肆
「……まあ戦闘狂はどうでもいいとして、」
諒の腕を叩き落としたその手を椅子の背もたれに下ろして、柊が言う。「ひっどおーい」と諒が演技が勝った仕草で文句を垂れたが、それをすげなく無視し、柊は諒をじいっと見つめてため息をつく。
「……またクラス一緒のうえ席近いな」
諒は、柊の席の後ろに座っている。今指定されている席の並びは、出席番号順のはずだから、諒は40番なのだろう。最後から2番目の席だ。
諒の後ろ、41番の席には、まだ誰も来ていなかった。荷物もないから、今席を離れているだけというわけではないだろうし、欠席だろうか。
「そりゃあ、『わかまつ』と『よつつじ』だし。クラスは……まあよほど縁があるんだろうね」
諒が柊のため息に不満げな様子をしつつも、そこには突っ込まずそう言った。
それこそしめ縄並みの縁か。ここまでくるとおそろしい。
諒の言葉を受けて、柊は彼との過去を思い返してみた。
腐れ縁どころか、どんどん腐る間もなく更新されて、強くなっていっている気がする。去年は席替え5回中4回俺の周囲八方のうちのどこかに諒がいた。籤引きかあみだ籤だったのにも関わらず。どういうことなのか。どこかで乱数調整されてるとしか思えない。
「…………まあ、今年もよろしく。色々頼らせていただく」
「うん、よろしく。いやあでも頭の方でいくとおれの方が頼りまくると思うけどね~。そんときは頼むわ」
「ああ」
柊の挨拶に、諒が右手をひらひらと軽く揺らして返した。
頼りすぎるのも頼られ過ぎるのも苦手だが、これまでもちょうどよかったのだから、これからもちょうどいいバランスを保てるだろう。
柊は、諒に関してはあまり心配していなかった。
兎も角、同じクラスに知り合いがいてよかった。入学早々ぼっち確定は流石に寂しい。
表面には出さないまま、柊は望外の幸運に喜ぶ。まあ柊の場合は、その喜びを表情に出そうとしたところで、無表情のままだろうが。
「他に同じ中学出身の人は?」
「いなかったと思うけど。おれが知ってる限りでは」
「ふぅん……」
「興味なさそうだね」
自分から質問したくせに気のない返事をした柊に、諒が苦笑する。
──まあ興味ないしなぁ……。
「そういうとこも相変わらずだね~。嫌いじゃないよ」
どうやら柊は思ったことを口に出してしまったらしい。口に出したといっても、せいぜい教室のざわめきに紛れるくらいの囁きだったと思うのだが。
こいつはどうにも耳がいいらしい。
「地獄耳?」
耳がいいなと言おうとしたのに、ずいぶん無遠慮な言葉に翻訳されてしまった。
「褒め言葉として受け取っておく」
サディストがにっこりと笑った。これほどおそろしい事象があるだろうか。
柊が寒そうに身体を震わせた。
気のせいか、諒の背後にちらちらと雪が見える。きっと本気で怒らせたら、この雪がブリザードか、はたまた逆に静かすぎる永久凍土か、どちらかに変わるんだろう。
いまだ諒に本気でキレられたことは柊にはないため、諒の怒り方は未知の領域である。それがまたおそろしい。
「……肩を揉んでさしあげよう」
「わあありがとう。でもあと5分くらいしたら先生来ると思うから、手短にね」
それでもやらせるんだな。まあいいけど。
座っている諒の背後を柊が陣取って、肩に触れる。その瞬間、ぱちんとシャボン玉が弾けるような音がして、柊の視界の隅へ白いものが飛んでいった。
「……? 今なんかした?」
何か違和感を覚えたのか、諒が首を僅かに傾げる。
「埃ついてた」
「そう。ありがとう」
納得したのか、鷹揚に頷かれ礼を言われた。
「どのへん、このへん?」
後ろの首の付け根の下あたりを親指でぐりぐりしてみる。
「あーちょっと上。もうちょい右。おー、そこそこ」
注文の通りに指を移動させていくと、ごりごりした塊があった。
いや、塊とか以前に全体的に諒の肩は硬かった。かっちかちである。
「岩? 岩、もう岩。指折れそう」
