第八話 晩餐会
「ジーン!!」
覚醒早々、一番顔を合わせづらいコンテスト優勝のヘレナが俺に駆け寄ってきた。ぎゅっと抱きつかれるが、傷口に彼女の身体が接触し痛みに……。
あれ、痛くない。
「お兄さん、傷は治ってるよ」
「ソラリス……」
食卓の椅子に、ソラリスとレインが座っていた。彼女の身体から、手枷と足枷が消えている。
レインだ。俺は本心から、ただ一言。
「枷、取れたんだな。良かった」
「うん。お兄さんのおかげだよ。ありがとう」
ソラリスは笑った。
初めて、まともに笑ってくれた。本当に少しだけ、頬が緩み口角が上がっている。
なんだか胸に熱いものがこみ上げてきた。
俺は、レインと目を合わせる。
「レイン、ありがとう」
「いいんだよ。礼ならこの子に。ほとんど死んでいた君を救ったのは、この子さ」
立ち上がり、ソラリスの傍に寄ったレインが彼女の頭に優しく手を添える。
「回復魔法はエルフの特権的魔法だが、『対象の生命力を増大利用』することで回復させる。死んでしまえば、何もできない。死にかけだった君が助かったのは、間違いなくこの子が優秀なエルフだったからこそさ」
「……ソラリス、ありがとう」
俺は生きている。小さく頷いたソラリスの枷は外れていた。レインとまた会えた。結果だけ見れば、俺の望みは全て叶ったと言えるだろう。結果オーライだ。
背中に回っている白くしなやかな腕の力が、もう背骨を折ってしまいそうなくらい強くなっていることを除けば。
「約束破って」
「へ、ヘレナ待って、痛い」
「変な女、私たちの家に連れ込んで」
「女って、っぐ……言うか、子ども……ごぁ……」
「死にかけて」
「っぐ、ぬぁ……!!」
「私のこと無視してそっちばっかりで」
「し……ぬ……」
ふっと、あの世への入口が閉ざされる。抱擁が弱まり、彼女の顔が目の前にあった。
泣いていた。
一筋の涙、どころではない。その赤いルビーの瞳から、雫が永遠と滴り落ちる。
「心配、したのよ」
「……うん。ごめん」
謝ることしか、できなかった。まともに彼女の顔を見ることができない。視線を落とし、その反応を待ってみる。
大体、とヘレナは少し荒い口調になった。
「なんで街なんか行ったのよ、ジーン。あれほどここから動くなって私、言ったわよね」
「……食料庫の鍵を、なくしたんだ。食い物がなくて、それで」
「そんなの、そんな……。そんな偶然で、こんな……」
「ごめん」
「……もう、いいわ」
ヘレナはか細い声で答えてくる。俺は黙ってしまった。何を言ってあげればいいか、分からなかったから。
「足が」
ヘレナが呟く。
それは、軒先から滴り落ちる、水滴のような言葉だった。
「足がなければ、ジーンはここから離れなかったのかしら」
ぞっと、背筋が凍った。
魔法を使われたと言われれば納得するほど、あまりにも冷酷な言葉だった。
「ヘレナ!!」
レインが声を張り上げた。
ヘレナの肩を掴み、俺から引き離す。
「ヘレナ、殺すなら殺せ。どうせ勝てやしない、知っているさ。けれど、今のはなんだ」
「……なによ」
「ジーンのことを支配するつもりか。なんだ、今のは。君はジーンを守りたいのか、支配したいのか」
「……」
ヘレナの瞳から、光が消える。ルビーの瞳は、鮮血で染め上げたような色に落ちる。
「やれよヘレナ。いいさ、やってくれ。だけどね、君は間違っている。あんな言葉をジーンに投げかけるのは、絶対に許せない」
「裏切り者が、偉そうね。レイン」
