第十二話 影VS炎
状況は最悪だ。
森林での戦闘、その時点で分が悪い。生い茂る木々で剣を扱いにくいのだ。相手は小回りの効く片手剣を使ってくる。くわえて、僕は長い剣一本、腕一本しかない。
(……それに、この魔力の感じ)
背後の違和感に反射神経で剣を振るう。衝撃と共に、相手の振り下ろしてきた片手剣を受け止める。
鍔迫り合いになるが、やはり剣術も相当な腕前だ。
布を口元に巻き、黒いローブで顔を隠しているが、ようやく長い間接近して来てくれたおかげで確信を得る。
「かつて英雄の一人だった『影の勇者』が、今じゃ賞金稼ぎかい。堕ちるもんだね、ジュリアス・ベンダー。結局、僕たち魔法使いは『皆の敵』がいなければ、何の価値もないごろつきってわけだ」
「……さすがにバレるよな、そりゃ」
剣と剣が弾き合う。
敵は距離を取り、ローブを脱ぎ捨て、顔を隠していた布も剥ぎ取る。乱雑に伸びた黒い髪を一本に結って肩に垂らし、無精髭を生やした三十路前のガラの悪い男。
僕と同じ、この国の英雄と言われた勇者、ジュリアス・ベンダー。別名、『影の勇者』。
「久しいな、レイン。まだバカ正直に炎でゴーゴーやって戦ってんのか」
「あいにくだが、最近は友人と釣りに夢中でね」
「はっ。そこの地獄の先にいるのが友人か」
僕の背後に広がる雪原を指差し、ジュリアスは嘲笑する。
「てめえよ、昔から何か怪しいとは思っていたが、まさか『怪物』とお友達だったとはな」
「親友さ」
「ひゅー!! 痺れるジョークありがとよ。つーか、だったらてめえも裏切り者じゃねえかよ、ははは!!」
全く。あっちからもこっちからも裏切り者と呼ばれる始末。流石に少し堪えるものがあるな。しかし、僕の名誉など今はどうでもいい。
−−−フレイド。詠唱、剣に炎が絡みつく。轟々と燃える剣を右手に握り、ジュリアスに切っ先を突きつけた。
ジュリアスはコンパクトな片手剣をくるくると掌で回し、またしても馬鹿にする笑みを浮かべてくる。
「仲間なんだろ、そこの結界の中にいる『怪物』と。あとなんだ、もう一人良い女がいたな。あの女もお仲間か」
「ジーンはともかく、彼女は仲間だなんて思っちゃいないさ。だから、この結界が緩むことは決してないよ」
「……なるほど。そこのイカれた結界はあの女の仕業か」
ジュリアスは目を細め、雪原を睨んだ。
分かっているのだ。いかに、この結界魔法が『ありえない』ものなのか。
「俺は金目当てだ。『怪物』の回収以外に興味ねえのよ。だが魔法使いとして尋ねずにはいられねえ。その女、何者だ」
「知らされていないなら、その方が良いさ」
「少なくとも、生きていていい存在じゃあねえ。バケモノだ」
「ジュリアス・ベンダー。知ってるかい、好奇心は必ずしも君に味方するとは限らないよ」
「……踏み込むべきじゃねえってか。優しいじゃねえか、炎の勇者。いいだろう、関わるべきじゃねえのは肌身で分かる」
ジュリアスはニヤリと笑って、意識を全て僕に向けて凝縮する。
「じゃあ殺すぞー。バケモノ女が味方じゃねえなら、お前は殺しても恨まれやしねえんだろ」
「しないね。むしろ跳んで喜ぶかもね。だがジュリアス、残念だけれど僕は君よりも強いよ」
「やってみねえとよお、分からねえから世の中ってのは面白いんだぜ。知ってたか、レイン」
「なら、やってみようじゃないか」
魔力を流す。激しく、全身に循環させる。一年以上も殺し合いの為の魔法は使っていない。対して、戦後も傭兵や殺し屋稼業に明け暮れていただろう『影の勇者』……。
分が悪いのは自覚している。
それでも、やらねばならない。こいつを倒して、ヘレナに伝えるのだ。
僕は剣を逆手に持って、背後の地面に突き刺した。
詠唱する。
「『フレイド・グルーガ』」
「っ!!」
爆発、そして爆炎が剣から溢れ出す。その爆風を利用して電光石火のスピードに乗る。完全に油断していたジュリアスの顔が、目と鼻の先にあった。
そのまま、シンプルに剣を振り上げる。
炎が視界いっぱいを焼き尽くす。溶ける勢いで燃えていく緑の中に、男の死体を探してみる。
「本当、魔族みたいな奴だ。とんだ脳筋魔法だぜ」
背後から声が聞こえた。僕の足元、その影の中からジュリアスが水浴びから上がるように現れる。
振り返り、挑発を試みた。
「君みたいな小賢しい魔法は、趣味じゃないんだよ」
「かっちーん。殺すわ」
ジュリアスが、片手剣を振り上げて詠唱する。
「『クライン』」
そのまま片手剣を地面に向けて振り下ろした。僕は咄嗟に後ろへ飛ぶが、轟々と燃える炎があることに失敗を理解する。
影の魔法。
剣先が貫いたのは、炎でできた僕の影だった。
