第三十話 召喚
目覚めると、冷たい石畳が見えた。うつ伏せで倒れている。蝋燭の火が、六畳間程度の部屋をかすかに照らしている。
起き上がり、振り返る。
そこには、堅牢な鉄格子が立ち塞がっていた。
「……は」
変な息が漏れる。
どっと汗が噴き出た。心臓が爆発しているのではないかと本気で疑うほど、動悸が俺を追い詰めていく。
どくどくと、意味の分からない恐怖が、闇の中で俺を包んでいく。
「成功だー!! いやー大変だった大変だった。さすが禁呪魔法だね。まさか百一回も失敗するとは」
「……え、あの。なんですか、これ」
鉄格子の先に、誰かがいた。
三日月型に彫られた目が特徴的な、白い仮面をつけた奴だった。黒いローブに身を包み、あぐらをかいて座っている。
目線が、同じ高さにあった。
そいつの回りには、バケツのような液体、小袋が三つほど散らばっていた。
そして、うっすらと見えた物がある。仮面の後ろに、何か大きなものが山積みになって転がっている。
闇に、目が慣れてきてしまった。
だから、よくそれが見えてしまった。
人間の体のパーツが、バラバラ殺人でも行われたように積まれていた。
悲鳴を上げられたら、良かった。
だが、本当の未知なる恐怖を前にした時、人は何もできなくなるのだ。俺が、ピタリと固まって身動き一つしないように。
「んー、カミシロジンくんだっけ。身体に異常とかない?」
「……」
綺麗な声だった。
女性、だろうか。
「あれ。ああ、そうか。えーっとニホンジンだっけ。ニホンゴしか分からないのか。ちょっと待っておくれ、私も成功したのは初めてでね。勝手が分からないんだ」
「……」
「どうしようかな。こっちの言葉を理解させる魔法はあるけど……。いやあ、でも分かっても君が話せないんじゃあねえ。でもこっちの言うことを聞けるようにする必要はあるか。……ああでも、魔法をかけたらせっかく魔力がないのに、私の魔力の残滓が残るかもしれないなー。難題だー、どうしよー」
「……」
「よし、いいよ。全部私が教えよう。そもそも言葉なんて覚えなくても君の役割に意味はないけど、まあ可哀想だしね。私からの贖罪だとでも思っておくれ」
「……」
何を言っているんだ。さっきから。言葉そのものが、俺の知っている言語じゃない。日本語でも、英語系でもない。中国語とか、ああいう感じでもない。そもそも、なんだここは。
俺は、誘拐されたのか。
待て。おかしい。俺は昨日、確かに家にいた。親父、妹、弟の四人で、カレーを食った。妹の桜と、弟の明がテレビリモコンの争奪で激しく喧嘩をした。それを親父が説教していた。そう、それを横目に、俺はカレーを食った。
その後は、自分の部屋に戻って勉強したんだ。もうすぐ高校受験が待っているから、勉強したんだ。英語だ。英語を学んでいた。文法とか、単語とか、そういうのを覚えた。
そして、寝たはずだ。
寝たはず、だよな。
「……」
ならば、なぜ俺は今、牢獄に閉じ込められて屍の山を前にしている。ペラペラと楽しそうに何かを語る仮面野郎は、俺をここに連れてきた犯人だろう。
状況的に、そうとしか思えない。
こいつの狙いはなんだ。
「じゃあ、仁。出ておいで。早速刃物に慣れてもらおうか」
「……っ」
鉄格子が開けられる。手招きされているようだ。何をされるか分からない。だが、従う以外に道などない。
従おう。
今はただ、言いなりになるのだ。
牢から出て、チラリと死体の山を見る。そして、俺は驚愕した。このバラバラの死体の山−−−シワの多い手、ツルツルできめ細かい肌の足、明らかに小さい頭、など老若男女のパーツで山積みになっている。そして、それら全てのパーツから、鮮血が滴り落ちているのだ。
仮面は俺を手招きして、通路の奥へと進んでいた。闇の中へ、誘われる。背後を見ても、やはり闇が大きく口を開けて待ち構えている。
「おいで、仁。三年以内には、仕上がっておくれよ」
「……」
「君は怪物になるんだ。魔法使いにとって、最強最悪の怪物に」
仮面の手が、ひらひら揺れて誘ってくる。
言うまでもなく、俺はついていくしかなかった。闇の中へ、歩を進める。これから何をさせられるのか、この時の俺は何も知らなかった。
そして知ることになる。
命が終わる際の、かすかな息吹。
血の匂い。震える瞳。
俺を恐怖し、憎悪する、あの目。
全てを直に、知ることになる。
人魔大戦−−−人間と魔族間の戦争が始まって五年が経った。人間側の魔法使いは、年々強くなってきている。発展系魔法、その飛躍的な進化と相当な使い手が増えてきた。エレストヤ国では勇者と言われる凄腕の魔法使いたち、奴らが直近の問題だ。
