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つきのひとみ  作者: 高橋 耶那
零のカイ 曰くつきの地学教室
13/45




 その足がずり下がろうとしたとき、左部が釘を刺すように口を開いた。「でも──」


「でも、こちらが害されるわけでもないときに、ぼくは無闇に人の心を覗こうとはしない」


 勘違いしないでくれと言うかのように、強い口調だった。その表情は、今までずっと浮かべていた笑みが排除された真剣なもので。


 それを見た柊は少し驚いて、やっぱり目力が強いな、と全然関係ないことを思った。


 数秒柊を強い視線で射抜いていた左部が、ふっと顔の力を抜いた。再びゆるりと口の端を上げる。


 何かを諦めたような、受け入れたような。そんな「儚い」とも言える表情。


「──誰しもが自分の(うち)を知られたくないように、ぼくらだって人の感情をわかりたくはないんだよ」


 目を伏せて、囁きに近い声でそう言われた柊は、気圧されたように瞠目した。そして、頷いた。


「俺でも知りたくありません」


 人とコミュニケーションをとるときに、何考えてるかわかれば良いのにと思ったこともあるが、わかったらわかったで嫌な思いをするだろう。人は常に本音を隠して生きている。それに、自分を知られたくないのなら、他人を知ろうとしないのが一番の対策だと柊は思う。


 左部は柊を驚いたような目で見て、それからやっぱり微笑んだ。


 先ほどの自嘲じみた笑顔よりも、こちらの方が綺麗だと柊は思った。先輩に、それも男にこんなことを思うのも変かもしれないが。見た目がどうこうというより、先程はその顔に浮かんでいた憂いが、薄まった気がして。


 見た目だけでいうならば、やはり左部には「綺麗」というより「格好良い」だとか「凛々しい」という言葉の方が合っていると思う。


「そう。それは良かった」


 人の感情が強くなるのは、たいてい負の目盛りに振りきれたときだ。左部は恐らくそれで嫌な目に遭ったことがあるのだろう。柊の言った「侵食」という表現に同意したのなら、それはさぞかし不快な感覚の筈だ。


 この人も苦労してるんだな。


 柊がそう結論づけて警戒をゆるめたとき、少しくぐもったコンコンというノックの音が、入り口に引かれたカーテンの向こうから聞こえてきた。


 誰が来たのか勘づいてはいたが、(ひいらぎ)は一応振り向き音の源を注視する。左部(さとり)は柊たちがここを訪れたときと同じ柔和な表情で、少しだけ顔を動かして入口を見ていた。


「失礼しまーす」


 少し間延びした声とともにカーテンがもごもごと揺れて、にょっきりと細長い足が飛び出た。その足の持ち主が、まとわりつくカーテンを邪魔そうにはね除けながら顔を出す。(りょう)だ。


「戻りましたー」

「やあ、おかえり」

「遅かったな」

「やだなあ~、それは言っちゃいけないって」

「乙女じゃないんだから良いだろ別に」

「なんで立ってんの?」

「エコノミイクラス症候群予防」

「何それ」


 一連を見ていた左部が、面白そうにくすくすと肩で笑った。


 さっきまでの会話が、こいつに聞こえてはいなかっただろうか。柊は少し身構えてしまっていたが、左部は全くそんな心配はしていない様子だ。


 椅子に座ってくるりくるりと回るのを楽しんでいる隣の友人を、ちらりと見下ろす。機嫌は良いようだが、いつも通りの半目に愉快犯的な雰囲気。地学教室を出ていく前と何も変わっていない。この分なら、何も聞こえていなかったと考えるのが妥当だろう。それに、もし聞かれていたとしても、一般人にはなにがなんだかわからない内容だった筈だ。


「それで、おれがいない間にさっきのから話を進めてないよね」


 まさかそんなことはないよね? ねえ? という一種の脅迫じみた副音声が聞こえてくる気がする。よほど地学教室の逸話に興味があるらしい。


 諒は基本、謎と不思議が大好きだ。終始やる気の無さそうなその冷たい見た目に反して、「いつか魔法を使ってみたいよねぇ~」という夢想をけっこうな頻度で口にしている。


「ああ」

「大丈夫だよ。さっきまで、その子と雑談に花を咲かせてたんだ」


 「その子」。いくら柊が名を教えていないからといって、間違ってもひとつだけ下の後輩に使うべき代名詞ではないと思う。せめて「彼」とか。柊は諒に気づかれない程度に、不満を込めた視線を左部に送った。察知した彼がこちらを向く。視線への返信のつもりか、にっこりと笑顔を送られた。


 この先輩を見ていると、笑顔というのは鉄壁の守りのような気がしてくる。少なくとも柊には破れそうにない保護壁だ。


 俺もいっそ能面より笑い面をつけた方が防御力が上がるのかもしれない。


 そうも思ったが、それをしてしまうと絶対に疲れるので、柊は1秒も経たぬうちにその考えを棄却した。結論、無表情が1番楽なのである。


「それじゃあ、ご友人も戻ってきたようだし、続きを話そうか」


 1度諒によって流れがぶった切られてしまったため、始めの方は漂っていた緊張感というものが、幾分か減ってしまったような気がする。


 意識してか無意識にか知らないが、諒は常に背筋をピンと伸ばしているため猫背にはなっていない。しかし気を抜いているのか、少し膝を開いている。かくいう柊も、そんな諒の様子と左部の柔らかな物腰に感化されて、座った椅子の近くの机に肩を預ける。


 長くなりそうな話は、気をゆるめて聞くに限る。ただでさえおどろおどろしい導入だったのだ。この先もその調子が続くのであれば、身体の強ばりをあらかじめほどいておいた方が身のためだろう。柊はあまり体力を使いたくなかった。そもそもが省エネモードなので、力を抜けるところでは許される範囲ギリギリまで抜く。流石に今は左部という目上の存在がいるため、だらけるまではしなかったが。


「ええと、姥捨て山の話が終わったところだったよね」


 ふたりが頷いて肯定を示すと、左部はちろりと舐めて唇を潤してから、先程の続きを話し始めた。




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