異端 前編
この世界には、不思議なものがたくさんある。魔法と呼ばれたものが、遙か昔に絶滅危惧種のような扱いになっているのに、それを科学で応用したものは世界中で使われている。
それを象徴する乗り物がある。空飛ぶ車、スカイクルだ。外見は地上しか走らない車と大差ないが、特に翼やローターも付いていないのに飛行が可能だ。
2032年。桜はもう五分咲き。朝から少し風が強く、地上では桜の花びらが舞う。
ここは東洋の島国、飛鳥。その島国の地理的中心に位置する第三都市瑞穂。1台の赤いスカイクルが、大都市の上空を飛んでいた。2人乗りで、車体はスポーツカーのごとき楔形。走行用エンジンは後ろに積んでいる。一見すると、子供がミニカーを持ち上げて遊んでいるかのごとく、何か見えない手で掴み上げられているようにも見える。しかし、その車は間違いなく自由に飛行し、屋上に飛行機発着場を持つ50階建ての背の高いビルの途中階に吸い込まれるように入った。
そこは、スカイクル専用の駐車場になっていた。赤いスカイクルが駐車場内の黄色い枠線内に停止すると、駐車場と外界を隔てる引き扉が閉じられた。強風と転落対策のため、扉が開いている間は、駐車場内は立ち入り禁止になっている。その後、スカイクルは空いている駐車スペースに後退して入った。左隣には、青色の同型車が止まっていた。この駐車場には、6台分の駐車スペースがあるが、今はこの2台の他にスカイクルはいない。
右側のドアが前に跳ね上がるように空いた。初めに茶色のビジネスバッグが地に降り、その後に降りてきたのは紺色のスーツを着た若い、黒髪の白人女性だ。赤いスカイクルは背が低く、背の高めな女には乗り降りは辛そうだ。スカイクルのドアを閉め、床に置いた鞄を取り、肩まで伸びた髪を少し整え、歩き出す。
ビル内に入った彼女は、とあるオフィスに入った。扉の入り口には『広域機動隊』とある。
「お帰りなさい。学校はどうでした?」
女が部屋に入ると、中にいた3人が振り返って言った。1人は若い男だが、他の2人は正確には人型ロボット、いわゆるアンドロイドだ。2体の基本構造は同じで、身長は180センチ。顔は人工皮膚で覆われ、1つとして同じ顔はないという。金髪で、耳に当たる部分から板状のアンテナが、左右から1本ずつ伸びている。胸部は桜色の、プレート・アーマーと呼ばれる装甲で覆われている。腕や脚などは装甲板ではなく、黒い外装で覆われていた。それは、針金を網目状に編んだようなもので、伸縮自在で軽量、放熱性も良く、さらには銃弾を受けても、その衝撃をうまく吸収して跳ね返す。従来の外装より、より人間らしい外観を持っているのも特徴の1つだ。2体の外観の違いは、見かけ上の性別に合わせたプレート・アーマーの形状と、髪の長さだ。
オフィス内は、100平方メートル以上はあるだろう。入って右手の壁には、大型のモニターが何台も付けられ、街の中の防犯カメラ映像や、現在発生している事件、事故の情報、司令室からの情報が表示されている。映像の一つには、天秤と剣を合わせた画の下に文字がある。『瑞穂警察』と。
女は、そのモニターの前に陣取る大きなデスクにバッグを置いた。緊張の糸が途切れたようにため息が一つ漏れた。デスクには『広域機動隊長』と書かれた白いプレートがあった。彼女の名前はバレリー・スタンフォードという。プレートのとおり、この広域機動隊の隊長を務めている。南半球の大陸の国、サウスレリア出身だ。
「今年も、新人さんには来て貰えそうに無いわ」
バレリーは隊長席に座った。右手には、鞄から取り出した人事記録の紙が5枚握られていた。
「まあ、仕方が無いでしょう。俺たちの仕事は、ある程度経験が無いとやっていけないですから」
男が答えた。彼はレイ・島崎といい、飛鳥人のようだが、肌がやや褐色だ。短めの髪も少し茶色がかっているが、こちらは染めているのだろう。彼は飛鳥系インカ人だ。
「そうね。でも、他部署からの異動者もないそうよ。当然、私たちも異動はなし」
バレリーは自嘲気味に言った。
「俺も、話が来ないだろうな、とは思っていましたが」
レイも同じくぼやいた。
「良さそうな子はいるのだけど」
隊長は人事記録を眺めながら言う。
「断られたのですか?」
「いえ。本人達には今日の卒業式の後に開示するのですって。私が見てきたのは希望調査の結果。あなた達には見せられないけれど、5名には内示を出すそうよ」
「隊長が期待する新人は、その中に?」
「ええ、入っているわ。成績は普通だけど、小型ジェット機の免許を持っている。これはお得じゃない?」
「それは、来てくれれば、でしょう? それに、エアポリスが狙っていそうですが」
「そこなのよ。体力があれば機動隊に。頭脳があれば刑事部に。飛行機乗りはエアポリスに持っていかれる。どこかに、全部揃っている人はいないかしら?」
「そんな奴、いませんよ。俺だって揃っていないのに」
レイは笑う。バレリーも笑い、
「そういうわけだから、今年もよろしくね」
と言って、人事記録を鍵付きの引き出しに仕舞った。
同じ超高層ビルの48階には、飛行機の発着場がある。ここではヘリコプターと、垂直離着陸機が運用されている。垂直離着陸機限定とはいっても、現代の小型飛行機なら大抵は大丈夫。というのも、今は小型飛行機の大半が、エルダ・ドライブと呼ばれる浮力発生装置を積んでいる。先ほどの空飛ぶ車、スカイクルにも搭載されているものだ。
エルダ・ドライブが発明された今でも、瑞穂の空のパトロールは、ヘリコプターが務める。地上でいうならポリスカーだ。ヘリコプターでの警邏を担当するここは地域部航空警ら課。通称エアポリスだ。そして、そのヘリコプターが常に万全の状態で飛べるように整備するのが、装備部装備課航空機整備係の仕事。監督責任者の初老の男は、今日も格納庫にやってきて、整備を終えて出番を待つヘリコプターの状態を見て回る。
「おやじさん」
背後から男に声を掛けられる。整備主任アーネスト・ウィリアムスは、少し重たそうな身体を捻って男を確認する。
「小宮か。XV-9は下に?」
「言われた通り、下に入れましたよ」
「そうか。有り難う」
アーネストは右手を挙げて軽く礼を言う。そして、自分の仕事を続けようとする。
「それで、XV-9ですけど」
小宮はアーネストを追い掛けた。おいでなすった、とアーネストは心の中で呟く。アーネストは右手で白髪の多い金髪頭を掻いた後、
「その事なら、話が付いている筈だろう」
「しかし、下で無駄に眠らせる事もないじゃないですか」
「無駄かどうかは、まだ分からんよ。今年こそ新人が入ってくるかも知れん。それに、あれは戦闘機型だ。エアポリスじゃ使えない」
「非武装なら使えますよ。少なくとも、倉庫の片隅で眠らせておくよりはずっと良いし、その方がおやじさんにとっても良くないですか?」
小宮も痛い所を突いてくる、とアーネストは眉間にしわを寄せた。確かに小宮の言う通りなのだが、アーネストの立場としては、先約を優先しなければならない。
「だから、『バレリーに勝てたら考える』と言ったじゃないか。お前さんの腕を認めないわけじゃないが」
「あの人に勝てる人なんて、この署内にいるわけ、無いじゃないですか」
「そうか? 10回に1回なら勝てるだろう」
「そう何度もチャレンジできないですよ。俺にだってプライドがありますから」
「じゃあ、諦めることだな」
「こっちだって、そう簡単に諦めるわけにもいかないわ」」
今度は、別の方向から声がする。右手の格納庫の入り口から、灰色のスーツを来た女が歩み寄ってくる。
「冴子だって、同意しただろう?」
「確かにね。だけどエアポリスだって、今年更新予定の飛行機が不足しているのだから。すぐ使えるものがあれば、喉から手が出るほど欲しいわ」
アーネストと向かい合う形で田村冴子は立ち止まり、答える。
「私は、バレリーと約束したのだから。本来なら私にではなく、バレリーに頼む事だろうに」
「彼女が私の話を聞くわけ、無いじゃない。それに、2人しかいないのに、3機も必要ないでしょう」
「それは……新人が入るかも知れないからって」
「それは、絶対に無いでしょう。バレリーも諦めが悪い」
「別に、新人が使うとは決まっていないだろう。バレリーか、レイが使うのかも」
「それに、1人1機なんて贅沢すぎる。ポリスカーだって、どこも人数分があるわけじゃないのに」
「バレリーの所は、『フォックス』がそろそろ更新時期の筈だ。あれなら、エアポリスでもまだ使えるぞ」
「いらないわよ。老朽化の激しい機体なんて」
「そういえば、係長。今年はエアポリスの新人は何人です?」
小宮が話題を変えるように冴子に聞く。
「5人の異動の内、2人だけど、3人になるかも」
「ほう? その不確定な1人が、バレリーの所から奪ってくる予定の男だな」
皮肉を込めてアーネストは言う。
「奪うなんて、人聞きの悪い。それに、その人は女性よ」
「そうか。これは失礼」
「誰ですか? その運の無い女性は」
同情のこもった声で聞く小宮。
「小宮君もよく知っている、神代さんよ」
「去年、実習生で来たあの子ですか」
名前を聞いて、小宮も納得する。
「そう。間違いなくエアポリスに配属されると思っていたのに。油断したわ。さすがに辞退するとは思うけど」
「その子は、操縦の方はどうだ?」
今度はアーネストが聞く。
「大の得意よ。操縦の成績は学生中でトップ。ちょうどエアポリス向きの人ね」
冴子は答えて、腕時計を見る。
「小宮君。そろそろミーティングの時間だけど」
冴子に言われて、小宮も腕時計を確認する。
「本当だ。行かなきゃ」
小宮は格納庫の外へ駆け足で向かった。アーネストと2人きりになったのを確認した冴子は、
「ところで、おやじさん。前から思っていたけれど、どうしてあの飛行機の乗り手に拘っているの? まるで、私達には乗って貰いたくないみたい」
冴子の言葉に、アーネストは短く息を吐き、
「そう思われても仕方がないな。しかし、意地悪をしているわけじゃない。私が設計した飛行機だから、な。100%の性能が出せる環境で使って貰いたいだけだ」
「確かにエアポリスじゃ、あの飛行機を使い切ることはないわね」
アーネストを説得しきれなかった冴子は、首をすくめた。
「でも、エアポリスの腕を過小評価して貰っても困るわ。うちのパイロットだって優秀だから」
「分かっている。私もそれは認める」
「だから、まだ諦めないわよ。少なくとも、あと1週間はね」
冴子は右手の人差し指を立てて言い、その場をゆっくり離れる。
「私はてっきり、誰か特定の人間に使わせたいのかと思っていた。例えば、バレリーとか」
と付け加えて。
「そうだな。本当は、あいつが生きていれば、そうしたかったんだ」
去っていく冴子の後ろ姿を目で追いながら、アーネストは、自分にしか聞こえない程に小さな声で答えた。
見た目で損している人はたくさんいるけれど、自分ほどの人はいないだろう。鏡で自分を見る度に、彼女はそう思う。子供の頃のあだ名は『白ウサギ』。むきになって否定したり、からかってくる相手と喧嘩したりしたこともあるけれど、確かにみんなの言う通りだ。白い肌、茶色の髪はともかく、この赤い瞳は何?
