第三十一話 レーナとヘレナ
「何を言われたの、お兄様」
「ドメリアス大将がやられるくらい向こうさん強くなってるから、もっと気を引き締めろって叱られただけだ」
「そう」
「聞いといて粗末な返事やめろ、バカ妹」
ヘレナと一緒に、俺専用の馬車に乗って自宅までの道を行く。魔族の国−−−ラグナ国西部にある俺の領地まで向かっているのだ。
父上、すなわち魔王の直接統治する、ここ王都ラグナレクから、馬車を使って一日程度で着く。
二人で横並びに椅子に座り、俺が手綱を握って馬を操っていく。
「それにしても、よくお父様が許してくれたわね。私、まさか本当にレーナに会いに行けるなんて思いもしなかったわ」
「まあ、気を引き締める交換条件で話つけたからな」
「魔王オーディネスにそんな口が聞けるのは、多分お兄様くらいよ」
「そりゃせっかく長男に生まれてやったんだ。親にわがまま言って何が悪いよ。それに、多分父上もお前のことを気にしているんだ」
「……ええ。それは分かっているわよ」
目を伏せて、ヘレナは言った。こいつは頭が良い。しかし、それでもやはり子どもらしいところがある。
不貞腐れている妹の頭を撫でてやる。
「ならいい。我慢してやれ。こうやって俺もできることはしてやる」
「……ありがとう」
ヘレナは黙って撫でられながら、そっぽを向いて礼を言ってきた。
馬を操ることに専念するが、ヘレナは全く異なる話題を投げてくる。がたん、と大きく馬車が揺れる。
「ねえ。私、強いわよね」
「なんだよ急に」
「答えて」
なるほど。この馬鹿妹は、ずっと腹の中で抱えていたものを吐き出してきたわけだ。
質問には、素直に答えてやる。
「最強、だろうな。この時代、世界において言えば、もしかしたらお前が一番強いかもしれない」
「人間側が優勢になりつつある。なのに、それでも私は城に隠れているべきなのかしら」
「ヘレナ。言いたいことは分かった上で答えよう。だめだ」
「……」
ヘレナは、自分も戦争に参加したいと申し出たいのだ。
考えるまでもない。却下だ。これは父上と俺の約束だから。
「ヘレナ。戦争に勝とうと負けようと、お前の力が世界に知られたらどうなると思う。軍事バランスが崩れる。他国はお前を恐怖する。影で同盟を組まれるかもしれない、お前を殺そうと世界が団結するかもしれない、あるいはお前を利用しようと策略を巡らせるかもしれない」
「……」
「お前の人生が、めちゃくちゃになる。お前は強すぎる。誰にも知られずに、平凡に生きろ」
「お兄様が殺されても、私に何もするなと言うの」
「そうだ」
道が荒れ始める。スピードが極端に落ちてきたので、手綱で馬を少し叩いてやる。
ヘレナは不服そうに俯いている。
ため息を吐いてから、俺は言ってやった。
「いいかヘレナ。友達を作って、好きな男と一緒になって、互いに願うなら子どもを作れ」
「……」
「家族になって……喧嘩して、泣いて、仲直りして、やっぱり一緒にいたいって思ったりしてな。そうして、直にかけがえのない存在になる。お前の夫と子どもは」
「その時、お兄様やお父様がいなければ、そんなもの幸せじゃ−−−」
「幸せになれる。大丈夫だ」
少し乱暴に、俺はねじ込むように断言する。少し、自分の妻のことを思い出して、笑ってしまった。
怪訝そうな顔で見上げてくる妹に、改めて笑顔を向けてやる。
「それに、俺も父上も死なねーよ」
「本当」
「ホントーだ。大丈夫。だから、ヘレナ。お前が力を使う時があるなら、それは魔族のためじゃない、お前自身の幸せを守る時にのみ使え。俺たちのために、お前が犠牲になることは認めない」
「……」
「まあ、魔法なんて一生使わねえに越したことはない。魔法で殺しているとな、どんどん慣れてくるんだよ」
フラッシュバックする。何度と戦争を生き抜いた。生き抜いたということは、殺し尽くしたということだ。綺麗な表現に逃げてはいけない。俺は人間たちを殺し尽くして家に帰った。愛する娘とじゃれ合い、酒を飲んでタバコをふかした。穏やかに眠りについた。
相手の人生を踏みにじっている自覚を、放棄して。
「殺してもな、酒が美味いんだ。殺しても、タバコが美味いし、飯が美味い。夜はぐっすり眠れる。レーナとハグをすれば幸せになれるんだぜ」
「……」
「何百何千人ってぶっ殺しても、慣れちまうんだぜ。相手にも人生があることくらい分かっているはずなのに、どうしてか平気になれるんだ」
「……お兄様」
「俺は怖いね。戦争も、魔法も」
「お兄様は、おかしくないわ。そうやって俯瞰できているじゃない」
