道院に入れさせられるかもしれないよ?」
エスペルは言葉をうまく飲み込めないのか、呆然としていた。
「わざわざ大舞台で婚約破棄をされるって、相当恨みを買ってるよ。エスペル、何をしたらそんなことになるの?」
「私はただ、あの人の隣に立てるように自分磨きをしていただけよ!」
そんな言われはないとエスペルは言う。
「ただ、お茶会とか化粧品とかでお金を使い過ぎちゃったから、ブレグが集めていたコレクションを少し売っぱらっただけよ!案外高いお金で売れたんだから、感謝して欲しいぐらいよ」
―――――
マーキュリー家の屋敷内。
和気あいあいとした空気の中で、ブレグは上機嫌そうに笑う。
しかし君は良い人だ。まるで神様だと思ったよ。なにせ家事は文句の一つもなくこなすし、積極的に覚えようとしてくれている。恐る恐る指摘してもヒステリックに怒鳴って物を投げないどころか、むしろ謝ってきた時は困惑したよ。内心、調理用のナイフが飛び出さないか心配していたんだからね。
――え、なんでそんな心配をするのかって?前の婚約者はヒステリックを起こしてナイフを投げてきたからだよ。おかげでずっと怯える日々さ。
お小遣いも少し遠慮しているだろう?むしろこっちが悪いよ。彼女は自分磨きだなんだと言って家の物を勝手に売っぱらってたくらいだからね。しかも家事をほったらかしてお茶会に参加するんだ。指摘したら騒がれるし、辛かったよ。
他にも私のコレクションを馬鹿にしないし。むしろ褒めてくれるなんて思わなかったよ。過去、実際に騎士や貴族たちに送られた勲章のレプリカを集めているんだけどね、これがなかなか良い物なんだ。……不自然に抜けがあるっていうのはまあ、私が不在の時に彼女に勝手に売られてたからなんだけどね。心底ムカついたけど、お金で何とかなる範囲だから許していたんだよ。ただ、流石に私の爺さんの勲章を売られたのは許せることではなかったかな。形見の品だったし。
――だよね、おかしいでしょ。それを彼女は「お茶会とか化粧品とかでお金を使い過ぎちゃったから、あなたのコレクションを少し売っぱらっただけよ!案外高いお金で売れたんだから、むしろ感謝して欲しいぐらいよ」ってさ。
――迷惑を掛けた?婚約破棄のこと?あんなものは痛くも痒くもないよ。というか、彼女を苦しませたくて仕組んだことだし。だって私の不貞よりも彼女の悪名の方が勝っているからね。
みんな、彼女と別れたことについては何も言わないだろ?
婚約破棄のやり方は叩かれても仕方がないと思ってるよ。本来は裏でやるべきことだからね。だけど彼女をよく知っている人たちからは同情されたよ。自分よりも爵位が低い人を見下して差別したりとやりたい放題だったからね。おかげで何度謝り倒したことか。失った信用も君の人柄をみてもらえればすぐに取り戻せるさ。それぐらいひどかったからね、ハハハ。
……いやほんと、君と縁があってよかったよ。
そう言うブレグは、どこか憑き物が取れたかのような笑顔であったという。