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蒼い空の白ウサギ  作者: 富士見重工房
Stage01 異端
3/5

異端 後編

 2人は階段で、1つ上の階に上がった。格納庫と滑走路のある48階。滑走路といっても、普通の空港のような長いものではなく、垂直離着陸する航空機専用だ。2人は、広域機動隊の格納庫に入った。

 そこには、緊急出動したときと同じく、白い機体にブルーのラインの入った練習機と、グレー一色の警察用機が1機ずつ待機していた。ただ、コヨーテは修理のため、ここにはいない。白い飛行機は敷島T-4改。警察用機は、ゼネラル・ダグラスPA-11。どちらの機体も、航空機用のエルダ・ドライブを搭載しているので垂直離着陸が可能だ。そういう機体でなければ、ビルの屋上で運用できない。両機とも2つのジェットエンジンを積んでいるが、T-4改は標準的な飛行機の造りをしているのに対し、PA-11はジェットエンジンを主翼と尾翼の間で、胴体の上面に位置するように設置している。また、主翼を折りたたむ機能を持ち、広域機動隊の狭い格納庫でも扱いやすい。

 PA-11の愛称はフォックス。世界中の警察で使われている飛行機で、超音速での飛行はできないけれども、整備は簡単で扱いやすい。

2機の垂直尾翼には、瑞穂警察のマークが描かれている。瑞穂のイニシャル『M』をイメージして、正義の女神アストレーアの持つ天秤と剣をモチーフにした、瑞穂警察の紋章だ。

「ここが、私たちの格納庫。といっても、ここに来るのは2度目ね。私たちの使う飛行機は全部武装しているから、エアポリスとは分けて駐機されているわ。1人1機ずつになったけれど、本当はこのフォックスがもうすぐ更新の時期だから。すぐにまた。2機態勢になる予定よ」

「隊長。私たちの仕事は、エアポリスの仕事と重なっていませんか?」

「エアポリスの仕事は、上空からの地上支援と空の交通の取り締まりだけど、私たちの場合は、凶悪犯罪に対処すること。地上でも、空でも、ね」

「銃を乱射するような、本当の意味での凶悪犯を逮捕するのが、私たちの仕事なんですね?」

「簡単に言えば、そういう事。さっきの事件が、まさしくそれ」

 そしてバレリーは、何かを思い付き、腕時計を見て、

「折角ここまで来たのだし、時間はまだあるから、少し飛んでみる? 離着陸の手順の確認も兼ねて」

と言う。もちろん、由貴は拒否しない。由貴の同意を得て、後ろ髪を束ね始めるバレリー。

「じゃあ、飛行機を出すの、手伝って」

 2人は牽引車を使って、敷島T-4改を格納庫から出す。牽引車を格納庫の元の位置に戻して、格納庫に一度戻り、壁際の机の上から、自分のヘルメットを取るバレリー。ヘリコプターだけでなく、戦闘機にも使えるヘルメットで、個人の物だ。由貴はまだ自分のヘルメットを用意していないので、貸し出し用のヘルメットを取る。

T-4改の所に戻ったバレリーは、そのキャノピーを開けた。

「隊長。この飛行機は?」

「これは、ホワイトウィング。敷島T-4練習機を改造したもので、敷島重工から寄付された試験機よ。主に私が使っているわ。」

 敷島T-4練習機は文字通り、パイロット育成を目的とする亜音速の2人乗り練習機。小型で軽量の機体で、主翼はやや大きい。由貴も操縦したことがある。しかし、練習機とはいえ機動性に優れ、音速以下での格闘戦の能力は戦闘機に引けを取らない。ホワイトウィングは、そのT-4のエンジンを強化して超音速飛行が可能になった。最高速度の引き上げに合わせて主翼も設計しなおすなど加速性能を高めているが、胴体などはほぼ原型機のままで空気抵抗が大きくなり、上級者向けの飛行機となっている。

 バレリーは前、由貴は後ろの席に座る。

「隊長。『M.C.R.P』は何の略ですか?」

 由貴はサングラスを掛けながら、ホワイトウィングの垂直尾翼に書かれていた文字について聞いた。

「Mizuho City Riot Police department。昔使っていた英語表記を、広域機動隊になった今も、そのまま使っているのよ」

 サングラスを掛け、離陸準備を手早く進めながら、バレリーは答えた。

「広域機動隊になる前は、何だったんですか?」

「その話は、また今度ね。ホワイトウィングより管制塔へ。飛行プラン5を使用。離陸許可を要請」

 本来なら飛行プランは事前に提出しなければならないが、今回のような急な飛行のために、訓練飛行など決まったコースと飛行時間を決めたプランを作っておき、使っている。

「ホワイトウィングへ。離陸を許可する。南西2キロ、高度9000フィートに旅客機あり」

 ホワイトウィングは、管制塔の指示で垂直に離陸した。飛行ルートは、瑞穂市の東部に広がる荒野にある飛行訓練区域を1周して、帰ってくるコース。操縦桿は、バレリーが握っている。

「由貴は、超音速飛行の技能証明書は、まだ無いわよね?」

「はい。中等免許だけです。編隊飛行の免許もありません」

 由貴は答える。いくら飛行機が身近な乗り物だと言っても、必要な免許はたくさんある。ただ飛ぶだけでも、有視界飛行と計器飛行があるし、ジェット機やレシプロ機も別だ。超音速飛行や、複数機で編隊飛行するにも、その技量を証明するものが必要となる。同じ空を飛ぶ乗り物とは言っても、スカイクルの延長というわけにはいかない。

「1年も仕事をしていれば、超音速飛行の方はすぐにとれるわ。近いうちに飛行訓練をして、あなたの技量を見せてもらうけど。良い?」

「はい」

「それから、今日はこの服のまま来てしまったけど、本当は飛行機に乗る時は、フライトスーツを着るのが規則よ。緊急出動でそのまま出ることもあるけど」

「エアポリスみたいに、普段から着ておいたらどうでしょう?」

「彼らみたいに空専門なら良いけれど、私たちは地上も受け持っているから、難しいわね。フライトスーツで街中を歩きたくないでしょう?」

「そうですね」

「由貴はフライトスーツやヘルメットは持っている? 支給品もあるけど、自分の物があるのなら、更衣室のロッカーに入れておいた方が良いわ」

「はい。分かりました」

 由貴は返事しながら、ホワイトウィングの右後方から現れた、エアポリス所属のフォックスに目を奪われた。少し前からレーダーに映っていたが、識別装置で正体は分かっていたので、バレリーは特に気に留めていないようだ。

〔エアフォックス01から、ホワイトウィングへ。そちらは、広域機動隊長ですか?〕

 フォックスが呼びかけてきた。バレリーは、ようやくフォックスの方を見て、

「小宮さんね。ご用件は?」

と聞き返す。その口調から、小宮の用件は分かっているようだ。

〔XV-9を掛けた勝負は、まだ受け付けていますか?〕

 XV-9を賭けた勝負の申し入れだ。バレリーは、由貴の顔を振り返って見ながら考え、

「そうですね。これが最後の勝負でしたら、良いですよ」

「隊長?」

 由貴は、抗議と疑問の声を上げる。XV-9はついさっき、由貴が乗ると決まった筈。なのに、今更それを賭けて勝負だなんて。負けたら、由貴の飛行機は無くなってしまう。それに、アーネストは由貴をパイロットに選んだのに。けれども、由貴の意志とは無関係に、話は進んでいく。

〔ルールは、いつもの通りで良いですね?〕

「今日は、ロックオン5秒にしましょう」

〔了解〕

 バレリーは、今度は由貴に向かって、

「由貴。操縦はあなたに任せるわ」

「はい?」

 バレリーの突然の言葉に、由貴は思わず、恥ずかしいくらい間の抜けた声を出した。

「実践的な空中戦を試す、良い機会だわ。あなたの腕を観させてもらうわよ」

「そんな。もし負けたら、飛行機を取られちゃうんですよ」

「そうよ。だから、負けないように頑張って。ルールは簡単。私たちは右へ90°旋回。10秒たったら、その後は自由よ。勝負は、機銃の照準に相手を捕らえた方が勝ち。今日は5秒ね。でも、本当に撃っちゃ駄目よ」

 バレリーはさらりと言う。由貴の意見は通らない。由貴は仕方なく、操縦桿を握る。由貴は不安だった。由貴は、航空課程の実習生としてエアポリスにいたことがあり、小宮の腕前は承知している。小宮は、ホワイトウィングを操っているのはバレリーだと思っている。そうでなくても、あのXV-9を賭けているのだから、手加減してくれる筈もない。

 フォックスは、今では旧式の部類に属する警察専用機。練習機T-4と比較しても、機動性は劣る。ただ、勝敗を決めるのは機体ではなく、パイロットの腕。車のレースに例えるなら、技術があれば軽自動車でも普通自動車に勝てる。性能で勝っていても、ホワイトウィングを操りきれなければ、由貴は負ける。

 ホワイトウィングは右に、フォックスは左に90度曲がる。そして10秒後、2機は戦闘体勢に入った。

 由貴は、操縦桿を前に倒す。目の前には、地面だけが広がる。高度計が目的の数字を指すと、今度は操縦桿を引いて、機首を持ち上げる。首を目一杯動かして小宮のフォックスを探す。右後方にそれを見付けると、操縦桿を右へ倒し、やや手前に引く。

 後ろへ回り込もうと大きく旋回してくる小宮に、由貴は、同じ向きに旋回することで対抗する。旋回性能に優れていれば、相手の後ろに回り込むことができる。しかし、思うようにはいかない。ホワイトウィングの性能は優れているが、由貴は、反応が機敏すぎるこの機体を操りきれなくて、攻めの飛行をためらっている。ちょっとしたミスが、失速という事態を引き起こしかねない。自分が操縦ミスをしないか、という恐怖と、負ければ自分の飛行機が無くなる、という2つのプレッシャーが、自然と由貴の呼吸を荒くする。ただ、守りの姿勢のままでは勝てない。

「由貴。もっとスロットルを開けて。後ろに回り込むのよ」

 バレリーはアドバイスを送る。由貴は、言われたとおりにしようとスロットルを開けるが、旋回の外側に飛び出しそうになり、慌ててスロットルを戻した。折角近づきつつあったフォックスの背中が、頭上後方にスーッと離れていく。

 フォックスが機体を左にひねり、視界の下に消える。由貴は水平飛行に戻り、フォックスを探す。左頭上を後ろの方へ向かうのが見え、由貴はスロットルを開けて後を追う。2機は円のほとんど反対側にいる。速度を上げて追いかけるのも良いけど、少々時間がかかるし、身体にのし掛かるGも大きい。由貴はスロットルを僅かに絞り、減速して機首を円の内側に向け、最短距離を進む。フォックスは上昇する。減速しているホワイトウィングは、スロットルを開けてもすぐには追い掛けられない。速度が増したときには、フォックスはホワイトウィングの後ろに付きつつある。

 負けると思った方が、負け。世間ではよく言うけれど、勝つ気でいけば何とかなる、というものでもないと思う。絶対勝たなければならない場合、どうすれば良いのか? そもそも、こんな勝負で飛行機を取り合うなんて。時代遅れも良いところ。飛行機の配備は計画的に行われる筈。でも、自分が広域機動隊に来なかったら、XV-9はどうなっていたんだろう?

