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魔法使いに魔法を、怪物にナイフを  作者: 月光女神
第一章 勇者襲来編
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第二話 訪問者

 ヘレナとの日々は実に穏やかだった。

 朝目覚めれば朝食を一緒に作り、昼はのんびりと自由に過ごす。食材調達はヘレナの管理で、一人街に旅立っては数日分の食料を買い込んで彼女は帰ってくる。何度と一緒に行くと訴えたのだが、彼女は頑なにそれを断ってきた。相当な距離で病み上がりの俺には難しいとのことだ。彼女のおかげで生活できている以上、強く拒否されては俺も引くしかなかった。ヘレナから任された仕事はログハウスから徒歩二十分ほど離れた場所にある湖畔、セーナ湖での魚釣りだった。セーナ湖は寂しいほど少ない木々に囲まれた湖で、高い透明度の水の中を泳ぐ魚が羨ましくなるほど美しい湖だった。

 つまり、俺は朝飯を食っては釣りに行き、晩飯の食材を手に帰宅する。ヘレナと一緒に食事をして眠る。ただ、それだけで、生きている。

 持ってきていた小さな椅子に座る。釣り糸を垂らし、竿を雪に突き刺して固定する。

「……」

 湖の水面が揺れる音以外に、今ここには何もない。この世界の時間が漂っていることだけが、肌身に感じ取れる。

 はずだった。

 ザリ。

 雪を踏み締める音が、風に運ばれるように吹き抜けた。

 ザリ。ザリ。

 ザリ。ザリ。

 ザリ。ザリ。

 一定の間隔。動物ではない。

 いや、間違いなく、人だ。

 ヘレナだろうか。振り返ってみると、雪の蕾を蓄えた木々の下に、一人の男が立っていた。

 釣り竿と収穫物を入れる藁でできた籠を持ち、厚手の手袋に黒いローブ姿の、背の高い男。

 人相は良かった。こちらを笑顔で見つめている。手を軽く振られた。挨拶だと分かったので、俺も少しだけ頭を下げる。

(綺麗な金髪だな)

 近寄ってきた彼は、俺の隣で釣りを始める。よく見ると、キラキラと輝く金髪をオールバックにした、どこか気品を感じる青年だった。瞳は青い。というか、ヘレナもそうだが、ルックスが良すぎる。

(目覚めてから美男美女しか見てないな。俺の感性が歪みそうだ)

