第十三話 屈折VS炎
「……いたのか」
「はい。炎の勇者、会うのは魔王軍との戦争末期以来ですね」
ジュリアスを倒した、直後だった。死闘で気が回らず、魔力探知がギリギリまで反応しなかった。気づけば、エレストヤ国随一の天才と謳われた勇者の声が聞こえた。
「……なぜ、ジーンを狙うんだい。エレストヤ国王との約束が、彼女にはある。ジーンとヘレナには不可侵のはずだ」
「ヘレナ姫について知るものは少ないですが、やはりご存知でしたか。彼女が生きて『怪物』を匿っていたことを。あなた、そうなると死刑に値しますよ」
「……君も知っているようだね。それで、君たちの狙いはジーンなのか。やはり」
「ええ。狙いは彼」
動けない。
ジュリアスに気を取られて、全く気づかず接近を許した。逃げられない。指先一つ、動かせない。そもそも、抵抗できるだけの魔力も、十分には残っていない。
僕は、茂みから現れた少年を睨む。
「レオナルド・シルヴァスタ。『屈折の勇者』」
「レイン・フォレスター。『炎の勇者』」
青い髪、青い瞳。特徴的な容姿にくわえて、まだ十五歳程度の若さ。不敵に笑う天才の魔法使いは、僕など無害とでも思っている様子であどけなく笑った。
「変わらない炎、感激しましたよ。フォレスターさん。戦場で一度拝見した限りですがね」
「……君まで賞金稼ぎとは、つくづく勇者たちには幻滅するよ」
「あはは。残念、ジュリアスさんだけですよ。魔法にあぐらかいて、金稼ぎなんてつまらないことをしているのは」
「……なら、君はなぜこんなことをする。なぜエデニスト商会に味方する。ジーンが、なんだって言うんだ」
「『怪物』ジーンは生きていた。魔族を滅ぼし、魔王なきこの世界、私たち人間族はもう少し自由を手に入れてもいいはずです。エデニスト商会と闇ギルドは、人間族繁栄のためにジーンが欲しい」
特別驚きはしない。僕の調査の上での推測と、大まかな違いはなかった。
「……やはり、そうか。ジーンを材料に、エデニスト国王と掛け合う気だな。戦争好きは人間族の性なのかな。恥ずかしく思うよ」
「エルフの国なんかも欲しいですね。医療が格段に進む。竜族なんてこき使えたら、あの独特な変身魔法のプロセスを解明、さらに魔法の研究は進む。夢みたいだなあ」
「……」
「かつて、魔族一強、魔王の天下だった魔法の世界は、人間族のものにひっくり返る」
「まだ、魔王がいた頃の時代の方がましに見えるけれどね」
出血は止まらない。
霞む視界に、僕よりも強い魔法使いの笑みが映る。
やるしかない。戦うしかない。
「『フレイド』」
「『ラムド』」
踏み込む。一瞬で三連撃を繰り出した。炎を纏った僕の剣は、レオナルドの頭部、胸部、腹部を完全に斬り捨てる。
斬り捨てた、はずなんだ。
「……なんだ、これは」
「ああ、私の魔法を見るのは初めてですか」
剣を振るう。何度も、何度も、激しく全身全霊で振るう。刃の届く範囲内なのだ。目の前に、笑って後ろに手を組んでいる小僧が一人。檻の中で暴れる動物でも見るように、楽しげに馬鹿にするように笑っている。
「あはは。すごいすごい。周りがズタズタだ」
「……っ」
爆炎と共に振るわれる剣の猛攻により、大地や辺りの木々が焼き払われていた。
当たっていない。
手応えがないのだ。
「……なんなんだ、一体」
距離を取る。先ほどのジュリアスとの死闘で受けた傷が痛む。胸から広がっていく出血に、このまま戦えば失血死することを理解する。
「単純ですよ、私の魔法も」
対して、相手は無傷。体力も十分といった様子だった。
レオナルド、彼は『屈折の勇者』と呼ばれる大英雄だった。五年も続いた魔族との戦争も、人間族の方に勝機が見えたのは、当時十三歳程度だった子どもの勇者−−−天才のレオナルド・シルヴァスタが現れたからだ。
