第六話 魔法
魔法。
この世界の動物全てに、その原動力となる魔力が存在する。魔力をエネルギーにして意図的に特殊な現象を操ることができる。
例えば炎や風、水や電気を生み出し自在に操る。対象の生命力を引き上げて傷や病を治してやる。炎を操るだけでなく、それを剣に纏わせる。風を使って空を飛ぶ者もいるという。
「すげえな、魔法」
「他にもいろいろな魔法がある。例えば、修復や回復みたいな魔法は私たちエルフにしか扱えないことがほとんど。竜人たちにしかできない変身魔法っていうのもある」
俺はソラリスと一緒に、昼間買い物をした市場まで戻ってきた。既に店のテントは閉まっているが、テント同士隣接して立ち並ぶここは人目につきにくい。
テント同士の隙間のスペースで、俺たちは座り込んでいた。
「変身魔法って、どういうの」
「竜の姿になれる。竜は古代の動物だけど、その血と遺伝子を受け継いできた竜人だけが扱える魔法」
「血筋や種族によって、扱う魔法も変わるのか」
「うん。私をさらったあの二人は、魔族だった」
「……魔族、だったのかあれ。見た目は完全に人間だったけど」
「人間と魔族に見た目の違いはないからね。魔族かどうかは、魔力の質で分かる」
「質」
難しい。魔力には質、つまり厚みとか重みとか色みたいなものがあり、それを魔法使い同士なら感じ取れるということか。
「うん。魔族は圧倒的に魔法の才に恵まれた種族。だけど数が少ない。だから、会えばすぐに分かる。彼らの魔力は他種族の魔法使いと比べて、魔力がどろっとしてる」
「どろっと……」
「魔法使いじゃないと分からない、感覚。お兄さんに魔族か人間か見分けることは難しいと思う」
「魔力探知ってやつで、分かるのか」
「うん。魔法を習得すると、魔力に対する感覚がレベルアップする。魔力の存在を常に感じ取るようになるんだ」
「ふーん。それで、俺から魔力は……」
「感じない。一切。まるで、そこにいないみたい」
「らしいな。意味わからん」
俺は元々この世界の人間じゃないから、魔力とやらを持たずに存在しているのかもしれない。だが、それはこの世界において明らかに異端。
俺はその特異性をいいことに、魔法使いを相手に『殺し』を続けていたのだろうか。
「怪物ね……」
「? 怪物って、どこ」
俺の呟きに、ソラリスは辺りをキョロキョロと見渡す。
「−−−ほんと、君には救われてばかりだな」
「意味、わかんない」
この子の枷を外す。できるなら、ヘレナの帰ってくる前に。タイムリミットは、あと一日半、程度だろうか。どのみち、枷を外してソラリスを自由にするまで、俺は帰るつもりはない。
彼女の前髪に、ゴミがついていた。俺はそれを取ろうと手を伸ばす。
瞬間、初めてソラリスは拒絶の意思を強く示した。
飛び退き、前髪で隠れて見えない顔を腕で庇う。
「あ、ごめん。ごみがついてるから、髪に」
「……あ、えっと」
自分でゴミを取ろうとしているようだが、小さなその手は何もない髪ばかり触れて空を彷徨う。
「取ってやるから、おいで」
「いや、でも。前髪は、その」
「……右顔、見ないで欲しいのか」
「っ」
小さく頷いたソラリスに、俺は沈黙を返す。顔の右半分を隠している銀髪の向こう側に、一体なにがあるというのだろう。
「分かった、見ないよ。おいで」
「……うん」
四つん這いで近寄ってきたソラリスの前髪から、ゴミを取ってやる。
「ありがとう、お兄さん」
「いいよ。答えたくないならいいけどさ、顔なんかあったの」
「……」
「ごめん。いいよ、気になってな。何か助けてやれたらと、思っただけで」
ソラリスの表情が、よく分からない。
暗い路地の片隅、テントとテントの間にいては、繊細な表情まで見ることが難しい。
静かになった。
ソラリスは俺の横で膝を抱えて座っている。
「……ないの」
「え?」
ぽつぽつと、小雨が降るように言葉が落ちてきた。
ソラリスは、本当に小さな声で話してくれた。
「目、半分ないんだ。生まれつき」
「ないって、どういう」
「奇形児なんだって。右目だけないの。だから、お母さんもお父さんも、村の皆も、私のことを嫌ってた。だから、売られたんだと思う」
「……」
「あと、いっぱい切られた。右顔。ズタズタに。気持ち悪いって、お母さんが」
ソラリスの顔が見えない。
見えないことに、少し救われた気がした。
「だから隠してるの。目がないし、切り傷だらけだし」
「回復魔法ってやつじゃ、治らなかったのか。エルフは得意なんだろ」
「生まれつきのものだから、治らない。もともとないものは創り出せない」
「そう、なのか」
「うん。あと、私自分に回復魔法使えないから、あんまり、意味ないかも」