「裏切り者さ。だから殺せよ、いいさ。だからヘレナ、死ぬ前に教えてあげるよ。君のそれは支配だ。ジーンを守っていない。君こそ、ジーンの敵だ」
「……」
「ジーンを守る奴が、ジーンの足がなければだって。ふざけるな、ヘレナ」
「……」
「君は今、冷静じゃない」
「……ええ」
ヘレナは反論しなかった。
ただ、青ざめた表情で、俺を見つめてきた。
「認める。ごめんなさい、ジーン。失言だったわ」
「……ヘレナはさ」
明らかにすべきだ。
恐らく魔法使いの中でも別格、くわえてエレストヤ国と何かを取引してここ一帯の土地を所有、俺を守るための脅威的な結界魔法を常時展開し雪原地帯を維持する少女。
人間最高峰の魔法使い、勇者レイン・フォレスターでさえ届かない力を持った、俺を甲斐甲斐しくも世話する少女。
謎の多い、その正体を。
「ヘレナは、どうして俺を助けてくれるの」
「ジーンが私を助けたから。私の番なの」
「俺は君に、なにをしたの」
「……」
「……黙秘か。分かったよ、ヘレナ。もう大丈夫」
俺はベッドから立ち上がる。
しばらく何も食っていなかったのだろう。貧血でふらつくが、それをヘレナが支えてくる。
俺は微笑んだ。
「ありがと。でも、大丈夫だから」
「ジーン……?」
「賞金首なんだろ、俺。そんで存在がなんたら商会の闇ギルドにバレた。追われてる身ってわけだ」
「ええ、そうよ。だからここにいれば−−−」
「教えて欲しい。俺の過去を、全て。俺はここでただ普通に生きるだけの生活は、もう送れない」
「…………………………………………………」
ここにいれば、きっと安全だ。何も困ることはない。そんなことは十分に理解している。
だが、命の保証よりも、大事なことが俺にはある。
「俺は俺の過去を知らなくちゃいけない。そのためなら、ここから出ていくことも躊躇わない」
「……」
「俺は悪い奴だったのか、それを思い出したい」
「ジーンは優しい人よ」
「優しい奴は、魔法使いを殺すために喉を潰すことに慣れちゃいない」
「ジーン……」
彼女はうなだれる。胸が痛む。悲しい顔をさせてしまった。
ここは好きだ。朝起きて彼女と食事を取り、魚を獲って、晩御飯で語り合う。それを永遠と繰り返す。敵は来ない。危ない動物さえいない。常に天候は晴れ。天国に最も近い、そんな場所。
だから、だめなんだ。
俺は俺を知る必要がある。知らなくては、いけない。
ヘレナが教えてくれないのなら、もう一人に頼むしかない。
「レイン。教えてくれ。俺のこと」
「……僕は、君の友人だ。助けてやりたいさ。でもね、ジーン。今のはヘレナが悪い。けれどね、彼女が君を大切に守ってきたこともまた事実だ」
「……」
「行き過ぎた愛情は支配欲に変わる。誰でも持ち得る、ありきたりな罪さ。許してあげてくれないか、ジーン」
「いや、怒っちゃいない。もちろんだ、俺だってヘレナといたい。だけど」
「どうしてヘレナがそこまで君に執着するか、怖いんだろう」
俯いているヘレナの肩が、びくりと跳ねる。
彼女から視線を逸らし、頷いた。
「ああ、そうだ。俺は殺人鬼かもしれない。そんな奴に、なぜ尽くす。優しくできる」
「何を思い何を成してもいい。だけど、ジーン。ヘレナと一緒にいなよ。離れちゃだめだ」
「……なんでだ」
「君とヘレナは、家族なんだから」
「……」
レインの表情は、愚図る弟をあやす兄のような安心感があった。やはり、俺はレインと友人だったのだろう。何度も彼に助けてもらい、何度も悩みを聞いてもらっていたのだろう。
「なあ、レイン」
「なんだい、ジーン」