「さあほら頑張って」
「楽しそうだなお前」
「あははは」
「ふんぬ。こなくそ。これでどうだ」
「頑張ってるのは力加減でわかるんだけどさあ、こんなときすら棒読みなのってなんなの。顔も絶対無表情だよね」
柊が必死に岩をほぐしていると、何やら苦情が入ってきた。
これでもちゃんと感情込めてるのに。理不尽だ。これはもはや俺ではなくこんな表情筋にした両親の遺伝子と環境のせいなのでは。俺は悪くない。
顔には出さず、不満たらたらな柊である。
「頑張れば感情込められる」
「おお、やってやって」
流石にこれから入学式という教室で大声を出すわけにもいかないので、潜めた声ではあるものの、柊は迫真の演技をしてやった。
「ふんぬっ。ぬおおお。こんにゃろおおお」
「、えっ」
さっきまで力を抜いてだらけていた諒が、何かに驚いたように固まる。
「なに」
岩揉みをやめると、諒が勢いよく振り向く。バッという効果音でもつきそうだなどと柊が考えている間も、岩の持ち主はこちらを凝視したままだった。
「なに」
いい加減視線を鬱陶しく感じた柊が、剣呑とした声で再度問う。
「いやぁ、これはびっくり。てっきりまた棒読みが来ると思ってたら、ホントに感情こもってるんだもん」
こいつはやっぱり失礼なやつである。大根役者だと思ってたとでも言いたいのだろうか。
柊は不満げに眉根を寄せた。あくまで柊の感覚では、という注釈が入るが。
「そんで驚いて確認してみたら、無表情だったからさ~。やっぱりその能面、一回顔の肉削がないと治らないのかな」
これで、キャラを作っているのではなく、素であるのはどういうことなのだろうか。息を吐くようにマッドなこと言うのをやめていただきたい。こいつはこれで、サディストじゃないだとかサイコパスじゃないだとかマッドサイエンティストじゃないだとかほざくのである。ありえないだろう。いい加減認めていたたぎたい。認めたら楽になるぞ。
柊は諒の将来が心配だった。
──これで社会に出てやっていけるのだろうか、この子……。
諒にそう伝えたらば、きっと「おれのほうが心配だよ。君、そんな仏頂面で、社会人なめてんの」と手痛い言葉が返ってくるだろう。
要するに、どっちもどっち、なのである。
「これでも動かしているつもりなんだが。はたから見てそんなに動いてないのか」
「あっは、今更なに言ってんのかなこの人」
「どうしよう、将来筋力が衰えてほっぺたが垂れ下がりそうで不安」
「っ、ふっふふ、ふっ、くッ……」
柊の言葉でツボったのか、諒の笑いスイッチが入った。彼には、スイッチが1度入ると暫く声を出さずに笑い続ける癖がある。声は出さないが、息を喉で区切るので、耳を澄ますと微かに「クックック……」という音が聞こえてくるのだ。それがおそろしいのなんのって。
柊は中学の修学旅行で諒と一緒にテーマパークをまわったことがあるのだが、お化け屋敷のなかでこれを耳にしたときのおそろしさといったらなかった。前後の人たちも震え上がり叫んでいた。いい迷惑である。しかし、後ろにいた普段理不尽な先生が本気で怖がっていたのは面白かったため、あのときだけは柊も諒にサムズアップした。
その出来事を思い出して、柊は相変わらず顔をぴくりとも動かさず、愉快ゆかいと心中で笑う。意外と柊はおもしろいこと好きなのである。
暫くは諒の肩に手を置いたまま、彼が笑いの沼から復活して再起動するのを柊は待っていたが、収まる気配がない。その様子を見て取って、柊は諦めて戻ることにした。
「…………施術は以上になります。ご利用ありがとうございました。私は自分の席に帰らせていただきます」
背を丸めてマナーモードになっている諒を放置して、柊は自分の椅子に座った。
周囲も、じゃあそろそろ……と解散し静かになり始めている。
集合予定時刻3分前。果たして3分で後ろのデーモンは笑いを収めることが出来るのだろうか。
心配である。