彼女の名前は神代由貴。今日も、自室のロッカーの裏側に付いている小さな鏡の自分と睨めっこして、小さくため息をつく。昔は髪も白くて、人形に間違われたこともある。でも、正直に言えば、人形だった方がどんなに良かったか。人形なら、少なくとも思い悩む必要はない。生まれながらにしてこの姿。子供の頃から世間からは好奇の目で見られて、同級生に苛められた。友達ができなかったのは全て、この姿が原因だ。
由貴は鏡との睨めっこを止め、朱色の無地のネクタイを締める。紺色の上着を着ると、今度は身体を左斜めにして、ショートカットヘアの真後ろの一部が尻尾のように伸びた部分を、丁寧に上着の外へ出す。いかに外見が人と明らかに違っても、この制服を着ていると、1人の警察官となる。街の治安を守るという仕事は、外見を問われることはない。
瑞穂市の治安を守る『瑞穂警察』が、由貴の職場だ。と言っても、今月までは警察学校の学生。今日、新しい配属先の内定が出る。
「よし。行こう」
由貴は両手で顔を軽く叩いて気合いを入れると、寮の部屋を出た。
卒業を明日に控えた学生の配属先は今日の午前10時、第8教室に集合した上で、各人に内示の書かれた紙を手渡す方法で知らされる。この卒業後最初の人事決定の方法も、公平を期するために学校での成績や技能を判断し、コンピュータで自動的に作成している。警察というところは基本的に出た辞令に対して、余程の事情がない限りノーといえない。ただ、例外もある。
寮を出た由貴は、濃い色のサングラスを掛けて校舎へ向かった。赤い目を隠し、外の光の眩しさを和らげてくれる、由貴にとって大切な持ち物だ。校舎は寮から50メートルの所にある校舎に入ると、真っ直ぐ目的の教室に向かう。教室には予定の15分前に着く。教室と言うよりは、大学の講義室と言うべきか。250人収容のその部屋には、すでに100人くらい集まっていた。今年の学生は225人いるから、これでもまだ半分弱だ。
赤い目を細めて難しい顔をして腕を組み、腕時計に目を落とすと、不意に後ろから肩を叩かれ、由貴は振り返った。
由貴と同じくらいの背丈に、大きな眼鏡がトレードマークの彩香の顔を見て、由貴は初めて笑顔を見せた。
「由貴、お待たせ。早いね」
中学校からずっと同級生の川田彩香。由貴とは対照的に飛鳥人らしい飛鳥人の彼女は、由貴の親友として真っ先に出てくる数少ない大切な存在。まだ子供らしさの残る顔に似合わず、行動は大胆。活動的でわがままで、少し強引なところもある。思いついたらすぐに行動し、由貴はいつも引きずり回されている。由貴に言わせると、彩香は、幸運に恵まれている人だ。何故なら、彩香のやることは、いつも思いつきだけで計画性がないのに、そのほとんどが結果的にうまく進んでしまうのだ。憎らしいくらいに。
「そうでもないよ。私が来たときにはもう、人がたくさん」
「希望通りになると思う? 私と同じ、刑事一課にしたんでしょう?」
彩香は聞く。由貴はサングラスを外して胸のポケットに収め、彩香に、
「一応ね。でも私、クジ運が悪い方だし、刑事一課はないと思う。見た目がこんなだから、交番勤務は無理だし。エアポリスになるのじゃないかな」
「そうだね。由貴は、空中戦じゃ敵無しだったもんね。エアポリスだったら良いじゃない。ピッタリだと思うよ」
「そういう彩香だって、車の運転は大好きなんだから、交通課かもよ」
「やだよ、交通課なんて。スピード出せないじゃない」
「どこに行ったって、それは駄目だよ」
由貴は呆れたようにそう言い、目を上に向けて、
「少なくとも私は、本部へ行くことになるんじゃないかな?」
「どうして?」
「だって、パイロットの資格を取らせておいて、分署勤務はないでしょう?」
「そうだね。だけどもし、嫌な部署に配属になったら、どうする?」
「どうするって……別に。何も考えていないけど」
実際、由貴は何も考えていなかった。確かに結果は気になる。しかし、希望が叶おうと叶うまいと、どっちでも良い。見た目が普通でないと、進学から就職まで、困難ばかりが待ち受けている。叶うことのない夢を見てもしょうがない。そういうわけで、希望を抱かないようにしていた。とはいえ、嫌われてしまいそうだから、彩香にはそのことは言わない。
彩香は、どうでも良いような口調の由貴の顔を見て、天の邪鬼のような笑みを浮かべ、
「へぇ~。希望通りになる自信でもあるの?」
「そうじゃないよ。ただ、何処に配属されたって、大して変わらないだろうな、と思って」
「冷めているのねぇ。自分の一生がここで決まるっていうのに?」
「そんな大袈裟な」
「それにしても、何で配属先ぐらい、事前に教えてくれないのかしら」
「そうだよね。もうちょっと早く教えてくれてもいいのに」
「やだ、やだ。気に入らない配属先だったら、辞めちゃおうかな」
「いくら何でも、それは早過ぎるよ」
由貴は、軽く笑いながら言った。
「あっ。来たよ」
担当教官の箕嶋佳子が入ってきて、騒がしかった辺りが一瞬のうちに静寂に包まれた。彼女の持ってきた中くらいの段ボール箱の中には、由貴たちの配属先の書かれた内示の紙が入っている。由貴たちは、警察学校入学時の番号順に整列して椅子に腰掛けた。由貴と彩香は、それでも隣同士だ。
「これから、皆さんがお待ちかねの『配属先の発表』です。配属先が気になるところでしょうが、もうちょっと我慢して下さい。注意事項の説明です」
それからは、由貴たちにとってお預けの状態が続く。箕嶋はまず、注意事項を述べた。これから辞令の内示を渡すこと。部署が赤文字で書かれた場合は、特に生命の危険を伴う可能性のある部署なので、労働法により本人が望まぬ場合は他の部署への転属を認めること。そして、これが終わったら、赤文字以外だった人は、配属予定先へ連絡しておくと良い、など。まるで小学生を相手にする先生のような口調で、説明した。
内示の紙が手渡される時間がようやく来た。1人1人が教壇の前まで出て、内示を受け取っていった。内示を受け取った各人はすぐに結果を見て、その度に喜びの声を上げたり、あるいは嘆息したり、悔しさのあまり机を叩いたりしている。
由貴の順番はすぐに来た。その後は彩香の番だ。
由貴は内示を受け取ると、内容も見ずにさっさと席に戻った。そして、自分のそれを見る前に、周囲の様子を伺った。自分の配属先を知りたい、と思いながらも一方で、希望通りでなかったら、という怖さがある。どうでも良いと言っておきながら、やはり結果は気になる。かといって、いざとなると見る勇気が出ない。笑ったり泣いたりする同僚たちの顔を1つ1つ見ては、軽くため息をついた。私はどっちの顔をすることになるのだろうか、と。
由貴は、内示を見る決心がなかなかつかず、どうしようか迷っている時、右隣に座る彩香の異変に気づいて、由貴は顔を上げた。少し泣きが入っている彩香の顔。どうやら、希望通りじゃなかったらしい。
「どうだった?」
由貴は、答えを想像しながら聞いた。頭の隅では、慰めの言葉を考えている。
「希望通り、刑事一課に入れたの。やったぁ!」
「なっ」
紛らわしい。泣きかけの顔は、嬉しさのあまりだったのか。
「良かったじゃない。希望通りで」
由貴は、彩香を羨ましげに見る。
「ありがとう」
「ところで、一課の何係なの」
「特殊犯捜査二係」
「ふーん。やっぱり運命の女神は、不公平なんだ」
由貴は悲しげな顔で思わず呟く。彩香の幸運ぶりを、これまで何度見せつけられたことか。ちなみに、特殊犯捜査の部署は、誘拐や立てこもり事件などを担当している。
「何か言った?」
本当に聞こえていなかったのか分からないが、笑顔で聞き返す彩香。由貴は即席の笑顔を作って、
「ううん。なんでもない」
「ところでさぁ、由貴はどうだったの?」
はしゃぎながら聞く彩香。
「私? 私はねぇ……」
由貴は、自分の紙を見た途端、絶句した。白い紙に何やら色々と書かれているが、一目で分かったことが1つ。赤文字。命の危険を伴う可能性が大の部署。危険であるが故に、本人が望まない場合、特別に他への変更を許される部署。それがまさか、自分の配属先になるなんて。
「あ、赤文字だ」
かすれ声の由貴。
「広域部広域機動隊? ここはまずいよ」
彩香は言う。
「そうなの?」
彩香の反応を見て、由貴は聞く。赤文字で書かれているのだから、危険な部署なのは確かなようだが。
「よくは知らないけど、噂では、かなりやばい所だって」
「ふぅん。でも、どうしてかな?」
彩香も確かなことは知らないらしい。
「分からないけど。とにかく、ここは辞めた方が良いよ。赤文字の所なら拒否できる筈でしょう?」
「うぅん。でも、一度は顔を出してみる」
「えぇ?」
「大丈夫だよ。噂だけで判断するのは嫌だし、この場合は行きたくなかったら、すぐに言えば良いんでしょう? 結論はそれからでも遅くないって」
そういうと、由貴は立ち上がった。彩香は、由貴を心配そうに見ている。由貴は笑顔で『心配いらないよ』と答えた。
瑞穂市北西部に位置する西区。古い住宅地の多いその中に、外国人の多く住む町がある。町と言っても、寂れたアパートの並ぶ、ほんの数ブロックの範囲だ。別に外国人が作った町でもなく、外国人ばかりを集めたわけでもないのに、他に比べてその割合が大きい。
そのアパート群の一室で、白人の女は木製の小さな椅子に座り、不機嫌な顔を窓の外に向けていた。
セミロングの赤毛の女。色白で、気の強そうな彫りの深い顔。きれいな緑の瞳なのにきつい目付きが、彼女にとってかなりのマイナスとなっているが、本人は気に留めていないようだ。6畳一間で薄暗い部屋の中だというのに、黒いサングラスを掛け、近寄りがたい雰囲気を醸し出す。
女のその不機嫌な顔は、同じ部屋の中で壁際に立っている男にも向けられる。
『どうしても、やるって?』
