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つきのひとみ  作者: 高橋 耶那
壱のカイ 捨てる神あれば拾う神あり
43/45

弐拾




「──おい、そこのおまえ」


 突然声をかけられた獣がぴくりと耳を動かし、のんびりと地面を歩いていたその足をくるりと方向転換させる。


 振り返ったその獣は、細長い薄黄色の胴体に黒く短い四つ足を持つ、鼬──時折(テン)とも呼ばれる動物だった。そのまんまるいビーズのような黒い瞳が、迷惑そうに柊とその横に棒立ちの沖田を見つめる。


「ン? おまいら、見ねえ顔だなァ。なンでえ、どっから来やがったァ?」


 ──喋った!


 鼬から放たれた江戸っ子のような口調に驚愕して、沖田は声を上げそうになった。が、はっと隣に堂々と立つ柊を見て彼に言われたことを思い出し、その衝動をぐっとこらえる。


 沖田は知らないが、テンは鼬が長く生きてあやかしとなった存在であり、「狐七化け、狸八化け、貂九化け」とも言われるように狐狸よりも変化(へんげ)が巧いあやかしだ。そういった、狐や狸や鼬などの、()()()の肉を持ったあやかしは、常人にも見えるしその声も聞こえるのである。


 そのため、彼らは化かすとき以外は人間の前で喋ることなどない──ばれると生きにくくなるかららしい──のだが、それが何故柊と沖田というふたりの人間の前で口を開いたかというと。


「ああ、隣の隣のそのまた隣の山から。ヒキアグルノとかおっしゃる神格に会えば、力を頂けるっていう噂を聞いてな」


 柊が顔に着けた布越しに、テンに返事をする。テンはそれを聞いて、「ほお、そりゃァ遠いとっから来たンだなァ」と労いの言葉をかけた。およそ警戒すべき人間への態度とは思えない。


 今、柊と沖田は、ふたりとも雑面(ぞうめん)のような縦長の長方形の布で顔を被っている。その布には、沖田では、いや、柊にも意味が理解できない直線的な模様が描かれていた。


 沖田は落ち着かない気持ちでちょいちょいと雑面の端をいじりながら、祠の前で柊に言われたことを思い返した。


 ──これは、カイが違う──いえ、妖怪と言った方がわかりやすいでしょうね、そういったものたちに、俺たちが同類であると錯覚させるための面です。彼らの前で、決してこれをめくったり、外したりしてはなりません。いいですね。それから、この面は貴重なもので数に限りがありますので、破らないよう注意してください。


 ここへ来る前に「四辻(よつつじ)と申します」と至極丁寧かつ簡潔に自己紹介したその少年は沖田の後輩であるはずだが、何故だか逆らえない雰囲気を持っている。そういうところは意外と、文献研究部の部長に似ているのかもしれない。沖田はそんな彼の言葉にたじたじと頷くしかなかった。


 なんでも、妖怪は姿かたちではなく、においや気配、存在自体の()()()()などで、そいつが仲間かどうかを認識しているらしい。今被っている面は、そのにおいと気配を誤魔化してくれるものなのだそうだ。しかし被ったところで見えない沖田が()()()ようにはならないため、「極力先輩にも見聞きできるものに話を聞くつもりですが、もしあなたから見て不審な挙動をしていてもお気になさらないでください」とも言われた。沖田はこれにも頷いた。


 夢で(かわず)さんと相対したときと同じような感覚を、祠の前で覚えたあとのことだ。


 しゃがみこんでいた沖田に立つよう促して、柊はしばし考え込んでから口を開いた。極々短い付き合いのなか一度たりとて無表情を崩さなかった彼は、やっぱり表情を変えないまま「──一応先輩には把握しておいていただきたいので、お話しします。にわかには信じがたい話でしょうし、信じて貰わずとも構いませんが」と前置きをして淡々と語った。


 柊は普通の人には見えないものが見えること、祠にいたのは神様の類いだということ、沖田が落としたのは恐らく「蛙さん」の思念が移った器であること、それを拾ったのは祠の神様曰くヒキアグルノというこれまた神様の類いだということ、これからこのあたりの妖怪たちにヒキアグルノの居場所を訊いて回るつもりであること、それには危険が伴うかも知れないこと、妖怪や神様と接する上での必ず守るべき注意事項、などなど……。


 唖然と聞いていたが、自分でも意外なことに、「嘘だ」とは少しも思わなかった。神威に多生なりと触れたからか、それとも話しているのが()()文研部員だからか。沖田のなかで、ああそうか、と納得できる部分があったのだろう。


 特に注意事項については「死にたくなくば」と何度も口酸っぱく念押しされたため、完全な理解はできずとも、覚えておかねばという気持ちにさせられた。


 しかしそう何度も言わなくとも、と思ってしまうが、そんなに信用できないと思われているのだろうか。確かに門外漢の自分ではわからないことも多く、ヘマをするかも知れないが。


 沖田はそのときの微妙な気分を思い出して、雑面の下で渋い顔をした。


「──あァ、ひきあぐる神さンなら、山違いだなァ。ここはすつる神さンの山でえ」


 テンの陽気な声が鼓膜を叩き、沖田は3歩分ほど離れたところにいる獣を見る。テンは器用に後ろ足だけで立ち上がり、ビーズのような目を柊に向けていた。


「すつる神さんとは、ここを少し下ったところの小さな祠に(おわ)すお方だろうか」

「おうよ」


 柊の質問に、テンがこくりと頷く。なかなかに可愛らしい仕草だ。


「山違い、とは」

「あァ、神さンたちは気にしちゃァいねえンだがよ、神さンを慕う妖怪どもが、やれひきあぐるさンのが慈悲深いだのやれすつるさンのがお優しいだのとことあるごとに争うもンだから、山ごとに縄張りを分けてンのさ。神さンがたが決めたンだが、なンだったか、『無用な争いを避けるため』っつってたなァ。ひきあぐる神さンはお隣でえ」


 柊がテンに声をかけたのは偶然だったが、ふたりは運が良かったようだ。この獣はおしゃべりらしく、促すまでもなく機嫌良さげにいろいろと喋ってくれた。


 有益な情報を聞き出して、礼にと柊が持ってきていた食べ物をやってふたりが去ろうとしたとき。


「──そうだ、ひきあぐる神さンに力を貰えるっつう噂だけどよ、やめといた方がいいと思うぜ」


 それだけ言って、ふたりが「え?」と聞き返す間もなく、テンは「じゃァな!」と素早くその姿を消してしまっていた。


 あとには、雑面の下で、無表情でテンが消えていった方を見つめる柊と、困惑した表情で柊へ視線を向ける沖田だけが残された。




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