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クラヴィスの華

「────喜べ、カレン。お前の婚約者が決まった。名前を、ゼフィール・ノールド殿下。この国の王子殿下であらせられるお方だ」


 十歳の誕生日を迎えたその日、私は父から呼び出され、己の婚約者が決まったと告げられた。


 ノールド王国の王子殿下であり、王位継承権第一位であるお方。

 そんな人物との縁談という事もあり、父はとても喜んでいた。

 それは打算もあっただろうが、私のこれからの人生も輝かしいものになるであろう。

 そう信じて疑っていない父からの祝福でもあった。


 だが、ゼフィール・ノールドという名を聞いた瞬間、私の頭に割れるような痛みが走った。

 直後、頭の中に流れ込んでくる膨大な情報────記憶。

 カレン・ルシアータとして生きてきた自分のものではない誰かの記憶。


 それは、綺咲 葵として現代日本でOLとして働いていた一人の人間の人生だった。

 ただの記憶であれば、自分の前世を偶然思い出してしまった、で済んだ事だろう。

 ……いや、済むわけがないのだけれど、まだどうにかする事ができた。

 多少の人格変化は起こり得ただろうが、それでもまだ些細な事として私の中で受け入れる事ができた筈なのだ。


 しかし、その前世の記憶がカレン・ルシアータの未来に関係のあるものであったならば。


 カレンとして生きてきたこの生が、BADエンドが確定したプレイヤー泣かせの乙女ゲー世界であって。

 かつ、王子殿下との婚約を一方的に破棄される挙句、そのせいで色々と不幸に見舞われる事となる作中随一に近い不遇キャラこと、カレン・ルシアータに転生してしまったと知ったならば。


「………ぇ、えええええええええええ!!」


 綺咲葵としての自分の記憶と、カレン・ルシアータとしての記憶が混ざり合う事に戸惑いを覚えながら、現在進行形で私を襲っていた頭痛に対する悲鳴と言わんばかりに私は大声で叫び、そしてそのまま意識を失った。



 †


 ────クラヴィスの華。


 それは、プレイヤー泣かせとして知られる乙女ゲー。

 基本的に、BADエンドしか用意されておらず、出てくるヒーローは大体主人公に依存し、BADエンドを尽く引き寄せるという本当にこれ、乙女ゲーなの?

 と疑いたくなるような世界観を持つゲームである。


「……ここは、『クラヴィスの華』の世界で、私はゼフィール殿下の婚約者として転生をしてしまったって事、か」


 なにその罰ゲーム。


 意識を失ったあの後、誰かしらが運んでくれたであろうベッドの上で私は呟いた。


 目の前の現実が信じられなくて、十歳児の握力で頬をむにーっと引っ張ってみる。

 でも、夢が覚める気配はない。


 てっきり、『クラヴィスの華』の内容に納得がいかなかった私が見せた夢なのかと思ったけれど、どうにも違ったらしい。


「今の私は十歳だから……ちゃんと進めば原作開始は八年後、か」


 〝クラヴィスの華〟は端的に言えば、主人公であるユリア・シュベルグがこの国の聖女候補に選ばれた時点よりスタートし、この世界に八人しかいない魔法使い達と打ち解けながら絆を深め、立ち塞がる事件を解決してゆくゲームである。


 それだけ見れば全然普通のゲームだし、BADエンドだらけのプレイヤー泣かせゲーとか嘘っぱちじゃないの?

 とか思うのだが────というか私はそう思って購入したプレイヤーなんだけど、これがなんと言うか、ヒーロー達の抱える過去と立ち塞がる事件の数々の闇があまりに深すぎた。


 だから正直、こんなにBADエンドだらけにしなくても良かったんじゃないかって思うけど、深すぎる闇のせいでそれ以外に無理だよねって最後の方は半ば諦めてすらいた。


「これからどうするか、だよね」


 私は原作開始以降からしか物語を知らない。

 その上、この身は作中随一の不遇キャラであるカレン・ルシアータ。


 恙無く物語を進める為に、己がどうすれば良いのかは分かっている。

 だけど、それで良いのだろうか。


 作中随一の不遇キャラとして、これから不幸に見舞われながら生きていく────?


 クラヴィスの華の原作通りに進めるならば、そうするしか道はない。

 だけど、それはつまり作中で誰一人として報われなかったヒーロー達に、もう一度あのやりきれない生を送れと言っているも同義ではないだろうか。

 プレイヤーとして。

 カレン・ルシアータとして、それを容認してしまって良いのだろうか。


「……恐らくだけど、私の行動次第でこれから先の未来が変わる」


 登場人物であったカレン・ルシアータが、原作にそぐわない行動を起こせば、まず間違いなく現実(原作)に大きな波紋が生まれる。

 それが、事態が好転するものか、そうでないかは私に分かりようもない。

 なにせ、その可能性は原作には存在しなかったから。


 そしてそれは、とてもリスキーな賭けなのだと思う。でも、だからといって原作通りに進めていいのだろうか。

 ヒーロー達の報われない未来を。

 カレン・ルシアータになってしまった己の最悪の未来を、ただ黙って受け入れる事が正しいのだろうか。



 もしも。

 もしも、私がこの問い掛けに答えるとするならば────。



『いやだ』



 ぽつりと出て来たのは一滴の言葉。

 そしてそれを皮切りに、次が溢れる。


『いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだ』


 黙って、最悪の未来を受け入れるだなんて認められない。認められる筈がない。

 勿論、分不相応という言葉は分かっている。


 そもそも、私は万能な主人公ではない。

 それどころか、作中随一の不遇キャラカレン・ルシアータだ。

 原作という知識は持っているが、言ってみれば、たったそれだけなのだ。

 誰が信じてくれるかも分からない原作知識で誰も彼もを救えるハッピーエンドに導けると思ってるならば、それは間違いなく思い上がりでしかないし、私はきっと原作通りに進めるべきなのだろう。

 

 でも私は────。


「誰もが幸せになれるハッピーエンドに、私が導けるとは思わない」


 実際に〝クラヴィスの華〟をプレイしたから、それが如何に難しいかなんて、よく分かっている。


「だけど、こうしてこの世界にいるからには、出来る限りの人が不幸せにならないで済むようにしたい」


 BADエンドばかりの〝クラヴィスの華〟の世界で、誰も不幸せにならないで済む未来を掴み取る。

 それは決して、土台無理な話ではない。

 なにせ、まだ原作は始まってすらいないのだ。




 人を信じられなくなった一人のヒーロー(王子)がいた。


 魔法使いに目覚めてしまったが為に、人生を壊されたヒーロー(公爵)がいた。


 家族から忌子と呼ばれ、迫害されていたヒーロー(勇者)がいた。


 顔で笑って、心で泣く。

 誰にも本心を見せない孤独なヒーロー()がいた。


 誰にも認められなかった、ヒーロー(聖者)がいた。


 聖女候補に祭り上げられ、誰も彼もを救いたいと願い、その為に何もかもを犠牲に奔走したにもかかわらず、本当の意味で誰一人として助けられなかったヒロイン(主人公)がいた。


 原作では誰もが相応の地位を得て、恵まれた環境にいると錯覚をしてしまいがちだったが、彼ら全員が過酷な運命を辿って来た事を私は知っている。

 なのに、誰も報われず、誰も救われず、最悪の顛末(BADエンド)しか辿り着けなかった事を私は知っている。


「それに、希望がない訳じゃない」


 原作のカレン・ルシアータは、スタートラインに立った時点で手遅れであったが、今はそのスタートラインのはるか手前。

 フライングし放題の場所に、今私はいる。


 ヒーロー達を救う事が、巡り巡ってカレン・ルシアータの未来を良くする事にも繋がる事実を私は知っている。


 だったら────。


「だから、私は私なりに出来る事をしよう」


 やるべき事は決まった。

 


 一番は、作中随一の不遇キャラであり、今の己自身であるカレン・ルシアータの未来を良くする事。次に、ヒーロー達と、本来の主人公であるユリア・シュベルグを出来る範囲で助ける事。


「そうと決まれば────」


 ベッドから起き上がり、私は自室の机に向かう。


 緋咲葵としての私にとって、この部屋に覚えなどある筈がない。だけど、カレン・ルシアータとしての記憶を身体は覚えているのだろう。

 どこに何があるのかが、考えるまでもなく分かった。


「手紙を書きますかっ」


 引き出しを開き、手触りの良い紙を取り出す。


 ヒーロー達を救いたいのは山々だ。

 でも、原作開始と同時に一方的な婚約破棄をされ、原作通り、作中随一の不遇キャラとしての人生を送ってはそれから先の手助けが出来なくなってしまう。


 だから、まずは自分の未来の為に行動を起こす事にした。


「とはいえ、あの人間不信王子が手紙を書いて受け取ってくれるかは謎なんだけども……」


 不安しかなかったが、行動を起こしてみない事には何も始まらない。

 なので私は一抹の不安を覚えながらも、書き慣れない畏まった文面で己の婚約者となったゼフィール・ノールドへ手紙を書く事にした。



 †


『────俺は、誰も信じない』


 それは、〝クラヴィスの華〟におけるゼフィール・ノールドの台詞。


『誰にも頼らないし、誰もあてにしない。だから誰かを信用する事もしないし、誰かに背中を預ける事も、誰を助ける事もしない。俺は独りだ。俺は俺のしたいように、俺だけの為に生きる。分かったら金輪際、俺に関わるなユリア(主人公)


 プレイヤーの間で、人間不信王子なんて不名誉なあだ名を付けられていたゼフィールは、終始誰かを信用する事をよしとしなかった。

 壮絶な過去。

 魔法使いとして生まれてしまったが為に歪んでしまったゼフィールだが、原作主人公であるユリアによる献身的な支えもあって、ゼフィール√では主人公にのみ心を許す事になる。


 だが、仕方がなかったとはいえ、そういう生き方をしてきたゼフィールは多方面から恨みを買っており、そのせいで生まれたある事件によって、ユリアと結ばれる事なく悲劇の死を遂げた。


 人間不信を極めていたゼフィールの心をどうにか癒そうとするユリアの献身さは涙ものであり、そうして深まっていく絆にエンドが待ちきれなかったのだが、まさかのBADエンドという誰も救われない未来が待っていた。

 いや、ふざけんなー!!

