第十八話 夢の男
−−−よく見ればクソガキじゃねえかよ。てめえ、舐めてんのか
なんだ、こいつは。
−−−やってくださいの間違いだろうが、あぁ?
なんだ。
なんだよ、その顔は。
−−−そんな面して殺してんじゃねえ!! なに被害者ぶった顔してナイフ振り回してんだてめえ!!
どうしてそんなに、怒っているんだ。
−−−なに殺すてめえが悲しい顔してんだよ。なんで傷ついたような顔してんだよ。なんでそんな被害者ぶって殺すなんて言えんだよ!!
どうしてだよ。なあ、あんた。
−−−なんなんだ、てめえは!!
あんた、どうして辛そうな顔してるんだ。
−−−〇〇!! 殺さないで!!
「っ」
ガタン、と荷台が揺れて目が覚める。座ったまま眠っていたようだ。
変な夢を見た。
あれは、なんだろう。どこか見覚えのある、男だった。
「……」
「……なにか、思い出したの」
隣から、ヘレナの声が響く。振り向くと、どこか不安げな顔を寄せてきていた。
その震える瞳に、優しく笑いかける。
「なんだか、変な夢を見たんだ。すげえ剣幕でさ、男に怒られた。なんて顔して殺してやがるてめえって」
「……どんな男なの」
「顔までは、はっきりとは分からないけど」
「……そう」
ヘレナの声が、厚みを帯びる。ただの端的な質問に、重厚感というか、重みと迫力を感じた。
少し驚きつつ、忘れないうちに思い出してみる。
「口が悪かった。けど、そんなに怖くはないというか」
「そうなのね」
「それで、女の子の声がしてさ。やめてって。それで目が覚めた」
「……」
俺の話に食い気味だったヘレナは、ようやく顔と顔の距離を取ってくれた。美しい顔立ちゆえに、あまり至近距離で見つめて来ないでほしい。心臓がうるさくて仕方ない。
「ジーン。それはあなたにとって大切な二人よ。いいえ、彼らにとっても、あなたは大切な人だった」
「……教えてくれるのか、俺の過去を」
「あなたが思い出したことを隠すつもりはないわ。言ったでしょう、ゆっくり自然に少しずつ、思い出していくべきだって」
ヘレナの優しい顔は、あまりにも綺麗だった。ぼうっと見惚れてしまう。と、いかんいかん。せっかく何かを思い出したんだ。
「あのおっさんは、誰だろう」
「あなたを変えた、一人の魔族」
「魔族、なのか。あの人」
「ええ」
「名前は?」
「……きっと、それは自分で思い出すべきよ。その男の人も、それを願っているはず」
ヘレナは俺の頭を撫でてくる。
髪を、指でとかされる。ヘレナは独り言のような調子で語った。
「あなたはかつて、『魔族殺し』と呼ばれるエレストヤ国の暗殺者だった。私たち魔族は、あなたを恐れたわ」
「……なんとなく、分かっているよ」
「そうね。でもね、ジーン。それだけが、あなたの正体じゃないのよ」
「……」
「女の子もいたんでしょう」
「ああ……声だけだったけど……」
ヘレナは微笑む。
息を呑んだ。あまりにも純粋な笑顔。ただの少女のような、そんな顔だったから。
「その子も、あなたが自分で思い出してあげて。私からのお願い。きっと喜ぶから」
頬に手が伸びてくる。冷たい。細く長い、白い指。俺の目尻から頬を降りていき、顎下をくすぐるように触れてくる。くすぐったくて、少し笑ってしまう。
ヘレナも釣られて笑う。
そして、言ってくれる。
「ジーンはね、誰よりも優しい人なのよ」
「……うん」
「今も、昔も」
「……ありがとう、ヘレナ」
俺は、俺に対する闇から気づけば逃げ切っていることを自覚する。過去ではなく、今、俺にかけてくれる言葉に耳を傾ける。
今、目の前のヘレナを見る。声を聞く。レインの言葉、ソラリスの言葉こそ、今の俺が大事にすべきもの。