「マシなだけさ。戦争に喜び興奮するようになる奴は多い。そして、それはきっと仕方ない。俺も、一時期はそうだった。そこからマシになっただけ」
「……」
苦虫を噛み潰したような顔で、ヘレナは黙り込んでいる。ぎゅっと拳を握り、何かに耐えるように少し震えている。
「ヘレナ。俺たちみたいになるな」
「お兄様は、立派よ」
「立派だとして、殺して食う飯が美味いなんて人生、送りたいか」
「……」
空気が重い。
いや、俺が過度に重くしたのか。森の中、相変わらずガタゴトと道が悪くて馬車が揺れる。
「あれだよお前、氷結魔法でなんかやれよ。かき氷とか無限に作れるじゃんか。原価ゼロで」
「バカなの」
ヘレナは、ジトーっとした目で俺を睨んでくる。
「いやいや、いい案だろ。あとは氷で、なんかアートみたいなのやれよ。ぽいの作れるだろ、稼げるって」
「アートに謝りなさい。でも、そうね」
「ん?」
「私の人生のために、私の魔法は使うことにするわ。この戦争、お兄様とお父様に任せる」
「……ああ」
理解してくれただけだろう。きっと、心の底から納得なんてできていないだろう。ヘレナは俺たちのことを思い、悩み、俺に正論で言い返されることを承知の上でこんな話を振ってきたのだ。
「お前は優しい子だ」
愛おしく、また頭に手が伸びる。雪のような白髪をとかすように撫でてしまう。
「なに、急に」
「自慢の妹だって言ってんだ」
最後に、額に向けてデコピンしてやる。あうっ、と情けない声を上げたヘレナに笑った。
「お兄様!! 妹に手をあげたわね!!」
「はははっ。俺が死んじまうとか馬鹿なこと考えているからだよ」
「それは−−−」
「大丈夫だ。俺は負けねえよ」
「……うん」
うん、なんて幼い頃に戻ったような妹に少し驚く。よほど心配だったのだろう。俺と父上のこと、他の魔族たちのことが。
自分を置いて皆死んでいく、そんな想像に取り憑かれていたのだろう。
ヘレナは、ペットのコロを膝に乗せて、すやすやと寝息を立てる毛並みを撫でている。
孤独だ。強すぎる故に、存在を隠して生きてきた。いや、生きてくる他になかった。
俺達が死んで、何もなくなって、その時さらなる孤独に突き落とされるのではないか。そんな絶望をヘレナは抱えて生きている。
(……一人になんか、させねえよ)
ならば、俺にできることはたった一つ。
馬車を転がし、帰路を急いだ。
領地に戻ると、領民たちが手を降ってくる。ヘレナも小さく頭を下げて挨拶していた。俺の領地へレアス領は、王都より西に位置する。大した距離はない。魔法使いが特に少ない領地だが、それは有事の際に王都からの救援が早く到着できる距離だからだ。
屋敷が見えてくる。すると、そこに小さな天使がジャンプしながら手を降っていることに気づく。数名のメイドや執事たちがそれを諌めていが、喜びが止まらないのか天使はついに走り出した。
俺の馬車へ向かってくる。もちろん、俺は馬上の椅子から飛び降りた。運転手を失った馬車から、慌てたヘレナの声が聞こえたが仕方ない。
両手を広げて、輝くプラチナブロンドと赤い瞳の天使に食らいつく。
「ぶっちゅうううううううう!!」
「うげえええ!!」
悲鳴が上がった。
結構傷ついたが、もうやってしまったものは仕方ない。抱き締めて持ち上げ、ぷにぷにの頬に何度も何度もキスをする。
しかし、天使はファイターの才能を疑うレベルで、キスの全てを首を振って回避する。
キスの嵐の中、天使は声を上げた。
「やめて!! タバコ!! くさい!!」
「しばらく!! ちゅー!! 吸って!! ちゅー!! ねえよ!! ぶっちゅー!!」
「うぎゃあああああああああああああああっ!!」
ついに左頬を射抜いた俺の唇が、実の愛娘から「うぎゃあ」を引き出した。ズキズキと痛む心に相反して、愛を伝えられた幸福感に包まれる。
げっそりとした顔で俺と見つめ合った娘、レーナ。ボサボサになった髪を整えてやりながら、俺はようやくこう言った。
「ただいま、レーナ」
「お、おかえり……パパ……」
「からのー?」
「あ、愛してる、パパ」
「そしてー?」
「け、結婚しようね、パパ」
「よし。許す」
キス回避の合言葉を息も絶え絶えに告げたレーナを、ようやく地面に降ろしてやる。少し恨めしそうに俺を見るが、馬車の上にもう一人誰かいることに気づいたようだ。
途端に、悲しいほど笑顔になりやがった。
「ヘレナ!!」
「レーナ、遊びに来たわ」
ヘレナが馬車から降り立つと、レーナから抱きついていく。俺とは異なる対応に、くそったれがと心で吐き捨てる。