そもそも勇者とは、人間族の中でも秀でた魔法使いとして魔族と戦う者に与えられる呼称。多かった時代でも、全員で十人。そのうち、未成年の勇者は彼、レオナルド・シルヴァスタ、ただ一人だった。
僕は、彼のことを噂でしか知らない。それでも、あの信じ難い噂は本当だったようである。
(戦場にて、常に無傷。いずれ魔王を倒す最有力候補とも言われた、神童)
剣を握り直す。
荒れて乱れる呼吸を整える。
「情けないね。歳下に遊ばれるとは」
「レインさんにはリスペクトがある。できるなら殺したくない。『怪物』をヘレナ姫から奪還、エデニスト商会に持ち帰る簡単な仕事です。良ければご一緒にいかがですか」
「遠慮するよ。死んだ方がましだね」
「ふむ。なぜ。ヘレナ姫が恐ろしいのですか。大丈夫ですよ、私とあなたが手を組めば敵わない相手じゃない」
「……」
「確かに彼女の魔法は強力らしいですね。しかし、私に魔法は当たりません。絶対に。私は魔王すら殺せたんです。出会えなかっただけでね」
「……すまない」
僕に挑発の意図はなかった。
ただ、単純に疑問に思ったから、純粋に尋ねた。
「君は自分ならヘレナに勝てると、言っているのかい」
「ええ」
「なるほど。若いというのは、時にここまで愚かなものなのか」
「……私では勝てないとお思いですか」
「ああいや、気を悪くしないでくれ。君だから勝てないとか、そういう次元の話じゃないんだ」
敵意などなく、事実を述べる。
ただの事実だ。人はいずれ死ぬ、晴れたら日が射す、魚は水の中でしか生きていけない、転べば血が出る、雪は白い冷たいもの。
そんなレベルの事実を、子どもに教えてやる。
「この世界は、全てヘレナの気まぐれで生かされているんだ。だから、何者も彼女には逆らえないんだよ。そういう風に、世界ができている。それだけのことさ」
レオナルドから表情が消える。彼は右足の踵を大地に叩きつけた。
「『ラムド』」
「っ!!」
割れる。
僕の足元から、真っ二つに大地が割れる。咄嗟に飛び上がり、落下を回避したのも束の間だった。
目の前に接近してきたレオナルドが、僕に向かって手を伸ばす。
咄嗟に炎の剣を振るうと、その手が虫でも払うような動きを見せる。
瞬間、僕の剣がぐにゃりと曲がった。
「な、にが」
「炎の勇者。残念です。あとは君だけだったのに」
「っ」
理解し、息を呑んだ。レオナルドの手が、僕の身体に伸びる。
触れられては、絶対にいけない。−−−フレイ
ド。爆発を右手から引き起こし、爆風に飛ばされて地上へ転がる。
レオナルドから、とにかく距離を取った。
降り立ち、彼は無表情に僕を見る。
「流石、古参の勇者。魔法に対する分析力が非常に高い。実戦経験の豊富さゆえ、ですかね」
「……屈折の、魔法。君が触れたものを無条件で『曲げる』魔法か」
「御名答」
「それに、空間そのものから屈折させるから、どんな魔法でも、物でも無条件に曲げられる。なるほど、凄まじいね」
剣が奴に当たらないのも、肌に触れる瞬間でカクンと軌道が逸れていたのだ。彼の肉体に触れた瞬間、その空間範囲そのものが絶対に曲がってしまう必中の魔法と言える。
魔力の差も関係ない。どんな物理攻撃も関係ない。確実に、全てを曲げる魔法。
「屈折魔法、凄まじいね。ずるいくらいに」
「炎の勇者に讃えられたこと、誇りに抱いて生きていきましょう。あなたの分までね」
「他の勇者は、全員エデニスト商会についているのか」
あとは君だけだったのに、そんなことをレオナルドは言った。
「ええ。戦後、生き残っている者たちは皆。ああ、『奈落の勇者』は行方知れずなので知りませんね」
「……最強の勇者とやり合わないで済むのか。助かるね」
「最強は『光の勇者』でしょう。彼が我々のトップですよ」
「……きついなあ、それは」
ため息を吐き、現実を受け入れる。落ち着け。まずは、この窮地を脱することだけに集中する。
「改めて整理する。君たちは他種族を支配するつもりだな」
