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魔法使いに魔法を、怪物にナイフを  作者: 月光女神
第一章 勇者襲来編
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第九話 夜の誓い

 食事を済ませ、日は沈み、夜が来た。レインは街に戻った。今回の件について調べるためにも、街に長期滞在するとのことである。何か分かれば伝えに来てくれるとのことだ。状況を踏まえたのか、ヘレナもレインの来訪を許可していた。目つきは鋭利なナイフのようだったが。

 ソラリスは、居場所が見つかるまで俺たちと住むことになった。俺からの提案だったが、あまりにもあっさりと、ヘレナはそれを了承してくれた。てっきり反対されるかと思っていたのだが……。

「ソラリスなんだけど、居場所が見つかるまでは、ここに置いてやってくれないか」

「分かったわ。ただし、家のことは手伝わせるわよ」

「……え、うん」

 食事中、怖いくらい簡単にヘレナの許可を得た。レインは驚きのあまり、空になったスープの器から空気をスプーンですくい取って口に運んでいた。

 深夜、俺はベッドから起き上がる。別室で眠っているヘレナとソラリスを起こさないよう、服を着込んでゆっくりと外に出た。幸いにも、俺の寝床はダイニングの隅っこのまま。玄関直結なので、無事に音を立てず外へ出る。

 吐く息は白い。

 これだけ大勢の仲間と食事ができるとは思いもしなかった。夜、星空の下で雪原を歩きながら、幸せだった時間に思いを馳せる。

 そうやって、自分への恐怖から目を背けている。

 それは仲間がいる時にしか現れない、まるで魔法のような逃げ道。一人になれば、俺が直面している現実と向き合うことになる。

 これは、そんな時間。

 俺が俺から逃げないための時間なのだ。

 満天の星、柔らかい雪。ただ一人、俺はセーナ湖に向けてゆっくりと歩く。

「お兄さん」

「っ、ソラリス」

 振り返ると、エルフの少女が立っていた。雪原の奥にあるログハウスから、俺の足跡を追う小さな足跡が月明かりに照らされている。

「どこ行くの」

「ただの散歩だよ」

「一緒に行く」

「……」

 今は一人にしてくれ、言いかけた言葉を飲み込んだ。黙る。奇形児として虐待され、故郷からエデニスト商会に売られ、孤独に生きてきた少女はやはり無機質な目で俺を見上げている。

 だが、なぜだろう。怒涛の数日を共にしたからか、ソラリスのくすんだ銀色の瞳に不安の影を感じた。

 俺がこの子を連れてきた。責任がある。この子の人生に大きく踏み込んだ責任が。

「じゃあ、一緒においで。寒くないか」

「うん。いっぱい着込んだ。大丈夫」

 カーキ色のローブを纏ったソラリスは、俺の横に並んだ。まだ小さな身体だからか、雪道に足がよく取られていた。

「大丈夫か」

「ん。大丈夫。ただ慣れていないだけ」

「雪にか。故郷は雪、降らないのか」

「降る。北にあるから、ここより。でも私、気持ち悪いって部屋の中から出してもらえなかったから。雪道、歩いたこと少ないの」

 返す言葉は、すぐには見つからない。月明かりが消え、闇が力を増す。雲がかかったようだ。

 ソラリスは頑張って歩いている。

「……ソラリスはさ、故郷に帰りたいわけじゃないよな」

「うん」

「どうする、この先。まだ子どもだ。学校とか、この世界にはないのか」

「あるけど、この国は人間の国。人間の学校に通うのは結構大変。私、この国の国民でもない」

「まあ、そうか。でも、友達とか、家族とか、何か居場所は必要だろう。早く、見つけないとな」

「……」

 ソラリスの歩みが、遅くなる。重いものでも背負ったように、雪道に沈むように。

 振り返り、俺は見た。

 月の光が、その子を照らす。雲が切れ、闇の中の道標となって光は降りる。無造作に伸びた銀髪がキラキラと輝く。右顔は髪で隠れているから、左半分の表情でしか彼女の気持ちは分からない。