「イチャイチャしてるとこ悪いんだけどさ、姫様。これ邪魔、解いて」
ドン、と氷の手枷を荷台の床に叩きつけたのはソフィアだった。うたた寝をしていたソラリスが目を覚ます。
レインは黙って、ソフィアの様子を見ている。
「魔法は使えない。手枷もされてる。うんうん、私ってば戦闘になったら死んじゃうよねこれ」
「まだ舐めた口を叩けるようね。もう一度だけ聞いてあげましょうか」
「……」
ソフィアはじっとヘレナを睨んでいるが、徐々にその眼力は弱まっていく。下に落ちていった視線と共に、彼女の顔も俯いていく。
「手枷、解いて欲しいなあ、なんて思ったり」
「魔法が使えなくても、武器や拳でジーンを襲えるでしょう。却下」
「ここまで来て襲わないよ!! あのね姫様、エデニスト商会からしたら私もう立派な裏切り者なの。あんたらが王都に入ったら、その時点で私がバラしたってバレるわけ。だから、私はあんたらに寝返ったのさ、もはや味方なのさ!!」
「レイン。面倒だわ、任せる」
姫様は小娘の返答が長文で返ってきたことに辟易した様子。あんたらが王都に、以降のセリフに差し掛かった際には、もう顔を背けてしまっていた。
全部ぶん投げられたレインは、苦笑いしかできない。それはそうだ。なんだかんだ、レインが一番の苦労人である。
「じゃあ、ヘレナ。手枷だけでも解いてやってくれないか。魔法が使えないなら、害はないよ」
「……そう。あなたが管理なさい」
「分かっているさ」
ソフィアの手枷が溶けていく。水となって落ちていき、ようやく両手が自由を手に入れた。
はあ、とソフィアは大きなため息を吐いた。
「ありがと、姫様」
「ジーンに触ったら殺すわ」
「ねえレイン、ありがとって言っただけなのに、なんであんな怖いこと言われんの……。常にあんな殺意マシマシなの……」
ヘレナから一番遠くに距離を取っているソフィアが、冷や汗をかきながらレインに問いかける。
あっけカランとした顔でレインは頷いた。
「大体ああさ。僕もジーンと遊んだら、腕を斬られちゃってね」
「……」
サーっと、ソフィアの顔色が青くなっていく。ヘレナの俺に触ったら殺す発言に、凄まじい信憑性が付与された為だろう。
「いや、治してもらいなよ。そこのエルフに」
「いいんだ。これはこのままで」
レインはヘレナを盗み見た。
一瞬だが、どんな顔をしているのか気にするように見ていた。
しかし、すぐにソフィアへ向けて笑顔を作る。
「……あっそ。ってか、レイン。片腕であの二人を相手にしていたわけか。随分強くなったね」
「まあ、ね。ありがとう、ソフィア」
ぐぐっと伸びをしたソフィアは、空を見上げてぼやく。
「あーあ。しかし厳しい戦いになるよこれ。レインは腕一本、信用されていない私は魔法禁止、回復魔法しか使えないエルフ」
ソフィアは俺を指差した。
「魔法使い相手に頼もしかった噂の『怪物』は記憶喪失で使えない。ほとんど姫様頼りじゃんか」
「ジーンが、なんですって」
「ごめんなさい」
ヘレナに睨まれた瞬間、ソフィアは被せるように謝罪する。数多の暴力がトラウマなっているのだろう。少し、可哀想に思えた。
「でもさ、ジーンくんが全盛期のままなら、確かにこの勝負勝ち目はあったと思う。当時の『怪物』は、魔王軍幹部だって倒していたし」
「……何が言いたいのかしら」
「私の魔法で、やっぱり記憶戻さない? そうしたら、全力の『怪物』が味方で頼もし−−−」
「『アレフ』」
一瞬で、喉元に剣先が届いていた。氷の剣だ。三メートルは離れているのに、ヘレナの右手にはソフィアの喉元にまで届く長さの剣があった。
本当に一瞬だった。氷の生成能力が高すぎる。
「あらかじめ言っておくけれど」
「な、なにさ」
