勇者症候群
男は薄暗い廊下でしゃがみこんでいた。
この先の角を曲がれば、そこには世界を混沌を振りまいた憎むべき魔王がいる。
今の男にはその魔王を倒す力も勇気もある。
だがこの先に進む事を躊躇してしまう。
そう、それはある事が脳裏を過ぎってしまったから。
それは魔王を倒した後の事。
男は魔王を倒す為に長い月日をこの旅に費やしてきた。
ここで俺が魔王を倒すとどうなるだろう?
そう当然俺は国を救った英雄として時の人になるのだろう。
だが…その後は?
この旅で俺は勇者として様々な出来事に遭遇した。
それは非日常的なスリルのある世界。
怪物を倒す事で得られる報酬。
魔王討伐の勇者という名目で世界中を巡ってきた。
命をかけた戦いや幾多の仲間との出会い。
多少の恋もあった気がする。
命がけとはいえトータルして考えるとメリットの方が大きかった。
それは勇者として扱われていたから。
だが魔王を倒して平和な世になったらどうなる?
平凡な日々。
いつか適当に結婚をして家庭を持って家族が出来る。
いや、それが当たり前の事なのだろうが、勇者を体験してしまった今となってはその後が恐ろしい。
魔王を倒してしまっては、いつまでも勇者として国も援助はしてくれないだろう。
そしてどこからともなく勇者不要論等出てきたら…。
魔王のいない世界に俺の立場は無くなる。
いつの日か魔王がいた事も知らない世代が生まれ俺の冒険譚も昔話に変わってゆく。
あぁ…平和は俺にとって望むべき世界ではないかもしれない。
ふと寄りかかっている石壁を見るとそこには石を削った様々な文字が乱立していた。
「オレハ魔王ヲ倒スベキナノカ?」
「魔王あっての勇者だろ?」
「世界が滅んでいないんだから今のままでもいいんじゃないか?」
「共存共栄」
それは、ここまで来て自問自答を繰り返した過去の勇者の言葉だった。
俺だけじゃない。
多くの勇者がここで引き返したのだ。
俺と同じ葛藤があったのだろう。
俺もそれに習って踵を返した。
国の人々には申し訳ないが勇者の存在意義を失わない為にも、もう少しこの状況のままで…。
そしてまた一人魔王の城から勇者が去っていった。




