拾壱
諒がのろりと顔を上げ、柊を見る。
「……うん、なに?」
「お前の普段の言葉を借りるなら、これは『幻想的出来事』であり、『非現実的出来事』だ。『超常現象』、『怪異』と言ってもいい」
──俺にとっては、これが現実かつ日常だが。
そう続く言葉は、柊の口から出ることはなかった。
「……ああ、なるほど。わかった。いや、理解はしてないけど認めはした。大丈夫」
うん、とひとつ頷く。
「おれは自分で見聞きしたものしか信用しないし、おれはおれを信頼している」
諒は何か決意したような表情で呟くと、今度は左部に顔を向けた。
「ひとつ、訊いてもいいですか? なんで──」
「『視線』というものは存外強くてね」
声が止んだのか、と諒が続ける前に、左部がそれを遮って唐突に喋り始めた。
「……はぁ」
彼が何を言い始めたのか理解できず、諒は疑問符を浮かべながら曖昧な相槌を打つ。
その隣で話を聞いている柊は、こいつのことだろうなと、頭上で静止している迷惑なデカブツに意識を向けた。
ふたりの反応をそっちのけに、左部は続ける。
「ほら、『視線を感じる』とか言うでしょう。そういったものを感じとるメカニズムについてはまだ解明されていないけれど、少なくとも『視線』というものは人に僅かなりと影響を与える程度には強いんだよ」
眼力が強い、とかもよく聞くよね。と言いながら、左部は自分の目をその細長い人差し指でさし示し、そしてそのまますっと直線をひくように諒の顔を指さす。「視線」、ということだろうか。
「その『視線』の力を更に強くして応用したのが、この木箱の封印でね。番人が石を視界に入れている間は、封印が発動する。なぜ彼女が番人に梟を選んだのかはわからないけれど」
人じゃあないから番人と言うのもおかしいかな、左部が愉快げに微笑む。
左部の言う「彼女」とは、恐らくはこの緻密な文様を桐箱に刻み、梟の「視線」の封印を施した人物だ。
左部は石の横に置かれた、木箱の蓋の中央に刻まれている梟の後ろ姿をたんたん、と指の腹で叩き、柊の頭上で固まっている「番人」を見た。柊には見えないが、きっと今も大きな金の瞳が、小石を視ているのだろう。
「まあ要するに、さっき──非眼鏡くんが声を聞いたとき──は逸らされていた番人の『視線』の檻が、今はちゃあんと石に向いて発動している、ってことだよ。だから石が口をつぐんでいる。いや、口を塞がれている、と言った方がわかりやすいかな」
「……えぇっと、ちょっとおれには理解が及ばないと言いますか、よくわからないんですけど~……」
「眼鏡くん」と「非眼鏡くん」……。口の中で呟き、ふたりとも自己紹介していないために仕方なくはあるのだが、左部のネーミングセンスを疑っている柊の横で、諒が躊躇いながら口を開いた。
「さっき後ろを向かせたってことは、柊が先輩のおっしゃる『番人』ってことですかねぇ……?」
え? じゃあ柊イコール梟……。うん?
混乱している。ぶつぶつ言いながら思考している諒の周囲に、5、6個ほど疑問符が漂っているのが見える気がする。当たり前だ。諒には梟が見えていない上に、「封印」などといった一般的に胡散臭いと言われるようなものの知識がない。逆にそんな知識まで持ち合わせていたらビックリである。
諒の質問を聞いてツボにはまったのか、左部がうつむいてぶるぶる震えながら「違う違う」と手をひらひらと左右に振る。静かではあるものの、今にも呼吸困難に陥りそうなほど笑っている。
「……っ、ふっ…………。っいや、眼鏡くんは番人じゃあないよ」
込み上げてくる笑いを噛み殺そうとして、結局できないまま左部は諒の推測を否定した。腹を抱えて静かに大笑いしている。
「……? それじゃあ、どういうことなんです?」
ふぅー……と深く息を吐いて、やっと笑いの波が去ったらしい左部が、目尻に浮かんだ涙を拭う。
「──梟がいるのさ」
この部屋のどこかにね──。
「どこか」と言いながらも、視線は確実に柊の頭の上辺りに向かっている。
先程からずっと柊は不思議に思っていたのだが、左部には見る才はないのだから梟が見えるはずはないのに、なぜそんなにも的確に梟の位置と動きを把握しているのだろうか。
接した時間は少ないながらも、左部は勝手に人の裡を覗かない主義であると、柊は感じている。彼の言った「ぼくは無闇に人の心を覗こうとはしない」「人の感情をわかりたくはない」という言葉を信じるのであれば、今も彼は心を読むことなどしていないのだろうが、感じる力とはそんなことをせずとも梟の動きまでわかるようなものなのだろうか。
左部の言う「感じる」という感覚を知らない柊には、わからなかった。
隣の諒は、相変わらず何もわからないままの表情を浮かべ、左部につられて柊の頭を見つめている。半目のまま眉間にしわを寄せて見てくるものだから、何とも言えない圧を感じる。
「…………」
「……そんなに熱い視線を送られても、何も出ない」
堪え兼ねて柊が苦言を呈すと、何かが面白かったらしい。左部が「んふっ」と小さく笑いを溢した。最初に柊が彼に抱いた印象は、この短時間で随分と様変わりしてしまったように思う。今ではもう、柊の中で左部は「静かな笑い上戸」であるという認識が固定されてしまった。
「んん゛っ。いやあ、それにしても、」
奇妙な笑い声を上げたことでふたりから注目されてしまった笑い上戸は、取り繕うように咳払いをして、話題の転換を図った。
「非眼鏡くんはとても耳がいいんだね」