 由貴の思考は、勝負の最中にそんなことを考え始めた。考えつつも、フォックスから逃げるべく操縦を続けている。今のところ、フォックスの照準には捕まっていない。けれども、追われてばかりでは勝てない。さて、どうしたものか。

 由貴は高度と速度を確認し、スロットルを開けてスピードを上げた。そして操縦桿を引く。ホワイトウィングは縦のループに入った。フォックスも追従してくる。由貴は、これで逃げられるとは思っていない。一つ目のループが終わっても、由貴はそのままループを続ける。フォックスはまだ追ってくる。二つ目のループのとき、由貴は頂点付近で機体を180度横転させた。今度は反対向きに別のループを描き始めた。二つ目のループは、垂直に8の字を描くバーティカル・キューバンエイトという技だ。ただ、一つ目のループを決めた後なので、8の字の上半分のループはかなり小さくなり、後半はほぼ垂直降下だ。

 由貴は首を回して、フォックスを探した。8の字飛行にはついてきていない。2つ目のループを成功させたか、途中で止めて垂直ターンしたかのどちらかだ。それによって、追いかける方向が180度変わる。由貴は首を上げる。頭上に機影はない。

 由貴は再び機体を180度横転させた。遠ざかる機影を見つけた。フォックスだ。由貴より低い所を、左旋回している。由貴は急降下を続けて増速しながらフォックスを追った。由貴のHMDに、由貴の視点と機銃の照準が現れ、視点と照準が近付いていく。その2つが重なったとき、照準が赤く光った。

 普通なら、ここで攻撃ボタンを押すことになる。今はただの勝負なので、5秒間相手を照準に捉え続けるだけ。警察学校で乗っていた訓練機は、武器を積んでいなかったのでボタンを押したが、ホワイトウィングは実際に武器を積んでいる。今は安全装置が働いているとはいえ、ボタンを押したら、取り返しのつかない事態になるかも知れないので注意する。

「勝負ありね。ご苦労様」

 勝負を見届けたバレリーは、操縦を自分の手に取り戻した。由貴は操縦桿を放し、シートに身を任せる。何気なく手を額にやると、べっとりと汗が付いてきた。

 ホワイトウィングは速度を上げ、本部に向けて進路を取った。

「さっきの技、初めて見る技だったわ。どこで覚えたの?」

 バレリーは聞いた。

「あれは……ゲームセンターのゲーム機で練習してました」

 ループとキューバンエイトを連続して繰り出して相手を混乱させ、高い位置から急降下して相手の背後を取る。これは、由貴がゲーム機で編み出した技だ。今時のゲーム機は想像以上にリアルな作りで、360度座席が動き、装着するゴーグルには、本物と見紛うような映像が映し出される。加えて、リアリティを徹底した動きは、パイロット養成に使うようなシミュレータと同等のものを遊戯者に提供した。由貴がパイロットの資格をすんなり取れたのも、このゲーム機のおかげだろう。その代り、一回のプレイ金額はかなり高く財布には優しくない。

「ゲーム機で? 今時のゲーム機は、すごいのね。でも、飛行機を使った犯罪にはすぐ出動してもらっても大丈夫そうね」

 バレリーはそう言った。由貴は不安げに、

「いきなり、現場に出るんですか?」

「学校で、ある程度の経験は積んでいるでしょう? 大丈夫よ。みんなでサポートするから」

「本当に、大丈夫でしょうか?」

 やはり、由貴の不安は拭い去れない。

「そんなに怖がることはないわ。早く現場に出た方が、気分も楽になるわよ」

 バレリーは、答えた。そして、思いついたように、

「そうだ。今夜、あなたの歓迎会をしようと思うけど、都合は良い?」

「はい。あっ……明日は卒業式だった」

「門限前には帰れるわ。私たちの課は、夜は滅多に事件はないけど、近場でやりましょう。ところで、お酒は飲める?」

「あまり強くはないですけど。世間並みには」

「それなら大丈夫ね。今夜は、嫌なことを忘れて、楽しくやりましょう」


 午後5時を過ぎ、広域機動隊のメンバーは仕事に切りを付け、バレリーたち3人は、市電で数分の所にある洋食屋に来た。ナビ・ロボットのアルとコンスは、勤務時間外に外を出歩くことは禁止されているので、残念ながら参加できない。他にも理由がある。彼らは夜間、広域機動隊のオフィスで待機し、緊急時には捜査員に速やかに連絡をとる役目を負っている。彼らがいるからこそ、広域機動隊のメンバーは、普段は夜勤がない。

「たった3人だから、どこでも会を開けるのが良いわね」

 4人掛けの丸テーブルの席に着いたバレリーは、店のメニューを開きながら、言った。

「2人だけだと、逆に何もできなかったですからね」

と、バレリーの左に座ったレイ。由貴は、レンズの色の薄いサングラスを掛けたまま、バレリーの正面に座った。

「さあ、適当に頼んで良いわよ。ただし、後で会費に響いてくるけど」

「奢りじゃないんですか?」

 レイは、冗談で聞く。

「それは無理。2人分まで負担できないわ」

と、バレリーは返す。そして、薄暗い店内でサングラスを掛けたまま、壁の黒板にチョークで書かれた、店のおすすめメニューを必死に見ている由貴に気付いて、

「由貴。サングラスを掛けたままで、見えるの?」

「えっ? ええ、何とか…」

「サングラスを外しても大丈夫よ。そんなに明るくないから」

 バレリーに言われ、由貴は恐る恐るサングラスを外す。

「うん。そんなに目立たないよ」

 レイはそう言って、由貴を安心させる。

「まっ、とにかく、何か注文しましょう」

 メニューを、全員が見えるようにテーブルの真ん中において、バレリーは右手を挙げ、店員を呼んだ。3人分のビールと、大皿の料理を3種類注文する。この店は料理がメインで、居酒屋のように酒のつまみになるような物は少ない。むしろ、料理を楽しむための酒のほうが揃っている。

 ジョッキに注がれたビールが、先に運ばれてきた。当然だが、料理はすぐには出てこない。

「私が隊長になって、初めての新人に、乾杯!」

 バレリーはそう言って、ビールの入ったジョッキを高く掲げた。大したことをしたわけでもないのに、ちやほやされて、由貴は戸惑いを感じつつ、照れ笑いで誤魔化していた。

「そういえば、俺が入って2年目に、隊長になられたんでしたっけ」

「あの時は急な人事だったから、大変だったわ。昇進したと思ったら、急に隊長をやれ、ていうのだから」

「隊長の階級は今、警視ですか?」

「まさか。警部よ」

 バレリーのような大学出身者の場合、由貴たちと違い、警察学校に入学の時点で警部補となる。彼女が、その年齢で警部の階級にいるのは、瑞穂警察では普通のこと。しかし、隊長のポストには通常、本部では警視の階級の人間がなる。広域機動隊にそのルールが当てはまるのかは、由貴には分からないが。

「広域機動隊に来てくれる人が、いないのさ」

と、レイ。

「ごめんなさいね。私に魅力が無くて」

 笑いながら、レイに絡むバレリー。レイは、苦笑いを浮かべながら、

「いや、隊長が悪いと言っているんじゃないですよ」

「ところで、広域機動隊って、元は何だったんですか?」

 由貴は聞く。

「私たちの前身は『警備部特殊機動課』と言って、元は本部長が直接指揮権を持つ組織だったの。今と仕事の内容はほとんど変わらないのだけれど、いかんせん、今は極端な人不足なのよね」

「どうして、今みたいな状況になったんですか?」

「そうね。一言で言うなら、やり過ぎたってことかしら。色々な事件に口出ししたり、手柄を持っていったりして、周りからの風当たりが強くなったそうよ」

「それで、特殊機動課を快く思っていなかった刑事部出身の人が本部長になって、広域部に編入された」

 レイが付け足す。

「その頃からよ。他の事件に介入する権限を持たず、継続捜査もしない。言うなれば、対凶悪犯専門の機動捜査隊、かしら」

「命の危険ばかりが多くて、やり甲斐もあまりないから、人も減る一方。それで、今はこの人数ってわけだ」

「よく、周りが何も言わないですね」

「誰も、何も言わないさ。広域機動隊は赤文字の部署だから。存続している事さえ不思議なくらいさ」

「そう。奇跡的なくらい」

 バレリーはため息をつく。

「私に務まりますか?」

 不安に駆られた由貴が聞くと、

「大丈夫よ」

「俺がまだ、ここにいるくらいだから。不安になる必要はないさ」

 バレリーとレイは交互に言い、バレリーは由貴の腕を掴んで、

「イヤだといっても、もう離さないから」

と、(おど)けて言った。


 広域機動隊の3人のテーブルから離れたところに、指名手配の男が2人いた。飛鳥革命軍の幹部だ。その2人の所に、ヒルダは、部下の男を連れて現れた。

「あの連中が、あんたたちの邪魔をしたっていう連中かい?」

 椅子に腰掛けたヒルダの口からは、スラスラと飛鳥語が流れてきた。ところが、1つ1つの単語の発音は正確なのに、それが1つの文章になると、おかしく聞こえ、逆に聞き取りにくい。まるで、駅の自動アナウンスを聞いているようだ。

「広域機動隊。外人の女が、隊長のバレリー・スタンフォード。男の方はレイ・島崎。もう1人の女は、初めて見る顔だ」

「聞いた話では、連中は数人しかいないそうだね? そんな連中にやられるとはね。あなたたちとの関係を見直さなければいけない」

「冗談じゃない。あいつらは戦闘機まで持ってるんだぜ。普通の装備じゃかなわない」

「ああ。まるで軍隊だよ」

 男たちが口々に言う。女は鼻で笑い、

「この前は、自分たちは軍とも渡り合えると自慢してたじゃないか」

「戦闘機を持っているような連中が相手じゃ、敵うものか。もっと強力な武器がいる」

「冗談じゃないよ。これ以上、無駄に時間と労力を使うわけにはいかないんだ。あの連中の事などほっといて、私の指示に従いな」

「だが、俺たちの目的を達成するには、武器が必要だ」

「あんたたちの目的なんか、どうだって良い。第一、1度潰れた組織を、ここまで再生させられたのは、誰のおかげだと思っているの?」

「分かった。だが、敵討ちだけはさせてもらうぜ。それくらいは良いだろう」

「そうしなければ、組織としてのけじめが付かない。それが終わったら、あんたの指示通りにする」

 ヒルダは、2人の男の顔を交互に見て、2人の意思を確認した後、

「いかにも飛鳥的な考え方だねぇ。いいわ。それは認めましょう。ただし、チャンスは1回だけだよ」

「分かってる」

 もう1人の男は、返事の代わりに小さなため息をつき、広域機動隊のテーブルを見る。相手との距離は、十数メートル程。近いと言えば近いけれど、間に幾つものテーブルがあり、衝立もあるので、ジロジロ見ていても気付かれることはない。男の視線は、自然と、新顔の由貴に向けられる。

