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魔王の愛した料理人  作者: 仙葉康大
プロローグ
1/69

~天使の目玉焼き~

 敵襲を告げるラッパのファンファーレが、魔王城に鳴り響いた。


 早朝の厨房。黒いコックコートを着た、黒髪黒目の料理人がひとり、パン生地をめん棒で伸ばしていた。生地を折り、伸ばす。それを繰り返す。


「リンリ殿、天使の軍勢ですっ。このままではこの城は落ちます」

「そうですか」


 衛兵からの報告にリンリは、顔色一つ変えずそう言った。


「そうですかって、朝食の準備などしている場合ですか。早くお逃げください」

「私には、魔王様及びその配下の者たちに毎日三食提供する責務がありますので」

「三食提供などと言っている場合ですか」


 落雷の轟音。天使の攻撃に城が揺れている。


「あの強かった魔王様は、もういないのです。わが軍が天使たちに勝てる見込みは、ありません」


 リンリはため息をついて、パン生地を窯に入れ、火炎魔法を放った。


「焼きあがるまで十六分。あなたはここで窯を見ていなさい」

「ど、どこに行かれるのですか? リンリ殿」

「食材の調達に」


 厨房を出て通路から中庭へ。

 空を埋め尽くすほどの武装した天使たち。

 城の衛兵は次々と雷に焼かれ、倒れていく。


 リンリは魔力を足に溜め、空を蹴った。天使の放つ雷撃を躱し、まずは一体、その首へ包丁を入れ、切り落とした。


「何だ? 貴様は?」


 白銀の鎧の天使が尋ねた。リンリは包丁を布巾でぬぐい、答える。


「魔王城料理長リンリ・ルルコース」

「料理人? 苦し紛れに料理人を戦に投入するとは、この城の魔王はよほどの戦下手と見た」


 瞬間、天使の首が飛んだ。リンリの包丁から伸びた鋭い魔力の刃によって。


「魔王様への侮辱は許しません。あと、これは戦ではありません。あくまで私は、料理人として、食材の調達に来ただけ」

「ふざけるなっ」


 天使の軍勢がリンリを取り囲み、攻撃を仕掛けてきた。四方八方、天上天下からの槍による突きを見切り、かわし、首をはねていく。着ている漆黒のコックコートに天使の白い返り血を浴びながら、パンが焼きあがるまでの残り時間を考える。


 リンリは呪文を詠唱し、魔法を発動させた。


「焼成魔法」


 明け方のうすむらさき色の空に火が走り、連なり、炎の波となって天使たちを飲み込んだ。うめき声が空を満たしていく。焼きすぎて消し炭にならないよう、リンリは魔力を調節する。


「まだ、まだ、まだ、今」


 焼成魔法を解く。こんがりと焼けた天使たちがそろって落下した。城の尖塔に突き刺さった天使の目玉をえぐり取り、空から地上へと駆け下りる。倒れている天使の目玉を拾いながら厨房に戻り、窯からパンを出す。


「リンリ様、天使どもの攻撃がやんだようですが、いったい?」

「敵は全滅。パンの見張り、ありがとうございました。あなたも持ち場に戻りなさい」


 リンリは衛兵に焼きたてのクロワッサンを一つ手渡し、残りは大皿にのせた。底のやや深い器を別に用意し、さきほど収穫した天使の目玉を山のように盛る。


 右手にクロワッサンの皿を、左手に天使の目玉の器を、懐に飲料とグラスを忍ばせ、厨房を出る。天使の死体が堆く積みあがっている中庭を横目に通路を進む。負傷した兵士たちが担架で運ばれていく姿が目に入った。リンリは歩調を速め、担架の横にぴたりとついた。


「リ、リンリ様」

「どうぞ」


 負傷した兵士の手元に皿を寄せる。兵士はゆっくりとした動作でクロワッサンを一つ取り、言った。


「うう、ありがとうございます」

「いえ」


 リンリは担架を追い越して、地下へと続く螺旋階段を下りていく。


 魔王城直下の防空壕。戦の際、負傷者はここに運ばれる。治癒部隊の者たちが忙しなく動き回っている中、リンリは悠然と歩を進める。


「大丈夫。君は助かる。気をしっかり持て」


 そう言って負傷者に包帯を巻いている少年の後ろに、リンリはひざまずく。


「魔王様、朝食を持ってまいりました」


 少年は振り向くと、明るい琥珀色の瞳をリンリへと向けた。


「ありがとう、リンリ。せっかく君が作ってくれた朝食。できれば出来立てを食べたい。しかしぼくは今、兵士たちの傷の手当で手が離せない。これは困ったぞ」


「僭越ながら、もしよければ私が食べさせて差し上げましょう」


 リンリはクロワッサンを少年の口へ差し入れた。少年の名はベルゼ・バアル。この城の主、魔王である。傷口に薬を塗り、包帯を巻く手を止めずにベルゼは、クロワッサンを咀嚼する。


「うまい、うまいぞ」

「こちらもどうぞ」


 天使の目玉焼きを匙にすくい、ベルゼの口へと運び入れる。


「おおっ、これもうまい。噛んだ瞬間、旨味が口の中であふれたぞ。リンリ、皆の者にもこれを」

「かしこまりました」


 リンリは重傷の者から順番にクロワッサンと天使の目玉焼きを食べさせていった。それらを食べた者の傷はみるみるちにふさがり、完治した。


 全員に朝食をふるまったリンリは厨房に戻った。皿を洗っていると、背後から近づく足音がした。


「すばらしい働きだったぞ、リンリ。流石は魔王城筆頭料理人」


 声でベルゼだとわかった。リンリは手を止め、ふり向いて一礼する。


「私はただ、朝食をお出ししただけでございます」


「負傷していた皆を代表して、ぼくが礼を言う。ありがとう。そしてごちそうさま。昼食も期待してるぞ」


「お任せください、魔王様」

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