俺は分からない。
この子の苦しみに、寄り添いたいと思った。だが、この気持ちは果たして優しさと言えるのか。俺の不幸よりも、ソラリスの方があまりにも不幸に見えた。彼女を助けることで、自分の不幸から目を背けていい気になっているだけじゃないのか。
俺は、醜い怪物なんじゃないのか。
「寒いなあ、ソラリス」
「え……うん。寒い」
「そっち、行ってもいいかな。寒いや」
「うん」
近づく。肩と肩が触れる。抱きしめてやることは、醜い気がした。俺が俺を救うだけの、汚い演出に思えて仕方なかった。
だけど、純粋にこの子を思う気持ちも嘘じゃない。嘘じゃないはずなんだ。
「ソラリス」
「なに、お兄さん」
「何もしてやれなくて、ごめん。俺は無力だ」
寝よう。
俺は目を瞑る
ソラリスのか細い声が聞こえたが、きちんと聞き取れなかった。
「初めて言われたよ、そんなこと。……ありがとう、お兄さん」
朝、開き始めた市場の賑いで目を覚ました。俺の肩に頭を乗せて眠っているソラリスを起こすと、こっそり市場から離れた。
この枷を外すために、何ができるだろうか。ソラリスを連れ、人混みに紛れて移動しながら思案している。
(ソラリスは完全に見た目奴隷だ。この街の誰かに助けてもらうのは危険かもしれない。敵の情報網がどこまで届いているか分からないからな)
俺の上着をマントのように着込んでいるソラリスは、手枷は見えないが足枷は丸出しだった。気づいた通行人の何人かは、怪訝そうな目でこちらを見つめている。
「お兄さん、どこ行くの」
「考え中。やっぱり目立つな、足枷。もし君を買い取る気だった、なんちゃら商会ってのにバレたらまずい。人のいないところに行くしかない」
「……この枷、すごく硬い。多分普通に切ったりは難しいと思う。やっぱりいいよお兄さん、帰ってよ」
「だめだ。俺が助けた、その責任を取る」
「でも、魔法で壊さないと、いけないと思う。難しいよ」
「魔法で壊す。魔法を使える奴がいる……あ」
数日前の出来事がフラッシュバックする。セーナ湖で出会った青年、レイン・フォレスター。
「レインだ。レイン・フォレスター」
「……もしかして、炎の勇者のこと」
「知ってるのか」
人の量が増えてきた。俺はソラリスの手を握り、はぐれないように引き寄せる。道際に寄り、人混みを避けて、彼女に振り返った。
「うん。有名人だよ。エレストヤ国の炎の勇者。大魔法使い。人間が魔族に勝ったのは、彼なくしてありえないって村のみんなも言ってた」
「そいつ、俺の友達」
ぐっと親指を立ててサムズアップを決める。
ソラリスは、雨に濡れた子犬でも見るような顔になった。
「……お兄さん、そこまでしないでいいよ。優しい嘘までついて、希望をくれるんだね」
「全く信じてないね!!」
「いや、だって大戦争の英雄だよ。人間の中でもトップクラスの魔法使い。そんな人と、友達なんて……」
「だってあいつが友達って言ったんだもん!!」
「ますます信じられないよ、お兄さん」
少し俺から距離を取った気がした。待て待て、妄想にふける狂人とでも思っているのか。距離を戻せ、こっちに来てくれ。
「本当だって。一週間くらい前かな。俺に会いにやって来たんだ、俺の家に」
「……あの、結界魔法の内側に?」
「っ!! ああ、そうだ」
ここまで来るのに苦労した、とレインは言っていた。そうか、そういう意味だったのか。ヘレナの結界魔法を破って来るのに苦労したという意味だったのだ。
てっきり、王都から距離があったとかそういう意味で捉えていた。それに、剣も持っていた。あれはヘレナの結界を破るために、必要だったから持ってきたのではないだろうか。
「レインだ。あいつはヘレナの結界を破って来れた。確かにあいつは強いはず」
「……もしかして」
「うん。レインにその枷を壊してもらおう。俺から言えば、話くらいは聞いてもらえるはずだ」
「本当に?」
「ああ、めちゃくちゃ仲良かったんだぜ。覚えてないけど」
「お兄さん、最低」
「仕方ないだろ、記憶ないんだから」
だが、レインは今どこにいるのだろう。王都からやって来たと言っていたが、王都のどこにいるのだろうか。
「お兄さん、その話が本当なら勇者様はこの街にいるよ」
「え、なんで」
「王都行きの馬車はここからしか出ない。でも、お兄さんのところに勇者様が現れた日から一週間、王都行きの馬車はお休みのはず」
「なんでそんなことが分かるんだ。ソラリスはこの街の人間じゃないのに」
「この一週間、馬はお金持ちの人間を色々なところから乗せてくるの。オークションのために。だから王都までの便はないって、あの魔族二人が話してた」
「オークションって……」