「あの小さい方の女、気味が悪いな。どこの国の人間だ? 赤い目をしてるぜ」

「赤い目だって?」

 驚きの声を上げるヒルダ。男たちはびっくりして、ヒルダの顔を見る。ヒルダは、由貴の顔をじっと見つめた。何か思い当たる節があるのか、

「まさか……ねぇ」

「あの女を知っているのか?」

 ヒルダの正面に座る飛鳥人の男は聞く。ヒルダの由貴を見る目は、昼間の憂鬱そうなあの顔からは想像できないくらいの真剣さ。ヒルダは首を横に振り、

「いいえ。多分、気のせいだと思うけど」

 ヒルダはそう答えた後、すぐに考え直して、

「あの娘について、詳しく知りたいね。すぐに情報を集めてちょうだい。但し、私以外には内緒でね」

「ああ。どちらにしても、調べるつもりだった」

 ヒルダの左に座る男が、答えた。


 次の日、由喜は卒業式に臨んだ。

 卒業生は男性200人に対し、女性は25人。警察は未だに体力や筋力がものを言う世界だ。式には卒業生と教員が出席し、在校生は基本的には外で待つ。式の執り行われる講堂は、225人の卒業生と数十人の教員、ブラスバンド部の隊員たちでいっぱいとなる。卒業式は大事な節目となる行事なだけでなく、本部長たち警察幹部や市長も参席するので、嫌がおうにも荘厳な雰囲気に包まれる。

 卒業式も無事に終わり、卒業生は順番に講堂を後にする。卒業という儀式を終えた後の風景は、彼らが制服を着ていること以外は、大学等のそれと代わりはない。笑顔や涙顔、記念写真を取り合う者や、或いは感傷に浸る間もなく講義室に移動する者。彼らを見ていると、ここが警察学校であることを忘れさせる。

 席を立った由貴は、左隣から声を掛けられた。彩香だ。

「広域機動隊はどうだった?」

 2人は、会場を後にする人の流れに乗って移動する。

「大変だったよ。行った早々、緊急出動に付き合わされて。でも…」

「でも?」

「何て言うか。噂通りに大変かもしれないけど、面白そうだった。人は少ないけど、みんな良い人だし」

「ふ~ん」

 由貴にとって、噂に聞く広域機動隊の印象が意外と良いものだったので、悪い方を期待した彩香はつまらなさそうだ。

「それから、ナビ・ロボットが相棒に付くみたい」

「ナビ・ロボットが? 良いなぁ」

 彩香は、今度は素直に羨ましそうな声を出す。ナビ・ロボットは、普通の部署には配備されていない。ナビ・ロボットは高価なのだ。

「彩香の方は、どうだったの?」

「私? 普通だったよ」

「普通って?」

「だから、普通の刑事部屋なんだって。部屋は広かったけど、みんな出払ってて、ほとんど人がいなかったし。何だか、お堅い雰囲気って言うか」

 希望した部署の筈なのに、彩香は少し不満げだ。

「でも、希望してたんでしょう?」

「そうなんだけどね。強行犯係の方が良かったかな」

 彩香はため息をつく。

「強行犯係は定時に上がれないって言うじゃない。でも、同じ本部勤務で良かった」

由貴は慰めの意味も込めて、話題を変える。

「そうだね。で、由貴の所は、何時から出てこいって言われた?」

「えっと、引っ越しが終わってからで良いみたい」

「そう。私は、出来るだけ早くって言われたよ。今日も、午後から行こうと思うけど」

「え? 今日も行くの?」

「うん。午後は暇でしょう? 早く職場の雰囲気に慣れようと思って。由貴も行かない?」

「う~ん。そうね、私も顔を出してこようかな」

「じゃあ、一緒に行こう。ところで、引っ越しは何時にする?」

「一応、荷物はまとめてあるから、寮の決定通知が来たら、すぐにするつもり」

「いいなぁ。私はまだ。今日中には片づくと思うけど」

「そんなに荷物があるの?」

 由貴は驚く。警察学校では、法律の勉強や体力作りのトレーニングで、趣味の時間なんて皆無に近い。故に、荷物も日用品以外はほとんどないのが現実だ。その気になれば、1日で片付く筈なのに。

「本が多くて、箱が足りないの」

「マンガの本、捨てたら?」

「捨てられないよ。貴重な物ばかりだもん」

 彩香は答える。由貴は腕時計を見た。卒業証書受け取ったら、後はすることはない。

「そろそろ行こう」

「そうだね」

 由貴と彩香は、教室に向かう人の流れに加わった。


 卒業証書の受け渡しなどが終わったのは、午前11時前。その後は卒業式後の定番として、記念写真の撮影や友人同士の雑談等が校内の至る所で始まった。ただ、忘れてはいけないことは、自分たちの配属先へ早く着任すること。それから、引越の準備等。とはいえ、寮に入っていた彼らの荷物の量は知れているし、配属先も昨日の時点でほとんど決まっているので、それほど大変ではないかも。大変なのは、広域機動隊配属を断って配属先がまだ決まらない数名くらいか。とはいえ、彼らも明日には別の配属先が決定するだろう。

 記念写真やら、同期生や後輩との談話も一息ついた午後。由貴と彩香は瑞穂警察本部へ行こうと、彩香の車のある駐車場へ向かう。余談だが、由貴は車を持っていない。

「寮の決定通知、今日には出るんですって」

 車のキーを右手で玩びながら歩き、彩香は言った。

「じゃあ、早ければ明日には引っ越せるんだ」

「本部の寮なら、学校でトラックを借りて、まとめて運んでくれるそうだよ。そしたら、明後日には着任かぁ」

「けど、正式な辞令は4月1日付けでしょう? そんなに早く行っても、やることないと思うけど」

「環境になれる時間、といったところじゃない? 私の場合、着いた早々現場に駆り出されると思うけど」

「広域機動隊はどうかなぁ? 一応昨日、出動体験はしたけど、普段は何してるんだか。職場のイメージが湧かないのよね」

「確かに、悪い噂はよく聞くけど、普段はどういう仕事してるのかな?」

 駐車場に着き、自分の車の右側に立つ彩香。近づくだけで、車の全てのドアロックが解除される。その音を確認して、彩香は運転席のドアを開ける。

「昨日の感じでは、普段は待機していて、重火器を使った事件が起きたら出動するみたい。実際、昨日の犯人はマシンガンを撃ってくるし、こっちはこっちで、武装したヘリで、しかもロケット弾を使ったし」

 由貴は助手席のドアを開ける。2人はそれぞれのシートに納まった。

 彩香の車は2ドアで、ハッチバックの5人乗り小型普通車『エイプリル』。小さなボディの割にエンジンの排気量は大きい。ダッシュボードの上には、小さな犬のぬいぐるみが3つ並んでいる。

「へ~。どんな事件?」

 聞きながら、車のエンジンを掛ける彩香。

「飛鳥革命軍のリーダーを乗せた護送車が襲撃された事件」

「ウッソー? 昨日のあれって、大変な事件だったらしいじゃない。初日からそんな所へ行ったの?」

 彩香は目を大きくして驚く。

「うん…」

 由貴は頷いて肯定するが、それ以上事件についてしゃべるのをやめた。犯人が重火器を使ってきたとはいえ、反撃の結果、犯人側に死者が出たのだ。これから、そういう場面に何度も出会うのだろう。危険な現場に真っ先に向かうのが、広域機動隊の使命なのだ。

昨日の現場が由貴の想像以上だったことに気付いたのだろう。彩香はそれ以上聞くことはせず、

「大変だったんだね」

と言うしかない。しかし、彩香は次の瞬間には心を切り替え、オートマチックのシフトレバーをリバースにセットする。

「由貴、時計」

 彩香の一言を受けて、由貴は我に返り、やや面倒くさそうな顔をしながら、左腕の腕時計を身体の前に出す。

「いいよ」

 彩香はアクセルを踏み込んで、車をバックで駐車スペースから出す。車を出口方向に向けて止め、シフトレバーを「D」に入れ、車を急発進させる。それと同時に、由貴は腕時計のストップウォッチボタンを押す。

 彩香の車は、駐車場から、学校の正門まで延びる道に飛び出した。この区間には、センターライン上にコーンが置かれている。その間隔が丁度良いらしく、車はタイヤを軋ませながら、コーンをジグザグにぬって走る。

 彩香はハンドルを忙しく回しながらも、一定のリズムでコーンをクリアしていく自分の車に満足げな笑みを浮かべる。隣の由貴は時計の時間表示をじっと見つめながら、激しい揺れと体感速度に耐えている。90度右カーブの手前で車は急減速し、車体を傾斜させながら曲がって、再び加速する。その50メートル先には一時停止の標識のある交差点。加速したと思ったら、車はまた減速する。停止線の上で停止すると同時に、由貴はストップウォッチを止めた。

「58秒44」

 由貴は数字を読み上げる。

「うん。今日は調子が良いみたい。じゃあ、行こうか」

 そういうと彩香は、今度は車をおとなしく走らせた。ハンドルを握ると性格の変わる人間。彩香は、顔などには出さないけれども、運転は明らかにそうだ。スピード狂ではなく、走りそのものを楽しんでいるのだけれども、小型車をスポーツカーのように扱うので、かなり危険な運転に見える。幸い、公道では絶対に無謀な運転はしないけれども、だからといって学校内で許される行為でもない。

「調子良いのは良いけど、守衛さん、また睨んでたわよ」

 由貴がしかめっ面で言うと、彩香は、

「あの人、普段からそう言う顔なんだって」

「いえ。あれは絶対、彩香の運転に対してだよ。スピード出し過ぎだから」

「そんなこと無いよ。私の運転がスピード出し過ぎなら、800キロ出してる由貴はどうなの?」

「私のは、ジェット機での話じゃない。車と一緒にしないでよ」

 由貴は急に怒り出す。彩香は、由貴をなだめるように小さな笑みを浮かべながら、

「冗談だって」

と言い、それから少し悲しそうな顔で、

「実はさ、この車、手放そうかと思って」

「買い替えるの?」

「ううん。売っちゃうの」

「えっ? 勿体ない」

 軽く驚く由貴。車好きの彩香が車を手放すなんて、想像できない。

「勿体ないけど、駐車場が借りられるか分からないし、乗ってる暇もあるか分からないし」

「まあ、そうかもしれないけど。あれば便利だと思うよ。で、どの駅に向かう?」

「駅なんか行かないよ。本部に直接行くから」

 彩香は答える。由貴は少し顔をしかめる。というのも、一般車両が瑞穂市中心部へ向かうには、何かと規制があるからだ。

「え? 車で市内に入ったら、お金はかかるし、他の人達も行ってるだろうから、駐車場が空いてないんじゃない?」

「大丈夫だよ。駐車場は広いし、直接行った方が時間は掛からないよ」

「駐車場代や、通行料は?」

「当然、2人で折半」

「…やっぱり、そうだよね」

 予想通りの答えだったが、由貴は小さくため息をついた。


 由貴は、昨日と同じように広域機動隊オフィスへ続く廊下をそろりそろりと慎重に歩いた。毎日はここに通うことになるのに、どうも実感が湧かない。そう、これからは同僚から離れ、彩香とも別れ、1人で新しい人間関係を築かなければならない。見た目の異様な由貴は、仕事の内容よりも職場の人間関係を重視する。