その女、ヒルダは口を開く。聞き慣れない言語で、どこの国の言葉とも違う。
『はい。彼らの言い分では、内藤は組織の要であるばかりでなく、警察の厳しい取り調べを受ければ全て喋ってしまう可能性があるので、早く救出したいと。移送ルートも割り出してあるということです』
男も、同じ言語で答える。ヒルダは呆れたようにフッと笑い、
『そんなに心配なら、いっそ、消してしまえばいいのに』
『しかし、それでは彼らが崩壊してしまいます」
『私にとっては、あの組織がどうなろうと、どうでも良いよ。この街も、この国もね』
ヒルダはそう言って、また窓の外に目を向ける。低い屋根の広がる向こうに見えるセントラルのビル群、青い空、近くの公園の緑。それらが全て気に入らない、と言いたげな目だ。いや、空を見る目だけは、わずかに悲しげ。ヒルダは、独り言のように、
『昔は少数精鋭の飛行機乗りだったのに、今じゃこんなところで、役立たずの連中を使って破壊工作に明け暮れている。落ちぶれたものだね』
と付け加える。
『我々の仕事は、我が国にとって重要な任務です。だからこそ、少佐に』
『こんな小さな国よりも、もっと重要な国は他にある。そっちに全力を注ぐべきなのに』
『そんなことはありません』
『あるよ。どちらにしても、私たちは上から、そんなに期待されちゃいないさ。そうでなければ、上ももう少しマシな装備をくれる筈』
『本国に要請しましょうか?』
『しても無駄だよ。今まで、要求がまともに通ったことがないじゃないか。それから、他の奴らに余計なことを言うな。ただでさえ閑職なのに、これ以上冷遇されちゃ困るからね』
『分かっています。ところで、彼らが内藤の救出に成功したら、今後の打ち合わせをすることになりますが、何時がよろしいでしょうか?』
『何時でも良い。けど、失敗した時は?』
ヒルダは逆に聞き返す。男は顔をしかめ、
『その場合は、次の作戦を立てることになります』
『どちらにしても、連中と会わなければならないだろうね』
男が答える前に、ヒルダは自分で答える。男は頷いて、
『はい。できれば」
『分かったよ。それまで待つのは辛いけどね』
最後までヒルダは、不機嫌な顔をしたままだった。
容疑者の移送には方法や規模もいろいろある。事件の鍵を握る重要人物や、社会的に衝撃を与えた事件の容疑者になれば、移送の規模も必然的に大きくなる。もしくは、手の込んだ方法がとられる。
片側一車線の道を東から西へ移動する、3台の警察車両。四角い車体のライトバン1台の前後を、セダン型のポリススカイクルが1台ずつ護衛する。護衛が付いている時点で、ある程度重要な容疑者が乗っていると察しが付く。
「来た。予定通りだ」
辺りを見渡せる崖の上に立ち、右手で持った双眼鏡を覗く男、倉田。その右に、髪を脱色して金色にした若い男が、時計を見ながら、
「2分遅れている」
「誤差の範囲だ。よし、始めるぞ」
倉田が指示し、金髪の男が無線機で、目標が向かっていることを知らせる。それから2人は、近くに止めていた黒い乗用車に乗り込んだ。車が走り出したとき、護送車両に対する攻撃が始まった。
先頭のポリススカイクルは、突如道路の左から現れたダンプカーに横から突っ込まれ道路の右外へ飛ばされてしまった。幸い、ゆっくり走っていたのと、落ちたところが田畑だったので車の大破は免れたが、乗員はすぐに動ける状態ではない。ダンプカーはそのまま道をふさぎ、運転席の男は自動小銃を取り出していた。
真ん中を走っていた護送車は、ダンプカーにぶつかる直前で止まった。3台目のポリススカイクルは少し離れたところで止まっていた。
「下がれ。バックだ」
助手席の警察官は、ダンプカーの運転席の男が銃を持っているのを見て、無線を使って護送車に避難を指示する。次いで、本部に襲撃事件の発生を報告し、応援を要請した。その時、そのポリススカイクルの横を、大型のフォークリフトが走り抜けた。フォークの部分はカニのハサミのような形状をしている。運転席部分は鋼鉄板に覆われ、拳銃ではびくともしないように改造されている。フォークリフトは護送車の横に回り、大きなハサミで車を挟み、持ち上げながら、今度は後退を始めた。
ポリススカイクルは後進しながら横を向いて、道を塞ぐ。フォークリフトはポリススカイクルの後部に体当たりし、押しのけて進む。ポリススカイクルはダンプカーの方を向いた形で止まる。ポリススカイクルは今度は、ダンプカーから銃弾の洗礼を受ける。警察官2人は、ポリススカイクルのドアを楯に、姿勢を低くして車両の後ろに隠れるのがやっとだ。
フォークリフトは1キロほど走った。そこには黒い乗用車が2台と、先ほどの男2人と、別の男1人が待っていた。フォークリフトは一度止まり、向きを変え、フォークに挟んだ護送車を3人に差し出すように走って止まった。
「銃を車の外に捨てろ」
倉田は自動小銃を護送車の運転席に向け、言った。護送車の左右の窓がゆっくりと開き、それぞれ拳銃が1つずつ落ちていく。倉田が銃を少し動かして合図すると、フォークリフトは護送車を降ろした。他の2人が護送車に駆け寄り、前のドアを開けて中の警察官を引きずり出し、殴って地面に伏せさせた。倉田は、後部のスライドドアに鍵がかかっていることを確認し、超小型爆弾をセットして離れた。5秒後、爆弾はドアの鍵を爆破した。倉田はドアに近づき、ドアを開けた。中には、目的の人物がいた。
「遅かったな」
内藤大地。国内で唯一活動の活発な過激派組織『飛鳥革命軍』のリーダー。40代前半の男で浅黒い肌、身体は細く引き締まっている。
「約束通りの時間だ」
倉田は答える。内藤は倉田の顔を見て笑みを浮かべ、両手を上げ、
「こいつを早く外してくれ」
と、両手の手錠を見せていった。手錠は普通のものではなく、暗証番号を入力して解除する電子式手錠だ。手錠はさらに、座席の前を横切る金属製パイプに固定されている。パイプはもちろん、車にしっかり固定されている。
「ちょっと待ってくれ」
倉田が下がり、代わって黒髪の若い男が入ってきた。手錠を外すには、暗証番号がいる。桁数はわからないし、適当に入力していても無駄に時間が過ぎるだけ。彼が持ってきたのは、手のひらより少し大きい薄い機械で、コードが2本出ている。手錠の表側のカバーを外し、コードをつなげば、この機械が人間の代わりに暗証番号を総当たりで入力してくれる。それでも、入力と解除の試みを繰り返し行うので、時間がかかる。警察の応援が来るまであまり時間はない。それにここは瑞穂警察の管轄。彼らの天敵がすぐにやってくる。倉田は左腕の時計を見て、空を見上げた。
由貴たちが勤務する瑞穂警察は、瑞穂市を中心とする30市町村と、複数の企業が共同運営する第3セクターの組織だ。
瑞穂警察本部は、シティと呼ばれる瑞穂市の官庁街の一角にある、50階建てのビルにある。ビルの地下には、地下街と駐車場。1階から10階までは、シティや最寄りの商業地区セントラルを管轄する分署、各課受付窓口や交通安全委員会、警察病院が入っている。11階から17階までは独身寮兼待機所。それより上層は、本部機関のオフィスになっている。そして最上層部には、航空機部門の設備がある。
由貴たち警察学校生の一部、特に瑞穂警察本部に着任予定となった学生は、大半がその日の午後に配属先を訪れることを選択した。着任前に挨拶のために訪れるというのは前時代的な習慣とも言えるが、着任後の彼らの人間関係を考えれば、当分廃れることもないだろう。
由貴と彩香は、同僚たちと一緒に職員専用入り口から入り、奥に進む。やがて、広い場所に出る。エレベータホールだ。両側にエレベーターが3基ずつ並び、それぞれが忙しく動いている。彼らは、次々やってくるエレベーターに分かれて乗り込む。由貴と彩香は、もうすぐやってきそうなエレベーターの前に立った。
「由貴。本当に大丈夫?」
「何が?」
彩香の言葉の意味がすぐに理解できず、聞き返す由貴。
「広域機動隊だよ。本当に行くの?」
「一度、見てみるだけだよ」
由貴は答えながら、到着したエレベーターに、大勢の同期生や彩香と共に乗り込む。2人はそれぞれの目的地の階を、操作パネルに近い人に押してもらった。エレベーターはすし詰め状態になったところでドアが閉まり、上昇を始めた。
「だけど、一度でも顔を出したら、もう他へは移れないと思うよ」
「そんな事はないよ。赤文字の部署なんだし、自分に向いてないと思ったら、そう言えば良いんだから」
彩香を安心させようと、由貴は言う。
「だけど、由貴っていざとなると、はっきりものが言えないからぁ」
「ちゃんと、言うことは言ってるよ」
「私には言ってるけど、赤の他人には全然駄目じゃない」
「そうかなぁ?」
彩香に全然信用されず、由貴は頭を掻く。
「そうだよ。それに、広域機動隊が本当に人手不足なら、一度来た人間を簡単に手放さないと思うよ」
「脅かさないでよ、彩香」
エレベーターは何回か止まり、人を降ろしていく。そして、刑事一課のある階に到着した。彩香はさっとエレベーターを下り、振り返って、
「じゃあ、由貴。がんばってね」
と手を振った。由貴は小さく右手を挙げて答える。2人の間を、静かにドアが遮る。
由貴を乗せたエレベーターは、静かに目的の階を目指す。その間、由貴はエレベーターの階数表示をじっと見つめた。広域部広域機動隊。赤文字で書かれたこの課にはどんな危険が自分を待っているのか。自分に務まる仕事なのか。そもそも、ここは何を担当している部署なのか? 様々な不安が、由貴の心の中を飛び交う。
エレベーターは目的の階に着き、由貴は降りた。フロアの造りそのものは、他の階と何ら変わりはない。が、何故かひっそりしていた。静かすぎる。まるで新築か、もしくは閉鎖されたビルのように静まり返っている。ここには誰もいないのか?
