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つきのひとみ  作者: 高橋 耶那
零のカイ 曰くつきの地学教室
17/45




 ぱかり。


 (ひいらぎ)(りょう)が身構える間もないまま、意外にあっけなく開けられた箱。柔らかそうな白い布がふんわりと敷かれたその上に、なんの変哲もない石が乗せられていた。大きさは直径4センチメートルの円の中にすっぽり収まりそうなくらいで、歪な形をしている。本当にそこら辺に落ちていそうな石である。


 隣でまじまじと石を観察している(りょう)と違って、柊は石にはあまり興味がない。そのため柊にはこれがどのようにできたどんな種類の物なのか全くわからないが、左部(さとり)の先程の説明を信じるならばこれは「花崗岩」というらしい。敢えて挙げるとすれば、擁壁に使われているような、石英など一部の石がきらきらと光を反射する石材に似ている。同じような大きさの斑晶によって構成されており、色味は黒と、白または透明が半々くらいだろうか、モノトーンに近い。


「……あの~」

「なんだい?」


 腰を曲げて机に両手をつき、鼻先に桐箱がつきそうなほどの距離で石を眺めていた諒が、戸惑ったように上体を起こして左部を見上げた。


「これ、喋ってますか?」


 これ、と言いながら、目の前の石をさす。


 言われてみれば確かに、「昼も夜も関係なく喋る」と言ったわりには、何も聞こえてこない。


 柊は石を見つめたあと左部を見、そして頭上でいつの間にかピタリと静止していた「番人」を指さした。表情が全く動かないために見ている者には伝わりにくいが、本人は「これが原因か」と訊ねているつもりらしい。


 その意図を(サトリ)らしく的確に汲み取った左部が「そうそう」と軽く頷いて肯定を示し、「ちょっと君、後ろ向いててくれるかい?」と諒に憚ることなく柊に指示した。それをばっちり耳にした諒が、怪訝そうに眉をしかめて左部と柊を順番に見ている。


「……おれも後ろを向いた方が?」

「え? いや、君はそのままで大丈夫だよ。君としては目を離したくないでしょう」


 ふたりの問答の様子を視界の端に捉え、どうせ諒が一般人であることを知っているのだろうし、せめて声量を落とすとかの配慮くらいはしてくれればいいのに──と胸中で不満をこぼしながらも、柊は言われた通り石に背を向けた。──というよりこの場合は、()()()()()()()()()()()、といった方が的確だろう。


「──……ぃつ…………る…………ぃ……──」

「え?」


 耳に届いた微かな声に、諒が視線を左部から石へ移す。


「今、何か……」


 長机に両手をつき、腰を曲げて右耳を小石に近づける。


「……ぉ……ぇも……て…………る……」


 声は確実に、石から漏れ出ていた。老爺とも老婆ともつかないしわがれた細い声が、口の中でもごもごと呟かれているように不明瞭に響いている。


 もう少し。


 諒はその言葉を聞き取ろうと、更にその耳朶を石に触れそうな距離にまで寄せる。


 そのとき、声が、はっきりとした形を持って、諒を襲った。




「──すててやる」




「っ!」


 ばっと素早くてのひらで右耳を押さえ、弾かれたように後ずさる。その勢いのまま背後の長机にゴッと音を立ててぶつかったが、それを気にする余裕は諒にはなかった。一瞬の間に粟立った肌の感覚が気持ち悪い。


「……いまの、柊聞こえた? よね?」


 目を見開き、呆然と柊を見つめる。


 数十年、下手をすれば数百年にも及ぶかもしれない年月の間、ずっと煮詰まれてきた憎悪と怨嗟。絡みつくような黒い油泥。たった一言耳にするだけで、その感情に影響されて、気が立ってしまいそうになる。耳の内側にこびりつき、脳を侵すような悪意。


 一度はっきりと聞こえてしまってから、まるでチューニングが合ったかのようにずっと、呟かれる石の言葉が明瞭に聞こえてくる。呪いに侵食されないよう、諒はぎゅっと強く耳を塞いだ。


 こういった怪談に触れた経験のない諒でも、肌で理解した。


 これは()()()()モノだ。


「……俺には途切れ途切れの声しか……」


 柊は身体の向きを変えることなく、梟を落とさない程度に首を傾ける。柊の首の稼働を邪魔している梟は、またも落ちつかなげに動き始めていた。


 柊の言葉に、諒は混乱を隠せない。


 自分だけに聞こえたというのか。何故。今まで霊感だとか第六感だとかいうものには、とんと縁がなかったはずなのに。石との距離の問題か。それとも全て幻聴なのか。しかし柊も少しは聞こえていると言っている。どういうことだ。


 先程までと柊と諒の位置が入れ替わったために、ふたりの目が合う。いつも飄々と笑っている諒は、今まで柊が見たことがないほど、驚きと恐れを表に出していた。


「……あぁ、眼鏡(メガネ)くん、もうこっちを向いてもいいよ」


 何かを考え込んでいるようだった左部が、その場に流れる沈黙に気づいてそう言った。


 眼鏡くんと呼ばれた柊は、眼鏡はあなたもだろうにと不満を抱きつつ、その言葉に従い彼に向き直る。


 途端、耳を押さえる手を通り抜けて諒を苛んでいたしゃがれ声が、ぴたりとやんだ。ほっと息を吐き、両手をゆっくりと下ろす。ちらちらと見下ろし石の様子を気にしつつも、諒はふたりの方へ近づいた。


「……静かになったな」


 背を向けていてもわかるほど放たれていた黒い靄が消え、無意識のうちにしていた緊張がほどけた柊が、思わずといったふうに呟く。視界を何かしらがうろついていると、柊は「(視覚的に)うるさい」と言いたくなってくるのだ。


「……今の、なに? 幻聴、……?」

「──君は君が体験したことを、君なりに受け止めて信じればいい。ぼくも、眼鏡くんも、君に自分の所感を押しつけたりはしないよ。君が幻聴だと思ったなら、君はそれを信じるべきだ」


 狐につままれたような顔で憮然と呟いた諒に、至極落ち着いた声がかけられた。諒がそちらを見ると、左部が凪いだ表情で、諒を穏やかに見ていた。


「…………」


 諒がハッと何かに気づいたような表情を浮かべたあと、やや顎を引き、真剣な表情で考え込み始める。


 柊はその様子をじっと見つめ、口を開いた。


「──なに、という問いに対する答えとして、俺は最も適したものを知っているが、聞きたいか」




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