 ヘレナの通っている街から来たのだろうか。何も話すことなく、距離を置いて釣りをするイケメン。まるで絵画のように美しい光景だった。

 その時、向こうから声がかかった。

「ここの湖は始めてでね。君、ここは結構釣れるのかい」

「え。ああ、そうだな。まあ釣れるよ。いつも多めに釣れちゃうから、逃がしてやる魚も多い」

「そりゃ良かった。いつもってことは、毎日ここで?」

「うん。晩飯取りに」

「漁師とかじゃなくて、自給自足なのか。いいね。なんだか、俗世から離れて生き生きしているように見える」

「……あなたは、どこから」

 妙に話しやすい青年だった。目覚めてからここ二週間、ヘレナ以外の人間と関わっていなかった俺は、素直にコミュニケーションを楽しんでいた。

「王都。道中、誰とも会わなかったよ。いや本当に、来るのに苦労した。大変だった」

「王都って……。その、どれくらい遠いんだ」

「馬車や交通機関を利用して、まあ一日くらいかな。君、ここは辺境も辺境だよ。ずっとここで暮らしているのかい」

「あ、まあ、うん。そんな感じ。世間知らずなんだ」

「一人?」

 垂れた釣り糸を少し動かし、青年は湖を眺めながら尋ねてきた。

「いや、二人かな」

「へえ。家族かい」

「どうだろう。まあ、うん」

「はは。さては恋人だな。その反応」

「いや、そんな」

「同棲一年目ってとこかな。恥ずかしがってる感じから」

「……」

「名前、なんていうんだい」

 青年の竿に魚がかかった。逃がさないように魚の動きに合わせて竿を遊ばせている。

「ジーン。あなたは」

「僕はレイン。レイン・フォレスター。よろしく」

「うん、よろしく」

 レインは魚を釣り上げると、屈託のない笑顔を向けてくれた。獲った魚を籠に入れようと屈むが、何かを思いついたように立ち上がる。

「なあ、ジーン。ちょっとおやつにしないか」

「おやつって……それ?」

「そう」

「でも、火もなんもないよ」

「ああ、大丈夫だよ」

 レインはローブを脱ぎ捨てる。腰には剣があった。剣を鞘から抜くと、近くの木から枝を何本か切り落とし、それを抱えて戻って来る。

 獲った魚を半分に切ると、枝を突き刺して二本に分ける。残った枝をテントのように組み上げると、片手を広げてこう言った。

「『フレイド』」

「っ」

 ゴオッ、と組み上げた木が燃え上がる。着火などしていない。勝手にそこから火が生まれてきた。

 初めて見る、不可思議な現象。

 俺の知る限り、こういうものを、確か……。

「魔法……?」

「そう、魔法。僕は魔法が使えるからね。あれ、こっちじゃ珍しいかい」

「この世界には、魔法があるのか」

「まるで初めて魔法を見た反応だね」

「まあ、うん」

 レインは火に魚を焚べる。俺は未知の現象に興味関心が湧いて止まなかった。

「みんな魔法が使えるのか」

「人間は限られるね。どんな天才でも、相当なセンスと訓練がいる。でも、理論的にはみんな魔法が使えていいんだけどね」

「理論的に?」

「そう。この世界の動物は全て多かれ少なかれ魔力を内包している。だから、魔力から発現する魔法を扱うことは、理論的にはできるはずなんだけど」

 レインは苦笑した。

「魔法って難しいんだ、すっごく。僕も苦労したさ」

「そう、なのか」

 レインは焼き上がった魚の串を一本、俺に手渡してきた。

「ジーン、はい」

「ありがとう、レイン」

「お、ようやく名前で呼んでくれたな」

 また笑ってくれた。古くからの友人のように、あるいは兄のように、ヘレナとは違う優しさを感じる。

 ヘレナも、レインも、本当に素敵な人たちだ。この世界も、案外悪くないのかもしれない。

 魚を頬張りながら、俺はレインに問いかける。

「レインは、その、剣士なのか。騎士なのか」

「ん? ああ、これね」

 レインは腰に収まっている剣を一瞥した。なんてことのないように答えてくる。

「勇者だった」

「え」

 予想外の答えに食事が止まる。

 レインは続けた。

「ここはエレストヤ王国、人間の国さ。僕はこの国の勇者だったよ。今は、まあ、無職かな」

「勇者ってことは……。あれか、敵対する奴らがいて、そいつらを倒して仕事が終わったってことか」

「んー、倒して……。まあ、うん。そんな感じだね」

「この世界には、人間以外にどんな動物がいるんだ。俺、詳しくないんだ。ずっとここ育ちで」

「そうだねー。いろいろかな。少ないけど、賢い種族のエルフもいる。竜人……竜が人に近づいた種族もいるし。あと、魔族もまだいるかな」

「魔族」

「うん。生まれつき『魔法の才に恵まれた種族』のこと。魔族は人間とは違って、生まれつき高度な魔法を使いこなすことができる。魔法使いとして、別格なんだ」

「生まれつきって……。全員?」

「全員。訓練も特に必要ない。魔族一人で、国一つ落とせる奴がゴロゴロいた」

「その口ぶりからして、レインはその魔族ってのと戦ってたのか」

「そう。魔王って奴を倒すのが、僕の仕事だった」

「魔王……」

 残っていた魚を豪快にも一口で食べたレインは、ゴクリと咀嚼してから続けた。

「魔王。魔族の中で、王族とされる家系の頂点。まあ人間と何も変わらない、魔族って種族の王様のこと」

「ずっと戦っていたのか、レインは」

「五年は戦い続けたね。去年魔王も死んで、エレストヤ国と魔族の戦いは終わった。ようやく、のんびり暮らせてる」

「そう、なんだ。じゃあ今は戦争とかはないのか」

「少なくとも、魔族相手にはないね」

「……そうか」

 この世界の実情に、ようやく一つ触れられた。だが、やはり謎が深い。俺はどうしてこの世界にやってきた。どうやってこの世界に来た。去年魔王は死んだと言ったが、俺は戦時中からこのエレストヤ国の辺境の雪地で過ごしていたのか。

