弐拾壱
今回は普段の2倍くらいの文字数です。普段がいかに短いかがわかる。
「えー、と。『やめといた方がいい』って、どういう意味だろうな」
「……わかりませんが、スツル神に関しても警戒しておいた方がよさそうですね」
「スツルカミって、さっきの祠の?」
「らしいです」
「そんな危険な感じだったのか?」
柊はしばらく視線を落としたあと、何かを言い淀むように口を開いた。
「……なんとも言えません。俺には、──人間には、理解の及ばない領域ですから。俺たちの基準で神格を語れません。少なくともすぐさま襲いかかってくるようなお方ではありませんでしたが、警戒はしておくに越したことはないでしょう」
人間ごときの警戒が、どれだけ意味を為すかは不明ですが。と、相変わらず感情を乗せないまま静かに言い放つ。
この、表情筋が仕事を放棄しているような後輩は、いつもひっそりとした声をしている。表情に加えて声音すらも変動が少なく、抑揚というものがない。それなのにサイボーグ感はなく、ちゃんと生きているものの音。なんというか、動物ではなく植物の気配に近い。かといって地に根を張っている感じもしないが。奇妙な少年だが、ひどく聞きやすい声をしている。声が良いとニュースキャスターなんかどうだろうと言いたくなるが、しかし愛想の欠片もないこの後輩には向かないだろう。
「──見えない先輩は自衛がしづらいでしょうから、先ほどのように、喋らず、できるだけ動かず、間違ってもカイが違うものに認識されないようにしてください」
神妙な顔で頷く。とはいっても、いかに真面目そうに取り繕ったところで、雑面をつけている今の状態ではさして意味がないだろうが。
柊の言った「認識されないよう」というのはそのままの意味ではなく、目立つなということだろう。沖田とてこんなところで人生終了のお知らせを聞きたくはないので、言いつけを破るつもりはない。
「引き続き聞き取り調査をします」と言って歩き出した柊について、周囲をちらちらと観察しながら歩いていく。いつの間にか先導とそれを追う立場が逆になっていた。
歩き慣れたはずの須頭山だが、この道はおそらく通ったことがない。これまで登ってきた道のようにきちんと人の手が入っているものではなく、獣道と呼ばれるような細い道だ。歩く度にスウェットトレーナーの上からパシッパシンと、脇からわさわさと茂っている名もわからない植物たちに叩かれる。ぱっと見て沖田にもわかるのは、蒲公英くらいだろうか。小さな花たちが、木々のすき間からさしこむ日の光を浴びて、黄色く光っている。
山というものは、虫がつきものだ。特に植物が生い茂っているようなところは、たいてい鬱陶しい羽虫が飛び回っている。まさに今進んでいるこのあたりだ。顔のあたりにスタンバイしているのが更に苛立ちを助長させる。いくらつい最近登っており慣れているとはいっても、鬱陶しいものは鬱陶しい。沖田は雑面の下で顔を盛大にしかめ、狭い視界のなか飛び回っている虫をベシベシと手で叩き落としながら進んだ。前を行くアウトドアジャケット姿の後輩は全く気にしていない様子でずんずん進んでいくが、彼も山に慣れているのだろうか。もしくはただ虫なぞ気にしない性格というだけかも知れない。少々なよっとした印象だったが、沖田はその認識を改めた。
この山を家族で登るときはそんなことはなかったのに、何故だか今は異様に狸だの鹿だの猿だのが視界に入ってくる。においや気配を雑面によって誤魔化しているからだろうか。
動物たちを見ている限り、この山には狐はいないらしい。もしかしたらまだ遭遇していないだけかも知れないが、狸はいて狐はいないことに気づいた沖田の頭には、狸と狐の縄張り争いという妖怪モノの創作物でよく見かけるシーンが浮かんだ。
沖田には全くわからないが柊には区別がつくらしく、そういった動物と遭遇する度に、喋れるものには近寄り同類のふりをして話を聞き出していた。狸率が比較的高かった気がする。時折何もないように見える場所に向かっても同様にしていたから、沖田はああこれが、と妙に納得した。
「なんか、俺にはよくわかんなかったけど、変な感じだな」
「変、とは」
「ときどき言ってることが真逆じゃねえ? 慕ってる相手が違うなら当然なのかもだけど」
テンの話ではここはスツル神の山、隣がヒキアグル神の山、という風に棲み分けをしているらしいが、柊が話を聞いた妖怪たちのなかには、スツル神派も、ちょっと遠出をしてきたらしいヒキアグル神派も、ずっとここに棲んでおりそういうのにはノータッチという中立派もいた。広くはない範囲で全ての派閥が揃うとは、柊は実に引きが良いらしい。
スツル神派曰く、「すつる神様はお優しいお方だ。我らを重用してくださる」「ひきあぐる神様は無情なお方だ。すぐにお忘れになる。あの方は慈悲でなく興味のみで動かれるのだ」。
ヒキアグル神派曰く、「ひきあぐる神様は慈悲深いお方だ。こんな我らでも拾ってくださった」「すつる神様は情のないお方だ。すぐにお捨てになる。あの方はきっと我らのことなど路傍の石としか思っておられぬ」。
中立派曰く、「スツルさまもこわいがヒキアグルさまもおそろしい。関わらぬがよかろうて」。
