魔王キレイラとの対話
「おつなぎします」
声が切り替わる。
「キレイラ・ジンジャエルである。先日の全魔王会議では世話になったな、ベルゼ・バアル。して、妾に何の用じゃ?」
「我が城は危機に瀕している。そこで古参魔王であるあなたに相談がある」
「心苦しいが、援軍は出せぬ。よその領土を守るために、我が民の血を流させることはできぬのじゃ」
「安心してくれ。援軍要請ではない。相談というのは――」
ベルゼは、自分の死後、領民と領土を譲り渡したいと申し出た。
「ふむ。悪くはない話じゃ。そなたの死後、聖竜を撃退するのは比喩でもなんでもなく骨が折れるが、妾の骨の二、三本で百二十九万の民と5,676㎢の領土が手に入るならば、これほど上手い話はない。しかも、妾の記憶違いでなければ、そなたの配下には、あの者がおろう」
「あの者?」
「魔王城筆頭料理人リンリ・ルルコース。先代のバハム・バアルに招かれた晩餐会で出された料理の数々は絶品であった。今でも妾の舌は、あの味を覚えておる」
「リンリ、褒められているぞ」
ベルゼは、まるで自分がほめられたかのように笑顔になった。
「無論、ぼくの死後はリンリもあなたの配下となる。だから一つ約束してほしい」
「わかっておる。そなたの死後、速やかに聖竜を討伐しよう。案ずるな。妾みずから戦いに出れば、半日でかたがつく」
「くっ。キレイラ様っ」
こらえきれないといった調子で、軍幹部が声を上げた。
「恥と失礼を重々承知で、お願い申し上げる。ベルゼ様が死ぬのを待たずに助けてくださらんか?」
「そこまでする義理はないし、ベルゼのためにもよくない。魔王の統治原則は、独立独治。民と領土を守りきれるだけの強大な力を持っているからこそ、魔王は魔王を名乗れるのじゃ。妾の力でこたびの危機を乗り切ったところで、意味はない」
「意味ならばある」
高位文官が反論する。
「ベルゼ様はまだ幼い。生き延びて成長すれば、バハム様を超える魔王になる可能性すらある」
「ないな。バハムを超える魔王などいないし、今後現れることもない」
キレイラの声がさみしく響いた。リンリは視線をわずかに下げた。
「ベルゼ様はまだ十歳であるぞ。子供に死ねと言うのか?」
「言う。弱肉強食のこの世界で、年齢は言い訳にならぬ。もっとも、貴様ら臣下が見苦しく騒いでいるだけで当の本人は言い訳などせず、ちゃんと民と領土を守るための相談を妾にしてきた。立派なものだ。他の魔王がなんと言おうと、このキレイラは、ベルゼのことを魔王と認め、語り継ごう」
キレイラの言葉に、文官も軍幹部もうつむき、数滴の涙をこぼし、それ以上は反論しなかった。
「では、キレイラ殿、あとのことはよろしく」
「うむ、任せておけ。ベルゼよ。魔帝様の名にかけてそなたの民と領土を守ると誓おう」
通信魔法が切れた。ベルゼが立ち上がり、指示を出す。
「この城の半径三十キロメートル以内にいる民たちを避難させよ。文官たちも持てるだけの重要書類を持ち出して避難。城にはぼくだけが残る」
「軍は魔王様とともに」
「ならぬ。軍は、民の非難を主導しろ。この城に戻ってくることは許さぬ。時間がないぞ。急げ」
ベルゼのゆるぎない一声で、軍幹部と文官は意を決したように慌ただしく動き始めた。各所の指示が飛び交うなか、リンリはベルゼのもとにひざまずく。
「魔王様。私ども料理人は、各避難所へ行き、民が飢えることのないよう料理をふるまいます」
「うむ」
「私は、部下への指示と支度がありますのでいったん下がりますが、城を出る前にはご挨拶させていただきますので」
「そうか、了解した」
ベルゼの声のトーンがわずかに落ちていることに気づかないふりをして、リンリは一瞥もくれずに会議室を立ち去った。
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石焼きビビンバの食器を洗いながら、リンリは部下である七名の料理人に指示を出す。
「あなた方の任務は、避難先で民を飢えさせないことです。軍部と連携して倉庫の食糧を運び出し、避難所で食事を提供してください」
リンリのもとに集まった料理人たちは、誰も動じない。一人を除いて。
「え、ええっ、なんだか大変なことに」
副料理長ティアはこの緊急事態に対し慌てふためいている。
「避難所は東西南北に四つ。単純計算で各避難所を二人で受け持つことになります。東はジャンとミレイ、西はブルゴとノン、南はガウスとアイーラ、そして北はティア」
「え? 私だけ一人?」
「何か問題が?」
ティアは湖のように澄んだ碧眼に涙をためて訴える。
「問題ありまくりです。避難民がいったい何人いると思っているんですか? 一万人は優に超えます。それを私一人でなんて。そうだ、リンリ料理長も北の避難所に来てください。一緒に料理を作りましょう」
「私は所用がありますので、避難所へは行けません」
「こんなときに所用って何ですか?」
「食材の調達です」
「そんな理由で――」
「そんな理由?」
「ひっ」
リンリが発する声の圧に、ティアがしりもちをつく。ブロンドの長い髪がふわりと浮き、肩に着地する。
「す、すすすすみません。決して食材の調達を軽んじたわけではなくてですね、えっと、私が言いたいのは、その、そう、自信がないということなんです。避難民数万人に食事をふるまうなんて、私一人でできっこないです。食材の調達が終わってからでかまいませんから、北の避難所に来てください。リンリ料理長と一緒なら私、がんばれます」
リンリはため息をつく。この子はまるでわかっていない。
「ティア・オーシャンテリア」
「は、はい」
リンリにフルネームを呼ばれ、ティアの背筋が伸びる。
「あなたが副料理長に任命された日のことを、覚えていますか?」
ティアがはっとする。リンリは今一度、命令する。
「北の避難所は、あなたに任せます。できますね?」
ティアは一度くちびるをぎゅっと結び、
「できます」
と言い切った。
「よろしい」
リンリは洗い終えた食器類を七人の部下に渡しつつ言う。
「こたびの避難命令は急遽決まったものです。不安や怒りを抱く民も大勢いるでしょう。避難所では、暴動が起きないとも限りません。暴動は起きなくとも、泣き叫ぶ子や体調の悪くなる老人は出てくるでしょう」
ティアがつばを飲み込む。
「避難所で起こる混乱、暴動、不安、体調不良。そのすべてを、料理でもって支配しなさい」
「はいっ」
そろった返事にリンリはうなずく。これで各避難所は問題ない。残る問題は、魔王様の今日の夕食と明日の朝食。そして、明日の昼食である。頭の中で献立を組み立てていると、
「あのー、つかぬことを聞きますが、食材の調達ってどこに行くんですか?」
ティアが荷造りをしながら話しかけてきた。
「火煙山に向かいます」
「火煙山ってあの年中高温で、煙が噴き出し続けている、あの火煙山? あんなところに食材なんて――」
ティアが何かに気づき、唇をふるわせる。
「ままままさか、リンリ料理長がとりにいく食材って」
「手が止まっていますよ、ティア副料理長。速やかに支度を終え、避難所へ向かいなさい」
「は、はいっ」
リンリは部下を見送ると、再び厨房に立った。魔王への料理を作るために。