 俺は、一体、なぜここにいるんだ。

「ジーン」

「え」

 後ろから声が聞こえた。

 一番聞き慣れた、綺麗な声だった。振り返れば、ヘレナが白いコートに赤いマフラーをして立っている。

 足音一つしなかった。いや、レインの話に夢中で気がつかなかったのか。

「ああ、ヘレナ。こちらはレインさん、たまたま会って、仲良くなったんだ。レインさん、この子はヘ−−−」

 レインに振り返ると、その顔が青ざめていることに気づく。

 彼は何かを伝えようとした。口が少し開き、音になっていない声が喉元で鳴った。

 その瞬間だった。

「『アレフ』」

 ヘレナがこの雪景色の中、最も恐ろしく冷たい声で唱えた。



 レインの左腕が落ちる。

 ストンと、肩から先が雪に突き刺さっていた。



 白しかなかったこの世界に、赤がぶち撒けられていく。とんでもない出血に血溜まりが出来上がり、セーナ湖の中に彩りをつけていく。

 レインは歯を食いしばり、凄まじい跳躍で後ろへ飛び退いていた。残った右手で剣を引き抜くと、剣には炎が纏われる。

 轟々と燃える剣を傷口に押し当てて、苦悶の表情を浮かべながら止血した。

 この一瞬で滝のような汗をかいていたレインは、膝をついて荒い呼吸を繰り返す。ヘレナを力なく見上げると、彼はようやく言葉を紡ぐ。

「ち、がうんだ。君は誤解して−−−」

「『アレフ』」

 意味が分からない。ヘレナを見る。その瞳は、ルビーが埋め込まれたような美しさだった。美しい、はずだった。だが、よく見れば、それはまるで鮮血で目を洗ったかのような目となり、怒りも憎しみも悲しみも宿っていない。

 呆れているような、そんな目だった。

 レインが更に退き、剣を虚空に振り回す。何かを弾いたような音が響く。

「『フレイド』!!」

 焚き火を起こした時とは比べ物にならない業火が噴き上がった。それはレインとヘレナを隔てる壁になる。空まで昇るような火炎の壁門がものの一瞬で完成される。

 逃げるつもりだろう。

 間違いなく、素人の俺から見てもこれは防御の魔法。

 事態を飲み込めていない俺は、座ったまま動けていなかった。黙ってヘレナを見上げる。何の感情も住んでいない目が俺を見下ろす。

 背筋が、凍った。

 だが、すぐにいつもの綺麗な目に戻る。俺に申し訳なさそうに微笑んでくる。

「ごめんなさいね、ジーン。怖いわよね」 

 俺を横切り、炎の前に立つ。

 そしてヘレナは呟く。馬鹿を相手に辟易するような様子で、無情に。

「『アレフ』」

 炎が消し飛ぶ。

 一瞬で霧散、そこにはレインの苦悶の顔があった。

 明らかに、あまりにも、何も知らない俺から見てもヘレナが強すぎる。

 レインが追い詰められていることは、残酷なほどに理解できた。

「ヘレナ、待って!! 僕は『約束』を違えに来たわけじゃない!!」

「そう」

 ヘレナはどうでもよさげに言葉を返すと、軽くため息を吐いた。嫌そうに、面倒くさそうに。白い煙となって、それは空へ昇っていく。

「僕は!! 友人として彼に会った!! それだけだ!!」

「そう」

「っ、な」

 なんだ。ヘレナはゆっくりとレインのもとへ歩いていく。レインはセーナ湖に向かって逃げるが、俺は意味のわからない現象を目の当たりにした。

 セーナ湖が、凍っていく。

 魚が、動きを止めている。

 ヘレナが近づけば近づくほど、その現象が湖の奥にまで及ぶ。レインもまた、同様だ。足取りがおかしくなり、ついに倒れる。壊れたロボットのような状態でヘレナに振り向いて、たどたどしく言葉を吐き出した。

「ヘ、レナ。ジーン、のことで、君に、伝える、ことが、あ、た」

「そう」

「だ、か」

「でもいいわよ」

「ら」

「何かあっても」

「ま」

「あなたみたいに、どうせ皆殺すわ」

「て」

「久しぶりだったわね、レイン。さよなら」

 レインと目が合った、気がした。震えが止まらない。だが、俺は駆け出していた。ヘレナのもとへ。レインのもとへ。指先が凍っていく。息を吸い込むと喉が切り刻まれるように痛くなる。

