遊戯 前編
Stage02 遊戯 前編
由貴は、窮屈な感覚を覚えた。
見たこともない顔が、目の前にあった。金色の髪、褐色の瞳、透き通るような白い肌。誰だろう、と由貴は手を伸ばした。由貴の小さい手とその女の間には見えない何かがあって、直接触れることはできなかった。
女の背後に、何かが流れて見えた。それはたくさんの小さな点で、白く輝きながら、左から右へ流れていく。
「お願い。この子だけは」
声が聞こえた。緊張し、切迫した声。そして、由貴の今まで聞いたことのない言葉、言語だった。なのに、不思議なことにその意味は理解できた。この人は誰? 私は今、どこにいるの?
自分の置かれている状況を把握しようと、由貴は辺りを見回した。その時初めて、自分が何かで包まれていることが分かった。そしてふと、女と目が合う。すると、その女は由貴の目を見て、小さく微笑んだ。この人は誰? 何故、私に笑みを投げかけるの? 疑問が頭をよぎった次の瞬間、目の前が真っ赤に染まった。同時に、耳を貫く大音響。由貴は両手を伸ばし、何かを掴もうとした。
「お母さん!」
飛び跳ねるように身体を起こす由貴。何故、誰に向かって叫んだのか。叫んだ本人にも分からなかった。ただ、思わず口から出た言葉が、それだった。
お母さん? あの女の人が? それとも、瞼の母っていうやつ?
額に右手を当てた。汗でびっしょりぬれていた。両手を目の前に上げる。いつもの手だ。夢の中の、あの小さな手とは違う。その手をベッドの頭に伸ばして、目覚まし時計を取った。時刻は午前6時過ぎを表示していた。
本部ビル内の寮では、出勤時間は掛からない。ただし、エレベーターは混雑するので、その分を考慮しなければならない。体力作りを兼ねれば、階段という手もある。実際、そういう職員もいる。それでも、17階の女子寮から43階の職場までの20階分以上を階段で上がるのはきつい。
由貴は時計を元の位置に戻した。その際、時計の隣に置かれていた、手の平サイズの小さな黒い機械に手が触れ、機械が床に落ちかけた。
「おっと、いけない」
由貴は落ちかけた機械を掴み、元に戻す。正体不明で、動かない機械。壊れているのだから、落としても特に問題があるとは思わない。が、保護されたときに持っていた物らしいので、乱暴に扱うわけにもいかない。
由貴はベッドを降りた。今からもう一度寝るのは難しい。それに、寝過ごすかも知れない。由貴は、制服に着替えることにした。
卒業式から2日後。本部の寮に引っ越した次の日。そして、正式に広域機動隊に着任する最初の日。
由貴はエレベーターに飛び乗ると、43階のボタンを押した。服は乱れたまま、髪は櫛を通さず、尻尾の部分が幾つかに枝分かれしていた。吐く息は荒く、まだ春になったばかりだというのに、汗が額から噴き出していた。
どうしてそうなったのか。早い時間に起き、寮の食堂で朝ご飯を食べた。そこまでは普通だったが、食堂で再会した学生仲間、そして親友の川田彩香と話し込んでしまった。彼女も初出勤だからと油断していたが、彼女が通う刑事第一課は、21階にあるという。つまり、通勤の所要時間は由貴よりはるかに短く、エレベーターが朝のラッシュで乗れなくても、階段で上がれば間に合うのだ。彩香の時間に合わせて動いていた由貴が悪いのだが、寮を出る時間が遅くなったのは手痛い。
エレベーターホールは多くの人が列をなしていた。エレベーターは、上層部用と中層部用、下層部用とで分かれていた。寮のエレベーターは中層部用で、広域機動隊の階は上層部用となる。途中階で乗り換えが必要だ。
由貴は、43階でエレベーターのドアが開くと同時に駆け出し、廊下を駆け抜けた。ゆっくり開くドアにぶつかりそうになりながら、由貴は広域機動隊オフィスに入った。飛び込むような入り方に、そこにいた全員の視線を、由貴は感じていた。壁の時計を見ると、出勤時間までまだ5分くらいは余裕があった。
「息切れしているけれど、大丈夫?」
部屋の入り口から見て右手、大画面の前の隊長席に座るバレリーは、入ってきた由貴を見て言った。
「はい。いや、初日からやらかすところでした」
「大丈夫よ。時間には間に合っているわ。ただ、エレベーターの混雑は頭に入れておいたほうが良いわね」
「はぁ」
尤もなことをバレリーに言われ、由貴は後頭部を掻く。バレリーは笑顔で、
「高層階が職場の人はみんなそう。初めはどうしてもギリギリか、遅刻する人が多くなるわ。初日で間に合っただけでも大したものよ。ところで、出勤したら最初に何をするのか覚えている?」
バレリーは言いながら、それとなく右手の親指と人差し指で鉄砲の形を作ってみせる。由貴がその指先を目で追うと、壁際のテーブルの上にポットが見える。由貴は自信無さそうに、モソッと、
「お茶を入れる、ですか?」
「そうしたいのなら、それでも良いけど」
そう言いつつ、唇を歪めるバレリー。
「由貴。隊長が言いたいのは、銃のことだ。俺たちはいつ、危険な現場の最前線に立つか分からないから。現場に丸腰で行くわけにはいかないだろう?」
見るに見かねて、レイは由貴に教えた。そうだった、と言う顔をして、由貴は銃器の保管庫に行き、自分の銃を取り出した。なお、ガンホルダーは自分の机に上に置いてある。由貴は制服の上着を脱いで、ガンホルダーに腕を通した。ガンホルダーは背中でつながった2つの輪があり、その輪に腕を通して装着する。装着すると、左脇に銃を収納するホルダーがくる。西部劇のように腰に巻くガンベルトなら、銃の抜き差しは素早くできるが、銃を隠して携帯するのには向いていない。
「レイの言う通り、私達の職場は危険な現場ばかりだから。銃を携帯する習慣を身につけてちょうだい。それから、辞令交付は明後日の10時から、部長室で行なわれる予定よ。他の人たちは今日交付されるそうだけど、広域機動隊は……ねぇ」
バレリーは、最後は歯切れが悪い。申し訳なさそうだ。これも、広域機動隊が赤文字の部署で、1週間の猶予が与えられているからだ。赤文字の部署にストレートに来たのは、もしかすると由貴が初めてだろうか。少なくとも、最近はなかったに違いない。
バレリーは由貴の服装を見て、
「明後日は制服の方が良いけれど、私たちは、普段は私服で仕事をしているの。銃を隠す工夫は必要だけど、明日からの服装は自由で良いわ。だけど、変な格好は駄目よ」
と言う。そして腕時計を見る。
「さて、フライトプランは出してあるから。早く行くわよ」
バレリーは由貴を急かすように言った。今日はバレリー自ら、由貴の操縦をテストする予定になっている。
「あっ、はい。それじゃあ、行ってきます」
由貴はバレリーに返事をし、オフィスに残るメンバーに言いながら、銃をホルダーに納めつつ、バレリーの後に続くようにオフィスの外へ出た。
フロアの中央部にあるエレベーターに向かいつつ、バレリーは、由貴の後ろ髪を見た。
「その後ろ髪の尻尾は、何かのおまじないかしら?」
「これですか? ただ、伸ばしているだけです。特に意味はありません」
由貴は言葉を濁しながら答えた。彼女は、後ろ髪の一部を伸ばしている理由を親友の彩香にさえ話したことがない。由貴にとっては重要な意味を持たせていても、他人から見れば子供じみているうえに、説明するのが面倒だと感じたからだ。価値観の違いは、どう説明しても通じない。
「そうなの? 真ん中だけ伸ばしているから、何か特別な理由があるのだと思ったのだけど」
由貴が言葉を濁したので、バレリーはそれ以上聞くことはなかった。バレリーとしては、入ったばかりで緊張しているであろう由貴と、何とかしてコミュニケーションを図りたい意図があった。けれど、由貴のガードは硬いようだ。
2人はエレベーターに乗り、48階に上がった。航空機の格納庫やエアポリスのオフィス、パイロットの更衣室などがある。
2人は、格納庫と通路の向かい側にある女子更衣室に入り、フライトスーツに着替えた。フライトスーツやヘルメットは、学生時代に購入した物だ。
「そう言えば、広域機動隊でもヘルメットとスーツを支給することになっているから、必要なら言ってね」
「あ、はい」
由貴が今着ているフライトスーツは、学校で使っていたもの。フライトスーツはワンピースで、ブカブカ。けして格好いいとは言い難い。けれども、軍用の緑と違って、赤い色なのがせめてもの救いか。しかし誰か、白バイ隊のようにかっこいい服を考えてくれないだろうか。民間機に乗るのなら普段着でも十分だけれども、戦闘機ではそうはいかない。本当は高機動に耐えるためのGスーツも欲しい所だが、そこまでの装備は用意されていない。警察上層部は、警察機がGスーツを必要とする高機動を行う必要はない、と考えているようだ。
バレリーは後ろ髪を操縦の邪魔にならないよう丁寧に束ね、ゴムで止めた。
由貴は黄色いスカーフを首に巻き、尻尾を右肩から前に垂らす。スカーフをするのは、単なるファッションではない。無いと、首が服で擦れて痛くなる。スカーフや、フライトスーツの上に後ろ髪の尻尾を出すことを、由貴は忘れない。
それぞれの着替えを終え、更衣室を出たバレリーと由貴は、航空機の運用管理を行っているカウンターへ行って、現在の気象状況や瑞穂市周辺の飛行機の飛行予定を確認する。巡回警邏するエアポリスなら、この時点で自分の搭乗予定の機体や飛行区域も確認する。今回は訓練飛行なので、気象状況と訓練予定区域の予定の確認だ。その後、格納庫に向かう。
広域機動隊の格納庫に入る。グレーの機体のゼネラル・ダグラスPA-11フォックスと、ヘリコプターのコヨーテが並んでいた。由貴が使うことになった富士見XV-9アレックスもここにある筈だったが、昨日の事件で翼に穴があき、下の階で修理中だ。アーネストの、泣きながら作業している姿が目に浮かぶ。申し訳ないとは思うけど、戦闘機を大事にしていたら凶悪犯を逮捕できない。
飛行プランを提出してあるので、敷島T-4改ホワイトウィングはすでに格納庫から出され、発着場でキャノピーを開けて、パイロットを待っていた。
ホワイトウィングは、T-4練習機をベースにした機体だ。練習機は扱いやすくて、安定した飛行に主眼を置いており、比較的大きめな主翼、やや斜めに取り付けられた水平尾翼、大きめの垂直尾翼をもつ。小さめの機体は丸みを帯び、胴体の左右につく2つのジェットエンジンは小さめだが、軽快に飛びそうな印象だ。乗員は2名で、前後に乗る。これも基本的な作りだ。なお、音速を超える設計にはなっていない。
ホワイトウィングは、T-4のエンジンを強化し、主翼も設計し直し、超音速飛行に耐えられる改造を加えられた。また、機関砲やミサイルで武装もしている。敷島重工がこの機体を作ったのは、超音速飛行の練習が可能な機体を安価で作るというものだった。実際には、練習用としては扱いが難しい飛行機となり、この試作機だけとなったようだ。
「でも、どうしてこんな時間から飛ぶんですか?」
「この時間なら、訓練区域は空いているからよ。あなたも知っているでしょうけど、あそこは軍や、他機関の訓練生も使うから。それに、早い方が長く飛べるでしょう? さあ、操縦席に座って」