どちらもが互いに敵対視している、というわけではないようで。スツル神派の妖怪たちは、何故だかヒキアグル神派の妖怪たちを憐れんでいるようだった。同情、というべきかもしれない。懐古と少しの哀しみを含んだような──。対してヒキアグル神派はスツル神派の妖怪に、「あんなお方を慕うなんて」と、信じられないような顔をしていた。なるほどこれは、争いが起こるわけである。
「優しさと慈悲深さ、そしてどちらも無情……、ですか」
川縁の大きな岩に座った柊が、握り飯片手にぺらりとメモ帳の頁を捲る。話を聞いて妖怪が去ったあと、その都度忘れぬようにメモをとっていたらしい。妖怪がいなくなってからだったのは、人間とばれないようにだろう。後輩の抜かりのなさに、沖田は卵焼きを頬張りながら感心した。
現在ふたりとも雑面を後ろへ捲った状態で離れすぎない位置に座り、早めの昼食を摂っている。高校に集合して出発したのが朝の9時頃。沖田の左腕につけられたゴツい印象を受ける金属製の腕時計を見ると、今はもう正午を30分ほど過ぎたところである。
ひょろくて少食そうな柊も流石に動き回って腹が減ったのか、今手に持っているので既によっつ目だ。彼は沖田とは違って行儀が良いようで、必ず飲み込んでから喋るのだが、何故か知らぬ間に凄いスピードで彼の手にある握り飯が消えていくのである。部活があるからと言って母親に作ってもらった弁当をつつきながら、面白いなと沖田は柊の食べる様子を観察していた。
「スツル神はヒキアグル神に対して悪感情は持っていないようでしたが……いえ、呆れのようなものはありましたね」
「でもあの鼬も、神さンがたは気にしてないけどとか言ってなかったっけ」
「そうですね。……ヒキアグル神の性質を知るために色々と聞いて回りましたが、これだけでは危険なものかどうか判断がつきません」
「あ、居場所がわかったのに行かないのかと思ってたら、そんな理由だったんだ」
「ええ。俺は手を出せませんから沖田先輩ご自身に行っていただくしかないのですが、流石に狂暴性のあるようなお方のもとに軽率に連れていって死なれては困りますから」
事前の調査は必須です。生き残れるか否かは、いかに情報を制すかにかかっています。などと淡々と述べる後輩は、死にかけた経験でもあるのだろうか。何でもないように話すその様子に、沖田は逆に凄みを感じた。
「しかし……」吐息のように柊が言う。「これ以上の情報は集められそうにありませんね。いくらカイ違いに聞いたところで、所詮は客観的に見た主観での意見ですから」
またもいつの間にか消えたよっつ目の握り飯を包んでいたラップを丁寧に畳んでビニール袋に入れると、空いたその手を隣に置かれているバックパックに突っ込んだ。探す素振りもなく、すぐにそのなまっちろい手は引き上げられる。「これを持っていてください」とすっと手を差し出された。
鞄を閉める間は、という意味かと思い、岩の下のほうで食べていた沖田は立ち上がって取り敢えず受けとる。見てみるとそれは、てのひらほどの大きさの葉だった。波線の輪郭に、少し紫蘇に似た手触り。どこかで見たことがあるような気がする。
「柏の葉です」沖田の予想に反してチャックを閉めることなくいつつ目、むっつ目の握り飯を取り出した柊が、返そうとした沖田を手でとどめて言った。
どうりで。見たことがあると思ったら、柏餅に巻かれている柏の葉だったらしい。
ところでこいつはまだ食べる気なのだろうか。柊の胃に収まった米の量は、既に沖田の弁当箱の容量を超えている。
「四辻の結界の術を込めていますので、神格に効くかどうかはわかりませんが、気休めまでに持っておいてください」
あ、持っておいてってそういうこと、と納得する間もなく呆然とした沖田。何か今とてもファンタジーな単語が聞こえたような。
「さて、早く行動しなければ日が暮れてしまいます。先輩も早く食べ終えてください」
「へ?」
一瞬で今しがた取り出されたふたつの握り飯が消えた。いつの間に。いや、本当に。
素早くも丁寧にラップを畳みそれを入れたビニール袋をバックパックに突っ込んで、重たそうな荷物を再び背負った柊がすっくと立ち上がり、岩から身軽に飛び降りた。荷物の分だけ足に負担がいくはずだが、このなよっちく見える後輩は意外と頑丈なのか。
「早く食べ終えてください」砂利を鳴らして沖田の隣に立ち雑面で顔を被った柊が、再び沖田を急かす。ハッとして柏の葉をスウェットトレーナーのポケットに突っ込み、沖田は弁当の残りをかきこんだ。慌てて片づけ、荷物を背負う。
「さあ、行きますよ。隣の山──ヒキアグル神のところへ」
くるりと踵を返して歩き出す。ふたりの足下で石どうしがぶつかり、騒がしい音を立てた。
「えっ、待って待って、さっきの『結界』がどうとかってなんの話? え、気になる気になる。教えて!」
「……秘技ですのでお教えできません」
少し開いた間は、柊が面倒だなと考えていい加減に答えた証拠だった。
「いや、やろうとは思ってないしこれはオトシゴロの男子の知的好奇心を満たすための質問だから! な!」
きらきらとした笑顔で近づいてきた沖田に振り返った柊は、彼の後頭部に垂れていた雑面をべしりと無言のままもとに戻す。それに拒否の意思を感じ取り、布の下から「えぇ~」と残念そうな声が漏れた。