「人聞きが悪い。統治ですよ。魔王なき今、この世を統べる戦争がまた起きかねない。平和のために、人間族が立ち上がるのです」
「……エデニスト商会のことは調べた。異種族の人身売買で大層儲けているそうじゃないか。君たち戦場を失った魔法使いは、また魔法を振るい戦場を駆け抜け、地位や名誉や大金を手に入れる。エデニスト商会は戦場で生き残った可哀想な異種族の子どもを『保護』してあげるわけだ」
「……」
「全く、ありがたい話だね。保護された子どもたちが、幸せな場所で暮らしていけることを祈るばかりだ」
「……文句なし、仰る通りです。炎の勇者、レイン・フォレスター。やはり、ブラブラと余生を謳歌させるには実にもったいない」
戦後、活躍の場がなくなった魔法使いたちは飢えていると言っていい。ジュリアスのように、闇ギルドで殺し屋稼業を営む魔法使いも増加している。
僕たち戦う魔法使いは、戦いの場がなければ何も認めて貰えないのだ。
そんな魔法使いたちに大義名分を与えて他種族に国土に侵攻、人間族の支配を実現させる。この筋書きを人間族の国、その頂点、エレストヤ国王に納得してもらう。
そして、そこにジーンを利用する。
「証拠も残らない。魔力もないから誰かも分からない。ジーンに他種族を暗殺させて、国家間で不信状態を作り、戦争勃発の緊張状態を作り上げる」
「そうですね」
「そこで立ち上がるのは、かつて魔族から人々を守った英雄の勇者たち。その他、血に飢えた魔法使い」
「素晴らしいですね。全ては人間族のためだ」
「くわえて、戦争孤児はエデニスト商会に流してやる。子どもたちはオークションに出品、不思議なことにエデニスト商会はボロ儲けしている」
「子どもたちを救った、そんな善行を神は見ているのでしょうね。彼らは潤って当然の良い商会だ」
答え合わせはできた。全てをヘレナとジーンに伝えなければならない。今回のソラリスが巻き込まれた人身売買、ジーンにかけられていた生け捕りの手配書、その全てがつながった。
「君たちのような奴らを何と呼ぶか、知っているかい」
「なんですか」
剣は変形して使えない。手を離し、足元に落とす。そして詠唱。拳から炎を生み出す。無傷無敗の勇者と、視線が交差した。その目に人の心など、宿ってはいない。
「クソ野郎っていうんだ。覚えておくといい」
「へえ、物知りなんですね」
限界を自覚しながら、それでも僕は腰を落とし、拳を背後にかざして叫んだ。
「『フレイド・グルーガ』っっ!!」
感じるのは、爆発と爆風。吹き飛ばされて一瞬で近づき、握った炎の拳を打ち込む。同じ人間とは思えない、戦争に執着する悪魔代表の顔を打ち砕く。
筋の通った鼻先に、拳が届く。
そして。
僕の右腕は、関節のルールに違反した方へ折れ曲がる。
大火力魔法による強行突破は無意味。分かっていた。分かっていたが、何か奇跡を期待して繰り出した一撃だった。
どのみち、僕は失血死する。
ジュリアスから受けた傷は深い。目の前には『屈折の勇者』。愚直に抗って死んでいくには、十分すぎる状況だった。
「あーあ、レインさん。腕、明後日向いちゃってますよ」
「……」
「痛そうですね。もう、死んじゃうし。なんだか可哀想な人だ」
「……僕は、友達だ」
「ん?」
意識が保たない。折れ曲がった痛みも、大して感じていない。
そんなことは、どうでもいい。ただ、僕は決めていることに従うだけ。
「今度は、裏切らないよ」
「あれ。死に際でおかしくなりましたか」
「裏切らない。ジーン。絶対に、僕は裏切らない」
僕は友達だ。
友達なんだ。
「裏切らない。裏切らない。友達だから、友達だから裏切らない。裏切らない裏切らない裏切らない裏切らない裏切らない裏切らない裏切らない裏切らない裏切らない」
「っ……!! なにを、言って……」
片膝をつく。地面が近くなる。首に力が入らない。
裏切ってしまう。このままでは裏切ってしまう。