レーナはヘレナの腰元にくっつきながら、顔を上げてニコニコと言った。
「ヘレナ、いつまでいられるの」
「お兄様がお父様にかけあってくれてね。一週間後、お兄様たち軍幹部とお父様の会議があるらしいの。そこで一緒に帰るから、一週間はお邪魔するわ」
「うおー!! やったー!! パパありがとう、愛してるー!!」
ぎゅっと、天使が今度は俺に飛びついてきた。ヘレナに対する嫉妬の炎が消えていく。ありがとう、ヘレナ。そうそう、俺のおかげだからね。もっと言えよ、もっと。
強制ではない、自発的なレーナのハグに気を失いかけるほど幸せの脳汁が溢れた。
「パパ、晩御飯食べよう。ヘレナと三人で」
レーナが俺の手を取り、ヘレナのもとまで駆け寄って彼女の手も取る。俺とヘレナを引っ張りながら、屋敷まで駆けていく。
ヘレナを見る。
俺は満足する。
(まだまだガキだな)
幸せそうに、ただの少女のように笑っていた。ヘレナは、レーナと一緒に全力で走っていく。
「……冗談だろ」
夕食を済ました俺は、ダイニングで談笑するヘレナとレーナを置いて自室に戻ってきていた。ここ五年間で報告のあった殉職者の記録を引っ張り出している。
敵勢力の手口、どのような魔法や手段を用いているか、その分析のために死亡時の状態や推測される日時、現場を記録した資料である。
蝋燭の火を頼りに、机に広げた資料の山を数えてみる。
その数、五百枚は超える。その全てが、喉への刺し傷、切り傷に限って集めた死亡者資料である。
「……二年前くらいから、喉元をやられた死者が現れてやがる。それまでは一切ねえ」
通常、人魔大戦において戦う魔法使いたちは正々堂々を好むものだ。それは周知の通り、魔法使いは魔力によって動物の存在を感じ取れるため、奇襲や暗殺は絶対的に不可能な所業だから。
大体の死体は、激しく損傷していたり、焼け焦げていたり、過度な破壊の跡が確認できる。魔法の力故に、と言えよう。
だが、目の前に積み上がった五百枚以上の死体だけ、そのような状態が確認できない。四肢を持って、喉と腹部、あるいは心臓などへの刺し傷のみが報告されている。
(大勢死んだ。いちいち、こんな殺され方に疑問は持っていられなかった。だが、今なら分かる。これは異常だ)
どくどくと、拍動する心臓が俺の恐怖を仰ぐ。椅子に深く座り、大きく息を吐いて目を瞑った。
(戦時中、乱戦の中で殺された奴が多い。大乱戦の中で殺されたのか。いや、無理がある。どいつもこいつも、大なり小なり一部隊を率いる実力者だぞ。一般兵もいるにはいるが、共通するのは全員一人前の魔法使い)
可能性が、思い浮かんだ。
それは父上の言っていた、空気のような、透明人間のような存在である可能性。
(……この五百人以上の死体全てを、一人の人間がやっているなら認めるしかない。このバケモンは、魔力探知に引っかからない。そして、魔法は使えない可能性が高い。バレずに近距離から魔法を炸裂させる方が手っ取り早いはずだ。いや、待て。魔法を使えば魔力探知にかかってしまう可能性もあるのか)
思考が止まらない。あらゆる方面への、最悪の可能性を探っていく。
(落ち着け。今、事実は一つだ。魔力探知にかからない。そこまでの理解でいるべきか)
いや、とつい言葉にした。
俺もさんざん殺してきた。だが、それは魔法でドカンと、あっさりと命を大量に摘んできたのだ。魔法使いは、一度に多くの命を奪うことができる。詠唱するだけで、切り刻んだり、焼き殺したり、溺れさせたり、災害のような力を振るい簡単に殺戮できる。
詠唱−−−言葉にして、魔法で殺す。
だが、こいつは違う。
「……一人一人、刺し殺す。接近するリスクを背負い、一人一人のうめき声を聞いて、息の根を自分の手で直接止める。それも、五百人以上……」
魔法で殺すのではない。
自らの手で、殺しているのだとしたら。その命の奪い方は、奪う側にどれだけの罪悪感を背負わせるのだろうか。
まともな人間であれば、気が狂ってもおかしくない。直接ナイフを握り、肉を裂き、悲鳴を耳元で聞いて命を摘む。
それを五百回以上も繰り返しているとしたら……。
「俺なんかより、壊れちまってるんだろうな、こいつ……」
蝋燭が短くなっている。俺は息を吹きかけて消そうとしたが、なぜか躊躇ってしまった。
右手を広げ、炎を握るように消してみた。
少し、熱かった。痛みが、あった。
闇の中、俺は言いようのない感情を抱えながら、しばらく動けなくなっていた。
手がかりが少なすぎる。
奴に、頼むしかない。