バレリーはホワイトウィングのコックピットの下に着くと、由貴を操縦席へ誘導した。由貴はコックピットに横付けされたタラップを登って、ホワイトウィングの操縦席に座り、バレリーは、滅多に座ることのない後部席に座る。作業員がタラップを機体から離す。本当はホワイトウィングにも、タラップなしで乗れるようにステップが内蔵されているが、乗り降りは楽ではないので、緊急時にしか使われない。
由貴はグローブを両手にはめ、操縦桿を握ってその動きを確かめる。ホワイトウィングに乗るのは2度目だが、昨日は後部座席に座ったので、前の座席は初めてとなる。幸いホワイトウィングのコックピットは、原型のT-4とほぼ同じなので、由貴は戸惑うことなくエンジン始動作業に入る。発着場の作業員とサインを交換しながら、APUと呼ばれる補助動力で2つのエンジンを順に始動し、回転数や油圧の確認をする。由貴は作業員が離れたことを確認して、
「管制塔。こちらホワイトウィング、離陸許可を要請」
〔ホワイトウィングへ。南南東の風、風速5メートル。離陸を許可する〕
管制塔から離陸許可を得た後、由貴の操縦するホワイトウィングはゆっくりと垂直離陸し、東へ向けて飛び立った。
ホワイトウィングは、瑞穂市の東に広がる荒野を目指した。広大な荒野の一角にある、飛行訓練区域だ。航空学校の航空機があらゆる練習、訓練を行う場所で、瑞穂警察では、時には凶悪なテロ事件を想定して、地上班との合同訓練も行われる。つい先日まで、由貴もここで、教官に怒鳴られながら空を飛んでいた。
「今日の飛行は、あなたの技量を把握するためのものだから、私の指示通りに飛んで」
「はい。ところで、隊長。1つ質問が」
訓練空域を目指して飛行しながら、前の席に座る由貴は、後ろ席のバレリーに質問する。
「なぁに?」
「広域機動隊は空の事件ばかりでなく、地上の事件も扱っているんですよね? 地上の訓練は、どうなっているんですか?」
「もちろん、やるわよ。でも、地上の仕事は誰でもできるけど、飛行機の操縦には、ある程度の技術と経験が必要になる……なぁんていうのは建前で、本当は、地上の仕事は他に取られて、回ってこないのよ」
「はい?」
「だから、最近は空の仕事が多いの。飛行訓練を重視するのは、そういった理由。分かった?」
「分かりました」
あっけらかんと答えるバレリーに、由貴はそう返事するしかない。広域機動隊が閑職なのは分かるけれども、開き直るのもどうか、と思う。
その時、本部から緊急指令が入ってきた、計器板の左マルチモニターに映っていた周辺地図の画像が、警察司令本部の指令内容を伝える文章に変わった。
「由貴。スカイクルギャングらしき機体が2機。羽黒の上空に現れたわ。訓練は一時中止。その2機を追って」
「はい。直ちに現場に向かいます」
由貴は操縦桿を倒し、ホワイトウィングの機首を現場に向けた。羽黒までは、直線コースで飛んでここから5分。また、少し時間がかかるが、北側に回り込むコースを取れば、本部から出動するエアポリスとで挟み撃ちにできるかも知れない。
スカイクルギャングは、要は空の暴走族。元々は、集団で違法飛行するスカイクルの一団のことをそう呼んでいたが、今では暴走する空の乗り物wを区別することなくそう呼ぶ。空を飛ぶことが身近な現在、違法改造のスカイクルや軽量航空機で、定められた飛行速度や飛行高度を無視し、空を我が物顔で飛び回る。しかし、航空機やスカイクルなどの乗り物は、種類や所有者を示す識別コードを発信する装置が必ず付いている。それに、例えその発信装置を外したとしても、空域を管理しているレーダーで、車種や機種まで特定できる。おまけに、現行犯でなくても逮捕できるように法律で規制されている。従って、検挙率はかなり高いのだが、それでもスカイクルギャングは後を絶たない。
大空を自由に飛ぶ、という人の願望がそうさせるのかも知れない。しかし、無秩序な飛行は、事故を招く。その取り締まりはエアポリスの仕事だが、今回のように近くを飛行中の場合は、広域機動隊も協力する。
8分後。ホワイトウィングは現場に到着した。周辺は水田と山が多い。由貴とバレリーは、現場とレーダーの反応位置を比較し、周囲にスカイクルギャングらしき機影がないか探した。彼らは超低空飛行をする事が多い。その事に注意して探すが、それらしい機影はどこにも見当たらなかった。途中、エアポリスのヘリと合流したが、彼らもスカイクルギャングを見ていなかった。
「それらしい機体は、見当たらないわね」
「どこに隠れているんじゃないですか?」
「そうね。高度500メートル、速度200キロで飛んで」
バレリーは由貴に指示し、ホワイトウィングに搭載されているカメラを作動させた。地上監視カメラで地上をモニターし、サーモグラフも併用して、航空機かスカイクルが隠れていないかを探す。
数分後、山の中腹に、飛行機の残骸を発見した。墜落して間もないようだ。エンジン部分に小さな火も見える。人がいるかどうかまでは確認できない。由貴はエルダ・ドライブ飛行で、ホワイトウィングをその上空で停止させた。
「これは、スカイクルギャングの機体かしら? 落ちて間もないわね」
「パイロットは、脱出したんでしょうか?」
「近くに人影は見当たらない。脱出したのなら、パラシュートくらいあってもいい筈だけど。ここからでは、確認できない。ホワイトウィングより本部」
警察本部に連絡を取るバレリー。
〔こちら、本部。どうぞ〕
「墜落したものと思われる飛行機を発見。機体は激しく損傷し、火災が発生している。乗員は確認できない」
〔状況を確認。ホワイトウィングは、地上班が到着するまで現場上空に待機せよ〕
「ホワイトウィング、了解」
その直後、エアポリスから、もう1機の墜落を確認したという通信が入ってきた。由貴たちのいる地点から、南西に約2キロの地点だという。
「どうなっているでしょう?」
「ただの事故にしては、何か変だわ。だけど、それを調べるのは他の人の仕事。私たちは、地上班が来たら訓練区域に戻りましょう」
10分ほどして、パトカーや消防車、鑑識班のバンがやってきて、現場の封鎖と検証を始めた。それを見届けてから、ホワイトウィングは現場上空を離れた。
「あれは、どこの飛行場ですか?」
現場を離れて数分後。人家1つない荒野が、眼下に広がっていた。その中で由貴は、左前方に小さな滑走路を見付けた。滑走路のそばには格納庫と、工場のような建物がある。滑走路や建物は周囲を高い壁で囲われていて、空から見なければ、刑務所と勘違いしそうになる。
「あれは豊丘空軍基地。航空技術開発実験隊があって、敷島重工の空技研が併設されているわ。主に飛行機の開発をやっているそうよ。このホワイトウィングも、あそこで造られたの」
バレリーは答える。空技研は、航空技術研究所のことだ。
「そうだったんですか」
「そう言えばもうすぐ、ホワイトウィングの定期点検があったわ」
独り言のように、バレリーは呟く。
「定期点検ですか?」
「そうよ。エンジンも降ろして点検するそうだから、1週間くらいかかるわね」
「その間、戦闘機2機で頑張るんですか?」
「2機もあれば十分。もちろん、検査や故障のことを考えると、3機あった方が良いのだけど」
ホワイトウィングは飛行場の近くを通り、訓練空域に戻った。
その後、数時間にわたって飛行訓練を行った由貴は、吐き気と戦いながら本部に帰還した。長時間の飛行は肉体疲労を起こすだけでなく、精神疲労も大きい。高機動飛行を繰り返せば尚更だ。
本部ビルの発着場に着陸し、エンジン停止を確認する。待機していた作業員がホワイトウィングの車輪に車止めを掛け、タラップを寄せる。由貴とバレリーはキャノピーを開け、ホワイトウィングを降りる。
「基本的な腕は問題なし。むしろ、なかなかのものだわ。でも、普段から急な動作が多いようね。これから実戦経験を積んでいけば、クリアできると思う。ところで、大丈夫?」
由貴は自らの操縦とはいえ、長時間激しく揺られて参ってしまっている。バレリーはというと、いつもと変わらぬ表情をしている。これもやはり、経験の差か。
「大丈夫です。ただ、これほど長時間、激しい操縦をしたことがないものですから」
「こればかりは、慣れるしかないわね」
「慣れるしかない、ですか」
「由貴。オフィスに先に戻って。私は、エアポリスに顔を出してくるわ」
「さっきのスカイクルギャングのことですか?」
「ええ。少し気になることがあるから」
「それなら、私も行きます。うっ」
「本当に、大丈夫なの?」
口を押さえる由貴の姿は、バレリーに不安を覚えさせるのに十分だった。
ホワイトウィングは、エンジンが冷めるまで、格納庫に入れることはできない。こういう場合は大抵、発着場の人間に任せてオフィスに戻ることになるが、バレリーたちは、そのままエアポリスのオフィスに向かった。
発着場側の入り口から中へ入る。エアポリスの部屋の片隅に、業務係の机がある。そこに田村冴子の席がある。
「バル。今朝はスカイクルギャングの捜索に協力してくれたそうね。礼を言わせてもらうわ」
部屋に入ってきたバレリーと由貴を見た冴子は、机の上のメモを机の引き出しに仕舞いながら、言った。
「礼なんかいいわ。それよりその、墜落したスカイクルギャングの飛行機について聞きたいのだけど」
バレリーは冴子の前に立って聞く。
「墜落した飛行機のこと? どうして」
「大した理由はないわ。ただ、あのスカイクルギャング2機の墜落の仕方が、ちょっと引っ掛かって」
「悪いけど、この事件はエアポリスの管轄よ。広域機動隊は口出ししないで」
「事件というと、何か変わった点でもあったの?」
バレリーに突っ込まれ、冴子は一瞬、喉を詰まらせた。彼女はチラッと、バレリーの顔を見る。バレリーは冴子に、隠し事はさせないという目で睨む。隠すほどでもないけれど、あまり教えたくない事を言わなければならない。冴子は、平静を装いながら小さく咳払いをする。仕舞ったばかりのメモを再び引き出しから出し、
「隠しても仕方がない、か。ちょっとこっちへ…」
冴子は、2人を両手で押して部屋から出た。その行き先は、エアポリスの格納庫だ。格納庫に着いた冴子は、一応辺りを見回して、
「実はね、現場に墜落した2機は、何者かに撃ち落とされた可能性があるのよ」
「どういう事?」
「詳しいことは、まだ分からないわ。私だって、さっき電話を貰ったばかりだから。ただ、残骸の中に銃弾を受けたような痕跡があった上に、ミサイルの一部と思われる部品が、一緒に発見されたわ」
「ミサイル?」
バレリーは難しい顔をする。
「それと、これはまだ公にはしていないのだけれど。実は、こういう事件が4件も続いていて、もうじき、刑事一課が動くことになっているの」
冴子は話しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「つまり、これは殺人事件だと?」
「そう。目撃者は無し。生存者も無し。おまけに現場から、一般市民が持っている筈のない機銃弾やミサイルの破片が出てきたら、私だって慎重になるわ。普通に考えるなら、飛革の可能性が高いけれど」
「そうは言い切れない、と?」
「凶器からすれば、彼らが一番怪しいけれど、動機が分からない。被害者が今のところ、全員スカイクルギャングみたいだから、怨恨の線も捨てきれない」
「ということは、これは広域機動隊の事件ね」
