3.出発準備
ヒューに急かされつつ帰宅の準備をする。
「ねぇ、バックとかは?教室に取りに返らないと……でも、今授業中よね……」
流石にあの視線に再び晒されるのは御免である。そう思いながら呟くと、ヒューが胸を張りつつ主張してきた。
「ふっふっふ、その辺も抜かり無いぜ!担任に取りに行かせたから、職員室行きゃ貰える筈。ほら行くぞ」
相変わらず仕事が早い。その調子で何時も居てくれれば良いのに、自分の興味のある事でしかこの猫は働かないのだ。
ヒーローの補助役である使い魔だというのに、随分と自分勝手で気ままな奴だと何度思ったことか…
……まぁ、私の為に動いてるってのは分かるから許しちゃうんだけどさ。……いや主人に対する罵倒はその限りではないでしょ絶対……性悪猫め……
「…おーい、ボーッとしないでよ。サヤって偶に鈍臭いよねぇ」
ほら、すぐこれだ。
今に限ったことでは無いが、ヒューは相当に口が悪い。本来尊敬すべき主人に対してもこの態度、一度矯正するべきだと思うのだ。
ただそれをするのは自分ではないと思う。サヤも相応に口が悪い自覚があるので。
「はいはい、今行きますよ」
私はふよふよと浮きながら移動するヒューの後に続いて綺麗な林を後にした。
◆
担任の先生から荷物と呆れの視線を頂戴してから、私は帰宅の道を辿る。
電車通学なので駅に向かおうとしたら、ヒューから声がかかった。
「ちょいまち。急を要する案件だしワープしようか」
ずっと私の手提げ袋の中にいたので窮屈だったらしく、一度うぅんと猫の身体で伸びをしてからアスファルトの上に降り立つ。
「本当に、そんな便利なものがあるなら常用したいわよ」
「私事に対する活心力の行使は禁止でしょ。これも似たようなもん」
私をたしなめつつ、ヒューが片手を「ほいっ」という掛け声と共に振る。
すると、なんとも形容し難い音と共に、奥に星のような光が瞬くだけの”亀裂”が、空間に走った。
何度見ても理解出来ない光景に首を傾げつつ、肩に乗り直したヒューとその中に入る。
視界がぐにょ、と歪む不快感に目をつぶると、辺りの空気が変わった事を肌で感じた。
ゆっくりと瞼を上げる。白い簡素な天井と壁、教科書や趣味の本などが積み上がった机に、布団がろくに畳まれないままベットに鎮座している。
特別散らかっては居ないが、綺麗とも言えない、私の部屋だ。
女らしさは欠片も無い。元々女子力などないし、お洒落にもそこまで関心がなく育ったもので、家具はシンプルなウッド基調のものばかりだった。
物事が急に動いた事による疲れを、ベットに飛び込んで癒やす。
無言で人形を締め上げる私を、今ばかりはヒューも何も言わずに見ていてくれた。
数分が経つと、精神的な疲れも粗方取れた私が学校用のバックからものを取り出して直しながら、ヒューの話を聞いていた。
「今からの予定ね。明日の朝に出発だよ……まずはヘッセン伯爵領に飛んで、伯爵夫妻に挨拶、令嬢とも話すと思う。そこで大体4日間滞在して、にわかでも知識を付けるんだ」
「つ、つまりお勉強……って事よね?というか、私日本語と英語以外喋れないし書けないわよ……?」
留学をしたことが有るので、英語だけは得意であるがそれ以外はからっきしだ。
当然ノイエンアール王国の歴史など知らない。そもそも聞いたのさえ今日が初めてである。
「大丈夫、話すのも書くのもなんとかなるようにしてあるから。圧縮学習使うし」
「……もしかして、あの、情報がどばばぁでぎゅうーでどどどどどの奴…??」
震える声で問うと、「全くなんの奴かは分かんないけど多分それ」という、不安になる答えが返ってきた。
私からすれば、この上なくわかりやすい擬音であるが、ヒューには理解出来なかったようだ。
……圧縮学習かぁ、ヒーローなりたての頃、研修で使ったよね……今思い出しても気持ち悪い。確かに便利だけどさぁ……
ヒーロー研修の際に、圧縮学習機なるものを使ったのだが、その機械がまた非道いものなのだ。
電極が繋がったヘルメットのようなものを被ると、急に眠気が襲ってきて、目を閉じたと思ったら、脳に大量の情報を流し込まれ覚えさせられる。ちかちかするし、情報量に気分がすこぶる悪くなるので、いくら便利でも二度と使うものか、と思っていたのに……まさかこんな所で、と私は頭を抱えた。