第二十三話 ヘレナ・ディープエンド・オーディネス
全てが凍った世界に、足を踏み入れる。長椅子が並び、正面には見上げるほど大きなオルガンがあった。白く輝き、絶対零度の世界に閉じ込められていることが分かる。
大抵の魔法使いは、この氷結世界に耐えられず凍結して死んでいる。だから、死ぬと分かっていた残りの勇者二人は咄嗟に飛び散って逃げたのだ。
だが。
ただ一人、私の目の前にいる男だけは違った。
「相談なんだがよお」
男は持っているランチバッグを掲げて、首を傾げてきた。
「飯食ってからでもいいかあ」
「……」
「ごめんなあ、俺、晩飯早くてさあ。一個食べるかあ? 塩むすびしかないけどよお」
「……」
会話をする気がない私に、向こうも興味はないようだ。巨大なオルガンの下、祭壇の上に腰掛けてランチバッグを開ける。丁寧に水筒まで出して、銀紙に包んだ米の塊に食らいついていた。
「うめえ。まじで米うめえ」
「ああ、そうだわ。聞きたいことがあった」
「食いながらでもよお、いいかね」
「ジーンのこと、生きているってどこから知ったの」
握り飯に食らいついている男は、ゴクリと飲み込んで水筒蓋を開けた。
蓋をコップ代わりにして、飲み物を注いでいく。
「手紙」
「……手紙ですって」
「そ。差出人は不明。だが内容は『怪物』の消息、傍にあんたがいること、全部書いてあった」
「信じるにたる理由があったのかしら」
「ジーンは表向き処刑されたはずだがよお、その手紙にはジーンのやってきたこと、あんたとジーンの村のこと、一部の奴しか知らんことが書いてあった。俺はそれを知っていたから、嘘じゃねえなあこれって思った。まあ、あと最大の信頼の決め手は」
ぺろりと、指先についていた米粒をなめ取った勇者が私に笑って言った。
「あんたが魔王を殺して、人間側に勝利をもたらした裏切りの姫だって、真実が書いてあったからだなあ」
光の勇者。勇者の中での総大将らしいが、恐らく国家機密にも触れられる程度の立場や権威も持ち合わせているのだろう。
私はこの男に興味はなかったが、持たざるを得なくなった。
「全部知ってるぜえ。あんたが魔王を殺して人間側が勝利した。けどよお、表向きは俺が魔王をやっつけたって話にされてるんだ」
「……」
「そんで、その代わりにあんたはジーンとあの滅んだ村の土地を手に入れた。男一人と焼け野原欲しさに、自分の父親殺しちゃうとかよお、クレイジープリンセスなんて呼んじゃっていいよなあ。あだ名でどーよお」
「……」
「これが、五年続いた人魔大戦終結の真実。人間は魔族に勝っちゃいねえんだ。あんたの気まぐれに振り回されただけ」
「……」
「魔王とはよお、一回やり合った。強えよな、あんたの親父さん」
「……」
「でえよお、あんたは魔王より強いのか−−−ヘレナ・ディープエンド・オーディネス。魔族最強の魔王−−−オーディネスの一族、唯一の生き残り」
話が長い。
殺すか。
「『アレフ』」
「『レース』」
線に沿って凍結させる、不可視の刃を放つ。細切れにしてやるつもりだった。網目状に世界を斬り裂く。しかし、巨大なパイプオルガンがバラバラに崩れていく中、光の勇者は何食わぬ顔で膝を組んで座っている。
万物を斬り裂く氷結の刃が効いていない。そもそも、この氷漬けにされた大聖堂内に平気で生存しているあたり、私の魔法が一度も当たっていないと考えるべきか。
「恐ろしいねえ。ミリ単位に凍らせて切断する。自然系魔法も、そこまで操れるものなんだなあ」
「避けたわね」
「……へえ。見えてるってえのか。俺が」
食べかけの握り飯を置いて、嬉しそうに勇者は立ち上がる。コツコツと汚い黒靴を鳴らしながら近寄ってくる。
(この男、『アレフ』を避けた)
避けられた経験はなかった。ただの蹂躙ではなく、多少なりとも戦闘になり得るシチュエーションに、少しばかり気分が高揚してくる。
(手応えがなかった。防いだわけじゃなく、単純に避けられた。私の魔法が)
少し、面白い。
「これならどうかしら」
「−−−『レース』」
詠唱をせず、『アレフ』を繰り出す。厳密には、先ほどの詠唱に基づいて魔法を発動する。一度の詠唱による魔法行使の拡張。これによって、詠唱という魔法発動の宣言がなくなり、相手はいつ魔法が飛んでくるか分からない状態になる。
私の魔法は発動と同時に決着がつく。詠唱もなければ、まず間違いなくどんな魔法使いでも凍結することになる。
範囲は視界全て。
凍結の刃を無制限に飛ばし続ける。ドガガガガガガガガガガガガガガガガガ!! と轟音を立てながら大聖堂が破壊の嵐に飲み込まれた。
(詠唱した……。たまたまじゃないわね)
ついに天井まで落ちてくる。聖堂そのものが崩落寸前、上階が傾いてしまったことが分かる。