 広域機動隊の面々は、昨日の感じでは良い人たちだと思う。けれども、由貴は人一倍人見知りするし、人間不信も強い。

 オフィスの扉の前に立つと、由貴は、一呼吸置いてドアのタッチセンサーに触れる。ドアは静かに開き、今日は平穏なオフィスが目の前に広がる。

 バレリーは右手の隊長席で端末と睨めっこし、レイは左手の自分の席で書類を書いている。アルとコンスは、段ボール箱に整理された書類を、書庫へ運ぶ台車に乗せていた。

「由貴。こんにちわ」

 バレリーは由貴の顔を見て、挨拶をした。レイも頭を軽く下げる。由貴は深々と頭を下げてから、オフィスに入った。

「ちょうど良い所に来てくれたわ。あなたの寮が決定したの。このビルの17階の女子寮よ」

 バレリーは言い、寮決定通知書を由貴に見せた。由貴は隊長席に近づいて、その紙を受け取った。

「それから、本当はまだ駄目のだけど、広域機動隊では、勤務中は銃を携帯しなければいけないの。銃は昨日、おやじさんから受け取っているわ」

 バレリーは席を立ち、由貴を銃の保管庫へ連れて行く。保管庫は、オフィスの廊下側の壁に立っている背の高いロッカーだ。鍵はテンキーで数字を入力することで開く。バレリーは由貴に保管庫のキー番号を教え、開けさせる。そして由貴は、昨日登録したばかりの自分のブラスターを手に取る。バレリーが扉を閉じると、保管庫は自動的に鍵がかかった。

「それと、他にも渡すものがあるわ。警察官の必需品ね。まずは、あなたの正式な警察手帳。本当は、もっと後で渡すべき物なんだけど、配属の意志が固いから、問題ないでしょう。私の手で渡すのは、初めてだわ」

 バレリーは自分の机に戻り、引き出しを開けて、警察手帳を由貴に手渡す。今まで使っていた学生用の身分証に比べ、作りが格段に良い。正面には、瑞穂警察のマークと、由貴の顔写真。開くと、右側は紙の手帳、左側は電子手帳になっていて、テレビ無線にもなる。下の部分に端子があり、仲間の手帳と繋ぐことによって、情報を交換することもできる。

「これは、広域機動隊専用の通信機。支給品のガンホルダー、手錠に――後は何だったかしら?」

「それだけです、隊長」

 段ボールを片付け終えたコンスは言った。だが、レイの隣に立つアルは、

「違うよ。手帳その他の受領書と、給与振込申請等の提出書類がまだです」

「そうだったわね」

 バレリーは、デスクの上の封筒を手に取り、由貴に手渡した。

「ここに、重要な書類が入っているわ。これに必要なことを記入して、広域総務課へ今週中に提出しなさい。でないと、給料が貰えないかもよ」

 それからバレリーは、ホワイトボードの予定表や、隊長席近くの壁に作りつけになっているモニターを見て、特に予定が入っていないことを確認し、

「今日は何もすることがなさそうね。折角く来てくれたのだから、XV-9『アレックス』の様子を見てくると良いわ」

と言い、そして、

「それから、今日未明のことだけど、森山の陸軍基地の兵器処分場から、解体処分前の攻撃ヘリAH-2『サラマンダー』が盗まれるという事件があったわ。今のところ、私たちの担当じゃないけど、場合によっては捜査に参加する事になるかもしれないわ。由貴は初めてで大変だと思うけど、心構えだけはしておいて」

と、思い出したように付け加えた。


 由貴は、47階の装備課の整備工場に向かった。

 47階の廊下で由貴は、工場から出てきた人物を見て、頭を下げた。その人物は田村冴子。エアポリスの業務係長で、警部だ。由貴は航空課程を専攻していた時、エアポリスの訓練に参加したことがある。冴子は、由貴より背が少し高く、華奢な身体は、およそ警察官には見えない。大きくクリッとした目の目尻は少しつり上がり、顔の彫りは深くはなく、鼻は丸く少し高い。髪はやや長めで、右前髪は、根本から少し跳ね上げてから垂らしている。

「神代さんじゃないの。お久し振り」

「ご無沙汰しております」

「無事に卒業できた?」

「はい」

「そう。昨日来なかったから、別の所に配属になったのね。残念だわ。エアポリスに来てくれるものだと思ったのに。配属先はどこになったの?」

 冴子は、由貴の内定先を知っていて、聞いた。機動捜査隊を断って、エアポリスに来てくれることを期待して。

「それが……広域機動隊です」

 由貴は、人目をはばかるかのように小さな声で答えた。広域機動隊には悪い噂ばかり広がっているようなので、堂々とその名を出せなかった。もしかしたら、という期待は外れ、冴子は急に険しい顔をした。学生が皆避ける所を、由貴は進もうとしているからだ。

「広域機動隊に入るの?」

「はい。危険な部署だと聞いたので、ちょっと恐いですけど」

「広域機動隊の隊長は同期だから、よく知っているわ。でも、本当に広域機動隊で良いの?」

「えっ? でも、もう決めちゃったので」

「そうか。もしかして、あの飛行機のことは聞いた?」

「XV-9ですか? そうです」

「なるほど。あなたの腕なら、おやじさんも納得するかな」

 冴子は工場の入り口を見て、髪を右手で掻き上げながら言った。次に、由貴の方へ顔を戻し、

「じゃあ、ここへは、飛行機の様子を見に来たわけね」

「そうです」

「だけど、大丈夫? 広域機動隊がどういうところか、本当に知っているのなら良いけど。確か1週間の猶予があるのよね? 神代さんが決めたことを、とやかく言うつもりはないけど、もし広域機動隊が嫌になったら、いつでも来てね。待っているから」

「…考えておきます」

 冴子の言葉に、由貴は困惑した顔で答えた。冴子は階段の方へ向かい、由貴は、工場の中に進んだ。

 由貴はサングラスを掛け、整備工場に入った。昨日、アーネストがこの赤い目を見て驚いたのだから、他の整備員も同じ反応を示すに違いない。そう考えて、あらかじめ目を隠すことにした。

 XV-9アレックスの整備には、数人が当たっていた。アーネストもその中にいた。由貴はアーネストに近付いたが、昨日初めて会ったばかりなので、どう声を掛ければ良いか分からない。

「由貴か。どうした?」

 逆にアーネストに声を掛けられる。硬い表情のまま、由貴は、

「隊長に、アレックスの様子を見てくるように、と言われまして」

「そうか。作業の方はもうすぐ終わる。警察用の火力を抑えた機銃を積んだ。プログラムを変えて武器を使えるようにして、後は燃料を入れるだけだ」

 広域機動隊は、扱う事件の特殊性から武装を許可されている。とはいえ、ここで使うミサイルは、相手の電子頭脳を破壊するジャミングミサイルと、その名の通りのペイント弾の使用が基本で、実弾は最終手段。機銃も口径を小さくして威力を弱め、逃亡阻止に重点を置いている。それでも殺傷能力はあるので、使用には慎重を要する。

「それより、倉庫内でサングラスを掛けて、見えにくくないか?」

 アーネストは不思議そうに聞いたが、由貴は首を横に振り、

「いえ」

「まだ、昨日のことで怒っているのか?」

「そうじゃありません。ちょっと、眩しいだけです」

「ああ、分かるよ。私も外へ出ると眩しく感じる。ところで、由貴のその瞳の色は、親譲りか?」

 アーネストは、由貴の顔色を伺いながら聞く。

「えっと……多分、病気だと思います」

 由貴は嘘を付いた。病気じゃないことは、今までさんざん調べられて、はっきりしている。

「そうか」

 アーネストは言葉を詰まらせる。その場の空気が重くなり始めたので、由貴は、

「いや、生まれた時からですし、重い病気じゃないと思いますよ。今まで、見た目以外で苦労したことありませんから」

と言うが、アーネストは、暗い顔で由貴を見つめる。

「そうか? 私は、遺伝だと思うが」

「えっ?」

「いや、私の意見など気にするな。私は医者じゃないのだから」

アーネストは、由貴の目をじっと見ながら答える。由貴は他人と目を合わせるのが苦手で、視線をすぐに逸らす。

場の雰囲気が気まずくなって、由貴は話題を変えようと、

「それにしても、変わった形の飛行機ですよね。これ、高いですよね?」

 由貴が聞くと、アーネストはやっと表情を和らげ、

「実験機だ。売り物じゃない。だから、いくら金を積んでも手に入らんよ」

「そんな飛行機が、どうしてここにあるんですか?」

「富士見重工は、瑞穂警察の資金の約10パーセントを出資しているだろう。その関係で譲られたものだ。いわゆる、寄付だよ。もっとも、バレリーが頼み込んだのだが」

「隊長が?」

「ああ。広域機動隊に、少しでも人材を集めようとしてな」

「そうだったんですか」

 広域機動隊は極端な人材不足。そういえば、由貴の他にも、広域機動隊配属の辞令を受け取った同僚がいる筈なのに、一度も顔を見ていない。噂を聞きつけて、早々に転属願を出したか。確かに、昨日のような事件に真っ先に飛び込んで行かなくてはならない、とあれば、誰だって躊躇する。

 まあ、良い。隊長は良い人だし、島崎という人ともうまくやっていけそうだ。後は、由貴自身にこの仕事がこなせるかどうか、だが。

「XV-9のことは心配するな。あと2時間もあれば、飛べるようになる。それよりも、マニュアルは読んだか?」

「それが、その……まだです」

「だろうな。マニュアルを読むより、実際に飛んだ方が、覚えるのも早いだろうし」

「そうですね」

「じゃあ、ちょっと来てくれ。飛ぶまでの手順を教えよう」

 アーネストは、梯子をコックピットの縁に掛け、梯子を登って操縦席に乗り込んだ。由貴も梯子に掴まって、座席の横まで上った。

「見ての通り、コックピットは普通の飛行機とほとんど変わらない。操縦桿が真ん中ではなく、右にあるのが違う所だが、すぐに慣れるだろう」

 アーネストは操縦桿を指さしながらいう。

「ついでに説明しておこう。こいつが普通と違う点だが、XV-9の緊急脱出装置は、コックピットごと脱出するようになっているし、射出座席でも脱出できる。座席にパラシュートが付いているから、何にも持って乗る必要がない」

 アーネストは座面横の黄色いレバーを指さしながら言った。彼の説明は、今度は左操作パネルに移り、

「それから、XV-9に限らず、広域機動隊の飛行機は全部、外部動力源無しにエンジンを始動できる。但し、バッテリーの残量と、空気圧力計の値に常に注意すること。このスイッチを押して右エンジンを始動。出力が十分上がったら、左エンジンを始動させる。」

 アーネストは、各装置を指で指しながら説明した。

「エンジン始動は、T-4と同じですね」

「まあ、この手の飛行機は大体似たような形をしている。違う飛行機に乗るたびに混乱されても困るからな」

 そう言った後に、アーネストは付け加えるように、

「ただ、XV-9が特に他の飛行機と違うのは、操縦者の能力に応じて、操縦のレベルを選ぶことができることだ。簡単に言えば、プロならハイレベルな飛行が。初心者でも、それなりの飛行ができる。つまり、操縦にコンピュータがどれだけ介入させるかを選ぶことができるんだ」

