第二十五話 血の勇者
ズルズルと、その男は剣を引きずっていた。棺のように大きな剣だ。黒い、鍔もない、持ち手と刀身だけの太くて長い剣。
大地を削りながら、そいつは歩いてくる。
逆だった黒い髪、冷たい緑の瞳。ひどい三白眼だった。頬には傷があった。縦に深い傷跡が。背は高く、肩幅も広い。まるで巨人だ。
見るもの全て恐怖するような見た目の勇者−−−血の勇者が、目の前からやってくる。
「うんうん。相変わらず、人相悪いね。ヴァーロック・エンベンツァード」
「小娘、寝返ったか」
「いやだってさ、寝返らないと死んでたもん」
無機質な声だった。
つまらなそうに物を見る、ある種達観したような顔。それは、こいつが冷酷な男であることを嫌でも理解させられる。
ヴァーロックは立ち止まり、俺達と相対する。
「ジェラルトに逆らうとはな。そこまで愚かな娘だったか」
「生憎だけど、私は姫殿下に賭けただけ」
「ジェラルトは最強だぞ。あいつは俺でも勝てん」
「姫殿下はもっと強い気がするから」
「ほう!! いいな、命を賭けて、生きるために選んだ道というわけだ。生きるために抗う姿勢は好物だ、素晴らしい。なら−−−」
笑った。
ぐちゃりと、裂けて潰れるような笑顔。
あらゆる快楽を一身に注いだような、爆発的な悦楽に酔うような笑顔。
「−−−俺がお前を殺したら、それはお前が全部悪いってことだ。俺は何も悪くないんだよな」
「……相変わらず、何言ってるか意味わかんないよ、おっさん」
『血の勇者』はそこで俺に目を向けた。どこか驚いたような顔になる。顎を指先でなぞり、尋ねてくる。
「おお。仁、ようやく会えたな。久しぶりだ」
「……」
「こっちへ来い。仲間になれ。殺してホッとして、ぐっすり眠れる毎日が待ってる」
ヴァーロック・エンベンツァード。
俺はこいつを真っ直ぐに見つめる。
「殺して褒められる。実にいい時代だったな。俺もお前も生き生きしていたな」
「……俺はあんたと一緒じゃねえ」
「なんだ、なにを今更。あれだけ魔族を殺したじゃないか」
「……」
「まあ気が変わったことは知っているさ。そうだ、礼を言っていなかった。楽しかったぞ、あんなに良い夜は他になかった。墓標は作ってやったのか。あいつらの」
「……何言ってんだ」
「なにって」
何食わぬ顔で、言ってきやがった。
あまりにも、受け止めるにはあまりにも大きな、その真実を。
「お前のいた村の奴らを、俺が目の前で全員殺してやっただろうが」
事前にソフィアから聞かされていなければ、俺はきっと冷静でいられなかったはずだ。いや、今も冷静じゃあない。ただ虎視眈々とこいつを倒すために、俺がソフィアに何ができるか考えている。
こいつが村の人たちを殺した。
ヘレナの家族を殺したんだ。
「……仁、お前」
ヴァーロックは眉を潜めた。
俺の目を見ている。目玉の奥まで探るような視線。
「誰だ、お前は」
「誰って……。ジーンだよ。知ってんだろ」
「いいや違う。俺は仁を気に入っていた。だからお前を生かしてやったんだ。あの日、お前以外を全員斬り殺した日……。行方不明だったとは聞いているが、何かあったようだな。そんなつまらん目をした奴を俺は知らん」
「何が言いたいんだよ、テメエ」
なぜだろう。俺は、こいつに無性に腹が立つ。それは、ヘレナと俺の仲間を殺した男だから、というだけではない気がする。
もっと昔、多分、もっと前に。
俺はこいつを知っていた、気がする。
「目が生きている」
「……いいことじゃねえかよ、なに文句つけてんだ」
「お前は知っていたはずなんだ。俺の見ている景色を、お前も見ていたはずだ」
ヴァーロックはどでかい剣を振り上げ、俺に突きつけてきた。
「殺しは悪か。子どもを殺すのは酷いことか。女を殺すのは残酷なことか。男を殺すのはどうだ。老人はどうだ。仲間が死んだらまた何か意味の違う死になるのか」
「……」
「全て不毛。散りばめられた死に、思想や哲学を挟むことは弱者の宗教だ。誰が死のうと、殺されようと、あるいは殺そうと、ただそれだけでしかない。死に意味や価値を見出す営みを、俺は見下している」
この野郎。
心底馬鹿にするように、笑いやがった。
「殺しを否定する考え全て−−−自分が殺されることが怖いから、殺されることは間違っていることであってはならないことだと、自己保身のために作り上げた身勝手な宗教だ」