「それはどうかしら? とにかく今は、鑑識の報告待ち。せめて、犯人が空の者か、地上の者か分かれば良いのだけれど」
冴子は右手で後頭部を掻く。
「もしも、相手が戦闘機とかだったら、エアポリスじゃ太刀打ちできないじゃないですか。その時は、どうするんですか?」
由貴は、バレリーに聞く。
「勿論、その時は私たちが出るわ」
「そうね。相手が完全武装の戦闘機じゃ、エアポリスの手には負えない。その時は、広域機動隊にお任せするわ」
バレリーの言葉に、冴子は仕方なく同意する。
「ええ。何時でも待っているわ」
バレリーは答えた。冴子は、急に思い出したように、
「ところで、神代さん。あなたと、個人的に話があるのだけど。今、良い?」
「あら。私がいると、まずい話?」
バレリーが冗談半分に言うと、冴子は皮肉たっぷりの笑顔で、
「まあ、そうね。この新人さんを、エアポリスに頂こうという話だから」
「ちょっと、冗談じゃないわよ。由貴はもう、広域機動隊のメンバーだから、勝手な真似しないで」
冴子が本気と分かって、バレリーは声を荒くする。折角入ってきた新人を、横取りされてなるものかと、般若顔で冴子に迫る。しかし、冴子は澄ました顔で、
「一応言っておくけれど、神代さんは、エアポリスでも目を付けていたのよ」
「それは、何時から?」
「警察学校の航空課程で、エアポリスに来たときよ。小宮君に勝ったという腕前、エアポリスの方が活かせると思うけど?」
「ドッグファイトの腕は、エアポリスじゃ無駄になるでしょう」
「そんな事はないわ。バレリーも知っているでしょう?」
「と・に・か・く。由貴はもう、広域機動隊の一員だから」
「だけど、広域機動隊は赤文字の課だから、正式な決定までには、ある程度の猶予があるでしょう? それに、広域機動隊がどういうところか、神代さんにちゃんと説明したのかしら?」
「ええ、勿論。その上で由貴は、広域機動隊に入ると、ちゃんと言ってくれたわ。だから、ご心配なく」
そう言うと、バレリーは険しい顔を横に向け、部屋を出ていこうとする。すると冴子は、気不味そうに声のトーンを落として、
「バレリー。何もあなたが憎くて言っているわけじゃないのよ。エアポリスだって、優秀なパイロットが欲しいのよ」
と言った。バレリーは立ち止まり、肩越しに、
「分かっているわ、そんな事」
と、言葉を返した。
「えっと、失礼します」
2人のやりとりを傍観していた由貴は、気まずい雰囲気から逃れるようと冴子に頭を下げ、振り返りもせずに去っていくバレリーを追った。
冴子とバレリーの間に一体何があったのか。非常に興味をそそられるが、それを聞く勇気は、今の由貴にはなかった。仲が悪いとは言い切れず、かといって良いようにも見えない。複雑な関係だ。由貴は首を傾げながら、バレリーについて歩いた。
「あの……隊長」
エレベーターが43階に到着する直前、由貴はその疑問を解消しようと声を掛けた。
「何?」
「田村さんとは、その…」
「仲が悪そうに見える?」
バレリーは、由貴が直接言う前に、言い当てる。由貴は頷く。エレベーターのドアが開き、2人は降りる。
「そうね。冴子とは同期で、仲が悪い訳じゃないけれど、どうしてもお互いに、ああいう喋り方になるのよね」
バレリーは困ったような顔をしながらも、まるで他人事のように答える。
「そうなんですか」
「大丈夫よ。こう見えても、ちゃんとお互いを認め合っているつもり」
由貴を安心させるかのように、バレリーは言った。
広域機動隊オフィスに近づき、由貴は少し早く歩いて、ドアを開けた。
ドアを開けると、レイたちが顔を向けてきた。
「隊長。お留守の間に、敷島重工の牛田健二さんから電話がありました」
由貴が開けた扉から入ってきたバレリーに、アルが報告する。
「牛田健二?」
聞いたことのあるような、無いような名前にバレリーは記憶の糸をたぐり寄せようと沈黙する。
「牛田教授の息子さんです。今は敷島重工の空技研で、開発責任者をしている方です」
「ああ、思い出したわ。用件は聞いている?」
「ホワイトウィングの点検は空技研の方でしたいと、そういう申し出でした」
「急な話ね。点検は明日よ。それに、普通は、点検は工場の方ですると思うけど」
バレリーは考え込む。敷島重工の工場と空技研は、どちらも豊丘空軍基地に隣接している。けれども、その役割は全く異なっている。工場は航空機全般の製造、整備や点検、修理を請け負っているのに対し、空技研は文字通り、航空機の研究開発を行っている。メンテナンス用の設備があるかは疑わしい。
「そう思いまして敷島重工に確認をとりましたが、我々の都合が良ければ、それでも構わないそうです」
「そうなの? 確かに、ホワイトウィングを造ったところだから、その方が良いのかもしれないけれど」
敷島重工側の回答に、バレリーは納得していないようだ。
「先方の担当者も、牛田氏の申し出に困惑していたようです」
アルは付け加える。
「まあ、同じ会社だから、空技研にしましょうか」
「では、手続きを行います」
「お願いね」
バレリーは、ホワイトウィングの件をアルに任せた。
就業時間を過ぎた。広域機動隊の出動するような事件は起きなかった。広域機動隊にとって、そういう日が多いのは良いことだ。とはいえ、由貴にとっては正式な初日。初日から事件に巻き込まれては、先が思いやられる。
由貴は、5時過ぎにオフィスを出た。そのまま、17階の寮に戻る。しかし、チェック柄のシャツに綿パンに着替えて部屋を出ると、1階のロビーまで降りた。
本部配属の警察学校の仲間と、セントラルで配属決定のお祝いをしようという話になったのが、今朝のことである。有志の会であり、配属初日で即戦力となり、出動に駆り出されて定時に上がれない者もいるだろう。そういうこともあり、会の参加は自由であり、大まかな場所と時間しか決まっていない。約束は7時。まだ時間はあるが、彩香と5時30分に、ロビーで待ち合わせる約束をしている。
彩香は現れた。時計の針は5時35分を過ぎていた。
「遅いよ、彩香。30分を過ぎているよ」
「えぇっ。5時半過ぎだって言ったでしょう?」
「そうだったっけ?」
「そうだよ。私、ウソはついてないよ。じゃあ、行こうか」
「ちょっと。行くって、どこへ?」
「ゲーセン。どうせ現地集合だし、時間があるから、久しぶりに行こう」
「ゲーセン?」
彩香は由貴の左手を掴み、強引に引っ張っていく。確かに時間に余裕はある。しかし、時間前だからと出掛ける先が何故、ゲームセンターなのか。2人とも、子供じゃないのだから。彩香の考えていることは、由貴にはよく分からない。とは言っても、由貴はそこへ行くことに反対しなかった。代替案があるわけでもなく、彼女自身も、ゲームセンターへは結構足を運んでいる。何だかんだ言っても、由貴は彩香と同類の人間だ。
セントラルは、瑞穂市一の繁華街。瑞穂警察本部ビルのあるシティから、市電で5分くらいだ。ここには、いろんな物が揃っている。百貨店の立ち並ぶ通りから1本北の路地に入ると、娯楽施設が軒を連ねる。最近ではアミューズメント・パークと呼ばれているゲームセンターも、この一帯には多い。その北隣の通りに入ると、居酒屋やバーなどが並ぶ夜の街である。彼女たちが今夜集まる場所も、そこにある。無いものは、静けさくらいか。
市電でセントラルまで出ると、由貴と彩香は、約束の時間までの間をアミューズメント・パークで過ごす事にした。
店に入る直前、由貴は例によってサングラスを掛ける。夜ではサングラスを掛けている方が変に思われるが、店の中では明るくて、由貴の赤い目は目立ってしまう。彩香は、由貴の準備が整うまで、少し足を止める。自動ドアが開くと、大音響が2人を出迎えた。耳栓が欲しくなる。
2人は昔から、よくこの店に出没した。ここに来ると、由貴は必ず、あるゲーム機に向かう。彼女の得意とする技術を思う存分発揮でき、誰にも負けない自信のあるゲーム。エアバトル・ナイトという、プレイヤーの使う飛行機は現代的ながら、中世の騎士道精神の生きる世界で闘うような、フライトシミュレータ型のシューティングゲームだ。
内容は対戦型空中戦ゲームで、プレイヤーのシートは4つあり、シートは間隔を開けて設置されている。ゲーム機の前面にある大型のモニター画面は観客用のもので、空中カメラの視点で映し出される。それだけを見ていると、まるで映画を見ているような気分になる。プレイヤーは頭にゴーグル型のモニターを付け、360度全方向に回転するシートに腰掛ける。ゴーグルには、戦闘機のコックピット内部や、操縦席から見た風景が映し出される。操縦桿も本物と同じものを使用しているから、かなり本格的だ。実在する自分の手や操縦桿と、仮想現実である風景がきれいに合成され、プレイヤーはまるで、本物の戦闘機を操縦しているような気分になる。由貴もこのゲームで、戦闘機の操縦を身に付けた。
「またぁ。すぐ、自分の得意なものをやりたがるんだからぁ」
由貴はいつもこれだ、という顔をする彩香。由貴は笑顔で、
「それが普通じゃない?」
「私が、飛行機で由貴にかなうわけ、ないでしょう。それよりも、SUZUKA(レーシングゲームの名前)にしない?」
「それじゃぁ、私が負けるのは目に見えてるじゃないの。だから、先にこっちを、ね」
「やだ!」
「いいじゃない。ミサイルは使わないから」
「分かったよぉ。でも、後でSUZUKAだからね」
「決まりね。今日はどれを使おうかなぁっと」
鼻歌混じりでシートに納まり、コインを入れる由貴。渋々座る彩香とは対照的だ。ゲームのタイトル画面から始まり、シートベルト着用や安全装置の緊急停止ボタンの説明、ゲームのリアルな画面を映し出すゴーグルの装着の指示が、座席から少し離れた大型モニターに流れる。この画面はこの後、第三者からの視点映像を周囲の客向けに流すようになっている。
一通りの説明の後、2人はゴーグルを装着した。由貴は機動性重視の小型の機体を選び、彩香は中型の機体でミサイル搭載数の多い機体を選んだ。どちらも、実在の戦闘機を模した架空の機体だ。対戦モードの開始のカウントダウンが始まる。そしてカウントが0になったとき、2人の機体は、向かい合う形で発進した。
ところで、実際の戦闘機同士の空中戦は、現代では、最悪の事態にやむを得ず行われる戦闘だ。全くそういう場面がないわけではないが、ミサイルやレーダー技術の発達した現在では、できる限り遠くから敵を発見し、攻撃するのが普通。場合によっては、相手を見ることなく戦闘が終了することさえある。しかし、それではゲームにならないので、ここでは敵と正面から遭遇した場面から始まる。
先に仕掛けたのは、彩香の方だ。急降下して速度を上げると、今度は上昇して、由貴の下から接近した。由貴は左へ旋回し、続いてUターンした。目の前を横切る彩香を見付け、由貴は、無謀な軌道を描いてその後を追う。普通なら、身体が押し潰されそうなくらいの重力がかかるが、このシミュレータでは重力以上の加速を再現できない。それに、本物の再現にこだわりすぎて、死者が出ても困る。