そんなことは、あってはならない。
「友達だ。僕はジーンの友達だ。友達だ、友達。友達、友達、友達、友達、友達、友達。僕は友達なんだ、ジーンの友達なんだよ」
「……あなた、なにを言って……」
「友達だ。僕はジーンの友達だ」
力を振り絞り、ゆっくりとレオナルドを見上げる。
僅かに怯えたのが分かる。肩が小さく跳ねた。
「僕は友達を全うする」
「っ……!! そ、そんな状態でなにができるんですか、ええ?」
「裏切らないことだよ。友達を裏切らない、ということは……」
「この狂人が。大人しく死んでいって、結界内の彼らを動揺させてくださ−−−」
僕はね、ジーン。あの時の選択が正しいかどうかは、未だに分からない。答えが出なかったよ。
でも、確かなことがある。あの時から、僕は溺れるような罪悪感と手をつないで、ここまで生きてきてしまった。
そして、君とまた出会った。また食事ができた。釣りもできたんだ。ヘレナとも話せた。ソラリスとも仲良くなれた。
それは少しの時間だったけれど、胸を張って言える。
恵まれているんだ、僕は。
だから、今度は裏切らない。そして−−−
「−−−裏切らないとは、守ることだ」
「っ!! まさか、そのために近づいて−−−」
詠唱する。
腕を犠牲にしたが、ほぼゼロ距離。効果範囲は半径一メートルに設定し、魔法効果を最大限に高める。残りの魔力を全て絞り尽くす。レオナルドの屈折魔法、『ラムド』の屈折効果対象は空間そのもの。であれば、空間ごと僕が支配する他に道はない。
これが僕の、本当の攻撃だ。
これでだめなら、仕方がないな。
−−−結界魔法。
「『ボルケーノ・フレイドスター』」
地獄の業火が、レオナルドを包み込む。悲鳴が聞こえる。絶叫か。轟々と全身から発炎していく様は、我ながら悪趣味な結界魔法だと思う。
結界内に存在する対象の魔力を燃やす、それが僕の結界魔法『ボルケーノ・フレイドスター』。魔力がそもそも体内に存在する以上、動物全てが身体の内側から燃えてしまうことになる。
レオナルドの魔法は脅威だ。しかし、僕の結界魔法なら、体内からの炎熱攻撃が可能であり、これは触れたもの全てを曲げる屈折魔法では対処ができない。内部からの、自分の魔力からの業火に焼かれるのだから。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「大丈夫、さ」
「ああああああ!! あああああ、あああああ……!! あ、ああ、あ……!!」
「君は死ぬが、僕も死ぬ」
「……あ、あ……ぁ……」
「痛みを、超えれば……死は、安らかな、ものだよ……」
「…………………………………」
声が止んだ。
魔力を感じない。小さな天才の焼死体が転がっている。僕は結界魔法を解くと、力が一気に抜けて地面に尻もちをついた。
「君は、……天才だ。それだけは、認め……よう……」
黒焦げの死体は何も言葉を返さない。ほっとしてため息を吐く。
勇者二人との連戦。よくここまでもったものだ。
しかし、まずい。
まだ、死ねない。
(ジーンと、ヘレナに、商会の目的を伝えなければ。他にも、まだ勇者が襲ってくる)
あれ。
気づけば、空を見上げていた。夕刻。焼けるような、綺麗な空が見える。
寝ているのか、僕は。
ああ。だめだ。
起き上がれない。
「……悔しい、なあ」
どぷ、どぷ。
どぷ、どぷ。
ジュリアスにつけられた深い胸の傷から、ポンプで汲み出されるように血が溢れていくのが分かる。
隻腕も折れ曲がっていて、何もできやしない。
「……でも、守れたよ。少しは。なあ、ジーン」
ジーン。そして、ヘレナ。許してくれるとは思っていない。それでも、少しだけ守らせてくれて、本当にありがとう。
自己満足に抱かれて、僕は眠る。
最後に、釣りがしたかった。
ジーンと釣って、叶うならヘレナにも食べて欲しかった。
また、あの頃のように。