『第五章~IZA-N-VSL6』
砂漠大陸の西、海から十五キロ東のカサブランカ・シティは、十年前、人口八万ほどの街だった。
ハイブの襲撃で今はゴーストタウンとなって無人だが、建物は綺麗に残っていた。十年分の埃やヒビはあるが、水道や電源などのライフラインを復活させれば、以前と同じように暮らせるかもしれない。
街の中央にハイウェイが通り、左右にビルが並んでいるが、灯りはなく、黒くて静かだった。
リッパーたちは一気にゴーストタウンを抜ける予定だったのだが、マリーの疲労を考えて、ブラックバードとリッパーのバイクはゆっくりとハイウェイを走っていた。四つ目の丸いハイビームとフォグ位置の四角いライトがハイウェイを照らしている。
「マリーちゃんは、射的が上手なんやな。ウチ、電話の望遠鏡機能で見てたんやけど、めっちゃ遠いところの合成人間の頭のパソコン、ばらばらやん。兵隊さんやない旅が趣味のマリーちゃんみたいな人が一杯おったら、危ないこととか少ないんやないかな?」
ドクター・アオイが相変わらずの口調で尋ねた。応えたのはコルトだった。
「ははは! マリーが百人もいりゃあ、クソハイブが一万くらいで走ってきても、片っ端から全部始末しちまうだろうな。強烈なアサシンだ。とびきりの獲物を持たせりゃあ、地球の反対側だって狙い撃っちまうだろうよ。なあ? リッパー?」
「でしょうね。サブマシンガンで精密射撃なんて真似もしちゃいそうだし、空爆だのフリゲートの大砲だのもピンポイントでしょうよ。ガンマンだとかスナイパーだとか、そういう次元じゃあないもの」
「ねえ、リッパー?」
マリーが口を開いた。
「何だかね、ずっと変な感じなの。自分のライフルでハイブを撃ってたときは、凄く緊張してたし怖かったから頭の中がぐるぐるだったんだけど、さっき、インドラ・ファイブを撃ってたときは、そういうのは最初の一発だけで、自分でもびっくりするくらいに冷静だったの。ハイブが十体って、物凄く怖いはずなのに、そういうのはなくって、何て言うのか……自分がインドラ・ファイブになってた、みたいな? そんな感じ?」
応えたのはコルトだった。
「それはな、マリー。スコープ越しで敵を見てたからさ。スナイパーってのは歩兵なんかと違って、殆ど肉眼で敵を見ないんだ。全部スコープだのグラスだのマシンだのを通してるから、感情みたいなモンが消えちまうのさ。長くスナイパーやってるとな、相手の命だのが軽く感じるようになって、それにウンザリしてスナイパー辞めちまう奴も山ほどいる。肉眼だと遠くで動いてる只の敵だが、スコープで覗くとそいつの顔だの表情だのが見えて、そいつの家族だの仲間だのも浮かぶんだが、自分が獲物と一体になったみたいだから、そういう野郎を感情を殺して狙い撃つ。状況が終わってから感情が戻ると、自分が狙い撃った野郎のことやら、そいつを始末しちまった自分だとかが全部イヤになって、軍を抜けてガンも持たずに山奥で一人静かに暮らすなんて奴もいるんだよ。まあ、一種の職業病みたいなモンだよ」
しばらく沈黙が続いてから、マリーが言った。
「私って……ひょっとして殺し屋みたいになってるのかしら?」
「腕前は強烈な殺し屋だが、相手は所詮ハイブだ。あんまり考えないほうがいいぜ? 普段の自分とステア握ってる自分と、トリガー引く自分を頭ん中で分けておけば、撃ち終わった後の妙な気分も幾らかマシになるだろうな。俺が死神だのって名乗ってるだろう? こいつは飾りみてーなモンなんだが、煙草吹かして美人眺めてるときは俺はコルトで、トリガー引いてるのは死神コルト、別人なんだよ、オーライ?」
うーん、とマリーが唸っていた。
「あのね? 私、リッパーと一緒に行きたいなって思ってて考えてたんだけど、今コルトが言ったみたいに、リッパーもダイゾウさんも別の自分を一杯持ってて、それをスイッチみたいに切り替えてるんじゃないのかなって。だから、私もそれが出来れば、リッパーと一緒でもお手伝いできるんじゃないかなって。普段の自分と、ブラックバードのステア握ってる自分と、他にライフル撃ったりする自分、みたいにすればって」
コルトが返した。
