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つきのひとみ  作者: 高橋 耶那
壱のカイ 捨てる神あれば拾う神あり
38/45

拾伍




 もし(りょう)に知られれば、「君、単純すぎるでしょ~。ネーミングセンス~」などとおちょくられてしまうだろうなと考えながら、言い訳のように口を開く。


「『コン』には、『金』の字を当てているんです。ほら、コンの瞳はあんな色でしょう。今見ていると、金色(こんじき)よりも琥珀に近いと思ってしまいますが……。あの頃はまだ、琥珀なんて物も、その言葉も知りませんでしたから」


 皆が呼びあっていた「青天狗」や「大錦の旦那」というのが名前ではないのだと知ってからしばらくして、コンと同じように、皆に(ひいらぎ)がその瞳の色から取ってそれぞれに名をつけた。近しいあやかしたちのその色が被っていなかったのは奇跡だと、今でも思う。もし同じ系統の色が複数あったなら、レパートリーの少なかった柊のことである、悲惨な名前を与えていただろう。


 半ば強引にコンやミドリと名前をつけたときには皆微妙な顔をしつつも受け入れてくれたが、もしアオミドリだのミドリアオだのと名づけていたならば、きっと全力で拒否されたのではなかろうか。


「コンは、俺についてきてくれているだけ、と言いますか……。契約は、していないんです。大切な、──家族、なので」


 ──ああ、本当に。


 こういうところが駄目なのだと、自分でもわかっている。カイが違うものを家族と(のたま)うだなんて、祓い屋として許されざる行為だ。父はきっと、こんな自分の心を見透かしていたから、あんなに厳しかったのだろう。あやかしに情を持つなと、あいつらは人間と同じ心を持たないのだからと、嫌になるくらい繰り返し繰り返し。


 ──けれど、触れてしまったから。慈しまれてしまったから。俺も、彼らを愛してしまったのだ。


 ゆっくりと左部(さとり)の指の輪郭をなぞって、ひとさし指の爪の先まで辿り着くと、柊はすっと両手を離した。


「──終わりましたよ」


 解放された自分の手を見て、左部が「おお、すごい」と感嘆の声を上げる。そこについ先ほどまであったはずの赤い火傷の痕は綺麗さっぱり消えて、通常の白く細い男の指に戻っている。塗られた翡翠の輝きも、皮膚に吸いとられたようになくなっていた。表面はもうさらりとしている。


「……この世のものでない、()()()の住人たちをそんなふうに思えるのって、素敵だね。要するに君たちは、縛りでなく相互の信頼で成り立っているわけだ。いいなぁ、人間同士でもそんな関係はなかなかないよ。大事にしなくちゃあね」


 超常現象が起こされた己の指を眺め、右手でぺとぺと触りながら、左部はもう一度小さく「いいなぁ」と呟いた。


 その呟きは、「信頼できる関係」に向けられたものか、それとも彼では自ら交流できない「カイが違うものとの関係」に向けられたものなのか。それは定かではないが、少なくともその言葉は彼の本心であるように感じた。


「否定されないのですね」

「おや、変なことを言うね」


 にやりと笑った左部に、柊が首を傾げる。


「君は忘れているかも知れないけれど、ぼくの祖先は(サトリ)だよ? その親愛の気持ちを否定するということは、ひいてはぼく自身をも否定することになる。そんな馬鹿なことはしないよ」

「……確かに、そうですね」


 左部にあやかしの血が流れているのは、左部の祖先があやかしと交わったという歴史があるからだ。その交わりが双方思い合ってのことなのか、そうでないのかは、柊にはわからない。しかし左部の口調から察するに、後者ではないということだろう。


「治してくれてありがとうね」


 観察をやめ、ぱっと顔を上げて、左部がにこやかにお礼を言う。


「いえ。自分の不始末を片づけただけですので、礼は不要です」


 ばっさりと切り捨てた柊に、彼は苦笑を浮かべた。


「それじゃあ、これを作ってくれた君の叔母さんに」

「……はい。伝えておきます」

「あ、運んで来てくれたそこのコンさんにもね」


 コンがいる窓の方へ上体を捻った左部が「入ってきてもらおうよ。烏天狗なら、室内で普通の鳥のように粗相はしないでしょう?」と言うので、柊はちょいちょいと控えめに手招きをして、コンを地学教室の中へ招き入れた。