 それでも、叫ぶ。

「ヘレナ!! 待って!!」

「っ、いや!! ジーン!!」

 ヘレナは恐怖したようにすら聞こえる悲鳴を上げた。瞬間、凍てつく空気がほどけていく。固まっていた足取りが急に軽快になり、俺は盛大にコケた。

「ジーン!!」

 ヘレナが駆け寄ってくる。

 俺の身体を抱き起こすと、涙目になって顔を覗き込まれる。

「ジーン、なんで来たのよ。だめ、ねえだめ。いやよ、いや。死なないで、ねえ、ジーン」

「お、大げさだな。感覚も戻ってきた。ほら、大丈夫だって」

 俺は立ち上がり、手足を動かしてみせる。過剰なほどに怯えた様子のヘレナは、小刻みに震えながら泣いていた。

「ごめん、ごめんなさいジーン。あなたに、もう危険がないようにって、したのに、私はまた、また」

「いい、いいから。ヘレナ、大丈夫だから」

 泣いて震えるヘレナを抱きしめながら、俺はレインを横目に見る。

 レインの身体も凍結から解放されたのか、彼もまた動き出していた。膝をつき、過呼吸にすら見えるほど激しい息継ぎを繰り返している。

 俺を見ると、目が合った。ようやくほっとした様子で、息が整えられていく。

「ジーン、もう大丈夫。ありがとう」

「ヘレナ」

 腕の中で、ヘレナが穏やかに言った。

 涙を拭い、俺から離れると、まるで子どもをあやすように俺の頭を撫でる。

「ジーン、言ってなかった私が悪いわ。ごめんね、危険だからここから動かないで。大丈夫、すぐ終わるから。いい子にしていてね」

「すぐ終わるって……。待ってヘレナ。なんでレインさんを襲うんだ」

「レインはあなたの敵よ、ジーン」

「敵……? いや、だって、普通に仲良く、したよ。さっき」

「ジーンと仲良く過ごすなら、私がいるでしょ。寂しかったのね、可哀想に。これからはもっと一緒にいましょう。だから、待ってて」

「なんで殺すんだ。なんで、なんで」

 ヘレナの腕を握ってしまった。

 これはレインを殺さないで欲しいという気持ちからか。それとも、あれだけ穏やかに優しく綺麗な彼女が、鮮血に汚れることを恐れてだろうか。

 いずれにしても、俺の気持ちは一つだ。

「ヘレナ、頼むよ。レインと話をさせて欲しい」

「だめよ」

「なぜだ」

「ジーンはね、ただ生きていくだけでいいのよ。あれのことなんて、知らなくていい。普通に食べて寝て働いて、穏やかに生きていけばいいの」

「だから、レインと関わるなって言うのか」

「ええ」

 当たり前のことでも言って聞かせるような調子のヘレナに、俺は少し怒りを覚えた。

 つい、声を荒げてしまう。

「だけど、レインはさっき、俺のことを友人と言ったんだ!! 俺の過去に繋がるかもしれない!! もし俺にとって友達なら、なおさら見過ごせな−−−」

「友達なんかじゃなかったわよ」

「……え?」

 冷たい。

 ヘレナの目から光が消えた。殺風景な瞳で、俺をじっと見つめてくる。

 いや、違う。これは彼女の目ではない。彼女の見てきたのだろう俺の過去こそ、虚しく何もない人生だったのかもしれない。

「友達なんかじゃなかったわ。私、知ってるもの」

「……でも」

「私がいるから、大丈夫」

 ヘレナは立ち上がる。その纏う迫力に息を呑んだ。彼女の目には、もうレインしか映っていなかった。

 レインは黙り、しかし目を逸らすまいとした態度でヘレナを見つめている。

 彼は立ち上がり、剣を投げ捨てた。

 ぎょっとした俺に対し、ヘレナはやはり何も感情は動いていない様子だ。

「ヘレナ。本当に落ち着いて聞いて欲しい。君は聞くべきなんだ、これはジーンに関わる話なんだから」

「意味がないわ」

「確かに君は強すぎる。敵う奴がいるとは僕も、誰も、思っちゃいないだろう。間違いなく、どんな脅威も君の前には無力だ」

 だが、とレインは付け加えた。

 俺を指差す。

「ジーンは別だ。君とジーンが一瞬でも離れないことなんてないだろう。ジーンは、このままだと殺される。僕はそれを君に伝えに来た」

「私たちに関わらない。それが『約束』だったはずよ。違えば殺すとも言ったわ」

「殺される覚悟を持って、僕はやってきた。それだけの話だってことだ」

「……」

 ヘレナにようやく聞く耳が立ったようだった。彼女は俺を一瞥すると、瞬き一つせずレインを見る。

「なら、なぜ私ではなくジーンと接触したのよ」

「……すまない。それは、本当にたまたまなんだ。ジーンとよく釣りをした。楽しかった。だから少し、期待してここに来た。……ジーンが魚を釣っていたんだ。通じ合っているようで、嬉しくて、また一緒に釣りがしたくなった」