 と、部屋の中で叫び散らした記憶はまだ新しい。


 だが、原作主人公であっても三年近い時を使って漸く距離を縮められた相手だ。

 そこには勿論、主人公補正があるだろうし、近い将来婚約破棄をされるカレン()が同じことを試みて、果たして何年掛かるのやら。


 もしかすると、殺されるのではないだろうか。


 そんな危惧が頭を過ぎる私の下に、ゼフィールからの返事が届いたのは手紙を出してから三日後のことだった。


 婚約者になったのだから、一度顔合わせがしたい。話してみたい。

 出来る限り不自然に思われない理由で手紙を出したのが良かったのだろう。


 返事は、構わないとの事だった。

 基本的に王城にいるから、好きな時に訪ねてきてくれ。

 内容は、そんなものだった。



「でっっ、か」


 外観はゲームの中で幾度となく見ていたから知っていた。

 でも、こうして実際に見るとその壮大さに驚きの言葉を隠しきれなかった。


「……ですが、お嬢様。どうして急に王子殿下に会おうなどと」


 馬車の御者を務め、私を王城まで連れて来てくれた使用人である初老の男性、セバスが不思議そうに尋ねてくる。


 モブ中のモブなだけあって、原作を見た私でさえもカレン・ルシアータの性格、口調、見た目。それら全ての知識が欠けていた。

 ただ、私が成り代わったから記憶ごと丸ごと入れ替わった訳ではなく、カレンとして生きた記憶は頭の片隅に残っている。


 だが、本来の性格である引っ込み思案で、周囲からの噂に影響されやすいこれといって特徴のないカレン・ルシアータとして生きていく訳にはいかない。

 そんなの、あまりに難易度が高過ぎる。


 だから、王子殿下の婚約者になった今をきっかけに、頑張って一歩踏み出した健気な少女を演じる必要があった。


「折角、王子殿下の婚約者になれたんだもの。だったら私も、王子殿下の婚約者として相応しくならなきゃいけないかなって。それに、お父様の顔に泥を塗る訳にもいかないでしょう?」

「お、お嬢様……! 爺は、爺は嬉しゅうございます……!」


 セバスはめちゃくちゃ涙ぐんでいた。

 これまでのカレン()はどんだけ酷かったんだよと言いたくなると同時、セバスに対して申し訳ないという感情が押し寄せた。


「でも、お父様もよく王子殿下との縁談を纏められたわね」


 ゼフィール・ノールドは、原作開始八年前の現時点では、表舞台に一切姿を見せていない王子殿下である。だから、よく縁談が纏まったなあというのが本音だった。


 表舞台に出てこなかった理由は、生母である王妃が魔法使いを忌避していたから。

 原作プレイ済みの私は、その事情をよく知っていた。



 王妃には一人の兄がいた。

 その兄は魔法使いであったのだが、ある時、魔法の制御に失敗し、暴走を起こした。

 暴走の際に王妃は実の兄に殺されかけている。それ以来、魔法使いを忌避するようになったのだが、己の実の息子が魔法使いとして生まれた事を知り、王妃はゼフィールを半ば軟禁状態にし幽閉した。


 確かそれがちょうど今、十歳の時まで続いていた筈。だから、ゼフィールはこれまで一度として表舞台に出る事はなかったのだ。


「私にも旦那様から事情を聞き及んでいませんので、詳しくは分かりかねるのですが……どうにも、バレンシアード公爵が関わっていたようで」

「バレンシアード公爵が?」


 覚えのある家名過ぎて、素で聞き返してしまった。


 バレンシアード公爵とは、ゼフィールの叔父が当主を務める御家で、〝クラヴィスの華〟のヒーローの一人も、バレンシアード姓であった筈だ。


 だが、原作ではスタート時よりバレンシアードとゼフィールの関係は最悪とも言えるものだった。

 だから、主人公であるユリアが二人に板挟みになるシーンが度々あった事を記憶している。



 ……陰謀、だろうか。



 ふと頭に浮かんだ可能性。

 しかし、王妃が忌避している王子殿下を陰謀でどうにかする理由はないように思える。

 何より、現時点においてゼフィールには何の権限も与えられていない上、この婚約だって原作開始時に当然のように破棄されている。


 特別これに意味があるとは思えなかった。


「……しかし、これはまた随分な」


 セバスは何かを言おうとして────けれど、途中でその言葉を言うのをやめた。


 理由は────あえて言葉に変えて言われずともよくわかった。というより、隠す様子も一切なく周囲の反応があまりにあからさま過ぎた。


「殿下の扱いは、あまり良いものではないのかもしれないわね」


 私────ルシアータ公爵家の人間が王城に訪ねてきた事を知るや否や、使用人やメイド、貴族の公子らしき人間があからさまに私に視線を向けてくる。

 耳を澄ませば、あれが王子殿下の────。

 可哀想に────。


 そんな憐憫の言葉が次々と聞こえてくる。

 どうにも、八年前の現時点でもゼフィールの立場は散々なものであるらしい。


 セバスが私を心配そうに見詰めていたが、私としてはまあ別に、予想は出来てたから微塵の動揺もない訳なのだけれど。


「……というより、お嬢様。一つ気になっていたのですが、本当にこんなに荷物がいるのでしょうか」


 ルシアータ公爵家を出る際、私は大荷物を抱えて家を出ていた。

 目的地が比較的近い王城であった事もあるが、使用人が一人である理由は今しがたセバスが抱える大荷物を積む為に御者であるセバス以外の同行者が乗れなかったという事情もあった。


「王子殿下への贈り物と聞いておりますが、一体これは、」

「あ、ごめんなさい。それ嘘なのセバス」

「う、嘘でございますか……?」

「ええ。だって、そうでもしないと私の着替えとか色々な私物を持ってこれないと思ったんだもの」


 セバスの頭の上に疑問符が浮かぶ。

 どうして私の私物を持ってくる必要があったのか。そもそもなんで、持ち出すのにゼフィールへの贈り物などと嘘をついたのか。


「お父様も、セバスも、他のみんなも、当分私が王城で生活するって言ったら反対するでしょう?」

「…………」


 セバスは隣で絶句していたが、私も考えなしに行動を起こした訳ではない。


 これは押しかけであって押しかけではないのだ。

 予め、言葉巧みにお父様に仕事で王城に数週間ほど留まる際、どうしているのかと聞き出したところ、城にはルシアータ公爵家の為に用意された私室があるらしい。


 ルシアータ公爵家の人間ならば、いつであっても使う事を許されたその部屋で暮らせば問題はないだろう。たぶん。


「貴族の娘として生まれたからには、政略結婚にケチをつけるつもりはないわ。でも、相手がどんな人物であるかくらい、知っておきたいじゃない?」


 顔も、声も、性格も。

 何もかもを知らずに決まった縁談。


 恋愛結婚がしたかったと駄々をこねる気は毛頭ないものの、ならばせめて、どんな人物なのか。それを知り、理解しようとするくらいいいと思わない?

 そう私が告げると、一理あると思ったのか、セバスはむぅ、と唸る。


「ですが、旦那様は」

「あぁ、うん。大丈夫。お父様にはちゃんと置き手紙してきたから」

「置き手紙、でございますか」

「そう。王子殿下とじっくり話してくる────一ヶ月くらいって書いた手紙を」


 ゼフィールの性格を考えれば、一ヶ月はあまりに短過ぎる。

 だが、今の私の年齢を考えて、それ以上親元から離れて過ごすのは色々とまずいかなと思って、取り敢えず一ヶ月。

 許可が出れば、また一ヶ月と王城もとい、ゼフィールと共に過ごしてみるつもりだ。


 少なくとも、原作開始時点までに両者円満で婚約破棄に持ち込まなくてはいけない。


「お父様も、殿下との婚約には乗り気だったし、きっと許してくれる筈よ。うん、きっとね……」


 許してくれるような、許してくれないような。だいぶ甘く見積もってこの感触。

 多分、怒ってるんだろうなあと思いながらも、私は父の懐の深さを期待してそう信じることにした。


「……ですが、お変わりになられましたね。お嬢様」

「そう?」

「ええ。これまでのお嬢様であれば、こんな真似はなさらなかったでしょうから」

「あー……うん。ええ、そうね」


 引っ込み思案で、パーティーの際も父の背中に隠れるような、本来のカレン・ルシアータはそんな性格だった。


 綺咲葵だった頃の自分も、間違っても積極性のある人間ではなかった。

 だが、行動を起こさなければ自分自身がとんでもない不幸に見舞われると知っていれば人は変われるものだ。

 実際に私がこうして変わる事が出来ている。


「なんだろう。王子殿下の婚約者になったからには、しっかりしなきゃって気持ちがあるんだと思う」


 当たり障りのない理由。

 ルシアータ公爵家の事を思えば、この解答がベストアンサー。

 でも、私の口はそこで止まる事をよしとしなかった。


「あとは……そうね。後悔したくないから、かな」

「後悔、ですか」

「うん。後悔だけはしたくないから、たとえ無駄かもしれない事だろうと、私は出来る限りのことをやっておきたいの」


 ゼフィールの事も、何か一つでも多くの事を知っていれば。知ろうと努力していたならば、原作のような不遇キャラにはならなかったかもしれない。


 だから、不幸になりたくないからという自分のための目的を根底に据えながら、私は行動を起こすことに決めた。


「……分かりました。そういう事であれば、爺は反対いたしません」

「本当?」

「ですが、週に一度、旦那様にお手紙をお送りになられて下さい。恐らく今頃、屋敷は大変な事になっているでしょうから……」

「あ、あははははは」


 流石に引っ込み思案だった筈の娘が、急に一ヶ月も親許を離れて王城で暮らす。

 なんて言い出したのはやり過ぎだったかなあと自覚していたので、セバスの言葉に渇いた笑いしか出てこなかった。


「さてと。じゃあ、王城に着いたことだしさっそく殿下に会いに行こっか」



 そう言って私は、当たり前のように王城の出入り口を────横に通り過ぎる。


「お嬢様?」


 原作を知っている私だから、ゼフィールがいる場所はよく知ってる。

 王妃を含めた一部から忌避されているゼフィールに、城での居場所はない。

 それもあって、彼は王城にはいない。


 ゼフィールがいるのはそのすぐ側。


 ゼフィールを軟禁する為に造られた無骨な別塔にて、彼は生活しているのだ。


「私達の目的地はここじゃないわよ、セバス。私達の目的地は、あそこだから」


 隔離するように、それなりに離れた場所に位置する塔を指差す私の行動に、セバスは「は、はぁ」と胡散臭いものでも見るような視線を向ける。

 だが、セバスは勝手にゼフィールと手紙のやり取りをした際に説明をうけた、とでも自己解釈してくれたのだろう。

 先行する私の後を、ついてきてくれた。


 それから十数分ほど歩いた後、私達はそこへ辿り着いた。




「────こんな場所に客人とは珍しい」



 不意に声をかけられる。

 声のした方へと意識を向ける。

 そこには、燃えるような赤髪の男性がいた。服の上からでも分かるがっしりとした筋骨隆々な身体付き。

 鷹のような鋭い瞳も相まって、つい後ろに一歩後退してしまいそうになる。

 だが、彼に敵意がなかった事もあり、どうにか踏み留まれた。


「普段は、おれを除いてひと一人近づこうとしない場所なんだがな」


 ……一体、彼は誰だろうか。


 記憶を掘り起こしてみるが、目の前の彼に関する記憶を私は────と思ったところで、思い出せてしまった。

 しかし、それは〝クラヴィス華〟の世界を知る綺咲葵としての記憶ではなく、カレン・ルシアータとして生きていた己の記憶の中に答えは存在していた。


「────バレンシアード公爵閣下」


 気付けば、私は口を衝いて彼の名前を呟いていた。


 クヴァル・バレンシアード。

 バレンシアード公爵家現当主にして、セバスが言った言葉が真実ならば、私とゼフィールの縁談を主導した人物。

 原作には一切登場していない人物ゆえに、腹の中が全く分からなくて警戒してしまう。


「最後に会ったのはカレン嬢がこんくらいの時だってのに、覚えて貰えてるとは光栄だ」


 腰のあたりに手を当てながら、バレンシアード公爵は小さく笑う。

 彼の言う通り、最後にあったのは私が5歳の時の話。

 しかも、出会ったのはパーティーの中で、当の私は父の後ろにひたすら隠れていた筈。

 だから、覚えていないと思っていたのだろう。


「だが、こんなに早く訪ねてくるとはな。でも、ちょうど良かった。カレン嬢には、あの手紙の事を説明しなきゃと思ってたからよ」


 まるで、私がゼフィールに送った手紙の内容を知っているような物言いだった。


「え、と」

「カレン嬢には悪いと思ったんだが、あの手紙な、返事はおれが書いたんだ」


 たじろぐ私に、バレンシアード公爵は気まずそうに頬をぽりぽりと掻きながら告げる。


「ゼフィールの奴、お前が勝手に進めただけの縁談だ。相手が誰であれ、会う気はないって譲らなくてな。これでも頑張って説得したんだぜ? だけどよ、あいつ強情でよ」


 あっさりと「構わない」という返事が来たことには違和感を抱いていたけれど、成る程。

 そういう事情があったのか。


 バレンシアード公爵からの説明に、今は納得しかなかった。


「でも、よくここが分かったな? 城にいる連中も、場所を口にしようとしないだろうに」


 それは、城にいる王妃を気遣い、恐れているが故に、ゼフィールの話題は禁句なのだ。

 だからこの場所についても、バレンシアード公爵の言う通り聞いても答えて貰えなかった可能性は高かっただろう。


「えーっ、と、その、そこは、その、奇跡的にどうにかなったといいますか、えと、はい」

「そうかそうか」


 うまい言い訳が見つからなかったものの、バレンシアード公爵はその点については然程気にしていないようだった。


「ここへはゼフィールに会いに来たんだよな? だったら丁度いい。おれが今からあいつの下に案内してやるよ」

「……何か用事があったのではありませんか?」


 塔の外に出たところで出会ったのだ。

 何かしらの用事で塔を後にする予定だったのではないだろうか。

 そう思って尋ねると、笑い混じりに言葉が返ってきた。


「気にすんな、気にすんな。別に大した用事じゃなかったからよ。それに、おれからすりゃこっちの方が大切だ。縁談の話を半ば強引におし進めたおれが言える台詞じゃないかもしれんが────出来れば、ゼフィールと仲良くしてやってくれ。根は良いやつなんだよ、あいつ」