「マリーがインドラを使いたいってリッパーに言ったときにな、俺はあんまり乗り気じゃなかっただろ? あれは、インドラが危ないってのもあるんだが、マリーが言ったみたいにきっちり頭ん中を区別しとかないと、インドラに振り回されるんじゃねーかって、そう思ったからだよ。そんな話をしておこうと思ってたんだが、口で言ってどうこうなるモンでもねーし、俺が言う前にもうそいつが出来てるみてーだから、ま、平気だろう」
「ダイゾウさんがね、強い力を持ってもそれに溺れるなって、そんなことを言ってたの。それって、インドラ・ファイブの性能をきちんと理解して、それをきちんと冷静に使えって、そういう意味よね?」
煙草を吹かしつつ、コルトは応えた。
「まあ、そうだな。自信を持つのは大事だが、自分が無敵だとか、そんなこと考えてたら油断が出て後ろから撃たれる。少しビビってるくらいが丁度いいだろうよ。只、一旦インドラを構えたら、自分は狙撃マシンだって思うほうがいいぜ? 感情を残してるとその分トリガーが遅くなる。スナイパーは生身で走ってる歩兵と違って安全なところから、その歩兵を守るようにスナイピングするのが定石だ。焦ったりパニックになった分だけそいつらが危険になるから、感情を消してクールに、確実に敵を始末してやらにゃあならん。仲間の命を預かる重要なポジションだ。これが出来ないなら、スナイパーは務まらんよ。素っ裸で寝てるようなマリーと、ブラックバード転がしてるジプシー・マリーと、スコープ覗いてるインドラ・マリーってのは、いい案だよ。インドラの性能やらブラックバードのことをしっかり理解してるみてーに、自分の性能もきっちり頭に入れておけば、危険は少ないし頼れるスナイパーだ。リッパー共々、背中預けても安心できるよ」
ブラックバードに並走するリッパーから、ナビで煙草を吹かしているコルトが見えた。リッパーがコルトに続いた。
「自分のスペックを把握しておくってのは、大事ね。単純に能力だけでなく、どういう性格なのかとかもね。何が起こったら驚くのかとか、どんな状況だとパニックになるのかとか、そういったことをきっちり理解しておけば、パニックになるような状況でもクールでいられるからね。軍人に限らずでそういうのは大切よ? マリーはブラックバードに乗ると少しハイになるようだけど、それでもずっと路面を確認したりメーターを見たりでクールでしょう? 同じことをインドラ・ファイブでもやればいいのよ。妙な気分になるのはコルトが言ったスナイパー独特なものだけど、もう慣れたみたいだから、割り切って吹っ切るのがいいわ。幾つかの自分をスイッチっていうのは、いい案よ?」
「リッパーも、コルトみたいにスイッチで切り替えてるの?」
マリーが尋ねた。
「そうね。コルトほど明確じゃあないけど、リラックスしてるときと、ベッセルを撃つとき、バランタインを指揮するとき、アルコールだとかでハイになってるとき、そんな感じかしら? どの状況でも危険に対応出来るように脇にスナッブノーズを下げてるから、幾つかのパターンを、海兵である自分がまとめて管理してるような感覚ね」
「おもろい話やな?」
毎度の口調でドクター・アオイが入った。
「ウチもそんなんしてるわ。お医者さんやってるときとコーヒー飲んどるときと、二つやな。あんま区別してへんけど、煙草咥えたままやとお医者さんできんからな」
「みーんな、凄いのね」
マリーが溜息交じりで言った。
「凄いのはマリーだよ。レンジ三キロのスナイパーなんぞ、聞いたこともないぜ。しかも、あの口径でスリーバーストの精密射撃ときた。はるか彼方から頭撃たれたさっきのクソハイブどもは、自分がどうなったのかも解らずに動けなくなっちまったよ。マリーのポケットにある地獄への片道エクスプレスチケットは、シャンパン付きでVIP専用、とびきりゴージャスなチケットだ。しかも、MFをクイックドロウだ。歩兵のミスター・チェイスだって裸足で逃げ出しちまうぜ?」
言ってから、コルトは大笑いした。リッパーが続いた。
「曲芸というのか神業というのか……物凄い話よ? ダイゾウにだって当てられるかもね。イザナミ? マリーと同じコンバットスキルを持つ敵を想定すると、どんな感じ?」
一秒ほどして、イザナミが応えた。