「ふーん」

 由貴は長い、気の抜けたような相槌を打つ。

「真面目に聞いているのか?」

「簡単に言うと、誰でも一定レベル以上の飛行ができるんですよね?」

「まあ、そういうことだ。エンジン出力が安定し、エルダ・ドライブが正常なら、離陸準備OKだ。難しいことはないだろう?」

「そうですね」

「それからXV-9には、常に最適な飛行ができるように、幾つかの飛行モードが選択できる。通常、高速、高々度、戦闘、高々度戦闘だ。あと、学校やエアポリスの飛行機と違って、こいつは実弾を積む。実験機だが、実際の用途は戦闘機だ。それを忘れるな」

 アーネストが席を立ったので、由貴は梯子を下りた。アーネストは下に降りると、

「ところで、由貴は、高等免許は持っているのか?」

「いいえ。中等免許です」

「そうか。折角の超音速機なのに、残念だな。まあ、XV-9は亜音速域での機動性を重視して造ってあるから、中等免許で十分だが。だけど、無茶な飛び方はするな。特に、主翼がデリケートにできている」

「分かっています。XV-9は、防弾仕様になっていないのですか?」

「いいや。コヨーテだって、防げるのは普通の銃弾までで、対空機関銃までは無理だ。XV-9の場合は、防弾板で銃弾を食い止め、内部の損傷を防いでいる。まあ、一部には、完全防弾板を使っているが」

「どうして、それを全体に使っていないのですか?」

「お前さんが20億くらい出してくれたら、何時でも改造してやるぞ」

「そんなに高いんですか?」

「加工賃抜きでな。おっと、話が長すぎたな。もう、戻った方が良くないか?」

「そうですね。じゃあ、私はこれで失礼します」

 由貴は、整備工場を後にした。


 広域機動隊のオフィスに戻った由貴だったが、自分の居場所が分からないことに気付く。確かに、自分の机は決まっているし、自分が広域機動隊の人間になったことは、十分認識している。問題は、自分が今、何をすべきか分からないことだった。担当する事件を抱えているわけでもないし、自分の役割もまだ把握していない。新しい職場で右も左も分からず、勝手に動くこともできない。

 運の良いことに、バレリーの机の電話が鳴った。当麻部長からだ。他の全員がバレリーの机に集まったので、由貴もそれに習う。

〔広域機動隊長。今日は全員揃っているか?〕

「はい。神代巡査も、正式な着任の前にここに来ておりますが」

〔そうか。本当に来てくれたのだな。それは良かった。ところで1つ、頼まれて欲しいことがある。実は、昨日の襲撃事件で逮捕した飛鳥革命軍の西村を本部まで移送することになったのだが、それを陰で護衛してもらいたい〕

「秘密裏に、ですか?」

〔君たちは昨日のこともあるから、表立って動かない方が良いだろう〕

 当麻の話を聞いている間、コンスは、警察のデータベースを検索し、西村に関する情報を集めて、バレリーの机のモニターに表示させた。バレリーはそれを見ながら、

「西村は、飛革の中では小者ですから、彼らがわざわざ危険を冒してまで奪還しにくるとは思えませんが?」

〔私もそう思うが、倭警察によれば、この辺りの飛革のグループが、昨夜から活発に動いているらしい。攻撃ヘリの盗難もあったし、今のところ、逮捕したメンバーの中で移送予定なのは西村だけだから、一応、用心しておきたい。ただ、この護衛は私個人の考えだから、するか、しないかの決断は君に任せる。もちろん、何かあったときの責任は、私がとる〕

 当麻は言う。倭警察は、瑞穂警察のような自治体単位を管轄する警察とは独立し、全国を管轄する、言わば警察の警察という組織で、こちらは国の機関だ。扱う事件は全国規模の、或いは重要案件に限定されており、交通違反程度でお世話になることはない。飛鳥革命軍のような過激派は、むしろ倭警察が取り扱う案件だ。

「少し、考えさせて下さい」

 バレリーは、メンバー全員を見て、

「昨日逮捕された飛革の、西村の移送を護衛するよう指示があったけど、判断は私たちに任されているわ。みんなはどう思う?」

「俺は、やっても良いと思いますが」

と、レイ。

「私も賛成です。彼らの目的が何にせよ、用心した方が良いと思います」

「私は、すぐ出動できるようにしておけば十分だと思います。彼らは、他の目的で動いているのかも知れません」

 アルとコンスの意見は、それぞれこうだ。問題は由貴だが、

「私は……用心するに越したことはないと」

と、はっきりとではないが賛同したので、

「部長。スカイクルで、上空から監視することにします」

〔分かった。よろしく頼む〕

 バレリーは電話を切ると、走り書きしたメモをレイに渡し、

「今すぐ、レイと由貴で向かって」

「はい。由貴、行くぞ」

「えっ? あっ、はい」

 レイに引っ張られるようにして、オフィスを出る由貴。

 同じフロアの東側に、小さな駐車場がある。超高層ビルでは、地下駐車場に降りるのも大変なので、幾つかの階に駐車場が設けられている。もちろん、ここに駐車できるのは、飛行機能を持つスカイクルだけだ。普段は窓付きのシャッター扉で外と隔離されている駐車場は、スカイクル6台分の駐車スペースと、中央付近にターンテーブルがある。

駐車場入り口の左手に、広域機動隊専用のスカイクルが2台停められている。2台とも同じ車種だが、1台は青で下半分がシルバー、もう1台は赤で下半分がシルバーのスカイクル。NAC(根本自動車)のネクサスというブランドの2人乗りクーペ、セレス。年式は少し古く、組織改編前の時から使われている。水素を燃料とし、走行用エンジンやエルダ・ドライブは座席のすぐ後ろにある。また、前輪は後輪に比べ一回り小さい。典型的な後輪駆動車だ。広域機動隊が使うという事で、当然のように防弾仕様になっていて、翼のような形の赤色灯が、屋根の中に隠れている。

「何があっても良いように、防弾チョッキを着ていこう」

 レイは言うと、青いセレスの前に回ってボンネットトランクを開けた。中にはライフルなどの銃器などの他に、アクリル製の盾、携帯ライトなどが入っている。レイはその中から黒い防弾ベストを2着出し、1着を由貴に渡した。由貴は少し躊躇したが、ベストを着るレイの姿を見て同じように装着した。

 青いセレスは2人を乗せ、赤色灯を点滅させた。扉が左右に開き、セレスは、サイレンを鳴らしながら空中に飛び出した。

 瑞穂市の中心部では、一般の車両が飛行するときは市交通管理センターによる自動運転になるが、システム利用料金が必要となる。緊急車両は例外で、人が運転し、最高速度や最高飛行高度の制限はない。一般車が離陸するには、決められた離陸スペースからか、もしくは幹線道路などにある離陸車線を使う。着陸のときも、ほぼ同じ。緊急車両にはその制限もない。

「学生の中に赤い目の人がいるという噂は聞いていたけど、まさか広域機動隊に来るとは、思ってもみなかった」

 レイ・島崎は話しかけてきた。2人で話をするのは、これが初めてだ。

「私の目って、そんなに有名ですか?」

 助手を務める由貴は、そう聞き返しながら、警察ネットワークの端末を音声で操作し、ダッシュボード上のモニターに現場の地図と護送経路を表示させた。

「いや。同期から、話を聞いただけだ。どうして広域機動隊に?」

「……」

 由貴は、レイの質問の意味が分からず、無表情な顔をレイに向けた。レイは、質問の内容を補う言葉を付け加える。

「俺が言うのも何だけど、広域機動隊は普通、誰も来たがらない部署だからな。特に女の人なんか、絶対に来ないところだ」

「別に……これといった理由はないんですけど、自分の腕を活かせる場所なら良いかと思いまして」

 由貴は嘘をついた。本当は、自分の腕を生かす事なんて考えてもいない。

「そういえば、飛行機の操縦が得意だって?」

「はい。島崎さんはどうして、広域機動隊に?」

「俺か? 俺も、特に理由はない。俺が入った頃は、広域機動隊もまだ人が多かったし、そんなに危険だと思っていなかった。飛行機の操縦もできたし」

「やっぱり、危険な仕事ですよね?」

「ああ。やりがいよりも、身の危険を感じる方が大きい仕事だ。だけど、昨日も言ったけど、何とかやっていけるさ」

「私は、自信がありません」

「おいおい。今からそれじゃ、困るなぁ。おっと、もうすぐ緑署だ」

 緑警察署は、瑞穂市中心部より南東に約10キロ。緑区を管轄する瑞穂警察の分署だ。

 逮捕された男は飛鳥革命軍のメンバーで、一般に、戦闘要員と呼ばれる実行部隊の1人。組織の中で最も人数が多く、当然、逮捕者も1番多い。飛鳥革命軍が何かを企んでいるらしいが、仮に西村救出を画策しているとして、組織が、リスクを冒してまで救う必要があるのか、疑問だ。

「幹部ならともかく、戦闘要員を奪還しようとするなんて。飛革は何を考えてるんでしょう?」

「俺たちの知らない事情があるんじゃないか?」

「もし、飛革が現れたら……やっぱり撃ち合いになるんでしょうか?」

「そうなるだろうな。もし、人に向けて撃つことになったら、ブラスターは必ず『ショックガンモード』にするんだ。間違っても『ブラスターモード』で撃つな」

「はい。他に注意することがありますか?」

「あとは、撃つ前に、絶対に相手を確認しろ。間違って一般市民や、味方を撃たないように気をつけないと。護送車は今、何処にいる?」

 レイに突然聞かれ、由貴は慌てて、声で端末を操作する。

「えっと。緑署を出発して、外環道路の交差点に差し掛かったところです」

「この一帯は、市内といえども田舎だからな。襲撃してくるなら、この辺の方が、被害が少なくて有り難い」

「下に降りますか?」

「いや。このまま、上空で待機しよう」

 そう言うと、レイはセレスを空中に停止させ、赤色灯を隠させた。緑区上空は、飛行制限区域から外れているので、一般車でも自由に飛行できる。2人は、セレスのカメラで下の様子を監視する。しばらくして、カメラが地上の異変を捉えた。移送の先導車が急にふらつき、道路を塞ぐように停止した。護送用のワゴン車はその脇を抜けるように走り続け、現場から逃げようとしている。

「お出ましだ。行くぞ! ブラスターの用意だ」

 セレスは急降下する。由貴は、言われたとおりブラスターを取り出し、電源を入れる。電源を入れたとき、ブラスターは必ず、出力が最小になっている。その事を確認し、それでもまだ、安全装置は外さない。

 現場は、低いビルの並ぶ、昔の商業地。今はすっかり寂れてしまっている。ワゴン車の行く手を、2台の車が塞いでいる。ワゴンの後ろにも、別の車が現れた。各車から、男が1人ずつ現れた。各人は、手に自動小銃を持っている。

 銃撃戦の始まる直前、セレスは、ワゴン車の後ろにいた1台に、覆い被さるように降りてきた。

 下敷きになった車は、屋根が潰れた。乗っていた男は幸い車外に出ていたので無事だったが、すぐ横にいたので度肝を抜かれたことだろう。反撃してくるどころか、地面に伏して頭を抱えている。セレスは少し浮き上がり、左に移動して着陸した。地面に伏していた男は武器を手放し、セレスの後方に向かって逃走した。