由貴は、1歩ずつ慎重に足を進めた。目は絶えず左右に振る。幽霊のようなものが出てくるわけでもないが、そのままスタスタ歩ける気分にはなれない。このフロアの不気味な静寂さが、由貴に言い知れぬ不安を煽った。
由貴の身体が、ビクッと動いた。警報音が突然、このフロア全体にけたたましく鳴り響いたからだ。何か事件が発生し、指令センターから出動命令が出た時、事件担当部署のオフィスで警報が鳴る。この階で鳴るということは、広域機動隊に出動命令が出たということか。警報音が小さくなり、男性オペレータが事件発生と指令内容を伝えてきた。
顔を上げて放送を聞いていた由貴は、急いで広域機動隊のオフィスの前に立った。ドアは半透明ガラスの自動ドアで、『RIOT POLICE DEPARTMENT』と書かれている。中からバタバタと足音が聞こえてきた。ドアは、小さな音をたてて、左右に開いた。
ドアの向こうから飛び出してきた若い男と、由貴は、もう少しでぶつかりそうになった。由貴は180度向きを変え、背中を壁にくっつけていた。飛び出してきたのは、レイ・島崎だった。彼の方もさっと横に飛んで避け、由貴には目もくれず、オフィスを出て右手奥にある駐車場に向かって走って行った。その後から男性型アンドロイドが、さっきの男と同じ勢いで出てきて、同じように走っていった。桜色の鎧のような装甲を纏ったロボットだが、完全に二足で走っている。
な、何? あの人たちは。由貴の身体はゆっくり廊下の真ん中に進み、顔だけを動かしてその2人を追う。
「何か御用でしょうか?」
背後から声がした。由貴ははっと我に返り、振り返る。そこにはバレリーが立っていた。その蒼い目は優しい光を放っているが、その一方で鋭く瞬いていた。視線が合って、由貴は初対面の人に対する緊張の余り、頭の中が真っ白になる。バレリーは由貴の赤い瞳を見て一瞬は驚いたようだが、すぐに由貴の足下から頭まで視線を走らせ、その正体を探ろうとする。
「あなたは?」
「私は今度、広域機動隊に配属の辞令をもらいました…」
「広域機動隊に入る子ね! たった今、出動命令が出たところなの。良かったら、一緒に行く?」
バレリーの声の調子が明るい方に大きく変わる。
「あ、あの…」
由貴は、赤文字の部署である広域機動隊のことを聞こうと思っていたが、どうやらそれどころでは無いようだ。それにしても、まだ学生で着任前の人間に、緊急出動についてくるか聞いてくるなんて、普通ではありえない。
バレリーの後から出てきた女性型アンドロイドは、その場で立ち止まっていたバレリーに無表情の顔を向け、
「隊長。緊急出動です。お急ぎ下さい」
という。基本的な構成は、先ほどの男性方アンドロイドと同じだが、外見は性別に合わせた形状になっている。。
「そうね。ついてくるのなら、急いで」
バレリーはそう言い、由貴が先ほど降りたばかりのエレベータホールに向かって走り出した。アンドロイドも、バレリーほどの早さではないが走り出す。由貴も、身体が勝手に動いた。この人は一体、誰だろうと、疑問に思いながら。
3人はエレベーターに乗った。バレリーは『緊急』と『48』の2つのボタンを押した。上昇を始めたエレベーターは、途中階には一度も止まらずに48階に到着した。
扉が開くと、そこはまるで地下のように薄暗い所だった。天井が高く、どこかで機械の音が響き、煤と機械油の臭いがした。格納庫だ。正面の壁には、『エアポリス』という案内板が取り付けられていた。バレリーは突き当たりを右へ曲がり、別の格納庫に入った。こちらは『広域機動隊』と書かれている。文字通り、広域機動隊専用の格納庫だ。実際にはこの2つの格納庫は1つで、鉄の扉で仕切られているだけだ。
そこには、白い練習機と、グレーの警察機が駐機していた。そして今、濃紺のヘリコプター、敷島セリカCS210コヨーテが、作業員によって格納庫外へ出される所だ。ちなみに、敷島とセリカはそれぞれ飛鳥国とアメリク連邦の航空機メーカーの名で、コヨーテは愛称だ。
3つの車輪が付いた流線型の速そうなボディを持ち、ドアは4枚。ドアの後方には左右に突き出た極端に短いウィングには、ロケット弾らしきものが吊り下げられている。また、機体の下側には、360度向きを変えられる機関銃がついている。
揚力を生むメインローターは4枚だが、後部にはテールローターは無い代わりに、空気吹き出し口が尾部左側についている。いわゆるノーターと呼ばれる形のヘリコプターだ。
コヨーテの見た目は軍用機だが、これでも民間機だ。胴体後部に描かれた、天秤と剣をモチーフとした瑞穂警察の紋章が、この機の所属を示している。
バレリーは格納庫壁際の机の上に置かれていたグレーのヘッドセットを取って由貴に渡し、ヘッドセットには、四角いハーフミラーの付いた右目用のHMDが付いている。バレリーは同じ机から、白いヘルメットを取って被った。
「一応聞くけれど、あなた、飛行機は大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
「そう。良かった。これからヘリで出るから、副操縦席に座って」
言うが早いか、バレリーは濃茶色のレンズのサングラスを掛け、駐機場に出たコヨーテの操縦席に乗り込んだ。由貴はバレリーの指示に従い、副操縦席に座る。アンドロイドはコヨーテ後部のキャビンに乗り込んだ。バレリーはヘルメット後部から伸びるケーブルを、頭上のパネルに繋げる。由貴もヘッドセットのケーブルを頭上のパネルに繋ぐ。由貴は胸ポケットから取り出したサングラスを掛け、ヘッドセットを頭に装着し、シートベルトを少し緩く締める。HMDを右目の前に用意する。HMDにはまだ何も表示されていない。
バレリーは、コヨーテから作業員が離れたことを確認し、メイン電源を入れ、エンジンを始動した。由貴やバレリーの視界に、現在高度や対気速度などの簡単な情報が入ってきた。それぞれのディスプレイに表示された情報だ。メインローターがゆっくり回転を始め、周りに嵐が起こる。
エンジンの回転が高まり、ローターの生み出す揚力も十分になった所で、
「コヨーテより管制塔へ。出動要請により、離陸許可を要請」
[管制塔よりコヨーテ。離陸を許可する]
離陸許可を得たバレリーは、コヨーテのピッチレバーを引き上げて離陸させた。
コヨーテは、瑞穂市内の高層ビル群の上空を南東へ飛んだ。離陸してすぐに、眼下を飛ぶスカイクルを何台も追い抜いていく。スカイクルのように車が空を飛ぶようになってもヘリコプターが消えて無くならないのは、最高速度が倍以上も違うからだ。ヘリコプターは時速300キロくらいで飛べるが、エルダ・ドライブを利用したスカイクルは130キロほどだ。なお、航空機用のエルダ・ドライブは高価な分高性能になるが、最高速度はあまり変わらない。
コヨーテは装甲のおかげか、普通のヘリコプターに比べて静かだ。また、3人の間にも会話はなく、見知らぬ人を前にして、由貴は何とも言えない空気に心が押しつぶされそうになる。その心情を察してか、コヨーテの飛行が安定してから、バレリーは口を開いた。
「いきなり連れ出す真似をして、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私はバレリー・スタンフォード。こう見えても一応、広域機動隊長をしているわ。出身はサウスレリア」
バレリーが隊長だと聞いて、由貴は目を丸くした。確かに、着任するかどうかわからない人間を現場に誘うことができるのは、リーダー格の人間以外はあり得ない。由貴はつばを飲み込んでから、
「神代由貴です。瑞穂警察学校の学生です」
と、身体を小さくしながら答える。広域機動隊の内示を辞退できるか否か、を聞ける雰囲気ではない。そういう意味では、直接訪れて様子を見るという選択肢は間違いだったか。
「申し訳ないけど、配属予定者の身上書はまだきちんと目を通していないの。でも、広域機動隊に配属されるということは、飛行機の操縦は大丈夫ね?」
「はい。学校では、航空機の実技だけは誰にも負けませんでした」
由貴の言葉を聞いて、バレリーは小さく笑い、
「私も、新入りの時はそうだったわ。ところで、念のために聞くけど、うちの隊に来て、後悔しない?」
「どうしてですか?」
「噂で聞いているでしょうけど、広域機動隊はすごく不人気なの。ここ数年、新人は1人も入ったことがないわ。顔を見せたこともね。だから、私としては、あなたが本当に来てくれるかどうか心配なの。もちろん、無理強いするつもりはないわ」
「見学してから決めようと思っていたんですけど、すぐに決めなければ、駄目ですか?」
由貴は、バレリーの顔色を伺う。バレリーは笑みを浮かべて、静かに首を横に振り、
「いいえ。よく考えてからで良いわ」
と答えた。
由貴は少し悩んだ後、自分の抱いた疑問を率直に聞くことにした。
「あの……広域機動隊って、何をするところですか?」
すると、バレリーの表情が強張った。そして、顔を前方に向けた時には、先ほどまでの笑顔は全くなく、真顔になっていた。
「説明するより、見てもらった方が早いわね。もうすぐ分かるわ。コンス。今回の事件の説明を」
言葉で説明するよりも、実際に見る方が分かりやすい。幸か不幸か、今がその良い機会だ。バレリーは、後ろの席に座る、コンスと呼ばれたアンドロイドに言った。コンスはキャビンの中央に座っていた。そこは左右の席とは違い、目の前に小さなコンピュータ端末が付いていて、いろいろな情報を入手できるようだ。人が使う場合はキーボードを使うのだが、アンドロイドのコンスはそれらを使わず、右腕から延ばした太めのケーブルを端末に繋いで操作していた。
「はい。重要容疑者を瑞穂警察本部へ移送中に、武装集団の襲撃を受け、武装集武装集団の鎮圧および容疑者の保護が今回の任務です。移送中の容疑者は、飛鳥革命軍のリーダー内藤大地。現場は本部から南東20キロの桃花町。5分後に到着予定です。
「飛鳥革命軍って、あの過激派武装集団ですか?」
「そう。古い過激派の生き残り。10年も前に壊滅したと思われていたのに、最近、何故か再び活動を始めたのよ。それも、今度はかなり財力があるらしくて、以前と違って、立派な武器をそろえているわ。どこかの国が後ろ盾しているんじゃないか、と思うくらいに」
バレリーは答える。
「前の画面に、現場の地図を表示します」
