未来が視えていたら
一つに束ねていた翠色の髪をほどき、シンは声を押し殺して笑った。
「どうしてって、私が人間で、あなた方が魔族だからですよ。リンさん、私は傷ついているのですよ。同じ人間だと信じていたのに。まさか魔族だったなんて。それも魔王の料理人などという料理人の風上にも置けない地位にあなたはいる。そのことを知ったときの私の気持ちがわかりますか? 遺跡であなたの包丁さばきを見たとき、すごいと思ったんです。その気持ちが打ち砕かれた気分でした。同じ料理人として、私は恥ずかしい」
「魔族を、憎んでいるのですね? シン」
シンが包丁を握りしめる。
「気安くシンなどと呼ぶのはやめてもらえますか? 私の本当の名はシンネ。勇者一行付料理人シンネ・イスカリオネです」
勇者一行付。その言葉は、リンリの胸中に一人の勇者を思い出させた。
「あなたは、まさか、勇者セカイの」
「ええ。勇者セカイが魔王バハムに勝てたのは、私の料理のおかげといえるでしょう。魔王を滅ぼし、世界をよりよい方へと導く。料理とはそういう使い方をされるべきなのです。そうは思いませんか?」
勇者セカイが戦いの最中に口にした神の涙の茱萸。あの茱萸さえなければ、バハムは今も生きていたはずだ。
リンリは、深く息を吸って言う。
「バアル城料理長リンリ・ルルコースの名において、シンネ・イスカリオネ、あなたを、連続食中毒事件の犯人として捕縛します」
「できるものなら、どうぞ」
シンネは余裕の表情だ。しかし、広場にいる人たちはすでに全員正気に戻っている。聖竜の唐揚げに含まれていた蝕胡椒の毒も、饅頭によって解毒済み。
リンリが一歩踏み出す。シンネが包丁を突き出してきた。躱し、羽交い絞めにする。
「くっ」
「包丁を人に向けてはいけないと教わらなかったのですか?」
「それを私に教えてくれた人は、もうこの世にはいません」
シンネはそう呟くと、短く呪文を唱えた。
「食隷魔法」
赤い光が広場にほとばしり、さきほど、聖竜の唐揚げを食べた者たちの眼に吸い込まれていった。そうして食隷魔法を受けた者たちは、充血した眼をシンネへ向け直立している。まるで命令を待っている兵士のようだ。
「料理を食べた者を意のままに操る魔法ですか」
「その通り。つまり、勝負はついていたのですよ。ここに集まったこいつらが私の唐揚げを食べた時点でね」
リンリは今や囲まれていた。一斉に襲いかかってこられたら、反撃もできず、シンネを取り逃してしまう。
「さあ、食の奴隷たちよ。この女を殺すのです。とどめを刺したものには、おいしい焼肉を御馳走しましょう」
シンネが高らかに命じ、食の奴隷と化した民たちが一歩、リンリへと歩を詰めた。そして、次の瞬間、目の充血が急速に引いていった。誰もリンリを攻撃しない。
「な、何をしているのですっ、はやく殺れっ」
「無駄ですよ。食隷魔法はすでに打ち消されています」
「そ、そんなこと、あり得ない。どうやって」
広場に店を出している八百屋の主人が持ってきてくれた縄で、シンネの手首を硬く縛りながら、リンリは答える。
「まだ気づきませんか? こうなることを見越して、解毒饅頭に反魔の蓬を練り込んでおいたのです」
「け、けれど、私が食隷魔法を使うなんてこと知りようが」
「今回の食中毒は、単発でなく、連続で起きた。その時点で、これは計画的な犯行と言えます。用意周到な犯人なら、食中毒が解毒された場合のプランも考えていると思いました。例えば、食隷魔法とか」
だからリンリは、魔法を打ち消す効果をもつ反魔の蓬を饅頭の生地に練り込んだ。
シンネがあごを震わせて言う。
「あ、あなたには、未来が視えているのですか?」
「いいえ」
未来が視えていたら、こんなことにはなっていない。領内で食中毒を起こされ、何の罪もない人々が苦しんだ。
「あなたを魔王城へ連行します」
縄を引っ張ると、シンネが笑い出した。
「何がそんなにおかしいのです?」
「私を? 魔王城へ? 連行してどうします? 城は焼け、軍は壊滅してるでしょうに」
「確かに天使の軍勢に攻撃されているようですが、問題ありません。魔王様がいますから」
「魔力を持たない最弱の魔王に何ができるというのです?」
「聖竜を倒しました」
「あなたの料理のおかげでしょう、それは。今、あなたはここにいる。そして魔王城を攻撃しているのは、天使だけではありません」
「また聖竜ですか?」
「いいえ。天界は、我らに任せてくださったのです。魔王討伐の実績のある我らにね」
リンリは戦慄した。シンネの首をつかみ、顔を近づけて問う。
「答えなさい。勇者セカイを蘇生させたのですか?」
「今さら慌てても遅いですよ。あなたは料理のことはよく視えるようですが、戦のことは何も視えていない。食中毒などただの布石。天界は、魔王ベルゼ・バアルの死を望んでいるのです」
動悸が激しくなる。勇者セカイが再び魔王を殺す。また、自分は何もできない。
「リンリ料理長っ」
ティアが背後に立っていた。町の人たちも。
「シンネは私たちがちゃんと見張ってるから、早く城に行ってあげて。大丈夫。魔王様は生きてるよ。あのときとは違う。そうでしょ?」
あのときとは違う。ティアにそう言われ、リンリは状況を理解した。確かに、違う。
リンリはシンネの身柄をティアに引き渡し、ロスに乗ろうとした。そのときだった。曇り空に光が差し、雲海の中から天使が降りてきた。一体でなく何体も。次々に現れる天使たち。白銀の鎧に身を包み、戦用の杖剣や法槍を手にしている。
「浄化を開始する」
ひときわ華美な鎧の天使が宣言した。落雷聖法の詠唱が空に響き重なる。
城下町の人々が顔を上げて絶望するなか、リンリはひとり、呪文を詠唱した。
「落雷聖法」
「反射魔法」
無数の落雷が一瞬のうちに跳ね返された。天使たちは動じることなく、追撃の呪文を詠唱している。
突然の天使の襲来に町は騒然とした。町の外へと非難を急ぐ者、その場にへたりこむ者、上空に攻撃魔法を放つ者。駐在の魔王軍が指揮を取ろうとしているが、混乱が大きすぎて機能していない。リンリはここに残ることにした。
「ロス、あなたは魔王様のもとへ」
そう言うと、ロスはリンリに顔をすり寄せ、それから一気に駆け出した。
シンネが嘲笑を浮かべつつ言う。
「いいのですか? 城に戻らなくて。まあ、すでに魔王は殺されているでしょうが」
「いいえ、魔王様は生きています」
「私は今回も勇者セカイにたんまりと強化食を持たせました。一方、魔王を支える料理長であるあなたはここに釘付け。勝機は万に一つもありませんよ」
リンリは城の方角を見て言う。
「魔王城には、まだ料理人が残っています。だから大丈夫でしょう」
「料理長でも副料理長でもない下っ端たちに何ができると言うのです?」
「彼女たちはすばらしい料理人です。彼女たちがそばにいる限り、魔王様は大丈夫です」
シンネは鼻で笑ったが、リンリは確信していた。自身が手ずから育て上げた六人の料理人の力を。