「勝手にジーンの記憶を呼び起こしたら、この間とは比にならないやり方であなたを殺すわ」
「……」
「玉ねぎの皮を剥くように、殺してあげる」
「……うん、うん。分かった、姫様。しないよ」
氷の剣が砕けて落ちる。溶けていき流れていく水が、ソフィアの太ももを濡らしていく。
彼女は冷たさに驚いたのか、びくりと跳ね上がっていた。
「ヘレナ、頼むよ。もうこれ以上いじめないでやってくれ」
「舐めた発言が目に余るのよ。このままじゃ、どのみち一緒にいれば殺してしまうわ。カッとなってね」
「……はあ」
笑顔を作っていたレインもついに限界、それはもう大きなため息を吐いて気疲れ限界を漏らしていた。
果たして、王都まで血を見ずに辿り着くことはできるのだろうか。
「見えた!!」
森を抜け、どでかい門が見えてくる。負けないくらいに広く長い橋がかかっており、その先にそびえ立つのが正門だった。憲兵が何十人もウロウロしていて、橋の上では大勢の人が行き交っており文化経済の流通そのものがあった。
興奮した俺が叫んでいると、ソラリスが真似をしてひょこっと荷台から顔を出す。
「王都、ここが」
「ああ、ソラリスも初めてか」
「うん。いっぱい人間がいるね、お兄さん」
「人間族の国、エレストヤ国の王都エレステートだからなあ」
「お兄さん記憶ないから、ただなんとなく覚えた単語並べただけだよね」
「ソラリス、いいか。へー!! とか。すごーい!! とかな。そういう感じの方がいいんだぞ。せっかく可愛いんだからな」
「なんで」
「なんでとかも、言わないほうがいいぞ」
「? 顔赤いよ、お兄さん」
子どもの無邪気な素直さにボコボコにされた俺は、ひっそりと荷台に腰を下ろす。隣で心配そうに俺を見つめるソラリスは、何も悪くはないのだ。
橋に差し掛かる。渡っていった先で、やはり憲兵が待ち構えていた。検問だろう。ヘレナが俺にローブを被せてくる。ヘレナ自身も深く被って顔を隠しているようだ。ソラリスも緊張しているのか、俺にくっついて離れない。
(めちゃくちゃ怪しいんだけど俺ら)
ソフィアとレインは、やたら堂々としていた。なんなら、ソフィアは荷台から飛び降りて待ち構えている憲兵に挨拶をしに行っている。
会話までは聞き取れない。しかし、憲兵があたふたしながら彼女に敬礼しているところが見えた。
ああ、そうか。そういえば、ソフィアとレインはこの国の勇者だった。
「おっけ、行っていいってさー」
「だろうね」
ソフィアに端的に返したレインが馬を操る。さすが勇者、顔パスかよ。開いていく大きな門の先に、王都の景色が見えてきた。
街が、深い。高い。建造物がぎっしりと密集しているだけではない。山を切り崩して繁栄したのか、景色の奥に行けば行くほど高い場所に建物が立っている。その頂上には、神殿のような大きな城があった。
「なあソフィアさん」
「悪いねジーンくん。君と話すとね、命がいくつあっても足りないんだ。また来世で話そう」
ゴゥン!! と、氷の弾丸が飛んだ。
王都へと入ったばかり、周りは大勢の人波でごった返している。さすがにヘレナも気にしたようだ。人指し指と中指を突き立て銃口にし、そこから石ころ程度の氷の弾丸を発射。ソフィアの顔面スレスレに着弾させた。
荷台に穴が空く。鳥が落ちてきたぞー!! なんて声が荷台の外から聞こえてくる。
もう殺される一歩寸前のシチュエーションに慣れてきたのか、ソフィアは右手を軽く上げて尋ねた。
「えーっと。姫様、つまりどうしろと」
「ジーンが聞きたいことがあるのよ。話しなさい」
「さようで……」
ソフィアは、膝を抱えて俺をじっと見てくる。
「ソフィアさん、憲兵に顔見せて良かったのか。エデニスト商会とかに、ソフィアさんが帰ってきたってバレるんじゃないのか」