「由貴。追え」

 レイが言った。由貴は外へ飛び出し、逃げた男を追っていた。セレスはまた飛び上がり、ワゴン車をかばうように停止した。瞬く間に射撃の的にされるが、セレスは元々、こういう事態を想定して装甲を強化されているので、ビクともしない。

「警察だ。武器を捨て、降伏しろ」

 車外スピーカーを通して、投降を呼びかけるレイ。それでも銃撃が止むことはない。レイはセレスを、ワゴンの行く手を塞ぐ2台に近付ける。

「話が違うじゃないか!」

 男の1人から、そういう言葉が出てきた。これほど早く応援が現れたことは、彼らの想定外だろう。それも、完全武装の広域機動隊が。

 セレスの前バンパーの下から、催涙弾が発射された。催涙弾は白い煙を吐き出しながら、2台の車の間に落ちた。白い煙は催涙ガスで、あっという間に2台を包み込んだ。車外にいた男2人は、催涙ガスの影響で激しくせき込んだ。

 セレスは着陸した。レイはセレスを降り、ブラスターを抜いた。彼のブラスターはシルバーの、外見は回転式拳銃のようだが、エネルギーを弾のように発射する仕組みは由貴が持っているものと変わらない。ただ、彼の銃は回転式のシリンダーに特殊なカートリッジが入っている。レイはシリンダーを回し、風という字の付いたカートリッジを選んだ。そして、ブラスターを両手で構え、男2人の間に狙いを定め、撃った。銃からは、通常なら光弾が発射される。

 だが、今回は突風が出た。レイのブラスターは、魔法を撃ちだすことも可能なタイプだ。エネルギー源は通常のものと同じくバッテリーで、電池の力を魔力の代わりとし、カートリッジに納められた何らかの術式に応じて魔法が放たれる仕組みだ。透明なカートリッジなら、由貴のブラスターと同じく通常のエネルギー弾が発射される今回は風の魔法だ。出力を調整すれば、突風から鋭い風の刃まで選べる。

 ブラスターの起こした風は、催涙ガスを遠くにまき散らした。これで、ガスマスクなしでも犯人達に近づける。犯人達はガスの影響で激しく咳き込み、涙も止まらず、その場でうずくまっていた。今なら抵抗はしないだろう。レイは銃を構えながら素早く駆け寄り、犯人達の身柄を確保した。


 一方、たった1人で男を追い掛けていた由貴だったが、その努力の割に差は開くばかりだ。しかし、運の良いことに、男は袋小路に逃げ込んだ。行き止まりで男が立ち止まったところへ、由貴はブラスターを構えながら近付いた。

「両手を上げなさい!」

 男が両手を上げると、相手が逃げないと判断した由貴はブラスターをホルダーに戻し、代わりに鍵式手錠を手にした。手錠を掛けようと手を伸ばしたとき、男の態度が急変した。何の前触れもなく、由貴は顔を殴られた。

 いきなり顔を殴られた。防具も何もない顔を。女の顔を。サングラスが何メートルも飛ぶ。そのショックが、由貴をしばらく硬直させた。地面に伏した由貴の懐から、ブラスターが抜かれていた。男はブラスターを由貴に向け、安全装置を解除する。だが、引き金を引いても、何の反応もない。よく見ると、電源が入っていない。スイッチを入れ直すが、やはり電源は入らない。男はブラスターを投げ捨て、袋小路を戻っていく。由貴は俯せになってブラスターを取ると、逃げていく男に向け、寝たままの体勢でブラスターを両手で構えた。

「止まれ!」

 由貴はそう叫んだが、男は止まらない。仕方なく、由貴は引き金を引く。ブラスターは小さく鋭い青白い光を撃ち出し、その光は男の背中に直撃した。男は仰け反り、その場に崩れた。下半身が麻痺しているらしく、立ち上がることができない。

 由貴の頭上から青セレスが現れ、由貴と男の間に着陸した。セレスから降りたレイは、男の逮捕は駆けつけた警察官に任せ、由貴のところへいった。

「大丈夫か?」

「はい」

「危ないところだったな。見てたぞ」

「…すみません」

「相手が両手を挙げたからって、武器を持ってないとは限らないだろう。身柄を完全に押さえるか、応援がくるまで、ブラスターをしまうな。命にかかわるぞ。やり方は習ってるだろう?」

「はい…」

「まあ、良いさ。戻ろう」

 レイは、由貴の左肩をポンと叩く。2人はセレスに乗り、現場へ戻った。

 現場に戻ると辺り一帯は封鎖され、制服警官たちは現場保存に努めて、着いたばかりの鑑識班が活動を始めているところだ。レイは1人で現場を取り仕切っている責任者のところへ行き、事情を説明している。頭を下げているところを見ると、黙って護衛していたことを謝罪しているようだ。結果的には、それで襲撃を未遂に終わらせ、しかも新たにメンバーを3人も逮捕できたというのに。

 レイは、セレスで待っている由貴の所へ戻ってきて、

「さて、挨拶は終わった。本部に帰るとするか」

「護衛の方は良いんですか?」

「もう、必要ないさ」

 セレスに乗り込もうとした由貴は、ヘリの音に気付いた。特徴のある爆音は、民間のヘリではない。当然、エアポリスの物とも違う。軍用ヘリは、市内には滅多に入ってこない。だが、音は攻撃ヘリのものに似ていた。レイも音に気付いて、音のする方角を見る。そして、彼らの後方から接近してくる物体を見つけた。

「あれは、盗まれたヘリじゃないか?」

「武装しているみたいですよ」

 そう言っている間に、武装したヘリAH-2サラマンダーが頭上を通過する。

「まずい。逃げよう」

 セレスは離陸し、急発進した。格納されていた回転灯が点滅しながら出てきて、電子音のサイレンが鳴り始めた。レイは状況を本部に報告し、警戒を呼びかける。相手が攻撃ヘリである以上、普通の警察装備では太刀打ちできない。このセレスは装甲されているものの、機関砲には耐えられそうもないし、反撃するための道具は持っていない。

 セレスは滑るように着陸し、市街地を縫うように走る。飛び続けていたら、ロケット弾の格好の餌食になるからだ。由貴は窓を開け、サラマンダーを探した。サラマンダーは左後方を、セレスと同じ速度、同じ方角へ飛行している。エルダ・ドライブが普及していながら、ヘリがまだ使われているのは、エルダ・ドライブに速度の限界があり、敏捷さも劣るからで、物理的に180キロ以上は不可能とされている。従来のヘリの方が速い。

「私たちを追ってきます」

「当然だろう。俺たちが標的なんだ。昨日の復讐を、同じ形で果たすつもりなんだよ」

「そんな…」

「連中は、意外と古い人間だからな」

 しばらくして、サラマンダーは急に高度を上げ、セレスから離れていった。由貴は空を見上げ、

「どこへ行くつもりなんでしょう?」

「まさか、本部に先回りするつもりじゃないだろうな」

「どうします?」

「最短コースを行こう」

 レイはそういうと、セレスを離陸させた。今度はサラマンダーを追う形になるが、見付かると攻撃されるだろう。セレスは、ビルの屋上をかすめるほど低い高度でシティを目指した。本部の近くで滑るように着陸、地下駐車場に滑り込み、空いているスペースに駐車させてもらう。

 セレスを降りたレイと由貴は、高速エレベータに乗り、広域機動隊オフィスを目指した。途中、警報が鳴り始めた。エレベータを降り、43階の廊下を駆け抜け、広域機動隊オフィスに入った。

 息を切らしながら飛び込んできた2人を見たバレリーたちは、心配そうな顔を見せた。

「レイ、由貴。大丈夫? 怪我はない?」

「俺たちは大丈夫です」

「隊長。あのヘリは、私たちを…」

 レイと由貴は答えた。

「分かっている。今、この一帯を封鎖して、市民の屋内への避難を開始しているところよ」

 その時、かすかだが爆発音が聞こえた。

「ついに撃ってきたみたいね。私は、上で様子を見てくるわ」

 バレリーは天井を見上げた。

「隊長。指示を待っているより、俺たちが出ていった方が早いですよ」

 レイは前に出て言う。バレリーは顎に左手を当て、

「そうね。指示なく動くわけにはいかないけれど、すぐに出動できるようにしておいたほうが良いわね」

とつぶやくように言いながら考えた。レイは完全に自分が出動するつもりでいる。それを、指示待ちという理由で抑え込むのは難しいだろう。被害を最小限に食い止めたいのはバレリーも同じだ。とはいえ、警察はたとえ第三セクターだろうと組織で成り立っている。個人の想いだけで先走った行動を取れば、それこそ取り返しがつかないことになる。それでも、決断は早くしなければならない。バレリーは、そこにいた全員の顔を見て、

「レイ、由貴、コンスは、私と一緒に上へ。アルは、連絡役としてここに残って」

 バレリーは3人を連れてオフィスを出た。左手のエレベーターホールに向かい、乗り込む。エレベーターに乗って目指すのは格納庫があり、エアポリスのオフィスがある48階。通常のエレベーターで到着できるのはここまでだ。

 48階は、床面積の半分以上が航空機発着場になっていて、格納庫やオフィスは中央部分浮かぶ島のように存在する。48階の構造物の中央には、背の低い3階建て相当の塔がある。49階部分は機械室。そして、最上階となる50階は航空機離着陸の整理を行う管制塔だ。そこからなら、発着場や周囲の空の状況を把握しやすい。

 48階では、怒声やら悲鳴、石油系の何かが燃えるにおいが漂っていた。バレリーたちは最上階の管制室まで上がった。管制室は普段から室内は薄暗かったが、今はブラインドシャッターを下ろして、外から内部を見えないようにしていた。攻撃ヘリコプターのサラマンダーのターゲットにならないようにするためだ。また、こういう事態を想定していたのか、窓ガラスは防弾仕様になっている。その窓の前に、先客がいた。エアポリスの冴子だ。バレリーはその右隣に立ち、ブラインドの隙間から発着場を見た。

 発着場の真ん中で、エアポリスのヘリコプターが黒煙と炎を上げて燃えていた。一度は消火剤が撒かれたようだが、獲物を求めて空中に留まるサラマンダーのせいでそれ以上の消火活動はできていない。しかし、早く消火しなければ、火災の熱により発着場の床が損傷するほか、本部ビル本体への影響も心配される。それだけでなく、警ら用航空機の運用にも支障が出る。ただ、こちらはサラマンダーを追い払うなどの行動が必要になる。そのための航空機が出せないのが問題だ。あるいは、サラマンダーの燃料切れを待つか、ということになるが。

「まずい状況になったわね」

 バレリーは、先客である冴子に声を掛けた。

「そうね。誰かさんが変なのを連れて帰ってくるから、大騒ぎよ。幸い、駐機していただけのヘリだったから、けが人は出ていないけれど、あれを追い払わないと消火活動もできないし、通常の運行もできない」

 冴子はバレリーの方を見て、左手で外を小さく指さしながら答えた。

 由貴は少し前に冴子と会っていた。その時、冴子が『広域機動隊の隊長とは同期だ』と言っていたのを思い出した。ただ、あまり仲が良いようには見えない。こうして並んで立っている2人を見ると、1つ1つの特徴は全く違うのに、全体のその雰囲気はよく似ている。

