第二十八話 神城仁《ジーン》
獲物の背中を蹴り飛ばして、ジーンは剣を引き抜いた。しかし、血の勇者はこれで終わらない。
口の中に腕を突っ込んだ。嘔吐し、喉の中に溜まった血をドバドバ落としていく。
声の出せる状態を作り、詠唱した。
「『ゲルド』」
喉から溢れていた血が止まる。ヴァーロックはタンを吐くように喉奥に残っていた血の塊を吐き捨てた。
その額には、冷や汗が流れている。
ここは土煙が舞う。迂闊に剣を振るって視界を失えば、またジーンに背後を取られるかもしれない。
そんなことを考えているはずだ。ヴァーロックは大剣を地面に突き刺すと、再び詠唱する。
「『ゲルド』!!」
「っ」
ジーンは即座に持っていた僕の剣を投げ捨てた。しかし、剣はピタリと空中で静止、間をおいてから豪速球となってジーンの顔に突っ込んできた。
咄嗟に回避するジーンに、ヴァーロックは声をあげる。
「俺の血でたっぷりだからな、そりゃあ自由に飛ばせてしまうさ」
「……」
「これで武器はナイフ一つだ。さあ、どこまでできる。魔力のないお前に、奇襲しかできないお前に、何ができる。この俺にどこまで届くんだ」
「……」
「俺は勇者だ。お前は暗殺者だ。お前のは暗殺、俺のは戦闘。そもそも競技の種類が違う。場違いなのはお前だ、仁」
何も語らない。何も反応しない。色のない虚無の瞳に宿るのは、粘着質な蛇のような殺意だけ。
「さあ飛べよ!! 時間だ、そろそろ柵を越える時間だ!! 靴を揃えろ、遺書を書け!! 深く呼吸して空を仰げよ!! ぎゃは、ぎゃはははははははははははは!!」
ジーンはきっと、何も聞いていない。
何も考えていない。
ただ、一つだけ。
「確かに不利だ。認めるよ。けど大丈夫だろ」
ボソリと、挨拶でもするように言った。
「−−−お前程度、さんざん殺してきたから」
笑っていたヴァーロックは、激昂した。
己の強さにプライドを持って生きる古参の勇者として、堪忍ならない言葉だったのだ。
「『ゲルド』!!」
詠唱。ヴァーロックの大剣から、中に詰まっていた血が溢れ出す。噴水のように空へ広がっていく血飛沫が、そのままピタリと止まった。気持ちの悪い絵画のようになり、徐々にその姿を変えていく。
血飛沫の一滴一滴が、針のように細長く鋭利になっていく。間違いない。血液を操り、かつ形状を変えている。
数千数万本の針地獄が、夜空の星々を赤く埋め尽くす。
「標本にしてやる。笑え怪物。死を彩れ」
めちゃくちゃなことを言って、ヴァーロックが整えた魔法を発動する。ズドドドドドドドドドドドド!! と、赤いシャワーがジーンを襲う。
「よくかわしたが、残念。終わりだ」
転がり、ギリギリで回避したジーンだが、その左腕は針が何十本と突き刺さっていた。ヴァーロックは即座に詠唱する。
−−−ゲルド。血を操る魔法。もちろんそれは、相手の体内に入った自分の血も自在に操作できる。
体内から血を硬化させて攻撃することもできる。つまり、今のジーンは左腕からヴァーロックの血が混じってしまっている以上……。
「……なぜだ」
ヴァーロックの様子がおかしい。
対して、ジーンはつまらなそうに傷だらけの左腕を見つめていた。
「なぜだ。なぜ、なぜだ!! なぜ貴様の中で俺の血が言うことを聞かない!! なにをした、仁!!」
「……だろうなとは思っていたが、なるほどな」
呆れるようにため息を吐いたジーンは、腰元にあった最後の武器を引き抜いた。
ナイフだ。
それを左手に持ち、自分の右腕を切り出した。何回か自傷行為を行うと、肘から指先まで血が溢れていく右手にナイフを持ち変えた。
ナイフの切っ先まで、ジーンの血で汚れていく。
「あんた、俺と相性悪すぎるよ」
「なんなんだ、なんなんだ一体!!」
