肆
そして、迎えた火曜の放課後。今日はこちらの方が面白そうだからと来ようとしていた諒だったが、やはり生徒会のミーティングの方が重要度が高かったらしく、「未来の重役くんはこっちへ来ましょうね~」と先輩方に引きずられていってしまった。今年の生徒会入部者は今のところ諒含めて3人だけらしいから、それも納得ではある。仕事のノウハウを今のうちに覚えておいてくれなければ、あちらとしても困るのだろう。
くるくると回る丸椅子に座る、柊と左部。その向かいに、ひとつの長机を挟んで、ひとりの男子生徒が緊張した面持ちで座っている。
「えーと……」
「沖野和くん、で合ってるかな」
「あ、はい。2年2組、文系クラスの沖田です」
その生徒は、昨日の昼休憩に柊と諒が会いに行った人物で間違いなかった。
夏めいてきた気候が少し暑かったのか、ネクタイとワイシャツの第一ボタンを外し、学校指定のベストを来ている。短い髪をふんわりとワックスでセットしているところからも、見た目に気を遣っているような、全体的にゆるい雰囲気が漂っていた。昨日見たときは人好きのする笑みを浮かべていたぱっちりとした二重のその目は、今はキョロキョロと虚空を彷徨っている。厚めの唇はきゅっと引き締められており、その傍にはぽつりと目立たない程度に黒子があった。
運動部にいそうな印象を受けるが、本来部活があるはずのこの曜日にここに来ることができるということは、ゆるめの文化系部活動に所属しているか、帰宅部かのどちらかなのだろうか。
女子に好かれそうな顔立ちと雰囲気だな。と、控えめに沖野を観察していた柊は思った。
「ごめんね。同じクラスになったことのないひとの顔と名前までは、流石に覚えていなくてね」
「あ、いや、全然ぜんぜん」
眉尻を少しだけ下げて、しかしにこやかに謝罪した左部に、沖野はぎこちなく手を左右に振る。同じ学年とは言え、ふたりは初対面であるらしい。もちろん、柊とも昨日数十秒対面しただけであるため、ほぼ初めて会ったに等しい。
そんなひとしかいない空間にいる沖野も気まずいだろうが、左部とひとつ椅子を挟んで座っている柊も、沖野と似た気まずさを感じていた。先輩しかいない空間で、唯一この学校で信頼できる友人が隣にいないというのは、存外心細いものだった。
「投函された紙には、君に何かしらの奇妙な問題が起こったから相談したいと書いてあったけれど」
「あ、はい。紹介者は古典の先生で……」
「ああ、紙にもそう書いてあったね。ちゃんとサインもあったし。ぼくと君のクラスの古典の担当が同じ先生かはわからないのだけれど、うちの顧問の猿渡先生で合っているよね?」
「はい」
金曜に聞かされた話によると、ここに持ち込まれる相談は、たいていが怪異関係のものであるらしい。もちろん全てがそうであるわけではなく、本物の怪異と思い込んでいたがただの偶然であったり、人為的なものであったりということもあるようだ。ただ、文研に持ち込まれる時点では、至極厄介で不可思議な案件であるらしい。
オカルト的な内容に触れることもあるためか、文献研究部は一部ではイロモノ扱いされている。冷やかしかそうでないかを判断するために、必ず今までこの文研に関わったことのある人のサインを書いてもらってから、意見箱よろしく地学教室前に設置されている赤い木箱に相談の旨が書かれた紙を投函してもらう、という制度があるらしい。要するに、完全紹介制というわけだ。紹介者としてサインを書く人物の4分の1近くは、顧問の猿渡であるそうだ。今回の沖田の場合も、それに該当する。
「それで? 具体的にどんなことが君に起きたのかな?」
沖田の緊張をほぐすように、いつもより更に柔らかさの増した柔和な笑みで、左部が問いかける。
「えー、と。なんか、でも別にそんな、完全に怪異って感じの出来事じゃないんすけど、」
「ああ」
うつむいて、長机の下で手をもぞもぞと弄り始めた煮え切らない態度の沖田に、左部が優しい口調で促す。
「大丈夫。うちには言いふらすような部員はいないし、君がどんなに信じられないような奇妙なことを体験していたのだとしても、信じるよ」
なんせうちの部員は特別製だからね、という副音声が聞こえてきそうな笑みを、柊にだけ見えるように浮かべた。正直、柊は、うへえと言いたくなった。
確かに、左部と柊は一般人ではないし、ごく最近には諒もめでたく──柊にとってはまったくめでたくはないが──耳を手に入れた。しかし柊は進んで厄介事に首を突っ込みたい性分ではないし、諒も巻き込んでほしくはない。ならば何故こんな明らかに厄介で面倒そうな「相談」の場面に立ち会っているのかというと、部長である左部に脅されたからに他ならなかった。
──ここに持ち込まれるのは、ほとんどがこの学校に関係したところか、近隣地域に関する相談だ。君が把握しておかなければ、君の知らない間に、君の大事な友人が危険に首を突っ込むかもしれないよ? 若松くんは、ぼくと同じく好奇心が強いようだったし。
にやあ、と悪どい笑顔を満面に貼りつけて、左部はそう言ってきたのである。
おまけに、何故そんなに自分を関わらせたいのかと柊が問うと、「え? 楽しそうだから、かな」とくすくす笑いながら宣ったのだ。完全に愉快犯だった。
暴言を吐き出さなかった自分を誰か褒めてほしい。
しかしこれで、この先厄介事に巻き込まれることが確定してしまったようなものである。わざわざ入学式の日に糸原が注意をしてきたのにも関わらず。入部届けを提出したときの、糸原のあの失礼な目は、これも関係していたのかも知れない。
柊が金曜の放課後のことを思い返して深いため息を心のなかで吐いていると、左部の言葉に背を押された沖田が、ぽつぽつと話し始めた。