 ああ、半分で十分だ。

 なんて顔してんだよ、ソラリス。

「ソラリス」

 良いのだろうか。俺は、過去の俺も知らないままなのに、悪党かもしれないのに、こんなことを言ってしまっていいのだろうか。

 悩みは吹き飛ぶ。

 目の前の現実で塗り潰される。俺を見つめてきた銀色の瞳に、何もかも吸い込まれる。

「ここでいいのか」

 言葉にしてしまった。

 よく見れば、少女の瞳から涙が流れていた。

 彼女は俺を見つめて無表情に泣きながら、頷いた。

「俺は、記憶がない。命も狙われてる。大量殺人鬼かも、しれない。いいのか」

 また、彼女は静かに頷く。

 あれ。なんだ。視界が霞む。

「俺なんかで、いいのか」

 ソラリスの顔が、見えなくなった。なんだこれ。なんで、俺、泣いてるんだ。ボタボタと、みっともなく、激しく涙が溢れ出る。

「お兄さんがいいよ」

 声が聞こえる。

「なんでもするから、ここにいたい」

「なんで」

「助けてくれたから」

「殺した。二人」

 声が近づいてくる。

 ゆっくり、ゆっくり、頑張って近づいてくる。 

「知ってる。見てたよ」

「怖くないのか。俺は、怖い」

「怖かった。でもいいんだ、怖くても」

 目の前だ。

 うずくまって惨めったらしく泣いている俺の前に、その子は来た。どんな顔をしているのだろう。どんな気持ちで、俺を見ているのだろう。俺は、顔を上げられない。

「いいんだ。お兄さんとならいいよ」

 頭を、撫でられる。

 その、あまりにも小さな掌に驚く。俺はようやく顔を上げた。

「怖くてもいいよ。戦うことになっても、明日死んじゃってもいいよ。お兄さんが悪い人で、殺されちゃってもいいよ−−−どうなったって、いいよ」

「ソラ、リス……」

「だからね」

 ボロボロと泣きながら、ようやく長い長い旅が終わったように笑う、女の子がいた。

 俺に抱きついてきた。

 親から離れるのを全力で嫌がる赤子のように、すがりつくように抱きしめてくる。

「嫌だよ、お兄さん。一人は嫌だ。お兄さんたちと、一緒にいたい」

「……」

「お兄さんといたいの。一緒に、いたい」

「……ああ」

「おいていかないで。怖いの、もう戻れないの」

「分かってる、置いていかないよ。大丈夫だ」

 俺の涙は止まっていた。きっと、この子のおかげで止まってくれた。寒さで震えているわけじゃない、ただ怯えている少女を強く抱き締める。

「ご飯、楽しかった。レインは優しくて、ヘレナは怖い。あと、お兄さんがいる」

「うん」

「あったかいから、もう一人は、私」

「もういい。ソラリス。大丈夫だから」

 初めて見る。子どもらしく泣き続ける、こんな姿は。何もかも諦めたような鈍い銀の瞳。ソラリスは期待も恐怖もこの世界に持たないで生きてきたのだろう。

 俺が、それを与えた。

 これは俺の罪だ。俺が与えて、彼女は泣いている。

 だから、彼女の居場所はここだ。俺の腕の中だ。少なくとも、今は。

「落ち着いたか」

「……うん」

「あはは。涙拭こうな。肌荒れちゃうから」

「っ」

 彼女の前髪をかきあげた。俺は、空虚な右目から滴る雫を、人差し指で拭ってやる。頬まで伸びるズタズタの切り傷の跡を、今更意味もないができるだけ優しくさすってやる。

 大きく見開かれた銀の左目に、俺の顔が映っていた。ああ、なんだ、これなら大丈夫。ソラリスは安心してくれるだろう。俺、今、こんな顔してるのか。

 なんだよ。ウジウジ悩んでいたくせに、結局幸せなんだろう、馬鹿みたいな奴だ。

「ソラリス」

「お兄、さん……」

 少女の頭を撫でて、俺は立ち上がる。

「家帰るか」

「……あの、顔……私の、目……」

「よいしょっと」

「わ」

 ブツブツ呟いているソラリスを抱き上げる。太ももの下に腕を回し、胸に抱えて歩き出した。

 顔を赤くした彼女の顔が、よく見える。

「お、お兄さん、なにするの」

「疲れたろ。甘えていいよ」

「あ、歩けるよ、私」

「歩かなくていい。今は。いや、違うな。俺、ソラリスのこと大好きだよ。だから、なんかしてやりたいんだ」

「……だい、好き?」

「ああ、大好きだ」

「……………………………………………」

 可愛い奴だ。あれだけ無表情だったのに、今はあからさまに恥ずかしがっている。

「お散歩は、もういいの」

「もういいよ」

「どこも、行かないの」

「ああ、一緒にいよう。もういいだろ。無理にどこかへ行く必要もない」

「……うん。そう、もういい」

「ああ。もういいよな」

「ふふ」

 ようやく純粋に笑ったソラリスに、俺も釣られて笑ってしまった。

 しばらく歩くと、家が見えた。

 俺たちは帰る。俺たちの家に。そこで、俺は家から続いていた足跡の違和感に気づいた。俺とソラリスの足跡以外に、何かの痕跡が残っている。まるで何かの動物が自分の足跡を消したような、雪が不自然にかき分けられた跡。

「……見られてたかなあ」

 明日、場合によっては朝からソラリスを庇って戦わなければなるまい。

 覚悟を決めて、俺はソラリスと共にログハウスの中へ帰っていった。



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