叫び、取り乱す。ヴァーロックは明らかに、未知との戦いに恐怖している。
そう、これが『怪物』。
最高峰の魔法使いといわれる魔族を五百人以上殺した、エレストヤ国が生んだ禁忌の暗殺者。『魔族殺し』の異名を持つ、未知なる脅威。魔法使いの常識が、通用しない存在。
ジーンが消える。
いや、全速力でヴァーロックの懐に飛び込んだのだ。単純に接近し、逆手に持ったナイフで脇腹を切り捨てる。さらに、そのままの勢いで太ももにナイフを突き立てた。
一度で終わらない。
ザクザクザクザクザクザク!! と、慣れた手際で右太ももを六回は串刺しにする。スライディングするように股下をすり抜け、ヴァーロックと背中合わせになった。
あまりの早業に、僕は息を止めていた。
そして、異常な事態にも気がついていた。
「……なぜ、だ」
ヴァーロックは虚ろな瞳で呟く。
ドバドバと血が流れていく脇腹の傷を手で押さえている。太ももは震えていた。同様に血が溢れていく右足で、がくがくと子鹿のように震えながら立っていた。
「げ、げる、ど」
必死に詠唱しているヴァーロックだが、その血は無情にも彼の身体から蛇口をひねったように抜けていく。血を操る魔法が、発動していない。
「無駄だぜ。やめとけよ」
ジーンは俯いて、端的に事実を伝えた。
「俺の血とあんたの血が混じると、俺の血が不純物になるんだろ。普通、血には魔力が宿っているらしいからな。この世界は」
「だか、ら……ナイフを、自分の血で……汚した、のか……」
ジーンの血で汚れたナイフで切りつけられれば、傷口にジーンの血が入る。だから、どくどくと右腕から出血しながらナイフを使っていたのだ。
ジーンは振り返らず、背後に宣告する。
「さて。どうやら、俺のナイフはあんたの命に届きそうだな。どうするんだ、血の勇者」
ヴァーロックは錯乱する。
「ぉ、おおおおおおああああああああああ!!」
それは断末魔のように聞こえた。雄叫びを上げたヴァーロックが、突き刺していた大剣を右手で引き抜き、背後のジーンへ横薙ぎに振るう。
あまりの剣圧に爆風が走り抜ける。そして、彼はやってはいけないミスを犯した。
砂煙が舞う。
今までで一番、視界が遮られていく。
「っは……はっ……」
静かになる。ジーンは剣の軌道上から消えていた。ヴァーロックの息が荒い。過呼吸の症状だ。
魔法の発動できない状況、闇夜と砂煙で見失ったジーン、そして役に立たない魔力探知。ありえないはずだった失血死が迫っている現実。
こんなこと、魔族との戦いではあり得なかったのだろう。きっと無双してきたはずだ。圧倒的な力で敵をねじ伏せてきたはずだ。魔法使い相手なら。
今回は、本当に相手が悪かった。僕やヘレナやソフィアなら、まだここまで怖い思いはしなかっただろう。勝敗はさておき、満足して戦えたことだろう。
しかし、相手はジーンだった。記憶を取り戻した『怪物』に、ただの勇者がまともでいられるわけがない。
「俺達は!! 居場所が欲しかっただけだ!!」
懺悔でもするように、ヴァーロックは悲痛な声を上げた。
「さんざん殺させておいて、さんざん奪わせておいて!! 魔族に勝った後の俺達はなんだ!! なにができる。魔法を極め死体の山を築き上げることを強要されて生きてきた!! 俺達は、勇者とはそういうものだ!!」
僕たち勇者は、それぞれの事情は違えど、魔法を磨き戦場を駆け抜けてきた。駆け抜けることしか、そのうち知らなくなるのだ。
ヴァーロックたちは、元からこんな奴らだったのではない。
それは、僕にはよく分かる。
僕も、同じ地獄を知っているから。
