悪夢
勇者セカイの聖剣が魔王バハムの腹を刺し貫いた。
「勝った」
勇者のつぶやきが魔王城最奥の魔王の間に響いた。歴代の魔王が歴代の勇者と戦ってきた広間の床にどばどばと流れ出るバハムの血。戦いを見守っていた臣下たちが膝を折るなか、リンリは献立を考えていた。
あんなに大量の血を流して。まったく。世話がやける。夕食は、血を生成する赤身肉や卵をふんだんに使った料理にしなければ。
バハムがにやりと笑う。
「ふむ。なるほどいい剣だ。しかしこの程度ではわしは死なんぞ」
バハムは腹部の出血など気にもせず、勇者を拳で殴り飛ばした。刺さった聖剣を引き抜いて、まだ倒れている勇者へとぶん投げる。体を転がして、間一髪、剣をかわす勇者。
「なんという頑強さだ」
勇者は床に刺さった聖剣を抜こうとするが、とても深く突き刺さってしまったため、すぐに抜けない。周りを見渡せど、勇者の仲間たちはすでに倒れ伏している。
「セカイと言ったか? 俺に傷を負わせた勇者は、貴様で二人目だ。誇りに思え」
バハムの出血はすでに止まっている。代わりに流れ出ているのは、人の域を超えている甚大な魔力。勇者の膝が震えだす。
「おびえることはない。俺は食う目的以外の殺生は好かん。我が領民及び領土に二度と手を出さないと誓うなら、命だけは見逃がしてやろう」
勇者が血相を変える。
「僕は代七百七十七代目の勇者。魔王に敗れ散った数多の勇者たちの思いを背負ってここまで来たんだ。魔王を一人も殺さずに遁走するなど到底許されることではない。たとえ、刺し違えてでも、お前は僕の手で殺す」
聖剣を引き抜き、かまえる勇者。
「お前では俺には勝てんぞ」
勇者の表情がゆがむ。そして、何かを思い出したように腰の布袋に手を伸ばした。
「そうだ、ピンチになったらこれを食えって言われてたんだ」
「何だ、それは?」
食欲旺盛なバハムは興味津々の様子。リンリも目をこらす。
「これは、ウチのパーティーの料理人が作ってくれた茱萸だ」
「何だ、木の実か」
「ただの木の実ではない。この茱萸には、神様の涙が注入されている。つまり、これを食べれば――」
勇者は茱萸を二、三粒、口に含むと、よく噛んで飲み込んだ。
「神と同等の力を得る」
勇者の聖力が一段と大きくなった。全身から神々しい光を放っているが、どこか様子がおかしい。
「はあ、はあ」
呼気は乱れ、額に汗をにじませ、半開きの口からよだれを垂らす勇者の目が充血していく。
「ぐるああああああっ」
勇者は乱暴に聖剣を振りぬくと、魔王バハムに斬りかかった。聖剣はバハムの肩にくいこんだが、浅いところで止まり、それ以上は進まない。バハムが殴ろうと拳に力を入れたそのとき、勇者が獣のように口を開いた。バハムの胸にかみつき、肉をかじり取る。
「ぐっ」
鍛え上げたバハムの肉体は、人の歯で食いちぎれるがはずないのに、勇者はつづけざまに二口、三口とバハムの胸肉を喰らっていく。
「やめんかっ」
バハムが殴るも、勇者は動じない。一心不乱にバハムの肉を食い散らかす。バハムはついに魔剣を抜いた。が、その刀身を勇者は砂糖菓子のようにいとも簡単にかみ砕く。
リンリはバハムの敗北がちらつく脳内で必死に考える。あの茱萸だ。あの茱萸を食べてから、勇者はおかしくなった。
「バハム、三十秒、耐えなさい。すぐに回復できる料理を持ってき――」
リンリが言ったそのときには、バハムの手はだらんと垂れ下がっていた。リンリは目の前が真っ赤になった。気づいたら駆け出し、包丁で勇者に斬りかかっていた。勇者の口が包丁を白刃取りの要領で受け止め、噛み砕く。
「フハハハ、うまい、うまい、うまい。いい気分だっ。もっと喰わせろ」