 かん、かんと音を立てて螺旋状の階段を登りながら、バレンシアード公爵は語る。


 城の中にも、城の外にも、誰一人として味方はおらず、誰一人として信用しなかった人間不信王子こと、ゼフィール・ノールド。

 原作主人公であったユリアの手も、幾度となく振り払ってきた筈のゼフィールにとって、バレンシアード公爵はどんな存在だったのだろうか。


 少なくとも私には、彼がゼフィールの敵であるとは思えないし、言葉の一つ一つに込められた親愛の情は、まるで家族に向けるもののようだった。


 原作を知る私だからこそ、それが気になった。だから────。


「バレンシアード公爵閣下」

「ん?」

「閣下にとって、ゼフィール王子殿下とはどのような存在なのですか」

「……まぁ、そうだよな。カレン嬢はそこんところ、気になるよな」


 ゼフィールにとって叔父にあたる訳だから、全くの無関係という事ではない。

 だが、王妃を気にして誰一人として近寄りすらしないゼフィールの下にいる理由は。

 彼に世話を焼いている理由は。


「強いて言うなら……出来の悪い息子────のような存在、かね?」

「出来の悪い息子、ですか」


 繰り返す。

 バレンシアード公爵には、本当の息子がいる筈だ。子に恵まれなかった訳でもない。


「カレン嬢も不思議で仕方がねえとは思う。実際、誰も彼もにそう言われてきた。あんなやつの世話をどうして焼くのか、ってな」


 得られる益は、殆どないだろう。

 強大な力を持つ魔法使いとの縁が得られるとはいえ、魔法使いにも制約が存在する。

 加えて、ゼフィールとの縁を得たとしても、その代わりに失うものが多過ぎる。


 特にこの国に関わらず、魔法使いという存在はあまり歓迎されていない事が多いから。


「でも、如何に魔法使いとはいえ、あいつも一人の人間だ。おれ達となんら変わりない一人の人間なんだよ。だから、おれはあいつに世話を焼いてる。他の人間がしない分、おれが目一杯、な。……まぁ、罪滅ぼしって意味もあるっちゃあるんだが」


 消え入りそうな声で紡がれた最後の一言は、私の耳に届く事はなかった。


「そういう訳で、おれはルシアータ公爵家とあいつの縁談を進めて良かったと思う」

「……どうして、とお聞きしても?」

「カレン嬢が、優しい人だと思ったからだ」


 かん、かん、と絶え間なく響いていた足音が、止まる。

 それは、バレンシアード公爵の言葉を聞いて私が立ち止まったから。


 ────違う。優しいからとかじゃなくて、そんな真面な理由じゃなく、私がここにいる理由は打算によるもの。

 自分の未来を変える為。ただ、自分の為に今ここにいるのだ。


 そう否定しようとして、


「少なくとも、城でのあいつの立場を見て、それでもゼフィールに会おうとする人間はきっとおれくらい。そう思ってた。今だから言っちまうが、カレン嬢はゼフィールに一度として会う事はないと思っていた」

「……あの。じゃあどうして、殿下と私の縁談を主導なさったんですか?」


 バレンシアード公爵の言葉を受けて、私はだったらゼフィールを救ってくれそうな人間との縁談を進めるべきだろうと思った。


 だけど、本来のカレン・ルシアータは正義感によって突き動かされる人間でも、主人公であるユリアのように誰も彼もを救おうとする理念の持ち主ではなかった。


 バレンシアード公爵は、発言を躊躇いつつも隠す事は不義理であると判断してか、言葉を続ける。


「カレン嬢は、何もしないと思ったからだ」

「何もしない?」

「ああ。カレン嬢の性格は、おれも知るところであった。だから、貴女はゼフィールを貶す事も、蔑む事も、突き放す事も、手を差し伸べる事も、歩み寄ろうとする事も、何もしないと思った。そもそも、関わりすらしないと思った」


 本来であるならば、唯一の正統後継者とはいえゼフィールと縁談を結ぼうとする家はなかっただろう。

 だが、私の父上はなんと言うか、公爵家当主にもかかわらず、色々と情報に疎い。

 それと、悪人であるよりは良いのだけれど、なんというか、お人好し。


 そして当のカレンはそんな父の背中にずっと隠れているような深窓のご令嬢。


 何となく、カレン・ルシアータが作中随一の不遇キャラになってしまった理由が垣間見えたような気がした。


「カレン嬢にとっては気分の悪い言葉だろうが、別に貶してる訳じゃねえんだ」

「いえ、お気になさらないで下さい。事実ですから」


 止まっていた足を再開させる。


「だから正直、驚いてた。あの手紙然り、こうして本当にゼフィールの下にカレン嬢が訪れてくれた事に。そして本当に、何の悪意もなくゼフィールと会話をしようとしてくれてる事実に」

「……分かるんですか?」

「悪意があるかないかくらい、目を見りゃ分かる。そうじゃなきゃ、こうしてゼフィールの下に案内もしてねえよ。そら、着いたぜカレン嬢」


 視線の先には、重々しい扉が一つ。

 明らかに何かを閉じ込める用途で造られたであろうものであったが、バレンシアード公爵からすればもう慣れたものなのだろう。

 気にした様子もなく、扉越しに「邪魔するぞ、ゼフィール」と一方的に告げて、扉を押し開けてゆく。


 そして、扉を開けた先には私の知っている姿よりも随分と幼かったものの、画面越しで幾度となく目にしてきたゼフィール・ノールドがそこにはいた。



「……帰ったんじゃなかったのか、クヴァル」



 不機嫌な様子で紡がれる言葉。

 だが、私は幼い容姿ながらもゼフィールと出会えた事以上に、バレンシアード公爵と彼が普通に会話をしている事実が衝撃的だった。


 私の知る限り、ゼフィールは誰かと会話する事を徹底的に拒んでいた人だったから。


「そのつもりだったんだがな。偶然、カレン嬢と出会ってな。ほら、言っただろ。お前の婚約者になったカレン・ルシアータ嬢」

「……そういえば、そんな事を言っていたな。だが、婚約は認めても、出向くという話は断ったと記憶してるが」

「ああ、それな。それ、おれが勝手に了承しちまってよ。なに、ちょいとばかし手が滑ったんだ。わり」

「……はあ」


 何をどう手を滑らせれば、断りの手紙を了承に書き間違えてしまうのだろうか。

 ゼフィールの立場であったならば、聞かずにはいられない言葉。


 でも、ゼフィール自身がバレンシアード公爵のそういう部分にもう諦め切っているのだろう。

 抗議するだけ時間の無駄と判断してか、あからさまに深い溜息を一度だけ漏らした。


(……本物のゼフィールだ。声は少し幼いけど、うん。ちゃんと名残がある。すっご。一回でいいから、カレンじゃなくて、葵って呼んで貰えないかなあ……?)


「それで、一体俺に何の用だ」


 原作開始時ならば、こんなやり取りすら叶わなかっただろう。

 たった一言の会話すら拒絶する人間不信王子。それが私の知るゼフィール・ノールドだ。


 有名人に出会った野次馬のような考えを巡らせる私だったが、ゼフィールの問い掛けのお陰で我に変える。

 そうだ。

 色々と惜しいけど、今はこんな事をしてる場合じゃなかったんだった。


 だから私は、考える時間なんて然程なかったけれど、その中でどうにか導き出した八年後にゼフィールとの婚約を円満に破棄でき、その上、それからも陰ながらゼフィールを助けられるポジション。


 つまり、


「……ぁ、の。ゼフィール王子殿下。えっと、その……私と、お友達になっていただけませんか」

「…………はあ?」

「は?」

「お嬢、様……?」


 ゼフィール、バレンシアード公爵、セバスの順で私の言葉に対し、何言ってるんだお前と言わんばかりの反応が返ってきた。


 ……ある程度の予想はついてたけど、みんなしてそんな反応をしなくていいじゃんか。



 †


「く、くくくッ、ははははははは!! 昨日はただの冗談か何かかと思ってたが、本気だったのかよ、カレン嬢」


 あれから一日。

 セバスに説明したように、王城にあるルシアータ公爵家の為に用意されていた広すぎる私室にて、私は夜を過ごし、再びゼフィールの下へとやって来ていた。


 側にはバレンシアード公爵もいる。

 どうにも、彼は一日一度はゼフィールの下を訪れているらしい。


 あの後、話にならないと部屋から叩き出された私がまた訪れるとは思っていなかったのだろう。滅茶苦茶楽しそうに笑われた。


「……本気じゃなかったら、あれだけの荷物を持ってくる訳ないじゃないですか」

「確かに、それもそうだ。しかし、友達になりたいってよ。間違っても、婚約者に向かって言う言葉じゃねえだろ」


 結婚を前提とした婚約を結んだ相手である。

 私以外の人間からすれば、何を言っているんだと言いたくなる気持ちはよく分かる。


 ただ、私の場合は八年後に婚約破棄をされる未来を知っているので、その為にもできれば友人くらいの関係に落ち着いている必要があると思った。


 そしてその関係値ならば、縁談が破棄されても陰ながら何らかの形で支える事は出来るだろう。そうする事で、原作主人公であるユリアの負担は確実に減るし、もしかすると私の望むハッピーエンドにたどり着けるかもしれない。