「魔法で殺す。その繰り返しだ。それで褒められて勇者と讃えられ、金も地位も何もかも手に入った。それが戦争が終わればなんだ。ゆっくり暮らせ? 普通に生きろ? できるわけがない!! 魔法で奪い、満たされる快感しか、俺達は知らない!! そうやって俺達を壊していったのは、紛れもないこの国の前線で戦わない連中だ!!」
これは、命乞いだろうか。自分たちにも理由があるのだと、追い詰められた獣が吠えているだけだろうか。
いいや、少し違う。
ヴァーロックは、ジーンに期待しているのだ。分かってもらえると、思っているのだ。
「神代仁!! お前も同じだ!! 俺達と何も変わらない、そうだろう!! さんざん、さんざんさんざんさんざん、殺して殺して何を思った!! 殺される奴が悪い、殺されると分かって逃げない方が悪いんだ。勝手に柵を飛び越えて落ちていくのと同じだ!! なあ、命なんてそんなものだろう、仁!! 俺たちは何も、悪くないんだよ!! 命が悪いんだ、あっさり飛び散ってしまう命こそ悪なんだ!!」
「ぺらぺらの宗教だな」
ヴァーロックの右顔側から、ナイフが飛んできた。喉元に突き刺さると、一瞬で引き抜かれる。遅れて、血が飛び出た。
だが、やはり古参の勇者。
最後に力を振り絞り、喉が血で溜まる前に詠唱してみせた。
「−−−『げる、ど』」
大剣の先から血液が噴き出す。自分の血はコントロールできないが、保管していた他者の血は魔法効果の対象のまま。
針地獄が空から再び炸裂する。
しかし、ジーンは無表情だった。まともに喰らう。左腕で顔だけは庇いながら、あろうことか何事もなかったようにヴァーロックの懐に飛び込んだ。
驚く勇者が、恐怖からか雑に剣を振るう。同時に空からは血の針が降り注いでくる。
挟み撃ち。
突っ込んでも斬り裂かれ、立ち止まれば針が降ってくる。
「言ったろ、血の勇者」
ジーンは選んだ。
正面の剣を。左腕が空に舞う。しかし、腕が切断されたことなど構わず、ジーンは踏み込んで獲物の顎下に入り込む。
「死んでも殺すと」
「−−−!!」
再びナイフが猛威を振るう。
腹部にずぷりと突き刺さり、ヴァーロックがついに動かなくなる。
あまりにも血みどろで凄惨な戦いだった。勝負はついたように見えた。
しかし、終わらない。
「−−−じ、ぃぃぃぃんァァァあああああああああっっっっ!!」
ヴァーロックが雄叫びを上げる。同時に滞空していた血の積乱雲が再び降り注ぐ。
槍の形状をもって、ジーンの腕を、肩を、足を、背中を容赦なく削り取っていく。
死んでしまう。
ジーンが、このままでは死んでしまう。それなのに、ジーンは薄く笑っていた。
「一緒に飛ぼうぜ、血の勇者」
「っ!!」
ガン!! と、ヴァーロックの右足の甲を右足の踵で踏み潰し、逃さないと言うように固定する。
ヴァーロックとジーンは至近距離で見つめ合う。
「き……ィ゙…さぁァ゙……ま……ァ゙……!!」
「どっちが死ぬか。どっちも死ぬか。それだけのことだろ」
ジーンの左目が潰れていた。左の太ももに二本、さらに血の槍が突き刺さる。面積の広い背中にはハリネズミのように槍が生えて血が噴き出していく。
「ぎぃ゙ざまァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
血の溜まった喉から声が響く。
怯えて叫ぶような、そんな情けない声が。
「怖いか。そうかそうか。いい表情だな、血の勇者。最高の特等席だ、離れてやらねえよ」
狂っている。
血の勇者は狂っている。確実に常軌を逸している。だが、そんな狂気すら霞むほどに、ジーンの憎悪が、執念が、殺意の覚悟があまりにも濃厚だった。
(……相変わらず、味方ながら恐ろしい……。魔族は不憫と言わざるを得ない……あんな暗殺者に狙われたら……僕も……ヘレナだってもしかしたら……)
無意識にジーンを恐怖していた。