「最大射程三キロからの大口径狙撃を感知して、プラズマディフェンサーを急速展開させるさせる反応速度は許容内ですが、電波かく乱等がある場合は展開速度が追いつきません。ベッセルの実戦データ上での有効射程は、臨界駆動と電磁バレルの併用で最大二千メートル、改良後の設定値はプラス五百メートル。衛星を使用せず、臨界駆動も使用しない場合は防戦、対抗手段はありません。ファントムモードの使用で狙撃を回避し、ベッセルの射程内まで距離を縮めてからの反撃が最良です。戦闘データの一部をアップロードします」
「ほらね? イザナミを困らせるって、相当よ? マリー、お願いだから仲良くしてね? 敵には回したくないわ」
含み笑いでリッパーは言った。
「うん? うん。私、リッパーのお手伝いだし、お友達だし、そんなことしないわよ? 役に立ってる?」
「役立つというより、マリーが最大戦力よ? 一応確認なんだけど、インドラ・ファイブに何か問題とか不具合は?」
うーん、と唸ってから、マリーは応えた。
「セミオートって一秒に一回しか撃てないでしょう? もっと速く、連射が出来ればいいかなって」
ぷっ、とコルトが吹き出した。
「ヘイヘイ、リッパー。マリーの奴、恐ろしいことを言い出したぜ? バレットライフルをアサルトライフルくらいに撃ちたいときた!」
「イザナギ? インドラ・ファイブの連射速度って、今が限界なの?」
「ノー。フルオートに補正を掛ければ毎秒二発撃てるが、精度は下がるぜ?」
イザナギが返して、リッパーは考えてから言った。
「マリーなら命中精度は変わらないでしょうから、その設定もインドラ・ファイブのFCSに入れておいて。五秒で十発マグを撃ち尽くす……フルバーストモード。使う機会はまあないでしょうけど、一応ね。インドラ・ファイブのマグは五十本あったわよね? ケイジの外で一つとさっき一つだから四十八本、四百八十発残ってるわね。マリー? マグは四十八本、残弾は四百八十発、覚えておいてね。毎秒二発のフルバーストモードを追加したけど、マグ一本を五秒で空にしちゃうから、注意してね?」
「うん、解ったわ。ハンドガンのマガジンは一つケイジの外で使ったから、四つ、二百二十五発残ってる。ライフルは三十発ケースを二つ、コルトから受け取ったから、持ってた分の百発と合わせて百六十発くらい。トランクにグレネードが八個」
「コルトは?」
「百発のベルトを四本用意したから、二挺のシリンダーとで合計で五百四十発ってところだ。ベルト三本は後ろに積んで、ガンベルトに三十発で、ベルト二本は肩から下げてるよ。そっちは?」
「ベッセルのアーマーピアシングはシリンダーに十二発と腰に三十、マントに五百とバッグに五百で合計千四十二発。ドクター・エラルドからのVブレットっていうのが二箱六十発、こっちはバックパックに。両足の三五七のハイドラはシリンダーに十二でマントには二百くらい。届けてもらった二箱百発はバッグパックに分けて入れてる。十番のロードブロックは両方で十四発で、三十ほどマントで、二箱六十発は背中に。スナッブノーズの弾丸はシリンダーに六発と、三十くらいがマントに入ってるわ」
「ははは! 二千五百発以上か。本当にアーモリー(弾薬庫)みたいだな、重いだろう?」
「イザナミの駆動制御が掛かってるから体感は殆どないわよ。全部合わせたら、ブラックバードの半分くらいなんじゃあないかしら? あたしがナビに座ったら左に傾くかも――」
突然、全員の通信機が鳴った。ビービーと警報が耳を震わせる。
レッドアラート。
「イザナミ!」
他愛ない雑談から一転、リッパーは叫んだ。イザナミが返した。
「二時方向にカーネル反応感知、距離は千。データ照合、ハイブ・ネイキッドが十、ビルの内部より出現。こちらに向かって移動中」
「千メートルって……目の前じゃあないの! テレポート? 策敵は?」
策敵範囲を最大五十キロ圏にまで強化されている筈のイザナミが続ける。
「ESP反応なし。ハイブ出現位置の地下に建造物を確認。重空爆対応仕様のシェルターです」
ちっ! とコルトが舌打ちした。
「シェルターならレーダー波は届かないか。リッパー、やり過ごすのがいいぜ?」
コルトが提案して、リッパーは少し考えた。
「……待って。マリー! ブラックバードは停止、こっちも止まる!」