コンスはそう言い、操縦席と副操縦席それぞれの前にある計器盤のディスプレイに、現場の地図を表示した。地図のとある道路上には黒い×印があった。
「襲撃のあった地点は印の地点です。周囲は畑で、民家はありません。近くに採石場があります。現場からの報告では、容疑者は、護送車を奪って逃走。現場にはダンプカーが進路を塞いでおり、銃撃戦となっている模様です」
コンスは補足した。地図を確認したバレリーは、
「私たちは、正面から突っ込んで連中の注意を引きつけ、地上班を援護するわ。飛革(飛鳥革命軍の略)は、完全武装しているから気を付けて」
やがてコヨーテは、桃花町の丘陵地帯の上空にさしかかった。この辺りは瑞穂市のベッドタウンとして開発中だが、田畑や自然も多い。広大な森に、足漕ぎボートの浮かぶ池。自然歩道もあり、週末にもなると、都会の騒々しさから逃れ、あるいは安らぎを求めて来る人が多い。
物騒な世界から縁遠い筈のこの地で今、銃弾が飛び交っている。犯人を移送中の車両が、何者かの襲撃を受けているという。飛鳥革命軍は、大戦後の飛鳥の混乱期に、理想国家建設を目指して武器を取り、テロ活動を続けたグループ。そのメンバーのほとんどは逮捕され、あるいは国外逃亡し、そして時代の流れも手伝って、組織は10年前に消滅したと思われていた。ところが、最近になって、飛鳥革命軍を名乗る武装グループによる、銀行強盗や襲撃事件が多発。軍の武器庫が襲われたことさえあった。その行動の大胆さは、かつての組織では考えられなかったことである。だが、その大胆さが命取りになり、数ヶ月前、現組織のリーダーとされる内藤大地が逮捕された。内藤は、実行部隊の指揮を直接執っていたと思われる。組織にとって、司令塔がいなくなることは致命的だ。なんとしても奪還したいのだろう。
現場に近づくとコヨーテは速度を落とし、高度を下げて、県道に沿って山をう回するコースを取った。由貴は、窓越しに下を覗いて、自分の目で県道を確認する。道に沿って前方に視線を移すと、ダンプカーが道を塞ぎ、1台のポリススカイクルは田に落ち、もう1台は煙を上げている。ポリススカイクルの後ろでは、警察官が拳銃をダンプカーに向け構えている。ライトバンの護送車の姿はない。
「護送車がいません」
由貴は周囲を監視しながら言った。
「情報通りね。まずはここを片付けましょう」
バレリーの操縦でコヨーテは高度を下げ、ダンプカーの正面30メートルのところで空中静止する。
「警察だ。銃を捨て、車を降りなさい」
コヨーテの外部スピーカーを通して、バレリーは犯人に呼びかける。すると、目の前に火花が散った。由貴は小さな悲鳴を上げ、手で顔を覆った。ダンプカーの右側運転席からの銃撃だ。だが、バレリーは慌てない。
「大丈夫。このヘリは防弾仕様になっているわ。自己防衛のため、反撃する」
バレリーは由貴に言い、左手で握るピッチレバーにある武器選択のスイッチを入れた。バレリーのヘルメットのHMDが降りる。間髪入れず、操縦桿の攻撃ボタンを押す。機体右の汎用ポッドからロケット弾が、ダンプカーに向かって飛んでいく。ロケット弾はダンプカーのフロントグリルに着弾し、黄色い液体が前面を覆うように広がって付着した。車体は激しく揺れる。攻撃も止む。
「た、隊長。武器の使用は…」
由貴は、驚きの表情でバレリーを見る。ロケット弾は、弾頭にペイントを詰めたものだった。とはいえ、ペイント弾といえども、警察が迷わず重火器を使う光景など、由貴は想像したこともない。学校の授業で習ったこともあるが、どこか別世界のことと思っていた。
「ようこそ、広域機動隊へ」
バレリーは返事した。
ダンプカーは動き始めた。一度後退し、左へハンドルを切って、逃げていく。
「犯人が逃げます」
由貴は叫んだ。すると、コンスは淡々とした声で、
「その先には、レイさんとアルが待機しています」
と答えた。バレリーは頷き、
「ダンプカーはレイたちに任せて、私たちは護送車を探しましょう」
コヨーテは上昇し、移動した。
ダンプカーにはエルダ・ドライブはなく、飛行能力はない。重量のあるトラックに飛行能力を持たせるには、コストの割に輸送費が掛かって効果がない。ダンプカーの逃げた先には、地元警察のポリススカイクルが2台で道を塞ぎ、警察官4人がその後ろで銃を構えていた。そのさらに後ろに、青いスカイクルが着陸した。そこから降りてきたのは、先ほど由貴がぶつかりそうになったレイ・島崎と、男性型アンドロイドだ。レイとアンドロイドは4人のところへ行き、自分の警察手帳を提示した。
「広域機動隊のレイ・島崎です。応援に来ました」
レイは敬礼をした。相手も敬礼を返し、
「瀧だ。今、ダンプカーがこちらに向かっている。被疑者は1名。黄色いペンキが前面に付着しているから、すぐ分かる」
「了解」
レイは銃を抜いた。銃と言っても、警察官の標準仕様のものではない。ブラスターと呼ばれる銃で、見た目はやや大きめの回転式拳銃に似ている。けれども、銃弾は使用しない。グリップ下にセットするバッテリーパックがその代わりとなる。スイッチを入れ、撃鉄にあたる部分についているダイヤル式出力レベルを最大に合わせる。本来なら銃弾が入っている回転式のシリンダーの5つの穴の4つには、ブリット・エレメンタルと呼ばれる円筒形のカートリッジが装てんされている。1つは空だ。カートリッジ本体は真鍮の筒で、中には透明、赤、青、黄の透明な石が詰められている。今使おうとしているのは、透明なカートリッジだ。
レイの構えたブラスターの先に、ダンプカーが現れた。止まる気配はない。むしろ速度を上げている。
「来た。威嚇射撃を行う」
瀧は拳銃を空に向けて撃った。ダンプカーは止まらない。もちろん、彼らも、この威嚇射撃で終わるとは思っていない。全員はすぐに銃を前に構え、
「タイヤを狙って撃て」
瀧は次の指示を出す。レイを除く全員は、射撃を開始した。
「アル。どこを狙えば良い?」
レイは、アンドロイドのアルに聞く。
「フロントグリル正面です。ペイント弾の当たった穴を狙ってください」
「よし。とっとと片付けよう」
レイはブラスターを両手で構え、引き金を引いた。光弾が飛んだ。ダンプカーのフロントグリルに大きな穴が開いたが、ダンプカーは止まらない。警官4人はタイヤを狙って撃っているが、こちらもバンパーなどが邪魔をしてパンクさせるには至らない。
「もう少し下です」
「分かった」
アルのアドバイスに従い、レイはブラスターを少し下に向けて撃った。今度は命中した部分から煙が出た。レイは続けて2度、引き金を引いた。ダンプカーのフロントグリルが外れて落ち、エンジン付近から白煙を吐き出した。鈍い金属音と、タイヤのスリップする音がして、ダンプカーは左に進路を変えた。縁石を乗り越え、ガードレールを倒し、道路脇の用水路に半分落ちたところでようやく止まった。彼らの15メートルほど手前のところだ。
「撃ち方止め」
瀧の指示で射撃が止まる。レイはブラスターの出力を最小にして、銃口を再びダンプカーに向ける。瀧は拡声器を使い、
「銃を捨て、車から降りろ」
と、ダンプカーに呼びかける。
「反対側から逃げます」
アルが言う。彼の言うとおり、犯人の足がダンプカーの下を通して見える。レイは走り出す。警察官4人も走り出す。アルは精密機械なので、早歩きしかできない。レイはダンプカーにたどり着き、その陰から犯人を確認する。男が1人、自動小銃を右に持って走り去るのが見えた。レイはブラスターの出力ダイヤルを最小に会わせた。
「止まれ!」
ブラスターを男に向け、レイは叫ぶ。男は振り返る。自動小銃もレイの方を向く。レイは引き金を引く。鋭い光弾が男の腹部に命中する。男は腹を押さえ、倒れた。銃はまだ手放していない。警察官たちはレイを追い越し、銃を構えながら男に近づいていく。レイは男の身柄確保を彼らに任せ、ダンプカーの荷台や運転席に登って、他に人間がいないか確認をした。
「他には誰もいない。俺たちの仕事は終わりだ。隊長の方は?」
ようやく追いついたアルに、レイは聞く。
「護送車を発見したようです。ここから3キロ先です」
アルは答えた。
奪われた護送車の中では、内藤の手錠外しはまだ終わっていなかった。機械の暗証番号解読だけでなく、ノコギリによるパイプ切断も試みられていたが、ヘリの音が倉田の耳に届く方が早かった。
「まだ終わらないのか?」
倉田は、ノコギリを懸命に動かしている男に怒鳴る。
「もう少しだ。もう少しで終わる」
「もう待てない。時間がない」
倉田は護送車の中に入り、若い男を引きずり出した。
「お……おい。早く外せ」
作業が中断し、内藤は置いていかれると思って焦りと怒気を含んだ声で言う。倉田は自動小銃を内藤に向け、
「悪いな。連れ出せないなら、こうするしかない」
というが早いか、引き金を引いた。内藤は短い呻きを残し、動かなくなった。
彼らの頭上には、エアポリスのヘリが旋回している。このヘリは非武装だが、追っ手であることに変わりはない。
「行くぞ」
倉田と他の3人は、近くに止まっていた1台の黒いスカイクルに乗り込み、走らせた。
コヨーテが護送車の上空に着いたのは、その直後。バレリーはコヨーテを護送車に近付けた。護送車の近くには警察官が2名倒れている。護送車は後部ドアが大きく開いていて、内藤が身動きひとつせずに、血を流して座っているのが確認できた。由貴は思わず口を塞いだ。
「何て事なの。仲間を撃つなんて」
バレリーは思わずつぶやく。無線通信が入る。
〔こちら、エア2。容疑者の車1台を追跡中。場所は現場から北1キロ。車は黒のセダン型スカイクル。武装している。容疑者は4名〕
「コンス。周囲の状況は?」
バレリーはコンスに聞いた。
「周辺に、犯人と思しき人体反応はありません」
「じゃあ、応援に行きましょう」
バレリーは由貴に言い、コヨーテの鼻先を北に向ける。由貴は黙って頷くだけ。
「由貴。エア2に応答して」
バレリーは由貴に指示する。由貴は一瞬戸惑ったが、無線の操作自体は手慣れていた。
「こちら、コヨーテ。応援に向かいます」
「追加情報です。ダンプカーに乗っていた犯人1名の身柄を確保」
コンスは報告する。
「こっちは車を見つけたわ」
バレリーは顎で前方を指す。