ジーンの恐ろしさ、それは魔力のないこと。近接戦、暗殺に長けていること。だがそれ以上に、痛みや死といった通常では逃れられない鎖から完全に脱却している点である。
あの殺しのためだけにチューニングされた精神力こそ、ジーンを『怪物』と言わしめる所以でもあると言えよう。
「ぁぁぁぁああああああ!! じィィねええええええええええ!! じねぇぇぇええええええええええええええええ!!」
「ははは、はははははははは!! ほら頑張れ頑張れ!! あともう一歩だろう。踏み出せよ−−−飛べよ」
豪雨の中でジーンは笑顔でナイフを振るう。腹部を斬り裂き、太ももに穴を開け、目では追えないスピードでヴァーロックの全身を確実にズタズタに料理する。
辺り一帯が血の池に変わる。
赤い色で全てが満ちていく。聞こえるのは、錯乱する勇者の絶叫。見えるのは、うっとりとした笑みを浮かべてナイフを振るい全身に槍を受け続けるジーンの姿。
「ジーン!!」
思わず叫んでしまう。
逃げろと、死んでしまうと、続けて声に出しかけた。しかし、あまりにもその笑みが恐ろしくて、思わず身体が固まってしまった。
互いに血を垂れ流しながら殺し合う二人の姿は、吐き気すら催す凄惨な現場を作り上げていく。
「ぁ、……ぁ……………」
ヴァーロックの魔法がついに止む。
ジーンは残った右目で獲物を捉え、残った右手のナイフを振り上げた。
「ぉ、…ぇ……は……悪く……な………………」
「告解なら司祭に頼めよ。俺はただの『怪物』だ」
下がった首元をスパンと斬り裂く。
脈を切ったのだろう。水鉄砲のように血を飛ばしながら、ヴァーロックは倒れる。その体重が落ちていく方向に、彼はいた。腰を低く構え、右手でナイフを逆手に握り、なくなった左肩の辺りまで引っ張っている。
ゼロ距離で矢を放つために、弓を引いて待っている。
無表情のまま、ジーンは思い切り腰を回してナイフを振るい、ヴァーロックの心臓に突き立てた。
ドン!! と、銃声のような音が響くくらい、激しくその命を奪い取ったのだ。
「柵を超えて飛び降りた、お前が全部悪い」
もう聞こえていない耳元に、ジーンは囁いた。
血の勇者は肉塊となり、ズルズルと地面に吸い込まれるように崩れていく。
そして、確かに絶命する。
「全部お前のせいだ。そういうことだろ」
動かなくなった死体にナイフをこすりつける。刃についた血を拭っている。それが済めば立ち上がり、離れた場所に落ちている僕の剣を拾うと、ジーンは僕のことなど見もしないで手渡してくる。
声をかけようとした。
だが、ジーンはすぐに僕を通り過ぎてしまう。
「ジーン、どこに行くんだい」
「……」
立ち止まった背中には、既に血の槍や針はなくなっていた。ヴァーロックが絶命した為だろう。しかし、凄惨な傷は残ったままである。
「致命傷だ。動くな、ジーン。ソラリスに急いで治してもらうんだ。でないと、死んでしまうよ」
「殺す」
槍はない。針もない。その血まみれの背中には、ただ寂しさだけが背負われている。ジーンは振り返らず、やはり予想通りのことを口にした。
「エレストヤ国王を殺す」
「……ヘレナのしたことを無駄にするのか。全部君のためだ。君のために彼女は−−−」
「なあレイン。ヴァーロックは俺だ。俺もあいつと根本は何も変わりやしない」
「……」
痛みを感じないのか。
ジーンはつらつらと言葉を紡いでいく。
「自分は間違っていないことを自覚するために生きてきた。殺してきた。俺はあいつと同じだ」
「違う。それは神城仁だ。君はジーンだろう」
「ジーンか。ジーンでは何も守れなかった」
「……」
「こんな俺は、ヘレナに必要ない」
立ち去っていくジーンを追いかける。それは、僕じゃなかった。小さな影が飛んでいき、彼の血まみれの身体に抱きついた。