「ああ、うん。もういいの。バレてるからさ」
「え」
レインも、ヘレナも、ソラリスも、神妙な顔で黙っている。
もう、バレているだと。どういうことだ。
「魔力探知で、お互いもうお互いのことは分かっているんだよ。しかし姫様、どうだい」
「……」
「一際でかい、荒々しい魔力があるだろ。多分わざと撒き散らしてるねーあれは。本当に勝ってくれるのかな」
「……」
一際でかい魔力−−−光の勇者、人間族最強の魔法使いの魔力のことだろう。俺には何も分からないが、魔法使い同士の間では水面下の牽制で魔力の見せ合いっ子という文化があるらしい。
自らの魔力を相手に飛ばし示すことで、戦わずして勝つこともあるようだ。
今、光の勇者がレインたちに牽制してきているのだろう。
圧倒的な、力を示しているのだろう。
対して、我らが総大将は軽く舌打ちした。初めて聞いた、ヘレナの舌打ち。
「うるさい魔力ね。それにしつこいわ」
「だ、大丈夫か。ヘレナ」
「面倒ね」
ヘレナの赤い瞳が細められていく。ナイフのように研ぎ澄まされた目に変わる。
瞬間、寒気が走った。
それはヘレナの冷たい目が怖かったから、だろうか。
「ソラリス、どうした」
ソラリスが背中に抱きついてきた。それは甘えるような抱擁ではなく、なんだかしがみつくという表現が合う様子だった。
肩が、上下している。
息が荒い。なんだ、どうした。
「ソラリス、おい」
「っは……!! っ、は……ぁは……っ!!」
「ど、どうした、おい」
息がうまくできていない。過呼吸のような症状だった。背中をさすってやるが、全く整う感じがしない。
レインに助けを求めたが、それはできなかった。
レインも、ソラリスほどではないが、息を吸って吐くことに必死になっているのだ。ソフィアも同じだ。襟元をぎゅっと握り締めて、目を見開いて何かに耐えている。
外から悲鳴が上がる。
見てみれば、何人かの人が道の上で気絶していた。バタバタと、まばらに人が倒れていく。
なんだ、これ。
ヘレナは、平気だった。
「しつこいわね」
ぼそりと呟いた。
瞬間、ソラリスやレインたちの症状がひどくなっていく。
「もう少しね」
間違いない。
これは、ヘレナの影響だ。
「飲み込んで−−−潰す」
何かが止んだ。
ソラリスたちの呼吸が落ち着いてくる。真っ先に回復していったのはレインだ。彼は空を見上げ、長い間水の中で溺れていたようにぐったりとする。
俺はソラリスの背中をさすりながら、レインに尋ねた。
「なんだ、なにがあったんだこれ」
「……魔力の、押し合いだね」
チラリ、とこの世のものかと疑うような目でレインはヘレナを見た。
「さすがヘレナだ。光の勇者が挑発をやめたよ」
「……バケモノ」
本当に心の声が漏れたのだろう、ソフィアは完全に怯えた表情でヘレナの横顔を眺めながらぼやいていた。
ヘレナはその呟きには反応せず、こてんと俺の肩に頭を乗せて目を瞑る。
ソラリスの息が整ってきた。ぐったりとした顔で俺を見て、尋ねてくる。
「お兄さん、大丈夫だった」
「ああ、俺はほら、魔力とか縁がないから」
「良かった」
少し笑ったソラリスが、俺の肩で眠るヘレナに声をかける。
「ヘレナは、大丈夫?」
少しだけヘレナの身体が動いた。
起きている。それでも、少しの沈黙を踏まえて彼女は言葉だけ投げ返した。
「ええ。大丈夫よ」
「そう。良かった」
「……ムキになった。悪かったわ」
「え。あ、うん」
ヘレナが謝った。ソラリスは驚きのあまりぽかんとした顔で固まっている。
俺も意外に感じた。肩で眠るヘレナの顔は、長い白髪がかかってよく見えない。
だが、彼女の謝罪の声は、少し温かく聞こえた。