 あれは、だからこその発言であった。


「でも、おれは応援してるぜ。昨日は部屋から一瞬で叩き出されちまったけどな」


 理由も聞かずに、バレンシアード公爵は私の考えを尊重すると口にする。


「どういう目的でああ言ったのかは知らんが、あいつには頼れる人間があまりに少な過ぎる」


 原作の時ほどの人間不信ではないものの、何者も省みようとしない様子は八年前から変わっていなかった。


「だから、カレン嬢があいつの拠り所になってくれるってんなら、これ以上ねえと思った。もっとも、あの人間不信の友は骨が折れると思うがな」

「……何か裏があるとは思わないんですか?」


 本当は、ゼフィールに対して一人であたって砕けろを繰り返すつもりだった。


 でも、ゼフィールの側にはバレンシアード公爵がいた。

 傍から見れば、急に距離を縮めようとする怪しい人間にしか見えない事だろう。


 そう思っての質問だったのに、バレンシアード公爵は悩む素振りを見せる事なく破顔した。


「裏を持ち込むような人間が、無防備に一ヶ月も王城に留まる、なんて言い出すもんかよ。仮に目的があったとしても、きっと悪いもんじゃねえ。おれがそう思った」


 私の父が何か良からぬ事を考えていたとしても、私を一人で送り出すなんて真似をする訳がない。逆も然り。

 だから、裏はないとバレンシアード公爵は笑いながら断じていた。


「それに、本当の意味でのあいつの支えにおれはなれねえからよ」


 少しだけ寂しそうに。

 今この世界で、一番ゼフィールとの距離が近いであろうバレンシアード公爵は呟いた。


「……それってどういう」

「おれがあいつに世話を焼いてる理由に、『同情』や、『贖罪』。そういった余計な感情が僅かながらでも入っちまってるからな。だから、どれだけ距離が縮もうと、どう足掻いてもあいつの本当の意味での理解者におれはなれねえ。勿論、たとえそうだとしてもゼフィールを見捨てる気はないがな」


 そうして、私は再びゼフィールの部屋の扉の前にたどり着いた。


「んじゃ、頑張ってくれよカレン嬢」

「バレンシアード公爵閣下はご一緒なさらないんですか?」

「同世代の人間同士の方が色々とやりやすいだろ。こんな、二回り以上も年食ったおっさんと一緒にいるよりもよ。それに、ちょいと公務が忙しくてな。今日は、ゼフィールの事頼むわ」


 背を向け、手をひらひらさせながらバレンシアード公爵は踵を返してその場を後にしてゆく。


(……どうして、バレンシアード公爵は原作に出て来なかったんだろう)


 ふと思う。


 ここまでバレンシアード公爵閣下とゼフィールの関係値が良いのに、次代のバレンシアード公爵とゼフィールはどうしてあれほど険悪だったのだろうか。


 ……今思えば、まるで禁句のようにバレンシアード公爵の話題だけがすっぽりと抜け落ちていたようにも思える。


 でも、考えても仕方のない事だと割り切り、私は一旦バレンシアード公爵の事は忘れる事にした。


「さて、と。時間も限られてる事だし、頑張って仲良くなりますかね」


 扉を押し開けるべく、ドアノブを握り力を込める。しかし、そこからは確かな抵抗感しか帰ってこない。

 やがて、まるでロックされているかのように、ガチャン、ガチャンと音が連続して響く。



 ……これ、あれだ。鍵掛けられてる。



「ば、バレンシアード公爵閣下!! 殿下が扉に鍵を掛けてます……!!」

「……あ、あんにゃろ。夜以外は鍵掛けんなってあれほど言っただろうがッ」


 格好良くその場を後にしたバレンシアード公爵が、私の声を聞いて慌てて引き返してきてくれる。


 ややあって、開けられた扉の先には、性懲りも無くまた来たのかと悪びれもせずに呆れるゼフィールの姿がそこにあった。

 ただ、私の視線はゼフィールの手元に置かれていた水晶に似たものに引き寄せられる。


 作中では何度も見かけたそれは、魔法使い達が魔法の制御を練習する為に使用していたものであった。


 部屋にこもって何をしているのかと気になっていたが、おそらくゼフィールは日頃より己の魔法使いとしての力の制御の為に試行錯誤していたのかもしれない。


「魔法の制御、ですか」

「……分かるのか?」


 今度こそ、またな。と足早にその場を後にするバレンシアード公爵を尻目に、私は半ば反射的に呟いていた。


「ほんの、少しだけですが」


 ……そうだ。私には、八年後の原作の知識がある。決してそれはこれから起こる事象にのみ活用出来るものだけでなく、単に八年後では当たり前だった知識を今、伝えられるというアドバンテージも存在している。


 だったら、私はゼフィールの魔法使いとしての懸念を無くす事に尽力しよう。

 そうすれば、本来の人間不信王子などと不名誉過ぎるあだ名をつけられたゼフィールとは別の未来を彼が歩めるかもしれない。


「……いや、なんでもない。お前には関係のない事だ。婚約はクヴァルが勝手に進めた事だ。お前までそれに付き合う必要はない。分かったらさっさとここから出て行け」


 言葉には隠してすらない棘がある。

 でも、原作のゼフィールほど、容赦のないものではなく、入り込める隙が僅かほども見出せなかった本来の彼とは程遠い気がした。


 これならば、私でも十分可能性があるように思えた。



 何者も省みず、何者も信頼しようとせず、誰の言葉にも耳を貸さない。

 そうする事で孤立しようが、彼からすれば寧ろ望むところ。

 自分の為だけに生きる彼は、本当に誰も必要とはしていなかった。



 カレン・ルシアータとしての悲劇から逃れたいと思う以上に、ゼフィールにまた、そんな悲しい生き方を私はして欲しくなかった。


 だから私は、自分の目的の為に。

 そして、ゼフィールの為にこの世界も捨てたもんじゃないんだって、知らしめる事に決めた。


「私の知識は虫食いですけど、でも、殿下の力になれると思います。ですから、今日から一緒に魔法の制御の練習もしましょう! 勿論、私とお友達にもなって貰いますけども!」

「……俺の話を聞け。というか、あの戯言は本気だったのか」

「そりゃあ、私も友達になろうって相手に嘘をつくほど人でなしじゃありませんから」


 『嘘』という言葉に反応し、ゼフィールの表情が険しいものに変わるその一瞬を私は見逃さなかった。


 原作でも、ゼフィールは嘘をひどく嫌っていた。だからこそ、私はあえてその言葉を用いた。そして、自分の退路も無くしてしまう。

 もし反故にでもしてしまえば、私自身が彼にひどく恨まれる事になると分かった上で、口にするのだ。

 そうでもしなければ、彼の信頼は勝ち取れないと思ったから。



「今すぐ信じてくれとは言いません。ですが、これだけは覚えていて下さい。私は、貴方を何があっても忌避しないし、見捨てない。何があっても、私は貴方の味方ですから。ゼフィール・ノールド王子殿下」



 †


 それから、一日、二日、三日と毎日のようにカレンがゼフィールに付き纏い、初めこそ鬱陶しがっていたものの、流石に諦めたのか。

 カレンがゼフィールに付き纏いながら王城で暮らすようになって三週間ほど経過したある日、王城に位置するとある私室にて舌打ち混じりに会話をする声があった。



「────実に、鬱陶しい。そうは思いませんか、ハーヴェン公爵閣下」



 ノールド王国には、四大公爵と呼ばれる四つの公爵家が存在する。

 うち一つは、カレンの生家であるルシアータ公爵家。そして、クヴァルが当主を務めるバレンシアード公爵家。

 そして、ハーヴェン公爵家と、ルシェル公爵家。それら四つの家を一纏めにして、四大公爵家と呼ばれていた。


 この場には、その四大公爵家の一つに数えられるハーヴェン公爵家の当主と、その子飼いである貴族家の人間、あわせて五名が同席していた。


「確かに、〝魔法使い〟は有用な存在ではあります。ですがそれは、〝兵器〟としての話。バレンシアード公爵は何を考えているのやら。……彼はゼフィール殿下を本気で後継に据えようと考えているのでしょうか」


 続けられた貴族達の言葉に、ハーヴェン公爵閣下と呼ばれた緑髪の初老の男性は「まさか」と言うように余裕に満ちた笑みを浮かべる。


「流石にバレンシアード公爵とはいえ、そこまで阿呆ではなかろう……と、言いたいところだが、彼の実子も確か〝魔法使い〟であったか」


 ノヴァ・バレンシアード。


 それは八年後、ゼフィールと犬猿の仲となっていた魔法使いの名前であり、バレンシアード公爵家当主となる人物。


「……まさか、ゼフィール殿下の地位を確固たるものにする事で、実子の立場も向上させるおつもりか……!!」

「あり得ない話ではなかろうて」


 バレンシアード公爵には、ゼフィールを庇う動機がある。

 ゼフィールの地位が向上する事で誰が一番得をするのか。

 それは、間違いなくバレンシアード公爵であった。


「だが、それはあってはならない事よ。そうならない為に、儂は十五年前のあの日より準備をしてきたのだ。あの事件を引き起こしたのだ。今更、今更、それが覆されるなど、あってはならん……!! 魔法使いは、〝兵器〟であって人間ではないのだ……!!」


 憎しみと、悲壮と、怒りと────負の感情が詰め込まれたハーヴェン公爵の言葉に、居合わせた貴族達は射竦められたように口を真一文字に引き結んだ。


 ハーヴェン公爵が語る十五年前に起きた事件によって、現王妃は当時、公爵位を賜っていた一人の男────実に兄に殺され掛けている。


 魔法使いの暴走。


 理性を無くした魔法使いによって、甚大な被害が齎されたその事件の傷痕は今も尚、残っている。


 だがそれは、魔法使いに恨みを持つ一人の男によって意図的に引き起こされたものであった。


「……しかし、魔法使いでもあるゼフィール王子殿下はルシアータ公爵家と縁を結びました」

「そんなもの、バレンシアード公爵が勝手に推し進めただけの張りぼてよ。あやつが失脚すれば、即座に白紙に戻ろうて」

「ですが、積極的に地盤固めを行っているバレンシアード公爵の失脚など見込めますかね……」

「真っ当な手段では無理であろうな。が、あくまでそれは真っ当な(、、、、)手段をとった場合よ。手段を選ばなければ、やりようなど幾らでもあるわい」

「手段を選ばなければ、ですか」

「そうよのう。例えば……彼が目を掛けているゼフィール王子殿下が十五年前と同様、暴走を起こしたとすれば……どうであろうか」


 その場に居合わせた人間全てが、ごくりと唾を嚥下する。


「魔法使いであるゼフィール王子殿下を擁護する立場であったバレンシアード公爵は間違いなく失脚する上、後継者が魔法使いしかいないバレンシアード公爵家は、そのまま取り潰しになるやもしれんなあ? くふふ、ふふふはは、はははははは!!」


 悪辣な奸計を口にするハーヴェン公爵は、ニヒルに口角を歪めながら、懐から妖しく輝く小さな鉱石を取り出してそれを手の上で転がし嗤った。



 †


 ────燃え盛る。


 そこは、文字通り火の海だった。


 でも、あるべき筈の『熱さ』がそこにはない。

 がらがらと音を立てて崩れ落ちる建物の音。

 燃え盛る炎の音が忙しなく耳朶を打つ。

 確かなリアリティがあって、時折聞こえてくる人の悲鳴にも、嘘はなかった。


 なのに私は────カレン・ルシアータは本来感じるべき筈の『熱さ』を感じられなかった。


 まるで、自分が幽霊にでもなかったかのような錯覚を抱く。

 俯瞰的。

 第三者視点。


 まるで────そう、この光景を私は見させられているような、そんな気がする。


 私の意思とは関係なしに周囲の光景の時は進み、移り変わってゆく。



 これは…………〝夢〟、なのだろうか。


 ひとまず私は、この燃え盛る火の海の中を歩く事にした。

 そして歩いて、歩いて、歩き続けて。

 凄惨な光景の数々を目の当たりにしながら、私はソコにたどり着いた。


 ────どくん。


 不意に心臓が大きく脈を打った。私の中の冷静さが、猛烈な速さで削り取られていく。


『…………ぁ』


 漏れ出た声。

 しかし、私の声は誰の耳にも届かない。


「────!!!」


 言葉にならない嗚咽をあげながら膝をつき、絶望に身を埋めるゼフィールと、血の海に沈むバレンシアード公爵には届かなかった。


『……なん、で』


 ────思い出す。

 これは……そう、思えばこれは、魔法使いが起こした暴走による惨劇。

 それに、よく似ている。


 だが、私という存在が介入した事でゼフィールの魔法の制御は本来よりもずっと安定していた筈だ。暴走が起きる可能性は限りなくゼロに近かった筈。

 でも、この状況からして暴走を起こしたのは、ゼフィールだ。


 どう、して。


 どうして、こうなった?