彩香機の姿が、由貴の視界から消えた。レーダーに映る光点は、後ろに位置していた。スピードが速過ぎて、彩香機の前に飛び出してしまった。調子に乗りすぎた。機銃弾を喰らう嫌な音が、耳に刺さる。いかに空中戦の得意な由貴でも、機銃だけで勝つのはまだ難しい。もちろん、実際の戦闘機ならば、もっと簡単に勝つことができる。何故なら、本物は身体に掛かる負荷や機体の揺れがもっと激しく、乗り慣れた人間でなければ恐怖が先に出て、操縦できなくなるからだ。由貴は機体を左右に振って降下した。彩香機は追撃に出た。
彩香はHMDで由貴機を捉える。ミサイルの照準が、由貴機を捉えて赤く点灯する。彩香はボタンを押した。ミサイルは轟音と共に、由貴機めがけて飛んでいく。由貴機はすぐさま降下し、飛んでくるミサイルに向かって旋回した。ミサイルをギリギリでかわし、逆に、彩香の背中を正面に捉えた由貴機は、機銃の照準が出るまで待った。背後についた由貴機を、振り切ろうとする彩香。だが、由貴機は確実に、彩香を捉え続ける。彩香は苦し紛れにスロットルを絞った。急激にスピードダウンする彩香。由貴は逆に、スロットルを全開にし、急上昇を開始した。前に出た由貴機を追いかけようと、彩香はスロットルを全開にするが、1度落ちたスピードはなかなか上がらず、由貴機を見失ってしまった。由貴機は、彩香の後ろにいた。数秒後、彩香は、宙返りで背後に回った由貴機の餌食になっていた。大画面と、彩香のゴーグルの画面にGAME OVERの文字が、派手な音楽と共に流れる。
「あぁあ。だから言ったのに」
ゴーグルを外した彩香は、隣の由貴を見る。由貴はまだ、ゴーグルを外していなかった。対戦モードの場合、勝敗がついた時点で終わりの筈だ。よく見ると、由貴の口元は引き締まっていて、緊張状態にあることを示している。目の前の大画面モニターに目を移すと、そこには、由貴の操縦する機体の他に、別の1機の姿があった。正面の大型モニターには、『NEW CHALLENGER IS COMING!!』と言う文字が、大きく映し出されていた。シートは4つある。左から2台分は由貴と彩香が使っている。彩香は一番右側のシートを見た。そこに、誰かが座っていた。元々このゲーム機は、コンピュータ相手のソロプレイから、2対2のチーム戦まで遊べるようになっているが、元から遊んでいたプレイヤーが同意すれば、戦闘の邪魔をしないタイミングで乱入による対戦を許可するように出来ている。
由貴の機体は、ゲーム開始前の状態に戻った。由貴に挑戦してくる機体は、人型形態に変形する機能を持つ超音速戦闘機。人型に変形する機体はほぼ例外なく主翼を畳んでしまうので、エルダ・ドライブを必ず積んでいる。もちろん、ゲームの上での話だが。
2機は、高速ですれ違った。すぐさま反転し、追跡に入る由貴。敵を正面に捉え、ミサイル攻撃の態勢に入る。相手は上昇して素早く反転して、真っ直ぐ由貴に向かってくる。由貴がミサイルを発射する時間もなく、2機はまたすれ違った。敵の位置をレーダーで確認し、右へ素早く旋回する由貴。相手は、由貴から離れていく。由貴は相手をもう一度正面に捉え、ロックオンする。すると、相手に変化が見られた。急激に速度が低下し、普通ではあり得ない半径で急旋回している。照準の先にいたのは、飛行機の姿をしていなかった。飛行機形態のファイター・モードに対して、人型形態はディフェンダー・モードと呼ばれている。翼は背中に格納され、エンジン部が足となり、機首が下に折れ曲がって胴体となり、隠れていた腕が伸びてきて、銃を握った。変形に要した時間はわずか10秒ほど。ディフェンダー・モードは、ドッグファイトの時には低速で、防御優先となる。
由貴は、ミサイルを発射した。ディフェンダー・モードの相手は反転し、向かってくるミサイルを、右手に握る機銃で破壊した。由貴はエルダ・ドライブ飛行に切り替え、急旋回して相手の背後に回り込んだ。
機銃のトリガーを引いた。機銃は命中した。だが、相手は墜落するどころか、その場でくるりと向きを変え、機銃で反撃してきた。慌てて相手から離れる由貴。由貴はスロットルを開けて、相手を振り切りにかかる。ところが相手は、足となっているエンジンを全開で噴射させ、由貴にピッタリとついてきた。あり得ない! そんな飛び方。
相手の強引な飛行に戸惑った由貴は、機体を左右に大きく揺さぶり、ジグザグに飛ぶ。それでも相手は、由貴の背後にピッタリとついている。人型のままでありながら、普通の飛行機並の速さで追いかけてくる。
とにかく、相手を振り切らなければならないと、由貴はスロットルを全開にした。もう遅かった。ディフェンダー・モードの時に使用する機銃は超強力で、連射はできないが、一撃必殺の威力を持つ。数発の命中弾が、由貴の機体を操縦不能に陥れた。そして爆発。画面が真っ白になった後、GAME OVERの文字がズームアウトして映った。
全身から気の抜けたような疲労感に襲われた由貴は、溜め息をつきながらゴーグルを外した。由貴の完敗。由貴はシートから降り、意外そうな顔をして立っている彩香の元へ、頭を掻きながら寄る。
「やられちゃったわ。プレイヤーは誰?」
「それがね。ショックを受けないでね。あの子だよ」
彩香は、右端のシートを指差した。そのシートから降りてきた人間を見て、由貴は絶句した。
「こ、子供?」
そこにいたのは、身体はそこそこ大きいものの、確かに子供だ。見た目は、小学校高学年か、あるいは中学生になったばかりか。しかし、どこか大人びている、というか、実際の年齢はもう少し上なのか。ベルトを外して降りてくる動作や堂々とした歩き方、切れ長の目は、見た目の年には釣り合わない。所々見える仕草は、周りに対して威嚇するような、いわば世界で一番強いのは自分、という勘違いが許される年頃か。
「君が、さっきの飛行機の操縦を?」
「そうだよ。お姉ちゃん、操縦がうまいね。僕があれだけ手こずったの、初めてだよ」
「ああ、そうなの?」
瞬間にわき上がる怒りを必死に抑えつつ、心の中で拳をつくる由貴。何とか態度に出ないように抑えたものの、顔は正直に反応しようとして、頬が引きつった。この子の歳は、見た目通りかも知れない。
「ねえ、君。名前は? 歳は幾つ?」
警察官として訪ねる彩香。何せ、時間が時間だ。子供が1人で入れる時間ではない。この店は、午後5時以降の未成年の入店に厳しい。
「牛田光。歳は15」
「ここへは、1人で来たの?」
「違うよ。お父さんと来たんだ」
「ねえ。操縦は、誰に教わったの?」
由貴は、警察官として振る舞おうとはしない。それに、由貴は補導員じゃない。
「研究所の人だよ」
「研究所?」
「飛行機の研究所さ。お父さんがそこに勤めてるんだ。そこで、パイロットの人に色々と教えてもらったんだ。お姉ちゃんは?」
「私はねぇ、遊びながら覚えたの。このゲーム機みたいなので」
逆に聞かれて戸惑った由貴は、そう答えた。自分が警察官であることは言いたくないし、それに遊びながら覚えたのは、ウソじゃない。実際、由貴は小さい頃から何度も地元のゲームセンターに通っては、この手のゲーム機でずっと遊んでいたのだ。
「そうだ。連れの人を待たせちゃいけないわね。それじゃあね。えぇと、光君」
「じゃあね、お姉ちゃんたち。また何時か、対戦しようよ。バイバイ!」
少年は2人に手を振りながら、店の奥へ消えていった。何か、不思議な雰囲気を漂わせる少年だった。普通の子にはない何かが、あの子には感じられた。しかし、それが何なのか、具体的には説明できない。
「彩香。あの子、15に見えた?」
「そうねぇ。小学生に見えたけど、あの態度は、大人顔負けだよね」
「そうよねぇ。ウソをついたのかな?」
「でも、分からないよ。最近の子供って、ませてる部分と、子供っぽい部分があるから」
「そうね」
「それより、SUZUKA。忘れた訳じゃないよね? 早く行こう」
「本当に、子供ね」
彩香に右腕を捕まれながら、由貴は、彩香に聞こえないほど小さな声で呟いた。
次の日の朝が来た。外は清々しい朝だろうが、ハイテク高層ビルの中では、そんな事は微塵も感じられない。
今朝の由貴は時間に余裕があって、髪はきちんとまとまり、尻尾も枝分かれしていない。昨日は同期達との朝食で部屋を出るのが遅くなったが、今日はカジュアルスーツに袖を通す余裕がある。ちなみに、制服を着るのは式典など特別な行事があるときのみで、広域機動隊では通常は平服で良いとのことである。ただ、銃を隠し持つために上着は必携だ。
始業時間30分前に無事、オフィスに着く。オフィスの片隅にあるナビ・ロボット専用のベッドでは、充電とデータの整理を終えたコンスとアルが起きたところだ。続いてレイ、しばらくしてバレリーも入ってきた。
「あら、由貴。今日は余裕を持って来られたのね。偉いわ」
今朝のバレリーの第一声。まるで子供扱い、と思う由貴。レイは、笑いを必至にこらえている。由貴は赤面した。
誰かに言われる前に由貴は、銃の保管庫の前に行って自分のブラスターを出し、左脇の下のホルダーに納めた。
「今日の予定だけど、午前中は課長会議があるから、私に用があるなら今の内にね。レイとアルは、自分たちの仕事を優先してやって。由貴は、昨日に引き続いて訓練飛行。コンス、由貴をお願いね。それじゃあ、今日も頑張ってちょうだい」
「コンス。由貴にやさしく、な」
意地悪そうに言うレイ。それを聞いて、コンスはどういう訓練をさせるのだろうかと、不安になる由貴。コンスは由貴に近付き、
「由貴さん。参りましょうか」
「もう? 早すぎない?」
由貴は腕時計で時間を確認する。そもそも始業前だし、昨日の出発時間よりも早い。
「フライトプランは提出済みです。さあ」
由貴の背中を押すコンス。
「行ってきます」
コンスに押されるまま、オフィスの外へ出る由貴。2人はエレベーターホールに向かう。エレベーターホールに着くと、由貴は上行きのボタンを押す。程なくして、エレベーターが到着する。2人は到着した上行きのエレベーターに乗った。
48階に到着すると、由貴は更衣室に入って、灰色のフライトスーツに着替えた。支給品ではなく、飛行訓練生時代に購入した物だ。支給品が届くのは、数週間先のようだ。コンスを連れて格納庫に入ると、修理を終えたばかりのXV-9アレックスが、そこにはあった。そばには、アーネスト・ウィリアムスの姿もある。
「おはよう、由貴。なかなか凛々しいな」
フライトスーツを来た由貴を見て、アーネストは目を細めて言う。
「おはようございます。アレックス、使って良いですか?」
「ああ。穴はパテで埋めたし、整備も終わっているよ」
「ありがとうございます」
由貴は深々と頭を下げて礼を言う。
「礼は良い。これも仕事だからな。ただ、壊さんように気を付けてくれよ」
「努力します」
格納庫を出ていくアーネストの後ろ姿を見送りながら、由貴はコンスに、
「おやじさん。どうしてあそこまでアレックスにこだわるのかな。ちょっと異常じゃない?」
「大切な機体だからですよ。このXV-9は、おやじさんが自ら設計したのですから。それだけに、思い入れも強いのだと思います。それに」
「それに?」
「それに実際、貴重な機体です。XV-9は、3機しか造られていないのですから」
「ふぇ~、そうなんだ。そんな貴重な飛行機を、私に」
最初は、角張った変な飛行機だと思ったが、世界でたった3機の、貴重な機体だったとは。アーネストが気に掛けるのも当然か。とはいえ、若干気になることもある。この不思議な機体が、他に2機も存在するって?