「別に、招待したつもりはないわ。このまま帰す気もないけど」

「確かに、あの危ない人たちに対抗できるのは、あなたたちだけね」

「じゃあ、私たちの出番ね」

「それはどうかしら? コヨーテは修理中で使えないでしょう。それに、まだあなたたちに出動命令は出ていない」

「いずれ出るわ。そうでなくても、いざとなったら私の判断でやるわ」

 バレリーは息を巻く。冴子は小さくため息をついた。

「あなたの独断でできる? 少なくとも、上に指示を仰いだ?」

「それは……まだよ」

 バレリーの声がしぼむ。冴子は、それ見たことか、という顔をして、

「そんなことだろうと思って、さっき課長に、広域機動隊の出動要請を進言したわ」

「ありがとう。すぐに準備を始めるわ」

「だけど、もう一つ問題がある。あなたたちの戦闘機も使えない状態よ」

 冴子は、燃えているヘリコプターを指さす。バレリーはそれを見て、彼女の言った意味を理解した。

「私たちの格納庫の前…」

「そういうこと。中でエンジンを回して飛び出しても、あれが邪魔をする」

「エアポリスの格納庫からは?」

「うちのヘリが入っているから、無理。ついでに言うと、緊急避難で、うちのヘリをあなたのところに入れさせてもらったわ。ご免なさい」

と、冴子は申し訳なさそうに言う。無事なヘリコプターを守るために空いていた広域機動隊の格納庫に入れたことは、間違いではない。そのことをバレリーは非難しない。しかし、事件を解決する手段が限られてしまった。

「こうなったら、長期戦を覚悟するか。無理を承知で、セレスで出るか」

 バレリーは考え込む。空中での武器を持たないスカイクルのセレスは、最悪の場合の選択肢だ。いくら装甲されているセレスでも、攻撃ヘリコプターの武器を跳ね返すことはできない。

 その時、コンスが新しい情報を受け取った。

「隊長。指令センターより出動の指示が出ました」

 コンスの報告に、バレリーは暗い顔をしながら頷いた。出動のお墨付きは出たが、サラマンダーを追い払い、逮捕する手段が見つからない。

「それから、ウィリアムス整備係長から、XV-9の整備が終わったとの連絡がありました」

 バレリーは顔を上げて、コンスを見た。

「XV-9はどこに?」

「整備工場です。この47階の」

 コンスは答えた。バレリーはレイと由貴の顔を見た。

「武器を積んだ状態?」

「機銃は使用可能とのことです」

 それを聞いたバレリーの顔が明るくなった。

「由貴、コンス。すぐに親父さんのところに行って、XV-9で出動準備。操縦は……由貴に任せるわ」

 バレリーはテキパキと指示を出した。そして、横で指示を聞いてぽかんと口を開けている冴子に向かって、

「冴子。戦闘機でヘリをここから遠くへ引き離すわ。手荒だけど、エレベーターから直接発進させるわ」

「ちょっと待って。神代さんは卒業したばかりで、広域機動隊にはまだ正式に入っていないはずよね? 操縦を任せるって、どういうこと?」

 冴子はようやく我に返って、バレリーに詰め寄った。

「そうですよ。やるなら、俺が」

 レイも、自分を指さしながら言う。

「由貴は、学校での操縦の成績はトップクラスだったそうよ」

「それは知っているわ。私たちも狙っていた人材だもの。だからって…」

「それに、XV-9はおやじさんが直接由貴に譲ったのよ。あのおやじさんが。彼女以外が乗ったら、機嫌を損ねるわ」

「そういう問題じゃないでしょう。無茶だわ。島崎君にやらせるならともかく、入ったばかりの子に任せるなんて」

「お願いよ。絶対にあのヘリを遠ざけてみせるから。遠ざけたら、レイを出動させる」

 真剣な顔で詰め寄るバレリーを諦めさせることがどれだけ大変か、冴子はよく知っていた。それに、人選はともかく、時間はない。彼女は諦めの息を吐き、

「分かった。どのみち、あなた達に任せるしかない。でも、責任は負って貰うわよ」

 押し切られた形の冴子は、2人いる管制官の間に移動して、

「広域機動隊の戦闘機が出動するから、準備をお願いします」

「大丈夫ですか? 外へ出した途端に、あのヘリみたいにやられますよ。どうやって離陸させるつもりですか?」

 左側に座っている管制官が、離陸手続きの準備を始めながら冴子に聞いた。

「さあ? まだ整備工場にあるみたいだけど」

「ということは、エレベーターで上げるということですよね? 外のですか? 屋内のですか?」

「それは、外だと思うけど…。バル。どっちのエレベーターを使うの?」

 冴子は、バレリーを愛称で呼びながら聞いた。バレリーは首を横に傾げて、

「私は聞いていないわ。おやじさんに聞かないと」

「じゃあ、コンスに……って、ついて行ってしまった。おやじさんの電話番号は…」

 冴子は悪い予感に襲われ、警察手帳の通信画面を指先で叩いた。

 47階の整備工場から、48階の発着場や格納庫に航空機を上げるには、専用のエレベーターが2つある。1つは南西側の外に、外壁に沿って上下に移動する床のような外エレベーター。仕組みは、航空母艦のエレベーターをイメージすると分かりやすい。もう一つはビルの中央付近にあり、格納庫内に直接繋がっている屋内エレベーター。どちらも、戦闘機が入るほどの十分な大きさがある。

 警察手帳の通信画面にアーネストが現れた。

「何だ。冴子か。今忙しいんだ」

 アーネストは不機嫌そうだ。整備を終えたばかりの戦闘機が、いきなり実戦に駆り出されるからだろう。だが、冴子にとっては、今まさに問題が起きようとしている。

「忙しいのは分かってるけど、教えて。今、戦闘機を上げようとしていると思うけど、どのエレベーターを使うつもり?」

「どっちって、屋内エレベーターに決まっているだろう。外のエレベーターじゃ、動かした途端に狙われる」

 さも当然のようにアーネストは答えた。冴子は頭を抱えた。

「そのエレベーター、エアポリスの格納庫に直結していることを知っているはずよね?」

「ああ。だが、反対側の扉は、外に直接出られるだろう?」

「あなた達がやろうとしていることは分かっているつもり。エレベーター内でエンジンを吹かして直接飛び出すつもりでしょう? その際には、格納庫側の扉を閉めておいてくれるのよね?」

 冴子は、無駄と分かって確認のために聞いた。戦闘機の積むジェットエンジンは、吸い込んだ空気を圧縮、燃焼して吐き出し、その反作用で前に進む。閉じた箱の中で勢いよく排気ガスを噴射すれば、行き場を失った排気ガスは箱の中で暴れ回る。なにせ、何十トンもある飛行機を前に進ませるのだから、その力は半端ではない。なので、普通は排気がスムーズに行くよう、ジェットエンジンの排気口の先には壁がないのはもちろん、どんな物も置いてはおかない。だが、エレベーターの扉を開放すれば、その先はエアポリスの格納庫だ。壊れる物の場所が変わるだけだ。

「そんなことをしたら、エレベーターの扉が壊れる。それに、排気ガスで乗員が窒息死してしまうだろう」

「そうしたら、エアポリスの格納庫がめちゃくちゃになるでしょう!」

「噴かさなきゃ大丈夫だ。後片付けは私がやる」

 エアポリスの都合など意に介さないアーネストに、冴子はめまいを感じた。辛うじて立っていた。見かねてバレリーが、48階にだけ放送されるマイクを手に取って、

「管制塔より格納庫へ緊急連絡。戦闘機が屋内エレベーターから緊急発進する。その際に格納庫内へジェット排気が入る可能性が高い。格納庫内の人員は全員、速やかに退去せよ」

と放送した。被害を少しでも少なくするためだ。

「ありがとう」

 冴子は、とりあえず礼を言う。だが、本当は言いたいことがもっとある。

「責任の一端は、私にもあるから」

「そうね。元はといえば、おやじさんのせいだけど、せめて、被害が最小限になるよう神代さんに言っておいてね」

「分かっているわ」

 管制官の横に戻る冴子の姿を見るバレリーのその目は、何故か、不安な色に染まっていた。確かにバレリーは、由貴の腕を見込んで行かせた。エアポリスのパイロットを負かしたのだから、技量に問題ない。だが、凶悪犯を相手にするのは、初めての筈だ。コンスも行かせたが、それで大丈夫だろうか。自ら出るべきだったのだろうか。バレリーの不安は、恐怖に変化し始める。それに反比例するように、アレックスの発進準備は整えられていく。もう、後には引けなかった。


 XV-9アレックスは、48階のエアポリスの格納庫内にあるエレベーターから姿を現した。アレックスは、由貴が初めて見たときとほとんど変わらない姿をしていた。ただ、側面に広域機動隊所属を示す『M.C.R.P』と、筆記体の機名が白い文字で追加されていた。瑞穂警察のマークも、垂直尾翼に大きく描かれている。

エレベーターの外に直接出る扉は閉じたままで、格納庫側の扉を開けた。由貴とコンスは下の階でコックピットに乗り込み、キャノピーは空けたままだが、すでにエンジン始動の手順を進めていた。格納庫側の扉が開けられたのは、そのためでもある。

 アーネストはエレベーターの外側扉の前に立ち、アレックスが発進可能になるのを待っていた。

 由貴は、広域機動隊の白いヘルメットを借りていた。日よけのバイザーはついているが、ディスプレイは付いていない。その代わり、軽い。アレックスの操縦席は、従来機と大きな違いはない。ただ、操縦桿は右側に短い物が付いていて、アームレストまで用意されていた。左側にはジェットエンジンの推力を調整するスロットルレバー。これは、1本のレバーで2つのエンジンを操作するようになっている。その内側、脚に近い所にはエルダ・ドライブの上下動を操作するエレベーションレバー。ちなみに、エルダ・ドライブの前後左右の操作は、右の操縦桿が兼用する。

 コンスは後部座席に納まっていた。人間と同じくシートベルトで身体を座席に固定していた。後部座席にも操縦装置は付いていたが、コンスのようなナビ・ロボットの場合、右腕から太めのケーブルを伸ばし、計器板の接続端子に接続することで機器操作や操縦が可能だ。無線でも可能だが、信頼度では有線に分がある。

 由貴は、アレックスの計器板の電源を入れた。全てのモニターに起動画面が流れる。自動診断プログラムを作動させ、センサーの範囲内で機体に異常がないことを確かめる。それから、エンジンをスタートする合図を周囲の作業員に送り、『START』ボタンを押した。補助動力装置が作動した後、1つ目のエンジンが低く唸り、回転を始めた。エンジンの回転数が十分上がった所で補助動力装置を止め、続いて2つ目のエンジンが始動し、十分な推力が得られるまで回転数を上げていく。エンジンのチェックが自動的に行われ、各センサーが正常に働き、異常なしを伝えてくる。