はい! とマリーが返して、ブラックバードは減速してすぐに停止した。リッパーはフルブレーキで九百五十CCバイクを止めて素早くエンジンを切り、右前方向を見た。停止したブラックバードからコルトが出てきた。
「マリー、ライフル持っとけ。ブラックバードからはまだ出るなよ? ヘイ、リッパー、どうした? こっちのモバイルでも確認した。ハイブは目の前らしいが、ネイキッド十匹なら無視できるだろう?」
ストップ、と出てきたコルトに右手をかざして、リッパーは薄目で暗闇を睨んだが、黒いビルのシルエットしか見えない。
「ハイブが……十? イザナミ、シェルターの中の様子は?」
「不明です。地下解析衛星を使えば解りますが、回線を開きますか?」
二秒ほど考えて、リッパーは返した。
「ノン、温存しておきたいわ」
イザナミにそう伝え、リッパーは煙草を咥えて火を付けた。
合成人間、ハイブが十匹、距離千メートル。夜のゴーストタウンで視界はほぼゼロ。背中にある二挺のベッセルに弾丸は左右合計で十二発、リッパーはそれを確認するように煙を吸い込み、ゆっくりと吐いて、鋭く言った。冷たい風が、首を覆う銀髪をバタつかせている。
「イザナミ! イザナギ! ガンファイト、レディ!」
リッパーは、「ガンファイト、レディ」とバタつく髪と同じ色の両腕にコールした。
「了解、特殊射撃戦駆動に切り替え完了。ヒートスリットシステム起動、プラズマディフェンサーはオートで待機」
「コール・ガンファイト、コピー! AFCS、スタートアップ! マルチロックシステム、オン! レンジファインダー、オン! ダブルベッセル、スタンバイ! ヤー! ロックンロール!」
左のイザナミと、右のイザナギが応えた。
「イザナミ、シェルターの内部をスキャン、外側からの予測でいいから規模をお願い」
「了解、スキャニング開始……収容人数二百名前後、出入り口らしき部分は開放されています。内部構造は不明。ハイブ十との距離は九百メートル」
「コルト? シェルターを確認に行きたいの」
横に細長く端の釣りあがったサングラスのブリッジを、くい、と挙げて前方を睨んだまま、コルトが応えた。口にはリッパーと同じく煙草が光っている。
「構わんが、マリーとアオイは? ネイキッド十匹くらいに抜かれるこたーないが、別で伏せてたら、マリーだけだときついぜ?」
「マリー? 確認しておきたいからコルトと一緒に行くけど、エンジンはかけたままにしておいて。ライトは全部消して。危ないと思ったら、あたしたちに構わず逃げて。イザナミの策敵でカヴァーはするから。インドラ・ファイブも一応用意しておいて」
V8ブラックバードと、チョッパーハンドルの九百五十CCネイキッドバイクのヘッドライトの消えた眼前は暗闇で、視界は、目を細めても二メートルほど。リッパーは顎の前で、銀色の腕をクロスさせて、「ジャンプアップ」をコールした。
「……イザナギ! ジャンプアップ!」
リッパーが実戦で、ベッセルを最後に撃ったのは三週間も前。二十一日ぶりに、ハイブとの戦闘が始まった。敵は十匹の合成人間。人間の十倍ほど強靭で俊敏な肉体を持ち、超高度金属で覆われた電子回路の塊である頭脳、カーネルで動く、ハイブ・ネイキッド。クールに、リッパーは無言で自分に言い聞かせる。
「コピー! ダブルベッセル、ジャンプアップ! シーカームーヴ! ターゲット、テン! レンジ、ナインファイブ! ダブルロック! トリガー!」
イザナギが「トリガー」をコールをした。
リッパーの背中から、三発シリンダーから六発シリンダーに改良された、五十五口径カスタムリボルバー、IZA-N-VSL6、ベッセル・ストラクガンのグリップが二つ、ジャンプアップコールから一秒でスライドしてきて跳ね出した。二挺のベッセルのグリップを構えていた両手で握り、ジャンプアップの速度のまま前方に振り下ろし、グリップからマズルまでが五十センチで、ロングバレルの下にカウンターウエイトを付けた銀色の二挺のリボルバーの、二つのトリガーを同時に引いた。
二挺のシリンダーには、ハイブのカーネルを一発で破壊できるように設計された、五十五口径徹甲弾・アーマーピアシングが六発ずつで、両方で合計十二発。視界はほぼゼロ。敵は十匹でリッパーは……一人。