振り返る。
無傷のまま立っている男に確認する。
「やはり避けているわね、私の魔法を」
「そっちはよお、なんで詠唱もなしに魔法使えるんだよ。あぁ?」
右手に剣を持った勇者が立っていた。小汚い黒靴、ダボダボの黒いズボン、白いTシャツという舐めた格好。ボサボサの灰色の髪を手でかきあげた勇者は、剣を鞘から抜き取った。
「……ああ、そうか。なるほどなあ、さっきの詠唱が『持続』してるわけか」
勇者は虚空を見つめながら呟くと、楽しそうに無邪気に笑った。
「化け物かよ、お前」
「よく言われるわ」
「そおかよ−−−ジェラルト・ジャンリック・ジャガー。負けたことがよお、ねえんだわ。そっちは?」
詠唱なしの、ノーモーションの攻撃すら回避される。くわえて、詠唱の拡張という原理すら、ものの一瞬で見抜く洞察力。
間違いなく、こいつが勇者たちの中の総大将と言えよう。
しかし、なるほど。先の回避から大体のことは理解できた。理解できれば、全て等しく退屈だ。
「ヘレナ・ディープエンド・オーディネス。魔王オーディネスの娘」
「そいつは知ってるさ。あんたはどうだあ、負けたことあるのか」
いらなくなった鞘をその辺に投げ捨てると、ジェラルトは肩をぐるぐる回して筋肉を解していく。
「ないわね」
「だろうなあ。じゃあ、お互いこれで初めて負けるかもしれないわけだ。ゾクゾクするねえ」
頬を赤らめて笑った勇者の、言っている意味が何も分からない。
だから聞いてやった。
「私に勝てると思っているの」
「ああ。俺よお、強いからさあ」
「……ふふ」
「あ?」
理解した。
だから笑ってしまった。
こいつは一撃で死ななかった。そんな奴は久々だったから、少し無駄話に付き合ってやっただけだ。
だが、どうやら勘違いしているらしい。
教えてやる。
「私の氷結魔法を避けられたことが、よほど嬉しいようね。それで、私に勝てると思い込んでいる。自分が強いと、自信がある」
「……」
「見えないなら教えてあげるわ。あるわよ、あなたの目の前に」
「なにが」
「魔法使いとしての、越えられない絶対的な壁が」
挑発のつもりではない。真実を伝えてやっただけだ。しかし、受け手は間違って理解したようだ。
飄々とした態度が消え、憤怒の目つきで私を睨む。
強さに誇りを抱くか。
(底が見えた。飽きてきたわね)
ならば、その程度の魔法使いというだけだ。
「『レース』」
詠唱される。そして、私の背後でいつの間にか剣を振り切っていた勇者に気づく。
その魔法がどんなものか、私はお父様から聞いていた。何をしたか、誰も分からない。いつ始まっていつ終わったのか、全く分からない。
光の速度を宿す魔法−−−光速魔法。
「大口叩いた割にはよお、終わっちまったな。ヘレナ姫」
光の速さで私の攻撃を避けた。光の速さで私に接近し斬り捨てた。あまりにも単純明快な戦い方だが、なるほどお父様も認めるわけだ。
「見えないわね。全く」
「だろうなあ。斬った後もよお、死ぬのが遅いんだ。光の剣速だ、身体が死んでいることに気づいてないんだろうな」
「ああ、じゃあ私、もう死んでいるのかしら」
「首を斬った。じゃあな、美人の死に顔は好みじゃねえ」
「どこへ行くのかしら」
「ジーンを回収しに行くんだよ」
「二つおかしな点があるわね。一つ、ジーンは私のものよ。身も心も魂も、くれてやるつもりはないわ」
愚かな勇者は、ようやく異変に気づいたようだ。ゆっくりと振り返り、私と目が合う。
「……お前、いつまで喋ってんだ」
「確かに、お喋りはもういい。呆気なく死なない敵を前に、私も少し楽しんでいるのかしら」
「斬ったはずだ」
「あらそう。不思議ね」
勇者は再び詠唱する。目では追いつけない速度で剣が私の首に飛んでくる。
意味のない行動、しかも二度目。
飽きた。
「つまらないわ」
「っ」
ピタリと、今度は剣を止めてやる。死を悟ったのか、勇者は武器を手放して後ろへ逃げた。
宙に浮いたまま動かない剣、それは私の喉元で止まったままである。
勇者ジェラルトは目を見開き、呟いた。
「なんだあ、なんなんだ、そりゃあ」
「二つ。あなたは私に殺されるのに、どうやってジーンを回収できるの」
虚空に浮かぶ剣が地面に落ちていく。私はそれを勇者に向けて蹴り飛ばした。大人しく剣を拾い上げた勇者は、神妙な面持ちで距離を取る。白いコートのポケットに手を突っ込み、私は告げた。
「−−−光速に適応する魔法」
「っ」
眉根が寄った。
初めてだったのだろう。自身の魔法の本質を見破られることが。
「光の速度で動ける魔法、それだけじゃない。本質は『光の速度に適応できる魔法』と言ったところかしら。言わば『光速適応魔法』」
「……」