ソラリスは頷く。
「私が売られた、人身売買のオークション」
「胸糞悪いが、なるほどな。レインはまだ、王都に帰れてないわけか」
「多分」
「多分で十分。行こう、ソラリス。レインを探そう」
ソラリスの手を引いて、再び歩き始めた。
その時、俺の脇腹からずぷりと変な音がした。
ナイフが刺さっていた。
ぐっとさらに押し込まれて、完全に刃が見えなくなった。
誰かがいる。
誰かが、目の前に立っている。俺を刺した奴だ。
(……こんな感じなのか、ナイフって)
全く馬鹿げた頭をしている。自分で自分にそう思った。俺は、昨日殺した魔族二人のことを思い出していた。
「……いってえなあ、これ」
「仁。本当に生きていたんだね」
男の声だった。
白いローブを深く被っていて、その顔は分からない。身長は俺と同じくらいだった。
雑踏と騒音の中、誰もこちらに気づかない。ソラリスは俺が人混みで動けないと思っているのだろう。特に何も行動していない。
「誰だよ、あんた」
「バレてるよー、昨日の殺し。エデニスト商会が君を追ってるよ。そりゃあね、喉を掻っ切る手口は『怪物』の仕業−−−すぐに君だとバレちゃうよ」
「……誰、だって、言ってんだ」
「商会は闇ギルドの魔法使いを雇っている。ヘレナのいない君じゃ、まず勝ち目はない。無惨に殺される前に、私が君を殺してあげたかった。愛だね、これは」
「……耳、つい……てんの、か……クソ、野郎」
「君をこの世界に連れてきた、ただの魔法使いだよ。君に殺しを教えたのも、ぜーんぶ私。言ってみれば、親だよ、君の」
薄れていく意識の中、俺は自分の死を悟った。そんな極限状態でも、俺はしっかりと意味を理解して受け止めていた。こいつが、俺をこの世界に連れてきた張本人だと。
そうなると、つまり……。
(てめえの、せいか。ふざけやがって)
「一人じゃ寂しいだろう、後ろの子も送ってあげようか。怪物は孤独を恐れるものだからね」
「っ」
ソラリスの手を離す。彼女が人波に飲み込まれていったのが分かる。
お兄さん、と声が聞こえる。
次第にそれは、小さくなって、消えていった。俺は一人になった。
「あちゃー。逃がしたか。まあ、あの格好じゃ昨晩消えた奴隷だって丸わかりだし時間の問題だね。いいよ、私は見逃してあげよう」
「……うる、せえ」
「嬉しかったよ、仁。記憶を失っても尚、君は私の教えを守ったのだから。一人目は美しい殺し方だった。二人目は焦ったね、君」
「……」
「君からの愛を感じた。だから、私が君を殺してあげる。親子愛だね、仁」
よく喋る奴だ。
楽しそうに、喋ってきやがる。
「あはは!! 君、何も関係ないのにね。自分でやっておいてなんだが、可哀想な人生だったね。最後に詫びよう。すまなかったね」
声は出ない。
足から力が抜けて、ずるずると壁際にもたれて沈んでいく。
「おやすみ。孤独な怪物よ」
上から、言葉をかけられた。
バケツに入った水を、頭からぶちまけられたような言葉だった。
「取り消せ」
熱い。
誰の、声だ。聞き覚えはある。
「取り消せ、貴様」
「……来ちゃったか。おしゃべりが過ぎたなあ」
霞む視界で、俺は見た。人混みが海を割ったように分かれていき、その先に、ソラリスと一緒に歩いてきた一人の青年。
何だよ、近くにいたんじゃないか。
もっと早く、会ってくれよ、ちくしょう。
「ジーンは怪物じゃない。僕の友達だ」
レイン・フォレスター。
彼の表情は、ぼやける意識で分からない。それでも、その声だけは、海の底に沈められる気分になるほど重く冷たかった。 そして、燃え盛る炎のようだった。
見えなかった。
レインは一瞬でローブ野郎の目の前、俺の傍に接近していた。助走も何もない。一歩踏み出した、程度の動作でそこにやって来た。
「『フレイド』」
詠唱と同時に剣を振るう。爆炎が剣の軌道上に走り抜けると、鼓膜が破れるほどの爆音が炸裂する。
逃げ惑う人々の声は、すぐに小さくなっていった。何本もある路地裏を通って皆逃げていったのだろう。
「ジーン!! くそ、刺されてるのか」
ああ、だめだ。
もう、何も、見えなくなる。
「勇者様、お願い私の枷を外して」
「君は、さっきの」
「お願い。私エルフ。治せる、早く」
「少し熱いよ」
「いいから、早く」
声だけが全てになる。
他に、何も感じない。
「お兄さん、大丈夫。絶対助ける。今度は、私の番だよ」
ソラ リス
枷は とれた のかな
「ねえ、お兄さん。お願い、やだよ。頑張ってよ」
よか
た
「嫌だ!! 絶対助けるから!! 一緒に、一緒にいてよ!! 一人にしないで、お兄さん!!」
ご め
ん
「助けた責任取ってよ、お兄さん!!」
。