予感が当たる。胸から血飛沫が舞った。
構わず、即座にジュリアスに向けて踏み込み、剣を振るう。対して、地面に突き刺さった片手剣をジュリアスが地中深くへ、さらに靴底で蹴り込む。
「っご、は……」
さらに、僕の胸から血が噴き出した。思わず動きが止まる。
「直接やり合うのはお互い初めてだもんなあ、レイン。しゃーねえよ、難しいからな俺の魔法は」
「く、そ」
負けずに進もうとする。しかし、身体が動かない。足だ。足が、全く動かない。
何だ。何かに縫い付けられるような。
「影魔法ってのは影を利用する魔法だ。『クライン』は影自体をお前そのものとするだけの魔法。影を傷つければお前が傷つくし、影を固定すればお前も動けなくなる」
「……っ」
「無理だよ、お前じゃ。魔族相手なら、お前の単純な大火力魔法も、いい勝負できるかもだがな。お前の魔法は賢くねえ」
「見誤ったね」
「あ?」
ジュリアスは勝ちを確信している。
確かにすごい魔法だ。
「本当の敵は相手じゃないのさ、ジュリアス」
「なに言ってやがる」
「強い奴はみんなそうさ。強いから負けるんだ、強いから勝った気になる」
影など意識して戦ったことはない。迅速に対応はできない。
だが、影がなければ何もできない。
「『フレイド・レイ』」
剣を空に向ける。
剣先から一本の光が伸びる。それは本当に細く、雲を抜き破るほどに長い、かすかな光。
眉を潜めたジュリアスに、そのまま剣を振り下ろした。
瞬間、剣の軌道上にある全てのものを光が両断する。濃縮した高温の光。燃やすのではなく、溶かし切断することに特化した熱の刃である。
ジュリアスはギリギリでかわしたが、右腕をかすったようだ。肉が弾けて、激痛に大声を上げながら木々の影に飛び込んだ。
どうやら、影と影の間を移動できるらしい。
勝手な推測だが、影間を移動できるとして、制限がないわけがない。
「強さは弱さだよ。強いという自覚をいかに殺すか、それが本当に倒すべき敵だ」
「く、っそが……!!」
「痛いだろう、高熱の光だ。どこまでも伸びるからね、軌道上に入ったらおしまいだよ」
「てめえ……!!」
「影に隠れられて便利だね。怖くなったら逃げられる、都合のいい魔法じゃないか」
「……ぶっ殺す」
最初の一撃を奴はかわした。到底、ジャンプしたり身をかがめたりで避けられる一撃ではない。
ならば、やはり影を利用したと考えるべきだろう。あの時、僕は炎を纏って接近攻撃した。奴の背後に影ができたはずだ。そして、奴の影はさらに後ろにあった木々の影に重なったと考えられる。
影同士の移動に繋がりが必要だとしたら。影と影が繋がっていないといけないとしたら。
「やっぱりね」
「っ」
振り返り、自分の影に向けて剣を向ける。わざと森の影に自分の影を被せていたが、ぬるりとジュリアスは現れた。
僕の影から飛び出した上半身に剣を振るう。
「ぐああああああああああ!!」
「退屈な魔法だ」
地面に這い出て転げ回ったジュリアスは、胸から溢れてくる出血に歯を食いしばっていた。
「『ゲオルグ・クライン』……!!」
「……っ」
森全体の影が揺らめく。やばい、本能で理解した。咄嗟に影のない空へ飛ぶ。その瞬間、森全体の影が水面のようにわずかに揺れた。
「うそ、だろう」
その影の揺れた森全体が、石を湖に投げ入れたように地面へ消える。いいや、影の中に消えていく。
これは、まさか、僕もこのまま着地すれば−−−。
「結界、魔法だ。くたばれ、脳筋勇者」
「流石だな!!」
思わず、魔法使いとして純粋に称賛する。大魔法だろう。まさか、無条件で影あるものを影の中に消滅させるとは。
僕も、このまま地面に着地すれば命はない。
とぷんと、沈んで消える。
だが。
「『フレイド』」
炎を放出する。空をキャンバスに絵を描くように。空全体に炎の雲を広げていく。もちろん、大量に魔力を消費する。しかし、これしか道はない。
炎の光によって、森が覆い尽くされる。影は、小さくまとまっていく。
ジュリアスの諦めに近い笑いが見えた。
「この状況で、よく思いつくもんだ」
「影の勇者、名に恥じぬ魔法だった」
真上からの広範囲による光の照射、影はその大きさを失い大地の色がちらほらと見えている。
「認めるよ、『炎の勇者』。お前のが強い」
影ではなく大地へと降り立ち、動けずにいたジュリアスの目の前へ迫る。
少し笑って、ジュリアスは僕の一撃を受け入れる。
「『フレイド』」
剣の軌道上に炎を走らせ、確実にその身体を焼き切った。
ジュリアスは倒れる。
影の魔法も効果を失い、草木一つ残らない不自然な大地が残った。