 そもそもこの夢はどういう事だ?


 これから起こる未来の暗示?

 それとも、本来起こるべき筈だった未来の話?


『……嗚呼、でも。バレンシアード公爵が、原作にいなかった理由はこれなんだ』


 彼の息子であり、〝クラヴィスの華〟におけるヒーローの一人でもある公爵とゼフィールの仲が険悪な理由も、恐らくこれが理由ではないだろうか。


 状況から判断するに、バレンシアード公爵はゼフィールを助けようとしたのだろう。

 そして、暴走状態にあったゼフィールはバレンシアード公爵を殺してしまった。


 ……嗚呼、確執が起こるのは当然だ。


 原作では語られなかったが、この仮定が正しいのならば、ああなって当然だ。

 何より、ゼフィールがこの一件を重く受け止めていればいるほど、ああも人を寄せ付けなかった理由にも合点がいく。


 本来、優しい性格だったゼフィールは、己と関わる事で誰かが不幸になると思い込んでいたのかもしれない。



 ────助けなきゃ。



『助けなきゃ』


 無駄と分かっていて尚、私は彼らに手を伸ばす。万能な主人公でも、魔法使いでもない私に、彼らを助ける術はない。

 でも、それでもと私は手を伸ばし────そこで、私の夢は途切れ現実に引き戻された。



 †



「────っ、はっ、はっ、はっ………は……ぁ」


 意識が覚醒すると同時、私は勢いよく上体を起こした。


 過去一番で最悪な目覚めだった。

 気持ち悪い汗が身体中に流れている気がする。


「……で、も、どうしてああなったんだろう」


 気になる事は他にも色々ある。

 だが、それら全てを差し置いて、一番はやはりどうしてああなってしまったのか。


 仮にこれから起こる未来を暗示した夢であったとして────それは、土台おかしな話なのだ。


 私は八年後に確立された知識を八年前の今、持っている。そしてそれを、既にゼフィールに教えた。


 魔法使いの唯一の欠点である、暴走が起こる確率は極めて低くなっている筈なのだ。


 そもそも、魔法使いながら塔に隔離された事で普段から魔法をほとんど一切使っていないゼフィールが、使用過多が原因の一つに挙げられる暴走に見舞われる筈がないのだ。


 なのにどうして、


「…………意図的に、起こされた?」


 辿り着いた一つの可能性。


 あれは、誰かしらの思惑によって意図的に引き起こされたものであったならば?


「いや、そもそも暴走を意図的に引き起こすなんて、そんな事が────」


 言葉が止まる。

 そういえば、あった。


 明らかにBADエンド一直線の√だったから、私は深く掘り下げる前に他の選択肢を選んで回避してしまったけど、確か意図的に魔法使いの暴走を引き起こそうと試みた人間がいた。

 その人は、魔法使いを執拗に恨んでいた。

 理由は、人生を壊されたからだなんだとそんな理由だった気がする。


 確か名前は、


「ウェルバ。そう、ウェルバって名前だった」


 カレン・ルシアータとは違って、顔グラが用意されていた悪役キャラ。

 聖女候補であった主人公の力を独り占めしようとしていた悪い奴。


 顔は醜悪な老人で……あぁ、だめだ。靄がかっていてちゃんと思い出せない。


「……取り敢えず、ゼフィールに確認しなきゃ」


 ここ数週間の間で、ほんの少しだけ態度が軟化────した気がする、ような気もしなくもないゼフィールに確認を取るべく、私は飛び出すように部屋を後にした。


 だが、


「ん? どうしたカレン嬢、そんなに慌てて」


 私を出迎えてくれたのはゼフィールではなく、バレンシアード公爵だった。


「あ、の、ゼフィールは?」

「ゼフィール? あいつなら、ハーヴェンの爺になんか呼ばれたらしくてな。王城に出向いてる筈だぜ。ったく、あの爺は胡散臭えからおれもついてくって言ったのにあいつったら相変わらず強情でよ」

「ハーヴェンの爺、ですか」


 四大公爵家に数えられるハーヴェン公爵家の人間の事だろう。

 原作ではルシアータ公爵家よりも影が薄かった為、ハーヴェン公爵家に関する知識は殆どないんだけれども、


「ああ。ウェルバ(、、、、)・ハーヴェン。魔法使い嫌いの爺がゼフィールを呼び出すなんざ、きな臭えにも程があるだろ。カレン嬢も、あんな奴は閣下って呼ばずにハーヴェンの爺って呼んでやれ。なに、おれが許────」

「今、ウェルバとおっしゃいましたか……?」


 思わず自分の耳を疑った。


「ウェルバ・ハーヴェン。ハーヴェン公爵家の現当主の名前だが、それがどうかしたか?」


 頭の中が混乱する。

 情報が錯綜する。


 私の記憶が間違ってる────?

 ……いや、それはない。

 作中で何度も登場してきた悪役の名前を、間違っているとは思えない。


 だったら、同名の人物?

 ……バレンシアード公爵が、魔法使い嫌いという情報を口にした以上、恐らくその可能性は極めて低いだろう。


 何より、


「バレンシアード公爵閣下。急用ができたので、これにて失礼いたします」


 ウェルバ・ハーヴェンの名を聞き返した際、僅かながらバレンシアード公爵の顔が強張った。

 きっとそれは、彼に対して何らかの感情を抱いていたから。


「お、ぃっ、ちょ、カレン嬢!?」


 目的地を城へと変更し、来た道を引き返す。

 だけど、普段とは明らかに様子が違う私を心配してか、慌ててバレンシアード公爵が後ろから追いつき、先回りをして私の前に立ち塞がった。


「ごめん、なさい、今、急いでるんです」

「……ウェルバ・ハーヴェン。この名前を出した途端、カレン嬢の様子が急変した。質問に答えてくれねえ事には退けねえ。カレン嬢。あんたは一体、何を知ってる? ハーヴェンの爺の、何を知ってる?」


 ……反応があからさま過ぎたのがまずかったか。いや、でも、ウェルバの名前を唐突に聞いて、冷静でいられる方がどうかしてる。

 その上、今そのウェルバからゼフィールが呼び出されている。

 夢に見たあの光景は、いつ起こるものなのか。そこまで私には知らせてくれなかった。


 もしかするとあれは、今日これから起こる出来事かもしれない。そう考えると、やはり時間はない。一刻を争う事態だ。


 城の内外に敵はいると思ってはいたけど、まさか四大公爵家の中に敵がいるとは思いもしてなかった。

 でも、ウェルバがハーヴェン公爵家の人間であるならば、色々と納得出来る部分もある。


 おそらく彼は、ハーヴェン公爵家を追われ、その過去は強引に誰かしらの手で消されたのだろう。

 だから、原作でもまるで意図したようにハーヴェン公爵家の名前だけは殆ど出てこなかった。


 そう考えれば原作の流れにも納得ができてしまう。


「まさか、ゼフィールに近付いたのも……いや、あれはおれが主導した事だ。カレン嬢がどうこう出来たもんじゃねえ。だが、明らかに様子が一変してた」


 独白するように、バレンシアード公爵の口から呟きが漏らされる。


「……頼む。ハーヴェンの爺について何かを知ってるなら、教えてくれ。その情報の出どころは聞かねえ。カレン嬢がどうして知ってるのかも聞かねえ。だから、何か知ってるなら教えてくれ」


 その声音は、真剣そのものだった。


「どう、して」


 ウェルバの名前で急変した私の様子が気になっているだけの熱量ではない何かがそこにはあった。

 まるで、随分前からウェルバについて引っかかっていたかのような物言いだった。

 だから、私は疑問を投げかけてしまった。


「この際だから言っちまうが、おれもあいつについては調べてたんだ。十五年前の魔法使いによる事件。あれは、ゼフィールの伯父が暴走をした事になってるが、真実はちげえ。確かな証拠がなかったせいで取り合って貰えなかったが、あれは誰かが意図的に引き起こした暴走だ。おれはそれを知っていたのに、その事実を認めさせる事が出来なかった。幼馴染の無念を、おれは未だに晴らす事が出来ずにいる……!! そしてそれに、ウェルバが関わっている可能性が高い事までは辿り着けた。だが、それ以上はどれだけ調べても分からなかった。頼む。この通りだ!! 何かを知ってるなら教えてくれ、カレン嬢!!」


 いつだったか、バレンシアード公爵は言っていた。己は、本当の意味でゼフィールの理解者になれないと。

 ……恐らく、これが理由なのだろう。


 彼は、己の幼馴染であり、ゼフィールの伯父の無念を晴らせる立場にいながら晴らせなかった。その贖罪としてゼフィールの世話を焼いていたのだろう。


 だから、あの夢で見た光景のように、彼の為に命すら投げ出せたのだろう。

 全ては、申し訳なさゆえに。


 こんな権力もない子供に、真摯に頼み込んでくるバレンシアード公爵を前にして、私は全てを話そうか悩んだ。

 荒唐無稽な話。

 けれども、彼には話すべきではないだろうか。


 だけど、どう言えばいいんだ。


 原作を知っているからとでも言えばいいのか。……いや、それは出来ない。

 でも、ここまでされてだんまりを決め込むのは気が引けた。それに、付き合いは短いけれど、バレンシアード公爵の性格を私は知っている。彼が、ゼフィールにとって必要な人である事も。


 ここで私が情報を伝える事で、彼が生存してくれるのなら。



「……夢を、見たんです」

「夢?」

「王城が、火の海に包まれてたんです。そこの中心には、ゼフィールと、バレンシアード公爵閣下がいて。ウェルバという名前の人が、魔法使いの暴走を引き起こす手段を持っていて。確か……、このくらいの大きさの鉱石を使って引き起こしていた筈、です」


 後者は原作知識を持つ私なりに付け加えた話。

 夢を見た、だなんて話が証拠になる訳がない。しかし、懸念が確かであるならば、ウェルバは原作と同様に魔法使いの暴走を引き起こそうとしたのかもしれない。


 原作を知っているからこそ、その原因も、止め方も私は知っている。

 だけど、私はユリア(主人公)じゃない。


 あれは主人公であったから止められただけで、私が同じ事をして止められる保証はない。


 だから、今はバレンシアード公爵にも協力して貰おう。


「……分かった。信じるぜ、その話。何より、そうでもなきゃ、あんな焦燥に駆られた顔になる訳ねえしな。取り敢えず、ウェルバの下に行く」


 私は、バレンシアード公爵と共に王城へと向かった。しかし、そこには呼び出された筈のゼフィールも、ウェルバも何処にもいなかった。



 †


「お久しぶりですな、殿下」

「……俺を閉じ込めた張本人がよくいう」


 王城の外れに位置するひと気のない場所。

 供回りもつけずに二人────ウェルバ・ハーヴェンとゼフィール・ノールドは歩いていた。

 だが、お互いの間にある溝を指し示すように、その二人の間には絶妙な距離があいていた。


「閉じ込めたとは人聞きの悪い。貴方という魔法使いから、他の人間を守った、と言って貰いたいですな?」

「伯父上を〝暴走〟に追いやり、多くの被害を生み出した張本人が、他の人間を守った(、、、)、だと? 馬鹿も休み休み言え。お前はただ、魔法使いという存在を嫌悪しているだけだろう。くだらん理由をつけるなよ、人殺し」