「……」
「お前はそれを知っていたはずだ。だから殺したんだ。たくさんたくさん殺せたんだ。『自分は正しい』のだと証明する悦楽の世界、そこで孤独に生きていたじゃあないか。だから同じ目をしていた、俺と同じ目を」
「……悪いな。あんたの言うこと、一つも聞いてなかったよ」
「残念だ。なら、教えてやろう。そこのソフィアの命をもってして」
剣を振り下ろす。
速い。あれだけの巨大な剣が、目で追えない速度で振るわれる。
瞬間、大地が大きく割れる。土煙の中で見えたのは、目に光のない男の仮面のような笑顔だった。
「命になんの価値もないことを。死んだ奴が全て悪いことを。生きている奴が偉い、俺が偉い、ただそれだけが残ることを証明してやる」
ソフィアは剣を抜き、俺の前に出た。
じとりと、確かな殺意を瞳から零して言った。
「やってみなよ、先輩」
お互いに正面から踏み込み、剣と剣がぶつかり合った。しかし、鍔迫り合いにもならない。ソフィアは凄まじいスピードで俺の背後へ消えていく。吹き飛ばされたのだ。
剣を地面に突き刺し、勢いを殺していく。同時に、ソフィアは詠唱した。
「『クロノス』!!」
空気が変わる。見れば、飛び出そうと身構えているヴァーロックの姿があった。ピタリと止まり、動く様子がない。
レインにも使った、時間停止の魔法だ。
ソフィアはすぐさま走り出し、その胸に剣を突き立てた。
その時、魔法が解ける。
ヴァーロックの意識が戻り、たった今気づいた様子で顎下のソフィアを見下ろした。
「魔力を停止させ、意識に干渉させているな」
「っ」
剣は正しく刺さっている。しかし、なぜかヴァーロックには何の表情の変化もない。
「ならば魔力操作を完全にやめればいい。それで解ける。気の持ちようじゃないか、くだらん」
大きな拳が飛んでくる。ソフィアは咄嗟に剣を引き抜いて後ろに跳躍し距離を取った。
流れていく出血に鼻を鳴らしたヴァーロックは、呟く。
「『ゲルド』」
出血が止まる。
一切、一雫さえも血が流れない。ソフィアは大きな舌打ちをして睨んだ。
「血流魔法、間近で見るのは初めてだけど、せこいね。それじゃ失血死はしないってことじゃんか」
「時間に干渉するお前の方が、ずるいと思うがな」
「『ブレッド』!!」
ソフィアの移動速度が比にならないレベルで速くなる。突撃し、縦横無尽に辺りを駆け回って剣撃を炸裂させていく。
しかし、ほとんどが防がれる。ヴァーロックは単純な身体能力のみで、魔法によって強化したソフィアのスピードに対応している。
いくつか剣を当てられても、やはり粘土を切ったように傷跡ができるだけ。出血する様子がない。
つまり、全く効いていない。
「つまらんな。決定打にも欠ける魔法だ」
「言ってろ!! 『コルン』!!」
ズズズ、とヴィルヘルムを中心とした空間が歪んだ気がした。距離を取ったソフィアが叫ぶと、意味のわからない現象が炸裂する。
ヴァーロックの全身から、いきなり血飛沫が舞ったのだ。ズタズタに切り裂かれた身体が、ぐらりと揺れて倒れていく。
「『ゲルド』」
はず、だった。
溢れ出た大量の血が、掃除機で飲み込んでいくようにヴァーロックの身体へ戻っていく。
「さっきの剣撃を『戻した』わけか」
「……」
「図星か。『コルン』、一定の空間の時間を戻す魔法といったところだろう。強力な魔法だ。認めてやる。さんざん俺に振った剣すらも、巻き戻して不可視の斬撃となり襲いかかってくるわけだ」
「ジーンくん。逃げな」
ヴァーロックが愉快そうに解説している。俺の近くに寄ってきたソフィアが、小声で言ってきた。
「勝てないかも。ごめん」
「……結界魔法とかは、効かないんですか」
「あのねジーンくん。結界魔法を使える奴は多くない。あれはその魔法の到達点だ。私は使えない。第一、私の魔法は結界魔法なんてものじゃないけど、結界魔法みたいなものだしね。時間そのものに干渉し、無条件で相手も巻き込めるから」
「……なるほど」
「ヘレナ姫かレインの助けがいる。それまでは持ちこたえるから、早く応援を−−−」
ドボドボドボドボ。
水の流れる音がした。ヴァーロックの持っている大きな黒剣の先から、赤い液体が激しく流れ落ちてくる。
その嗅いでいられない臭いで分かる。
血だ。
「話は終わったか」
「……なんだよ、それ」