黒いスカイクルは、地面ぎりぎりの低さを猛スピードで飛行していた。視線を右上に移すと、エアポリスの白いヘリが見える。相手が武器を持っているので、非武装のエアポリスのヘリは近づけない。コヨーテは、スカイクルの左上に位置した。装甲しているコヨーテは高度を下げ、スカイクルに近づく。
「警察だ。そこの黒いスカイクル。今すぐ着陸しなさい」
バレリーは、外部スピーカを通じてスカイクルに呼びかけた。スカイクルからは、銃弾の返答があるのみ。止まる気配はない。
「どうしますか?」
由貴は右下を見ながら聞く。バレリーは答えの代わりに、機関銃を動かした。ヘルメットのHMDに映った照準を、スカイクルのすぐ左横にあわせる。短い攻撃が地面をえぐる。スカイクルは右に進路を変えた。コヨーテは右に大回りし、スカイクルの後ろにつく。
「今すぐ停止せよ。次は警告ではない」
バレリーはもう一度呼びかける。スカイクルは採石場に入り、中腹のところで着陸しつつ、なおも逃走する。飛行時と比べ、タイヤが地面に接しているので速度は出ないが、小回りが利くようになる。スカイクルは採石場内を登っていく。
「どこへ行くんでしょう?」
「わからないけど、この先は行き止まりだから、そこからまた飛ぶのかも」
スカイクルは採石場をどんどん登る。コヨーテは、スカイクルの右横に並んで飛行する。銃弾を跳ね返す火花が由貴側の窓に散乱し、由貴は首を縮める。
「前に回り込むわ」
コヨーテは速度を上げ、機体を反転させながらスカイクルの前に出る。コヨーテは機首をスカイクルに向けながら、後ろ向きに飛行する。スカイクルはようやく止まった。が、逃走を諦めたわけではない。自動小銃による攻撃が再びコヨーテに浴びせられる。防弾仕様のコヨーテには効かない、と思われた。
コヨーテは急に左へ動いた。右側面で、何かがはじける音がした。同時に機体が激しく揺れた。
「な?」
「グレネードよ」
バレリーは操縦桿をしっかり握り、必死になってコヨーテのバランスを保っている。グレネードは、手投げあるいは小銃などで発射する、爆弾のようなものだ。ヘリの揺れはすぐ収まったが、浴びせられる銃弾は止まない。
「右舷にグレネードが命中。損傷程度は不明。燃料が漏れている可能性があります。重火器の使用を確認。実弾使用の許可を得ました」
コンスは至って冷静だ。だが、グレネードで撃たれたとあっては、人間は冷静ではいられない。コヨーテは機首をスカイクルに向けたまま左に移動した。由貴とバレリーは、sスカイクルの犯人グループを見た。スカイクルの4人のうち、左後部席にいる男が、小銃に装着したグレネードランチャーに、次の弾を装填していた。
「隊長。また撃ってきます!」
由貴は叫んだ。もし、グレネードがエンジンか燃料タンクに当たったら、墜落は免れないだろう。スカイクルは移動して、グレネードを撃ちやすいように向きを変えた。
「高度を上げるわ。当たらないように祈っていて」
バレリーはエンジンのスロットルを回しながらピッチレバーを引いた。コヨーテは高度を上げた。その近くの空中で爆発が起きた。グレネードの爆発だ。コツコツと、その破片が機体に当たる音が聞こえた。
「実弾で応戦する」
バレリーは言うやいなや、武器に機銃を選んで、眼下のスカイクルを見た。ヘルメットのバイザーに映る緑色の照準が、スカイクルの右前輪に合わさった。スカイクルは走り出した。正確には、地面すれすれに飛行した。そうすれば、タイヤを撃たれても移動できる。
バレリーはタイヤを狙い続けた。まずは警告射撃のためだ。操縦桿のトリガーを1秒だけ引く。右前輪が脱落したが、スカイクルは止まらない。逆に速度を上げる。
「止まりなさい! 止まらなければ、再び発砲する。破壊も辞さない」
バレリーは警告した。スカイクルは止まらない。それどころか、後ろの窓からグレネードランチャーが顔を出した。
「分かって貰えないようね。だから過激派をやっているのだろうけど」
バレリーは、ついに照準をスカイクルのフロント、エンジンのある部分に合わせた。今度はトリガーを長めに引いた。エンジンが破壊され、スカイクルは着地した。しかし、慣性で簡単には止まらない。フロントバンパーが地面にぶつかり、それを支点に車体後部が浮き上がり、一回転してひっくり返り、屋根を地面にぶつけ、数メートル進んだところで停止した。
「停止を確認。まだ反撃してくるかも知れません」
コンスは言った。バレリーは黙って頷いた。ひっくり返ったスカイクルの中で何かが動いた。
「まだ、撃ってきます」
由貴が叫ぶ。バレリーは再び照準をスカイクルに合わせた。しかし、スカイクルは突然爆発した。バレリーと由貴は思わず首を竦めた。
「自爆したのか、それとも、持っていた武器に引火したのかは分かりません」
コンスは状況を報告した。
「地上班に連絡。それと、消防車と救急車を呼んで」
「連絡及び手配済みです」
バレリーの指示に、コンスは答えた。バレリーは、左隣に座る由貴をみた。由貴は身体を小刻みに震わせ、縮まっていた。
「説明するより、見て貰った方が早いでしょう。私たち広域機動隊は、重火器犯罪の初動対処を専門としているの。赤文字なのは、それが理由」
バレリーは由貴に対し、静かに言った。そして、
「幻滅したかしら?」
と聞く。由貴は何も答えられない。
「地上班が来たら、私たちは帰還するわ。もう少しだけ付き合ってちょうだい」
瑞穂警察本部へ戻ったコヨーテ。バレリーと由貴は、報告のために広域部長室へ向かった。アンドロイドのコンスは、先に広域機動隊のオフィスに戻った。
瑞穂警察の広域機動隊は、広域部に所属する。瑞穂警察は、瑞穂市を中心とする30の市町村を管轄としているが、事件は周辺の別の警察組織の管轄とまたいで発生することが多い。また、重火器を使用した犯罪に対処できる部署を持っている警察署は、全国でも数えるほどしか無い。そのため、特定の大規模な警察組織には、他警察組織の支援のため、広域部という部署が設けられている。広域機動隊は、刑事部で言うところの機動捜査隊と同じく、事件発生の初期段階で対応するための部署だ。
広域部長室に入ると、当麻淳司は椅子から立ち上がり、部屋の中央まで歩んできた。警察官としては華奢な体格で、部長としての威厳はあまりない。ただ、目つきだけは警察官らしく、鋭い。
「ご苦労だった、隊長。内藤の件は残念だ。しかし、この事件は我々だけの問題じゃない。過激派のトップが、我々の管轄内で襲撃されて死んだとなれば、我々は相当きつい批判にさらされることになる。早速、市長と本部長からも電話があった。刑事部長も、広域機動隊の対応に問題がなかったか調査する必要がある、と息巻いていたよ」
当麻は厳しい顔で言った。
「申し訳ありません」
バレリーは頭を深々と下げる。由貴も慌てて頭を下げる。そして、そのままの姿勢で目だけ動かして、バレリーを見る。バレリーはまだ、頭を下げたままだ。
「連中の武装も重装備になるばかりで、君達も大変だろうが、出来れば犯人を生かして捕らえて欲しい。その為に君達は、特別な装備を持っているのだからね」
当麻は厳しい顔を続けていたが、急に穏やかな顔になって、
「しかし、相手が重火器を持っているのだから、仕方がない。彼らも、こちらの苦労を理解してほしいものだ。さて、内藤だが、彼は護送車の中で死亡が確認された。手錠が外せなかったため、口封じに殺されたのだろう」
当麻の言葉が終わり、バレリーは頭を上げる。由貴もそれにあわせて頭を上げる。
「部長。彼らが待ち伏せをしていたということは、護送ルートが事前に漏れていたということになりますが?」
「その事は刑事部長も言っていた。公安も動き始めている。ところで…」
当麻は、バレリーの斜め後ろの見慣れぬ顔に目を向けた。その赤い瞳から、誰かはすぐに分かったようだ。
「君が、神代君だね?」
「神代由貴です」
由貴は名乗り、頭を下げる。当麻は、由貴のことを事前に知っていたようで、初めて会う人間が必ず見せる反応はなかった。当然だ。顔写真の付いた身上書は、真っ先に部長の所に来ているはずだ。
「私は、広域部長の当麻淳司だ。今日の事件でも分かったと思うが、広域機動隊は他の部署と違って、重武装した相手にした事件を担当している。訪問初日で大変だったろうが、幸か不幸か、仕事の内容はよく理解してもらえたと思う。正式な辞令交付は来月だから、その時にゆっくり話そう。ところで、新人がここまで来てくれたのは、数年ぶりじゃないか?」
「そうです。でも、彼女は航空機の成績は優秀だそうですから、広域機動隊もしばらくは安泰です」
「じゃあ、エアポリスに横取りされないよう、気を付けないと、な」
「はい」
「さて、私からの話は以上だ」
「失礼します」
当麻の話が終わり、バレリーと由貴は、入り口へ向かう。
「そうだ。神代君、ちょっと」
突然、由貴だけ呼び止められた。振り返った由貴の顔には、明らかに不安の色が見える。何かあるのか、1人で大丈夫かと、助言を求めてバレリーの顔を見る。バレリーは、大丈夫だからと頷き、ドアの向こうに消える。由貴は恐る恐る、当麻の前に戻る。
「君は、広域機動隊がどんな部署で、どんな仕事をするのか。きちんと理解しているかな?」
「いえ。実を言いますと、よく分かりません。危険な部署だとは聞いていますし、実際、今日体験しましたが」
「それでは駄目だ。広域機動隊は君自身が経験した通り、生命の危険を伴う部署だ。君に確固たる意志があれば良いが、入ってから『話が違う』と言われても困るし、君のためにもならない」
「はぃ」
「そういう意味では、特殊部隊よりも危険な仕事だ。広域機動隊が赤文字の部署なのも、その点にある。その事を承知した上で入るなら、良いが」
当麻の言葉を受けて、由貴はおどおどしながら、
「私はもう、広域機動隊の一員です。他へ行く気はありません」
と答えた。決意の言葉と、オドオドした態度は、由貴自身が気付いているくらいズレがある。しかし、当麻は、そんなことは構わず、
「そうか。隊長が聞いたら、喜ぶだろう。以上だ」
「はい。失礼します」
由貴は大きく素早い動作で頭を下げると、後ろ手でドアを小さく開け、隙間を抜けるようにして廊下に消えた。
由貴が部長室を出ると、大きく息を吐いた。安堵の息だ。しかし、右横で、腕を組んだバレリーが立っていることに気付いて、彼女は思わず飛び退いた。
「驚かせたかしら?」
「いえ。その……大丈夫です」
2人は静かに歩き出し、エレベーターホールに出て、バレリーは上行きのボタンを押した。
