第12話 行方不明
一通り流れるプールやウォータースライダーを堪能した俺たちは、設置されているビーチチェアで休憩することにした。
珠美は焼きそばやホットドッグを頬張りご満悦だ。
「藤倉、今日は誘ってくれてありがとな」
俺は藤倉の方を向き、真面目な顔をして言った。
「先輩……」
「このところ再就職活動ばかりで、珠美にも寂しい思いをさせてたんだよ」
「グッドタイミングでしたね」
「ああ、そうだな。珠美は……過去に酷い目に遭っていたのか、一人になるのを怖がるんだよ」
「そうだったんですか……」
裸で路上に座り込んでいたのだ。きっと人に言えない理由があるのかもしれない。
「もし許されるのなら……珠美の記憶が戻るまで俺が面倒を見たい。仮に記憶が戻らなくても、何とか戸籍が取得できないか手助けしたいんだ」
初めて人に本心を話した。
珠美は見ず知らずの少女だ。だが、何故か放っておけない気がする。それが何なのか俺にも分からないのだが。
もしかしたら、あのコンビニで別れたゴールデンレトリバーの面影と珠美を重ねているのだろうか。
あの、寂しそうな顔で何度も俺を見る姿を。
「もし本当に記憶喪失だったり無戸籍だった場合は、家庭裁判所で就籍手続きができるはず」
「先輩……」
「俺は、珠美が堂々と陽のあたる道を歩けるようにしてやりたいんだ」
少し気恥ずかしい。柄にもなく真面目な話をしてしまった。
「せ、せんぱぁい! うううぅ!」
何故か藤倉が目を潤ませている。
「ど、どうした藤倉?」
「わわ、私も手伝います!」
「お、おう……」
「やっぱり先輩は良い人です!」
やたら藤倉が俺を持ち上げてくる。そんなに良い人ではないのだがな。
ジタバタジタバタ!
「わふっ! タケル、食べ終わったよ。次はあっちのプールに行きたい!」
さっきまで一心不乱に食べていた珠美が、元気いっぱいで俺に飛び掛かってきた。
「おい、当たってるから! 水着だとヤバいから」
「わふぅ? 水着だとヤバいの?」
「お、男と女が肌を密着させるのは恋人だけなんだぞ」
「タマミ、タケルと恋人になるぅ」
ジトォォォォォォ――
俺をキラキラした目で見つめていたはずの藤倉が、今度はジト目で睨んでいる。
「先輩……いつもイチャイチャしてるんですか?」
「してない! してないぞ!」
「あやしい……」
「怪しくないって」
誤解を解こうとするが、珠美は更に誤解されそうな発言をする。
「タケルは大好きなご主人様!」
「だだだ、大好き……だと!」
「わふぅ♡」
(か、勘違いするな、俺! 珠美は恋愛的な意味で言っているんじゃないぞ。きっと親愛とか友情的な意味だ)
俺が火照った体を素数を数えながらクールダウンしていると、藤倉が珠美を離してくれた。
「ほら、珠美ちゃん、くっついちゃダメですよ」
「ダメなの?」
「今はダメなの」
「いつなら良いの?」
「犬飼先輩と恋人同士になったらね」
「うん、タマミなる! ありがとフジクラ」
ズゥゥゥゥーン!