「これは今まで殺して来たやつの血だ。剣の中に水筒みたいに保管しているのさ。俺の魔力で固まったそれを本来の流れる血液に戻してやった」
「……畜生が」
「悪いがお前を連れて帰ることが俺の使命でな。ソフィア、お前はもう飽きた。底が見えた。もう、いらん」
出来上がった血の池が、鯨が塩を吹いたように弾けた。血の飛沫が空を覆っていく。そして、ソフィアは青ざめた顔で詠唱する。
「『クロノス』!!」
ぴたり、とヴァーロックの動きが止んだ。激しく呼吸を繰り返すソフィアは、俺の腕を引っ張って走り出した。
「逃げるよジーン!! もって数秒だか−−−」
「つまらんな、ソフィア」
ズドドドドドドドドドドドドド!! と、血の弾丸がシャワーとなって俺とソフィアを襲った。俺は致命傷を避けていて、肩と左腕に数発貰っただけだった。
しかし、ソフィアは違った。全身に小さな穴が空き、苦しそうに悶えながら倒れる。死んではいない。貫通していなかったのだ。
だが、様子がおかしい。
「ソフィアさん!!」
「っが、……く……」
内側から、血が飛び出してくる。眼球から、耳から、鼻から、ドバドバと異常な量の出血が見て取れた。
血を自由に操作する、魔法。
まさか。
「ソフィアの中に、自分の血を埋め込んで暴れさせているのか」
「魔法が使えん割には、理解が早いな」
俺の呟きに、ゆっくりと歩いてくる『血の勇者』が答えてくる。ソフィアは虚ろな目をしていく。血が止まらない。ソフィアのもとへ近寄ろうとすると、彼女は力を振り絞った様子で声を上げた。
「く、るな!! 血が、つけば、やばい!!」
「っ」
そうだ。『血の勇者』は、外に漏れた血の全てを掌握する。ソフィアの返り血がつけば、それだけで俺も何かしら攻撃されるかもしれない。
ソフィアの悲鳴が上がる。全身から血が飛び出て、煙のように空へ昇っていく。ソフィアの出血した血液そのものを支配しているのだろう。
悲鳴は絶叫へ、絶叫が断末魔に成長していく。
かすり傷一つで、出血死が確定する。
あまりにも、惨たらしい魔法。
「魔力というのは全身に溢れている。血液にも魔力は流れている」
ヴァーロックが語り出した。
ソフィアの断末魔の中でも、その低い声はよく聞き取れた。
「俺が操っているのは、厳密には血液に流れる魔力だ。魔力のない水や泥などは掌握できん。仁、あとはお前の血もだな」
「やめろ」
「−−−ははは!! ぎゃはははははははははははははははははっっ!!」
高らかに笑った。悪意のない、ただ面白いものを見たときの笑い方だった。
「村人全員殺した時も、そんなことを言っていたなあ、仁!! やめれば良かったんだ!! 俺に殺される前に逃げればよかった、出会わなければよかった、自分で死ねばよかったんだよなー!! 俺もそう思うよ、どいつもこいつも、死んじまうのが大好きなんだよなあ!!」
「……ざけんなよ。ふざけんなよ」
「仁。これが全てだ」
びくびくと震えながら、生気をなくしていくソフィア。彼女と目が合った。殺してくれ、俺にそう言っているような弱い目をしていた。
「感傷はよせ。不毛だ。全てソフィアが悪い。俺よりも弱かったからだ。俺と相対したからだ。ソフィアは自分で自分を殺したんだ」
「馬鹿言ってんじゃねえよ、てめえ!!」
「馬鹿だと。なぜ分からん。こいつは俺を『死』だと理解して突っ込んできた。さすれば『死』が待っている。屋上の柵を飛び越えて、地面に向かって死んでいった。それと同じだ。屋上も柵も地面も何も悪いことはしていない。そう、俺も悪いことはしていないんだ」
全部、と嗜虐的に笑ったヴァーロック・エンベンツァード。彼は、はっきりと言った。言い切った。
ぐちゃりと。
溶けるような、恍惚とした笑顔で。
あまりにも。
人間とはかけ離れた、化け物の笑顔で。
「柵を越えて飛び降りた、そいつが全部悪い」
ソフィアを置いて逃げるか。ああ、逃げるのが正しいだろう。さっさとヘレナやレインのもとへ向かうことが望ましい。
そんなことは分かっているんだ。
けれど、感情が、別なんだ。
「ソフィアさん!!」
「ジ……ン……。約、そく……」
死んでしまう。このままでは彼女が死んでしまう。俺は傍で喚くことしかできない。
ソフィアは、虚ろな目で俺を見て、何かを呟いた。
「ぁ」
なんだ。
これ、なんだ
記憶の波に、飲み込まれる。
俺は、俺を見失う。