「……」

「君に見つかれば殺されるとは分かっていた。だから、腕はいらない。この後、殺してもいいさ。でも、一分だけでいい、僕の話を聞いてくれ」

「……五十五秒」

「っ、ありがとう」

 レインは深々と頭を下げる。ヘレナのもとへ歩み寄ると、ローブの中から一枚の紙切れを取り出した。

 ヘレナにそれを突きつける。

 彼女は黙ってそれを受け取り、広げた。

「なによこれ」

「ジーンのことが世界にバレたんだ。これはエレストヤ国内闇ギルドで出回っている、懸賞金リストの一枚。ジーンを生け捕りにして回収した者に莫大な報酬金が与えられることになっている」

「どうしてジーンが狙われているの」

 近寄って覗き込む。

 すると、そこには俺の顔写真と懸賞金と思われる数字の羅列があった。

 レインは続けた。

「分からない。エレストヤ国が君たちを売ったのか、他の経路から漏れたのか、何も掴めていない。国王は闇ギルド摘発に動いているようだが、どうせもう国外にも渡っているさ」

「……」

「ヘレナ。『約束』を君は守った。でも、こんなことになったのは、僕も怒りを覚えている」

 ヘレナは言葉でもって殺すつもりなのか、鋭利な刃物で刺すように告げる。

「よく言えたものね。あなたもジーンを裏切ったじゃない」

「……そう、だな」

 ヘレナはレインに背を向けて歩き出した。俺はほっと息をつく。彼女はレインを見逃してくれたのだ。

「これは貰っておくわ。もう消えて」

「ヘレナ。僕は−−−」

「殺すわよ」

 レインは息を呑んだ。

 彼が何を続けようとしたのか、ヘレナには分かっていたようだ。

 彼女はレインに振り返っていて、俺からは何も表情が見えない。だが、レインの顔から血の気が引いていることだけは見えてしまった。

 ヘレナの淡々とした言葉だけが並んでいく。

「レイン。これ一つでチャラになるとでも思っている様子ね。残念な頭をしているようだから、教えてあげる。ジーンは私のものなのよ」

「……」

「だからね、ジーンがあなた達を許しても、私は許さない。ジーンは私とずっと一緒。あなたの友達にはならないし、あなた達のもとへ戻ることもない」

「……」

「私は約束を守った。ジーンと二人、ここで静かに暮らしていた。関わるなと言ったはずよ。関わるようなら、私も約束を守る義理はないわ」

「……ああ、すまない」

 レインは大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。

 そして、剣だけ手に取り、鞘に収めると立ち去っていく。

 さよならも言わずに、俺の友人だと言った男は、この雪原から姿を消した。

「ジーン、お魚釣りましょう」

 消えていったレインの背中を見つめていると、手が引かれる。ヘレナは俺を椅子に座らせると、突き刺していた竿を持たせてきた。

 レインの残していった竿を手に、彼女は湖に釣り糸を放る。俺の隣で立っていた彼女だが、急に後ろへ倒れ込んだ。慌てて支えようとするが、一瞬で氷の椅子が出来上がりヘレナを受け止める。

 既に理解していたことだが、ヘレナに改めて聞いてしまった。

「ヘレナも、魔法使えるんだな」

「ええ。もうほとんど使っていないけれどね。今は特別、私も座りたいわ」

「魔法使えるの、隠してた?」

「……隠していたわけじゃないわ。ただ、私、魔法って嫌いなだけ」

「なんで」

「なんでもよ」

 それ以上、俺は聞かなかった。

 ヘレナは何も俺に語らない。俺の過去を。ただ楽しそうに釣りをして、料理を作って、談笑に励んでくれる。

 まるで、俺が今ここで生きることを楽しめるように、夢中になれるように、願っているようだった。

 だから、俺は今回のことに踏み込まない。

 なにもなかったように、俺たちは眠りについた。


 

 

 


 

  

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