「隊長は、おやじさんからこの機体の話を聞き、新たな赴任者の方のために富士見重工と交渉して、この機体を譲り受けたのです」
コンスは、由貴の抱いた小さな疑問に気付かず、話しを続けた。由貴も、その疑問はどうでもいい話だ。
「その新人が、私というわけか」
「その通りです。この飛行機を大切に扱うためにも、由貴さんは訓練を積んで、腕を磨かなくては」
「…そうやって、人の訓練の口実を作っているのね」
由貴は諦めに似た溜め息をついた。
由貴とコンスは、アレックスの前輪に牽引棒を取り付け、車輪止めを外し、アレックスを格納庫の外へと引き出した。約20トンの機体は、コンスのおかげで楽に動かすことができた。牽引棒を外すと、由貴はアレックスのキャノピーを後方に跳ね上げ、ステップを登って乗り込んだ。コンスは、ナビ・ロボットの昇降用に後付けされたエアステアをゆっくりと上がり、後部座席に納まった。由貴は、HMD付きのヘルメットを被り、ベルトを締め、飛行前のコンピュータや操縦系統のチェックを行う。緊急脱出装置のレバーのピンも外す。
コンスは、特製のベルトでしっかりと身体を座席に固定し、右腕から太いケーブルを延ばして、右操作パネル下の端子に接続する。ナビ・ロボットは、手で機械をすることはなく、このケーブルでコンピュータを直接操作する。
由貴はジェットエンジン起動装置を作動させる。これは圧縮空気をジェットエンジンに送り込んで、強制的にタービンを回すことでジェットエンジンを始動させるものだ。
「第2エンジン始動」
由貴は、アレックスのエンジンを始動させた。エンジンは左側から第1、第2と数えていくのが慣例だ。そして、エンジンの始動は昔からの名残で右のエンジンから始動することが多い。第2エンジンの出力が安定し、異常がないことを確認すると、次に第1エンジンを始動させた。
「エンジン出力正常。油圧正常」
コンスは、離陸に問題がないことを由貴に報告する。
「『コンス』って変わった名前だよね?」
離陸準備を進めながら、由貴は聞いた。
「私に与えられた名前は『コンスタンス』ですが、長いので、普段は省略して呼ばれています」
コンスは答えた。
「単に短くしただけなのね。自己診断、OKっと」
HUDを立てる由貴に、コンスは、
「由貴さん。XV-9アレックスは、HMDに対応しています。機銃では両者に違いはありませんが、ミサイル使用の際はHMDの方が便利なので、お勧めします」
「分かった。ところで、今日は実弾を積んでいるの?」
HUDを倒して、代わりにヘルメットの透明なバイザーを降ろしながら、由貴は聞く。
「装備を確認。機銃弾は満載。ミサイルはペイント弾2発、熱追尾2発が装備されています。これらは事件や緊急時に使用するもので、訓練では使用しません」
「分かってる。それじゃあ、発進するよ。アレックスより管制塔へ、離陸許可を要請」
由貴は管制塔に、離陸許可を求めた。
〔管制塔よりアレックス、離陸を許可する。風は南南西20ノット〕
管制塔から許可を得ると、由貴はエルダ・ドライブ飛行で上下動を操作するエレベーションレバーを引き、アレックスを垂直離陸させた。
南東に向かって飛行中、由貴はアレックスを自動操縦に切り替えて、まだ正体不明なスイッチを調べる。右側のマルチモニターは、全方位レーダーを映している。3つのマルチモニターは任意のスイッチによって後方レーダー、後部積載カメラ、各種情報、各種観測カメラの映像に切り替わる。他の機能もあるが、由貴はまだ完全に把握していない。
アレックスは、海上の訓練空域に入る。由貴はアレックスの飛行を手動に戻した。
「まずは、ロールを」
慣らし飛行としてコンスは、ロールを指示した。機体を横転させる基本技であり、由貴は難なくやってのける。視界が一回転するので、ジェットコースターに乗り慣れた人間でなければ、気分が悪くなるだろう。もちろん、由貴は平然としている。というより、これで動揺していては、戦闘機パイロットなど務まらない。
「次はループを」
コンスは次の指示を出す。由貴は操縦桿を引き、機首を上げ続けて宙返りをした。重力に逆らったり、従ったりするので、独特の感覚になれていないと苦しいか。
「では、インメルマンターンを」
コンスから、休み無く次の指示が出る。機首をあげて宙返りの半分だけ行い、機体をロールさせて、ひっくり返った機体を通常の姿勢に戻す。すれ違った相手を追い掛けるときによく使う技だ。
「次はスプリットS」
「ちょっと! 休憩は無し?」
由貴はさすがに抗議した。しかし、コンスは表情筋1つ動かさず、
「実戦では、相手は休ませてくれません」
「もう。分かった。やるよ」
由貴は操縦桿を握り直す。今度は、インメルマンターンとは逆に、機体をひっくり返した後に機首を引いて、宙返りの後半を行う。高度が十分に無いと、地面や海面にぶつかるので、技の前に注意が要る。
「次はバレルロール」
ロールに加え、機首を少し引き上げ気味にすることで、横になった樽に沿うような螺旋を描く。技自体は単純でも、きれいに決めるのはなかなか難しい。
「少し右にずれちゃった」
由貴は舌打ちする。とはいえ、この技の目的は背後の敵機やミサイルをかわすことにある。正確に機体を誘導するのは当然のことだが、見た目は二の次。
「実用的には問題ありません」
コンスは答える。あまりにも機械的な回答だ。ロボットにそれ以上のことを期待しても仕方がない。由貴は後ろを振り返り、
「他の技を試しても良い?」
「はい。今日はその為の飛行です」
コンスの答えを聞いて、由貴はすぐに次の飛行に移った。
低速の水平飛行から、急激な機首上げを行う。ただし、ほとんど上昇することなく、機首をほぼ垂直に向けたまま水平飛行をして、機首を降ろして水平飛行に戻る。コブラと呼ばれる機動で、推力の大きなエンジンを積んでいるからこそできる。加えて、XV-9には排気口に推力偏向パドルが付いているので、従来機より楽にこの機動を行える。
「コブラ機動を、どこで習ったのですか?」
「習ったんじゃないよ。見様見真似で、何度かやったことがあるだけ」
由貴は答える。実際、航空学校でも試したことはあるが、事前にシミュレータで何度も練習している。きれいに決まったのは、今回が初めてだ。推力偏向パドルの威力は伊達じゃない。
「アレックスの機動性を示すには良い方法ですが、実用性のない技です」
「そうなんだけど、応用技もあるよ」
「それは、またの機会にしましょう」
由貴はアレックスを水平飛行に移した。
「アレックスの感覚に慣れましたか?」
コンスは聞いてきた。由貴は操縦桿を持つ右手を眺めながら、
「ちょっと変わった動きをするよね。操縦桿も軽いし、反応も怖いくらい速い。基本的な部分は普通の飛行機と変わらないけれど、機首が軽いような気もするし」
「前進翼機の特徴は、不安定なことにあります」
「それって、墜落しやすいって言うこと?」
「はい、普通なら。しかし、逆に言えば、安定した機体よりも操縦の反応が早く、機動性は高くなっています。XV-9はコンピュータ制御で、常に最良の状態を計算していますので、安定度は普通の飛行機以上です。そしていざというときは、その持ち前の高機動性を発揮します」
「フーン。そうなんだ。でも、視界が悪いよね。特に後ろが」
由貴は後ろを振り返りながら言う。振り返っても真後ろは見えず、左右共に140度後方が限度か。キャノピーも球面ではなく、風防の枠が死角を生んでいる。ちなみに風防はガラスではなく、アクリル板で出来ている。ガラスは重いし、何より空中で破損したら大変なことになるからだ。
アレックスは、訓練空域からとび出しそうになったので、反転して訓練空域の中心に向かった。由貴はふと、
「コンス。アレックスの最高速度と、上昇限度は?」
「この機体は実験で、水平飛行でマッハ1.8を記録していますが、理論的にはマッハ2まで安全です。戦闘可能な高度は4万フィートに設定されていますが、上昇限界高度はデータがないので分かりません」
コンスは答えた後で、すぐに、
「どうしてですか?」
と聞き返す。
「この機体の限界を知っておくことは、大切でしょう。今から試してみない?」
「今から、ですか?」
「そう、今。超音速飛行訓練も兼ねて」
由貴は、超音速飛行の単独飛行免許を持っていない。免許取得には訓練が必要だが、訓練の際には資格を有して3年以上の者か、ナビ・ロボットが同乗することが条件になる。ただし、国の定めた訓練区域でなら、の条件付きだが。
「急なことなので、賛成いたしかねますが」
コンスは、アレックスの自動診断プログラムを起動した。しばらくしてその結果が、由貴の目の前のモニターに表示された。
「エンジン出力、機内圧力、酸素量、共に正常。残存燃料は76パーセント。只今から、超音速飛行訓練を始めます。データ記録開始。機内の機密性は十分ですが、急上昇されるのでしたら、酸素マスクの装着をお勧めします」
「分かった」
由貴は酸素マスクを口に当てる。最新のヘルメットなら、酸素マスク内蔵のフルフェイス型だが、値段が高いので、由貴が今使っているヘルメットでは酸素マスクを別に付ける必要がある。
酸素マスクを口に当て、由貴は操縦桿を引き、機首を上げた。スロットルを全開にし、噴射口はオレンジ色の炎を噴き出した。
「高度4000、5000、6000」
高度計を読むコンス。由貴は強いGに耐えながら、振動し暴れる操縦桿を堅く握り、機体の姿勢を保っていた。アレックスは、厚い雲を矢のように突き抜け、重力に逆らって更に上昇を続ける。やがて、身体を押さえていた力が和らいで、機体の上昇速度が落ちてきた。
「オーバーブースト!」
由貴は、スロットルレバーにあるオーバーブーストを入れた。オーバーブーストは、ジェットエンジンの圧縮機にエタノールを噴射し、気化に伴う膨張を利用して一時的に圧縮率を上げて推力を増加する装置だ。排気ノズルのオレンジ色の炎が鋭い光となり、機体は何かに押されるように急加速した。速度計の針はマッハ1.5を越える。垂直上昇では、これが限界か。キャノピーの所々に、白いはん点が現れた。結露だ。
「高度1万5000。機体の振動増加」
アレックスは上下に激しく振動し、機体が左右に揺れはじめた。急上昇と口では簡単に言っても、飛行機にとっては大変なことだ。アレックスは、ジェットエンジンの推力だけで機体を、重力に逆らって押し上げている。それに、上昇すればするほど空気は薄く、エンジンに入ってくる酸素の量も減る。空気がなければ、翼も役には立たない。エルダ・ドライブの浮力も、高度5000メートル前後が限界と言われている。ただ真っ直ぐ進むことが、ものすごく辛い。いくつかの警告ランプが点滅をはじめ、エンジン出力は変動が大きく、発電機まで不調になったのか、モニター画像も何度か表示が止まって、安定しない。
「暗くなってきた」
由貴はやっと、辺りを見回した。前も上も、右も左も黒い世界が広がっている。後ろ目を移すと、緑の大地が広がっていた。300万人都市の瑞穂の街も、はるか彼方だ。
「もう一度…」
由貴は再び、オーバーブーストのボタンを押した。後ろから蹴られたようなショックと共に加速するアレックス。だが、先程より推進力は落ちている。
「高度2万。エンジンの酸素流入量低下」
「これなら、どこまでも行けそうね。お父さんとお母さんのところへも……」
「何を言っているんですか? 由貴さん、これ以上は危険です」
速度が見る見る落ちていく。しかし高度計の針はゆっくりとだが、まだ回転し続けている。
「高度2万5000、推力低下」