 曰く正義と、大多数を救う為に仕方なくやった事であると宣うウェルバを真っ向からゼフィールは非難する。


「……一体、何の話ですかな」

「お前が一番知っている事だろう。俺は、魔法使いだぞ」

「……あぁ、そうであったのう。これだから魔法使いという連中は煩わしい」


 ウェルバから、取り繕っていた敬語口調が消える。


 人智を超えた能力を有する者。

 それが、魔法使い。


 彼らの能力をもってすれば、過去を調べることも、頭の中を覗く事も容易でしかない。

 もっとも、そこには適性という壁が存在するものの、彼らが普通の人間とは異なる存在である事は否定しようのない事実であった。


「……そこまで知っておきながら、何故公言せなんだ? 何故、知らぬふりを通しておった? バレンシアードの小僧に助けを求めれば、あやつは儂を排除する為に動いたであろうに」

「それこそお前の思う壺だろう。伯父上の一件以降、魔法使いという存在は忌避されてきた。俺が、あの塔に閉じ込められる時、反対したのがクヴァルだけだったのが良い例だ。俺が何を言おうと誰も聞く耳を持とうとはしなかっただろうな」


 ────よく考えられている。

 ウェルバは素直にそう思った。


 もし、魔法使いでなければ、良き統治者となった事だろう。その点を惜しみながらも、しかし、こうも頭の切れる人物となったのは〝魔法使いであるから〟かと思いつつ、溜息を漏らした。


 事実、ウェルバは万が一の事を考えて常に行動をしていた。

 城には彼の息が掛かった人間が多数存在している。ゼフィールが何か行動を起こしてとしても、ウェルバには何の影響もなかった。


「それに、これ以上クヴァルを巻き込む訳にはいかない」

「だから、儂の呼び掛けに応じたという訳か」

「俺は両親からも見捨てられている。国を追われるのは時間の問題だろうさ」


 今は、バレンシアード公爵という強大な盾が付いている。

 そして、クヴァルによってルシアータ公爵家という盾も得た。


 当分はゼフィールが国を追われる事はないだろう。だが、時間の問題である事は変わらない。何故ならば、それを本来画策していた人間からすれば、この展開は面白くないから。

 だから、まず間違いなく何かしらの行動を起こしてくる。それ故に、時間の問題。


 画策がゼフィールに対してのみ害になるものならばまだいい。だが、その矛先はクヴァルに向く可能性が高かった。

 それもあって、ゼフィールはこの呼びかけに応じていた。


「別に今更、俺がどうなろうと構わない。だが、これでも受けた恩に報いるくらいの気概は持ち合わせているつもりだ」

「……ほお?」

「信用も、信頼もない俺に、伯父上の無念を晴らす術はない。だが、恩に報いる事なら出来る。俺がいなくなれば、次にお前の矛先はバレンシアード公爵。ノヴァに向くだろう? 悪いが、それは認めてやれない。だからこそ────」



 ────俺と共に死んでくれ(、、、、、)、ウェルバ・ハーヴェン。



 ぶわり、と視覚化出来るほどの濃密な殺意の奔流が一瞬にして膨れ上がり場を席巻する。

 だが、この場にその殺意で身を怯ませる弱者は存在しなかった。


 むしろ────。



「ふ、ふはは、ははははハハハハハハ!!! やはり血の繋がりは誤魔化せんか!? お前の伯父も似たような事をほざいておったわ。兵器でしかない魔法使いの癖に、あやつもまるで人間のような事を宣っておったわ!!」



 ウェルバは哄笑を轟かせ、これでもかと言わんばかりに嘲笑う。


「誰かを助ける為に、自分の命を犠牲にしよった阿呆よ!! だがそのお陰で儂はあやつを殺せたのだがのう!?」


 一瞬にして無数に展開される氷柱のような氷の刃。それらがウェルバに向かうと同時、何処からともなく取り出された杖によってその攻撃は防がれる。


「魔法使いとの戦い方はよく知っておる。お前の伯父を、誰が殺したと思っとる」


 ゼフィールの叔父は優秀な魔法使いだった。

 誰からも信を置かれ慕われていた、そんな魔法使いだった。


 だからこそ彼の暴走は衝撃的であったし、そんな彼に殺されかけた現王妃の心情は如何様なものであっただろうか。


「確かに、儂を殺すと宣うだけあってよく洗練されておる。魔法使いを殺す事に入れ込んでいた儂でなければ殺せていたであろうよ。だが、それで本当に良いのか? ゼフィール」

「気安く俺の名前を呼ぶな、人殺し」


 余裕綽々と言葉を紡ぐウェルバに対し、ゼフィールは立て続けに魔法を行使する。

 しかし届かない。

 まるで次に何がくるのか分かっているかのように、ウェルバは防いで見せる。


 ────……魔法使いでもない人間がどうして。


 焦燥感と共に押し寄せるその感想を押し殺し、やって来る言葉を切り捨てる。


「仮にお主が儂を殺したとしよう。バレンシアードの小僧はそれでも上手くやるであろうな? だが、ルシアータの小娘はどうなる?」


 そこで、ゼフィールの思考が止まる。

 身体が一瞬、硬直してしまう。


「儂とお主の信用は天と地。両者が死んだともなれば、まず間違いなくお主が悪で、儂がその被害者よ。ハーヴェン公爵家の現当主を殺した王子の元婚約者。ああ、これから先、あの小娘にどのような未来が待ち受けているであろうな?」

「……あいつは俺とは無関係だ」

「足繁く、お主の下に通っておったらしいな? 健気な小娘よなあ?」

「あいつと俺は一切関係ないッ!!」

「……バレンシアードの小僧以外はそばに寄せ付けもせなんだお主が、随分と入れ込んでおるのだな。そんなに良い女であったか? あの小娘は」


 攻撃の再開。

 随分と粗の目立つその攻撃に、ウェルバはほくそ笑む。


 これこそが彼の狙い。

 意味もなくゼフィールの神経を逆撫でる言葉を口にしている訳ではない。


 感情の激昂こそが、魔法使いの暴走に必要不可欠であると知っているからこそ、ウェルバはあえて挑発のような物言いをしているのだ。



『……どうして私の事を無視するんですか、殿下。ちょっと酷くないですか。私、殿下の婚約者なのに』


 ゼフィールの頭の中で繰り返される言葉。

 それは、ここ数週間の間で勝手に居着いた己の婚約者の言葉。

 初めは適当にあしらってやれば勝手にいなくなるだろうと思っていた婚約者のこと。


 だが結局、彼女はどんなに冷たく接しても変わらずゼフィールに世話を焼いてきた。


『殿下は勘違いなさってるようですけど、別に私は殿下の機嫌を取りたい訳じゃないです。初日にも言ったように、私は殿下のお友達になりたいんです』


 まるで分からなかった。

 カレン・ルシアータが何を考えているのか、ゼフィールにはまるで分からなかった。


 その点、クヴァル・バレンシアードはまだ分かりやすかった。ちゃんとした理由があって、ゼフィールに世話を焼いていたから。

 クヴァルには世話になっていた。

 だから、そうする事で少しでも気が楽になるのなら。そう思ってゼフィールは彼が世話を焼く事を不承不承ながら黙認していた。


『私は殿下の事を知りたい。知って、助けになりたい。だからその為にもお友達になりたいんです』


 恩義も、後ろめたさもない人間にああも献身的に世話を焼こうとする。

 素晴らしい人間だと思う。

 そこに含まれる作り物めいた胡散臭さを除きさえすれば、理想的な婚約者であり、女性だろう。


 クヴァル然り、彼女からは悪意を感じられない。恐らく、悪い人間ではないのだろう。

 しかしゼフィールがこれまでに培った感性が、カレンを信用する事を拒んでいる。


 どうせいつか、あいつも俺を軽蔑する。

 見捨てる。背を向ける。


 だったら、初めから心を許さない方がいい。


 誰も省みず、誰も愛さず、信用せず、背中を預けない。そうすれば、救われる事はないが、傷付くこともない。

 己の世界に必要なのは、己だけ。

 己だけを信じ、己の為だけに生きる。


 それが一番だ。

 一番だと、分かっていた筈なのに、


『私は知ってますから。殿下が、お優しい事を。誰よりも気遣い屋で、優しいって事を私は知ってますから』

『おれは知ってる。ゼフィールが、底抜けに優しい事くらい。お前の伯父もよく言ってたよ。あいつは優しいやつなんだって。大丈夫。この世界の全員がお前の敵になったとしても、おれだけは味方してやる。ゼフィール』


 僅かな隙間を潜り抜けて、入り込んできた二人のお人好しの存在が、ゼフィールの頭の中をどうしようもなく掻き乱す。


 原作では明言こそされていなかったが、ゼフィールが狂った理由はただひとつ。


 絶望に染まった世界の中、たった唯一いた理解者であり、味方であったクヴァル・バレンシアードを、ゼフィール自身が己の暴走によって殺してしまったが故に、彼は狂った。

 だが、幸か不幸か、クヴァルの死が奇跡的にゼフィールを正気に戻した事で事態は収束した。


 そして、クヴァルの息子であり、魔法使いであったノヴァに、ゼフィールはクヴァルを己が殺した事だけを伝えた。

 背景を伝えれば、それにノヴァを巻き込んでしまうと思ったから伝えられなかった。


 ゼフィールは、ノヴァにお前は俺を恨む権利があると伝え、クヴァルの死を許されようとも、許されたいとも考えなかったゼフィールの不器用さ故に、彼らは犬猿の仲となった。


 〝クラヴィスの華〟は、そんなやり切れない出来事だらけのお話だ。

 なのに、誰も救われなかった。



「俺、が、お前を殺せば全てが解決する」


 ゼフィールは結論を出す。


 クヴァルの優しさに頭を悩ませることも。

 カレンの節介に筆舌に尽くしがたい感情を抱く事も。

 何もかもが解決する。


 ここでクヴァルへの恩返しと、伯父の無念を己の手で晴らせば、何もかもが解決する。

 その筈なんだと自分自身に思い込ませ、ゼフィールの攻撃は更に苛烈なものとなる。


「ああ、そうとも。お主が儂を殺しさえすれば全てが解決するであろうなあ? が、それは叶わぬ妄想よ。ああ、それと、どうして儂が魔法使いのような真似事が出来ておるのか、気にならんか?」


 きひきひ、と意地の悪い笑みを浮かべながら、ウェルバは語る。


「この杖にはのう、とある魔法使いの心臓を組み込んでおるのだ。それ故に、儂は魔法使いの真似事が出来ておる。もっとも、お主らのように無尽蔵にとはいかんがの。ああ、誰の心臓で造られたのか、気になるであろう? ゼフィール。お主には特別に答えてやろう。これはな、お主の伯父の心臓でつくったものよ」

「……外道、が……ッ」

「おぉ、おお!! そうよ、そうよその調子よ!  くふ、くふふは、ハハハハハハ!! 怒れ怒れ!! しかし、お主に儂は殺せぬがな!!!」


 何故ならば、とウェルバは言葉を続けた。


「お主はここで、伯父と同様に暴走を引き起こし、この王都を火の海に変えるのだ!! そして今度こそ王族の権威は失墜し、儂がその地獄の中の光となる!! なに、安心せい! 魔法使いに味方をするバレンシアードの小僧もお主と同じ場所に送ってやる。儂がお主らに代わって新たな国を作ってやるわ。魔法使いを排斥した素晴らしい国をなァ!!?」