「……ソラリス」
「約束」
ジーンは腰元の少女を見下ろし、ぼうっとした顔で立ち尽くす。
ソラリスは、ジーンの背中に顔を埋めながら、壊れたラジオのように同じことを繰り返した。
「約束」
「……」
「お兄さんの過去は、私との約束に関係ないよ。約束、破っちゃだめ」
「今の俺は、君の知っている俺と少し違うよ」
「なんでもいいって、言ったよね」
目が見開かれる。
ソラリスを見つめて、ジーンはピタリと固まって動かなくなる。
そして、少しの静寂が凪ぐ。
「……ああ、そうだったな」
ようやく。
ようやく、ジーンの顔に、色が宿った。笑っている。血まみれの手ゆえに頭を撫でることを躊躇っていた。
僕は、今こそ声を張り上げる。
「ヘレナ!! ソラリス!!」
「……レイン?」
ジーンが眉を潜める。
僕は気にせず、続けた。
「僕!! そして、ソフィア!!」
「……」
「今の君と、一緒に戦った仲間の名前だ。過去に取り憑かれて生きるのか。国王を殺して、君は何かを得られるのか。守れるのか」
「……守る」
ボソリと、ジーンが何かを呟く。聞き取れなかったが、構わない。
「ジーン、復讐を成せばヘレナの作ってくれたあの村も、ソラリスの安全も、全て失うんだぞ。君が君から奪うのか、今ここに残っているものを」
「……」
「ジーン、行くな。一緒にいよう」
「……」
しばらく僕を眺めていたジーンが、俯いて視線を落とした。しかし、落とした先には、今を生きていた彼が守ってきた唯一の少女が立ち塞がっていた。
ソラリスはジーンを見つめている。その顔は、僕からじゃ見えない。ジーンだけが、ソラリスの顔を知っている。
どんな表情をしているのだろう。
ジーンの瞳から、涙が落ちていた。
「……そうか。まだ、あったのか」
今度は躊躇うことなく、赤い右手でソラリスの頬に触れた。ソラリスはジーンを見上げたまま一切動じない。ぎゅっと腰を抱き締めて、離さないままだった。
やがて、ジーンの纏っていた『怪物』の雰囲気が取れていく。
記憶を取り戻す前と同じ顔つきで、苦笑しながら彼は言った。
「ソラリス、帰ろうか」
「うん」
「ヘレナも一緒に、三人で」
「……うんっ」
「あ、治してくれるか。死にそう」
「二度とあんな戦い方しないで」
「……ごめん」
「約束破るつもりだったでしょ」
「……もうしないよ」
「約束だよ」
「うん。約束だ」
ジーンの表情は、血まみれの中でも、あまりにも綺麗に見えた。それだけ、あのエルフの少女の存在が、心の支えになっているのだろう。
全てが終わった。
緊張の糸が切れて、思わず僕は腰を下ろした。治療を始めた二人の姿を呆然と見つめていた。
そして、現れるのは白い影。
やはりというべきか。あまりにも早く最強の勇者を踏み潰して、彼女はここへ駆けつけて来た。
ジーンが、彼女に気づく。
彼女は走っていたが、彼と目が合うと立ち止まった。その顔、雰囲気、血まみれのナイフと欠損した身体、そして遠くで転がる死体。全ての情報をもとに、ヘレナはジーンと向き合って呟いた。
「……ジーン。あなた」
「ああ。待たせて悪かったよ、ヘレナ」
ふらふらと、彼女はジーンのもとへ歩み寄る。その目から涙が流れている。雫のような、綺麗で一瞬の輝きが流れていく。
彼は、目の前で硬直している彼女の手を握る。真っ直ぐに見つめ合って、無理やりにでも明るく笑ってみせた。
「ただいま、ヘレナ」
「……うん」
彼女も笑った。
悲しい過去も、変えられない後悔も、全て背負ったまま。それでも、彼は笑ってみせた。だから彼女も、彼のために明るく笑ってみせる。
ヘレナの笑顔は、それでも綺麗だった。
「おかえりなさい、ジーン」