コンスがそう言ったとき、アレックスは、機首を上げたまま降下に移った。エンジンの出力が、急激にダウンする。燃焼不良の警告が左ディスプレイに現れる。
「第1、第2エンジン共に停止。危険です」
コンスが警告する。由貴は焦って操縦桿を引くが、ほとんど反応がない。
推力を失ったアレックスは、高度を一気に下げていく。エルダ・ドライブも、この高度では効果がない。
機首が下を向き、アレックスは急降下を始めた。計器板のランプがでたらめに点滅し、機体の姿勢を制御するコンピュータが悲鳴を上げ、トラブルを示す文字が流れ始めた。
「コンピュータに過負荷。危険です」
「どうしておかしくなったの?」
「過去に経験したことのない飛行で、混乱しています」
「コンピュータを再起動させたら?」
「それは、機体を放棄するのと同じことです。できません」
「高度は?」
「1万8000」
「酸素流入量は?」
「通常値の40パーセントまで回復。エンジン再点火しますか?」
「点火」
エンジンが、再び火を取り戻した。速度計の針も急速に回転する。コンピュータも正常に戻ったのか、警告音が消え、機内に静けさが戻った。だが、今度は違う警告音が鳴り響いた。マッハ計は3を越え、機体設計速度を大幅に超えている事を教える。左右から、機体のきしむ音が聞こえる。
「由貴さん、速度が速過ぎます」
「スロットルは絞ってるのに、何で?」
「マッハ3の空気がエンジンに入って、出力が落ちないのです」
「どうすれば良いの?」
「エアブレーキを使うには早すぎます。ロールするなり、上昇するなりして、徐々に速度を落とすしかありません」
エアブレーキは、板状のものを広げて空気抵抗とし、速度を落とすものだ。着陸時や、戦闘中にエンジン出力を落とさず減速するときに使う。XV-9には、左右のエンジン排気口の外側に付いている。
「エアブレーキ? ロール? 上昇?」
「とにかく、降下速度を落としてください。お待ちください。隊長からの緊急連絡です。つなぎます」
「ちょ、ちょっと。この忙しい時に」
由貴は操縦桿を引いて右に倒し、アレックスをやや上昇させながら機体を右回転させた。スロットルを絞り、エンジン出力を落とす。深呼吸し、心に余裕が出てきてから、由貴は無線をオープンにした。
〔由貴、聞いている? 遊んでいないで、返事しなさい〕
左モニターにバレリーの顔が映し出され、叱り声が耳に飛び込んできた。アレックスの上昇限界試験を、遊びと勘違いしているようだ。端から見れば、確かに危険な遊びかも知れないが。
「は、はい。どうぞ」
由貴は、降下中の機体を操りながら答えた。操縦桿に手応えがある。コントロールが効くようだ。機体を旋回させることで急降下を避け、徐々に減速させる。
〔スカイクルの男から、未確認の航空機に攻撃されたといって、保護を求めてきているわ。急いで向かって。現場は土岐。そこから方位330、距離90キロの地点よ。レイもそっちへ向かっているから、彼の方が先に着くと思うわ。合流して〕
「了解。コンス、このまま行くよ」
「訓練を中止。由貴さん。スピードが速過ぎますし、まだ姿勢が安定していません。現場へ向かう前に、速度を十分落として下さい」
だが由貴は、コンスの言葉を無視し、アレックスの機首を現場の方角へ向け、降下しながら向かおうとする。
「危険です。非常時につき、操縦を交代。減速します」
コンスが言い終わると同時に、由貴の体がガクンと前に揺れた。何が起こったのかと辺りを見回し、操縦桿を適当に動かそうとする。ところが、操縦桿は硬くて動かず、由貴の言うことを聞いてくれない。
「な、何? これ……」
その内、アレックスは機体をひねるような飛行を始める。地面と空がグルグルと激しく回転し、意図せぬ機体の動きに、由貴は吐き気さえ覚える。速度計を見ると、見る見るうちにスピードが落ちているのがわかる。コンスによる操縦だ。
「減速終了。操縦をお返しします」
コンスは言った。由貴の操縦桿は、先ほどまでの意固地な態度がウソのように従順になる。由貴はアレックスを現場に向かわせながら、目だけ後ろに向け、何も言わずに操縦を代わったコンスに対して、何か小言をつぶやいた。
アレックスは、バレリーの指示した現場上空に到着した。エアブレーキを使って減速し、辺りを伺う。レイの飛行機の姿はない。
「隊長。現場に到着しました。保護を求めてきたスカイクルは、見当たりません」
〔もう着いたの? 随分と速いわね。スカイクルはレーダーから消えたわ。指示通りに着陸したか、あるいは間に合わずに撃ち落とされたか。ここからでは確認できないわ。空から探して。それと――〕
「何ですか?」
〔スカイクルを襲った犯人が、まだ近くにいる可能性があるわ。十分気を付けて。相手は小型戦闘機のようだけど、未登録機らしくて、詳しくは分からないわ。もし、犯人を見付けても、1人で何とかしようと思わないで。レイが着くまで待ちなさい〕
「了解」
由貴はすぐに観測カメラを作動させ、地上の探索を開始した。コンスは、カメラの映像を確認する。
聞き慣れない音がした。由貴は機内を見回し、中央のマルチモニターがその原因であることを突き止めた。モニターは全方位レーダー画面に切り替わり、前方から接近してくる航空機の存在を知らせてきた。コンスは、その航空機を調べ始めた。
「未確認の高速飛行物体接近。機種は――」
右画面が、接近中の機体を調べている。結果は『不明』だ。
「識別信号は無し。国内では登録されていない機体です。本部に画像を転送して、データベースから検索します」
「それより、相手は武装しているの?」
「サイドワインダー、スパローを装備。相手は攻撃の意思を示しています。メッセージが入電。表示します」
コンスは操縦席の計器板の、左のモニター画面にその文字を出力した。『NEW CHALLENGER IS COMING!』という文章が現れた。
「何? これ」
「相手はこちらを煽ってきているようです。気を付けてください」
「分かった。見えてきたわ」
由貴は肉眼で、近付いてくる小型戦闘機を確認した。グレー1色の戦闘機は、真っ直ぐアレックスに向かってきた。由貴は一度操縦桿を右へ倒し、そして左へ倒した。機体は左へ傾き、戦闘機の左側に回り込む。戦闘機も左へ旋回し、加速してアレックスから離れた。由貴はスロットルを開け、その後を追った。
その戦闘機をよく見ると、変わった特徴が見られた。コックピット部分が大きく、異様に盛り上がっていた。コックピット部の胴体下に、奇妙な膨らみが付いているし、左右の2つのエンジンは、胴体から少し離れている。水平尾翼がなく、主翼の下にミサイルが装備されているが、その中に混じって、右下部から後ろへ、細長い管のようなものが伸びていた。アンテナにしては太い。
「見たこともない飛行機ね。何かな?」
「まずは相手に、着陸するよう警告してください」
コンスは言う。由貴は、無線の周波数を相手に合わせ、
「未登録戦闘機へ。民間機の武装は禁じられている。今すぐに最寄りの空港に着陸しなさい。警告に従わない場合は、航空法に基づき攻撃する事がある。早く着陸しなさい」
と、警告を発した。
返事はない。スカイクルギャングを襲った相手なら、素直に応じるとも思えない。
突如、戦闘機が急上昇した。宙返りの頂上付近で横転し、アレックスの後方へ飛び去る。由貴は、身体をひねってその姿を追った。
「相手はやる気ね。相手になってあげる」
「由貴さん。相手は、スカイクルギャングを撃ち落としている犯人かも知れません。積極的な戦闘行為は危険です」
コンスは言った。だが、由貴は何も答えず、スロットルを全開にして戦闘態勢に入った。
由貴は操縦桿を引く。景色は下へ移動し、やや雲の多い空が目の前いっぱいに広がる。景色は180度ひっくり返り、今度は頭上に地面がある。そこで操縦桿を引き、機首を引き上げる。すると、眼下に地面が広がる、普通の状態になった。目の前には、問題の戦闘機がいる。
戦闘機は、上昇し始める。わずかに翼が左に傾いていたので、由貴は早めに操縦桿を左へ倒した。地面がやや左にせり上がる。ところが、戦闘機は右へ旋回し、アレックスと反対の方向へ飛んでいってしまった。あの翼の傾きは、フェイントだった。
「どこ?」
「後ろです。離れていきます」
レーダーを見ながら答えるコンス。
由貴は操縦桿を引いた。また、空が目の前いっぱいに広がる。今度は速度が落ち、地面が頭上に広がる。操縦桿を右に倒し、天地はすぐに元に戻った。アレックスは反転を完了した。謎の戦闘機も反転し、アレックスに正面から向かってくる。由貴はHMDの画面を見ながら、スロットルレバー右側の武器選択スイッチを使って、ペイント弾を選択した。
正面から向かってくる戦闘機に、変化が生じた。突如、胴体が2つに折れ始めたのだ。主翼も途中から上に折れ、エンジンも機体から落ちかけ、吸気口付近がかろうじて、機体にくっついているようだ。由貴はまだ、戦闘機に対して何の攻撃も加えていない。なのに、機体が壊れるなんて。
機体が真っ二つに折れた戦闘機は、速度を落としつつ、その高度を保っていた。エルダ・ドライブでかろうじて飛んでいるようにも見える。
アレックスは、戦闘機に攻撃を加えることなく、そのまますれ違った。由貴はスロットルを絞り、アレックスを減速させ、振り返った。そこには、戦闘機の姿はなかった。いや、戦闘機はいるのだが、それは、戦闘機とは違う姿になっていた。
「な、何? あれ……」
由貴の目に映った戦闘機は、人のような姿をしていた。コックピット部分が上に突き出て頭部となり、隠れていたコックピット下部分は、細長い目だけが付いた簡単な顔になった。機首はそのまま胸部となり、胴体下の膨らみは左右に分かれて肩に変化し、隠れていた腕が現れた。右手に当たる部分は50ミリ機関砲に、左手は拳の形になっていた。折れ曲がった機体後部は胴となり、落ちかけていると思ったエンジン部は、不格好だが足となっていた。足のジェットエンジンは、アイドル状態のようだ。翼による揚力が得られない今、エルダ・ドライブだけで飛行している。対地攻撃兼防御用のディフェンダー・モードだ。
「ホークスFV.1グリフィン。可変戦闘機です」
コンスは、届いたばかりの情報を、操縦席計器板の左のモニターに映した。だが、由貴の耳に、コンスの言葉は届いていないようだった。
由貴は、目の前で展開する光景が信じられなかった。しかし、ゲームの世界でしか見たことのない可変戦闘機が現実に今、目の前を飛行している。
グリフィンの右腕はゆっくり動き、アレックスに銀色の銃口を向けていた。アレックスの機内に、自分が標的にされている事を知らせる警報が鳴り響く。
「グリフィンから離れてください。早く!」
コンスが叫ぶ。由貴はハッと我に返り、スロットルを開いてエンジンを噴かす。鈍い音と共に、左主翼に2つの穴があいていた。
「左主翼に被弾。燃料タンクは無事ですが、防弾板破損」
機体損傷の状況を知らせるコンス。コンスは次いで、後方カメラを作動させ、グリフィンの動きを監視する。
グリフィンは、左手でバランスを取りながら、右手の機銃をアレックスに向けている。機銃が再び火を吹く。今度はアレックスの右をかすめた。
「早く、グリフィンの射程圏外に出てください。このままでは、翼だけでは済まなくなります」
だが、由貴の身体は固まっていた。可変戦闘機とは、昨日のように、ゲームの中で対戦したことはある。しかし、現実では一度もない。おそらく、世界中のパイロットのほとんどがそうだ。実際に可変戦闘機と遭遇した時、どういった戦術を取れば良い? それとも、逃げるべき?
