弐拾弐
誰もいない地学教室で、左部はひとりホワイトボードの上を見上げた。前方の壁のスピーカー。休日とはいえど時間を迎えればチャイムを流すそれの隣に、いつかの文研の先輩が持ってきたらしいアンティーク調のアナログ時計が掛けられている。コッコッと普通のより幾分か重そうな音を規則正しく鳴らすそれは、現在短針がローマ数字の12と1の中間を、分針が6を過ぎたあたりをさしていた。
──そろそろかな。
グラウンドに面している方の窓からは、その開いたすき間から風に乗って部活動中の生徒たちの元気な声が聞こえてくる。
その声を聞き流しながら左部は座り心地の良い椅子に別れを告げ、昼間にも関わらずところどころで閉められた暗幕のせいで薄暗い教室を後にした。
左部が独自の人脈により手に入れていたスケジュール表によれば、目当ての部はそろそろ練習と片づけが終わって反省会に入っているだろう。話を聞くのならば、全ての行程が済んで落ち着いた頃がいい。その部に所属している知人によると、反省会が終わっても大多数は持ってきた弁当を中庭で食べてから帰るらしいし、このくらいの時間がちょうどいいだろう。
一歩教室の外に出ると、アパートにも似ている作りの廊下に清涼な風が吹き抜ける。近頃勢いを増してきた太陽の光を反射する中館の校舎の壁が、薄暗さに慣れた左部の網膜を焼いた。その眩しさにもう夏だなあという感想を抱いた彼は、ふいっと視線を逸らした。武骨なコンクリートの階段に向かう。
一段一段下りながら、左部は今頃裏に鎮座する大きな山の中で苦戦しているだろう後輩のひとりと相談者を思った。
左部とて、自分でやったことではあるが、危険が多そうな神格絡みの事案を最近入ってきたばかりの新入部員に丸投げするのは心配が多い。しかし見えない自分が向かってうっかり口だけでなく手まで出してしまい想定外の被害を出すよりはマシだと、苦肉の決断をしたのだ。本家の長男が冷遇されているとは風の噂で聞いているが、あの四辻の出ならば自衛の手段くらい持っているだろうし、こちらはこちらで人脈とコミュニケーション能力が必要な仕事に向かっているのだから納得してほしいところだ。
──しかし、四辻の鬼っ子と青耳の素質をもった子が入ってくるとは、ぼくは運がいい。
部員が左部ひとりだけだった一年間は、見えないことの弊害に困り顔の期間だった。見えれば見えるで、あの無表情を貫く後輩のようにいろいろとあるのだろうが、見えなければ見えないで持ち込まれる相談を解決するのが困難であるのだ。では今までの文研はどうやっていたのかというと、何故か知らないが世代にひとりは必ず対処できる人間がいたらしい。その謎の現象は連綿と続いてきたとか。左部の時代には、彼自身がそういう枠に数えられていた、ということだろう。対処はできるが程度は低いものだし、あてにされても困るのだが。
──今年は楽できそう。
左部は愉快なことが好きでよく首を突っ込むのだが、しかし自分が苦労するのは嫌いという、とても面倒なタイプであった。
四辻はふるくから続いてきたそれ関係の界隈では有名な家で、今は祓いを主にしているようだが、もとは結界と封印を専門とする一族だったはずだ。大昔まで遡れば、神域すら作り出せたとか。そんな家にカイ違いの血が混ざった赤子が産まれるとは、皮肉とも言えるかもしれない。彼のあの眼は祓い屋にとって垂涎ものだろうが、しかし伝統的な血筋からすれば自分たちが掃討すべき化け物との混ざりものなど、唾棄すべきなのかも知れない。しかもそれが本来家督を継ぐべき長男ともなれば、争いの種になることはもう確定したようなものだ。彼の下には妹と弟がいると聞くし。
混ざりものに多少は理解がある左部に来ればいいのに。などと冗談交じりに、左部はいつも通りの笑顔を浮かべたまま考えた。なにはともあれ、かの一族ならばそれなりの技術は期待できそうだ。
一方、飄々とした態度を崩さないもうひとりの新入部員はというと。つい情報を集めてしまう性質の左部はそちらについても調べてみたのだが、四辻とは違い若松は本当に一般の家だった。彼の耳は、突然変異的なものだと捉えて問題ないだろう。一般人にしては、肝が据わりすぎているようにも思うが。
左部の言う青耳とは、カイが違うものの声をはっきりと聞き取り、なおかつ理解できる能力をもった耳のことだ。呪いの石の件を機に資料を漁ってみたものの、それについて出てきたのは有名な陰陽師がそれらしい力を有していたという曖昧な記録だけだった。記録によればその陰陽師は青眼という薬を使ったことによりその力を手に入れたらしい。それに関連づけて、左部ははっきりとした呼称のないその力を、青耳と呼ぶことにしたのだ。
生徒会執行部にも所属していることから不確定要素が多いとはいえ、こちらに関してもなかなか得がたい能力だとして、左部は密かに目をつけていた。
「あれ、サトリじゃん」
階段を下りきって中庭に到着すると、真上から注がれる日光のなか、いくつか置いてあるテーブルのひとつでワイワイと騒ぎながら食事を摂っている集団があった。
「どした?」
そのうちのひとりが左部に声を飛ばす。同じクラスの男子生徒だ。首にタオルをかけ、練習中に飲みきれなかったらしいスポーツドリンク片手に弁当をつついている。
「やあ、練習お疲れさま」
その集団に近づきながら、片手をひらりと挙げて答える。
「食事中申し訳ないんだけれど、ちょっとバスケ部の沖田くんについて訊きたいことがあってね」
声をかけたその青年は周囲のチームメイトと目を合わせた後、きょとんとした目でにこにこ笑う変人を見上げた。
ここにたどり着くまでに文字数がめちゃくちゃいってしまったので、いっそ最初から書き直して、新しくシリーズを作ろうかと思います。ブックマーク、評価をしてくださった方には申し訳ありませんが、似たようなのがあるなーと思われたら、そちらをまたブックマークしていただけると嬉しいです。お付き合いいただき、ありがとうございました。産み出したからには完結させるのが親の務めだと思っておりますので、死ぬまでには必ず完成させます。