「俺とあんたは、今も友達か。記憶がない、こんな俺でも」
「断言しよう。友達だ」
曇りない眼で、一切の躊躇いなく。
レイン・フォレスターは、まっすぐに俺の目を見て笑う。そう言い切れたことを喜んでいるような、そんな満開の笑顔だった。
確信する。
俺は、ヘレナの頭に手を添えた。よく見れば、小刻みに震えている。あれだけ圧倒的な力を持つ魔法使いが、小さく怯えるただの子どものようだった。
「ヘレナ。突き放すようなことを言ったよ、ごめん」
「……出て、行くの」
「行かないさ。一緒にいよう。でも、俺は自分のことが知りたい。だけど、それを教えることを強制はしない。君にも考えがあって、事情があって、俺に俺の過去を教えられないんだろう」
「……ええ」
「頭じゃ分かっているんだ。意地悪で教えてくれない、なんて思っちゃいない。だけど−−−」
「殺し方、思い出したんでしょう」
「……うん、そう。魔法使いを殺すために何をすべきか、身体が全て覚えていたんだ」
持ち上がったヘレナの顔は、ひどい顔だった。
怯え、不安、後悔のような感情をスクランブルエッグにしたような、そんな目をしていた。
「だから、君への理解よりも、動揺が勝った。ごめん」
「当然よ。私こそ、動揺したわ。あなたが死んじゃうんじゃないか、どうすればこんなことにならなかったのか、そんなことばかりで頭がいっぱいになったわ。怖いことを言って、ごめんなさい」
「一つだけ教えてくれたら、許す」
「……なに、かしら」
視線を落としたヘレナに、俺は精一杯笑って訪ねた。
「みんな、もう飯食った?」
「あれジーン、野菜嫌いじゃなかったかい」
「嫌いだったのかな。ヘレナの料理は、何でも美味いし食えるんだけど」
「ああ、なるほどね。君は生野菜だけは食べてなかったからね、わざわざ煮込んで柔らかくしているのか」
「生野菜……。そういや食ってないな」
「僕のをやるよ。ほら」
「−−−う」
「あはは、変わってないなジーン。大丈夫、君は昔のままだ。ははは」
「笑うなよ。変わってないなら、嬉しいけど。なんかガキっぽいだろ」
「そのガキっぽさが君のいいところだったのさ」
「意味わからないって。レインは嫌いなもの、ないのか」
「ないね。なんでも好きさ」
「羨ましいよ。特に好きなものは?」
「魚料理だね。昔、君と釣った魚で特別大きいのがいたんだ。君が脂ののったところばかり食うから、たまったもんじゃ−−−」
ドン、と俺の目の前にミルクが置かれる。置かれるというより、叩きつけられたと言うべきか。だってコップから飛び散ってるもん、ミルク。
わざわざ俺の喉の乾きを気遣ってくれたのは、ヘレナだ。丸い食卓でレインは俺と向き合って座り、俺の左にヘレナ、右にソラリスが座っている。
食卓には個人個人に野菜のスープ、焼いた肉と果物、パンが並べられていた。
「レイン、唾が飛ぶわ。黙ってくれるかしら」
「あ、ああ。すまない。でも、ジーンだって−−−」
「まずジーンのは問題ないし、ジーンはあなたがベラベラベラベラ喋るから仕方なく付き合ってあげているだけでしょう」
「……ジーン」
なんだろう。レインが泣きそうな目で俺を見てくる。過去に何かあったことは分かるが、あまりにもヘレナとレインの上下関係が激しすぎる。
ヘレナはむっとした顔で食事を取っている。なるほど、少しレインと喋りすぎたのか。そもそも四日、彼女とは離れて暮らしていたのだ。これは俺の気遣いが足りなかったか。
「ヘ、ヘレナ。スープいつもありがとう。野菜うまいんだよ、これ」