「由貴さん。しっかりして下さい」
コンスは叱責に似た声を上げる。ナビ・ロボットの仕事でもある。だが、アレックスの動きは緩慢だ。正確には、速度は出ているが、単調な動きですぐ狙われる軌道を取っている。
「わ、分かってる」
由貴はそう答えたが、本当は彼女の頭はパニック状態だ。昨日、あのゲームで可変戦闘機に負けたことも、どこかで影響しているかも知れない。ゲームの世界では、撃ち落とされても死ぬことはない。しかし、今は現実の世界だ。死もあり得る。いや、あり得るどころじゃない。グリフィンの照準はまだ、アレックスを捉えたままだ。コックピット内の警報は鳴り止まない。まだ飛んでいられるのが不思議なくらいだ。頭の中は真っ白。口は、大きく息を吸おうと努力しているが、効果はない。
「もうダメだぁ」
「諦めるには早過ぎます」
「早くなんかない。もう手遅れよ」
〔由貴、そいつから離れろ〕
突然、レイの声が聞こえた。どこから、ミサイルが飛んでくる。アレックスは、グリフィンとそのミサイルを結ぶ直線上から離れた。ミサイルは、グリフィンに命中する直前に爆発し、オレンジ色のペイントが、空中で花開いた。
レイのPA-11フォックスが、アレックスとグリフィンの間に割って入った。アレックスはグリフィンの照準センサーから外れ、機内はやっと、静けさを取り戻した。
由貴は、アレックスを空中に静止させ、向きを変えた。レイの操るフォックスは、ゼネラル・ダグラス社製の亜音速機。アメリク連邦のエアポリス用に開発された機体で、操縦がしやすく整備も容易なのが特徴だが、今では世代交代の時代に入っている。その攻撃機で、レイはどうやって、あの可変戦闘機と戦うつもりなのだろうか。由貴は、離れて見守ることにした。
フォックスは、エンジン全開で戦闘体勢に入った。大きく左旋回した後、グリフィンに向かって急接近し、機銃攻撃を加え、グリフィンの銃口が向けられる前に、その脇を抜けて離脱した。追撃しようと反転し、加速するグリフィン。エルダ・ドライブの推力では、せいぜい時速130キロまでしか出ないが、足のエンジンは使わない。実際に使えば、おそらくはネズミ花火のように回転して、自滅するだろう。これはゲームの世界とは違う。2機の距離は開く一方だ。
フォックスは急上昇し、グリフィンに、頭上から襲いかかる。速度をギリギリまで落とし、エルダ・ドライブ飛行に切り替え、グリフィンの背後に回る。
上昇すると見せかけて降下、回避するグリフィン。フォックスは、その動きにだまされずに背後を捉え続け、機銃で攻撃した。グリフィンの主翼の付け根から黒い煙が上がる。ディフェンダー・モードのグリフィンはバランスを崩し、落ちていった。キャノピーが割れ、パイロットが射出される。その直後、グリフィンは燃料タンクに引火し、機体は炎に包まれた。
〔由貴、大丈夫か?〕
「大丈夫です、島崎さん。ただ、主翼をやられました」
〔そうか。こっちは燃料がないから、あのパイロットのことは、地上の連中に任せよう。アル、最寄りの署に連絡を。由貴、本部へ戻ろう〕
「はい」
フォックスとアレックスは、本部に帰還した。
まずはアレックスが着陸し、その左隣にフォックスが着陸した。
着陸した場所で静止し、作業員とサインを交わしてエンジン停止などの手順を経て、キャノピーを開ける由貴。真っ先にエアステアを降り、後から続くコンスを待つ。
由貴の初めての本格的な飛行を心配してか、エアポリスの事務室の方からアーネストが出てきた。由貴としては今、一番会いたくない相手だ。何せ、直したばかりのアレックスにまた、風穴を開けてしまったのだから。
「由貴。XV-9はどうだった?」
まだアレックスの傷のことを知らないアーネストは、由貴のおどおどした態度もお構いなしに近づいてくる。
「えっと。良い飛行機ですね。私には勿体ないくらいで……」
由貴は格納庫に向かって、右横にゆっくりと移動する。タイミングを計って、逃げようとする。由貴をサポートする役割の筈のコンスは、黙って由貴の左に立っている。そして、あろうことか、
「おやじさん。申し訳ありません。アレックスの左主翼の修理をお願いします」
と、由貴の一番隠したい事実を告げてしまった。
「何?」
アーネストはコンスの言葉を聞いて、すぐにアレックスの左主翼を見た。主翼上面は、地面からの高さ170㎝以上になる。傷を直接見るのは脚立に乗らないと難しいが、傷ができたと思われる辺りは防弾板がギザギザにめくれあがっているので、穴が開いているのはすぐ分かる。
「冗談だろう? 直したばかりだぞ」
主翼に穴のあいたXV-9アレックスを見て、アーネストは青い顔をしていた。
「あの……直ったばかりのアレックスを傷つけて、すみません。私、隊長にすぐ報告しなければなりませんので。これで失礼します」
アーネストが何も言わないうちにアレックスを預けた由貴は、他のメンバー達と一緒に、逃げるように広域機動隊オフィスへ戻った。
オフィスに戻った由貴、レイ、アル、コンス。アーネストの怒りから逃れた由貴だったが、こちらでも待ち構えている人物がいた。
「由貴。あなたって子は…」
両腕を組んで、仁王立ちするバレリーの肩はつりあがり、小さく震えている。まずい。由貴は思わず一歩下がる。バレリーは、間違いなく怒っている。指示を無視し、レイの到着を待たずに1人で先走ったからだ。
「どうして、レイが着くまで待てなかったの。もし、あの時レイが駆け付けていなければ、あなたは死んでいたかも知れないわ!」
由貴は、何も答えられない。サポート役のコンスも、今は黙っているしかない。レイやアルも同じだ。
「広域機動隊の人間は、あなただけじゃないのよ。私やレイ、アルやコンスがいるわ。あなたは、テレビか何かのヒロインじゃないのよ。格好付けて、自分1人で解決しようと考えるのは止しなさい!」
バレリーの両手は、由貴の肩をがっしりと掴んだ。指が肉にくい込んでくるのを感じて、由貴はびっくりした。が、バレリーの口調は、急に柔らかなものに変わり、
「お願いだから、私に心配を掛けさせないで。あなたは広域機動隊の大切な一員。大切な仲間なのよ。あなた1人が欠けても、隊は成り立たないわ。無茶な真似はやめて。もっと自分を大切にしなさい」
と、笑みを見せた。そうだ。この人は、本気で心配してくれているのだ。
「すみません。私、自分1人でできると思って」
「分かっている。あなたは、自分の仕事を一生懸命果たそうとしただけ。それは間違っていないわ。でも、もっと大切なのはチームワーク。そうでしょう?」
「はい」
「今度からは気を付けなさい。良いわね?」
バレリーは、やっと由貴を解放した。バレリーが、そこまで自分の身を案じてくれたのかと、由貴は心の中では嬉しかったが、先ほどの激しい口調は由貴を戸惑わせた。自分にはその価値はないのに。さっきまで鷲掴みにされていた両肩が痛い。
バレリーの説教が終わるのを待っていたレイが、
「隊長。戦闘機のパイロットは、どうなりました?」
「残念ながら、逃げられたそうよ。地元警察が駆け付けた時には、パラシュートだけが残されていて、それ以降の足取りはさっぱり」
「発見されたのは、山の中でした」
コンスは付け加える。バレリーは、現場の地図を壁の大画面モニターに映し出し、
「ここが、グリフィンの墜落地点。パイロットは脱出して、パラシュートの残されていたこの地点に降りた。見ての通り、この周りに身を隠せそうな場所はないわ。近くを林道が走っているだけ。山に逃げ込んだ可能性があるから、山狩りが行われているけど」
と、説明した後、大きく息を吐いて、
「個人的な意見だけど、多分捕まえられないでしょうね。珍しい戦闘機を犯罪に使うくらいだから、非常事態に備えて脱出方法も用意されていた筈だわ。もしかしたら、結構大きな犯罪組織かも知れない」
「ところで、救助を求めてきたスカイクルは、発見されましたか?」
バレリーの顔色を伺いつつ、聞く由貴。
「いいえ。まだよ」
「逃げたか。それとも撃ち落とされたか」
腕を組み、考えるレイ。
「識別コードから、そのスカイクルは特定できたそうよ。交通課が持ち主の家へ確認に行っているそうだから、すぐにはっきりするでしょう」
それからバレリーは、思い出したように、
「それから、昨日のスカイクルギャングの飛行機。あれも撃墜されたものと断定されたわ。相手が戦闘機と分かった以上、今度の事件に対して私たちも常時待機する事になるから、今日から臨時当番編成を組むことになるわね。コンス、勤務調整をお願い」
「はい」
夜勤のない広域機動隊は、普段は日勤のみで、休日は交代で勤務に当たる。が、今度のように捜査態勢を強化する場合は、仮眠時間を設けた泊まり込みの当番編成を組む。人数の少ない広域機動隊では当然、隊長であるバレリーも当番に入る。ちなみにアルとコンスに、休みはない。
「犯人ですが、スカイクルギャングを襲う目的は、何でしょうか」
由貴は腕を組んで考える。
「FV.1は飛鳥では珍しい戦闘機です。それを、どうやって手に入れたのでしょうか?」
「その前に、どうしてFV.1を使ったのか、という疑問があります。入手困難な機体をわざわざ用意するなんて、まるで、我々警察に対する挑戦状のようにも思えます」
コンスとアルは、それぞれ疑問を口にする。バレリーは少し考え、
「動機は、スカイクルギャングに対する恨み、といったところかしら。他に理由は見当たらないし。でも、わざわざ、入手の難しいグリフィンを使った理由が分からない」
「案外、スカイクルギャングを襲って楽しむ、愉快犯かも知れませんよ。以前、暴走族を猟銃で狙撃するという事件もありましたし」
と、レイは言う。
「でも、島崎さん。スカイクルギャングだけじゃなく、私たちにも襲いかかってきましたよ。あれはまるで、私たちを待っていたかのようでした。もしかして、犯人は飛革で、狙いは私たちなんじゃないでしょうか?」
「飛革なら、初めから直接、私たちに向かってくると思うわ。かといって、愉快犯とも思えない。愉快犯なら、一般の飛行機さえ襲うでしょう。愉快犯の大半は、自分より弱い相手を無差別に狙うでしょうから。もちろん、大義名分欲しさに、スカイクルギャングを選んでいるのかも知れないけど」
バレリーは、由貴やレイの考えを否定する。
「今のところ、一般の飛行機が襲われたという事件は起きていないし。やっぱり、スカイクルギャングに対する恨みだと思いますが?」
レイは、1番単純な考えしか出せない。もちろん、犯人の目的は違うところにあると感じてはいるが、それを具体的に示せない。
「とにかく、今は犯人を突き止めることが先決よ。戦闘機が1機だけという保証はないし、次に何をするか分からない。レイとアルは、一連の事件を整理するのと、何時でも出られるように、緊急出動の用意をしておくこと。コンスは、グリフィンの入手経路を当たって」
「私は?」
由貴は名指しでの指示がなかったので、自分を指差して聞くと、バレリーは、
「ホワイトウィングを点検に出すのだけど、空技研まで持っていかなければならないの。だから、セレスで迎えに来て」
と答えた。捜査ではなく、送迎の指示だったので、由貴は心の中で落胆した。
「飛行機って、取りに来てくれないのですか?」
「それが、今日は人がいないのですって」
そう答えたバレリーは、自分のデスクから、敷島重工の名の入った書類を取り出し、
「レイ。後は任せたわ」
と言い残して、オフィスを出ていった。
「私も、行ってきます」
由貴は、赤セレスの鍵を持って、バレリーの後に続いた。
昨日、由貴とバレリーが飛行中に見た敷島重工航空技術研究所。平日だというのに、研究所の人影はまばらだった。ここは、大部分がオートメーション化されているという。しかし、研究所の出入りのチェックは厳しかった。それもその筈。ここでは、飛鳥空軍が採用予定の次期主力戦闘機F-3の研究開発が行われているのだ。電子頭脳同士の電子戦(AI戦)を想定して高性能AIを搭載し、地上に対しては自動攻撃も可能だという。その戦闘機はいわば、飛鳥の最先端技術の結晶だ。それ故、高度の機密扱いであり、警備も厳しい。
バレリーは、指示された格納庫の前にホワイトウィングを停め、あらかじめ聞いていた研究棟に入る。牛田は1階の応接室で待っていた。
バレリーは、牛田健二と名乗る男と挨拶を交わした。40代の技術者だが、アーネストとは対照的に痩せ形で、神経質そうな風貌で、初見では近寄りがたい雰囲気がある。その父親である牛田貴史教授は、バレリーが数年前にある事件で知り合った人で、ホワイトウィングを造った人だ。
「父から、あなたのお噂は聞いておりますよ、スタンフォードさん。早速来て頂いて、恐縮です」
「教授はお元気ですか?」
「ええ。親父は、気楽な隠居生活を送っていますよ」
応接室に通されると、バレリーは長椅子を勧められた。長椅子に腰掛けたバレリーは、
「それにしても、警備が厳重ですね? ここまで来るのに、随分と時間が掛かりました」