 後部席のコンスは、由貴に色々と発進前の注意をした。それに従って準備を進める由貴。計器板は非常にすっきりしていて、マルチディスプレイが3つあり、昔の飛行機なら所狭しと並んでいたメーター類の代わりをしている。そのディスプレイの1つで武器装備を確認するが、搭載武器は、機銃弾200発しかなかった。機銃そのものは、長い機首の中央部、上部側面の左右に一門ずつ入っている。連続発射速度は遅いうえに、どうやら口径も小さいから、威力は期待できない。

「機銃弾、たった200発ですけど」

 武器の心許なさに、不安を隠さない由貴。

「200発で対応可能です」

 コンスは、根拠のない強い言葉で答える。由貴はは周りの作業員たちに、機体から離れるよう合図する。本来なら外の発着場で行われる離陸準備を、エレベーター内で行ったのだ。騒音はもちろんだが、エンジンの排気がアレックスの後ろで渦を巻き、格納庫内をざわめかせながら、わずかな扉の隙間を抜けて外へ排出される。アーネストは急いでエレベーターから待避する。

「周囲に人体反応なし。キャノピーを閉じます」

 コンスの言葉のあと、キャノピーが鈍い音を立てて降りてきて、コックピットと外の空間を遮断した。

「準備はよろしいですか?」

「大丈夫」

「では、管制塔に離陸許可を要請して下さい」

「アレックスより管制塔。緊急発進のため、離陸許可を要請」

 由貴は管制官に、発進準備が整ったことを伝えた。ちなみに、由貴はXV-9の無線でのコールサインに、機体の愛称名を採用した。

[管制塔よりアレックス。サラマンダーは西から南東へ移動中。自身の判断で離陸して良し]

「こちらの判断で離陸、了解」

 由貴は管制塔の指示を復唱する。

「サラマンダーは南側へ移動。扉を開けます。エルダ・ドライブで離陸して下さい」

 エレベーターの外扉は西側を向いている。サラマンダーの動きを把握していたコンスは、今がチャンスだと判断した。

「了解。扉が開いたら発進する」

 エレベーターの扉が開いた。外の風が吹き込んできて、機体が少し揺れた。扉が完全に開いてから、由貴は操縦桿を前に倒した。左手はエレベーションレバーを握っている。アレックスは、初めはゆっくり前に進んだ。機体全体がエレベーターから出た。左手でエレベーションレバーをわずかに上に引き、すぐにスロットルレバーに持ち替え、一番前に押し出してエンジンを吹かした。アレックスは少し飛び上がり、急加速した。

 格納庫を飛び出し、大空に舞ったアレックス。アレックスは本部から離れるように飛行し、ビル群を抜けて大きく右に旋回した。右手を見ると、サラマンダーは本部ビルから離れ、アレックスに向かってくる。

 計器板の左のモニターに、バレリーの顔が映し出された。おそらく、警察手帳からの通信だ。時々画面が飛ぶ。

〔由貴。まずはヘリを、ここからできるだけ遠くへ引き離しなさい。可能なら、下に被害の出ない所で撃ち落としても構わないわ〕

「了解」

 由貴は答えた後、後ろに座るコンスに、

「と言われても、どうすれば良いの?」

「サラマンダーは、我々が発進したことに気付いています。このまま彼らに私たちを追わせ、海上へ誘導します」

 コンスは助言した。由貴は黙って頷き、わざとサラマンダーの前を横切る進路を取った。

 由貴は今回、借り物のヘルメットを装着している。ヘルメットにはディスプレイは付いておらず、代わりに計器板の上に付いているガラス板に数字や線が表示されている。ヘッドアップディスプレイ(HUD)だ。HUDには機体の姿勢の他、速度や高度などの情報が表示される。そして武器を選択したときは、それに合わせた照準が表示される。由貴は、武器に機銃を選択した。他に武器はない。とはいえ、ここはまだ街の上空だ。機銃弾は使えない。サラマンダーが街に落ちても、また、流れ弾が下に落ちても困る。下に被害の及ぶことは避けなければならない。

 アレックスの機銃は、機体の正面しか狙えない。対するサラマンダーは、旋回する機銃を持っている他、どうやらロケット弾も持っているようだ。アレックスは200キロほどの速度で飛行していたが、突如進路をサラマンダーに向け、加速した。サラマンダーに対して、アレックスが脅威であり、追いかけるべき相手であることを知らせるためだ。

 由貴は操縦桿を微妙に操作して、サラマンダーの左真横を高速で通過した。すぐに左旋回しながら、後ろを確認する。サラマンダーは機体を大きく左右に揺らしながら反転し、アレックスを追ってきた。

「あまり引き離してはいけません。ヒットアンドアウェイと思われたら、彼らは待ち伏せ戦法を取るでしょう」

 コンスは忠告した。確かに、ヘリコプターにとって、高速で移動する物体を無理に追いかけるよりは、近づいてくるのを待って攻撃する方が理に適っている。しかし、それではヘリコプターの燃料切れを待つことになる。推定では、その燃料切れまで残り2時間ほどのようだ。

「どうすればいいの?」

 由貴はコンスに助言を求めた。

「背中を見せつつ、海上に誘導します」

「それって、こちらを撃たせるということでしょう? 大丈夫なの?」

「それは、由貴さんの腕にかかっています」

 コンスの助言は、こう言っては何だが、すぐには役に立ちそうもない。由貴は深呼吸をして、スロットルレバーを引いて速度を落とした。アレックスは真後ろが見えないため、由貴は、計器盤中央下のモニターに後方の映像を映した。サラマンダーは、アレックスを追っているようだ。あとは、このまま海まで追わせるように仕向けるのだが、うまくいくだろうか。

 右主翼に、小石が幾つも当たったような音がした。

「何?」

 由貴は右を見る。白い主翼に、先ほどまではなかった黒い点がいくつか見えた。反射的に、由貴はスロットルレバーを押し、上昇した。

「サラマンダーの機銃弾がいくつか命中しました」

 コンスは答えた。由貴は焦った。ゲーム機の世界では何度か撃たれたこともある。撃墜されたこともある。だが、現実世界では墜落したことも、そもそも攻撃を受けたこともない。自然と息も荒くなる。

「相手はロケット弾も持っています。注意してください」

 コンスは付け加えた。

 アレックスの防衛装置が警告音を発した。サラマンダーからロケット弾が発射されたことを知らせるものだった。そのロケット弾が何らかの誘導装置を持っているのかは分からないが、回避行動を取らなければならない。機銃弾が当たるだけでも問題があるが、ロケット弾が当たれば、最悪の場合墜落する。幸い、ロケット弾は誘導式ではなかったようで、アレックスは簡単に攻撃をかわすことができた。ロケット弾はアレックスを捕らえ損ね、力を失って瑞穂港の海に落ちた。

 アレックスは瑞穂市の南にある海上に出た。ただ、そこはまだ瑞穂港の中で、大小様々な船が行き交っている。もっと南へ誘導する必要があった。ビル群の林立する市街地を抜け、工業地帯、港湾区域まで来ると、飛行の障害物となる工場の煙突や、コンテナ埠頭のクレーン、あるいは高速道路の巨大な橋のみになる。逆に言えば、身を隠す場所がほとんどないことになるが、元々、それらを盾にすることは市民への被害に直結するから、同じことだ。

サラマンダーも海上に出た。ここからが本当の戦いだ。由貴は操縦桿を左に倒して引き、左旋回に入った。サラマンダーが再びロケット弾を放ってきたが、由貴はこれも冷静に対処した。ただ、サラマンダーを引きつけるために低速での飛行を余儀なくされており、ジェット機本来の高速性を生かせないでいる。エルダ・ドライブでの飛行では、最高速度はジェット・ヘリコプターにも劣る。それでも由貴は、アレックスの機首をサラマンダーに向けた。HUDには緑色の照準が映り、サラマンダーと重なったところで赤く変わった。それは、今なら標的に命中すると言っている。由貴は、操縦桿のトリガーを数秒引いた。

 サラマンダーに、アレックスの銃弾が炸裂する。が、撃墜には至らない。警察用の機銃は威力が弱く、その上、急所に当たらなかったようだ。サラマンダーも機銃で反撃してくる。操縦桿を左に倒し、サラマンダーから遠ざかろうとしたとき、再び右の翼に小石が当たるような音がし、機体が揺れた。

「また当たった?」

「回避して下さい。低速では、こちらは不利です」

 コンスは言う。由貴はエルダ・ドライブ飛行を止め、スロットルを開けてジェットエンジンを噴射させた。通常飛行に移れば、サラマンダーの射程からは離脱できる。右主翼に目を向ける。主翼の燃料タンクを覆う防弾板のおかげで、火はもちろん、燃料漏れも起きていない。アレックスは大きく左旋回して、サラマンダーの背後に回ろうとした。サラマンダーは空中静止し、機首をアレックスに向け続ける。戦闘機で、低速での機敏さに分のあるサラマンダーに勝つには、戦闘機としての戦い方をするか、ヘリコプターの弱点を突くしかない。

 由貴はスロットルレバーを押し、操縦桿を引いた。アレックスは垂直上昇した。サラマンダーも高度を上げてきたが、ジェット機の速さには敵わない。ヘリコプターは急上昇には向いていない。

 アレックスはサラマンダーの真上に達し、今度は機首を下に向けて急降下した。機銃はすぐ使えるようになっていた。由貴は、トリガーを引いた。機銃弾は何発かサラマンダーに当たったようだ。サラマンダーは水平方向に逃げようとした。由貴の左手は、スロットルレバーからエレベーションレバーに移った。低速での飛行に移ったのだ。アレックスは、サラマンダーの背後に回った。由貴は迷わず、HUDには緑色に映る照準をサラマンダーに合わせた。トリガーを引いた。アレックスの機銃が火を吹いた。サラマンダーはエンジン部分から煙を吐き、高度を下げていった。

 十数秒後、サラマンダーは海に着水した。着水後、サラマンダーは右に横倒しになった。メインローターは海面に叩きつけられてバラバラに折れた。乗員2名がコックピットから脱出し、辛うじて浮いている機体の上に逃げた。

「サラマンダーの無力化を確認。あとは海上警察の担当です。帰還しましょう」

「分かった」

 由貴は答えると、再びスロットルレバーを握り、速度を上げた。


「良くやったわ、由貴。本当は、すごく不安だったけど、本当に良くやってくれたわ」

 広域機動隊オフィスで由貴とレイを迎えたバレリーは、かなり上機嫌だった。由貴たちが無事に帰ってきた嬉しさもある。

「ただ、1人だけこの結果に満足していない人がいるだろうけど」

と、レイ。

「初出動で早速、傷がついてしまいましたからね。おやじさんは、あの飛行機を大切にしていましたから」

 アルが言い、コンスも頷く。

「まあまあ。由貴は、実戦はこれが初めてなんだから、最初からレベルの高いことを求めるのは可哀相よ。これから訓練で鍛えていくわ」

「そうですね。昼間の護衛の時なんか、危なくて見てられなかったですからね」

「これを機会に、由貴だけでなく、みんなも心新たにやっていきましょう」

「はぁ……」

 ため息混じりの返事をする由貴。しかし、不安の2文字が、頭の中を行ったり来たりする。これからは、ひたすら訓練。そして、現場に率先して出て行くことになるだろう。由貴は思った。私は、何時までここにいられるだろうか、と。


                                     Stage01 異端 終  

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