 そして、機は熟したとばかりに懐から妖しく光る鉱石をウェルバは取り出し、掲げた。


 魔法使いの暴走とは、感情の高揚、激昂によって引き起こされるもの。

 ウェルバが掲げた鉱石は、それに呼応して力を発揮する特殊な鉱石。


 その光が一層強く発光すると同時、ゼフィールでも、ウェルバでもない声が轟いた。



「ゼフィール!!」



 殺す、殺す殺す殺す殺す殺す────。

 憎しみ、怒り、嘆き、辛み。

 様々な負の感情を綯い交ぜにした殺意をウェルバに向けるゼフィールが、鉱石の魔力に当てられると同時に聞こえた声。


「……なんと」


 誰にも知らせていないはずの場所に、こうも短時間でたどり着けたその人物が持つ偶然に、ウェルバは感嘆の声を上げた。


 そして、奸計を企てていた張本人は、この場にいる筈のない人物の言葉に目を見開く。

 これが、バレンシアード公爵ならまだ分かった。


「どうしてここが分かりおった? 小娘」


 だが、現れたのは彼ではなく、ゼフィールと歳の変わらない小娘────カレン・ルシアータだった。



 †


「……ウェルバ・ハーヴェンがいそうな場所に、心当たりがあります」


 遡ること、数十分。

 城にたどり着き、ウェルバとゼフィールの姿がなかった事を確認した私は、バレンシアード公爵にそう打ち明けた。


「なら、そこに向かうぞ……!!」

「……ですが、心当たりのある場所が一つだけじゃないんです」

「……成る程、そういう事か」


 可能性があるであろう場所は、二つ。

 しかも、その場所は全くの逆方向。

 どちらかに向かえば、もう一方はさらに時間を要してしまう事になる。私はそう、口にする。


「なので、手分けして探しませんか」

「……だめだ。魔法使いであるならまだしも、カレン嬢を一人にする訳にはいかねえ。それに、相手は魔法使いを暴走に追い込んだウェルバだ。何をしでかすか分からねえ」


 当然の反応だと思った。


 だけど。


「時間がないんです。バレンシアード公爵閣下。魔法使いの暴走は、使用者を正気に戻せさえすれば、止められます」

「……なんだと。おい、その話、本当かよ……!?」


 原作の中盤あたりで判明する事実。

 つまりは、今から八年以上後に生まれる常識。これを口にすれば、少なからず未来に影響が生まれると分かっていた。

 だが、この知識を言わないとバレンシアード公爵を納得させられる気がしなかった。

 だから私は口にした。


「だ、が、その確証が」

「私に、ゼフィールを助けさせて下さい」


 危険なのは承知の上。

 ここから先は、原作では語られなかった出来事だ。


 でも、ここで行動を起こさなければ本来の八年後と同じ未来になってしまう。

 それはだめだ。

 私はそれを、認めたくなかった。

 認めるわけにはいかなかった。


「……あぁ、っ! くそ! いいか、カレン嬢。ウェルバを見つけても、下手な事はするな!? それが条件だ」


 ここで言い合いをする事が一番不毛で、一番愚かであると理解してか、バレンシアード公爵が折れてくれる。


 そして、それだけ口にしてバレンシアード公爵は私が告げる場所へと向かっていった。


「……申し訳ない事しちゃったかな」


 やがて、声が聞こえなくなるくらいに距離が離れた事を確認して、私は呟く。


 心当たりのある場所というのは、夢で見た火の海に包まれるあの光景。

 そこに映っていた場所。

 だから私は、可能性がある場所を一つ(、、)しか知らない。

 なのにあえてバレンシアード公爵に嘘をついた理由。

 直前まで、彼の協力を仰ごうとしていたのに変更した理由。

 それは、


「でも、バレンシアード公爵に死んで貰う訳にはいかないから」


 バレンシアード公爵を死なせる訳にはいかなかったから。

 あの場所に連れて行けば、彼が死んでしまう。

 そんな予感に見舞われた。

 それもあって、私は嘘をついた。


 彼はゼフィールの心の支えだ。

 カレン・ルシアータとは比べるまでもなく、失う訳にはいかない。



「って、本来の目的はどうしたよ私」



 自分自身に呆れる。


 カレン・ルシアータとしての自分の不幸な未来をどうにかしたい。

 その一心だったはずなのに、気付けばゼフィールの為に自分自身を犠牲にして頑張ってる。


 多分、ゼフィールが〝クラヴィスの華〟の中で一番の推しキャラだった事も関係してるんだろうけど……


「まぁ、いっか」


 考えるのは後にしよう。

 兎に角、今はゼフィールを助ける事が先決。


 そう自分に言い聞かせて私は走った。


 夢に見たあの光景が、未来を示唆するものであると信じ、その場所へ。



 やがて息を切らしながらたどり着いた場所に、ゼフィールと記憶よりもずっと若いウェルバがいた。



「ゼフィール!!」



 原作で嫌というほど目にした鉱石。

 確か名前を、〝魔晶石〟。

 魔法使いに対して、暴走を誘発させる鉱石。


 あの鉱石を目にしてはいけない。

 そんな想いでゼフィールの名前を力強く呼ぶ。だけれど、その声に反応したのはゼフィールではなく、ウェルバだけだった。


「まるで、十五年前の焼き増しだの」


 ウェルバが呟く。


「十五年前もそうであった。小娘のいる場所に、バレンシアードの小僧がいた」


 かちり、と足りなかったパズルのピースが埋まったような幻聴が聞こえた気がした。


 ……あぁ、そうか。

 だから、だからバレンシアード公爵はゼフィールの伯父の暴走が何者かに仕組まれたものだと知っていたのか。

 その現場を、実際に目にしていたから。


「だが、十五年前と同様に手遅れよ小娘。ゼフィールは、程なく暴走を起こし、王都を火の海に変えるわい。婚約者であるお主も、バレンシアードの小僧すらも殺して王族の権威は地に落ちる」


 まるで、燃料の失われたロボットのように立ち尽くすゼフィールは、原作でも幾度となく目にしてきた魔法使いの暴走状態。

 その初期段階と酷似していた。


 暴走を引き起こして尚、ウェルバがこの場を後にしない理由は……私がいるからか。

 ルシアータの人間である私が、ゼフィールに殺される必要があるからこの場を後にしないのか。それを見届ける為に……全く、悪趣味に過ぎる。


「あと少し早ければなんとかなっておったかもしれんが……運がなかったの、小娘」

「それは、どうでしょうね」

「……なに?」


 確かに、ウェルバの言う通りベストなタイミングは暴走を引き起こす前に私がゼフィールの下に辿り着く事だった。

 でも、まだ間に合う。



 この状態ならば────まだ声は届く。



「ゼフィール」


 名を呼ぶ。

 反応はない。


 一縷の希望に賭けているように見える私の行動を嘲笑うウェルバの声が聞こえるが、そんなもの関係ないと切り捨てて私は反応のないゼフィールの手を掴む。


「……っ、」


 直後、鋭利な刃物で切り裂かれたような痛みが私の腕に走った。

 これは、暴走状態にあるゼフィールの腕を掴んだ事による余波のようなもの。


 痛みに怯みかける己自身どうにか奮い立たせ、気にするなと言い聞かせて痛みから強引に目を逸らす。


 時間がない。

 今は、痛みにどうこう言ってる場合じゃない。だから私は、本来の主人公────ユリア・シュベルグが暴走状態にあった魔法使いを助けた時のように、立ち尽くすゼフィールを抱き寄せた。


「……気が狂ったか? 小娘」


 触れるだけで本人の意思に関係なく、皮膚を切り裂くような今のゼフィールを抱き寄せる。

 それは、自殺志願者にしか見えない事だろう。


 だけど、私はやれる事は全てやるつもりだった。



 私はカレン・ルシアータであって、ユリア・シュベルグでも、主人公でもない。

 私が主人公になれると思い上がる気はない。だからこそ、出来る事は全てやるつもりだ。


 主人公が命を投げ捨てる覚悟で行った行為も、それがゼフィールを助ける事に繋がるのであれば、私はそれを敢行する。


「私、ゼフィール王子殿下に黙ってた事があるんです」


 身体中に鋭い痛みが走る。

 それを隠すように、見え見えの作り笑いを浮かべながら私は頑張って言葉を口にする。


「王子殿下がどうして自分に関わろうとするのか。そうお尋ねになるたびに、友達になりたいからだとか、婚約者だからだとか、そんな理由を口にしてたと思うんです」


 決してそれらは嘘の理由ではない。

 紛れもなく本当の理由だ。


「でも本当は、もう一つ、一番重要な理由があったんです」


 軽蔑されると思ったから。

 言っても、どうしてだってなると思うから説明しなかった一番の理由。


「私は、自分の未来が怖かった。だから、浅ましくも貴方と良い関係を築きたいと思った。本当は、自分の為だったんです。貴方の為ではなく、自分自身の為。ただの自己中だったんです、私」


 でも、自分でも自覚しないうちにその考えは変わっていった。

 今がいい例だ。

 生き延びる為とはいえ、ここまで原作に介入する必要はなかった。

 もっと上手くやれる方法はあった。


 ゼフィールの為に、バレンシアード公爵をあえて遠ざける必要はなかった筈だ。


「だけど、気づけば貴方と話すのが楽しくなってて。自分の未来と同じくらいに、貴方にも幸せになって欲しいと思うようになってた」


 不遇なヒーロー達が救われればいいと思っていた。

 だけどそれは、私の未来をどうにかする事よりも重要度が高いものではなかった。


「多分、そう思うようになった理由は、貴方が昔の私に似てたからなんだと思います」


 カレン・ルシアータとしての私ではない。

 〝クラヴィスの華〟を画面越しにプレイしていた一人の人間、綺咲葵としての昔の自分とゼフィールはよく似ていた。


 一人で抱え込んで。誰にも頼ろうとしないで。意地張って。でも、本当は寂しがり屋で。

 正直になれなくて。そのせいで苦しんで。後悔して。泣いて。


 ……そんな昔の私に、ゼフィールはよく似ていた。まるで、昔の自分を見ているようだった。多分、放って置けなかったのはそんな理由なんだと思う。


「だから、こうして命知らずにも厄介ごとに首を突っ込んじゃったのかもしれません」


 笑う。


 正直、この状況は絶体絶命だし、ゼフィールを抱き寄せているせいで痛みに今にも意識を手放してしまいそうだ。


 奇跡的に私が魔法使いとして目覚める訳もない。どうしようもなかった。


 死にたくないと願っていた自分が、こうして死に一直線で突っ込んでしまった現状に笑いを隠しきれない。

 何馬鹿な事をやってるんだ、私って笑ってやりたかった。

 でも、これが不思議と後悔はなかった。


「聞いてください、ゼフィール。貴方は、一人じゃない。これから、心優しい主人公に出会うし、犬猿ながらもきっと分かり合える友人とも出会います。そこにはバレンシアード公爵閣下もいて、口煩い聖者に、石頭だけどすごく優しい勇者も、寂しんぼの王様もいます。みんな、みんな、いい人で、きっと貴方の良き理解者になってくれる人達です」


 暴走状態のゼフィールの耳に届いてるかは分からない。

 それでも伝えようと思った。


「だから、その、」


 こんな事を言えるような立派な人間じゃないって自覚してるから少しだけ気恥ずかしくて。

 だけど、頑張って言ってみる。


「────貴方は、幸せになるべきだ。貴方は一人じゃない」


 これから先の原作がどうなるのか。

 それは分からない。


 私という人間は、ここで命を落としてしまうかもしれない。だけど、ゼフィールという人間の行く道に救いがありますようにと願いながら、私は意識を手放そうとして。




「……どうやら、そうらしいな」




 私の身体から力が抜ける瞬間、逆に抱き寄せられる。


「……ゼフィール?」

「────あり得ん」


 私の声と同時に、ウェルバの声までもが聞こえてきた。


「暴走状態にありながら、正気に戻るだと……? あり得ん。あり得んあり得んあり得んあり得んあり得ん!!! そんな事があり得て堪るか……っ!!」


 かくなる上は────!!