「ええ。ニュースなどでご存じだと思いますが、当研究所では、次期主力戦闘機F-3の開発を行っています。我が社でも、久し振りの大プロジェクトですし、国防上の問題もありますので、どうしても警備を厳重にせざるを得ないのですよ」
「そうでしたか。それでは、仕方がないですね。その次期主力戦闘機は、かなりの性能を持つことになるのでしょうね」
「ええ。F-3は、究極の戦闘機を目指しています。今はまだ無理ですが、実際に乗って頂けたら、ホワイトウィングよりも気に入って頂けると思いますよ」
「究極の戦闘機、ですか」
「ええ。ここだけの話ですが、ね。今回のプロジェクトとは別の研究に、思考操縦装置というのがありましてね、いずれは、F-3にそれを搭載したいと思っています」
「思考操縦装置?」
「ええ。開発コードは『アレス』。Automated Reaction and Engage of THought systemの略です。頭の中で考えるだけで、操縦から戦闘、攻撃まで行う新システムです。操縦桿を握る必要もなく、ボタンに触れる必要もない。パイロットがすべき事は文字通り、考えるだけです。言わば、車の自動運転ですか。それが完成すれば、私のような素人でも、簡単に操縦できるようになります。F-3は文字通り、究極の戦闘機になりますよ」
「夢のような戦闘機ですね?」
「もうすぐ、夢ではなくなりますよ。ただ、システムの完成には、まだ時間が掛かりますがね」
「そうですか。大変ですね」
「ええ。いずれ、あなたにも協力して頂きたいと思います」
「私が?」
バレリーに、何か思考操縦システムに役立てることがあるのか? バレリーが牛田のその言葉を理解するのには、もう少し時間を必要とするようだ。
「いえ、大したことじゃありません。プロの意見もいただきたいのですよ。ホワイトウィングを提供した縁もありますし」
「ああ。そういうことですか。瑞穂警察は第三セクターですから、出資者への協力は、公序良俗に反しない限りは可能ですが」
バレリーはそう答え、本来の話に戻すことにした。
「ところで、ホワイトウィングの定期点検ですが、時間はどのくらいかかりますか?」
「そうですね。今回の点検では、エンジンまで分解しますので、少なくとも7日くらいですか。但し、部品の消耗具合では、もっと少し時間がかかるかも知れません」
「7日間ですか。するとその間、私はオフィスの仕事に専念できますわ」
そう言いながらバレリーは、緑茶を飲み干す。
「広域機動隊は、空の仕事が多いのですか?」
「最近は、どちらかというと多いですね」
「でしたら、代機を用意しましょうか?」
「残念ながら、瑞穂警察では、代替えの機体の使用を禁止されていますの。折角の申し出ですが」
「そうですか。分かりました。では、ホワイトウィングをお預かりします。整備が終わり次第、連絡いたします」
「よろしくお願いします」
バレリーはそう言って、部屋を後にした。
由貴を乗せた赤セレスは、ゲートで身分確認に手間取った挙げ句、ゲートのすぐ脇の駐車場で待たなければならなかった。守衛のあまりの態度の悪さに、サングラスを外して目を見せようかと思ったが、かえって大事になりそうなので、大人しくその指示に従う。
車中で待っていても退屈なので、外に出て待っていると、不意に右腕を叩かれた。振り返ると、牛田光の姿があった。昨日、ゲームセンターで会った子供だ。由貴はビックリして、
「光君じゃないの。どうしてここに?」
「だってここ、お父さんの会社だからさ。お姉ちゃんこそ、どうしてここにいるの?」
光はやはり、年齢不詳な喋り方をする。中学生なら、少なくとも、見ず知らずの相手に対する話し方を心得ている筈。いや、その前に、今は学校に行っている時間ではないか。
「私は、上司を迎えに来たの。ところで、光君。今日は学校じゃないの?」
由貴が聞くと、光は不快感を顕わにした。
「学校なんか、行ってないよ。つまんないからさ」
「…そう」
言葉に困る由貴。光は、登校拒否のようだ。由貴にも、その経験はある。学校へ行っても、この姿のせいで、何も楽しい思い出はなかった。学校に行くのが辛いから、休む。施設に籠もったり、街の中で適当に時間を潰したり。それさえも、楽しかったとは思わない。由貴の場合は、数少ないながらも友達のおかげで、登校拒否も数日で終わったけれども。
由貴は、別の話題を必死に探す。
「ところで、お姉ちゃんの飛行機、かっこいいね。変な形だけど」
「どうして知ってるの?」
由貴は、驚きの表情を隠さなかった。光がXV-9アレックスの事を知っている筈がない。
「XV-9って言うんでしょう? お父さんに教えてもらったからさ」
光はそう言った。光の父が何故、アレックスの事を知っているのか。警察が、戦闘機に誰が乗っているかなどを公表することは、基本的にない。それに、XV-9は富士見重工で造られた物で、敷島重工とは関係ない。光の父がアーネストと知り合いなら、話は別だが。
「変な形をしているでしょう? でも、貴重な飛行機なのよ」
「そうなんだ。僕も、同じのが欲しいな」
「無理よ。あれは、世界でも3機しかないんだから」
「じゃあ、良いよ。お父さんに造ってもらうから」
そう言うと光は、研究棟に向かって歩き出した。話すのに飽きたのか。単なる気まぐれか。よく分からない子供だ。研究棟から出てきたバレリーと、途中ですれ違う。バレリーは、早足で近付いてきた。
「ここにいたのね」
「近くまで行こうと思ったんですけど、守衛に止められまして」
由貴は、ゲートの守衛を指差しながら言う。
「今は、戦闘機の開発で特に警備が厳重だから、仕方がないわ」
由貴は運転席に、バレリーは助手席に乗り込んだ。バレリーはシートベルトを装着しながら、
「ところで、さっきの子は知り合い?」
「牛田光君です。実は、昨日会ったばかりなので、父親がここに勤めている事しか、知らないんです」
由貴はシートベルトを装着し、セレスのイグニッションボタンを押しながら答える。
「父親は知っているわ。さっき会ってきたばかりだもの」
「そうなんですか。どんな人です?」
由貴の運転で、セレスは走り出す。
「その人は、F-3の開発に携わっている人で、神経質そうな人だったわ。私自身は、本当は、そのお父さんと知り合いなのだけど」
「どういうお知り合いですか?」
由貴は聞く。
「私が知っている人は、ホワイトウィングの設計者よ。元々、練習機の設計で有名な方だったのだけど、超音速練習機を低コストで開発する目的でホワイトウィングを作った人よ。敷島重工も、富士見重工と同じく瑞穂警察に出資しているのだけれど、ある事件で私のことを知ったみたいで、ホワイトウィングを無償提供してくれたの。交換に、ホワイトウィングの飛行データを提供する条件でね。その方も、何年も前に退職して、データ提供もしなくなったから、ここへ来るのも本当に久し振りね」
バレリーは答え、今度は由貴に、
「そういう由貴は、光君とどこで知り合ったの?」
「光君とは昨日、ゲームセンターで会ったんですけど、戦闘機の操縦の腕はすごいですよ。ゲームでの話ですけど。今のうちにスカウトしておくと、良いかも知れませんよ」
「ゲームと、実際とは大違いよ。それに、操縦の腕が良いというだけで、良い刑事になれるわけじゃないわ。あなただってそう。優秀なパイロットというだけで、広域機動隊にいるわけじゃないのだから、よぉく肝に銘じておきなさい」
「はい。でも私は、操縦以外は大したことないですよ。バカですし」
「バカという言葉は、自分の口から言うことではないわ。謙遜にもならないし」
バレリーは、由貴の言葉に少し嫌悪感をもったようだ。それから彼女は、話そうかどうか少し迷った後、
「レイから聞いたけど、この前のサラマンダーの一件。その直前の護送車護衛の時に、犯人にブラスターを奪われて、撃たれそうになったんですって?」
「でも、運良く私のブラスターだったので、大丈夫でした」
「それがもし、普通の銃だったら、あなたは死んでいたわね。今回は運が良かったけど、今後はもっと注意しなさい。分かった?」
バレリーは、その内容に似合わない穏やかな口調で、言い聞かせた。その一言に、由貴は複雑な顔をした。バレリーの言う通り、自分のブラスターだったから、由貴は撃たれずに済んだ。普通の拳銃や、ナイフとかだったら、無事では済まなかっただろう。
ところが由貴は、今その事に気付いても、まるで他人事のように感じていた。死ぬのは嫌なはずなのに、心が意外とクールなのは、何故?
「…はい」
神妙な面持ちで由貴は返事をしたが、心の中では、本当の自分が分からずに戸惑っていた。
本部に戻ったバレリーは、由貴を先にオフィスに戻らせ、1人で47階の整備工場に向かった。ホワイトウィングを整備に出した今、アレックスの修理を急いで貰うためだ。
薄暗い工場の中では、スカイクルやヘリコプターの整備が行われている。奥ではXV-9アレックスが、主翼の傷を癒している。主翼の修復作業は普通の整備員が行い、アーネストはコックピットにいた。
「おやじさん。アレックスはすぐ直る?」
アレックスのコックピットの右下まで来て、バレリーは訪ねた。
「おう、バレリーか。機体の傷はチェックした。防弾板を張り替えるから、今週中には終わる。ところで、高々度飛行の記録があるが、これは由貴だろうな?」
「多分、そうよ」
「そうか。しかし、なかなかの無謀運転ぶりだ。『高々度』に切り替えもせずに垂直上昇して、2万5280メートルでエンジンが停止している」
「えっ?」
バレリーの顔が曇る。
「落下後、すぐにエンジン再始動して事なきを得ているが、一時的にマッハ3を超えたらしい。とても駆け出しのパイロットのする飛び方じゃない」
「何て事を……無謀すぎるわ!」
バレリーは小さな怒りを顕わにした。
「まあ、そう言うな。コンスが一緒に乗っていたのなら、問題ない」
アーネストは苦笑しながら、続ける。
「XV-9の限界を知ることは、悪い事じゃない。それに、XV-9はこの経験を元に、次回は最適な飛行を行えるよう学習している。ホワイトウィングと同じように。とは言っても、無茶なことはしないように少し設定を変えて、飛行限界を超えないようにしておいた。これでしばらく、様子を見よう」
アーネストは、アレックスのコックピットから出て、下に降りる。
「ありがとう、おやじさん」
バレリーはアレックスの下をくぐって、アーネストのそばに行く。
「とにかく、ホワイトウィングを点検に出すと聞いたから、急いで修理しているよ」
「ええ。ホワイトウィングはさっき、点検に出してきたわ。それも、空技研の方に」
「空技研?」
「ええ。何でわざわざ、警備の厳しい空技研の方で点検したがるのか不思議だけど、向こうがそう言ってきたから」
「変な話だな。あそこは今、F-3に掛り切りになっているはず。ホワイトウィングの点検どころじゃないだろうに」
「そういえばおやじさんは、思考操縦装置ってどういうものか知っている?」
「思考操縦装置?」
「そう。その点検を請け負った牛田健二さんが言っていたのだけれど。いずれはF-3に搭載したいって」
「牛田健二? ああ、ホワイトウィングを作った人の息子か」
「そう。なんというか……刑事の直感じゃないけど。ちょっと気になって」
「男の方か? それとも、装置の方か?」
「男の方。装置の方も気になるけど、重要機密に関わることを私に話すなんて、ちょっと考えられないから。どういうものかと思って」
「私も、あの男はちょっと苦手だな。そうか、思考操縦装置か」
「おやじさんは、何か知っている?」
「まあ、その手の装置はどこでも研究しているからな。勿論、富士見でも研究をしていたと思うが、せいぜいシミュレーションまでだったと思う」
「そうなの。けれど、研究が続けられているということは、何かメリットがあるのでしょう?」
「勿論。手を動かさなくていいから、操縦の反応が早くなる。それと、誰でも簡単に操縦できることかな。何せ、考えるだけで良いのだからな。とは言っても相当の集中力がいるし、コンピュータへの負荷も大きい。おまけに、不可能な飛行をイメージしたら、何が起きるか分からない。そこはまあ、機械の方で抑えることは可能だと思うが。だから、最近は無人戦闘機が研究の中心だ。そちらはそちらで、妨害電波に弱いという欠点があるがね」
「難しいわね」
「そうだな」
アーネストは答える。バレリーは突然苦笑して、
「こういう仕事をしていると、駄目ね。何でも事件に結びつけようとしちゃう」
「どうした?」
「いえね、思考操縦装置なんて聞き慣れないものを聞くと、それが狙われているんじゃないかと、勝手に思ったりするの。職業病ね」
「しかし、それが刑事と言うものだろう?」
「人間としてはどうかしら? 時々、嫌になるわ。全てを疑ってかかる自分が」
「まあ、仕事と割り切ってやるしかないだろう。お前さんが迷ったら、レイや由貴が困る。まあ、愚痴くらいなら、いつでも私にこぼせばいい」
「ありがとう」
バレリーは視線を下に落とし、やや小さな声で言った。