 鳥と同列に語られたことがいささか不服だったのか、「ア゛ー」と若干不服げに鳴く。バサリと翼を広げ、柊の掲げた腕に素早くとまった。


「それ、服とか大丈夫? 破れない?」

「大丈夫です。そこはこいつも加減をわかっていますので」


 顔の横にあるコンの小さな頭の、艶やかな羽根を指の腹で撫でる。猫の姿をとるミドリの毛並みとは違いふわふわとはしていないが、つるりと滑る感覚が楽しい。


「……さっき、」


 口にするかどうか迷って、短く息を吸う。


「…………俺が先輩の指を弾いたことについては、訊かないのですね」


 コンと柊を机に組んだ両肘をつきながら眺めていた左部が、ああ、と声を漏らした。視線を斜め上に向けて考えつつ答える。


「んー、まあ、気になるし、正直言えば根掘り葉掘り訊いてみたいのだけれどね」

「では、なぜ」

「訊いて欲しいのかい?」

「……いいえ」

「あはは、でしょう? 君みたいな(ところ)は、そういうことを話すのになにか制限がついていそうだし……。それに、ぼくが君のその──能力? についてを聞いたところで理解できるとは思えないからね。それになにより……踏み込まれて困るのは、君の方でしょう」


 柊の尖端恐怖症もどきの話をしたときも思ったが、このひとは、引き際をよくわきまえている。柊はその手際におののいた。


 ぎりぎりまで攻めて、これ以上踏み込めば柊が完全に左部に対して心を閉じるというところで、ちゃんとわかっているよという顔をして遠ざかっていくのだ。


 まるでさざ波のようだと思う。ぎりぎり、立っている己の足先に届くか否かというところまで勢いよく押し寄せてきて、ピッと一粒二粒の水飛沫を散らし波打ち際に立つひとに少しの影響を与えてから、潔く沖の方へ引いていく。そしてそれを幾度も繰り返す。


 柊の懐疑の視線を受け止めた左部は、にんまりと余裕そうに笑んだ。


「……そう……かも知れませんね」


 妖しい笑顔を常備している目の前の先輩から、柊はふっと視線を逸らす。


 その行方は自然と、自分の腕にどっしりと乗っている、(あや)しのものへと引き寄せられた。


 ゆっくりと小さな頭を撫でる指はそのままに、玉虫色に光る黒い生き物をぼうっと眺める。


 ──すてき。


 左部が言った言葉を反芻する。舌の上で、言い慣れないそれを転がしてみた。


 そんな言い方をされたのは初めてだ。そもそも今まで、この話をしたのは親戚間だけだったから、それも当たり前ではあるが。


 コンともう一匹、ミドリが柊と一緒に叔母の家に居候しているため、彼女にも話したことがあるが、そのときは「家族だ」とは気恥ずかしくて言えなかった。言ったとしても、否定されることはなかっただろうが、全面的に肯定されるかと訊かれれば、答えは「否」だ。


 叔母も、見えないからか、本家の人間ほどではないものの、基本的にカイ(たが)いのものたちを信用していない。いや、見えないからこそ、かも知れない。見えないからこそ、彼女はカイが違うものに敬意と畏怖を抱いている。叔母は普段から「()()は私らと根本が違う。本来なら、交渉も取引も契約もすべきじゃない」と言って憚らない。


 自分の考え方が本家の家業からすると間違っていることは、とっくに自覚している。けれど──。


「──認められるというのは、存外嬉しいものですね」


 柊は、左部に聞こえないほどの大きさで、口の中だけで小さく囁いた。流石に至近距離にいるコンには聞こえたようで、ピクリと身体が揺れ、その柔らかい光を湛えた琥珀の瞳が柊へ向けられる。


 己の髪と同じ色の艶やかな黒い烏を見る少年の目の縁は柔らかく、ほんの僅かに曲線を描いているように見えた。




 今週金曜日は投稿をお休みします。また、充分に書き貯められていないため、来週からは月木投稿になります。ご了承ください。

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