怒ってなどいません
文官たちの執務室に行き、帰還したことを告げる。
「それで、魔王様は?」
「新米魔王研修に行かれました」
「で、ではさきほどの魔力の鳴動はやはり」
「はい、魔帝宮筆頭執事レイによるものです」
ことの経緯を聴くと、文官たちは青ざめた。
「すぐにわび状を送れ」
高位の文官が部下に指示を出す。
「リンリ殿、今後はこのようなことがないようにしてくだされ。魔帝宮の職員の機嫌をそこねた魔王がどうなってきたか、知らないわけではないでしょう?」
「以後、気を付けます」
そう言ってリンリは革袋から出した金塊を机に叩きつけた。衝撃に机の表面が凹み、執務室内が静まり返る。
「こ、これは?」
「迷いの森の魔女からの依頼報酬です。では、私はこれで」
「リ、リンリ殿、怒っておられるのですか?」
「怒ってなどいません」
きびすを返し、執務室をあとにしたリンリが向かった先は、厨房だった。
「ただいま帰りました」
リンリのつぶやきは鋭い声にかき消された。
「副料理長っ、野菜炒め、どんどん出来上がってるよ。誰か運んでくれっ」
ジャンが鍋を振りながら言うやいなやブルゴが巨体に似合わない俊敏な動きで飛んでくる。
「オイラが運ぶだ」
「ブルゴ? デザートのゼリーは? いいの?」
「あとは冷却魔法で冷やすだけだ」
「ならば、それは私がしておきましょう」
「コンソメスープもできたぞ。くそ。時間ギリギリになっちまった。今日の給仕当番は誰だ?」
「ジャンとブルゴさんとガウスさんです」
「え? 俺かよ。だりいな。一服しに行こうと思ってたのに」
「副料理長、ジャンの代わりに私が食堂に入ります」
「オッケー。ジャン、ノン、アイーラは厨房に残り料理を続けて。ミレイ、ブルゴ、ガウスはできた料理を給仕して。って、あっ、リンリ料理長っ」
全体を見て指示を出していたティアがリンリに気づくと、一瞬、全員の手が止まった。
「つづけて」
その一言で、料理人たちは再び自分の仕事に集中する。正午まで残り五分を切っている。コロッケが揚がり、野菜炒めが宙を舞い、コンソメスープが湯気を立て、ゼリーが固まり輝きを秘める。
正午の鐘が鳴った瞬間、厨房に隣接されている食堂に兵士と文官がなだれこんできた。
厨房と食堂の間の壁はくりぬかれており、そこから料理を提供もするが、到底さばききることはできないので、食堂内にも大なべや皿を運び込み、給仕する。食事の提供は迅速に。おなかを減らしている者を待たせるのは料理人の恥だと思え、というのが先代料理長ドラゴの流儀であり、リンリもその流儀を引き継ぎ、部下に周知してきた。故に、バアル城の昼食に行列は存在しない。
目まぐるしく働く部下たちの様子を見て、リンリは背筋を正した。
今、自分にできることは、へそを曲げることではない。
料理を作ることだ。
そして魔王様が戻って来た暁には、とびきりおいしい料理を作って差し上げよう。
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それから、リンリは無心に料理に集中した。嫌な想像が頭をよぎることがあっても、目の前の料理に専心することでやり過ごした。
部下たちの新作料理の評価を行い、食糧庫の整理を行い、ベルゼ魔王領の街の料理店を回り衛生管理の検査を行い、自身のレシピの加筆修正を行った。
ベルゼが研修に行ってから一週間が経ち、さらに三日が経った。
ベルゼは唐突にバアル城に帰還した。空間魔法の発動を感知してリンリたちが城門跡に駆けつけたときには、魔帝宮の執事はすでに消えており、ベルゼだけが瓦礫の上に立っていた。
「おお、皆の者、研修を終えて今、帰ったぞ」
元気そうに手を振るベルゼに、臣下たちが文官も軍人も入り乱れて駆け寄り、声をかける。
「研修お疲れ様です。お疲れのところ申し訳ありませんが、至急、王印を押してもらいたい書類がたくさんございます」
「報告です。ベルゼ様が不在の間に目立った交戦はなし。ですが、天界では熾天使が戦の準備をしているという情報が入ってきました。早急に対策会議を」
「魔王様の今後の予定を組みなおしました。すぐに目を通してください」
「わはは。まったく大忙しだな」
そんななか、リンリは茫然と立ち尽くしていた。なぜ誰も気づかないのだ。ベルゼの頬がいつもよりも赤い。息遣いにもかすかな乱れがある。歩き方がどこかおかしい。
瞬間、ベルゼの体が傾いた。
リンリは臣下たちをかき分け、手を伸ばしたが、間に合わなかった。
ベルゼが倒れた。荒い呼吸。赤くなっていく顔に対し、手先は冷たく青色に。額に手を当てると火のように熱い。
「治癒部隊を呼べっ。早くっ」