「有り難う」
と、突然バレリーに言われ、由貴はきょとんとする。
「部長に、『自分は広域機動隊の一員だ』って言ったでしょう? 聞こえたわ」
「すみません。生意気な言葉でした」
「そんなことはないわ。むしろ、感謝しているの。あなたが広域機動隊に入る決心をしてくれて、正直、ほっとしているの。私たちは心から、あなたを歓迎するわ。これからオフィスに行って、メンバーを紹介するわね。それと――」
右端のエレベーターの扉が開き、2人はそれに乗り込んだ。
「広域機動隊に入る以上、色々と知っておいてもらわなければならない事があるわ。細かいことはその都度説明するけど」
バレリーは43階のボタンを押し、話を続ける。
「広域機動隊は広域部の一部署で、瑞穂市だけでなく、中部地方全体の捜査支援を担当しているわ。今日出動した事件みたいに、特に重火器を使った凶悪犯罪が相手ね。実際の出動命令は指令センターが出すから、普段はオフィスで待機している事になるわ。広域機動隊のメンバーは現在、私を含めて2人。あなたも入れると3人ね。それと、ナビ・ロボットが2人。さっき同乗していた子がその内の1人。彼らには疑似人格があるから、ほとんど人間と変わらないわ。捜査では、強い味方になってくれる筈よ」
43階でエレベーターを降り、広域機動隊のオフィスに着く。そこにはレイ・島崎と、ナビ・ロボットと呼ばれるアンドロイドのアルとコンスがいた。
「ここが私たちのオフィスよ。みんな、集まってちょうだい。今度赴任してくることになった、神代由貴さんよ」
「神代由貴です。よろしくお願いします」
バレリーに紹介され、由貴は簡単な言葉と共に、深々と頭を下げた。
「彼はレイ・島崎。男性型ナビ・ロボットはアル。コンスは、さっき一緒にいたわね」
バレリーは、メンバーを一通り紹介した。
「神代由貴です。よろしくお願いします」
由貴は軽く頭を下げる。頭を上げ、全員の顔を見る。ナビ・ロボットはともかく、レイは、由貴の容姿を見て動揺している様子はない。由貴はほっとする。
「コンスは由貴のサポートをお願いね。レイとアルは、今まで通り。由貴、何か分からないことがあったら、誰でも良いから、構わず聞いてちょうだい。後は――」
バレリーは辺りを見回し、他に言うべき事がないか探した。そして、綺麗に片付けられている机を指差し、
「机は、あそこが空いていたわね。じゃあ、今日から、あそこがあなたの席よ。今やるべき事は、それくらいかしら」
「神代さんの赴任が決定でしたら、寮の貸与申請をしますか?」
由貴の赴任の意志を確認するかのように、バレリーに聞くアル。
「ええ。由貴、もし引っ越しの日程が決まったら、教えてちょうだい」
「はい」
「隊長。広域機動隊の説明をしますか?」
今度はレイが聞いた。バレリーより背はやや低く、髪は茶褐色で肌は浅黒い。目付きは悪く、それだけで大分損をしている。レイの特長をあげるなら、かぎ鼻と泣き黒子だ。名前と外見から、外国人とのハーフだとすぐ分かる。
「簡単にはしたけれど、細かいことはこれからよ。まずは署内の案内をしましょうか。それに、ブラスターの用意もしないと。ついでに、XV-9も押さえておきましょう。コンス。おやじさんに、今から行くと伝えて」
「はい」
コンスと呼ばれるナビ・ロボットは答え、自身に内蔵されている通信回線で連絡を取った。言葉を発する必要がないので、見た目では、本当に通信が行われているか、確認する事はできない。
「おやじさんとコンタクトがとれました。装備課の保管室におられます」
コンスが連絡を取り、おやじさんと呼ばれる男の在室を確認する。
「じゃあ、行きましょう」
バレリーは、由貴を連れてオフィスを出た。
装備課は総務部に属し、瑞穂警察の車両や航空機、拳銃等の装備品を管理し整備、配給している。
31階の装備課のオフィスの隣に、作業部屋がある。バレリーはドアをノックして、部屋の中に入る。入ってすぐ目の前には、廊下から中を見えないようにするためか、大きなスチール製のロッカーが背を向けて立っていた。ロッカーをよけて中を覗くと、そこはまるで、どこかの研究所か、工場のようだった。金属製の立派なデスクは、まるで工場の製造ラインの一部のように、上からいろんな工具がぶら下がっていた。その辺り一面には、何やら難しい本や、頭の痛くなりそうなほど細かい字がびっしり並んだ紙が、無造作に置いてあった。壁には、航空機のデザイン画が何枚か掛けられている。
白衣を着た60歳前の男が、デスクの前に座っていた。白髪の髪はウェーブが掛かり、スマートとは言えない体型は、出歩く機会が少ないことを物語っている。アーネスト・ウィリアムスだ。彼は老眼鏡をかけ、黙々とデスクの上の小さな何かをいじっている。
由貴を入り口で待たせ、バレリーはその男に近寄った。
「おやじさん。やっと、広域機動隊に新しい子が入ったの。ブラスターと、約束通りXV-9を引き取りに来たわ」
作業に集中していたアーネストは手を休め、老眼鏡を外し、バレリーを見た。
「確かに『譲る』とは言ったよ。しかしだ。新人に使わせるのなら、私がその乗り手に相応しいと認めたら、とも言った筈だろう」
「今更、そんな事言わないでよ。折角、新しい子が入ってきたというのに」
「分かっているよ。もちろん、約束は守る。だが、最近の若い奴ときたら、腕もないのに良い機体を欲しがっては、すぐに壊して、整備不良だと文句を言ってくる」
「広域機動隊は、他の課とは違うわ」
「しかし、コヨーテを壊しただろう」
「それは、私たちの相手が一筋縄ではいかないからよ。コヨーテはすぐに直る?」
「装甲板の細かい傷は、問題のないレベルだ。ガラスにひびが入っていたから、それは交換する。それで問題はない。ところで、その新人はどこに?」
「入り口に待たせているの。由貴、いらっしゃい」
バレリーに呼ばれて、由貴は奥へ進んだ。バレリーの後ろに立ち、軽く頭を下げた。顔を上げた由貴を見て、アーネストは目を大きく見開き、思わず息を呑み込む。
「どうかしたの?」
バレリーは、心配そうにアーネストに聞いた。アーネストは、頭にまとわりついた何かを振り払うように、首を横に振り、
「いや。その……目が、な」
と、由貴の目を見つめながら、アーネストは気不味そうに言った。由貴は思わず、
「すみません」
と、つい謝ってしまった。
「いや。謝るのは私の方だ。顔が、私の知り合いに似ていたから、ちょっとびっくりしただけだ」
アーネストは、弁明に必死だ。
「由貴、気を悪くしないでね。悪気があって言ったわけじゃないから」
バレリーは、アーネストを庇う。
「気分を悪くしたなら、謝る。私は、航空機整備係の技術主任アーネスト・ウィリアムスだ。航空機用武器や特殊な銃器の管理も担当しているが、最近は広域機動隊の御用聞きが多いかな」
アーネストは笑顔を見せながら、由貴に右手を差し出す。
「はじめまして。神代由貴と言います」
由貴は頭を下げながら、アーネストの右手を握って握手する。アーネストは由貴の心の奥を探るように、彼女の目をじっと見つめた。
「どうしたの? おやじさん。まさか由貴に惚れた、とか」
由貴の顔を見つめたままのアーネストに、バレリーは聞いた。
「いや。しかし、つい、この瞳に見入ってしまった。よし。あの機体は、この娘に譲ろう」
「おやじさん。ついでに、彼女の銃もお願いね」
「分かった。先にそれをやってしまおう」
立ち上がったアーネストは、金庫のように頑丈そうなロッカーの前へ行き、指紋照合式の鍵を解除して開けた。その扉の向こうには、銃器が幾つかあった。その中から、由貴の手に合いそうなものを選び出し、彼女に差し出した。
「これで、どうかな?」
由貴は、オートマッチック拳銃のような、銀色の銃を手に取ってみる。レイが持っているものとは形が違うが、これもブラスターと呼ばれる特殊な銃だ。水晶を利用し、その振動エネルギーを取り出し、収束して撃つものだ。銃弾は不要だが、電力を供給するバッテリーパックを必要とする。出力は調整可能で、最大威力は厚さ20センチ程度のコンクリートの壁を貫通する。通常はショックガンと呼ばれる、最も威力の弱い状態で起動し、犯人を無傷で逮捕できるようにしている。発射音は小さいが独特で、雷鳴とも異なる。また、最大威力に設定した時の反動は、普通の拳銃よりも大きい。本体はカーボンで出来ているのか、軽い。グリップの大きさは、由貴の小さな手には少々握りにくい。
「少し大きいみたいですが」
「それ、私が持っているのと同じタイプね。大丈夫。すぐ慣れるわ」
「バレリーの言うとおり。慣れることが大切だ」
「由貴。念のために言っておくわ。広域機動隊では、常に銃を携帯することが義務づけられているの。何時、どんな凶悪な事件が発生しても、すぐ対処できるようにね。だから、勤務時間中は常に所持するように。但し、勤務時間外は当然、駄目よ」
飛鳥では、民間人の銃の所持は、法律で禁止されている。たとえ警察官であろうとも、普通は許可がない限り、携帯を許されていない。
「分かりました」
「登録者以外は使えないように出来ているから、奪われても悪用はされないが。で、銃の方はどうだ?」
「これで良いです」
「じゃあ早速、指紋を登録しよう」
由貴からブラスターを受け取り、アーネストは、ロッカーの隣にあるコンピュータの前へ移動した。
ブラスターは、持ち主以外の人間が使えないように、グリップに指紋照合装置が付いている。登録された指紋と、使用者の指紋が一致しなければ、引き金どころか、電源さえ入らない。高価な安全装置だ。それだけ、ブラスターの殺傷能力が高いことを物語っている。
「由貴。指紋登録をするから、そこのスキャナーに手をのせてくれ」
ブラスターをコンピュータ右側の、専用の台座にセットしたアーネストは、コンピュータ左側の、スキャナーのカバーを開けた。由貴が言われた通りに手を乗せると、アーネストは指紋登録を開始した。ものの数秒で、登録終了の文字がモニター画面に表示された。
「これで、このブラスターはお前さんのものだ。しかし、まだホルダーを持っていないようだな。ブラスターは、後で私がオフィスに持って行こう。取扱説明書は、後で銃と一緒に持って行くから、ちゃんと読むように」