恐らく、その問題絡みだろう。魔王様から直々に呼び出しをくらった。俺は二日酔いでクラクラする頭を抱えながら、魔王城最高階で待っている父親のもとへ向かっていた。
昨日は久々に飲みすぎた。
仕方ないだろう、昨日まで戦地だったのだ。ようやく領地に戻って、愛しの我が娘とラブラブに過ごせたのだ。晩酌も進むというものだ。
魔王城一階に備えられている、箱型の大きなボックスに入る。壁に手をつき、魔力を流した。魔力を動力源に昇降するので、最上階の父親のもとまで一気に向かう。
タバコに火をつけた。二日酔いだからか、なんだか妙に煙が気持ち悪かった。
最上階につき、俺は廊下を歩いていく。すると、見覚えのある雪のような少女を見つけた。
「よー、ヘレナ」
「お兄様」
妹のヘレナが、ペットの魔獣と戯れていた。ボールを投げて、魔獣が取って帰ってくる。それを褒めてやり、頭を撫でてやっていた。
「あれ、そいつデカくなったか」
「そいつじゃないわ。コロよ」
「なんでコロなんだ」
「コロ。ころんして」
言ったヘレナが、指で円を描いた。ころん、とモフモフの白い塊がお腹を上にして転がる。
小さな耳、赤い目、白い毛。短い手足。確かに可愛い魔獣なのだが、どうしてもヘレナに似ているように感じる。白い毛に赤い瞳、まったく一緒である。
まるでヘレナが魔獣になって腹を見せているようで、俺は少し笑いそうになった。
俺の反応に眉を潜めたヘレナが首を傾げる。
「なによ。変かしら」
「あ、ああいや。良いんじゃねえか。ころんするからコロな」
両手で抱っこできる程度のサイズのコロは、まるで小さな雪だるまである。ヘレナの足元にすり寄り、身体をゴシゴシと押しつけていた。
「痒いなら掻いてやるよ、ほれ」
コロに手を伸ばすと、きしゃー!! と清々しいくらいに威嚇された。舌打ちを返して、手を引っ込める。
「そういや可愛くねえ奴だったな、雪だるま野郎」
「お兄様。なんて言ったかしら、今」
「そういや、レーナには懐いたな。何が違うんだ。女好きか」
「コロはメスよ。レーナは私の親友だから、コロには分かるのよ」
「そういうもんかね」
「ところで、レーナはいないの。会いたいわ」
俺の後ろを見て、寂しそうにヘレナは言った。気持ちは分かるぜ。俺の娘、レーナはプリティエンジェルだからな。世界一可愛いのだ、それはそれは会いたいだろう。
「悪いなヘレナおばさん。レーナは今日、勉強だ」
「……おばさんはやめて」
「ははは。今度連れてくるよ。なんなら遊びに来い」
「お父様が、お許しにならないと思うわ」
「……なら、俺から言っといてやるよ」
「本当?」
ぱあっと、表情が明るくなる。城暮らしで、ろくに遊び相手もいないのだ。大したことはできない兄貴だが、妹の代わりに父親にわがままを伝えてやるくらいはできる。
コロを両腕で抱えて、期待の眼差しを送ってくる我が妹。その白い髪をぽんと叩いて、横切っていく。
「ああ、どうせ親父に会うしな。部屋で待ってろ」
「……幹部がやられたって、本当なの」
足が止まった。
どこから聞いたのやら。ため息を吐いて、俺は返事をしてやる。
「そーだ。だから呼び出されたんだろ、俺が」
「そんなに強いのかしら、勇者って」
「みたいだな」
「なら、私が−−−」
「お前はだめだ。俺も父上も許さねえよ」
振り返らず、切り捨てるように断言した。ヘレナの顔が、暗くなっているだろうことは見ずとも分かる。
だが、甘やかしてはならない。ヘレナを戦争に巻き込むことは絶対に許さない。
だから、突き放すようなことにはなるが、俺は黙って立ち去っていく。
「お兄様は、死なないわよね」
「……」
不安げな声に、俺は振り返る。親指を立てて答えてやった。
「大丈夫だよ。俺、強いからな」
「……私より弱いくせに」
「うっせえバーカ。黙って待ってろ、今日俺の家に来れるように言ってみるからよ」
「っ!! 本当!?」
「いい子にできたらなー」
可愛い奴だ。まだ歳相応に無邪気なところがある。十四歳だっけか。レーナは十歳だから、姉妹みたいなものか。ヘレナは末っ子だから、妹ができたみたいで嬉しいのだろう。
「さてと」
タバコの火を靴底に押し付けて消し、灰皿にしている小袋に捨てる。それを懐にしまって、目の前に立つ巨大な扉を見上げた。
ドアノブはない。手で触れて、魔力を通す。すると扉が開いていき、俺はついに父上と対面する。
玉座にふんぞり返る、ような人ではない。書類の山の隙間から、俺を見つめる赤い瞳と目が合った。俺は中に入り、膝をついて頭を下げる。