「わ、私……先輩と珠美ちゃんをくっつけるようなことを……ごにょごにょ……」
何やら藤倉が独り言をつぶやいている。周囲の音にかき消されてよく聞こえないが。
「えっと、そういえば藤倉、何か相談があったんじゃないのか?」
俺は本来の目的を思い出した。藤倉は相談がしたいと言って俺を誘ったのだ。
「相談? 何のことですか先輩?」
「えっ?」
「ん?」
お互いに『?』を頭に浮かべたまま見つめ合う。
そして藤倉は、ハッとなってから挙動不審になった。
「あっ、そ、そうでした! そ、相談ですよね」
「プールで相談がしたいって聞いてたから」
「しまった、そんな設定だったような……」
「何か言ったか?」
「い、いえ、何でもありません」
結局、相談は次回に持ち越しということで、俺たちはプールを満喫するのだった。
◆ ◇ ◆
「藤倉、今日はありがとな」
駅前まで戻った俺たちは、ここで藤倉と別れた。
「また何かあったら連絡くださいね、先輩」
「ああ、藤倉も気軽に相談してくれ」
「はいっ、それじゃまたです。先輩、と、珠美ちゃん」
「わふぅ! フジクラばいばい」
藤倉を見送ってから、俺は借りていた日焼け止めを思い出した。珠美が使うように彼女が貸してくれたものだ。
「おい、藤倉! これ忘れ物だぞ! ありがとう」
駅の改札に入ろうとしていた藤倉に追いつき、バッグから日焼け止めを出し渡す。
「ふうっ、待たせたな珠美……って、あれっ? 珠美がいない」
元の場所に戻ると、そこには珠美の姿は無く、行き交う人が足早にすれ違うばかりだ。
「えっ、珠美? どこだ珠美? おい! 珠美ぃいい!」
周囲を見回しても珠美の姿が無い。
(マズい! 迷子なのか? まだ珠美は一人で電車に乗れないはずだ! クソっ! 俺はバカだ! 俺がしっかりしていないから! 何で俺は珠美から目を離してしまったんだ!)
「ダメだ! 今は珠美を探すのが先決だ!」
俺は大きな声で珠美の名前を叫びながら走った。
「珠美! 珠美! 珠美ぃいいいいいい!」
なりふり構わず走った。横断歩道を。バス停の前を。牛丼屋の角を。全力で。
「はあっ、はあっ、はあっ、珠美……どこだ……」
(何処にもいない……。待てよ! 珠美が一人で行動するなんてあり得るのか? ま、まさか、誰かに連れ去られて……)
心の中の不安が増大してゆく。俺の心を覆い尽くしそうなくらいに。
タケル――
その時、微かに珠美の声が聞こえた気がした。
「珠美! 聞こえた! 珠美の声が!」
ダダッ!
声の聞こえた方に全速力で走った。行き交う人に肩が当たるのもお構いなしに。
「珠美! 珠美! 珠美ぃいい!」
通りを曲がり人通りが少ない路地に入ったところで、俺は衝撃的な光景を目の当たりにする。
複数の男が珠美を車に押し込もうとしている場面だ。
「オラッ! 大人しくしろよ!」
「悪いようにはしないって! ちょっと遊ぶだけだぜ!」
「グヘヘッ! 良い体してんじゃねーか! 楽しませてもらうぜ!」
「離して! タマミはタケルと帰るの!」
全身の血液が沸騰しそうなほど体が熱くなった。怒りで我を忘れるほどに。
それと同時に、あのコンビニ前で虐待されていたゴールデンレトリバーの姿と珠美が重なった。
(今度こそ、助ける! もう誰にも珠美に酷いことはさせないぞ!)
「や、やめろ! やめろ! 俺の珠美に何するんだぁああああああああ!」
気付いた時には突進していた。珠美を連れ去ろうとしているヤカラ風の男たちに。
「ゴラッ! テメエ何もんだ!」
「俺らが目を付けた女だぞオイっ!」
「死に晒せや! オラッ!」
バキッ! ドガッ! ズガッ!
容赦のないパンチが俺の頬に入った。口の中に鉄の味が広がる。
それでも俺は手を離さない。
「ちくしょぉおおおおおお! お前らみたいなクズに珠美は渡さない! 珠美は俺の大切な! 死んでも渡さないぞ!」
ドンッ! ガンッ! バキッ!
相手がクズなら俺も容赦しない。喧嘩なんてやったことがないが、必死で腕を振り回しながら頭突きをお見舞いしてやった。
「クソッ、何だコイツは!」
「痛ぇ! コラッ、何しやがる!」
「グアアッ! 何じゃゴラァ!」
頭突きをくらった男が鼻血を吹きながら怒り狂うが、俺はお構いなしで暴れる。悪人に気を使える余裕など無い。
どうやら俺が大立ち回りをしたことで、周囲に人が集まってきたようだ。
ガヤガヤガヤガヤガヤ――
「ヤベっ、人が集まってきましたよ」
「逃げるぞ!」
「はい! アニキ!」
キュキュキュ! ブロロォオオオオオオ!
ヤカラ風の男たちは、VIPカスタム仕様に改造されたワンボックス車を急発進させ逃走した。
そこには服がボロボロになった俺と、震えている珠美が残される。