世界樹の絶叫
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湖のなかの島を囲む結界にやさしく触れて、ソラは言う。
「この結界は、エルフの王族の手によって代々、重ね掛けされてきたものです。力ずくでの突破は不可能かと」
「ガハハ。俺をなめるなよ。ふんっ」
結界に手を突っ込むバハム。雷撃がその身を焼くが、気にせずに手をさらに奥へと突き出し、足も一歩前へ。瞬間、竜の息吹を思わせるほどの爆炎が炸裂した。
吹っ飛んだバハムは、しかめっ面で立ち上がる。
「何だ、今のは」
「竜炎魔法でございます。この結界は、侵入者を迎撃するためにさまざまな魔法が重ね掛けされているのです。雷撃魔法、竜炎魔法、地震魔法、津波魔法、枯渇魔法、虚無魔法、分裂魔法、退行魔法。覚えているのはそこまでですが、まだまだあったはずです」
「くそっ。リンリ、どうする?」
「結界を破るのが不可能ならば、別のルートで入手するしかないでしょうね。つかぬことをお聞きしますが、世界樹の根がどこかで販売されているということは?」
ソラは首を横にふった。
「世界樹は、木の葉一枚たりともこの結界から出してはいけないことになっております」
「そうですか」
リンリの声は沈んでいた。ソラの明るい瞳が湖面のように光を反射してきらめく。
「あなた方は、世界樹の根がほしいのですか?」
「はい。ですが」
リンリは天空までつづく結界を見上げて、くちびるを噛んだ。
「無理なようなので、帰ります。ソラ、いろいろと教えてくださり、ありがとうございました。帰りますよ、バハム」
「うむ。仕方あるまい。ソラと言ったな、情報提供感謝するぞ。貴様は他のエルフと違っていいエルフのようだ。何か困ったことがあったら、いつでもバハム・バアル魔王領の魔王城を訪れるがよい」
ソラは目を見開いた。
「あの」
立ち去ろうとしていたバハムとリンリが足を止める。
「少しだけお待ちください。すぐに取ってきます」
そう言うとソラは結界を難なく素通りし、世界樹の幹の根元に太くうねっている根の一部をナイフで剥いだ。世界樹が甲高い奇声を発し、枝を震わせた。降りしきる木の葉の雨を受けながら、戻って来たソラは寂しげな表情で両手に抱えた根をバハムとリンリに向かって差し出した。
「世界樹の根でございます。どうぞお受け取りください」
「え? よいのか?」
「はい」
「? うむ。よくわからんが、くれるというならばもらっておこう。ガハハ。よかったな、リンリ」
能天気に世界樹の根を受け取ろうとするバハムの手を、リンリは厳しい表情でつかみ止める。
「これだけ厳重に守られている世界樹の根を結界の外に持ち出していいはずはない。それどころか、エルフでもない私たちに渡すなんて、ソラ、と言いましたか、あなたは、いったい」
「私は世界樹を管理している一族の一人ですから、結界を通り抜けることができるのです」
「エルフの法律がどうなっているかはわかりませんが、さきほどあなたははっきりと世界樹は木の葉一枚たりともこの結界から出してはいけないことになっていると、そう言いました。こんなことをして、あなたは大丈夫なのですか? そもそも、見ず知らずの私たちのためにどうして?」
ソラが目を閉じて言う。
「誤解させたようですみません。さきほど言ったのは、不法に結界を破ろうとする者を追い返すための方便なのです。世界樹の価値は、魔帝に斬られて以後、暴落しました。ですので、少量であれば、私たちクライトール一族が認めた方にお譲りすることができるのです」
「ですが、どうして私たちに? このバカが口を滑らしたことで、あなたは私たちの正体が人間ではないことに気づいているのではないですか?」
「バ、バカとは何だ。俺がいる場所を伝えておかねば、ソラは困ったときに俺に連絡のとりようがないだろうが。バカはお前の方だ、リンリ」
「あなたは少し黙っていてください」
「黙れだと、貴様、魔王に向かって」
そのやり取りを見てソラは小さく笑った。
「私があなた方に世界樹の根をお譲りするのは、あなた方は悪い人ではないと思ったからです。いえ、もっと正直に言うと、嬉しかったのです」
「嬉しかった?」
「はい。あなた方は私の名前を呼んでくださいました」
「ガハハ。おかしな奴だ。名前を呼ばれたぐらいで嬉しくなるとは」
「そうですよね。でも私は生まれてこの方、きちんと名前で呼ばれたことがないのです。そこのとか、出来損ないとか、劣等種とか、恥さらしとか、そのような呼ばれ方ばかりされてきました」
「それは、あなたに魔力がないから、ですか?」
ソラは微笑してうなずく。
「エルフは下界で最も魔法を極めし種族です。魔力を絶対的な価値とするエルフの社会では、魔力を持たない私の価値は、お店で売られている魔石よりも安い」
バハムが透明度の高い湖につばを吐き捨てる。
「やはりエルフどもはろくでもない連中だ。気が変わった。俺はこの森を蹂躙してから帰るとしよう」
ソラは諭すように首をふる。
「あなたが仮に魔王だとしても、森静魔導隊隊長や長老たち全員を相手に勝利を収めることは難しいかと」
「俺を見くびるなよ」
「結界を破れなかった事実を、お受けとめくださいませ」
「くっ」
魔力を持たないローエルフであるのに、ソラの言葉の端々にはやわらかな強さが感じられた。
「さきほどの世界樹の絶叫を聴いて森静魔導隊がじきここに来ます。私がごまかしておきますので、あなた方は一刻も早く森を去ってください」
「大丈夫、なのですか?」
リンリの問いに、ソラが答える。
「大丈夫です。むしろあなた方がここにとどまっている方が、私の身が危険になります」
リンリはうなずき、首を垂れた。
「感謝いたします。この恩は必ず返させていただきます」
「この森が嫌になったらいつでも我が城に来るがよい。歓迎するぞ」
ソラは目じりに涙を浮かべてうなずいた。
リンリとバハムは急いで湖を突っ切った。二人の後ろについて林の中へと入る際、ベルゼはソラのいる方をふり返った。彼女は結界の中にいた。世界樹の枝葉が作りだす真っ暗な影のその中に。
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