 そう言って、再び暴走を引き起こさせるべく、ウェルバが鉱石を取り出そうとするが、見え見えの攻撃ほど対処しやすいものもない。


「俺はこいつと話してるんだ。その煩い口は閉じろよ、ウェルバ・ハーヴェン」


 殺到する無数の魔法。


 それはまるで、私の知る────八年後のゼフィールの技量と遜色のないもののように見えた。


 懐から取り出された鉱石は呆気なく砕かれ、ウェルバの身体に魔法の刃が無数に突き刺さる。因果応報であるけれど、その惨状には哀れみの感情を抱いてしまう。



「カレン・ルシアータ。貴女(、、)は馬鹿だ。救えないくらい、底なしの馬鹿だ」

「そう、ですかね?」

「こんな俺の為に、命を投げ捨てようとしたんだ。馬鹿と言わずして、何という」


 馬鹿、馬鹿と言われているけれど、彼が私の事を心配してる事はよくわかった。

 だから、笑う。


 でも、力無く笑ってしまったのが失敗だった。今の今まで隠し通せてた筈の、身体の傷にゼフィールが気付いてしまう。


「……あぁ、でも、よかったです。貴方が無事で」

「おいこれ、」

「ちょっとだけ、転んじゃって」


 頭が回っていない。

 血を失い過ぎているのだろうか。

 自分の身体には出来るだけ目を合わさないように気をつけてたから分からないけど、そんな気がした。


 それもあって、子供でももっとマシな嘘をつくだろと言いたくなるような取り繕いの嘘しか出てこなかった。


「だから、その、ゼフィールのせいじゃありませんから」

「……っ、もう喋るな。体に障る。黙ってろ」

「なんだかんだ言っても、やっぱりゼフィールは優しいですね。でも、私の事なんかより、今は、ウェルバを」

「いいから黙ってろ!!」


 怒られる。


 でも、今は私なんかよりもウェルバをどうにかしなきゃいけない。

 これからのことを考えれば、今、ウェルバをどうにかしておかなきゃいけない。


 そう伝えたいのに、視界が歪んでいく。

 意識が保てない。


 やがて私は、そのまま意識を手放した。



 †



 目覚めるとそこは見慣れた天井だった。


 近くには人影があって、腕を組んで不機嫌そうにするゼフィールと、あたふたしながら忙しなく歩き回るバレンシアード公爵。

 そんな彼に呆れの言葉を投げかけながら、私に掌を向ける銀髪の見慣れない青年がいた。


「……なあ、ノヴァ。カレン嬢は大丈夫なんだよな?」

「さっきから同じ質問をし過ぎです父上。いつ目を覚ますかまでは分かりませんが、身体に異常はない筈です。このまま安静にしていればいつかは目を覚ますでしょう」


 ノヴァ。


 ぼやけた視界の中で映り込んだ銀髪と、その名前から私は一人の人物にたどり着く。



 ノヴァ・バレンシアード。


 バレンシアード公爵の息子であり、確か────治癒の魔法を得意とする魔法使い。


 ……そっか。あの後、バレンシアード公爵がノヴァを連れてきてくれたんだ。



『ありがとうございます』


 その一言を言いたいのに、身体が鉛のように重い。まるで自分の身体じゃないようだった。

 だから、口も開けず、意識だけ覚醒させた状態にとどまっていた。


「ところで、どうするんですか。ゼフィール」

「……どうするって、何がだ」


 原作では犬猿の仲すぎて真面に会話をしているシーンは両手で事足りる程だった両者が、普通に会話をしている。


 奇跡だ……!

 滅茶苦茶録音したい……!!


 〝クラヴィスの華〟のいちプレイヤーである私はそんな場違いな感想を抱いていた。

 だが、そんな野次馬根性丸出しの私の様子は続けられた一言によって一変する。


「何がって決まってるじゃないですか。カレン嬢の事ですよ」

「…………」

「ぶっちゃけるんですけど、いらないなら僕にくれませんか」

「ぶほっ!?」


 衝撃的過ぎる一言を口にするノヴァの発言に、バレンシアード公爵は吹き出していた。


「……お、おおお、お前、何を言って」

「正直、羨ましいです。父上は兎も角、魔法使いである僕らは、普通の人間とは違います。僕らの理解者となってくれる人は極めて少ない。だから、その身を賭してまで君を助けようとしたカレン嬢の事を、僕は好ましく思う。それと、カレン嬢とゼフィールの婚約を推し進めた父上を今日この時以上に殺したいと思った日はない気がします」

「……相変わらず、言葉に容赦がねえよなお前」


 ノヴァ・バレンシアードは、そういう人物だ。


 言葉には容赦がなくて、それでいて真顔で冗談とも本気ともつかない発言もする。

 正直、一番関わりにくい人物。

 だけど根は良い人。


 だからきっと、これは彼なりにゼフィールへ私につっけんどんな態度を取るのはやめてやれ。って言ってくれているのだと思う。

 流石は、ノヴァだ。


 きっとそうに違いない。


 ……そうだよね?



 そんなこんなで、私はその数時間後に漸く身体を起こせる程度に回復した。


 曰く、ウェルバは息の根を止める直前で姿を消したとのこと。

 だが、およそ生きていられる傷ではなかったらしい。



 出来れば、確実にウェルバには退場して貰いたかったのだけれど、私を助ける為にウェルバの事は後回しにしたと言われては責められる訳もなくて。


 あと、ウェルバ・ハーヴェンの件についてはバレンシアード公爵が上手くやってくれたようで、私が気づいた時には失踪扱いで綺麗に片付けられていた。


 そして何より、バレンシアード公爵の力添えもあって、私は約束の一ヶ月を過ぎても度々王城に行き来出来るようになった。

 ゼフィールも、ちょっとだけだけど心を開いてくれたような気がする。


 何を隠そう、偶にだけどゼフィールから私に話しかけてくれるようになった!


 バレンシアード公爵に自慢しに行ったら、おれも偶にあるぞと言われて心をズタズタにされたけど、そんなこんなで時間が経過してゆき────過ぎる事、八年。



 〝クラヴィスの華〟の原作が始まるその日がやって来た。



 †



「どうやら、聖女候補と呼ばれる人物が選定されたようですね」


 王城にて開かれるパーティー。

 私の側でノヴァ・バレンシアードが説明をしてくれる。八年前から、会うたびに仲良くしてくれてるノヴァさんとは、良い関係であると思っている。

 特に、原作とは異なり、未だバレンシアード公爵の当主を務めているクヴァルさんにはお世話になりっぱなしなので、バレンシアードとは末長く仲良くしていきたいと私は思ってる、のだけれど。


「カレンから離れろ、ノヴァ」

「やれやれ、今日は随分とお邪魔の登場が早いですね」

「お邪魔はお前だろう。俺はカレンの婚約者だが、お前はただの友人Aだろうが。いや、違うな。友人Aの息子Aか」

「……へ、へえ。随分と好き勝手言ってくれますね、ゼフィール」

「事実だからな」

「夜道には気をつける事ですね、ゼフィール」

「心配するな。誰かの襲撃でどうにかなるほどやわな鍛え方はしていない」

「…………」



 原作とは違う意味で、ゼフィールとノヴァの仲が悪かった。

 いや、でも喧嘩をするほど仲がいいとも言うし、これはある意味仲がいいのだろうか……?


 ともあれ、聖女候補である原作主人公の登場を始めとして物語が漸く動き始める。

 そして、私にとっての一大イベントも待っていた。


 言わずもがな、ゼフィールとの婚約破棄である。


(関係は……うん。八年前とは違ってかなり良い関係に落ち着いてるし、友人と言っても良いくらいには仲良いって自負してるし、流石にこれは問題ないのでは……!)


 私がすべきは、ゼフィールとの婚約が破棄された後、陰ながら彼らを支えていくだけ。

 この八年の間で、推しキャラだったゼフィールが超絶推しキャラに変わってしまうという変化はあったけれど、きっとゼフィールだって主人公のユリアに惹かれるはず。


 私がゼフィールの婚約者としての地位にしがみついて、ドロドロの三角関係、とかは笑えないし、ゼフィールには是非とも幸せになって欲しい。

 私の中でゼフィールの存在が大きくなっている事は否定しないけど、それでも。



 なんて考えながら過ぎる事数十分。



 聖女候補であるユリアのお披露目前に、原作では私がゼフィールから一方的に婚約を破棄される筈なのだが、待てど暮らせどやって来ない。


「……なあ、カレン。妙にソワソワしてるが、何か気になる事でもあったか」

「え? い、いや、その、えと、」


 ────婚約破棄しないんですか?

 とは流石に言い出せなくて。


 ああ、そうか。

 関係値が良くなったことで、ゼフィールも私に直接ではなく、家を通して婚約の件について話を進めているのかもしれない。

 うん、それだ。

 きっとそうに違いない。


「婚約の件、についてなんですけど」

「……ああ、それか。そういえば、俺からもその件についてお前に話しておきたかったんだ」


 やっぱり、水面下で話を進めていたのだろう。


 ユリアは私よりもずっと性格は良いし、顔も可愛いし、完全無欠の女の子だ。

 ゼフィールが惹かれるのも仕方がないし、私自身もユリアの事は好きなので応援するつもりでいた。


 ゼフィールとの関係は所詮、政略結婚だし、この時点で破棄されるのが当然────と、私は思っていたのだ。

 この瞬間までは。


「そろそろ、婚約者って肩書きも煩わしくなって来たところだったからな。式を挙げた方がいいと思ってたんだ。やっぱり、カレンもそう思ってたか」

「し、式? えと、婚約破棄じゃなくて?」

「……成る程。またノヴァの奴がカレンに出鱈目を吹き込んでたのか。道理でカレンが落ち着かない訳だ」


 ……ん、んんんんん?


「だが、安心してくれ。俺がお前との婚約を破棄する事は絶対にない。だから、ノヴァに何か変な事を吹き込まれても気にするな」

「ぇと、ユリアは?」

「ユリア? ……ぁぁ、聖女候補の事か。あいつがどうかしたのか?」


 ……なんか、うん。

 雲行きが怪しい気がする。


「……それとも、俺との婚約はカレンにとって重荷だったか?」

「え? う、ううん。そんな訳じゃないんですけど、その、予定と違うというか、なんでこうなったんだコンチキショーというか、うん。なんでもないです。ごめんなさい、ゼフィール」


 演技……をしているようには見えないし、ゼフィールは多分、本気でそう言ってる。

 これまでの八年の付き合いで培った勘が私にそう伝えてる。



 ……一体、どうしてこうなった?



 破棄しないって事は、憎からず思われてる事だし、その事が嬉しくないといえば嘘になるんだけど……どうしてこうなったと思わずにはいられなかった私の頭は過去一で混乱していた。


 勿論、なぜか知らないが、原作主人公であるユリア・シュベルグと共に異例の二人目の聖女候補としてカレン・ルシアータの名が並べられている事も、今の私が知る由もなかった。

一応、連載候補短編となります。

初めての乙女ゲー題材なので、

感想等あればいただけると嬉しいです。


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[良い点] 個人的には連載候補作の短編を拝見すると消化不良感でもやっとしてしまうことが多いのですが、この作品は単品だけでも満足感があったのがすごく良かったです。 [気になる点] でもやはり、もっと他の…
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