「いいのよジーン。誰にだって苦手なものはあるわ。子どもとか大人とか関係なくね」
う、とレインがダメージを受ける。
難しい問題だな。いじめの領域に入っている気もする。
レインもヘレナの機嫌を取ろうとしたのか、スープを飲んで少し大袈裟に言った。
「いやあ、うまい。確かに美味しいよヘレナ」
「あなたのは生野菜を適当に切ってぶち込んだだけで硬いし、スープも冷めた後温め直してないから美味しいはずはないわ」
「……ああ、うん。やっぱそうなのか、これ」
「あと唾」
「……」
ついに黙ってスープをすすり始めた男の名は、炎の勇者レイン・フォレスター。この国の英雄らしい彼は、最高峰の魔法使いでもある。
なんというか、そんな肩書きが全て嘘に見えるほど、寂しい姿だな。
「ソラリス。うまいか」
「うん」
先ほどから、一人黙々と食事に徹していたエルフの少女に声をかける。あまり、レインとヘレナを絡ませてはいけない。もちろん俺とレインが話すのもよくない。なにこれ、詰んでる。
ソラリスだけが、安心して話の中心に立っていられる存在なわけだ。
「激うま、だよ。お兄さん」
「はは、激うまか。なら良し」
ソラリスの口元についていた肉のソースを布巾で拭う。ろくなものを食べていなかったのだろう。目の前の食事に夢中になっている姿に、思わず頬が緩んだ。
ドンッッ!! と、またミルクが叩きつけられる。恐怖で震えるレインの視線を追うと、甲斐甲斐しくも俺のミルクを注ぎ足してくれたヘレナの笑顔があった。
すっげえ笑ってる。絶対笑ってないのに、すんげえ笑ってる。
「エルフ、そういえばあなた、謝罪と感謝はジーンにもう伝えたわね」
「っ!!」
肉に突き刺したフォークを口に突っ込んだソラリスは、青ざめた顔で硬直する。ぴくりとも動かず、額に汗をかいている。
「ソラリス?」
「……」
俺の言葉に反応はない。
なんだ。よく分からないが、レインがまた恐怖で震えているのは分かる。え、今のなにが怖かったの。
「ヘレナ、なんだこれ」
「さあね、ジーン。そこのエルフ、あなたに謝罪と感謝をしたいってここに居たから。後悔なく、未練なく、きちんとできたのかしらと思ってね」
「なんだよソラリス。しつこいくらいだ。君も助けてくれたんだ、もういいよ」
「ええ、そうね。もういいわよね、エルフ」
ガクガクとソラリスは震え始める。なんなの、この食卓。震えてる奴が半分で、さっきから机がガタガタうるさくて仕方ない。
レインは分かるが、ソラリスまでどうしたのだろうか。
「お、お兄さん」
「なんだ、ソラリス」
「あの、私、まだ一緒にいたいよ」
「ああ。もちろん。俺だってそうさ」
「ほ、本当に」
「ああ、本当に」
「私が殺されたら、どうする。犯人、許せる」
「どうって……。いや、そいつは絶対に許せないだろ。気持ち的には、絶対に復讐する」
「へ、へえ、そうなんだ。ありがと、嬉しい」
「よく分からんが、まあ君がいいなら」
パリン、と左から破壊の音が響いた。見れば、ヘレナの握っていたコップが割れて食卓の上に散らばっている。
「ヘレナ、大丈夫か」
「ええ。ありがとうジーン。大丈夫」
「落としたのか」
「落としてはいないわ。でも、大丈夫」
心配かけまいと笑ってくれるヘレナだが、ピクピクと目の下の筋肉が痙攣していた。なぜかソラリスにもその顔を向ける。
レインはなにか称賛でもするようなキラキラした瞳でソラリスを見つめている。
……なんで二人とも、そんなにソラリスを見てるの。
不穏さだけが常に隣人、そんな食事が荒々しくも流れていった。