拾壱
左部は笑顔を浮かべつつも、こちらの様子を伺いながら、同じ轍を踏まぬようにか手を後ろ手に組んでいる。一瞬だけ躊躇うように口を開閉した。
「……何でああなったか、訊いても?」
低く心地の良い声で訊ねられる。訊かれるだろうことは予想していたのに、どう言うのが最善かわからない。「ぇー」と小さく漏らしつつ、それに対する答え方を探した。目が空中を彷徨く。
「ちょっと、尖端恐怖症気味、と言いますか……」
「尖端恐怖症? そういうひとは、針とかの尖ったものを見ると、精神的に動揺してとっさに目が開けられなくなることがある、と読んだことがあるのだけれど」
「あぁ……そうらしいですね」
どこで読んだのか、やたら詳しい説明を垂れ流す左部に、もはや投げやりになって相づちを打った。
「君の場合の『尖ったもの』は、指ってこと?」
「そうですね」
「だけれど、さっき針は平気そうに触っていたしなんなら刺していたよね?」
「…………」
こんなときに、サトリ先輩らしい聡さを見せないでほしい。
柊は面倒になって、胸中で嘆息しながら顔を眼鏡ごと右手で覆って肘を膝につけた。
「あー……」
曖昧な思案の声が口から漏れる。
「…………指が苦手なんです。普通に見るぶんには問題ないのですが……、目に向かってくる、ひとの指が、ダメで」
特に女の指は。という言葉は、口に出さなかった。声にしてしまうと、あの痛みと共に、この世で一番苦手なあの女を──義母を、詳細に思い出してしまう気がして。
細く白いあの指。節まで細くて、家事なんてしたことがなさそうで。よく手入れがされた、光るような尖った爪が乗っていて──。
──ああ、気持ち悪い。
「君のそれは、恐怖症というよりはトラウマ、と言った方が近い気がするな」
顔を覆う手を両手に増やして、さらに深く背を曲げた柊に、左部がふむ、と顎に手をやりながら呟く。
柊は顔を上げて、いつの間にかもといた椅子に座っていた彼を見た。
「……トラウマとまでは、いっていないと思いますが……」
「どうかな。君が『そこまでじゃない』と自分に言い聞かせているだけかも知れないよ」
──君自身の心を守るために、ね。
真剣な光を宿した赤茶の瞳が、スクエア眼鏡のレンズの奥からこちらを見つめている。
何故だかそこに、惹き寄せられる。自分の根本を見透かされているような気がして、けれども不思議と柊の心は強張るどころか、それを受け入れるようにほどけてしまっていた。
瞳孔の奥の奥までも見えるほどじっと視線を集中させながら、柊は、この奇妙な感覚が、サトリの力なのかも知れないと思った。
波うつ感情を平らかに均され、抵抗する気も起きさせない。そんな、瞳。
──柊が彼から目を離せないでいると、急に左部の瞳からふっと力が抜けた。すっと細められ、弧を描く。
と同時に、柊ははっと正気を取り戻した。
ぱちぱちと何度かまばたきを繰り返す。
「──まあ、君に何があったかは訊くつもりはないから、安心してよ」
左部が柔らかな調子でそう告げた。
向けられるのが己を見通すような強い視線ではなくなって、柊は目を下へ逸らしてほっと胸に手を当てた。
ざわりと落ち着かないのに、それをむりやり平らにされて、ほぐされて、心の奥底に手を伸ばされるような。あの妙な感覚は慣れられそうにないし、慣れたくない。
もともとひとと目を合わせるのが苦手だが、左部とは特に、今後視線を長時間交えないようにしよう。
不自然なまでに緩やかな心臓の拍動をてのひらに感じながら、柊は密かにそう決めた。
そんな柊の決意を知ってか知らずか、左部はこの話はもうおしまいとばかりにひとつ柏手を打つ。いつも通りに、にっこりと胡散臭い笑みを顔じゅうに浮かべた。
「ところで、遣いを出すとさっき言っていたけれど」
「え、ああ、はい。言いましたが」
唐突に話題をぐるんと変えられて、戸惑いつつも「それがなにか」と首を傾げる。
再び視界に入れた左部の瞳は、好奇心からか輝いていた。
「さっきの──形代、っていうのかな、あれが君の家から薬を持って帰ってくるの?」
「あぁ、いえ、あれには片道分の耐久性しか持たせていませんので。家の中を探して、薬を掴んで持ってくるほどの能も持っていませんし」
いくら力を分け与え、代償と繋がりとして己の血を付着させたとは言え、あの人形にそこまでの機能はない。あれは所詮、定型に切っただけの、ただの楮紙だ。もっと時間と労力をかけて作った紙人形ならば、もう少しは役に立つかも知れないが。
「あれはただの伝言役です」
ふうん、と左部が興味深げに相づちを打つ。
「じゃあ、あれは昔で言う飛脚、現代ならちょっと手間がかかる電話ってところか」
そこまで言ったところで、何かに気がついたかのようにあれ、と呟いた。
「それなら、君の家のひとに電話をかければいいんじゃあない?」
首を傾げて、「この高校には持ち込みオーケーだし、いくら校内で電源をつけちゃ駄目とは言っても、そんなのバレなきゃいいんだから。ぼくが許可するよ?」と、部長兼先輩にあるまじき発言をかます。
流石にそれはどうなんだと思いながら、柊は説明のために口を開いた。