勇者がリンリに向かって跳躍したそのとき、魔王バハムの手が素早く伸びた。勇者の頭をつかみ、床に叩きつける。
「リンリ、逃げろ、城の者も、全員、逃げ、ろ」
血を吐きながら、バハムは言う。しかし暴れる勇者はすぐにバハムの手を逃れる。獣のようにバハムを押し倒し、再び肉体に食いつき始めた。がつがつと一方的に食べられ、肋骨があらわになっていく。
助太刀に入った臣下たちが勇者を囲み、槍で刺す。しかし、勇者は止まらない。食べれば食べるほど、聖力を増していき、体の傷はみるみるうちに回復していく。
「逃げろっ」
バハムは強く言うが、臣下たちはうなずかない。瀕死のバハムを見捨てて逃げるという発想は、臣下にはない。もちろん、リンリにも。なんとか勇者をバハムから引きはがしたいが、勇者の放出する滅大な聖力のせいで、それができない。近づいただけで、弱い魔族の肉体は消滅してしまう。魔王の中でも随一の強さを誇る魔王バハムだから、まだ耐えれているだけだ。
口から血を滴らせ、勇者は言う。
「ああ、うまい、うまいぞ。魔族の肉を食べたことなどなかったが、こんなにうまいとは。これからは倒した魔族を骨までしゃぶりつくしてやる。そうしよう。そうするのがいい。いいに決まっている」
勇者の目の充血は増し、血管がちぎれ、涙のように血が流れ出た。もはや魔王を倒しに来た好青年の面影はどこにもない。
「しかしひどい空腹だ。食べても食べても満足しない。そうだ、魔王バハム、まだかろうじて生きているだろう? 僕のために王令を発して魔族を集められるだけこの城に集めてくれ」
バハムにはもう答える力も残っていない。
「おいっ、どうしたっ、なんとか言えっ。僕を無視するな。僕のために動け」
バハムは沈黙したままかすかに呼吸を繰り返す。
「くそ。そうだ。こいつを殺して、次の魔王に魔族招集の王令を発してもらえばいいだけの話じゃないか。たしかこいつにはまだ幼い一人息子がいたはずだ。そいつに王令を出させて、食い殺せばいい。おい、誰でもいい。こいつの息子をここに呼んでこいっ」
バハムの指先がぴくりと動いた。
「おい、早くしろ。これはこいつのためでもあるんだ。死に際に息子に会わせてやろうじゃないか。なあ」
瞬間的にバハムの拳に魔力が集中した。勇者が腕を交差し、顔をガードする。が、バハムが攻撃したのは腹だった。腹部から胃袋を掴みだし、握りつぶした。
「う」
勇者が倒れた。すぐさま治癒部隊がバハムに駆け寄る。しかし、バハムの体の大部分は食われていた。治癒魔法でどうこうできる段階ではない。臣下の一人が叫ぶ。
「ベルゼ様をお呼びしろ。早くっ」
「――リンリ」
魔王の声とは思えないほどか細い声だった。リンリはそばに行き、手を握り応える。
「何です?」
「俺はじき死ぬ」
「治癒部隊が治療しています。私も、回復の料理を作ります。だから――」
「お前に、頼みたいことがある。ベルゼのことだ」
「バハム。ベルゼ様には、私ではなく、あなたが必要です」
「頼んだぞ。あと、世話になった。おいし、かった、ぞ、お前のりょ――」
目を閉じるバハムの手をリンリは強く握る。けれど、その手に熱が戻ってくることはなかった。リンリの手はそのとき、死の冷たさを覚えた。
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手が、温かい。誰かが握ってくれている。
悪夢から抜け出すようになんとか目を開けると、そこは魔王城四階のリンリの居室だった。ベッドに寝かされたリンリの手を握っていたのは、魔王ベルゼだった。