「例えば魔力探知や視力。光速で動くための『感覚』や『器官』も、光の速度に適応できるレベルまで研ぎ澄ますことができる。嗅覚や聴覚も同様かしら。そうでなければ、『光速で行動することをコントロールできない』でしょう」
「……」
「だから、あなたには私の魔法発動時の魔力の膨れが手に取るように分かる。私の斬撃も当たる前に感じ取れる。光以上のスピードで魔力や魔法を扱わない限り、あなたには全て視えてしまう」
「……冗談だろ。頭もキレるってかあ?」
「そこそこに面白かったわ。けれど答え合わせも済んだ」
右手をポケットから出した。
そのまま中指と親指を擦り合わせる。ぐっと押しつけ合わせて圧迫。右耳の高さにまで軽く振り上げる。
勇者は眉を潜めた。
「なんだあ、そりゃ」
「『構え』よ」
「……構え?」
「『アレフ』は本来、広範囲の対象を凍らせる魔法。私はそれを斬撃にできるレベルにまで、ミリ単位の凍結に調整しているのよ。斬り刻む範囲や斬撃を加える場所、各斬撃の凍結威力調整、角度や向き……面倒くさいから適当に発動しているわ。つまり、私の『アレフ』はデフォルトの威力や範囲の設定がある。けれど、この一撃は−−−」
「お前−−−!!」
意図が伝わったようだ。
話が早いことは良いことだ。
「−−−あなたを斬り刻むためだけに、集中して繰り出す本気の『アレフ』よ」
右手を振り下ろす。対象に向けてフィンガークラッチを鳴らす。勇者に向けて破裂音が響くと同時に、大聖堂の壁面が木っ端微塵になる。
鼓膜を破る轟音と共に、瓦礫すら落ちてくることはない。一瞬にして一度の爆発音。残るは消えた壁面の断面から揺らめく、絶対零度の名残たる煙だけ。
再び背後に振り向いた。
そこには、息を荒げて片膝をついた最強の勇者とやらがいる。
鼻で笑って言ってやった。
「−−−浅い底だこと」
「て、めえ……!!」
左耳を手で押さえながら私を睨みつけてくる。見れば、耳たぶから下が消えていて、傷口が赤く凍って変色していた。
「二千以上の凍結の刃、よく回避したものね。まあ、無傷じゃないあたり、もう期待できないわ。残念」
「なめやがって−−−『レース』!!」
気づけば、再び喉仏に剣先が突き立てられていた。憎たらしげに私を見上げて、剣を握っている勇者がいる。
その刃は決して私に届かない。
ピタリと静止。勇者は目を見開いて、ようやく理解する。
「……絶対零度の、壁。斬ったと思っていたのは、あんたの周りの凍らせた空気か」
ゆらりと、勇者は再び剣を手放し、酔ったような足取りで後ろに下がる。疲れてきた、飽きてきた。思わずため息が出る。吐いた息が白く上へ登っていくのをぼんやりと眺めながら尋ねた。
「理解には至ったようね。けれど、どうするの。理解したところで、絶望が深まるだけ。無意味な営みじゃないかしら」
「冗談だろ。それじゃあよお、あんたに何も物理的攻撃は通じないことになる。光すら届かない絶対零度の世界を纏い続けるなんて、そんなズルねえよなあ」
「だから言ったじゃない」
目の前で止まっている剣を取り、勇者の前に投げて返してやる。
転がった剣には目も向けず、勇者は私を見つめていた。
もう一度、教えてやる。
「あったでしょう。絶対的な壁ってものが」
「……お前よお、魔王なんかより全然強いだろ」
「そうね」
「なんで戦争中、前に出なかった」
「話す義理はないわ」
「それもそうだ」
剣を拾い、どこか呆れるように笑ったジェラルトはこんな提案をしてきた。
「あんたに攻撃は通じない。しかしあんたの魔法を避けることはできる。似てるなあ、魔王のときと。引き分けってことでよお、やめにしないか。死にたくねえんだ」
「……」
久々に楽しめた。五分も生き残った敵など、そうはいなかった。だから私は慈悲深くこの男に接してやっていた。
しかし。
今の発言は聞き捨てならない。
「ジーンはね、静かに暮らしていたわ」
この期に及んで、命乞いだと。
人を舐めるのにも、限度がある。
「私と、静かに生きていた。悲しい過去とはゆっくり向き合っていけばいい。彼が、彼らしく生きていて欲しかった。ナイフなんて、もう握らせたくなかった」
「……おいおい」
「私とジーンはこの国との約束を守って静かに生きていた。それを破って、ジーンをまた不幸の泉に突き落とそうとしたのは、あなた達でしょう」
「待て。なんだあ、その魔力の量は」
「まだ分かっていないようね。つまり−−−」
終わらせる。
もう意味はない。聞くこともない。ただ、癪に障った。だから、逃げられることだけは許さない。こいつは私が絶対に殺しておく。
「−−−ブチ殺してやるわ」
「っ!!」
詠唱する。
地獄を現世に降ろす詠唱を。
「『ディアブロ・アレフ』」