アーネストは無造作に置いてある、幾つかのファイルを指して言った。これでは、どれが由貴の持つブラスターの説明書か、分からない。そこで、バレリーはそれらを手に取って由貴のブラスターの取扱説明書を探し、由貴に渡した。由貴はページをパラパラっと捲ってその中身を確認した後、机の上に置かれた銃のそばに置いた。
「後は、何をすればいいのかな?」
「XV-9。お忘れ?」
「おっと、そうだった。あれは上の倉庫にある。早速見てみるか?」
「お願いするわ」
「よし。じゃあ、ついてきてくれ」
アーネストを先頭に、バレリーと由貴は続いて廊下に出た。
47階。装備課の簡易工場と、倉庫がある。ここでは、航空機やスカイクルの定期整備はもちろん、原因が判っていれば、大抵の故障は修理できる。戦闘機の防弾板の張り替えなど、お手のものだ。床面積が広いだけでなく、天井も高く、大型輸送機さえ収まりそうだ。しかし、柱が多く、様々な設備が所狭しと並んでいるため、そう広くは感じない。
「ここは、装備課の整備工場。これから、よくお世話になるところよ」
バレリーは歩きながら、由貴に説明した。
工場の奥に、車が入るほどの大型の貨物エレベーターがある。その前を通り過ぎ、3人は大きな鉄のカーテンの前に立った。アーネストは右端の扉から2人を中に入れた。
中はガランとしていた。中は真っ暗だったが、アーネストが入り口の壁のスイッチで照明を付けた。すぐには明るくならないが、どこに何があるかは判別できるまでになる。倉庫の右隅には、薄暗い照明に浮かぶ飛行機が、こちらに背を向けて止まっていた。まだ暗くて細部は分からないが、異様な姿をしているのは間違いない。どうやら、これが目当てのもののようだ。3人は、その飛行機に近付いていく。
「しかし、これを取っておくのには苦労したよ。エアポリスもこいつを狙っていてね。『こっちに譲ってくれ』と、何度も催促されたよ。特に、冴子がね」
「それで、どうしたの?」
「だから言ってやったのさ。バレリーに空で勝てたら考える、とね」
「お陰様で、エアポリスの何人かに、訓練飛行中に勝負を挑まれたわ」
「で、どうなった?」
「もちろん、適当に相手してあげたわ」
「バレリーらしいな。まあ、間違っても、バレリーが負けることはないだろうと思って、そう言ったのだが」
「酷い話ね。おかげで私は、無駄な時間と労力を消費したわ」
「適度な運動になっただろう」
飛行機の所まで来た頃には、倉庫内の明るさは十分になった。飛行機の普通じゃない姿も、はっきり見えるようになる。
逆ハの字に付けられた2枚の青い垂直尾翼には、機体登録ナンバーと、『XV-9』の白文字がある。丸くて太い機体後部は、まあ普通。しかし、機体から独立した形で左右に付くエンジン部分から、急に異様さが顕わになる。
排気口部分の外側には、クリーム色に塗られた板状のものが後方へ突き出し、エア・ブレーキとなっている。エンジン部も、反った板を外側に膨らませて貼り合わせたかのような形をしている。エンジン上部から水平にのびる白い主翼は、先端が前に突き出す形の前進翼だ。
エンジンの吸気口は普通だが、胴体は前に進むにつれて異様さは更に増す。2人が前後に座る形のコックピットは、機体のおよそ中心部に位置し、そのキャノピー(風防)は緩くカーブを描いた3つの面を合わせて構成されていた。そして、長い機首の先に向かって、六角形の断面形状が、細くなりながら続く。機首の途中にはカナード翼があり、機首の先端にある灰色のレドームは、まるで大工が使うノミのような形状をしている。
由貴は前に回り、改めて飛行機全体を見る。この機体を端的に説明するなら、細いノミを付けた前進翼のジェット機だ。見た目はユニークだが、とても本物の飛行機には見えない。いや、飛ぶための翼やエンジンはちゃんと付いているけれども、本当に飛ぶのかどうか、疑わしい。どうしてこのデザインになったのだろうか。
「これは、富士見XV-9だ」
アーネストは誇らしげに名前を言う。しかし、由貴の反応は悪い。呆然とこの機体を見つめるばかりで、どうやらアーネストの言葉は耳に届いていないようだ。
「これは前に、私が富士見重工にいたときに手掛けた実験機の、3号機だ。新素材をふんだんに使い、前進翼を採用。亜音速時の機動性と汎用性を追求した機体だ。もちろん、エルダ・ドライブも搭載している」
アーネストは説明を続けた。だがやはり、由貴はこの機体を、ポカンと口を開けて見つめるばかりだった。ボディに手を触れながら反時計回りに機の周りを一周し、張りぼてではないことを確認しようとする。
エルダ・ドライブには、魔導石あるいはエルダと呼ばれる青い色の鉱石が入っている。鉱石そのものは古くに発見され、現在でも謎が多いが、空気中に存在する魔素と呼ばれる物質に作用し、上下の魔素の濃度を調整して浮力を得ている。この原理を解明し、科学的に制御したのは工業国プロイセン公国の科学者で、魔導石を利用したこの装置はエルダ・ドライブと名付けられた。スカイクルと呼ばれる空飛ぶ車も、この装置を積んでいる。
「CCVだから扱いは多少難しいが、自由度の高い飛行が可能だ。武器はミサイルも含めて全部、胴体内部に収容している。攻撃システムは従来機と大して変わらないが、防御システムの方は、後方の視界が悪い事もあって、充実させている。自動の設定も可能だ。どうだ。気に入ってもらえたかな?」
アーネストの言葉を心半分に聞きながら、由貴はXV-9の排気口に手を入れて、コンコンと叩いて本物であることを確認しながら、排気口の上下に付いている二次元推力偏向パドルを上下に動かそうとしてみる。次いでXV-9の右舷に周り、頭よりも高い位置にある前進翼のフラップを、やはり真偽を確かめるように掴んでみる。
CCVは、運動能力向上機の略である。普通の飛行機は飛びたい方向に機首を向けるのが普通だが、CCVでは機首を向けずとも進みたい方向へ進むことが可能となる。また、前進翼は、普通のジェット機では主翼の先端が後ろになる後退翼となるが、それを逆向きに付けたようなものだ。先端が前を向いていても、後ろを向いていても飛行に問題はないが、後退翼は飛行が安定するのに対し、前進翼は不安定となる傾向がある。戦闘機ではその不安定さを逆に機動力として利用できるが、不安定で制御が難しいことと、主翼が壊れやすいことが問題とされ、採用例は非常に少ない。
由貴には不安が1つある。そんな複雑な飛行機を、扱いきれるだろうか、と。
「由貴。どう? これが、あなたが主に使う事になる飛行機よ。悪くないでしょう?」
「悪くない? 見た目はともかく、そこら辺の飛行機には負けないつもりだがね」
バレリーの言葉に、不満を示すアーネスト。だが、正直言うと由貴は、この飛行機が飛ぶことさえ信じられない。エルダ・ドライブを積んでいれば、少なくとも墜落する心配はないと思うが。
「これ、本当に飛ぶんですか?」
「疑っているな? 確かに見た目は変だが、性能は保証する」
疑いの目を隠さない由貴に、アーネストは自信に満ちた笑みを浮かべて答える。
「私も、飛ぶことだけは保証するわ」
バレリーも、アーネストの言葉を裏付けるように頷く。
「バレリーまでそんなことを言うか」
「私に扱えるでしょうか?」
「それは、これからの訓練次第ね」
「まあ、何回か乗れば慣れるだろうし、前進翼の難しい部分はコンピュータが自動でやってくれるから、まず大丈夫だ。普通の飛行機が飛ばせれば、な」
そう言ってアーネストは、白衣の左ポケットから、手のひらにあまるほどの大きさの、黒くて薄い四角い物を取り出し、XV-9に向けた。幾つもあるボタンのうちの1つを押すと、XV-9のキャノピーが跳ね上がり、左側面のやや下からは、足が掛けられる程度の小さなステップが降りてきた。後部席付近では、側面がごっそりと下に開き、楽に昇降できるエアステアとなった。
「それはリモコン?」
バレリーが聞くと、アーネストはエアステアを昇りながら、
「ああ。遠隔操作ができるように、と思って」
「どんなことができるの?」
「キャノピー開閉と、エンジン始動くらいだ。さすがに操縦まではできない」
アーネストは後部座席から、分厚いブックファイル1冊を取り出した。
「これは、XV-9の取り扱い説明書だ。装備を全部警察用に変えるから、多少変わっている部分もあると思うが」
降りてきたアーネストから、ブックファイルを受け取る由貴。そして、中を見るが、細かい字や複雑な図で埋め尽くされ、1ページ目でノックアウトされてしまった。由貴はファイルを閉じ、
「ウィリアムスさん。この飛行機、名前は付いてないんですか?」
「名前? XV-9だが」
「そうじゃなくて。えーっと、ほら、ファルコンとか、何とかキャットとか」
「ああ。愛称か。これを造った当時は、実験機に愛称は無いのが普通だったから、付いてない」
「じゃあ、私が付けても良いですか?」
「まあ、XV-9はもう広域機動隊のものだし、登録もこれからだから、別に構わんが?」
「じゃあ、今日からこの飛行機は、『アレックス』って名前にします」
「アレックス? まるで人の名前だな」
「まあ、良いじゃないの。XV-9を気に入ったみたいだから」
アーネストの肩を叩いて、なだめるバレリー。
「分かった。この機体は『アレックス』と言う名前で登録しておこう。それから、悪いが、少し時間をもらえないか? 武器やらなんやら、警察用に取り替えるものが多いから、今すぐに引き渡せる状態じゃない」
「分かっているわ。おやじさん、色々とありがとう」
「いやいや。これも仕事のうちだ。とにかく、これでエアポリスの連中から、なんだかんだと言われずにすむかと思うと、ほっとするよ」
「迷惑を掛けたわね。じゃあ、私たちはこれで失礼するわ。整備が終わったら連絡して。由貴、行くわよ」
由貴は、いつの間にか操縦席に乗り込み、操縦桿を動かしてみたり、スロットルレバーに手を掛けて、ボタン類に触れたりしていた。バレリーに呼ばれると、由貴は慌ててそこから出て、降りた。
「本当に、私が使ってもいいんですか?」
由貴は、練習機とは違う感触にやや興奮しながら、念を押すように聞く。
「ああ。もちろんだ」
アーネストは小さく頷く。
「ありがとうございます」
由貴は大きく頭を下げると、すぐに向きを変え、足早にバレリーを追った。
去っていく2人、特に由貴の後ろ姿を眺めながら、アーネストは得体の知れぬ不安に包まれたように、顔から表情が消えていた。
続く