「やめんか。らしくもない」
「……」
頭の上に呆れるような声が降ってくる。
ガサガサと書類をいじりながら、続けて声が飛んでくる。
「貴様、タバコをふかしながらやって来ておいて馬鹿か。いくら頭を下げようと敬意など感じんわ、愚息め」
「そいつは言いすぎだぜ父上。せっかくやってやったのに」
「仕事が多くて時間がない。無駄話はいらん。そこに座れ」
歳の割に全く老けていない、白髪をオールバックにした赤い瞳の男、俺とヘレナの父であり魔族の頂点、魔王様である。
どでかい机に山積みになった書類から、一枚の紙を抜き取った。
軽く丸めると、俺に向かって紙の山を挟んでポイと投げてくる。
受け取り、見てみれば−−−先日死亡報告のあった魔王軍幹部の一人についての死亡記録であった。
「親父、これがなんだよ」
「ドメリアス大将。古参の幹部だ。貴様が生まれる前から、私の忠実な部下だった。はっきり言えるが、魔族の中でも抜群に強い。実戦経験、魔法の練度、共に最高と言える」
「……知ってるよ、俺だって。だから驚いたさ。殺されたって聞いた時にはな。そんなに勇者ってのは強くなってきてるのか」
タバコを取り出し、一本を摘んだ。
「勇者ではなかった」
「……あ?」
タバコを吸おうと口に運ぶ手が止まる。意味の分からない言葉だった。
父上は、冷や汗をかいていた。
「調べた。現地での駐屯地での出来事だった。刃物で喉をやられ、急所を複数刺されていたそうだ。そして、そこに魔力や魔法の跡は確認されなかった」
「……つまりなんだ。魔王軍幹部ともあろう凄腕の魔法使いが、単純に刃物でグサリとされて死んだってのか」
「……うむ」
「おいおい、冗談だろう。笑えねえって」
父上の顔を見れば分かる。冗談ではない。だが、あまりにもそれは御伽話過ぎた。
「ドメリアス大将とは大して交流はなかった。それでも知ってるよ、圧倒的な風魔法のことは。何人たりとも、ドメリアス大将の懐には入れない。一瞬で身体がバラバラになるような鉄壁の風圧がある。巷じゃ、絶対防御なんて言われていた」
「喉、腹部、全てナイフと考えられる武器でズタズタだったそうだ」
「……まさか、『光の勇者』か」
「考えたが、あり得ん。あの勇者とは一度やり合ったことはあるが、確かに強い。しかし、違うと言える」
「なぜだ」
「殺し方だ。あの勇者なら、首を斬って終わる。だが、今回は急所を一つずつ計画的に突いている。まるで、そう……。暗殺者だ。正面から斬り捨てるのではなく、闇に紛れて確実にコツコツ命を奪うような……」
「なんだ。じゃあ父上はこう言いてえのか。魔王軍幹部を殺したのは勇者じゃねえ。魔法使いでもねえ。ナイフ持ったどっかの誰かさんだってよ」
「……だと、私は考えている。考えざるを得ないのだ……」
「……」
異様だ。あまりにも、ドメリアス大将の死に方は異様だ。魔法使い同士であれば、暗殺など不可能だと言える。魔力探知でお互いがお互いを感じ取れるからだ。
寝込みを襲ったとしても、やはりおかしい。現地の駐屯地には、当然、魔力探知に徹する見張りの兵士がごまんといたはずだ。特に、魔族の魔力探知は人間よりも圧倒的に優れている。
そんな魔族だらけの駐屯地内部で、ドメリアス大将は魔法を使う間もなく殺された。
「へレアス。このことを知っているのは、調査させた部下数人、私とお前だけだ」
「……」
「部下や仲間には、絶対に言うな」
「当たり前だ。魔族の魔力探知をかいくぐってドメリアス大将すら暗殺する奴がいるなんて、言えねえよ。おっかねえにも程がある。士気に関わる」
「その通りだ。そこでだ。幹部統括−−−へレアス・ヴァルラック・オーディネス。お前には、この殺しについて調べてもらいたい。ドメリアス大将だけじゃないはずだ。同様に殺されている者を調べ上げ、少しでもこの暗殺者について明らかにしろ」
「……りょーかい」
「もしも、だ。魔力探知に引っかからない、まるで動物ではない闇や影、空気のような人間がナイフ一本でこんなことをしたというのなら」
父上は、納得する以外にない名前をつけた。
「魔法に秀でた我ら魔族の天敵、『魔族殺し』の『怪物』とでも言えようぞ」
エレストヤ国の人間と魔族の戦争、人魔大戦は既に五年以上が経過した。優勢だった俺達魔族だが、勇者の出現、発展系魔法の進化により、近年ではほぼ拮抗した戦いになっていると言える。
そこに、魔力や魔法と無縁に活動できる殺し屋をエレストヤ国が使役しているのなら……。
「やべえじゃねえかよ。くそったれが」




